2019年7月16日 (火)

月入帯食(げつにゅうたいしょく)

国立天文台の報道によると、明日の早朝に部分月食がみられ月が欠けたままの

状態で西の空に沈むそうな。それを「月入帯食(げつにゅうたいしょく)」

と呼ぶらしい。(わたしは、初めて識った言葉)ただし、東京ではみられない。

お天気次第では福岡でみられそうだ。(沖縄の方はもっと観やすい?)

時間は明日(17日)午前5時過ぎから部分食がはじまり、5時19分頃に西の空に

欠けたまま沈んでいくとか。(朝早いけど見たいなぁ。時間は福岡の場合。)

 

ところで、50年前(1969年)の7月16日、アポロ11号が月に向かって発射された日。

今、わたしの手元には7月20日、オルドリン飛行士が月面に立って地震計を据え

付けている絵ハガキ(写真)がある。ーNASA提供ーと、絵ハガキには印刷されて

いる。もう1枚はLM(月着陸船)から降りるオルドリン飛行士。撮影したのはアーム

ストロング船長。なんでこんな絵ハガキがわたしの手元にと思うけど、このハガキの

裏(宛名書きの方)には、「日立カラーテレビ・オールチャンネル」の広告が

入っている。(時代だねぇ(笑))そして、「西日本新聞社」の文字が。

勿論、ハガキは未使用だから、記念に貰ったのかしら?

 

 

さっき、月をみたけど、綺麗。

もう、満月?

この分だと「月入帯食」もみられるかな。

 

 

 

 

 

2019年7月15日 (月)

2019  博多祇園山笠 フィナーレ

15日、早朝の「追い山」を観るため出掛けた。

すでに沿道は人、人、人で溢れていた。

午前4時59分櫛田神社の大太鼓の合図とともに七流(ながれ)の舁き山が

男たちのオイッサ、オイッサの掛け声とともに博多の街を駆け抜ける。

 

今年の一番山笠は「千代流」であった。

わたしたちは東長寺のあたりの沿道で待機していたのだが、通りの向こうから

掛け声が聞こえると観衆がいっせいに拍手で迎えた。

東長寺の前には清道旗(せいどうばた)が立てられ、山笠に参加している

子供たちの誓約?(祈願?)の挨拶の声が響く。そういえば今年はどの流にも

舁き手予備軍としての子供たちの参加が多く、頭に手拭いを締め、水法被を着て、

締め込み姿である。子供たちは舁き山の先導隊?みたいな役目をしていて、

懸命に走っている。

 

5分おきに櫛田神社を出発する舁(か)き山。

七流のあとは、今年櫛田入りをする八番山笠の上川端通の大きな勇壮な

山笠が目の前に。その山笠の飾りからスモークを発射し、また一段と観客の

拍手と歓声が響く。

 

気がつけば明るくなった空。

今年も観ることができた喜び。

 

    午前四時五十九分追ひ山の太鼓の合図にをとこら燃ゆる

    くりかへすオイサオイサの掛け声の巷にみちて山笠(やま)駆け抜ける

    水法被すなはち祭りのユニホーム舁き縄を手に男ら走る

    あかつきの空にししぶく勢ひ水オイッサオイッサの声地響きす

    駆け抜けるしめこみ姿の男たちをとこにシビレ朝より酔ひぬ

 

    

    

ようよう帰宅。

ふぁ~。眠たかぁ~。

あ、外では蟬の声がしている。

    山笠から夏のはじまる博多です‥‥

 

 

 

 

 

 

2019年7月 9日 (火)

梅雨真っ只中の暑気払い

歌会が終わって、コミュニティバスで移動。「和食・寿司 ××」へ。

昨年は7月24日だったのに、今年は梅雨真っ只中の〈暑気払い〉になった。

リーダー?の T さん(男性)の面倒見がよく、またそれに応えて、飲み会好きの

皆さん全員出席。

 

   小鉢ーーー季節の小鉢三品

   お造りーーー本日のおすすめ二種盛り

   蒸物ーーー玉子蒸(餡掛け)

   椀物ーーー冷やし煮物

   変麺

   台物ーーー天然鯛の卯の花巻き

   揚げ物ーーー鱚のペシャメルソース掛け

   飯物ーーー旬のにぎり四貫と玉子二切れ

   汁物ーーー味噌汁

   デザートーーー抹茶ババロア

   コーヒー

 

生ビールで乾杯、Oさんはいきなりハイボール。(ビールは太るから?)

小鉢の「いちじく煮」が美味だった。にぎり4貫も美味しく頂いた。

焼酎のお湯割りを飲む人、ビールを飲む人、それぞれ。

ここの梅酒は特別なので、ロックで飲む方が美味しいらしく、Mさんはロック。

わたしは相変わらず梅酒のソーダ―割り。

 

話が弾み、今日はポイントカードの使い方や、どこのデパートのカードが

いいのかなど情報交換。こういったことに疎いわたしにはとても参考になる。

 

リーダーの Tさんが、もうすでに次の遊びを考えている。

秋、っていったってじきに来る。

わたしたちは諸手をあげて(笑)、即、賛成してしまう。

なんなんだ ! ! これって。

「遊びをせむとや生まれけむ……」どこからか、梁塵秘抄のムニャムニャが……

 

2019年7月 8日 (月)

映画「作兵衛さんと日本を掘る」KBCシネマ

2011年5月25日、炭坑夫だった山本作兵衛さんの描いた記録画と日記697点が

日本初のユネスコ世界記録遺産になった。作兵衛さんは60歳も半ばを過ぎて

から絵筆を握り、専門的な絵の教育は一度も受けていないそうだ。

 

しかし、作兵衛さんの絵は人の心を捉えて離さない。

たとえば画家の菊畑茂久馬氏は「じっと見ていたら涙が出てた。僕の画業から

くる状況がはねかえって、いよいよもって作兵衛さんがいわば僕の画業の前に、

仁王さまみたいに立ちふさがった」と語り、29歳の時から20年間描くことが

出来なかったと。

 

記録作家の上野英信氏が作兵衛さんの絵を世に出すことに力を尽くした一人

だろう。そのご長男の朱(あかし)氏が語った「筑豊」。本籍をどこに置くかの

話は英信氏の志を継ぐ気魄?が籠っていた。「筑豊文庫」の開設宣言の看板を

大切に保管していたこと、心に残った。

 

作兵衛さんの絵を中心に映画は進行。

画面いっぱいに映し出される坑夫の姿、ことにズームアップした時の女坑夫の

まなざし。命を賭けて働いている眼であり、美しかった。

 

1984年12月19日、作兵衛さんは92歳の命を閉じた。

「数百年後の子孫のため明治、大正、昭和のヤマはこうだったといっておきた

かった」と、話していた作兵衛さん。そして、晩年に残した言葉。

 

    けっきよく、変わったのは、ほんの表面だけであって、底のほうは

    少しも変わらなかったのではないでしょうか。日本の炭鉱はそのまま

    日本という国の縮図のように思われて、胸がいっぱいになります。

 

本日は監督・熊谷博子さんの挨拶とサイン会があった。

この映画の制作に7年をかけた(かかった)と語っていた。

映画を作る間、監督の心の奥底にあった怒り。

 

    炭鉱も原発も同じエネルギー産業で、末端の労働の構造は変わらない。

    国策でもある。(略)

 

 

この映画を多くの人に観てほしい。

ことに若い人々に観てほしい。

作兵衛さんのうたっていた「ゴットン節」が、いまも、内耳に残っている。

 

     七つ八つかーら

     カンテラー提ーげて

     坑内下がるもー

     親の罰

     ハー ゴットン

 

 

2019年7月 7日 (日)

季節の便り(27) あっ、初蟬 ! 

朝方、ゴーヤ―を収穫しょうとしたら、大きな虫が棚に止まっている。

なんなの ?  近づいてよくよく見るとセミみたいだ。

脱皮したばかりのような。

まだ梅雨も明けていないのにと思いつつ、ちょっと触ってみた。

とたんにさぁっと飛んで行ってしまった。そこで腰折れだが、一句。

 

  初蟬やこゑも洩らさず飛びゆけり  miyoko

 

今朝の収穫。ミニトマト21個(昨日は29個)、ゴーヤ―1本(昨日も1本)。

ついでにまだ収穫前の実を数えてみる。ミニトマト A は158個、Bは73個。

ゴーヤ―は6本(うち、明日1本収穫予定)。

毎朝ミニトマトを摘むので、ミニトマトばかり野菜室に増えてゆく。

今朝は、たくさんのミニトマトを2つに刻み、炒めて、その中に卵を3つ割り入れ、

スクランブルエッグにした。

昨夕のゴーヤ―料理。ゴーヤチャンプルばかりでは食傷するので、ゴーヤ―を2つに

開き、3等分して、合挽きを詰めて(ピーマンの肉詰めみたいに)油で焼いた。

結構、食べられた(笑)。

 

 

☆    ☆    ☆

現代短歌新聞の、藤島秀憲さんの「短歌の小道具100選」たのしみに読んでいる。

今号(7月5日発行)は、[十九]パン だった。

    *わが妻はあしたの麺麭を買ひに出づな濡れそ小さき青き自転車

                    岡井 隆『ネフスキイ』

 

上記の歌を藤島さんは「(略)明日の朝のパンを求めて雨の町に出て行く妻。(略)」と

鑑賞していたけど、「あしたの」は、朝(あした)の意味ではないかしらん。

明日のパンだとちょっと違うんだけどなぁ、と思ったりしている。

朝、焼き立てのパンを朝食用に買いに行く。(わたしは、しないけど……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月 4日 (木)

「本の旅人」休刊号 №285 角川書店

あらら、なんとしたことか。

「本の旅人」が休刊になるのだって。

小林順編集長が「休刊に寄せて」の一文を巻頭に記している。

「別媒体への移行」だって。

「別媒体への移行」って、そりゃあないよと思う。

 

   PR機能は文芸情報サイト「カドブン」に移り、連載媒体としての

   機能は「小説 野生時代」および新しく立ち上がる電子雑誌

   「カドブンノベル」に移行します。

 

 

第一、わたしは梯久美子さんの「サガレン紀行」が読めなくなるのが口惜しい。

「小説 野生時代」8月号でお読みいただけます、なんて告知しているけど、

買わないと読めないよ~

 

そして、酒井順子さんの「鉄道無常」は、電子雑誌の「カドブンノベル」創刊号に

移行だって。こちらはなおのこと承服できない(笑)

「紙媒体」が「旧(ふる)い媒体」などとは、思っていないし、わたしは思いたくない。

 

 

285号まで続いた「本の旅人」が休刊なんて、信じられない。

あ~あ、なんとしたことか。

高齢者を置き去りにして……

  (置き去りにされてしまった(泣))

 

 

2019年7月 1日 (月)

舞台「三婆(さんばば)」 博多座

思いがけなくも福岡公演の初日に行くことができた。

いゃぁ、面白かった。愉しかった。

声を出して笑うほどの喜劇。

 

      本妻・松子  大竹しのぶ。

      小姑・タキ  渡辺えり

      お妾・駒代  キムラ緑子

                   他・略

  

 

夫が急死した松子の家に義妹のタキとお妾さんだった駒代が転がり込んで来る。

タキは、結婚したことも働いたこともない女。(フリルたくさんのお洋服がカワイイ。)

シリアスな内容なのに演ずるお三方の熾烈なバトルが面白、可笑しかった。

 

ニ幕では、歌って踊って、観客まで声を揃えて歌っていた。

大竹しのぶさんは、本気で楽しんでいるみたいで、一層彼女が好きになった。

 

三幕ではホントに「三婆」になってしまっていた。

あんなに喧嘩ばかりしていた3人が寄り添って暮らしている。

からだまで小さく小さく見えて……(笑いながら泣けてきたのは、なんだろう。)

 

いつか行く道、他人事ではなく、誰にでも訪れる老い。

 

 

☆    ☆    ☆

今朝は、今夏2本目のゴーヤ―を収穫、まだ食べ頃のが3本なっている。

ミニトマト16個収穫、毎朝14~15個収穫。

今朝は朝顔の花が5つ咲いていた。

 

ああ、そういえば本日より博多の街は「博多祇園山笠」。

本日より飾り山笠公開で、上川端通の飾り山笠を見た。

表は「神武東征誉(じんむとうせいのほまれ)」で見送りは「三人形」だった。

人形師・田中勇さん。

15日の追い山(午前4時59分)に向けて、街は祭り一色になる。

今日も法被姿の男しが街のあちこちに見られた。

 

 

 

 

 

 

 

   

2019年6月30日 (日)

『恒成美代子歌集』現代短歌文庫 第144回配本 砂子屋書房

目次

『ひかり凪』(全篇)

『夢の器』(抄)

『ゆめあはせ』(抄)

歌論・エッセイ  竹山 広

         江口章子

         映画「カミ-ユ・クロ-デル」

         鷹女から蕪村へ

         文明の歌・隆の歌

         にがいあそび

         歌碑を訪ねて

         炭坑(ヤマ)の語り部

         時代の危機をうたう


解説      イノセント・ナルシシズム---歌集『ひかり凪』評  大辻 隆弘

        かうべをあげよ--------歌集『ひかり凪』評  久々湊盈子

        花のむこうに---------歌集『夢の器』評   小島ゆかり

        刻(とき)の旅--------歌集『ゆめあはせ』評 花田 俊典 

 

                      2019年5月18日 初版発行

                          1500円+税

 

 

☆    ☆    ☆

以下のかたから評を頂いています。ありがとうございました。

 

 

   母と飲む葛湯の甘さたとふれば〈鳶が鳶生む〉こともまた可(よ)し

                                                      『夢の器』「この世の端」から

 

    (略)調和をとるという点で「こともまた可(よ)し」は絶妙ですよね。

    良の字ではなく可、鷹を産んだ方がほんとは良いだろうけどこれもまた

           エエんや、という主体(子)の肯定し過ぎない自己肯定の絶妙さ。

           「葛湯」を飲む体調の優れない主体の様も、強い人ではなくて弱ったら

           「葛湯」に頼るくらいに平凡、その状況の設定もいいですよ。母も一緒に

            飲んでいるから、母も子と同じく体調が悪いのかな。それが仲睦まじく

            微笑ましくて。………上手いなあ。

                    (志田高ばここ)さん、より。

 

   ひるがへり咲く花水木いつさいのことは忘れてかうべをあげよ

   失ひてふたたびわれに戻りこし心ならずや頬うづむれば

                   『ひかり凪』「水上公園」から

 

    (略)花水木は永続性を象徴する。それは、忘れ続け、戻り続ける思いの

              連鎖だ。断ちきられるからこそ生まれる永続性。断ちきられ、断ちきり、

              そうすることで忘れていたはずの感情が復帰する。それは、同じ対象に

              向かってではない。その対象が変わることで、新たに生まれる感情なの

             だ。それは、あの時に感じた心の動きに似ている。ボクらはその思いが、

             思いの 連鎖であることに気づく。とまどいながら、ためらいながら、

             だが、高揚する心は止まらない。新であり鮮である思いは、かつての

            「私」を失うように留める。それは、例えば「あなた」への思いかもし

             れない。だから、それは創作者としての「私」の、生活者としての「私」

             の齟齬としても表れる。だが、これは、かすかな、かそけき齟齬なのだ。

           (略)               

                                                     (ブログ「パオと高床」)より

 

    

2019年6月29日 (土)

『いくつもの週末』江國香織 集英社文庫

1997年10月、世界文化社より刊行されたものの文庫化。

文庫になったのが2001年だから、それからにしてももう20年近くになる。

著者・江國香織さんが結婚し、その新婚生活?のエッセイ集。

とは言え、エッセイと短篇小説の中間みたいな感じ?

 

江國さんの繊細な、それでいて情熱的な、そして情動のおもむくままの日々が

綴られている。

カワイイひと。しかし、こういう女性を妻にすると男の人はシンドイだろうな、

とも思ったりする。

 

      私たちはいくつもの週末を一緒にすごして結婚した。いつも週末みたいな

      人生ならいいのに、と。心から思う。でもほんとうは知っているのだ。いつも

      週末だったら、私たちはまちがいなく木端微塵だ。(略)「月曜日」

 

      誰かと生活を共有するときのディテイル、そのわずらわしさ、その豊かさ。

      一人が二人になることで、全然ちがう目で世界をみられるということ。「色」

                                 

      どうして結婚したのかとよく訊かれるが、私は、自分用の男のひとが

      ほしかったのかもしれない。(略)    「放浪者だったころ」

      

「旅行にいってくる」と江國さんが言うと「じゃあ、ごはんは?」と訊ねた夫サン。

その手の話はよく聞く。まぁ、結婚何十年もすると当然のように男の人は妻に要求するらしい。

先だっては、白内障手術で入院する妻に対して「俺のごはんはどうするの?」と言った夫がいたらしい。

そんなことくらいでキリキリしていたら身がもたない。(笑)

 

それは兎も角、20年後の江國夫妻の日常が知りたい。

どうなっているのだろうか。

 

                                                 解説 井上 荒野

                 2015年9月12日 第23刷

                   420円+税

 

       

2019年6月28日 (金)

「語らざるものたちの言葉を引き受けて」 『図書』2019年6月号

岩波書店の『図書』6月号の対談は読み応えがあった。

梯久美子さんと若松英輔氏のお二人が「誰を書くか、いつ書くか」について語っている。

その中で梯さんは『狂うひと』を書くことになった動機を「写真を見て惹かれたのが

最初です。」と応えている。

若松氏の言葉の数々がビンビン胸に迫ってくる。

 

    (略)文字は過ぎ去ってしまうであろうかけがえのない出来事を

       この世に定着させるために、ある力がわれわれに与えたのだと。

 

    (略)無知は許されるが、欺きはいけないと思っています。

 

    (略)現代では、書き手が書いたものが完成形で、それをどれだけ正確に

       理解するかが読み手の仕事だと思われがちですが、ほんとうは書き手

                   すら気がつかなかったこと、もしくは書き手が深層意識でとらえなが

                   らも意識できなかったことを読み手が新しく求めていくのが、「読む」

                   ということです。

 

 

上記は全て詩人・評論家である若松氏の発言であるが、ことに赤字部分は「短歌の

読み」についてもいえることではないだろうか。短歌作者がその作品で「深層意識

でとらえながらも意識できなかったこと」を読み手が求めるというのは、難しいこ

とのようだが、そうあってほしいし、そうありたいものだ。

 

若松氏はこうも語っている。「詩を書いた人が詩人ですよ。厳密に言うと、書いて

いるときに詩人になる。」と。ゆえに、わたしの独言だが、短歌に置き換えると

「短歌を書いた人が歌人ですよ。厳密に言うと、書いているときに歌人になる。」

なんて。甘いかなぁ(笑)

 

 

☆    ☆    ☆

この『図書』の同号に、文芸評論家の加藤典洋氏の「私のこと」(その5  新しい

要素が掲載されていたけど、絶筆かしら? 氏は5月16日に71歳でお亡くなりに

なられている。哀悼。

 

 

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