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2014年6月26日 (木)

柘榴忌(2)

今日は北九州の歌会へ。

終って、北九州市立文学館のーモンゴメリと花子のー「赤毛のアン展」へ。
いつもの企画展より入館者が多いように感じた。
モンゴメリの直筆原稿が展示されていた。


さて、前回の「柘榴忌」の続きであるが、ここで、鶴逸喜(つる いつき)さんの
略歴を紹介したい。


  1928年(昭和3)4月29日、熊本県芦北郡にて出生。
  1945年( 〃20)肺結核にて療養、この頃から作歌。
  1950年( 〃25)熊本の国立療養所、豊福園入所。
  1952年( 〃27)福岡の「ゆり短歌会」に入会。
  1955年( 〃30)第1回角川短歌賞候補、「病室より」作品7首掲載される。
  1956年( 〃31)第2回    〃   「山の上の療養所」作品14首掲載される。
  1960年( 〃35)第6回    〃   「火焔樹」作品50首掲載される。
  1964年( 〃39)豊福園退所、原口文子と結婚。
  1968年( 〃43)ゆり賞受賞。
  1969年( 〃44)福岡市に転居、鶴印房開業。
  1975年( 〃50)未来短歌会に入会。
  1977年( 〃52)6月26日、心筋梗塞にて客死す。享年49歳。

  1977年(昭和52)12月25日、葦書房より『火焔樹』が刊行されたが、
            遺歌集となってしまった。

鶴さんは、角川短歌賞に何度か応募したが、結局、受賞には至らなかった。
そのあたりのことを「牙」の歌誌(昭和54年6月1日発行№66)にて、
「鶴逸喜三回忌特集 遺歌集『火焔樹』評」を行っている。
久津晃・山埜井喜美枝・井手多佳子・佐々木和彦、恒成美代子の5名による
合評形式で司会は、櫟智明。

     *死ぬべきはおおよそ死にて春となりし空をわたりて光る風吹く
                                     『火焔樹』

  山埜井「……略 鶴さんがどうしても、ひとつぬけられなかったものが、
       その頃の歌にすでに出ていて、いわゆる〈光る風〉というふうな
       もの…。ただ風が渡ってゆくというだけで、この歌すごくいい歌と
       思うんですよ。そこに〈光る〉というふうに、どうしてもでてしまう
       ようなものが、鶴さんをどこかで足ぶみさせてしまったんじゃ
       ないかと思うんですよ。鶴さんが早くから名前が出ていながら、
       とうとう、その、まあ有名、無名というのはおかしいんですけど、
       力以上に認められることはなかった。あるいは、力以下にしか
       みられなかったというのが、やっぱりね。そこをとうとう、鶴さんが
       踏み越えなかったこと。……略」
 
                                      「柘榴忌」つづく…

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