2017年11月24日 (金)

『三枝昻之』 シリーズ牧水賞の歌人たち 青磁社

表紙の顔写真が実にいい。

穏かな笑みを湛えており、上手に年齢を重ねた、白髪が美しい。

そういえば、歌集『上弦下弦』のなかに次の1首があることを思い出した。



      髪の毛は染めなくていい ハマ風(かぜ)のデキシーランドがわれに

      ささやく


最初の「三枝昻之アルバム」は愉しい。

1ページ目の40歳の肖像はナイーヴな青年の面差しである。1984年、40歳

なのに、未婚の男性みたいに初々しい。



伊藤一彦氏との対談では、文学館(山梨県立文学館の館長)のことや、歌の

主題のこと、馬場あき子さんとの出会いのことなど多岐に亘って語られて

いる。

その中で大病をした40代のことが語られていたが、その時、奥様である今野

寿美さんが教職を辞めてしまい、三枝さんのフォローをするという背水の陣を

しいたことだ。「決断力、実行力がすごいんだね。」と、伊藤氏も語っている。


『やさしき志士たちの世界へ』から『それぞれの桜』までで第12歌集。

代表歌、333首、和嶋勝利選が掲載されている。

その中からわたしの好きな歌を10首選んでみた。


       まみなみの岡井隆へ 赤軍の九人へ 地中海のカミュへ

       消してまた書く一行の詩の言葉こころざしこそ修辞に及かず

       灯の下に来し四歳のやわき掌がわが頭をなでて立ち去りゆけり

       千年の紆余曲折が瘤となるわたしは椨(たぶ)でそのうばたまで

       切れ目なき空の花火を見しことあり昭和二十年七月六日母の

       背中で

       マークシート塗りつぶし塗りつぶす一限目揺れているのはみずで

       あろうか

       還暦や ともかくもまた歩もうかほどほど古き松となるまで

       秋霜童子百年眠るいしぶみや寂しさはまだ摩滅できない

       農鳥はまだ現れず天からのあずかりものはゆっくり動く

       この丘と決めて二人は移り来ぬさねさしさがみと武蔵の境


もっともっと挙げたいのだけど、とりあえず10首に絞った。

最も好きなのは3首目。この歌を読むと胸がキューンとなる。

やわらかい、ちいさな掌。その掌はその時の掌であり、その時はもう2度と

還ってこないのだ。

         2017年11月15日 初版第一刷発行    1800円+税

2017年11月23日 (木)

映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」

オーギュスト・ロダンの没後100年を記念して製作された伝記映画。

カミーユ・クローデルはロダンに弟子入りを願い、彼女の才能に魅せられた

ロダンはクローデルを助手にする。モデルもつとめるクローデルは、やがて

ロダンと愛人関係になってゆく。






ロダンには内妻がおり、次第にその内妻のことや、自身の作品がロダンの

模倣としか扱われない屈辱感に侵されてゆく。ロダンによって女性彫刻家と

してその才能が華ひらく筈だったのに、芸術家同志の相克となり、愛が

いつのまにか嫉妬のかたちにかわってゆく。

師と弟子の関係は難しく、あやうい。

師が男性で、弟子が女性の場合は尚更だ。

カミーユ・クローデルを主人公にした映画は、1990年にも封切られている。

この時のクローデル役は、女優イザベル・アジャーニであった。彼女の熱演に

わたしはクローデルの精神の軌跡を思うと、せつなく、かなしかった。

40代で発狂し、48歳で精神病院に入る。それから30年の歳月を精神病院で

過ごしたクローデル。

        ーー略

        芸術創造の歓びと苦しみ。芸術と愛のはざまで精神のバランス

        を崩していったカミーユの狂気は、十九世紀末という当時の時代

        背景を別にしても、今現代を生きているわたしたち女性の誰もが

        陥りやすい、そして、だからこそ、超えなければならない命題の

        ように思えてならないのである。

                  映画「カミーユ・クローデル」の問い

                    『うたのある歳月』(本阿弥書店 2010年刊行)

上記の文章の初出は、朝日新聞1990年4月7日付けのわたしのエッセイの

一部である。「生きるとは、そして、愛するとは、どういうことなのだろうか。」と

このエッセイの冒頭には書いている。






娯楽作品とはちょっと趣きが異なるので、上映も限られている。

一日に一回の上映とは……少ないっ。

そういえば「海辺の生と死」も上映舘が限られていた、な。

2017年11月21日 (火)

『酔風船 Q氏のいたずら日記』 千々和久幸 ながらみ書房

「短歌往来」誌に2009年3月号より2018年1月号に亘って連載した、

エッセイ107篇のうち100篇をほぼ原文のまま収めたものである。

(2018年1月号は未刊)


「短歌往来」誌では1ページエッセイとして、前の方に組まれてあり、本が

届いたら、いつも真っ先に読むエッセイだった。このたび1冊になって読み

返していると、下記のように書かれていることに気がついた。

        




        --略

         ついでに老婆心ながら、本誌で「酔風船」を真っ先に読むような

         読者は、この業界における「出世」はまず見込みないことを

         承知されよ。ーー略

かように、身も蓋もない書きようである。率直過ぎるというか、あからさまで

ある。しかし、そこがまた面白いともいえる。

「酔風船」とは、著者の造語らしい。「風船は風まかせ気分まかせの浮遊物。

その風船が酔っ払っているのだから、もはや何をか言わんやである。」(「百回

目の休日」より」

どこから読んでもよく、目次のタイトルを見て、好きなところだけサーフィンして

読むのもいい。「本当の(私)と仮構の(私)の間には境界線が」ない、と言う

著者の考えを述べた章などは、真面目に考察している。

        一般に文芸作品では、作者と作品の語り手と作品上の人物は

        別々の筈だが、この業界では作者=作品上の(私)=ホンモノの

        (私)と読まれてきた。このような捉え方の根には、ホンモノの

        (私)が作品のリアリティを保証するとする事実尊重の歴史が

        あった。ーー略            「どの顔が(私)か」より

 

時々、ギクリとさせられ、身の縮む思いを味わうのも一つの効用であり、

愉しみと化す。たとえば「紙と鉛筆」や「歌集という罪」など、そのまんま私の

つぶやきでもある。「紙と鉛筆さえあれば気軽に歌が作れますよ」なんて、

今後は禁句だね。

著者の千々和久幸氏は詩集『ダイエット的21』などの詩集を3・4冊も出して

いる詩人でもある。それかあらぬかその発想が詩人的 (?) 様相を帯びる

ことがある。たとえば「アンドロメダの抒情ですね」と鑑賞した藪内亮輔の

作品。なるほど、なるほどと唸った。「ああ、バーツ(部分的なフレーズ)が

面白いですね、」。


などと、言いよんしゃー、よ。(笑 ここは、私の博多弁。)

                       

                        2017年11月15日   2000円+税

 

2017年11月19日 (日)

英彦山へ紅葉狩り

英彦山へ行った。

英彦山に登ったのではなく、英彦山神宮まで紅葉狩りへ。

もう紅葉も終りではないかと案じられたが、どうしてどうして、しっかり

観賞できた。


スロープカーに乗って神宮まで。(花駅から神駅まで)

この乗り物ははじめてだったけど、なかなか快適。紅葉のなかを7分くらい

かけての乗車。

英彦山は、日本三大修験山に数えられる霊峰らしい。

本日の温度は零度という予報に完全装備して出掛けたが、思ったより暖か

だった。

雲間から太陽が出て、紅葉がいっそう鮮やかに映える。

下りのスロープカーで思い出したのは鷹女の句。

         
         この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉     三橋 鷹女










「鬼女」となるのはやめて、おとなしく帰ってくる。

神宮で買った ?  午年のお守り。

4時間の逢瀬(笑)のために、某日に飛行機で来る「あなた」にあげるつ・も・り。

2017年11月18日 (土)

「六花(とっておきの詩歌)」 VOL.2 六花書林

「少し長めの編集後記」を読むと、この冊子の由来というか、刊行経過が

わかる。VOL.1の刊行されたのは1年前。その時の反響に驚き、それならば

……ということでの、VOL.2であろう。


70ページほどの瀟洒な体裁である。

表紙の「六花」の蒲茶色(柿茶色)の文字がいい。

今回は「とっておきの詩歌」という企画意図のもとに編集されており、中堅・

若手世代の執筆者、20人ほど。

巻末に執筆者の略歴・近況を付しているのは、さすが書籍の編集者の

心意気を感じる。




鈴木竹志・松村正直・石井辰彦氏らをはじめとして、皆さんの文章は

この企画に真摯に取り組んでおり読み応えがある。

そのなかで「奥村晃作への16の質問」は、愉しい(?)読み物だった。

奥村さんの妻君が歌人ということを初めて知った。

           ③奥様は歌人の佐藤慶子さんですが、普段作品を

            見せたりしていますか。

           答え 作品を見せ合ったり、見せることは一切しません。





今号の企画とはちょっと離れるが、注目したのは、桝屋善成氏の「とって

おきの詩歌書」のページ。古書のコレクターとしてつとに有名(?)な、

氏ならではの本の紹介である。

1953年の『未来歌集』、それにサインしている9人の名前が見える。

吉田漱・細川謙三といまはこの世にいない人たちの名前が……なつかしい。

「今後は年一回発行くらいのペースを守りたい、と思う。」と、T氏が書かれて

いるのが頼もしい。

                 2017年12月5日   700円+税

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寒い寒い1日。

書棚の整理をしていたら、本の間からはらりと落ちてきたハガキ。

そのハガキには「道浦母都子・河村盛明・大成憲二・……」などの10人の

サイン?がある。しかし、不思議なことにハガキの宛名はわたし宛ではない。

寄せ書きをしてこの宛名のかたに送ったものだろう ? か。

2017年11月15日 (水)

柳坂曽根の櫨並木(福岡県久留米市)

「柳坂ハゼ祭り」は18日の土曜日からなのだが、久留米に出掛けた

ついでに行ってみた。

久留米駅の観光案内所のかたが丁寧に教えてくださった。

久留米駅前から西鉄バスの⑳番系統に乗り、約30分、「津遊川」で下車。

櫨並木が延々と続いている。その並木の下には小川が流れている。

水草が生えていて水が澄んでいる。津遊川(つゆがわ)だろうか。







祭りの前なので人通りは少ない。

ご夫婦らしい2人連れを時折目にするくらい。

(お祭りの準備なのか、2・3人箒を持って掃除をしていた。)

お天気も上々で、櫨の真っ赤に彩づいているのに癒される。

この櫨並木の下は遊歩道になっていて、石畳なのが情緒がある。

真っ直ぐな一本道なので、ず〜っと先の方まで見渡せる。

         

         この柳坂曽根の櫨並木は、約250年前、灯用の蝋の原料として

         植えられたもので、幹周り1m内外、樹高5〜6mの堂々とした

         櫨、約200本が1Kmにわたって続いており、全国街路樹100選

         にも選ばれています。       「柳坂ハゼ祭り」チラシより


この櫨並木は、福岡県指定天然記念物にもなっている。

耳納北麓の紅葉・果物・緑花・野菜などを満喫して筑後路の秋を楽しむ、

のもいい。

近くの畑には柿も色づいていた。


         わが國は筑紫(つくし)の國や白日別(しらひわけ) 

         母います國櫨(はじ)多き國

                       青木繁(あおき・しげる)が詠んだ望郷歌

2017年11月14日 (火)

皇帝ダリアの花・花・花

午後出掛けたら、皇帝ダリアの花が咲いているのに目がとまる。

ああ、今年もまた皇帝ダリアに巡りあうことができた喜び。

春日市で何度も見かけた。塀のうちに咲いているのだけど3〜4メートルと

丈が高いのでよく目につく。

別名は木立(キダチ)ダリア。うすむらさき色の花が梢に何個も何個も咲いて

いる。(ちなみに、本日はpcの背景を皇帝ダリアの花に変えた。)


銀杏黄葉も散りはじめ、舗道が黄色に彩られ美しい。

銀杏並木の続く下を自転車で走りたい衝動に駆られる。

今日は無理だったけど、新しい自転車も届いたことだし、筑紫通りの並木の

下を走ってみたい。



時間があったので、図書館に寄り、新聞を閲覧。

西日本新聞に「河野裕子短歌賞」を受賞した修猷館高校の埋金桜子さんが

掲載されていた。セーラー服姿が眩しい。(息子の母校でもある。)

受賞作は、「読みかけの文庫のように連れてって休日の君もっと知りたい」

選者の永田和宏さんが「上句の比喩が素晴らしい。いつも学校で会う君では

なく『休日の君』と一緒にいたい思いを、『読みかけの文庫のように連れてって』

というところに、うーんと感嘆した」と講評している。






高校生や大学生などの若い世代に短歌が広がりつつあることを、このところ

感じている。善きかな、善きかな。

2017年11月13日 (月)

『散録』 外塚 喬 歌集   短歌研究社

2011年から2016年の作品を収載。但し「朔日」に毎月発表した作品は

除かざるを得なかったと「『散録』覚書」に記す。

歌集名の『散録』は、造語かと思ったら、「心に浮かんだことをとりとめもなく

書きしたためた記録」と『広辞苑』にあるそうだ。

 

   もしや今日は天老日(てんらうにち)かわだかまり何ひとつなく空は冬晴れ

   古書店を出て古書店に入りこむ無為なるやうな時間惜しまず

   退職してもう十年かいやまだか遊び足りない遊ばなくては

   何度癋見(べしみ)の顔したらうか焦(こが)れ死(じ)にすることもなく年を

   重ねつ

   連れ合ひといふ関係は貸借があるやうなないやうな不可思議

   生存の確認のためにくる葉書 年金受給者のわれはしたがふ

   敵が減り味方が多くなるころにエンディングノートが必要となる

   こころさへ人にあづけて空火照(そらほで)りするみんなみの街を帰り

      来(く)

   居士(こじ)などになつてどうするわたくしに忘れられない人増えてゆく

   七十歳(ななじふ)は通過の地点 生きぬきて原発ゼロとなる世を見たし

 

「心に浮かんだことを‥‥」さらり、はらりと、うたっている。そうは思うけど、

なかなかどうして手強い。たとえばこのパソコンで印字するのだって、クラウド

機能をつかわないと出てこないような「癋見(べしみ)」などという言葉がある。

①首目、歌集巻頭の歌だが、「天老日(てんらうにち)」に先ず躓く。

 調べると、陰陽道で万事に吉の日らしい。そうか、心にわだかまりが何

 ひとつなくか〜んと冬晴れなのだ。歌集巻頭にふさわしい歌でもある。

  (「天老日」って、次の歌集名にしたいくらいだ  笑 )


⑤首目の「連れ合ひといふ関係」は、いかがなものでしょう(笑)。貸借があると

 いえばあるような、無いといえば無いようなものかも。


⑥首目は、まことに最もでございます。(わたしは時折息子に生存確認をして

 いますが…)

⑧首目の「空火照(そらほで)り」も、はじめて知ったことば。

 すてきなことばが其処此処に。






⑨首目の歌は、かるくうたっているけど、死んで「居士」になったって、

 つまらん、つまらんという作者の嘆きが籠っている。






そして⑩首目、「原発ゼロ」の来る日を期待している作者の切なる心が

為政者の皆々様に届くように祈るばかりである。

前歌集『山鳩』が2015年の刊行だから、矢継ぎ早のこのたびの第12歌集で

ある。「短歌研究」誌上に30首連載があり、作品も溜っていたのだろう。

七十代男性の味わい深い〈生〉が満喫できる一冊ともなっている。








前歌集は母君が亡くなられ、息子としての母恋の歌に注目したが、

今回の歌集にも〈母恋〉の歌はかなりあった。その中の1首を紹介したい。

 

          咲くことが愉しいやうに山茶花の咲いて霜月 母の忌が来る

     
    

                      平成29年10月20日  2800円+税

 

 

2017年11月10日 (金)

『下谷風煙録』 福島泰樹  皓星社

福島泰樹の第30歌集が出た。

本歌集は2016年冬から2017年夏までの作品から選び、310余首を収めて

いる。

第一歌集の『バリケード・一九六六年二月』が刊行されたのは、1969年の

秋だった。以来48年、泰樹の激走はとどまることはない。

     

           御徒町大原病院ぼくを生んだ同じベッドで母ゆきたまう

     昭和十九年三月 ぼくは祖母に抱かれ遺骸の母を見ていたのだろう

     幼年の目が俯瞰する風景は地平線まで廃墟であった

     歳月の彼方にいまも燃えている曼殊沙華よりあかく切なく

     こみどりの冬のコートよ渋谷駅ホームに佇ちているヒヤシンス

     生きているうちにおのれの墓を建つ『寺山修司全歌集』はも

     祈るように君は手帳を胸にあて書いていたっけ歳月は風

     高橋和巳寺山修司春日井建、清水昶も五月に逝けり

     カーテンは睫毛のように擦(こす)られて涙を流しているのであった

     この俺の在所を問わば御徒町のガードに点る赤い灯である


8月30日、福岡市であった「短歌絶叫」コンサート。

K塾福岡校の文化講演会でのコンサート。

あいにくこの日私は、福岡に、日本に、いなかった。よってこのコンサートの

ことは新聞紙上で写真と共に後日拝見した。(「ダンス」が聴きたかったよ。)






死者に対する記憶を大事にし、その〈生と死〉を歌い上げる福島泰樹の

姿勢は変わることがない。

このたびの第30歌集も過ぎた歳月をいとおしみ、その記憶を克明に紡ぎ

出している。



①首目②首目の実母の死、18年3月に生まれた泰樹が満1歳になるか

  ならないくらいで覚えている筈はないと思うのだが、これは、想像の

  賜物「見ていただろう」なのだ。実母が死んだ悲しみをかなしみとして

  受け止めることさえできないみどり子の〈悲しみ〉を思い遣っている。


③首目は、昭和20年3月の東京大空襲であろうか。その風景は「地平線

  まで廃墟であった」のだ。


⑤首目の歌には詞書が付いている。「その日からきみみあたらぬ仏文の

   二月の花といえヒヤシンス」


⑦首目の詞書は「立松和平逝きて七年」とある。

  ふたりの交情の篤さは、たびたびその文章のなかで知った。


⑨首目には「北村太郎へ」と詞書が付いている。

 『荒地の恋』の北村太郎も逝ってしまった。享年69歳だった。



文章といえば『短歌往来』(ながらみ書房)で連載している「時言・茫漠山

日誌より」が面白い。面白いというよりそのただならぬ多忙ぶりに息を

ひそめつつ見守っている(笑)。11月号では187回となっているのでこの

連載は15年以上続いている計算になる。


短歌絶叫コンサートは1500回以上のステージを披露している。

そして、今もなお毎月10日には吉祥寺曼荼羅でのステージも開いて

いるのだろう。



「どんどん悪い時代になってきている。だからこそ死者の言葉に耳を傾け

ないといけない」と、新聞のインタビューに語られていたのが印象深い。

        
        

        ーー略

        死者は死んではいない。死者たちが紡いできた記憶と夢の

        再生 ! 歌がそれを可能にするのだ。

                      『下谷風煙録』 跋  福島泰樹

 


                  2017年10月30日 初版発行  2700円+税



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10時、N さんより珍しく電話あり。

とりたてて用もないのに、暢気な話を際限もなく(笑)する。

息子が結婚していない。(する気がない。)

従って孫もいない。(原因がないのだから、結果は望めない。)

というお互いの共通項に安心(?) したり、慰め合ったり、傷を舐め合ったり(笑)



考えると、なんと、非生産的な話を延々としていたのだろう。

 

2017年11月 8日 (水)

歌集『遠雷』 前川明人  本阿弥書店

2015年4月から2017年9月までの377首を収めている第八歌集。

作者は「未来」、「幻桃」(松村あや創刊)、「草笛」(桑田靖之創刊)に所属

している。「幻桃」も「草笛」も未来系である。

      
      鯉のぼり降ろされながら気を吐きていくばくの布になってしまいぬ

      死力とは一体どんな力だろう暈かぶる月見ながら歩く

      救急車のサイレン大袈裟に鳴りいるをわれのものとは思わず聞き

      おり

      鬼婆と天使がときどき入れ替わり点滴袋を吊るして去りぬ

      戦争は絶対勝たねばならないが勝っても負けても人間が死ぬ

      負け犬にならないうちにさあ踊ろうマラカス振って太鼓を叩け

      励まされ米寿となりたるうれしさよ街路樹のむこう光る塔尖

      世捨人になりたくはない立冬の狛犬見ながら石段のぼる

      東京の五輪までは生きたいなあひしめき群がる五彩の風船

      生きるため鳴いているのか死ぬために騒いでいるのか長崎の蟬

いずれの歌も平明で、生活の日常のなかからうたわれている。

7首目の歌にあるように、作者を米寿を迎えている。齢(よわい)、88歳にして

3つの歌誌に歌を出しているそのエネルギーと執着心、そして努力。

ちょっとやそっとでは真似できない。

3首目の歌は、おそらく作者が救急車で運ばれたのだろう。迎えに来るために

鳴らしているのか、あるいは救急車の中であのピーポピーポの音を聞いて

いたのだろうか。





4首目などを読むと、結構辛口の作者でもある。

点滴袋を吊るすのは、看護師さんだろうから、「鬼婆」や「天使」と評価された

看護師さんがいるのだ。病者となった作者とはいえ、8首目にある言葉の

「世捨人」にはちっともなっていない。その意気や善し。


5首目を読むと、作者の世代は戦争体験者であり、負け戦のみじめさを

存分に知っている。それゆえに「勝たねばならない」のだろう。しかし、「勝って

も負けても人間が死ぬ」道理を熟知している。戦争は避けなければならない

し、戦争はこの世に存在してはならないのだ。






ちょっと気になったのは、7首目の「塔尖」。さいしよのカキコミであやうく

「尖塔」とするところだったが、原作は「塔尖」となっている。

そうか、刀のきっさきなどを「刀尖(とうせん)」というから、塔のきっさきは

「塔尖」(とうせん ? ) なのかな。

高齢になると、女性よりも男性の歌の方が面白い。

それはなぜなのか、考えている。

男性の方が解放的になるからだろうか。

                      2017年10月17日  2700円+税


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夕刊(朝日新聞)を読んでいたら、「あるきだす言葉たち」に目がとまった。

きゃ〜、「未来」の西巻 さんだ。

タイトルは「横浜」。

このタイトルに目が行ったのかもしれない。「横浜」♥♥

8首中の3首を。

 

 

 

        横浜        西巻 真(にしまき まこと) 
   

     勤務終へて夜へ赴けばひろがりぬ開港祭のひかりの花火

     人のゐる窓から順に点(とも)りゆくみなとみらいの大きな団地

     まぼろしに白き船あらば春だらううつつにあらばさびしさだらう

 

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