2017年6月26日 (月)

柘榴忌(鶴逸喜忌) 逝きて40年

「お前は当然、角川賞をもらってもよかったんだと」と、寺山修司が憤慨(?)

したという、鶴逸喜の第6回角川短歌賞を逸した件は今でも語り草に

なっている。







昭和35(1960)年、第6回角川短歌賞は、稲葉京子の「小さき宴(うたげ)」と、

深井芳治の「麦は生ふれど」が受賞した。

鶴逸喜の「火焔樹」は、候補で作品50首が『短歌』に掲載された。

当時の選考委員は、五島美代子・前川佐美雄・木俣修・佐藤佐太郎・宮

柊二・近藤芳美の6名であった。







受賞するか、落選するかなどは、時の運(?)みたいなものもあるとは思うが、

それにしても本人は残念だったに違いない。

「ぼくの名前は喜びを逸する、だからね」などと、笑いながら後年語っても

いたが……



     

        みずからの食器みずから煮る夕べ風募りゆく篁(たかむら)の音

        盛りあがり峡の若葉は日々鮮(あたら)しなべてを耐えて生き

        来ぬ、戦後

        敗兵の日の記憶にて血を吐きし瞳(め)に涯もなき海原の紺

        熱募りくる午後にしてまどろめばまぼろしの中揺らぐ火焔樹

        背骨ゆがむまでに幾たび手術してなお生きゆくは醜きに似る

                    『火焔樹』(葦書房 昭和52年12月刊)



鶴逸喜さんは、昭和52年6月26日、熊本で客死した。

亡くなる2週間前にわたしは大学ノート25冊ぐらいの歌稿を預かった。

第1歌集から第3歌集くらいまでの歌数があり、その積もりで整理するように

頼まれたのだ。しかし、その責は果すことができなかった。

宿泊先のホテルよりの電話で知った鶴さんの死。

その時の衝撃は今でも思い出すとからだが震えてくる。







あれから、40年の歳月が過ぎた。

わたしにも人生上の蹉跌があった。

だが、こうして生きている。

鶴さんが願ったように「どんなことがあっても歌は捨てなさんな」を

守っている。






昨年の5月にはつれあいとベトナムへ旅をした。

そのベトナムで「火焔樹」の花を見ることができた。

わたしのいちばん見たかった花。

鶴さんが「まぼろしの中揺らぐ火焔樹」と、うたった火焔樹の花を

何度も何度も仰ぐことができた。

(今、わたしのパソコンの壁紙には火焔樹の花が…)


そして、「牙」(昭和54年6月1日発行 №66)の、「鶴逸喜三回忌特集」を

繙いている。この遺歌集『火焔樹』評の座談会は読み応えがある。





                     
                         2017年6月26日 祥月命日に

2017年6月22日 (木)

昂然と泰山木の花に立つ  高濱虚子

本日、車窓より見た泰山木の花。

この花は遠くからでもすぐに目につく。

むしろ木の真下からのほうが花は見づらいかもしれない。

大きな白い花で、厚い緑の葉によく映える。強い芳香を放つのも特色。





昨日も久留米シティプラザの庭(銀のすぷーん 前)に咲いていた花を

眺めたばかりである。ここの庭の樹木には木の札に名前が書かれていた。

それによると「ホソバタイサンボク」だった。

『カラー 花木 1 』(山と渓谷社)の解説によると、ホソバタイサンボクは、

変種で明治初年、アメリカ大統領グラント将軍が来日のみぎり、請うて

東京上野公園に将軍夫人が手植えしたものがあり、これは一名グランド

ギョクランと呼ばれる、と記されている。






ところで、タイトルの俳句「昂然と泰山木の花に立つ」は高濱虚子の昭和

18年、櫻井書店から出版された『五百五十句』の中に収められている。

この句を「昂然と泰山木の花立つ」と、助詞の「花に立つ」を「花立つ」と

引用しているのを時折見かける。

(わたし自身の引用は、『現代俳句の世界 高濱虚子集』朝日文庫のもの)

短詩型では、助詞1字がいのちでもあるのだが……

原本はどちらなのだろうか?


        七月二日、県立病院を退院す。三日より自宅に臥床して

        治療を専らにす

     ゆふぐれの泰山木(たいざんぼく)の白花(しろはな)はわれのなげき

     をおほふがごとし         斎藤 茂吉 『つゆじも』より


『日本の詩歌』(中公文庫)の山本健吉の鑑賞によると「茂吉は六月一日に

小喀血し、二十五日に入院した。「病院の庭に泰山木があって白い豊かな

花が咲いている。それを見ておるとしばらく病の悲哀を忘れることができる。

『おほふがごとし』であった。」(『作歌四十年』)

大正9年、茂吉38歳の長崎赴任時代の歌である。

大正10年3月には長崎を去る。

 

2017年6月21日 (水)

夏至、夜の見学「博多工場にいってみナイト」

〜みんなのうまい!に感謝〜 の、キャッチフレーズの「ナイトツアー」に

参加してきた。

まぁ、歩いても3分ほどの距離なので、夏至の夜の散歩みたいなものだが。




今年はスーパードライ発売30周年特別企画として、特別試飲もあり、うきうき。

お一人様3杯までなんて云っても、3杯も飲めない。

このところ梅酒しか飲まないわたしはたちどころに酔ってしまった。




抽選会でプレゼントが当たった?が、隣に座っていた小学生の男の子に譲る。

その妹は自力でプレゼントを貰っていたし……



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今日は久留米まで出掛け、大雨が降ると思っていたのに、雨は降らず

大きな傘が邪魔で邪魔で、忘れそうになった。

だけど、先日の学習のおかげで傘はしっかり握りしめていたので、傘だけ

荒尾まで行くこともなかった。偉いな、わたし。

2017年6月20日 (火)

『季刊午前』 第55号 2017

「特別企画『季刊午前』四半世紀を超えて」が組まれている。

       ーー略 ところで貨幣とはフィクションなのだろうか。想像の

       産物なのだろうか。ーー略


       --略 神話が現実を変えるのである。しかも「あっという間」に。

       神話とはフィクションであり、構想され、創作されるものである。

       ーー略          「フィクションの可能性」    片山恭一



片山恭一氏の文章は、示唆に富むものながら、哲学的?過ぎて、わたし

自身の理解の届かないところがあり、難儀(笑)をした。

(そういえば、10年以上前のことであるが、「未来福岡歌会」に片山氏をお招

きしたことがある。Kさんの伝(つて)によるものだった。

短歌の批評をして下さり、懇親会にも出席して下さった。その節は会費まで

払って下さり、ほんとうに恐縮してしまった。)


        今ならわかる。これは、ドア・イン・ザ・フェイスというテクニックで

        ある。最初に大きな要求を出しておいて譲歩したように見せ、

        結局思い通りに人を動かす。
                        「北川晃二先生のこと」 原口真智子

『季刊午前』の前身である『午前』の牽引者であった北川晃二氏のことを

原口真智子さんの文章は、氏を偲びつつ、師に寄せるひたむきな思いが

綴られていた。「北川先生は、いまだ私の人生の北斗なのである。」と結ばれ

ている。






この第55号には、4月にお亡くなりになられた宮本一宏氏の「追悼」も編まれ

ている。橋本明氏の「卯の花の咲く頃に」、坂口博氏の「修羅を生きて」を

熟読。橋本氏の「訃報はいつも突然に、である。」の言葉に納得。文学散歩

の写真が一葉掲げられていたが、その中にS・Tさんの姿も見える。彼女から

頂いた宮本先生の著書2冊は今もわたしの書棚にある。





       『近代詩人の内景(発見と追跡)』 桜楓社 1984年  宮本一宏

       『北原白秋(物語評伝)』 桜楓社 1986年    宮本一宏



書棚から取り出してみたら、中からはらりと手紙が落ちてきた。

「でも胸の内にはあれこれと書きたいことが渦巻いております。書きたい

ということと、書けるということは別のもののようですね。」和柄の便箋に

書かれたことばにS・Tさんの当時の焦燥感が伝わってくる。







さて、さて、この号の詩や小説に触れたかったが出掛ける時間が迫ってきた。





昨夜、読んだ田島安江氏の「紫の花に」には、中城ふみ子の『乳房喪失』や

渡辺淳一の小説『冬の花火』がちらりと出てくる。主人公の「みちこ」は、新聞

に投稿をしている短歌を詠むひとなんだ。そして、その母親も……

               


               平成29年6月20日 季刊午前同人会  800円+税

 

2017年6月19日 (月)

『だれかのいとしいひと』 角田 光代 文春文庫

ふらりと立ち寄った書店で、ふらりと買ってしまった文庫本。

平仮名ばかりのタイトルがいい。

薄そうだし、すぐ読めそうだ。

そして、何より何より購求を誘ったのは、解説の歌人の枡野浩一。

冒頭のことば「角田光代のことは、好きになったばかりだ。」と来る。

「え、何? それ。」ってたちどころに枡野さんの、この誘い文句に引き

込まれてしまった。








        角田光代さんて、クジゴジで仕事をしてるんだって。同世代の

        作家が、言いつけるように僕におしえてくれたことがある。朝

        九時から夕方五時まで、まるでサラリーマンのような規則正しさ

        で仕事をするのだという。それは尋常じゃない。たしかに馬鹿

        かもしれないと僕は思った。サラリーマンみたいに仕事ができ

        ないから物書きになるというのが、ふつうなんじゃないか。

                        解説ーー馬鹿    枡野 浩一






枡野さん、そうなんですよ。

角田さんは「クジゴジなんです。」

北九州であった井上荒野・川上未映子との3人のトーキングで、わたしは

知ったばかりだ。

理由はいたって単純(笑)。5時からは飲みたいから……だって。







この文庫本は、エッセイ集かと思いきゃ、短篇小説集だったという

アクシデント(笑)にもめげず、読了。






        生きるうえで大事なことは勇気と興奮



        過去は掌をすべりおちる液状の砂


すてきなことばが、鏤(ちりば)められている。

                2014年3月25日 第12刷  560円+税

 

 

2017年6月18日 (日)

「新緑の唇を持て」竹中 優子

短歌・詩・エッセイ・短編小説を収める竹中優子さんの

個人誌「新緑の唇を持て」を読んだ。

この冊子のタイトルは、短歌のタイトルからとられている。






     ペットボトルを逆さに拾う薄青きひかりの中にあなたを許す

     全身が耳になる夜 嫉妬という乳白色の石を吐き出す

     唇にも波があること 聞こえないと言えばあなたは揺れた目をする

     許すね、と口を動かす石鹸の匂いが溢れ出てくる口を

     太りすぎた夏の蟻たち 唇にごく薄き影あなたはしまう

     朝に降る雨のあかるさ眺めてるとき そういえば友達減ったな

     犬が鼻を寄せるみたいに鍵を開ける 雨のにおいが鍵からもする

     秋のコートをきれいに掛ける風のなか会いたいひとを低く問われて

     見るときに見下ろすことになる他人(ひと)の靴のかたちよ また

     少し見る

     新緑の唇を持て すずやかなあなたの睫毛をちぎる真夜中

               「新緑の唇を持て」48首より    竹中 優子







この冊子の表紙には、真っ赤な唇が描かれている。

光沢を持つ唇の横には、なんと、蟻が一匹。

この斬新かつセクシャルな装幀に優子さんの才気が迸る。

(あら、裏表紙にも真っ赤な唇が……)

彼女の独走ぶりがこの冊子からも窺える。

東直子さんとのトーク(「短歌の世界を覗いてみよう」)でも感じたのだけど、

堂々としており、自分をしっかり持っているところが魅力でもある。

歌の1首1首についてわたしがとやかく言うのはよそう。

竹中優子は、このまんま走り続けるだろう。

                        平成29年5月7日発行

 

 

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11日の日曜日に「福岡ポエイチ」に行った。

17時からの東直子さんと竹中優子さんのトーク「短歌の世界を覗いてみよう」

を聴くためだった。

会場のリノベーションミュージアム冷泉荘は、わたしにとって懐かしい場所

でもあった。と言うのは、ここの「アトリエ穂音(ほおん)」(Aー31号)は、

姪っ子が一時借りていた。

日本画の講師、比佐水音(ひさ・みお)さんと、姪の名前、美穂をとってその

アトリエは「穂音(ほおん)」と名付けられた。





入居する時は部屋のリニューアルも比佐さんと姪が壁塗りからした。

(入居祝いや個展などで何度か訪れた部屋である。)

比佐さんは日本画で姪は創作書道?みたいなことをしていた。

比佐さんは今もこの「穂音(ほおん)」をアトリエにしている。

姪は現在、山口に住んでいる。





「穂音(ほおん)」を覗いたら、比佐さんがいらして、ご挨拶が出来て良かった。

比佐さんは日本画初歩教室・日本画制作教室・自由制作や個人レッスンの

講師をしている。プロの日本画の先生であられる。




2017年6月15日 (木)

歌集『岸』 岩尾 淳子 ながらみ書房

2012年から2016年までの、354首を収めた著者の第2歌集。

 

     じんべえ鮫のようなる雲がしばらくを葛城山の山稜にあり

     岸、それは祖母の名だったあてのなき旅の途中の舟を寄せゆく

     ぼんやりと牛蒡を削いでいるうちに夕鵙にでもなれやしないか

     人まえで声あげ泣きしあのときのわたしは空の青痣のよう

     子を産んだ朝もあったな母がいて青鷺みたいにわたしを見てた

     紐育・倫敦・そして巴里だより まだ原発はどこにもなかった

     チェロケースを抱えた人が乗ってくる神戸線には冬の匂いす

     カステラのうすがみ剥がすひるさがり多幸感ってこんな感じか

     筆先が紙にひらいてゆくように思いを声にすればよかった

     ありがとうこんなに遠くに連れてきて冷たい水を飲ませてくれて







歌集のなかから10首を選んでみた。岩尾さんの歌はどちらかといえば

淡い。淡いというより、水にたとえると秋の渓谷のせせらぎのような清冽さを

感じる。

1首目の雲の比喩は誰もよくやるのだが、「じんべえ鮫」が効果的。そして、

固有名詞の「葛城山」が所を得ている。

2首目は、歌集のタイトルになった「岸」。それは祖母の名前というのがいい。

そういえば、装幀もこの歌集の雰囲気を実によく表していた。

3首目・5首目、ともに1首のなかに「夕鵙」・「青鷺」と鳥の名前が入る。

3首目は、台所でぼんやりと牛蒡の笹掻きをしている作者。こころ此処に

在らずのような風情だが、下句への転換が面白い。

そして、5首目の母を「青鷺みたいに」とする発想の斬新さ。岩尾さんの発する

ことばには詩情がただよう。


8・9・10首目と口語調の普段着のような感じでうたわれており、作者の心と

ことばに乖離がない。「冷たい水を飲ませてくれて」「ありがとう」って、作者に

お礼を云いたくもなったりしている。(笑)


第1歌集はたぶん『眠らない島』だったと思うのだけど、あの歌集は鑑賞が

難しかった。岩尾さんを個人的に知らないということもあったけど……

このたびの第2歌集の『岸』の方が何倍も良いように感じた。今回だって

岩尾さんのことをそんなには知らないのだが、歌集全体から伝わってくる

詩情やことばが作者の本質を具現していたようだ。(妄言多謝)






                      2017年6月9日発行  2500円+税

 

2017年6月14日 (水)

菩提樹の花

ことしこそ菩提樹の花を見に行こうと思っていたのに、うかうかしていたら

箱崎の恵光院の「菩提樹(青葉)まつり」は、六月四日の日曜日に

すでに済んでいた。

太宰府の戒壇院の菩提樹コンサートは6月11日の日曜日で、こちらもすでに

済んでいた。電話でお訊ねすると、まだ花は咲いているとのことだった。

以前、教室のみんなと戒壇院に行った時に菩提樹の樹を見つけ、Tさんと

今度花の咲くときに来ようね、と言っていたのに、それなのに、あ~あである。


残念な思いをいつまでも引きずっているのもいやだし、ダメモト承知で

箱崎(筥崎宮)の近くの恵光院まで急遽行くことに。

今日は裏千家の献茶式があるとのことで、筥崎宮も恵光院も着物姿の女性

たちが大勢来ていた。(九州近辺から600名からのひとたちが集った、とか。)


恵光院(えこういん)の菩提樹の樹は樹齢200年の大木であり、4つの大きな

幹にわかれている。黄色の五弁の可愛らしい花が咲き、花の咲くころはその

芳香があたりいちめんにただよう。

すでに花は散り、球形の実を結びはじめていたが、花の残香に酔う。

可愛らしい花も所々に見えて、来て良かったと思った。

来年は6月に入ったら、先ず予定に入れておかなければ。







ついでに筥崎宮の「あじさい苑」に入苑。

雨に濡れたあじさいの花の方が情緒があるのだけど、今日はあいにくの

「梅雨晴間」。あじさいを愛でる人たち、スケッチする人たち、ここも大勢の

人々だった。





ダンスパーティ、ハワイアングレープレッド、チボリ、柏葉あじさいなどを見て

巡る。昨日春日の教室のNさんに沢山あじさいの花を頂いたので、わがやは

只今、あじさい尽しである。わたしの好きな柏葉あじさいも頂いた。


そういえば、昨日の詠草の中にあった「多羅葉(たらよう)の木」(ハガキの木)

があった。この葉には字が書けるので、ハガキの木とも呼ばれている。

N さんに多羅葉の木を見たよ、と報告しとかなくちゃ。

2017年6月13日 (火)

歌誌『はつか』 旧仮名・若手歌人の……(続)

昨日に続いての『はつか』の紹介。

特集③には「編集長推薦 いま読みたい旧かな歌人」の8名の作品が掲載

されている。





その前に、この歌誌の『はつか』は、古語の「はつか(僅か)」であろうか。

「わずか」とか「いささか」の意であり、山中智恵子の歌に「恍としてうぐひす

鳴くをこのゆふべあはれはつかに雪降りにけり」がある。

(この冊子は、平仮名で書かれているけど、二十日(はつか)では

ないよね?)

そういえば、門脇篤史さんの歌「五十首抄」の中に「はつか」のことばが

つかわれていた歌があった。

       臨時記号。 雨に降られて日常ははつかに移調するやうに濡る

                              門脇 篤史「五十首抄」より







「編集後記」(門脇篤史)によると、この冊子を作った動機というか、企画の

原点が綴られている。

      旧仮名に焦点を絞って冊子を作ってみたい。もしかしたら、そこから

      私たちが旧仮名で作歌する理由のようなものを読み取れるかも

      知れない。ーー略}

旧仮名で作歌する理由のようなものを読み取れる、ことが出来たのかどうか

歌を紹介しよう。








     わがくちのなかへ這入りしあの舌をおもひてざりり梨を撫でをり

                            「奇形果」 碧野みちる

     
     おたがひに口に飼つてるくらやみを交換しあふ行為でせうか

                        「旧かなづかひ」 有村 桔梗


     思ひ切つて近づいていつててのひらで撫でれば柔らかい山肌よ

                           「ゆめゆめ」 飯田 彩乃


     噴き上がるみづのゆたけさ曲面を雨繊(ほそ)く垂る、くちびるぬぐふ

                              「戴冠式」 漆原 涼


     白線のうちがはにゐて花ふぶき 自由と弱さを試されてゐる

                         「試されてゐる」 太田 宣子

     
     咽喉(のみど)よりとび去りしつぐみただきみの変声期前のこゑの

     ききたし                 「きりぎしの夜」 楠 誓英


     冬に来る息の暴走 足掻いても足掻いてもなほ我といふ森

                              「宝物」 濱松 哲朗


     午過ぎて手水のみづのおのづから渇きたる手をなほひらきゐつ

                              「六地蔵」 山下 翔




いずれの歌も旧仮名遣いが生かされている。

口語文語の混交調はあるものの、これとて今では若い歌人のみならず、

むしろ高齢者の方が自信(?)をもって使っているようにも思える。







この冊子の巻末に各自の旧かな使用率を掲載していたのは参考になった。

旧仮名遣いは、ずっと、100%というかたもおり、確固たる意志を感じたり

もした。



そういえば、わたしなどは第二歌集から旧仮名に変えたものだ。

人生上の転機でもあったし、新仮名遣いでは気持ちが生々しくも

表出しそうでこわかった。文学的理念などという確たるものではなかった。

おお、なんということだ(笑) 

旧仮名遣いをヴェールにしようと企んだのでもないが……

 

 

 

 

2017年6月12日 (月)

歌誌『はつか』 旧仮名・若手歌人の連作

昨日、手にした『はつか』。

これは、同人誌なのか、単発的な歌誌なのか、ちょっと不明。

門脇篤史の「五十首抄」と、龍翔の「母と暮らせば」(第7回中城ふみ子賞佳作

受賞作品)の50首が掲載されている。

      置き傘をときどき使ふ傘であることを忘れてしまはぬやうに

      権力の小指あたりに我はゐてひねもす朱肉の朱に汚れをり

      今はなき臨終図鑑の上巻を誰に貸したか思ひ出さない

      故郷との距離思ひをりひとり立つコイン精米機の薄明かり

      こんなにも真白きイオンの片隅に喪服は黒く集められをり

                               「五十首抄」門脇篤史






「門脇さんの歌・雑感」で、大辻隆弘氏は2首目の歌を次のように述べる。






      ……略 権力の構造に対する視線がきわめてクールで知的。

     「朱肉」という言葉は日常用語だが、このように短歌定型のなかに

     収められると急に「赤い肉」という象徴性を帯びてくる。彼の指に

     ついた「朱」は当然、民衆の「血」を想起させる。……略

「視線がきわめてクールで知的」というのは首肯できる。だが、朱肉の「朱」が

民衆の「血」を想起させるだろうか?10人いたら10人の読みがあってしかる

べきところだ。しかし、このような深読みというか、知的な、高尚な読み(?)が

門脇氏の歌をかえって窮屈なものにしてしまうのではないかと危惧する。

3首目の歌は、結句の「思ひ出さない」に注目。「思ひ出せない」のではなく、

あえて、作者は思い出さないようにしているのだろうか。ふつうだったら、

「誰に貸したか思ひ出せない」という流れになる筈なのだが……




門脇さんの生活、〈生〉が、虚飾なくうたわれており、「子をなさぬ理由をけふ

も問はれたり 梅雨の晴れ間に散歩に行かう」など、せつなくなるほどの素直

さがいい。

     ただいまと言へばおかへりと言ふ母は土嚢のやうに寝込みていたり

     コンソメは日干し煉瓦のやうなれど水に落とせば溶けて消え去る

     いつどこで泣きたくなるか分からずに今日はたまたまバスタブのなか

     カレンダーの日付に丸を付けてゐる母の朱色は痛さうな色

     心臓に季節外れのあぢさゐのぼわつと咲いたやうに苦しい

                           「母と暮らせば」 龍翔








病気になった母との生活、その戸惑いや不安が伝わってくる一連である。

比喩使いの名手でもあるが、2首目の「日干し煉瓦」や、5首目の「季節外れ

のあぢさゐ」など、独特な比喩をその1首が引き立つように工夫されている。

工夫というより、龍翔さんの自然に湧き出た比喩のようにも思える。




大仰な言い回しもなく、事物を丁寧に掬い取り、描いている50首の連作に

拍手を送りたい。








ところで、この冊子は旧仮名遣いで作歌する若手歌人8名を起用している。

編集長(門脇篤史)推薦の8名の作品については、次回で触れたい。

ちなみに、わたしの廻りの人たちの旧仮名遣いを調べたら、30%だった。

10人に3人くらい。「未来」の結社の「夏韻集」(大辻隆弘選歌欄)は、45%

くらいだった。

と、いうことは、年齢に比例するのではなく、若い人ほど旧仮名遣いに

親しんでいるということかしら。

まぁ、大辻さんが旧仮名遣いだから、ということがあるかもしれない。






              

          2017年1月発行    企画  門脇篤史・楠誓英・龍翔



                             次回へ、つづく……

 

«『もしもし、運命の人ですか。』 穂村 弘  角川文庫