2016年12月 9日 (金)

歌集『祭囃子の音』 野澤民子  六花書林

音短歌会に入会して20年になる著者の第1歌集。

歌集名は「祭り好きの父の三七日響きいし祭囃子に背を押されたり」から

とられている。






      病院に母を見舞いて泪橋から日暮里行きのバスに乗りたり

      羽根のごと緑の細茎茂り合うアスパラガスは雨に濡れ立つ

      見上ぐれば千の瞳がわが顔を凝視するごとえごの花咲く

      露草のスラリ四、五本咲き初むる江戸紫は助六の色

      白孔雀ふっさり咲ける真昼間を移動図書館さみどり号来る

      未だ知らぬゾクッと身内に走るもの後方支援の艦出航す

      この国に自死する子増え取れすぎの白菜大根潰されてゆく

      茶の花の白き五片(いつひら)黄の蕊を児を抱くようにふっくら包む

      ひまわりも被曝するのは嫌だろう土の浄化に蒔かれたれども

      路地裏を俄雨過ぎ雫する〈隅田の花火〉白く艶めく





集中、植物ことに花を詠んだ歌に注目した。


2首目、収穫したあとのアスパラガスの羽根のような緑の葉。「羽根のごと」が

     言い得ている。


3首目の可憐な白いえごの花。その花を見上げていると、凝視されている

    かのように感じるのだろう。


4首目は、露草の花の色を江戸紫といい、それは「助六の色」だとも。


5首目は、白孔雀の花と移動図書館の取り合わせが効果的。移動図書館の

      名前が「さみどり号」というのもいい。


8首目の茶の花は、花の中心にある蕊が黄色で、まるで白い花びらが

    抱くように包んでいると捉えたところ。


9首目では、人間の都合で土を浄化するために蒔かれたひまわりを思い

    遣っている。被曝した土を養分にして育っていくひまわり。ひまわりの

    身にもなってごらん、と。遣るかたない怒りが。


10首目の歌の〈隅田の花火〉はあじさいの名前である。白い小花の集まりが

     まるで花火のような愛らしい紫陽花である。花好きな人の欲しがる

     品種でもある。




以上、花の歌ばかり挙げてしまったが、6首目・7首目のような社会に向けた

眼。生活をだいじにしているが故にそういったことを敏感に感じるので

あろう。そのことは、とてもたいせつだと思う。日常に埋没してしまうのでは

ない、作者の理知は尊い。





なお、内藤明氏が懇切な跋文を書いている。



そして、武川忠一氏が存命であられたらこの『祭囃子の音』を誰よりも

慶んでくれただろう。






                     2016年10月21日  2200円 税別

 

  

2016年12月 6日 (火)

空が、雲が、夕焼けが…

マンションを覆っていたシートが外された。

今迄見えなかった空が、雲が、夕焼けが裸眼?でも、ベランダから

見えるようになった。

思えば4ヶ月間以上、シートにくるまれていて外の世界はおぼろだった。

高架橋を通過する新幹線も窓から見えるようになった。






ところで、:今朝は河川水位情報が4度も入っていた。

「稲荷橋」が、氾濫危険水位なので避難を開始して下さい、だった。

雨も降っていないのに、「稲荷橋」は、どこにあるのだろうかと検索した。

中央区清川と博多区住吉をつなぐ位置の橋らしい。

それにしても変だ。雨は降っていないのに。

福岡市からのお知らせで、誤った防災メールだったことが判明。

誤報だったのだ。








テレビを観ていたら、福島泰樹さんがナレーターをしていた。

BSテレビの「人物伝」第1回。(再放送)姜尚中が語る夏目漱石を

聴き入った。

漱石は「時代を見抜く目」を持っていた。

漱石は「悩む力」があり、漱石の悩みは時代の悩みでもあった。

そして、最後まで悩みを引き受けていた……と。







マンションに組まれていた建築用の足場も取り外しがはじまった。

本来の住処になるのもあと少しのガマン、なり。






上弦の月(1日前だけど)が見える。

お風呂あがりに月を眺めるのも久しぶり、なり。(21時)





2016年12月 5日 (月)

「ぷりずむ」 2016・12 第21号

小林郁子さん執筆の「万葉集管見」に注目。

1ページの短いものだが、今回は「大伴書持の歌」。


       長き夜を独りや寝むと君が言へば過ぎにし人の思ほゆらくに

                             大伴宿禰書持(巻三・四六三)

       あしひきの山のもみち葉今夜(こよひ)もか浮かび行くらむ

       山川(やまがは)の瀬に       同     (巻八・一五八七)



1首目の歌は、家持が妾(おみなめ)を亡くして悲しんで詠んだ歌に、和した。

2首目の歌は、目の前のもみじではなく、想像を働かせて、独特の雰囲気を。

「大伴宿禰家持には書持(ふみもち)という同母の弟がいた」と、この文章に

書かれている。大伴書持という名前、そしてその歌。万葉歌人の中でもあまり

有名?ではないだけに、どのような人なのか興味を抱いた。


大伴旅人の異母妹が大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)

だが、大伴家持の叔母で姑でもある。旅人が妻を亡くしたのち、

坂上郎女が家持と書持を養育したとも伝えられている。

坂上郎女の歌は万葉集に長歌・短歌合わせて84首収録されている。





書持は、「万葉集に残した歌は12首のみで、女性への相聞歌も無い

ことから、夭折したのだろうと言われている。」と、小林さんは書いている。





道理で道理で、わたしは今迄「大伴書持」を知らなかったんだ、などと

都合いい納得をした。(笑) でも、調べてみると、斎藤茂吉の『万葉秀歌』

下巻(岩波新書)には、書持の歌が1首取り上げられていた。






茂吉の鑑賞によると、「天平18年に家持が書持の死を痛んだ歌を作って

いるから、大体その年に死去したのであろう。」と記す。天平10年が家持

21歳なら、書持が亡くなったのは、25・6歳だろうか?








cat      cat

頂いた歌誌や歌集を読んでいて、なんとモノを識らないことかと、自分が

情けなくなる。恥ずかしい。「書持」のことは不勉強に尽きるのだが……

ところで、情報が届かないというか、歌壇の情報オンチなことが結構ある。

頂いた歌集の「あとがき」を読んでいて、今日、知ったこと一つ。

H書店の社長がいつのまにかOさんになっていた。

知らなかったよ~  

2016年12月 4日 (日)

仏恩(ぶっとん)ふかくおもいつつ

八女は一日雨だった。


木立ダリアが雨に濡れて、花が重たそうに項垂れていた。


去年の今頃のわたしを思うと胸が痛くなる。


今日、お坊さんから「法語カレンダー」をいただいた。

その表紙に記されていたのが「仏恩(ぶっとん)ふかくおもいつつ つねに

弥陀(みだ)を念(ねん)ずべし」だった。





法語に疎いわたしは「仏恩(ぶっとん)」の意味を調べている。

「無条件のお心こそが仏恩なのです。」という声が……







この法語カレンダーは、「和讃」が毎月紹介されている。

和讃は平安時代に始まった今様(いまよう)型式の和語の歌で、七五調の

四行からなり、多くは仏法僧の三宝を意識する内容となっている、らしい。

         弘誓(ぐぜい)のちからをかぶらずは

         いずれのときにか娑婆(しゃば)をいでん

         仏恩(ぶっとん)ふかくおもいつつ

         つねに弥陀(みだ)を念(ねん)ずべし







宗旨が「浄土真宗」ということも、義母が亡くなって知ったことだった。

そうであれば宗祖は「親鸞聖人」。

書棚にあった『親鸞』(古田武彦著 清水書院)を読み直さばや。

(だけど、この新書版の「人と思想」は『道元』のも書棚にあるけど、

 なんでや?と、自分に問いたくなる。昭和53年に買っているんだった。??)

2016年12月 1日 (木)

木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ  加藤楸邨

筑紫通りの銀杏並木はいまの季節がいちばんいい。

風がなくてもはらはらと木の葉が散る。

銀杏の葉っぱで歩道は真っ黄色。




Nさんより古書を頂いた。

西田嵐翠の『五十年の貧』(昭和33年5月 長谷川書房)。

二宮冬鳥と意気投合し「高嶺」に加盟、早川幾忠に師事した人。





西田嵐翠といえば、『現代短歌』(2015年1月号)で、すでに阿木津英さんが、

「九州の歌人たち」で取り上げていた。






12月に入ると、なんだかあわただしい。

義母の一周忌の法事も控えている。

師走の波に呑み込まれないように、落ち着いて……


今日のおやつは、竹田の但馬屋老舗の「三笠野」と「荒城の月」だった。

美味しゅうございました。M さん、ありがとう。




そして、夕焼けがことのほか綺麗だった。

あまり綺麗だと、ちょっと怖くなったりもする。

2016年11月30日 (水)

竹中優子さん祭り

ワッショイ、ワッショイ ! !

竹中優子さん、おめでとう。

おめでとう、優子さん。


      福岡市市民文芸入賞者発表


         詩  福岡文化連盟賞   竹中 優子

         エッセイ 市民文芸大賞  竹中 優子

         小説(超短編)福岡文化連盟賞 竹中 優子





もう、今夜はワインをがぶがぶ飲んじゃう……からねっ。

2016年11月29日 (火)

『続 森岡貞香歌集』 現代短歌文庫 砂子屋書房

2009年1月30日に逝去した森岡さんの『森岡貞香歌集』(2016年3月刊)の

続刊。亡くなられてからも『九夜八日』・『少時』・『帯紅』と単行歌集も出版

されている。これは、ひとえに森岡さんのご家族(ご子息)の並々ならぬ

愛情と、一人の歌人の功績をこの世にとどめたいというお心であろうか。






さて、このたびは『黛樹』・『夏至』・『敷妙』が全篇収められている。

この全篇収めているのがいい。

『敷妙』より5首抄出。





     水切りををへたる薔薇(さうび)が青き葉の七枚となり蕾にしたがふ

     川といふしろきひかりのよぎりけるわが乗るくるまただに過ぎるなる

     變らざる日日の過ぎ方蛇口をば走りいでこし水はコップに

     敗けいくさに見しありさまはわが生にしるされしまま生も悲しも

     死ぬるにも何なさむにもなすことのなきと言ひさしてねむりし







1首目、結句の「蕾にしたがふ」がユニークな把握。



2首目、作者が乗っている車なのに、その車を俯瞰しているような歌。

     このような切り取り方の歌が森岡さんには多いような。

     主体が1首の歌からはみ出し、客観している?

3首目、蛇口を捻って水を出したというだけの歌なのに、「蛇口より走り

     いでこし水」にいのちが宿るような衝迫がある。これをしを森岡調と

     いうのかしら。




4首目、敗けいくさによって、夫は戦後亡くなり、遺された息子との暮らし。

    うたい残した歌の〈生〉。それもまた悲しい。




5首目、99歳の母君のことであろうか。

     「死にてゆく母の手とわが手をつなぎしはきのふのつづきの

      をとつひのつづき」の歌がせつない。









歌論・エッセイが13篇あり、そのいずれも森岡さんらしい視点がある。

その中でことに印象深いのは「覚書き・文化としての短歌と歌人」の章。

清水千代を初めて見た時の衝撃?。五島美代子の軽井沢の別荘を買う

話など、この世離れしていて、面白い。

当時の女流歌人の、歌人社会(?)を、森岡さん独自な怜悧な目で捉え、

活写していた。







                       2016年11月19日  2000円+税
  

 

 

2016年11月28日 (月)

『東京風人日記』 諏訪 優  廣済堂出版

福島泰樹さんの歌集にうたわれていた諏訪優さん。

その諏訪さんのエッセイを書棚より取り出し、ついつい読んでしまう。

諏訪さんは、1992年12月26日に食道癌のために亡くなられた。

この『東京風人日記』は、亡くなる年の6月まで「東京タイムズ」に隔月連載

されたコラムを纏めたものである。

その中に「短歌絶唱」のタイトルのがあった。



      --略 で、七時からの福島泰樹絶唱コンサートを、水割り片手に

      楽しんだ。群馬が生んだ書家、故・木村三山さん追悼の歌から

      はじまり、岸上大作、寺山修司追悼の歌に及ぶ。学生歌人、岸上

      大作もすでに鬼籍のひと。


        上州の山はみえざる霧走る車窓にあらば木村三山

      わたしは歌は作らないが、福島さんの歌は気魄にみちていて

      好きだ。

                            『東京風人日記』より  諏訪優

諏訪さんは、「猫の住めない町なんか町じゃない」と書く。

猫好きで、下町が好きで、夕日が坂をころげ落ちる町で、ひそかに、

ゆうゆうと、しみじみと、1日1日を味わい尽くしながら、生きていたんだ、

ろうね。







こんなエッセイを読んでいたら、他のことなど、なぁんにもしたくない。 

ビター・ショコラが口のなかで溶けてゆくのをたのしみながら……




2016年11月27日 (日)

『哀悼』 福島泰樹歌集 皓星社

福島泰樹さんの29番目の歌集は、早稲田短歌会以来の歌友

黒田和美さんに捧げる一集となっている。





著者本人が撮影したカバー写真は、簡素な部屋にピアノが置かれている

モノクロの仕上がり。装幀は山崎登氏。

ハードカバー装で、表紙は黒。タイトルと名前は白抜きの文字。

扉もまた真っ黒でタイトルと名前が白抜きとなっている。

歌集題の『哀悼』が示すように故人を悼む歌が数多く収められている。

黒田和美さんは勿論、吉原幸子・吉本隆明・冨士田元彦・河野裕子・

村上一郎・諏訪優・武田百合子・辺見じゅん・塚本邦雄氏等々。



そこで、思い出したのだが、岡井隆氏が福島さんの『遙かなる朋へ』に書いた

解説が、もう40年近く前なのに、今度の歌集『哀悼』にも相通じるのだ。







       福島の歌は、今度の本(注『遙かなる朋へ』昭和54年5月刊)の

       題名が語っているように、つねに誰かへの〈メッセージ〉である。

       このことは、(誰の歌でも多少ともその気味がないわけではない。

       しかし、福島は、その点を増幅しているという意味では)福島が

       すでにして。その歌の把握のしかたにおいて、ものの極端を

       行っている証拠でもある。すなわち、ラジカルなのである。ーー略

                 『遙かなる朋へ』の解説 より    岡井隆







         吉原 幸子

       掌の中の風よ、小鳥よ、あ丶そして握り損ねた夢の数々


         吉本 隆明

       「よせやい」と叱られて聞く中也論 白い木槿が咲く午後だった

         冨士田元彦

       歳月は霧にまみれて遠山の金さんあわれ花吹雪せよ

         河野 裕子

       悲しみは枝から落ちる夏蝉か 病葉なのか分からなくなる

         村上 一郎

       浪漫者の崖(きりぎし)なれど花なれど三月念九 桜吹雪かず










そして、詩人・諏訪優をうたった「夜の凩」は、さみしく、せつなく、かなしい

一連だった。(わたしは、この章が好き。)






        薔薇色に耀う詩人のはげあたま 諏訪優いずこ路地に風吹く

        竹藪に囲まれ木造アパートの百姓地主の隠れ家に住む

        朝っぱらから飲んで歩いて放埓の 大給坂から団子坂まで

        真っ青な刃物のようにひかる魚たそがれに酌む晩酌のため







さいごに、黒田和美さんを哀悼して。

       遠い夜のあなたの家の団欒の グランドピアノ黒鍵ばかり









                       2016年10月30日  2000円+税

 

2016年11月22日 (火)

秋の散策 i n 筑紫路

春日のふれあい文化センターの教室の仲間と筑紫路を歩いた。

ふたりの T さんの綿密な計画のもとに進められた行程は以下の通り。




    

         9時50分     JR春日駅集合 Tさんの車に乗車(わたしは)

    10時30分    太宰府観世音寺駐車場集合(全員)
  

    10時30分~12時30分  観世音寺・宝蔵舘・戒壇院・都府楼跡

    12時30分~15時     山菜日和 お茶々 会食&歌談義

         15時~      太宰府天満宮・お土産

「古都大宰府保存協会」の観光ボランティアの関さんをガイドにお願いした。

関さんの実にこまやかな解説があり、このたび改めて知ることが多くあった。

関さんは30年近く、この観光ボランティアをなさっているそうだ。





観世音寺の銀杏黄葉が風もないのにちらほらと散り、南京黄櫨の紅葉と、

真っ赤な柿の葉が目に眩しかった。

宝蔵舘では、4メートル80センチもある十一面観世音菩薩立像や

毘沙門天立像に溜息と怖れをなし、吉祥天如像のお顔に心が和いだ。





長塚節の歌碑にも立ち寄った。

2009年3月に「文学館倶楽部」に掲載するために取材した時よりも歌碑の

文字が薄れて判じ難くなっていた。

この歌碑は「手を当てヽ鐘はたふとき冷たさに爪叩き聴くそのかそけさを」

で、中島哀浪の書になる。






ところで、長塚節が手を当てたという鐘はいまは盗難防止(?)のために

巡りに金網が張ってある。

この鐘は「日本の音100選」にも選ばれてあり、現代でも年末には百八つの

鐘を撞くとか。一般の人も運が良ければ並んで撞くことが出来るらしい。





そういえば、宝蔵舘の中でこの鐘の音をテープで流していたが、耳に心地

良い音であった。






万葉歌碑が、筑紫路(太宰府周辺)には、17か所建っている。

そのうちの一つは、

    瓜食(は)めば子ども思ほゆ栗食(は)めばまして偲(しぬ)はゆ

    いづくより来たりしものそ まなかひにもとなかかりて安眠(やすい)

    しなさぬ                 巻五 八〇二   山上憶良

    反歌

    銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝 子にしかめやも

                          巻五 八〇三    山上億良


都府楼跡(大宰府政庁跡)の広々とした所で、晩秋の空気を満喫。




大きな一本の木の紅葉が美しい。ガイドの関さんがすぐ教えてくださる。

あの葉っぱは三角ですよ、と。名前は「唐楓(とうかえで)」。

はじめて見た。はじめて知った楓だった。

お昼は〈まされる宝〉もしばし忘れて、美味しい美味しいと食べ、喋り、

みんなで今日のお天気と御馳走に感謝した。

この教室には「晴れ女」が多いみたい。





勿論、帰りには梅ヶ枝餅をお土産に買いましたよ。

 

 

 

 

 

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