詩誌 侃侃 №21 発行所 書肆侃侃房
発行・編集人は田島安江。 例の「新鋭短歌シリーズ」を出している版元が発行所。
メンバーは井上瑞貴他6名。その中には編集人も含まれ、詩を2篇寄稿している。
わたしは、詩のことはわかりませぬゆえ「詩」は、飛ばします。(ごめんなさい)
さて、この号を取り上げたのは、吉貝甚蔵の「逸れ読み外伝」を読んだからだ。
さて、この号を取り上げたのは、吉貝甚蔵の「逸れ読み外伝」を読んだからだ。
タイトルは「短歌のこと」。なんだか素っ気ないタイトルであることよ。
だが、だが、中身は面白い。
第59回角川短歌賞を受賞した吉田隼人の「忘却のための試論」を
第59回角川短歌賞を受賞した吉田隼人の「忘却のための試論」を
考察している。その切り口が、いわゆる歌人(兼・実作者)の目でないのがいい。
「忘却のための試論」、この題名が、どこか60年代的な気がする。
「忘却のための試論」、この題名が、どこか60年代的な気がする。
それさえも何だか短歌の混在を感じさせる。混在というのは、言葉の
層のことで、口語と文語の混在、しかも文語にしても、硬軟があり、
口語にしても俗っぽい話体から観念語まで幅がある。また、「本歌取り」
という言葉で表されるように先行する作品の影も混在する。そんなこんなが
盛り込まれているのだ。
歴史的仮名遣いに必然性はあるのだろうが、それがすでにファッションの
ようにも感じられる。意匠と衣装という昔ながらの語呂合わせを思いつく。
*古書ひとつ諦めたれば蒼穹をあぢさゐのあをあふるるばかり
「あぢさゐ」は何だか「あじさい」では駄目なように思える。
*誰もが誰かを傷付けずにはゐられない季節がきます 傘の用意を
「ゐられない」は「いられない」ではじれったさが足りないような気がする。
それに、ここを口語にすると歌の四句目までがただの敬体の話体に
なってしまう。
*まんじゆしやげ。それだけ告げて通話切るきみのこゑ早や忘られてゐつ
*曼珠沙華咲く日のことを曼珠沙華咲かぬ真夏に言ひて 死にき
「曼珠沙華」のひらがなと漢字の表記。あざといのだが、聴覚と視覚の
使い分けからいけば当然であるし、「まんじゅしゃげ」を「まんじゆしやげ」
と表記すれば、立ち止まらざるをえない。で、それだけではなく、ためらいの
一字あけが多用される。
と、まあ、まだまだ、続くのだが、吉田隼人の「忘却のための試論」に注目し、何か
言いたい心情は理解できる。詩誌に短歌をわざわざ取り上げ、モノ申すのだから、
吉貝さんは、短歌がお好きなのだろう。いっそのこと、実作なさいませんか?
(原文では、歌を別枠で20首引用していましたが、ブログ上の読みやすさを考えて、
歌と文章をくっ付けたこと、お詫びします。miyoko)
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