2019年5月22日 (水)

季節の便り (26)ミニトマト成長中

2本植えているミニトマトがとうとうベランダの手摺りの高さより伸びてしまった。

 

カワイイ実をつけているので数えてみたら、Aは16個、Bは15個ついていた。

Aの方は花の塊りが9個、Bは11個あり、1塊りに実になるのが7・8個とすると150個くらいは収穫できそう。

昨年も200個ほど収穫したので、まぁまぁの感じ。

朝夕の水遣りを怠りなくしないと、萎れてしまう。

 

ゴーヤーの蔓も伸びはじめ、ネットをすでに張っているので、毎朝その蔓の水先案内人みたいなことをしている。ほどよくバランス良くネットを覆ってくれると、リビングの日除けにもなる。(今年は3本苗を植えた。そのうち朝顔も蔓を伸ばしてくれるだろう。朝顔は去年の種から。)

 

昨日、辻仁成の『愛情漂流』を買うため丸善に行ったらまだ入荷していなかった。

来週くらいになるとか。(24日発売とあとで知った。)早くドロドロした(笑)のを読みたい。

 

 

 

2019年5月21日 (火)

『短歌往来』2019年6月号 ながらみ書房

6月号は[特集] 「第十七回 前川佐美雄賞発表」・「第二十七回 ながらみ書房出版賞発表」。その前に今号でわたしが瞠目したのは、島田修三氏の連載1ページエッセイの「遠い人、近い人 30」。今号のタイトルは「正しいおばあちゃん」。これがなかなか面白い。

 

   (略)性同一性症候群ならぬ年齢同一性症候群というのが

    あるらしい。実年齢と折合いがつかない。特に老齢を

    認知受容できない。最近の日本人にはこの類の人が多

    かろう。(略)

物議を醸しそうな文章だが、少なからず心当たりがあるので、そうかぁ、そういうことかぁ、そういうことなんだと、首肯せざるを得ない。「年齢同一性症候群」なんて、初めて知った言葉だ。

そういえば、わたしが子どもの頃は60歳くらいの人は立派な(笑)おばあちゃんだったもの。「おばあちゃん」と呼んでも怒られなかったし、本人も、おばあちゃん然と100%していた。

ところが、時代変われば、さて、どうだろう。(もう、このあとなんにも書けない(笑))

 

「第十七回 前川佐美雄賞」は、小島ゆかりさん。

受賞の言葉の中に「(略)わたし自身は、昭和と平成をほぼ三十年ずつ生きて、本歌集の時期に六十代に入りました。(略)」とある。顔写真が掲載されているが、嘘〜と言いたいくらいに若々しい。還暦を過ぎているとは……

 

     この夏の或る日よりわれは祖母になり祖母というものは巾着に似る

     ゆふぞらの犬の太郎よ君の知る少女はおばあさんになつたよ

     五十肩といふといへどもほのかにも若返るなし六十のわれ

     くりかへしどこへ行くかと聞く母よ大丈夫、銀河までは行かない

     母となり祖母となりあそぶ春の日の結んで開いてもうすぐひぐれ

             『六六魚』50首抄より    小島ゆかり

 

歌は、裏切らない?

歌は、しっかり祖母をしている。

歌は、「おばあさんに」なっている。

歌に、生身の人間が出ている。

2019年5月20日 (月)

歌集『ゆるりと行かな』永島道夫 角川書店

『石うづくまる』に次ぐ第5歌集。1ページ2首組、2行書きの作品、422首を収める。

「朔日」所属。

「仕事を止めての気ままな日常」とあとがきに記す。

 

    逢ふたびに自慢話をする老いを厭ひてゐたるわれがさうなる

    六十五歳以上の人は割引と顔見て言はれ少し傷つく

    真つ直ぐに押せずにいつも苦労する実印を押すこんどこそはと

    潮時と見て相槌を打ちたるに結果の責めを負ふ羽目になる

    金銭の多寡にてこころが変はりさう危ない危ない手前で気づく

    ほどほどのほどがわからず七千歩日ごと続けて膝を痛める

    逆風の吹けばふくほど強くなる妻の背中にわれは隠れる

    思ひ出の品ばかりにて置き場所を変へたるのみの整頓になる

    二泊(ふたはく)の旅行保険に八十二歳(はちじふに)と記入してのち気後れのする

    携帯電話(ケイタイ)は妻とわれとを繋ぐのみ日がな一日鳴らず静もる

 

 

大きな事件や厄災がある訳ではない暮らしの日々。その日々のなかでの著者の感慨は生活者としての足が地に着いたまっとうなもので読み進めながら、共感する部分が多かった。

 

1首目、結句によってわが身を振り返り、わが身のこととして詠んでいるところがいい。「自慢話」ばかりする人、愚痴ばかり零す人、人様の悪口ばかり言う人と、この世の中には様々な人がいる。なるべくそういう人とは距離を置きたいが、兎も角、自分だけはそうなりたくないという自覚が必要なのだ。(自戒、自戒。)

3首目、上の句は、わたしなども常々そう思う。不器用なのか、齢のせいなのか真っ直ぐに押すことができない。まさに「こんどこそは」である。

7首目を読んで笑ってしまった。たのもしい妻の背中であることよ。

8首目、みんな同じようなことをしている。断捨離はなかなかできそうにない。

10首目、いよいよ「妻とわれ」との世界になりつつある。これは考えてみれば良いことかもしれない。

 

 

などと、勝手な感想を綴ったが、著者の生真面目さ、実直さの際立つ一集でもある。

目次の小タイトルを読むと、動詞が並ぶのが特徴的。「魚は泳ぐ」、「時間の止まる」、「立山を行く」、「つよく息吐く」、「ぐいと引き抜く」、「闇を動かす」等々。そして、歌集題の『ゆるりと行かな』。

 

    平均の寿命に至り朧げに見ゆるものありゆるりと行かな

 

              

            朔日叢書 第106篇

            2019年5月25日 初版発行

             2600円+税

 

 

☆   ☆   ☆

昼間の土砂降りが嘘のように晴れ上がり、

午後7:20   夕焼けがことのほか綺麗だった。

 

 

                

    

 

2019年5月19日 (日)

歌集『光のアラベスク』松村由利子 砂子屋書房

「令和三十六歌仙」と銘打たれた歌集。

発行日、2019年5月1日。

今度の「陽だまり歌会」の資料にするため、作品を選ぶ。選んでいるとおのずと著者・松村由利子さんの思惟のほどが窺える。元・新聞記者であった経歴もさることながら、渾沌とした世界の状況、そして日本は‥著者自身が住んでいる石垣は、とその考察が手堅い。

 

   全国紙の配達されぬわが家なり沖縄タイムスも昼ごろ届く

   メディアとは太鼓叩いて笛吹いてその場限りの祭りを好む

   首都の雪ばかり報道するテレビ南の抗議行動続く

   スマートフォンで撮らねば見たことにならず網膜という薄きさみしさ

   アングルを変えれば違うものになる写真も歴史もあなた次第だ

   人乳が臓器が売られ八つ目の大罪として長寿加わる

   どこか摩耗してゆく世界コンビニで働く外国人にも慣れて

   絶滅危惧種なること母に言いたれど鰻重届いてしまう帰省日

   贈与とは文化であった女らも女の子宮もやりとりされて

   

 

恣意的な選歌になってしまったが、いずれの歌も具体的であり、著者の経験や考察が根底にある。

3首目など、首都のちょっとした雪でも大仰に報道しているのを観ると、雪深い東北のことや、南のこの「抗議行動」は、報道の対象にもならないのかと悲憤している。5首目も、アングルによって違うものになってしまう危惧をうたっている。

 

固い(?)歌ばかり引用してまったが、叙情的な歌にも心惹かれる。だが、その叙情質も極めて思索的というか、醒めているように思えるのはなぜだろう。理系女子(笑)みたいな感覚が過る。

 

    逢えばまた深き淵へと沈むから今宵の月は一人で見ます

 

潔いというか、理知的なのだ。かつてわたしは「逢へばさらにふかみゆく愛」などと、うたったことがあるのが恥ずかしい。でも、これも性分かな(笑)そういえば今宵は満月。現在、夜の10時。全天雲が掛かって月は見えない。

 

 

                 かりん叢書第343篇

                  2800円+税

 

   

  

2019年5月15日 (水)

季節の便り(25) 楝(おうち・センダンの古名)の花

電車で久留米まで。

途中、楝の花に出遇う。あれっ、と声を挙げそうになった。

2本、3本。そして少し走るともう1本の大樹が車窓より見えた。

 

   妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干(ひ)なくに

                    山上憶良(巻五ー七九八)

 

大伴旅人の妻の死に対して、憶良が献上した一首。

淡いむらさき色の小さな花は華やかさから程遠く、従って気品がある。

満開だった楝の花もやがて散る、まだ散ってはいないが、必ず散ってしまう。

(せつない、悲しい歌だ。)

 

 

筑後平野は「麦の秋」であった。平和な田園風景に和んだ。

そして、本日の久留米の温度は30.6℃。

博多よりも久留米の方が暑いのは内陸部ゆえか。

汗ばむ陽気であった。

                 

2019年5月14日 (火)

佐佐木幸綱論集『心の花の歌人たち』ながらみ書房

「心の花」創刊120周年記念事業の一つとして刊行されたもの。

「心の花」関係の人の歌集や全集や全歌集に序文や跋文、解説などを多く書いてきた著者が、そのなかの一部を採録している。

 

石川一成、竹山広、築地正子、保坂耕人、晋樹隆彦、俵万智、宇都宮とよ、谷岡亜紀、大野道夫等々、20名を越え、どこから読んでも良く、先ず関心のある人のページを捲ってみるのもいい。

わたしは先ず、築地正子の『築地正子全歌集』のページを開く。

    

   (略)築地正子を動物にたとえるなら鶴。犬タイプと猫タイプに

   分けるとしたら、極めつけの猫タイプの人だった。いつも背筋を

   すっと伸ばして、鶴の感じで人の輪の外側に静かに立っておられた。

   人に寄ってゆかない。しっぽは振らない。愛想をふりまかない。(略)

 

見事な人物評だと思う。人に媚びず、阿らない姿勢は見ていて気持ちが良かった。しかし、冷たい人ではなかった。何度もお会いしたことはないが、安永蕗子さんが迢空賞を受賞した時、お祝の会が熊本であり、築地さんもいらしてた。安永さんはその日、二次会の席を立派な料亭を予約されていた。その席にも築地さんはいらして、偶々わたしの隣の席だった。私は何を話せばいいのか緊張していたが、築地さんの方から声を掛けてくださり、その時は「孤高の人」ではなく、たのしい会話だった。(そんなことを思い出した。)

 

   かの時にかの人選ばざりにしが正解ならば今のわれなし 

                           『自分さがし』

   われをしてわれたらしめて雪降れり視野のはたてにまだ昭和見ゆ 

                           『自分さがし』

   書き残す恥にし耐へて書きおかむわれの葬りのかねのありども  

                           『みどりなりけり』

   生きの緒のぬきさしならぬ濃紫明日とはいはず今日の竜胆   

                          『花綵列島』

   卓上の逆光線にろがして卵と遊ぶわれにふるるな    

                                                                  『花綵列島』


とにかく、築地正子の歌はいい。

本書に採録の解説も実に丁寧に書かれてあった。

次次に読んだなかで印象深かったのは、藤島秀憲の『ニ丁目通信』。藤島さんの歌集は読んだことがなかったので、興味津々でその歌と人柄を想像したりして、たのしんだ。作品と人物がぴったりだと著者が書いている。

 

    アララギの写真 茂吉と文明の間の人は「ひとりとばして」

    土曜日のけんかは朝のうちに済み隣の夫婦が網戸を洗う

    われからの電話に父が「留守番でわかりません」と答えて切りぬ

    おもらしの後は黙禱するように壁に向かいてうなだれる父

    母さんは幸せだったかとわれに問う父にはほんとうのことは言えない

 

父親を介護していた時期の歌がなんともいい。日常をその儘うたっているのだろうけど、なんとも可笑しく、そして、悲しみがあとを曳く。藤島さんの『二丁目通信』を古本屋で捜す、かな。

 

こうして、新しい読者がこの書によって生まれるだろう。

「とりわけまだ若い人たち、さらには次代の人たちに読んでもらえれば…」(あとがき)には、該当しないけど、鶴見和子さんの『虹』、『回生』、『山姥』を読めたのも幸いであった。

 

 

         2019年4月25日発行

          2300円+税

                        

 

 

 

 

2019年5月13日 (月)

映画「愛がなんだ」 原作・角田光代

監督・今泉力哉。

28歳のOL・テルコ(岸井ゆきの)は、マモル(成田凌)ひとすじ。

いつ、どのような時と場所にいてもマモルから呼び出しがかかれば

何はさておいても駆けつけてしまう。

しかし、マモルは気が向かない時は追い帰してしまったりする。

それでもテルコは懲りずにマモルにひとすじなのだ。

 

テルコの心情は多少理解できるが、わたしはテルコにはなれない。

人間としてダメな奴に向き合って、時間も体力も消耗するのはまっぴらだ。

(だけど、男女の関係って理性では割り切れないところがあるのかしらん。)

 

それにしても、こんなマモルのような男は大嫌いだ。

 

擦った揉んだの挙句、

ハッピーエンド……(とは、言えないな。)

 

ほんとうに「愛がなんだ」よ。

 

 

 

2019年5月 9日 (木)

『そこに僕はいた』 辻 仁成  新潮文庫

「おく手でかつ、ひねくれ者の恋の行方」など、18篇のエッセイが

 収められている。

 

福岡の高宮で育ち、小学時代は福岡で暮らす。5年生の冬、北海道の帯広へ、父の転勤のため引っ越し。少年期の辻仁成が生き生きと描かれており、かなりユニーク ? な少年時代だったことが窺える。今に思えば、その才能の萌芽が読み取れる。

集中の博多弁がなんとも心地良い。

 

    何処(どこ)へ、行くとね。

    何か急いでるみたいね。おもしろかことでもあると ?

 

手描きの地図の福岡と帯広が挟まれていたけど、福岡はわたしの記憶なども重なり歓喜。K牛乳店の牛乳って知ってる。まだ筑肥線が通っていた時分。「えんりゅうようちえん」の平仮名書きも懐かしい。

 

高校3年、カフェレストラン「ギンザ」に通いつめる。口髭をはやしキクチタケオの服で身を固め、ポルシェでやってくる泉一彦。そのカッコよさに惹かれた。その一見いかがわしい泉さんが放つ言葉。

 

    どうせいつかは死ぬんだからさ、ばーんと生きれば

    いいんだよ。人間なんて

 

作家、詩人、ロッカー、映画監督。戯曲を書き、演出まで手がける活動の広さ。そして何よりシングルファザー(父ちゃん)として一人息子を育て、養っているのだ。

 

 

                                  解説    城戸 朱里

              カバー装幀 新妻 久典

              平成29年10月25日 36刷

                定価 460円+税

 

2019年5月 8日 (水)

『代筆屋』辻 仁成  幻冬舎文庫

(まえがきみたいなもの)を読むと、著者本人が「小説を書く一方で

人さまの思いを代筆する仕事もしていた……」と、ある。

その真偽のほどは置くとして、先日(4月28日のブログ)小川糸さんの

『ツバキ文具店』を読んだばかりなので、なんだか立て続けに

〈代書屋〉の物語を読んだことになる。

 

吉祥寺駅から井の頭公園へと突き抜ける路地……なんて、読むと

住んだこともないのに、なつかしくなるから不思議だ。

井の頭公園には大きな池があり、その中に小さな島が一つ。

そこには弁天様が祀られており……

 

売れない作家が手紙の代筆で人助けをする物語 ?

 

     手紙というものは、人間の心を映す鏡のような存在でもある。

 

腐れ縁の昔の恋人、時任真二へ向けた半井ひさみの決別の手紙。

   「ありがとう。嫌いです」 

   (略)くだらない男にだけはならないでね。


と、まぁ……ふぅ〜

 

「今は、人生の休暇だと思って……」と少年が送った、

おばあちゃんへの手紙。〈人生の休暇〉か、、、

 

 

          平成24年11月25日 2刷発行

             457円+税

  

2019年5月 7日 (火)

映画「ヒトラーVS.ピカソ」 KBCシネマ

副題「奪われた名画のゆくえ」を観に行った。

ナチスが美術品の略奪を繰り返していた1937年、

〈闇の美術史〉とでもいえそうな暗部を掘り起こしている力作。

権力の怖さ、権力によって芸術をも略奪してしまうヒトラー。

ドキュメンタリーの迫力に、改めて、戦争とは、政治とは、権力とは

について考えさせられた。

 

   飾るために描くのではない。

   絵は楯にも矛にもなる。

   戦うための手段だーー

            パブロ・ピカソ

 

   無関心は許されない。

   芸術家はこの世の悲劇や喜びに

   敏感な政治家であるべきだ。

            パブロ・ピカソ




                     字幕監修 中野京子

 

☆   ☆   ☆

KBCシネマに行く途中の街路樹にベニバナトチノキ(紅花栃の木)の花が

2本あった。紅色の花を掲げていた。

そういえば、香椎の千早並木通り(筑邦銀行前辺り)のベニバナトチノキも

今頃、満開のことだろう。

 

そして、ヒトツバタゴ(異名・なんじゃもんじゃ)の真っ白い花、

その花を仰ぐことができたのも幸いであった。よき日かな。

 

 

 

 

 

 

 

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