« 九州北部、梅雨明け。 | トップページ | 題詠 »

2014年7月22日 (火)

『標のゆりの樹』 蒔田さくら子歌集  砂子屋書房

作歌歴68年、年齢85歳の蒔田さくら子さんの第11歌集。

435首を収めている。

「あとがき」に、大江健三郎氏の「希望を持ちすぎず、絶望しすぎず」という
言葉を引用し、「許されている限りの時間を、私の知った老いというものを
詠ってゆけたら」と、記している。



   一線を越すか越さぬかきはどかる瞬いくたびか超えて永らふ

   おさへ込みしづかに内に巻き締めし怒りもありぬ捩花の紅(こう)

   人ごころ複雑にして心根はわれひと共にあやめもわかぬ

   としどしにさくらうたへど足らはざり足らはざるゆゑ生き継ぎうたふ

   折り返しかへらむ標(しめ)と見放(みさ)け来しかのゆりの樹を
   誰か伐りたる

   おそらくはこれが最後の一花(いつくわ)なれ月の雫のごとく 夕顔

   過ぎゆけばうするるものと時を経てみえくるもののあるにおどろく

   ときに自恃ときに自虐といろ変へて老いの心身あやしつつ生く

   死に後れたりとも或るは生き残りたりとも一つ身のをりふしに

   泣きたいやうな夕焼けのいろ 日暮れにはこんな素直な衝動ありぬ




8首目に「自恃」という言葉があるが、蒔田さんの歌は、この自分自身を
恃みとする姿勢に貫かれているように思う。
4首目の「さくら」の歌にしても、年年うたっているのだが、それでも自分と
しては不足(不満)で、それ故に、生きてうたい継いでいるのだ、と。



最後の「夕焼けの歌」、この「素直な衝動」がせつない。
厳しく自分自身を律していられるような蒔田さんだけに、この手放しの
「衝動」に注目した。




生きている限りは、うたい続けるのが歌人なのだろう。
それが出来る人だけが、本物の歌人なのかも知れない。

« 九州北部、梅雨明け。 | トップページ | 題詠 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2032066/56858710

この記事へのトラックバック一覧です: 『標のゆりの樹』 蒔田さくら子歌集  砂子屋書房:

« 九州北部、梅雨明け。 | トップページ | 題詠 »