2020年10月29日 (木)

文芸同人誌「〇(ゼロ)光年」と個人誌「渇水期」

今日も今日とて遺品の蔵書の整理。

「現在詩手帖」・「文芸」・「海」・「早稲田文学」・「試行」・「あんかるわ」等々。

大小17箱の段ボールに詰めて古紙の回収に出すことにする。

必要になりそうな号は抜こうと思ったのだけど、キリがない。

 

それにしてもこんなに本を溜めて、何なのだろう。

90センチ幅3本の本棚がリビングの壁面を占拠している。

吉本隆明、桶谷秀昭、鮎川信夫、谷川雁、北川透、山本哲也、等の書籍が書棚に隙間なく

収まっている。そうそう村上一郎著作集が7冊ある。この著作集はとうとう7巻と9巻が出なかった

みたいだけど、どうなったのかしら?

清水哲男・清水昶の詩集やエッセイ本も殆ど揃っているのではないか。

そういえば重厚な『田村隆一全詩集』もある。

 

そんなことより、今日もっとも衝撃だったこと。

『原色版 日本薬用植物辞典』の函入り本のこと。

なんでこんな辞典があるのだろうとその函を開いたら、なんと、その中身には同人誌が入っていた。

(何かの本で読んだのか、夢だったのか『薬用植物辞典』の中に大事なものが入っている、と。

 中身の同人誌を見た時、すぐそのことが思い出された。デジャビュ?)

 

「〇(ゼロ)光年」(1975年~1977年)11冊、中野修個人誌「渇水期」(1981年)2冊、

いずれも中野がガリを切って発行したものである。現在のようにPCの無い時代であり、

鉄筆で1文字1文字刻んでいたのだ。そのガリの道具一式は今でもわがやのクローゼットの

上の天袋の中にある筈だ。

 

中野修個人誌「渇水期」についてはいずれ書くことにしたい。(書くことが出来ればいいのだが…)

「無言歌の行方ーー恒成美代子ノート」が掲載されている。

  

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                                 今朝の雲

 

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            琉球朝顔(那珂川河畔)

 

 

 

 

      

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月28日 (水)

『雀の帷子』久我田鶴子歌集 砂子屋書房

2016年から2020年5月までの作品400首を収めた著者の第九歌集。

振り幅の大きい、いわゆるレパートリーが広い?と感じたのだが、どうだろうか。

 

   白き花ばかりを選りてそばに置くきのふのすみれけふのたんぽぽ

   性別のなきやすらかさ橡若葉さやさや揺れて雫をこぼす

   おまへは何をしてゐるのかと静かなる眼はひらかれてわれに降(お)りくる

   よくできた妻を宝物とまで言ふこの大真面目はりたふしたろ

   問題を起こさず枠をはみださずただ目の前の仕事をこなし

   くちびるを紅に盗(と)られし日の記憶 三三九度は二度とするまい

   陽だまりに母をすわらせ髪を切る櫛の動きに母を眠らす

   ひそひそと話してゐるのは春の雨だんごむしにも聞かせてやらう

   春の夜の夢ばかりなるウォシュレット白き碁石をいくつも産める

   帷子(かたびら)は雀のなればあさみどりひかりを透きてさやとゆらげる

 

1首目、7首目などの歌はわかりやすい。久我さんでなくても作れそうだ。

                (でも、好き。親しみが感じられるのだ。)

かたや、9首目の3句以下の解釈ができない。解釈ができないのだが、この歌は面白い。

「春の夜の夢ばかりなる」と百人一首をもじって、ウォシュレットに掛ける。しかし、

「白き碁石をいくつも産める」がわからない。わからないが、この二物衝撃は成功している

のではないかしらん。

 

5首目の前の歌の詞書には「私にもあった教師としての日々」とある。

教師として「問題を起こさず枠をはみださずただ目の前の仕事をこな」した日々は幸せだった

のだろうか。否、苦痛だったように思えるのだが。

 

4首目、6首目が本来の自然体の久我さんのようでもある。

4首目の結句「はりたふしたろ」。6首目の下の句「三三九度は二度とするまい」の

啖呵が気持ちいい。この反骨精神は教師時代には眠らせていた(?)のではないだろうか。

もう、誰はばかることはない。

 

「高齢者の仲間入りをしてしまった」(「あとがき」)のだから、これからは

「短歌なんてつまらないものさ、だから一生懸命やるんだよ。」(「帯」)と。

「含蓄と短歌への愛ーー」を、わたしもまた肝に命じつつ。

 

 

           地中海叢書第九三六篇

           2020年9月20日初版発行

             3000円+税

 

 

 

 

   

2020年10月27日 (火)

『亀さんゐない』池田はるみ歌集 短歌研究社

『正座』から5年、著者の第七歌集。

池田さんの歌を読むと心がほんわかとなる。

池田さんはいつもころころと笑っている。

歌人のなかでもキャラの際立つひとだと思う。

 

   ゆふぐれに足をひらいて立つてゐる七歳(ななつ)と五歳(いつつ) 私の孫よ

   亀さんは大くすのきの下が好き ゆつくりゆつくり来たりしものを

   あ、すずめ向かひの庇を歩いてる四羽が一列縦に並びて

   天才は凡才をきらひ 凡才は天才をきらふ 凡才が好き

   ひとり来てなにかを思ひ帰りゆくさういふ場所がわたしにもある

   七十の新婚だつた岡井さんを知らんふりして見てゐしわれら

   三月は七十代の一年生さつそくに傘置き忘れたり

   老年をさびしいものとおもふひと解放されたと思ふ人ゐて

   秋の日はとほくのひとがひそひそと近づきてくるこの世のわれに

   いま何が起こつてゐるのか分からない不安のなかに立ちつくすなり

   

決して愉しい歌ばかりではないのだが、池田さんの歌を読むと情(こころ)がじんじんと

わたしの心臓にひびいてくる。

5首目の歌を読むと、池田さんもそうなのか、と安心をする。「さういふ場所」を持っている

ひとは孤独ではない。「さういふ場所」で英気を養っている?のだ。(違うかな)

 

8首目の歌、「解放されたと思ふ人」は、きっと精神的に強い人だろう。

さびしい、さびしいと思いながら暮らすのは、寂し過ぎる。

電車に乗っていて、不意に涙が零れることがある。脈絡もなく、涙が零れたりする。

つれあいが亡くなったことも「解放された」と思えるようになればいいのだが……

 

 

            令和2年9月3日 印刷発行

              3000円+税

 

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             キバナコスモス

 

 

 

 

 

      

 

 

2020年10月26日 (月)

『さようなら、猫』井上荒野 光文社文庫

猫たちが織りなす9つの物語。

 

     自分の猫

     わからない猫

     赤ん坊と猫

     降りられない猫

     名前のない猫

     ラッキーじゃなかった猫

     他人の猫

     二十二年目の猫

     さようなら、猫

 

いずれの物語も猫を主題としながら、そこに複雑な人間模様が描かれている。

それもハッピーエンドの物語でなく、意表を突くような仕掛けがあり、読み手を

あらぬ場所へ連れて行ってしまう。

たとえば3話目の「赤ん坊と猫」の妹・園美の行動。妊娠八カ月の体で静岡から東京まで

三時間近くかかってジープを運転して猫を預けに来る。そして、結局また連れて帰る。

連れて帰ったものの、義弟の電話では猫なんて飼っていないし、一度も飼ったことがない、

と言う。妹は何のために猫を預けに来たのだろう。何がしたかったのだろう。

 

この9つの物語の初出はいずれも「小説宝石」での連載であり、2013年9月光文社から刊行

されている。

 

井上荒野の小説は読みだすと、嵌まってしまう。

起承転結がはっきりした小説ではなく、起承転転(笑)と、いったところか。そこが醍醐味でもある。

アットホームな匂いに遠いところで、繰り広げられる万華鏡? とでもいおうか。

 

 

                 解説 藤田香織

               2017年6月20日 初版第1刷

                  680円+税

 

 

 

☆    ☆     ☆

サイドボードの中を整頓していたら、2本の赤い液体の入った瓶が出てきた。

匂いはアルコールだけど、かなり古いものみたいだ。

流しで壜を開けるとドロドロとした液体。一つは木の栓だったのでワインだろうか。

コーヒー茶碗セットやワイングラスなど大半を処分。

すっきりと簡素に暮らしたい。

 

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                秋明菊

 

 

 

         

              

        

                

 

2020年10月22日 (木)

ご案内 百道クラブ陶友展  福岡県立美術館1F展示室

ご案内が遅くなりました。

 

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               2020年10月20日(火)~10月25日(日)

                  10:00~18:00

                    福岡県立美術館1F展示室

          福岡市中央区天神5-2-1

                

                            

     趣味の陶芸でつながった仲間による「個性あふれる意匠を凝らした」

     「素朴な」「身近に置いておきたい」作品の数々を楽しんでください。

 

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   なお、展示のみで即売はいたしておりません。

   (歌友、Tさんの娘婿さんが出展しており、代表者でもあります。

    私は21日、みなさまがたの作品を鑑賞して来ました。)

 

 

 

 

 

 

                                

 

 

2020年10月21日 (水)

『そこへ行くな』 井上荒野 集英社文庫

第6回中央公論文芸賞受賞作。

初出は「小説すばる」の2009年から2010年にかけての掲載など。

 

    (略)行ってはならない、見てはならない「真実」に引き寄せられ、

    平穏な日常から足を踏み外す男女を描いた七つの物語‥‥

 

と、表紙裏ページに解説?されているが、ともかく著者の想像力、構想が並外れて

いて、読みながら怖くなったりしている。

読後、ほんわり温かくなるような小説ではない。ミステリアスであったり、意表を突いたり

読み手を知らない場所へ導く。

 

      女性に年を聞いちゃあ失礼かねぇ?

      お子さんがいるかどうか聞いちゃ失礼かねぇ?

 

と、言いながら、しっかり聞いてくる老女。「団地」

最後の章の「病院」は、小学生のイジメの問題を絡めながら、僕(龍 りゅう)の母親が

亡くなるまでの日々の物語。

 

 

      ばかじゃねえ? 母親のことなんかみんな関係ないじゃん

      関係ないから、いじめるんだよ。こっちがどんな気持ちでいるかなんて誰も

      考えもしないんだから。キモいって言われるよ。きっと、お母さんが死にそう

      なんてキモいって

 

学校の、クラスのみんな、誰にも母親の病気のことを知らせていない僕。

母親の死後、たまたま開いた母の料理のレシピ。そのレシピの文章の文字の幾つかが

丸で囲まれていた。その文字を繋いでいくと、 し、 に、 た、 く、 な、 い、

どの繋がりも同じ言葉を作っていた。

 

この最後の章の「病院」は、初出が集英社WEB文芸「レンザブロー」2010年11月、12月に

掲載されたものである。

 

この「病院」には、泣いた。

涙が出て、止まらなかった。

 

 

                解説 鹿島 茂

                2015年6月6日 第3刷

                  620円+税

 

 

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                          朝焼けの雲 2020年10月21日 6:20

 

 

 

 

 

 

 

 

           

              

 

 

 

 

 

 

 

              

                 

      

 

 

 

 

2020年10月20日 (火)

『役にたたない日々』佐野洋子 朝日文庫

2010年11月5日に亡くなられた佐野洋子さんの日記体のエッセイ。

名言があちこちにあり、至言にうーむと唸る。

そして、せつなくなる。

 

      2005年冬

                母さん、私しゃ疲れてしまったよ。母さんも九十年生きたら疲れたよね。

      天国に行きたいね。一緒に行こうか。どこにあるんだろうね。天国は。

      あら、わりとそのへんにあるらしいよ。

 

      2005年春

      (筋肉の痛みは)

      若いころは一晩寝れば治った。もう少し若くないころは筋肉が次の日に

      痛くなった。もっともっと若くなくなると筋肉は二日程たって痛くなった。

      えっと思った。

 

(筋肉の痛みは加齢するに従って後付けで襲ってくるようである。そのことを知ったのは

 9月に天拝山に登った時だった。息子から「母さんは明日より明後日あたりに筋肉が痛く

 なるよ」と言われたからだ。えっと思った。そんなことちっとも知らなかった)

 

      2006年冬

      私はわかった。人と付き合うより自分と折り合う事が一番難しいのだ。私は

      自分と折り合えなかったのだ。六十年くらい。私は自分と一番絶交したいのだ。

 

      2007年夏

      このごろ私は何かしょうと思って立ち上がる。立ち上がった瞬間、何のために

      立ち上がったのか忘れる。呆然と立ちつくす。日に何度もである。呆然と立ち

      つくす。母が呆然と立っているのに私が気がついたのが、母の痴呆の始まりだった。

 

佐野さんは乳ガンになって余命2年と告げられ、1千万円くらいの費用が掛かることを知り、

抗ガン剤をやめ、なるべく普通の生活が出来るように頼みこむ。そして、90歳まで生きる積もりで

していた貯金をがんがん使う。イングリッシュグリーンのジャガーを「それ下さい」と。

 

「生きていれば、死ぬのだ」と伝えてくれる本、ということを解説の酒井順子さんも書いていたが、

〈死〉を思うことは、ただいまの〈生〉を充実させることでもあろうか。

 

 

                解説 酒井順子

              2010年12月30日 第1刷発行

                580円+税

 

 

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2020年10月19日 (月)

『人は思い出にのみ嫉妬する』 辻仁成  光文社文庫

交通事故で亡くなった周愛麗の残した言葉。

恋人・戸田がいまでも周愛麗を忘れかねているのではないかと葛藤する栞。

 

     その人のいい思い出になることが出来れば、人は、

     永遠を生きることが出来る。

 

亡くなったひとに、亡くなったひとの言葉に、翻弄される栞。

栞は戸田との関係を断ち切るために上海への転勤を希望する。

そして、戸田を忘れるための最善の方法は「羽目を外すこと」だった。

幻に対して焼き餅を焼いてしまうより‥‥

 

     思い出は厄介だが、人間が死ぬまで持ちつづけることの

     出来る宝物である。

 

 

第一部 HAKATA

第二部 SHANGHAI

第三部 HAKATA

「後書き、栞のその後」

            と、舞台が博多から上海へ、そして博多へと……

            

            

                解説  道端カレン

             2010年6月20日 初版1刷発行

                  495円+税

 

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2020年10月16日 (金)

季節の便り(63) もふもふコキアレッドシーズン  海の中道海浜公園

教室が終わって、もう今日しかないと思い、海の中道海浜公園に

コキアを鑑賞に出掛けた。

 

海浜公園の花の丘には約20000株のコキアがいままさに紅葉の季節。

こんなに沢山のコキアを観るのははじめて。

和名は、ホウキギ。円錐形で茎葉が茂り、緑色が秋には紅葉する。

ショッキングピンクともいえるような派手なピンク。

 

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西日本最大級のコキアの花畑らしい。

観る価値があり。

 

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                           コキア、コキア、コ〜キ〜ア〜 ♪ ♪

 

                  

 

                 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

2020年10月15日 (木)

苦しみのきはまるときに‥‥津田治子

『九州の歌人たち』(現代短歌社 2018年3月刊)で、津田治子を担当し

執筆したのは私だが、当時とうとう行くことが出来ずに終わった津田治子の歌碑のある

呼子へ行って来た。

 

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        苦しみのきはまるときにしあはせの

        きはまるらしもかたじけなけれ

         

呼子町の国民宿舎呼子ロッジの庭だと思っていたが、国民宿舎はすでに

旅館「尾上」に代変わりしていた。海を背にして建っている。

歌碑の歌は『津田治子全歌集』によると、昭和38年の作品である。

傍らには「歌人 津田治子 略年譜」の碑も建っていた。

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呼子まで来たのだから、まだ1度も行ったことがない波戸岬まで足を伸ばす。

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          唐津市玄海海中展望塔へ

            海底7Mをサンポする。

            そこは自然の「水族館」

 

 

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         海・海・海に癒された1日だった。

 

呼子での「漁火」のイカ刺し定食も美味しかったし、波戸岬での栄螺の壺焼きも

美味しうございました。

 

 

 

 

 

 

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