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2014年6月

2014年6月29日 (日)

『大事なことはみーんな猫に教わった』 スージー・ベッカー  飛鳥新社

谷川俊太郎訳の平成3年に出版されたもの。

イラストレーターでもあるスージー・ベッカーの絵がたのしい。
童話のような、漫画のような一冊である。

  *過去にあんまりこだわらないこと。

  *呼ばれるたびに、行かなくてもいい。

  *寛容であれーーでもあまり言いなりになってもいけない。

  *愛情は態度で示せ。

等々、猫のビンキーに教わった「生きる智恵?」が満載。

今日のわたしは、呼ばれるたびに行くことは、やめたとよ。うふふ。



  P・S 本日の朝日新聞朝刊に『介護はつらいよ』の大島一洋氏が
      つらそうでもない顔をして、写真におさまっていた。
      この本、売れるといいですね。

2014年6月28日 (土)

ガブガブの木

「ガブガブの木って、何なの」「植物図鑑で調べても出てこないよ~」

別府のKさんから電話があった。
彼女は知識欲旺盛、好奇心も人一倍ある。
だけど、インターネットはしない。

「ごめん、ごめん。」と、先ずは謝る。
「ガブガブの木」って、実在しない仮想空間の植物だから、ね。
某飲料メーカーのホームページで見かけたゲームなのだ。

あろうことか、これにはまってしまい、毎日毎日「ガブガブの木」を育てている。
一日にすることは、①水やり ②肥料 ③草取り 
ご褒美に、ポイントが貰える。

ガブガブの木には、いろいろなコースがあり、「はじまりの木」「しあわせの木」など。
いま、わたしは「クリスタルの木」を育てている。

他にもゲームがあり、頭休めに(なっているのか?)、 遊びに行く。
お陰様で(笑)、ポイントが、ただいま745240ポイント。多過ぎるかしら。


   *吉田類のテレビ観てゐる傍らにガブガブの木を育ててゐます
                          『短歌』2014年7月号

2014年6月27日 (金)

柘榴忌(3)

歌集『火焔樹』鶴 逸喜  葦書房 昭和52年12月25日発行

この歌集は鶴 逸喜(つる いつき)亡きあと、加藤滋、加藤悟、加野喜久親、
浜崎毅、恒成美代子によって編まれ、跋文を加藤滋が書いている。

生前、準備を進めていたにも関わらず、結局、この歌集を鶴さんは、目にすることが
出来なかった。ある時は自分自身のことを「無冠の帝王」などと、冗談っぽく言い、
笑わせていたりもしたが…。


歌集後半の、3「朱肉染む指」昭和40年~昭和52年 のなかから15首だけ紹介したい。


  *三十七年ただただ暗く生きて来ぬしあわせといえば妻を得しのみ
 
  *蝶よお前の飛翔をぼくに呉れないか何より遁れたいというのでもないが

  *少しずつ殖えゆく預金通帳を妻はよろこびわれははかなむ

  *秋蝶をふたたび見失いてより不憫の妻へ心をもどす

  *確信をもちて言い得るただ一ついかなる戦いもわれは拒否する

  *人の死もわが生業の支えにて刷りし訃報を届けに行くも


  *くれないの舌ひたひたと水なむる夜中の猫もわが小家族


  *病みて得しものに妻あり小さき店守(も)りつつ共に片肺持たぬ

  *花柘榴(ざくろ)咲きのこりつつ目ばかりが大きくなりてわがおんな痩す

  *人間の顔もつ故に人間であらねばならぬ夜の橋渡る

  *尻冷ゆるまでを厠にかがみいてさもしく金のこと想いいつ

  *考えた末にやっぱり墓だけは故郷(くに)に残しておくことにする

  *脱糞を終えし仔猫のおのずから足らえる貌は塀に添いゆく


  *戦争(いくさ)より持ちかえりたる一ついのち生くる限りは病まねばならぬ

  *技術もつ者は羨(とも)しなど何を言う病みてぎりぎりに得し職なるに
 

2014年6月26日 (木)

柘榴忌(2)

今日は北九州の歌会へ。

終って、北九州市立文学館のーモンゴメリと花子のー「赤毛のアン展」へ。
いつもの企画展より入館者が多いように感じた。
モンゴメリの直筆原稿が展示されていた。


さて、前回の「柘榴忌」の続きであるが、ここで、鶴逸喜(つる いつき)さんの
略歴を紹介したい。


  1928年(昭和3)4月29日、熊本県芦北郡にて出生。
  1945年( 〃20)肺結核にて療養、この頃から作歌。
  1950年( 〃25)熊本の国立療養所、豊福園入所。
  1952年( 〃27)福岡の「ゆり短歌会」に入会。
  1955年( 〃30)第1回角川短歌賞候補、「病室より」作品7首掲載される。
  1956年( 〃31)第2回    〃   「山の上の療養所」作品14首掲載される。
  1960年( 〃35)第6回    〃   「火焔樹」作品50首掲載される。
  1964年( 〃39)豊福園退所、原口文子と結婚。
  1968年( 〃43)ゆり賞受賞。
  1969年( 〃44)福岡市に転居、鶴印房開業。
  1975年( 〃50)未来短歌会に入会。
  1977年( 〃52)6月26日、心筋梗塞にて客死す。享年49歳。

  1977年(昭和52)12月25日、葦書房より『火焔樹』が刊行されたが、
            遺歌集となってしまった。

鶴さんは、角川短歌賞に何度か応募したが、結局、受賞には至らなかった。
そのあたりのことを「牙」の歌誌(昭和54年6月1日発行№66)にて、
「鶴逸喜三回忌特集 遺歌集『火焔樹』評」を行っている。
久津晃・山埜井喜美枝・井手多佳子・佐々木和彦、恒成美代子の5名による
合評形式で司会は、櫟智明。

     *死ぬべきはおおよそ死にて春となりし空をわたりて光る風吹く
                                     『火焔樹』

  山埜井「……略 鶴さんがどうしても、ひとつぬけられなかったものが、
       その頃の歌にすでに出ていて、いわゆる〈光る風〉というふうな
       もの…。ただ風が渡ってゆくというだけで、この歌すごくいい歌と
       思うんですよ。そこに〈光る〉というふうに、どうしてもでてしまう
       ようなものが、鶴さんをどこかで足ぶみさせてしまったんじゃ
       ないかと思うんですよ。鶴さんが早くから名前が出ていながら、
       とうとう、その、まあ有名、無名というのはおかしいんですけど、
       力以上に認められることはなかった。あるいは、力以下にしか
       みられなかったというのが、やっぱりね。そこをとうとう、鶴さんが
       踏み越えなかったこと。……略」
 
                                      「柘榴忌」つづく…

柘榴忌(1)

1977年(昭和52)6月26日、わたしのもっともたいせつなかたが亡くなられた。

49歳の若さであった。亡くなられたのが旅先のホテルであったことが衝撃だった。
前夜、そのかたから電話があり、近々刊行する歌集のことを話し合ったばかりで
あった。わたしはそのかたの歌集原稿を預かり、清書していたところであった。


  *今生に逢ふことならぬ忌のきみよ朱きはまりぬ柘榴の花の
                 *               *鶴 逸喜忌
  *朱色の柘榴の花が好きだつた 摘(つま)みはいつも枝豆だつた
                             『ひかり凪』1997年

     鶴逸喜(つる いつき)さんは、1977年、49歳で亡くなられた。
    わたしに短歌の手ほどきをして下さったかたで、押しかけ弟子になって
    6年のちの死であった。鶴さんからたくさんのことを学んだ。それは、
    多く作歌することの姿勢であったし、人間として生きる根源的なものも
    含まれていた。                『うたのある歳月』2010年

鶴さんが亡くなられて、あれから今年で37年。
わたしは、鶴さんの亡くなられた日を密かに「柘榴忌」と命名して、
偲んでいる。小さな花だが、朱色がひときわ鮮やかで、
「個我」を主張しているような花。

鶴さんはことのほかこの花が好きであった。
柘榴の花が咲くころ、鶴さんの命日が訪れる。


今年も、わたしはこの目で柘榴の花を確かめることができた。

2014年6月24日 (火)

『介護はつらいよ』 大島一洋  小学館

定年退職した63歳の私(著者・一洋)が、東京に妻子を残し単身、

93歳と88歳の両親を介護するために田舎暮らしをする7年半の記録である。

帯に「壮絶だけどなぜか明るい小説のような実録」と、書かれていたが、
厳格(頑固)な父とひょうきんな母との会話が介護にありがちな暗さや
鬱陶しさを払拭しているのは確かだ。しかし、これとて、当事者(介護する者)に
とって、笑える時間というのは限られていたことだろう。

集中、かなり詳細に金銭に関わることまで記されているのは参考になる。
たとえば、葬儀費用・香典の額・寺への志納金・戒名料など。
老人ホームの料金など、やはり、事前に調べておかないと、年金だけでは
賄えない場合もある。

そして、何より感心したのは、息子である著者が母親の下(しも)の世話までしたと
いうことである。口で言うのはたやすいが、なかなかここまでは出来ない。

わがやも連れ合いは長男だが、母の介護おむつやパッドの交換などしたことは、無い。
照れがあるのか、出来ないようだ。お正月とお盆には施設から母を引き取るが、夜中の
下(しも)の世話は、全て嫁であるわたし任せである。

ただ、この本で残念に思ったのは、両親が85歳を過ぎた頃からでも、老人ホームや
施設などの下見・予約をしておくべきだったと思う。介護には事前の準備がかなり
必要であろう。

わがやの場合は、キャンセルを覚悟の上で「いつかその日」が来るであろうことを
予測して、下見や見学をした上で、4箇所に予約申し込みをしていたことだ。
その4件も57人待ちとか、いつ入れるか分らない状態だった。父が亡くなって、
認知症が進んだ母。体調を崩し、公立病院に入院。退院と同時にグループホームに
入れたのは、予約しておいた1件が功を奏した。あやうい綱渡り状態だった。

ともあれ、介護はつらい。介護は疲れるだろう。
期限が限定でないだけに、一人で背負いこまないことだ。


著者、大島一洋(おおしま いちよう)さんに「お疲れさまです」と、ねぎらいたい。
ちなみに、歌人の大島史洋(おおしま しよう)さんの兄君である。

2014年6月23日 (月)

「塩レモン」作り

国産・無農薬(周防大島育ち)のレモンをたくさんいただいた。

ああ、そうだ、今、話題の「塩レモン」を作ってみようと思いたち
広口の瓶を探す。

まず、瓶の熱湯消毒をする。
レモン5個を、輪切りと乱切りにする。
塩100グラム弱を用意して、広口瓶に塩を敷き、レモンを
入れ、塩と交互に入れてゆく。
これでO・K。あとは時々瓶を振ってやる。
そして、熟成するのを待つだけ。
常温でもいいらしいが、わたしは瓶のまま冷蔵庫へ。

いろいろな料理の調味料として使える。
テレビでも放映されていたけど、今、はやっているそうだ。

2014年6月22日 (日)

朝の目覚め

おはようございます。

今朝も元気に、と言うか、わたしは低血圧なので、目覚めは
ゆるゆるなのですが、まぁ、元気です。

今朝は、胡瓜を収穫しました。30センチ1本と37センチ1本です。
1本だけ浅漬けにしました。
色付いたミニトマトが5個、さっそくサラダに添えました。

朝顔の花が一つ咲いていました。濃いピンク色に白の絞りが入っています。

ゴーヤが5センチほどのが一つ下がっていました。
何日したら食べられる大きさになるのかしら。たのしみです。

雨が少し降っています。
鹿児島の一部では、大雨警報が出ているようです。

2014年6月21日 (土)

優先順位

昨日、今日とわたしは何をしていたんだろ。

昨日は香椎の教室が終わって出てきたら、ロビーに思いがけない人がいた。
あれぇ、って感じだったけど、立ち話で「さよなら」。


「おじさん(?)」の放り出していた本があり、パラパラと捲っているうちに、
本格的に読みはじめてしまった。
そんな時間はないとに、わたしは。


古市憲寿(ふるいち のりとし)『だから日本はズレている』 新潮新書

         リーダーなんていらないし、
    絆じゃ一つになれないし、
    ネットで世界は変わらないし、
    若者に革命は起こせない。       (帯文)

    
    29歳の社会学者が迷走を続けるこの国を冷静に分析。
    『新潮45』に掲載されていたものが元となっている。

   *「おじさん」とは、いくつかの幸運が重なり、既得権益に仲間入り
     することができ、その恩恵を疑うことなく毎日を過ごしている人の
     ことである。

   *人は、今いる場所を疑わなくなった瞬間に誰もが「おじさん」になる。
 
   *「おじさん」とは自分たちの価値観を疑わない人たちなのである。


わがやの「おじさん」は、すでに夢の中。飲んだら眠る…
わたしは、仕事しなくちゃ。
 

2014年6月19日 (木)

『猫から出たマコト』赤瀬川原平 日本出版社

「猫びより」に連載した(2001年夏~2007年5月号)ものを収めているエッセイと写真。

  *猫の命は人間の約5分の1。1年を5年として齢を数える。

  *猫は甘えるのが職業である。生きる道なのだ。

  *猫というのは人間の思い通りにいかないところが猫なのだ。
 
なるほど、なるほどと思う。
添えられた写真が実にいい。
著者の飼っていた猫が「ミヨちゃん」だったとは。


それにしても、今から27年も前のことだが、

      「花の歌が多いからってきみは植物性じゃないと思うよ」

の、長~いタイトルで『季節はわれを』の歌集評を書いてくれたO・Hは、
わたし(歌でなく)のことを、「猫科の闇をひきずって…」と、評した。
若かったわたしは否定も肯定もできず、項垂れるしかなかった。

「猫科の闇」って、なんなんだと思う。
猫にでもきいてみようかしら。

そのO・Hはとっくに短歌の世界から離れてしまったが…
  

2014年6月18日 (水)

夕焼けの空に向かって

久留米の教室を終わって、八女のグループホームの義母の所へ。

久留米からバスで小1時間はかかる。
みんなの居る談話室(リビング)で、テレビを見ていた。
船越英一郎が取っ組みあいをしていたら「まぁ、あげなことをして」と言う。
いつもより分っている。取っ組み合いに怖さを感じたのだろう。
歩けないのにいきなり立ち上がる。「どうするの、どこへ行くの」と言うと
「オシッコ」だって。

本日はかなり体調がいいと思った。
いつもはうつらうつらだしねぇ。
帰り際に顔をくしゃくしゃして泣かれる。
「また、来るけんね」と、あやす。


帰りの電車が筑後川を渡る頃から雲が消えてゆき、日輪が顔を出す。
夕焼けの空を左手に眺めながら帰ってきた。
日が落ちたのは、7時18分。
久しぶりに夕焼けの空を満喫できた。

それにしても、今日は、疲れたったい。

2014年6月17日 (火)

青海島

山口県仙崎に行った歌友から、仙崎かまぼこをお土産に頂いた。

藤光海風堂のかまぼこと竹輪を肴に昨夜は飲んでしまった。
とはいえ、わたしは焼酎を飲めないので、もっぱら梅酒のソーダー割を。

仙崎といえば今では金子みすゞが有名になってしまった。

21歳の夏、父方の里の島根県邑智郡川本に行くために汽車に飛び乗った。
江川(ごうがわ)を見るために…
そこで死んでもいいと思いつめて。

汽車の中で補導されてしまった。
よほど思い詰めた顔をしていたのか。
その人は、大宰府近くの高校の先生で、仙崎に帰省するために
乗り合わせていたのだ。このままこの汽車に乗っても目的地に行けない
ことを諭された。
先生は知り合いの旅館を世話して下さり、実家に帰られた。
翌朝、訪ねてこられ「これからどうするの?」と言う。
死ぬ気力もなくなったわたしに「青海島を案内してあげる」と言われ、
旅館の人にお握りを作って貰った。

青海島には、今では大橋が掛かっているが、当時は船で渡らなければ
ならなかった。水辺で持ってきたぶどうを冷やし、お握りを食べた。
水が透明で、遊ぶ人も見当たらなかった。

あの青海島でのひとときは、歳を重ねた今でもくっきりと思い出す。

1年でも1か月でも、1日でも1時間でも、いのちを長らえたいと思う
現在のわたしなのに。

2014年6月16日 (月)

『なぜ、猫とつきあうのか』吉本隆明 株式会社 星雲社

1995年に発売された、インタヴュー集。

1987年より1993年、即ち、吉本63歳より69歳までの、インタヴューに
こたえたものである。

吉本隆明が猫について語っている、とは言え、そこは詩人であり、
思想家の吉本ならではの洞察力が至るところに顔を見せる。

*「吉本さんは動物も植物もだいたい等しくお好きですか?」

  吉本談  動物と植物とどっちが好きだっていったら、植物の方が
        好きです。でも、これもいいかげんで、好きだったら世話して
        まで育てるかっていうと、いまのところはちょっとそこまではやれないです。
        そこまでやるには、どうもこの社会と全面的に和解していないと、
        いけないような気がするんです。


ね、こうなんだ。「この社会と全面的に和解」なんて、わたしは考えてもなかった。
何しろ、このわたしときたら、植物が好きだしねぇ。



そんなこんなで、この「猫」の本は、猫を素材にして、縦横無尽に会話が広がる。
聞き手から、短歌が切り出された時は、おっ、と思った。
読売新聞の短歌欄で土屋文明が特選に選んだ歌「前の猫と同じ名前をまたつけて
同じ毛色の猫をまた飼う」。


    吉本談 こっちの勝手でもって親密関係を結べるみたいなところがいちばん
          いいような気がします。猫のことを察してやらなくても親愛感というのは、
          結べるということが、いちばん猫を飼っている意味みたいな気がします。

2014年6月15日 (日)

歌集『月と水差し』 和田沙都子  砂子屋書房

「短歌人」所属の著者の第一歌集。

2003年以降の作品から400首余を収録。

栞文を、小池光・鷲尾三枝子・内山晶太が書いている。


   *暮れ残る若狭の寺の山門に天狗がおいた烏瓜ひとつ
   *神保町秋の露台にひらかれて『梁塵秘抄』は深呼吸する
   *肝心なことを言へずに受話器おく ああ三本脚の机のやうだ
   *わが胸につむりあづけて眠りゐる天の雫とおもふ重みに
   *イシククル湖の湖底に沈む水差しの幾千年は月が知るのみ
   *なにもないタクラマカンが見たくつてどれほどの本をわたしは買つたか
   *おびただしい旅の写真よ未整理のままに私はまた旅に出る
   *「こはくない、これはおまへの影だから」四歳の姉がおとうとを抱く
   *十一月の雨に打たるる朝顔に今日は幾たび話しかけたか
   *或る日不意に魔法が解けてうごきだす日が来るその日をおもひ目を閉づ


固有名詞の入った1首目の「若狭の寺」と「烏瓜」の取り合わせ。
4句目の「天狗がおいた」の発想によって、生彩が。

2首目の「神保町」と『梁塵秘抄』。結句の「深呼吸する」の展開がいい。

4首目と8首目の幼子に寄せるまなざしの柔らかさ。
「天の雫」の比喩は、いのちに向ける敬虔ささえ感じる。

著者は、笛を吹く人らしい。ベトナムやネパール、シリアなどの旅にも
その横笛を持参する。
タイトルになった5首目の歌の「イシククル湖の湖底」という場所設定からして、
浪漫性はまぎれもない。


日常と、「旅」という非日常を行ったり来たりしながら、9首目のような孤独感の
滲む歌を作り、10首目の歌の、東日本大震災に対して果敢無い望みを託す。

2014年6月14日 (土)

ミニトマト

ミニトマトを2本植えている。

今朝の水やりの時に、なっている実を数えたら28個と34個。
多いのか少ないのか、たぶん少ないのだろう。

腋芽を摘まなかったためか、ひょろひょろと伸びてしまい、150センチほどの丈に。
摘心をしなければどこまでも伸びていきそうなので、花を付けていて惜しいのだが、
伸び過ぎた先の方の摘心をしている。

トマトはあまり水やりをしない方がいいというけれど、土が乾いていると、
見かねて水やりをしてしまう。どうしたものか。


今朝は胡瓜を3本収穫した。
36センチ・33センチ・27センチの3本。
このまま齧れそうな、みずみずしさ。

2014年6月13日 (金)

岩橋邦枝さん哀悼

『評伝 野上彌生子』などの著作のある岩橋さんが、6月11日に亡くなられた。

79歳。福岡市内に前日は滞在していたらしい。

岩橋さんの『浅い眠り』からの、一ファンです。

80年代、詩人の荒川洋治氏が岩橋さんの著作のことに触れて、
話したか、書いていたのを、うろ覚えながら、覚えている。


謹んで哀悼の意を表します。

2014年6月11日 (水)

ハルノ宵子『それでも猫は出かけていく』 幻冬舎

「こころの隙間に猫」の本が届いた。

飼い猫をはじめ、外猫、ノラ猫の体調まで案じ、手を尽くすさまは
まさに「猫界のマザー・テレサ」であり、「猫界の光源氏」と、妹君や父君が
称されるのも、むべなるかなと思う。
怪我をした猫や病いの猫を動物病院に運ぶなんて日常茶飯事。
時には最期を看取る。
笑ったり、ドキドキしたり、涙ぐんだりして、読み終えた。

漫画家であるハルノ宵子が装画も勿論描いている。
「吉本家の猫相関図」が面白い。そして、巻末の「吉本家アルバム」。
吉本隆明が愛人じゃない、愛猫のフランシス子と写真に収まっている。


猫好きなかたも、そうでないかたも、ぜひ。

ところで、
つれあいの書棚一架に吉本隆明の著書が180冊くらいある。
『吉本隆明全著作集』『吉本隆明全対談集』それらの中に、あったあった。
    『なぜ、猫とつきあうのか』1995年 星雲社発売  
この本の裏表紙に描かれている「吉本家の猫の家系図」も、ハルノ宵子が
描いていたのだった。


今夜は、この本を読むことにしょう。

2014年6月10日 (火)

ジャカランダの花

長崎の小浜温泉、街路樹のジャカランダの花が咲きはじめた、らしい。

3年前の2011年6月19日、むらさきのジャカランダの花を見に行った。

生れてはじめて見る花だった。中南米原産の花木でノウゼンカズラ科。

見上げる古木に夢のような花が咲いていた。
その花が忘れられず、毎年この時期になると
西行ではないが「心は身にも添はずなりにき」の状態。



週末には沢山の花見の観光客が訪れるであろう。
15日の日曜日にはジャカランダフェスタもある模様。
行きたくても、行けないんだ、わたしは。

ジャカランダの苗木を買って帰った松本さん。
お庭のジャカランダの花の状態を聞いたら、
「まだまだ」とのこと。
「花が咲きましたら、どうか見に来て下さいませんか、何十年も」って。


ジャカランダの花の咲くのは年数がかかるのか。
松本さんちの花が咲くまで、生きていなくちゃ。

ジャカランダの散る花びらに触れると
幸せになれるんだって。

2014年6月 9日 (月)

桃(ちよひめ)ジャム

桃のジャムを頂いた。

蓋に彼女の筆跡で、「ちよひめ」と書かれている。
手作りはほかにも、イチゴ(あまおう)のジャムと甘夏のマーマレード。

桃のジャムの味見をしたら、とたんにホットケーキが食べたくなった。
仕事も終ったし、キッチンに入り、急遽ホットケーキ作り。
小麦粉とベーキングパウダーがあれば出来る。
卵1個と牛乳をかき混ぜ、ほんの少しの砂糖を入れる。

ふわっふわのホットケーキの出来上がり。
たっぷり桃ジャムを掛けていただいた。

こんな小さな幸せがうれしい。
友の手作りのジャムを卓の上に並べて、さて、明日は…


大雨のところもあるらしいが、福岡の街は日差しが降り注いでいる。

2014年6月 8日 (日)

福岡県八女市星野村

2012年7月14日の水害で寸断されてしまっていた道路が、全面開通していた。

しばらくは迂回路を利用していたが、削り取られた山肌や川を
見ながら通るのは胸が痛んだ、茶畑まで流されて…

わたしは、星野村が大好き。
お盆とお正月には、施設に入居している義母を引き取り
星野温泉「池の山荘」に宿泊する。
ここの露天風呂から眺める星空の美しさ。
義母の車椅子を押して「茶の文化館」に行く。
ここで飲む玉露は格別。
「星の文化館」には、九州最大級の天体望遠鏡を備えている。


今回は伯母さんの一周忌の法事のために日帰り。
あわただしかったけど、星野川にかかる石橋を眺めることができた。

耳納連山の山並みのやさしさ、
緑の木々の生気を胸いっぱい頂いてきた。

2014年6月 6日 (金)

現実逃避

予約していた10時半の歯科医院へ行き、午後は香椎の教室へ。

終っての帰途、胃がきりきりと痛む。

原因はどうも現実逃避したがっている。

10日締切の2本の仕事が目の前に迫っているのに、台所の換気扇の
フィルターを交換したり、浴室の換気扇の掃除をしたり。

今、とりたててせんでもいいことをしている、アホなわたし。

ああ、そして、こんな時に限って本が読みたい。
ハルノ宵子の『それでも猫は出かけていく』。
立ち寄った書店にはなかった。なかったので、よけいに読みたい。


明日は歌会。明後日の日曜日は八女行きと、
にっちもさっちもいかないのに。

胃が痛い。

2014年6月 4日 (水)

カタルパの花

久留米の高良大社の参道入り口に咲いているという、カタルパの花を見に行った。

花はすでに散り、わずかに残りの花が数輪見られた。
風にほろほろと散ってくる花は白色。よくよく見るとシャガの花に似ている。
大きな葉っぱに、花は白色で固まって咲いている。
大樹だけど、何年くらいここに立っているのだろう。

北アメリカ原産の別名、アメリカキササゲ。
はじめて見た花であった。
もっと早くに来たら、満開の花を見ることが出来たのに…

高良大社は、高良山の中腹にある。
徒歩でのぼると20分くらいかかるということだったので、一瞬迷った。
まぁ、いいかと、石段を登った。(結局、40分くらいかかったか?)

途中で珍しいものを見た。
「モウソウキンメイチク」。節と節との間に金色の縦縞が交互にあらわれ
縞模様が美しい竹。天然記念物であることを知った。

夏鶯の声がして、吹く風が心地いい。


なぁんて、油断していたら、途中でお気に入りの赤い
デジカメケースを落してしまった。
まぁ、いいか。デジカメは無事だったし…

2014年6月 3日 (火)

九州、梅雨入り。

昨日2日に九州は梅雨入りしたとのこと。

今朝は降っていないが、曇天。
胡瓜を2本収穫した。
物差しで計ってみると、2本とも34センチ。
昨年の出来よりいい。トゲトゲのいっぱい付いたみずみずしさ。

長芋と胡瓜を叩き、塩コンブを混ぜて、薄口醤油で和えると
美味しいんだよね。

何の芽かわからないが、あちこちに。
何の花?これって、種を蒔いたっけ。
よくよく考えたら、昨年友だちに頂いた青茎のツルムラサキだった。
秋に、黒い種をそのまま土に埋め込んでいたんだった。

さっそく、間引いて定植する。
育てよ、ツルムラサキ。

2014年6月 2日 (月)

夕映忌…

今日は10回目の「夕映忌」。

ヒロシさんの肝いりではじまった「夕映忌」も、はや10回目。
花田俊典先生がお亡くなりになられて10年経ったことになる。

2004年6月2日の日記には「信じられないことが起こってしまった」と、
書いている。5日の葬儀には湿疹だらけの顔であったが、どうしても
おまいりしたくて駆けつけた。
葬儀場に流れていた音楽。涙がこぼれて仕方なかった。

53歳の死だった。
多忙な先生だった。
いちばんご活躍のときでもあった。


お亡くなりになられて、先生のことをなんにも知らなかった、と思った。
ただただ遠くより憧れのまなざしと、尊敬の思いで見つめていたのに。


  *六月の二日の未明きみは死に向かいつつある時と知らずき
  *仕残しし仕事数多のあるらむに何に追はれて死に急ぎけり
  *神様の救済なりと信じたし 五十三歳の命消ゆるは
  *書くことに倦みたるきみが窓際の席に折々坐りゐたりと
  *知つてゐたつもりが雲と泥のやう 貴方(あなた)のことはなんにも知らず
                          2006年6月2日発行『小春日和』

先生が撮られた「イムジン江の夕陽」の写真。
今でもありありと目に浮かぶ。

「イムジン河」の音楽を聴くとせつない。
せつなくなりたくて、聴く。
何回も、聴く。


花田コレクションのCD2枚。
今日も聴いています。

ヒロシさん、福津の海の夕映え、今日は見られなさそうですね。

2014年6月 1日 (日)

歌集『風の回廊』大建雄志郎  ながらみ書房

退職後の66歳から74歳までの作品438首を収録。

「りとむ」所属の第一歌集である。
あとがきに「ーー略 いつも私という影がつきまとい、なかなか離れようとしません。その意味でも自分史のような歌集です。略ーー」と、述べており、短歌における私性の問題にも 触れている。 いずれにしても、短歌の場合「私性」を排除することはなかなか難しい。 また、たとえ消したとしても、作品の背後には作者の像が多かれ少なかれ 顕われるものだ。むしろ、全く作者自身と関わりのない歌の方が読み手(わたしには)としては、 興が醒めるのだが…  
   

  *職退きて精神(こころ)は楽になりました いのちの維持費が少しかかります
    
  *十二月八日レノン忌と子が言へばさういふ時代と黙し諾ふ
    
  *あのあたり風の回廊あるならむ梢鳴らして風吹き渡る
    
  *おだまりと老妻叫ぶときありてこの強さゆゑ吾(あ)も生き延びき
    
  *太陽系第三惑星北半球日本府横濱吾之宇宙戸籍
    
  *絶望は黒希望は白と君言ふが灰色だけの僕はなにもの
    
  *冷房も扇風機もなきあの頃よそれでもみんな精悍に生きた
    
  *墓守りを頼むと言へば妻その気 男は先に死ぬものと決めて
    
  *人去ればその影も去る 影消えぬ広島のあの石段以外は
    
  *アッサムはすぐ紅茶色ダージリンは時間がかかる 私のやうだ



4首目・8首目の「妻」をうたった歌には、笑ってしまう。こころあたりがあるんだよね、わたしにも。 こうして歌に出来るのも「妻」あってこそ。おおらかでよろし。
2首目・9首目には、思わず姿勢を正したくなってしまった。 12月8日と言ったって、戦後生まれには分らない。「レノン忌」の方が身近なんだ。
そして、「広島のあの石段」。影が消えないという現実。


「自分史のような歌集」と、謙遜しなくて大丈夫。
大建雄志郎という一人の人間の〈生〉が、〈思索〉が、〈思想〉が、溢れています。

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