2018年11月19日 (月)

『鋼』 平山公一歌集 いりの舎

歌集題の『鋼』は、〈はがね〉ではなく〈かう(旧仮名遣い)〉である。

「長く製鉄会社に勤務したこともあって」と、その理由を「あとがき」に

記している。著者の第二歌集。

    膝が触れる肩が押される鞄が当たる 窓枠押さへラッシュに耐ふる

    千二百キロ離れて夜を共にするひと時のために聴くヴィヴァルディ

    会社の名前ニュースに出たよお父さん仕事はあるのと娘問ひくる

    月二日の一時帰休は二日間の失業なると子等には言はず

    忘るるとは心なくすこと忘れずして生きてはゆけぬ澱だけ残し

    休日の予定は歌会ばかりなり妻の小言を背(せな)に受けつつ

    二万五千労働者と一万の警察が対峙の日あり貯炭場(ホッパー)を

    めぐり

    東京のミンミン蟬は哀しくて息尽きるごと鳴き止みにけり

    書き直し書き直し書くふるさとの両親への便り「土地を買ひました」

    五十二歳の退職届自らの意志のごとくに書かされてゐる


善良な、極めて真面目な、日本の、一市民の、サラリーマンの、

哀歓のこもる一集である。

「身辺詠」と言う時、少なからず揶揄の思いも含まれたりするが、その

身辺詠こそが著者の〈生〉を如実にあらわしているとも思う。

生きるとは、一日一日の積み重ねなのだ。


3人の子どもの成長に一喜一憂し、出向や転籍に耐えながら家族を

護ってきたのだ。


7首目の歌は、「三池閉山」の章の一首。

9首目の歌を読んだ時、わたしは涙が零れた。

「がんばったねぇ」と、その両親ならきつと言うに違いない。


本集の特徴は全歌にナンバーが振られている。

482から最後の歌が952番。前歌集は481首収めていたのだろう。

巻末に全歌の初出一覧まで設けてあり、かなりの念の入れようである。

このような試みを拝見すると、歌集に対する愛着のほどが伝わってくる。

                         2018年9月25日発行

                         2500円+税

cat           cat

16:15  窓の向こうの高架橋をピンク色の新幹線が走って行った。

なに、なに、なんなの ?

初めて見た新幹線のカラー。

500系 ハローキテイ らしい ?

南福岡駅の操車場から博多駅まで走ったのかしらん。

なんだか夢のある色だった。

 

2018年11月14日 (水)

「壊れた自我の補助具」 上野千鶴子  朝日新聞

朝日新聞の2018年11月11日の「うたをよむ」は、上野千鶴子さんが

執筆していた。

その中で印象深かったのは、岡井隆さんから言われたひとこと、

「上野さん、あなたはきっと帰ってくる‥‥」

この意味することは、短歌の世界に戻ってくるということだ。

上野さんは、その言葉を「岡井の呪い」などと、茶目っ気たっぷりに書いて

いるが、岡井さんは今迄数多くの「帰ってきたひとたち」を知っているから

でもあろう。


短歌ってほんとうに不思議だ。

一度その「毒と蜜(笑)」を吸ってしまうと、忘れたつもりでも、ある日ふと

その味のことが思い出される。そして、〈原点〉に立ち戻ったりする。

良かれ悪しかれ、そんな摩訶不思議なものを秘めているのが三十一文字の

定型ともいえる。

上野さんは故・鶴見和子さんの例をあげながら、若い頃佐佐木信綱に師事

して学んだ短歌を晩年になって再開した鶴見さんのことを書いている。


      半世紀死火山なりしを轟きて煙くゆらす歌の火の山   鶴見和子




      認知症ケアで有名な故小澤勲医師が、自分たちのやっている

      ことは 「自我の補助具」を提供することだと言う。老眼には

      眼鏡が、難聴には、補聴器がある。それなら認知症によって

      壊れた自我にも、補助具があってもよい。   

                                上野千鶴子の文より


上野さんの講演 ?  を一度聴講したことがある。

もう、30年以上も前のことかも知れない。福岡市の城南市民センターだった。

データーを駆使しての講義で、上野さんのブレーン ?  の方々が生き生きと

補佐をしていた。わたしはと言えば、内心そんなデーターの話ばっかりでは

つまらん ! などと、生意気にも思っていたのだ。



上野さんはそのご、あれよあれよというまに立派な学者さんになられた

みたいだ。

そうして、このたびの「うたをよむ」を拝読して、上野さんの上に過ぎた歳月、

そして、わたしの上に過ぎた年月を思ったりした。






上野さん、良い文章を読ませていただきました。

短歌が「壊れた自我の補助具」になってほしい。

自我を支える強力な補助具になるだろう‥‥と、思いたいです。



2018年11月13日 (火)

季節の便り ⑰ 黄花野路菊

たわむれに庭に植えた黄花野路菊の花が殖えて殖えて、‥

と、U さんが花束にして持って来てくださった。

庭のないわたしには羨ましい話である。


帰りの車の中で N  さんが玄関に黄色の花を飾るといいらしいですよ、

と告げる。風水 ? のことはよく知らないけど、黄色の花は元気が出てくる

ような気がする。



帰宅して早速あちこちに飾る。

父母の遺影のそば、玄関、キッチン、それでも余るくらいの量だった。

U さんの気配りというか、やさしさは、その花束の外側にハランを10枚くらい

入れていたことだ。そして、真っ赤な葉っぱが2枚、今夜はそれをコースター

がわりにした。柿の葉っぱかしら。



ハランの2枚は、明日のお弁当をおにぎりにして、これで包もう。

いえ、わたしのお弁当でなく連れ合いのだ。

彼は食堂に食べに行くのを嫌がる。コンビニでもお弁当屋さんでも

売っているのに、それをしない。

従ってわたしが作るしかない。

作るためには6時には起きないといけない。

なんだかなぁ、とぼやきつつ、20年以上お弁当を作り続けている。


さて、さて本日のテキスト歌集は米川千嘉子さんの『牡丹の伯母』。

牡丹を「ぼうたん」って読むのですよ、と言うと何々という顔をする人が

いる。ホラ、音数合わせのために「ホタル」を「ほうたる」って言ったり

するの。そう言うと、じゃあ3音の名詞はなんでも伸ばしていいのですか ?

などと、とんでもないことを言い出す人もいる。


歌会はたのしい。

知らないことを毎回一つ二つは覚えて帰る。

本日の好評だった歌は下記。


     見つからぬ子を捜すため潜水士となりたるひとの閖上の海

     母性は国家のものとして保護すべしとぞらいてう言へりスマホ

     なき頃            

          『牡丹の伯母』 米川千嘉子歌集   (砂子屋書房)

2018年11月12日 (月)

映画   旅猫リポート   福士蒼汰主演

このところのストレスを宥めるために映画を観に行った。

10月の岩合さんの写真展も期間中に行くことが出来なかったので、

その埋め合わせでもある。

有川浩のベストセラーの映画化らしい。



ネコ好きの青年・悟を福士蒼汰が演じている。

事故に遭った野良猫を保護し、飼いはじめる。

しかし、その猫のナナを事情あって、手放なさなければならない。

新しい飼い主を探すためのナナと二人? で旅に出る。




ナナの声役は高畑充希。

高畑の声がナナにハマり役だった。


          七色の虹

          ナナの虹


墓参に訪れた丘の上より見た虹。

菜の花畑のシーン。


映像も美しく、福士蒼汰の切れ長の目が印象的。

おばさん役の竹内結子も好演していた。



思わず2、3度泣いてしまった。

映画を観ながら泣いたのもひさしぶり。

ネコ好きのかたも、そうでないかたも、観ると心が浄化される、

と、思うんだけど…

2018年11月 7日 (水)

日本郵便さんへ

10月31日に福岡市博多区より発送した85枚の「郵便はがき」

同市内東区に届いたのが11月7日の本日。



11月1日に福岡県古賀市から送ったスマートレター(180円)は、

博多区のわがやに届いたのが11月5日。

このスマートレターは急ぎの〈校正資料〉だったために、

印刷屋さんに再送してもらうべく手配した。

再送は、古賀市を11月5日に発送して博多区のわがやに届いたのが

7日。:結局、このスマートレターは不要になった。


このところ日本郵便さんは遅配が続いている。

以前は同市内なら、次の日には着いていたし、九州内でも場合によっては

翌日には着いていたのに。


10月31日に発送した85枚の郵便はがきは、「文化の日」までには、

全九州に届くだろうと、よろこびを込めたつもりだったのに…

沖縄の方が早く着いたり、九州内でもバラバラ。

田川のかたは6日に着いたそうな。


「郵便局間 ドローン配送」って、本日の夕刊に掲載されていたけど、

お願いだから、日々の郵便物をもっと確実に、滞りなく配ってくださいな。

お願いですから…

2018年11月 6日 (火)

「八雁(やかり)」   2018年11月

「八雁」の批評が充実している。

今号は、「不惑知命篇批評特集」。

鵜飼康東氏と、遠藤由希さん、佐伯裕子さんが執筆している。

遠藤さん、佐伯さんのお二人の批評はとても丁寧で、心が騒立たないで、

納得したり共感したりして、読了。




鵜飼氏とは1度何かの会でお会いしたことがあるが、なかなか鋭敏で

その放つ言葉も切っ先鋭い。



今号の「形容詞と副詞に配慮されたし」というタイトルが示すように、

かなりな〈上から目線〉(笑)的な批評になっている。

傍観者として読むには愉しい ? が、斬られた作者自身はどうだろうか。


鵜飼氏は佐藤佐太郎の信奉者で ?   かなりな昔、角川短歌賞を受賞

している。(調べてみたら、第20回 「テクノクラットのなかに」だった。) 

この時の受賞の言葉がなかなかショッキングだったように記憶している。

もう40年も前なのか。



今号の氏の批評の文体は「です・ます調」で書かれているものの、その

棘が喉に刺さったり、からだをチクチクと刺したり‥(笑)

でも、いまどきこのように過激な文章を書く人がいなくなったので、

刺激剤にはなっている。


わたしは、鵜飼氏の大半に賛同しつつも、やっぱり、作者の立場に

仮定すると、いたたまれない。





なお、阿木津英さんの「石田比呂志資料集 四十二」

地味な文章ながら、たいせつなことだと思う。

こうして書きのこすことは、先人を敬うことでもあるのだ。

 

2018年11月 5日 (月)

季節の便り ⑯  イタヤカエデの紅葉

近くの学園のイタヤカエデの紅葉が美しい。

文具舘まで行き、帰りにしみじみと仰ぐ。

昨年は英彦山に紅葉狩りに行ったのだが、今年はそんなゆとりもない。

曽根の櫨並木も紅葉していることだろう。


一日がまたたくまに過ぎていき、今日は何本の電話を受けたことか。

そのあいまに投稿歌の冊子の校正をする。



脇芽を挿し木したミニトマトが枯れずに今もみどりが青々として、

まだなっている。(抜いてしまうこともできない。)

ワサビ菜がたくさん芽生えている。

こぼれ種が芽生えたのだろう。



本日の労働(笑)、 大きなタオルケットを2枚洗ったこと。

秋陽に乾いていく洗濯物を眺めながら、生きていることを実感している。

わたし、生きている。

2018年11月 4日 (日)

映画 ビブリア古書堂の事件手帖

黒木華が主演と知り是非観たくなった映画。

鎌倉でひっそり営む古書店という設定もなんとなく惹かれる。

ベストセラー小説の映画化らしい。

夏目漱石の『それから』や太宰治の『晩年』の古書がミステリーの

素材となっている。このミステリー仕立てがいまいちよく呑み込めなかった。




黒木華はビブリア古書堂の女店主。

古書を扱う手つきが実にいい。

彼女の所作は絵になっていた。

鎌倉の街をもっともっと写してほしかったのだが、景物はあまり

写していなかったみたいだ。


青年・大輔を野村周平が演じていた。

まっすぐな眼差しに清潔感がただよう。



「旅猫リポート」の方も観たかったのだが、2本もたて続けに観るのは

どうも‥‥

2018年10月31日 (水)

「今、もっとも関心をもっている歌人」 山下 翔    梧葉 秋号

山下 翔 さんが「今、もっとも関心をもっている歌人」に、長谷川銀作を

とりあげていた。

山下さんらしい選択に「なるほど、なるほど」と、よろこびをもって読了。

この地味さというか時流に阿らないところがいい。

いや、おもねらないというより、むしろ、逆らっているような選択に彼の

意思や意志を感じてしまう。


歌の解釈もへんに高等的でないし、自身のことばで綴っているところに

好感がもてる。

やっぱり、山下さんのセンス(笑)は、いいな。


cat      cat

本日は出来上がった「楯」の確認に行く。

選者選の楯はいままでにない斬新なものになった。

見てのおたのしみというか、頂いたかたのよろこびになりますように。


それにしても、きょうは迷子になりそうだった。

賞状を入れるためのクリアファイルをパッケージセンターまで買いに

行ったのだけど、あいにくなくて、出たとたん方向がわからなくなって

しまった。大橋の街をあっち行ったり、こっち行ったり、泣きそうになった。


疲れて帰宅したわたしだったが、夕方、M さんがものの見事に30分も

かからずに、スマホでお店を探 し、必要量の予約を入れてくれた。

なんとも手際のいいこと。

もう、これからはなんでも M さんに相談しょう。

2018年10月30日 (火)

「ギンナンと茂吉」 風車   西日本新聞  2018年10月30日   

ペンネーム(竹若丸)さんの「風車」のコラム を読む。

大正9年秋、斎藤茂吉が佐賀県の古湯温泉に湯治に行った折のこと。

その日録には、「山の祠の公孫樹の下には、いつしか黄色に熟した銀杏が

落ちはじめて、毎朝、それを拾うのを楽しみ」を引用し、次の歌をあげて

いる。

       けふもまた山に入り来て樹の下に銀杏ひろふ遊ぶが如く


ところが、そのイチョウの枝に「ギンナン ヒロフコトナラヌ 持主」という木札が

下げられた…(略)


この話は中公文庫の『日本の詩歌』 (8 斎藤茂吉)の書で読んだ時、

面白い話だと記憶に残っている。



そして、何より古湯温泉といえば、過ぎし年「未来福岡歌会」の皆さんと

訪れたからだ。招聘していた大島史洋さんの希望もあり古湯温泉まで

行ったのだった。

当日は鳥栖駅からマイクロバスをチャーターした。

       ほとほとにぬるき温泉(いでゆ)を浴(あ)むるまも

       君が情(なさけ)を忘れておもへや      茂吉


古湯温泉の茂吉歌碑の前でみんなで写った写真を見ると、2014・4・6

とある。

あれから、もう4年も過ぎている。

五所美子さん、村山寿朗さんの顔も見える。香椎教室のMさんの顔も、

「陽だまり短歌会」のNさん、Tさんの顔も。

「茂吉通り」の矢印に沿って歩いたこと。

昼食のあと、歌合わせをしたこと。

みんな、みんな、懐かしい。


「風車」執筆の(竹若丸)さんって、たぶん、わたしが知っている人だろうな  ?

ずいぶん昔、短歌のことで尋ねたいことがあると、電話があった人みたいだ。

違うかな   ?

作家さんでもあるし…


こんやはなんだか懐旧の念しきりである。

«『短歌』 2018年11月号  角川文化振興財団