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2014年8月

2014年8月31日 (日)

柳原白蓮、直筆手紙

本日31日の朝日新聞に白蓮の直筆の手紙が見つかったと報じていた。

福岡県飯塚市の高校に通う女子生徒に宛てた手紙。
1959年、部誌「緑苑(りょくえん)」の学校創立50周年記念号に寄稿してもらおうと
依頼し、その快諾の手紙(返事)である。


      御承知でしょうが 私は決して 御地でいゝ事したのでありません
      年月のはるかなる 流れが すべての喜怒哀楽 恩も 恨らみも
      憎しみも 清めるものかと つくづく感じました
                      (つくづくは踊り字)


1959年といえば、白蓮74歳。71歳の時は、招待されて龍介とともに中国を
訪問している。そして、1961年、76歳で緑内障のために徐々に視力を失う。
人生の晩年と言えるだろう。時間が、歳月が、いろいろなことを「清めるものかと」
感じるのもむべなるかなと思う。




同紙の終りの方に名前が出ていた「白蓮を研究する歌人で国学院大兼任講師の
中西洋子さん」は、「相聞」という歌誌を出されてあり、〈近代ノート〉として白蓮の
評論を毎号掲載している。

「相聞」第53号(2014・5)では、「焼跡に芽吹く木のあり」ーー柳原白蓮の後半生と
歌の展開(十五)を執筆している。この評論も佳境に入ったみたいで、たのしみに
している。
 
   焼跡に芽吹く木のありかくのごとく吾子の命のかへらぬものか    白蓮

2014年8月30日 (土)

梅干(うめぼし)

     古来より家庭常備の代表的な食べ物である梅干は、「三日三晩の土用

     干し」をして作られる。病人食の粥に添えたり、腐敗を防ぐために弁当に

     添えたり、風邪や二日酔いの民間薬としても親しまれている。…

                                 (『岩波現代短歌辞典』)

結婚前、連れ合いの母、即ちお姑さんにになる人からたった一つ注文というか、
お願いがあったのは、「男の人が出掛ける前は、どんなことがあっても、笑顔で
送り出す」ということであった。そして、朝出掛ける前に「梅干」を食べて貰うこと、
であった。それは、梅干は災難を免れるという縁起ものだからと、昔気質な姑の
言葉であった。ともあれ、まがりなりにも姑の願いを守ってきた。

朝の食後に小さな皿に入れて出す梅干。連れ合いも、それが当然のようにして
食べてくれている。


梅干は、クエン酸が疲れをとってくれる。なんだか、からだに良さそうだ。

昨日、友人から和歌山紀州産の南高梅をいただいた。それは、紫蘇漬けのでは
なく、はちみつ漬けの甘くて、すこし酸味の残るもので、食べるとクセになりそうな
味である。幾つでも食べられそうな…



姑がグループホームに入居する前に公立病院に入院していたが、その時の
差し入れに梅干を所望された。そのことを、思い出した夏の終わりである。


     快速の電車に揺られわが行くを〈南高梅〉を待つてゐる母
                                『暦日』2012年7月
 

2014年8月29日 (金)

葛の花

マメ科つる性の多年草。むかしは根を用いて葛粉にしていた。太めの総状花序を

立てて、蝶形をした紅紫色の花をつけ、甘い芳香を発する。


26日につくつくぼうし(法師蝉)の声を聞き、もう夏も終わりだなと思っていたら、
昨日、葛の花を見た。電車の中からだったので、匂いを感じることはできなかったけど、
あの紅紫色の花が目に焼きついた。



    神なびのみむろの山のくずかづらうら吹きかへす秋は来にけり
                     『新古今集』(巻四 ニ八五)中納言家持
 


    葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
                           『海やまのあひだ』釈  迢空



家持の歌は、葛の葉が裏側を見せている。ああ、風が渡っているのだと、
吹く風に秋を感じている。(葛の葉の裏側は遠目に見ると、白みがかっている。)
一方、迢空の歌は、散ってしまった花殻に視点が。まだ紅紫色の鮮明な花殻。
踏まれた花殻に、この山道を誰かが通ったのだと知る。



ともに、色彩感のある歌だが、わたしは次の俳句が好きである。

    わが行けば露とびかかる葛の花   『海燕』橋本多佳子


多佳子の句を、「女でなければ作れぬ句で、いや女であっても、自分の内奥を
しっかりとみつめ、しかも自己愛の強烈なひとでなければ生み出せぬ作品…」と、
評したのは、宮尾登美子。



秋になると思いは深まる。
しかし、1日1日のたつのがなんと早いことか。
 
 
 

2014年8月28日 (木)

歌集 『薫染』 九條 武子   實業之日本社

昭和3年11月に刊行された九條武子の歌集。奥付に印刷されている定価は、

壱圓八拾錢。昭和3年といえば、1928年。今から86年前になる。



九條武子は、京都西本願寺に法王の次女として生まれ、男爵・九條良致と結婚。
夫の外遊の十余年間を、離れ棲む。名流夫人の孤独憂愁な歌として、柳原白蓮と
共に、もてはやされた。


本歌集には、佐佐木信綱が懇切な序文を書いている。
そして、この歌集が出たのは、武子が亡くなってから9ヶ月後のことになる。
「薫染の後に」として、巻末には、新村出、久松潜一、渡邊とめ子などが、武子の
歌と人に触れて書いている。ことに渡邊とめ子の「一月十八日より二月七日まで」の
文章は、亡くなる日までのことが微細に記されている。


たまたま読んだ角川の『短歌』の2014年9月号の特別対談「村岡花子と短歌」に、
武子のことが話題になっていた。「一人の女性としてすごく濃厚だった…」と、
語られていたが、そうだろうか?
この歌集の序文を読む限りでは、むしろ、10年余の独居生活の悲痛な叫びが
伝わってくる。そのあたりの歌を佐佐木信綱が紹介している。

    いくとせを我にはうとき人ながら秋風吹けば恋しかりける

    十年をわびて人まつひとり居にざれごといはんすべも忘れし

    片すみに追ひのけられてそれのみか忘られはてし我にやあらぬ

    わが胸にかへらぬ人かあまりにもはかなし声もまぼろしもなき
 
    家をすて我をもすてむ御心か吾のみすてむおんたくみかや

『薫染(くんぜん)』は、旅行詠や叙景歌が多く、前歌集『金鈴』での怨言歌などが
影を潜めている。


   
   青葉がくり天主教堂の文字白うひるを鐘鳴る長崎の町

   早春の雨たそがるるやぶかげに胡粉(こふん)の点をうつ梅の花

   風わたれば五月(さつき)ま昼の光ちりこまかにゆるるもろ木の新葉(にひは)

   空梅雨(からつゆ)の曇り日の風そよ吹けばかわける松のみどりゆらげり

    
   藍に光る琵琶の大湖ひるたけて白帆がならびまん中をゆく



*今日は北九州の歌会、この歌集をSさんに返さなければ…
 
 

2014年8月27日 (水)

『芭蕉紀行』 嵐山光三郎  新潮文庫

2000年4月にJTBから『芭蕉の誘惑』というタイトルで刊行され、JTB紀行文学大賞を

受賞したのを、文庫に収録するにあたり、書きなおし、地図を入れている。



「野ざらし紀行」「更科紀行」「奥の細道」と、著者が芭蕉の足跡を追って旅をする。
なかでも、冒頭の「はじめに」の言葉は読者をぐいと引き寄せる。
曰く「芭蕉の旅は秘密だらけだ」。



その秘密を知りたくて、8月23~25日、わたしも芭蕉の旅を追って、ではなく、この
文庫をひたすら読み続けた。そこで知り得たのは、「衆道(しゅどう)」という言葉で
あった。広辞苑で調べると、「男色の道」あるいは「美道」「かげま」「にゃくどう」などと
ある。芭蕉にそのような関わり?があることは、なんとなく知ってはいたが、本書の
「笈の小文は禁断の書である」の章を読んで、いくぶんかの謎が解けたような気がした。


「笈の小文」の旅の道連れは、杜国(万菊丸)。女にしたいほどの美貌の若衆で
芭蕉より13歳ほど歳下であろうか。

         よし野にて桜見せふぞ檜の木笠    芭蕉
         よし野にて我も見せふぞ檜の木笠   万菊丸

著者はこの2人の句を「どう見ても駆け落ちの句である。」と書く。
この章の著者のペンの冴えというか、走りは必読である。



と、同時に、本書の面白さは芭蕉の高名な句を1句1句、現地で考証し
著者の考えを明らかにしていることである。


手書きの地図付き、芭蕉の年譜付きのこの1冊を携えて、旅に出るのもいいだろう。
 

2014年8月26日 (火)

「遠い約束~星になったこどもたち」テレビ未来遺産 TBSドラマ

松山ケンイチが出るドラマだと知って、昨夜は9時から11時まで、テレビの前に。
予想通りのいいドラマだった。


実体験に基づいて描かれた終戦後の満州を舞台の物語。
難民収容所でのこどもたちの姿が生き生きと描かれている。
みんな一緒に日本へ帰ろうと約束したのに、身よりのないこどもたちの
5人のうち1人は養子となり満州に残る。4人のこどもは、寒さと病気で亡くなって
しまう。


北斗七星を眺めながら7人で約束した「生きて日本へ帰ろう」は…

松山ケンイチって、こういう役は打って付け。ホントにいい味を出している。



   *このところ雨ばかりの毎日。ゴーヤはまだまだなっている。昨日数えたら
    小さなのを入れて11本下がっていた。朝顔の花は30個ほど。
 

2014年8月22日 (金)

『向田邦子の陽射し』 太田 光   文春文庫

向田邦子を太陽とも崇める太田光の、向田邦子礼讃の一書である。2014年2月刊。

    Ⅰ ぼくはこんなふうに向田邦子を読んできた
    Ⅱ 向田邦子が書いた女と男の情景


Ⅰ章では、太田光が選ぶ「読む向田邦子」ベスト10があり、小説では
       「かわうそ」がベスト1。エッセイのベスト1は「水羊羹」。
       (原文がかなりのページをさいて掲載されている)
Ⅱ章では、「妹・和子さんに聞く」があり、これは「NHK知るを楽しむ 私のこだわり
       人物伝」の再録。(これ、買っていたんだった。)




     「向田さんの作品は、不道徳である、と思う。」
     「向田さんは誰もが思っていても、気がひけて、描けないようなことを描く。」
     「にもかかわらず、向田さんの作品は有害とされるどころか、逆に誰からも
      尊敬され続け、美しく、品があり、礼をわきまえた、正しい姿、といった
      イメージである。」




太田光の賛辞の言葉が次から次へと出て来る。(わたしも太田さんに負けないくらいに
向田邦子のファン。彼女の作品はもとより、その〈生〉に惹かれる。)


短歌でも同じかと思った言葉は「向田さんは、必ず、重要な部分で゛沈黙゛する。」や、
「一番言いたいことを言わないこと。それは自分を殺すことである。」など。納得しつつ
読了。


1981年8月22日、台北から高尾へ移動中に飛行機が墜落して亡くなった向田邦子。
51歳9ヶ月であった。あの日から33年が経過した。

今日、8月22日は命日である。

2014年8月20日 (水)

『本などいらない草原ぐらし』 椎名 誠   角川文庫

本などいらない…豈図らんや、本・本・本の本書であった。2006年刊

     車で書店に出かけては新刊を山のように買い、町をうろうろ

     歩き回って古本を手に入れる。


椎名誠のめくるめく本談義である。

そういえば、わがやのせまい寝室には文庫本の書棚が2架あり、そのうちの1つには、
椎名誠の文庫本が140冊弱並んでいる。そのシーナつながりで、野田知佑本、約25冊
沢野ひとし本10冊くらいが、いちばん手に取りやすい位置に鎮座しておりまする。
それもこれも、日曜日のたびに本屋に出掛けるひとが、わがやに居るからである。



わたしが「暑さの夏にオロオロ読んで」みたところで、消化しきれない。
それで、出掛ける前に電車の中での読書用に手当たり次第に1冊ずつ拝借
している。椎名誠の言わっしゃる「アタクラ本」(アタマがクラクラする本)に
当たると「うれしいのだ。」



本書の「どこで本を買うかー」等々。じっくり、こっくり読了。

シーナいわく「もうわしの人生どうなってもいいけんね」(なんで、博多弁なん?)



*昨19日は、ベルリンから帰国したNさんとランチ。昼間からビールで
 再会を祝し乾杯。歌の仲間だと、2・3年会わなくてもちっとも違和感なく、
 お喋りがたのしめた。
 

2014年8月19日 (火)

ミシン掛け&お弁当作り

□□□・□□・□□・ジャパンのミシン、MINIを愛用している。

もう20年は使っているのに、1度も修理したことのないすぐれものである。


母の左手の骨折は思いのほかにひどかったようで、ギプスをしている。
その左手を吊る三角巾が白い布を鋏で切ったままのを使っているので、
洗うとほつれてしまう。そのほつれを直すために持ち帰って、ミシンを掛けた。
替え用なので、急ぐことはないと思ったが、他の衣類と共に宅急便で
グループホームに送る。


ミシンを使っているうちに、そうだ、連れ合いの膝の破れたジーンズを
半ズボンにしようと思いたち、鋏でじょりじょりと切って、ミシンを掛ける。
若い人が膝の破れたのをカッコよく穿きこなしているが、おじさんが穿くと
みすぼらしいだけだもんね。(黙っておくと、その破れたジーンズを穿いて出掛けるのだ。)
出来上がった半ズボンを家のなかでもいいから穿いてよ。


ああ、わたしは、こういうミシン掛けなどが好きだったのだと、思う。



でも、好きになれないことがある。それは、お弁当作り。
もう、5000食くらい作ってあげた。あと、何食作ればお弁当作りが卒業出来るのか。
低血圧のわたしは、朝のお弁当作りは苦手。
喋るのもシンドイので、ただ黙々とお弁当を作り、水筒にお茶を詰めて送りだす。
残さず綺麗に食べてくれているので、まぁ、よしとしょう。

2014年8月18日 (月)

『ローカル線おいしい旅』 嵐山光三郎  講談社現代新書

旅の名手、嵐山光三郎のローカル線の旅の物語。2004年刊。

「おいしい旅」とあるように、やたら食べ物が満載の旅である。

そして、その文章は抱腹絶倒の面白さ。

    これまで、やりたい放題のわがままな道楽ばかりで生きてきた。
    で、還暦をむかえた月夜の晩に、これからやりたいことを書き出してみると、
    ①寝台列車の旅
    ②駅弁再調査
    ③日本の奇祭めぐり
    ④港町の酒場で酔って女にもたれかかる
    ⑤神社お参り
    ⑥海峡見学
    ⑦不良婦人発見
    ⑧ローカル温泉
    ⑨御利益のある散歩
    ⑩胃がほくそえむ料理

と、ある。この中の①②⑧⑩は、本書で実現できていそうだ。
ことに、①⑧⑩は、満点に近い。
この旅の間の嵐山の言葉は、ズキリと刺さり、そして笑ってしまう。
たとえば、



     還暦を過ぎたら、第二の人生なんか登ろうとせず、ずーっと
     下っていくに限る。あとは温泉につかって、日々くだらぬ冗談ばかり
     いって、ダラダラと生きていきゃあいいのだ。

     全国のジジババよ、ローゴは、団体旅行に頼らない旅をしていただきたい、
     自分で切符をとり、宿を予約してオリジナルの日程をくむなかに旅の楽しみと
     ご利益があるのです。
     
     お賽銭は、還暦以後は1000円にしなさい。ご利益があります。



「還暦」にどうも拘っているようだが、本人が還暦を迎えたためでもあろう。
「身から出たタビ」などと、オヤジギャグを飛ばしながらの、本書の旅物語を
満喫した。いわく「こんなことばかりやってていいんだろうか。いいのにきまっている。」と。
 
 
 

2014年8月16日 (土)

『白蓮 娘が語る母 燁子』 宮嶋 玲子  旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会

平成19年5月に出版された著書で、地元や「保存を願う会」の動きによって、

平成19年4月28日から旧伊藤伝右衛門邸は、一般公開されることになった。


本著は、その会の実行委員である宮嶋玲子が白蓮の娘(宮崎蕗苳)宅に
6回訪れ、聞き書きをしたものを纏めている。



聞き書きとはいえ、微に入り細にわたる文章で、時に娘の蕗苳さんの肉声が
きこえてくるようでもある。この書には、巻末に白蓮関係の系譜まで掲載されて
あり、白蓮研究者にとっては垂涎の的のような書となっている。
なお、略年譜は白蓮のはもとより、宮崎家のまで添えられている。


そして、龍介の父、宮崎滔天や母、槌子のことまで語られている。
蕗苳さんにとっては、祖父・祖母にあたるわけだが、そのえにしによって
後年、中国を訪問している。


本著の圧巻は写真の多さである。
「宮崎 燁子 幸せの日々」と題された写真、(昭和5年)燁子・蕗苳・龍介・香織の
4人で写った写真は、白蓮には珍しく頬笑みが見られる。


余談になるが、
この書を書かれた、宮嶋さんには、3度ほどお目にかかっている。
1度目は、福岡の天神で行われた講演会に。2度目は「藍 ありまつ」での
再会となった。「藍 ありまつ」は、白蓮の色紙や短冊、資料を数多く展示
している白蓮愛好家の道子さんの経営するお店。

   山法師の花を飾りて待ちくれし「藍ありまつ」の道子さん元気
                                 『暦日』



宮嶋さんも道子さんも、きっとお忙しい日々を過ごしていることだろう。
「花子とアン」のテレビ放映によって…

2014年8月15日 (金)

短歌の効用

体力も、認知力も、好奇心も、食欲だって、高齢になると個人差が出てくる。

勿論、若いときだって差はあるのだけど、80歳過ぎたら覿面だよね。


と、いうことを、つらつら考えている。

義母は、日がな1日、車椅子の上でうつらうつら。
まぁ、急に泣きだしたり、わがまま言ったりという「赤ちゃん」では、ないので
らくといえばらくなのだけど。

オシッコも、ウ□チも、こちらが誘わないとダメ。
それで、ひとつだけ可笑しいことがあった。
お手洗いでウォシュレットで洗浄してあげたら、足がたたない筈なのに、とたんに、
腰を浮かした。「いまのは、なんなの?」とは、聞かなかったけど、そんな感じで
驚いた様子。「洗うからねぇ」と、前もって言うべきだった。




あ、それから、お薬を飲ませるのは難しい。
以前、介護士さんが、ごはんにカシャカシャと薬を混ぜているのに、
怒ったわたしだったが…。
ホント飲み込んででくれないのよね。その結果、考案?したのがデザートと
称して、ジェラートに混ぜてスプーンで食べさせること。これは、うまくいった。


そんなこんなで、お盆は介護デ―。
昨日の夕飯どきに、虹が空に懸かった。くっきりした太い虹だった。
これだけは特記事項かな。


わたしの身めぐりの短歌をなさっている80代のかたたちは、みんなお元気。
お洒落で、お喋りで、明るくて。生き生きとと教室に通って来る。
そんな方々を見ていると、短歌の効用を信じないわけにはゆかない。


義母にも短歌を勧めておくべきだった。
もう手遅れだけど…

2014年8月12日 (火)

『地平線』 白蓮  ことたま社

昭和31年(1956)6月25日に発行された柳原白蓮の最後の歌集。

新書版の大きさであり、175ページの2行書きの2首組である。萌黄色の表紙に
模様が入っている。歌集題と名前は白蓮の筆書。

筑豊での暮らしを詠んだ歌から、長男(香織)を失った悲しみを詠んだもの、
各地の旅先(北海道・山形・佐渡ヶ島・長良川・伊勢・高野山など)で詠んだ
歌の312首を収めている。


この歌集のなかほどに収められている、終戦4日前に戦死した長男を
うたった歌(60首)は、しみじみとして、せつない。


      「悲母」ーー香織・昭和二十年八月十一日戦死ーー

    日本の老いたる母の大方は涙もろくなりて年くれんとす

    海見れば海の悲しさ山みれば山の寂しさ身のおきどなき

    この道は吾子が最後となりし道夫と並びてゆくは悲しも

    英霊の生きてかへるがありといふ子の骨壺よ振れば音する


    秋の風遠くより吹くなつかしさ子の事いひて夫と茶をのむ


    人の世の人なるわれやかくりよのみ魂の汝とむかひあへるも


    朝も夜も昨日もけふもなくなりぬ世を去りし子と敗れし國と

    あの日いつか帰ると思ひ征きし子の座りなれたる窓辺に座る


    わが肩に子がおきし手の重さをばふと思ひいづる夏の日の雨

    焼跡に芽ぶく木のありかくのごと吾子の命のかへらぬものか


*なお、この書は、旧伊藤伝右衛門邸が一般公開された平成19年(2007)
  記念にと、白蓮の長女、宮崎蕗苳(みやざき・ふき)さんが、書庫に残って
  いたのを、飯塚商工会議所に初版本100冊の販売を委託したものである。
  その中の1冊を、北九州のS・Yさんが、求められた。
  わたしは、読んでみたくて、このたび彼女からお借りしている。
    

2014年8月11日 (月)

『ホリー・ガーデン』 江國 香織  新潮社

20年前に出版された本を、20年前の心に戻って、読んだ。


この本は文庫本でも出ている筈だが、わたしは単行本の300ページ弱あるのを
4時間かけて読み終わった。なんでこんな苦行?をしているのか、って。


それが、それなのよ。
どうしてもこの1冊は読んでなくちゃ、お盆をゆったり過ごせない。
苦行じゃ、なかとよ。
なんのために?


明治33(1900)年に生まれ、昭和17(1942)年に亡くなった詩人、
尾形亀之助の詩の1節を探すために。その1節は
     「つまづく石でもあれば私はそこでころびたい」なのだ。





小タイトルにも「つまづく石」があり、著者の江國香織の「あとがき」を
読めば、著者自身が亀之助の詩を好きなことはわかったが、その効率的な
読み方をせず、ただひたすら筋を追った。


果歩と静枝の「優しく切ない友情の物語」(帯文)だ。
5年程前、別れた恋人のことを忘れきれずにいる果歩、
妻帯者との遠距離恋愛を続ける静枝。その2人を取り巻く人たちも
多少出てくるが…


静枝のような生きかたは出来ない。だが、エキセントリックな果歩の
行動は多少なりとも理解できる。
そして、著者はこの果歩に亀之助の詩を語らせるのだ。
                    (実際は、静枝が果歩の口癖を真似るのだが。)


     つまづく石でもあれば私はそこでころびたい



 
この詩の1節を教えてくれたのは、亀之助を研究しているS子さん。
S子さん、ありがとう。

お盆には、亀之助詩集をじっくり読みますね。

2014年8月10日 (日)

歌集『クラウド』 井辻 朱美   北冬舎

ファンタジーの世界では高名な著者だと知っていたものの、奥付に書かれている
略歴を読んでひるんでしまった。第43回サンケイ児童文学賞、第27回日本児童
文学学会賞、等。



それはさておき、このたびの第六歌集を読んで感じたことは、わたしの先入観より
わかりやすい歌が多かったことだ。付箋を付けていったら、あまりに多くて、前半の
一部のみの紹介にとどめる。




   たましいのかたち真綿に横たえてとろりと深き翠(みどり)のまがたま

   魂はいくらでも軽いほうがいい ペットボトルの陽をはじくくびれ

   貝の象(かたち)のマカロニのように澄みている大和の風のなかの記憶は

   しゅるしゅると海の響きが透けている刺身の烏賊の足のひとたば

   図書室のみどりの壁に耳を触れ旅行記かたえに眠る椰子たち

   きりきりと歯車じかけの陽が沈む橋上の車みな祝福されて

   飛行機雲 真一文字にのぼりゆき天の縫い目が見ゆる楽しさ

   パンプキンのあちこちともる十月をこの世に還るいとしき霊たち

   なにをしに戻ってきたのかおもいだせないが蒼いこの世にめくれるページ

   しゃぼん玉吹いているような背を見せて少女がちいさき携帯に語る


1首目は、博物館などで見かける古代のまがたま、「たましいのかたち」が、
      真綿にくるまれているとしたところが妙味。
2首目は、ペットボトルのくびれの部分に焦点が絞られている。
3首目は、「貝の象(かたち)のマカロニのように澄みている」記憶。読みように
      よっては、上の句の比喩が、「大和」に掛かるともとれるが…。
4首目は、烏賊の活き造りの足を「海の響きが透けている」と捉えている。
5首目の歌は、はじめ結句を「獅子たち」と勘違いして読んでいた。「獅子たち」では、
         当たり前過ぎるか。やはり、飛躍した「椰子たち」の方がいいのか。
         でも、「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ」を連想して
         しまいそう。
6首目の歌、「歯車じかけの陽」が発見か。
7首目の歌も「天の縫い目」の発見がいい。
8首目の歌は、ハロウィン。日本ではお盆に茄子や胡瓜で細工して霊を迎えたり、
         送ったりするが…。玄関には提灯を下げて。
9首目、モノを探すときによくこんな状態になるが、この歌では、「蒼いこの世」に
     戻ってきたと、とれる。そこが、卑俗さをクリアしている。
10首目の歌は、単にケイタイで電話している構図なのだが、上の句の比喩が
          少女の愛らしさを演出している。


なんだか、独善的な鑑賞で申し訳ないが、「読まずギライ」を卒業できた。



そういえば、本日の朝日新聞の朝刊で、この著者の井辻朱美は「うたをよむ」という
一文を書いていた。タイトルは「怪獣という『亜神話』」だったが…

   


    


2014年8月 9日 (土)

詩誌 侃侃  №21 発行所 書肆侃侃房

発行・編集人は田島安江。 例の「新鋭短歌シリーズ」を出している版元が発行所。

メンバーは井上瑞貴他6名。その中には編集人も含まれ、詩を2篇寄稿している。

わたしは、詩のことはわかりませぬゆえ「詩」は、飛ばします。(ごめんなさい)



さて、この号を取り上げたのは、吉貝甚蔵の「逸れ読み外伝」を読んだからだ。
タイトルは「短歌のこと」。なんだか素っ気ないタイトルであることよ。
だが、だが、中身は面白い。



第59回角川短歌賞を受賞した吉田隼人の「忘却のための試論」を
考察している。その切り口が、いわゆる歌人(兼・実作者)の目でないのがいい。




    「忘却のための試論」、この題名が、どこか60年代的な気がする。
    それさえも何だか短歌の混在を感じさせる。混在というのは、言葉の
    層のことで、口語と文語の混在、しかも文語にしても、硬軟があり、
    口語にしても俗っぽい話体から観念語まで幅がある。また、「本歌取り」
    という言葉で表されるように先行する作品の影も混在する。そんなこんなが
    盛り込まれているのだ。

       歴史的仮名遣いに必然性はあるのだろうが、それがすでにファッションの
    ようにも感じられる。意匠と衣装という昔ながらの語呂合わせを思いつく。


 
   *古書ひとつ諦めたれば蒼穹をあぢさゐのあをあふるるばかり
       「あぢさゐ」は何だか「あじさい」では駄目なように思える。


   *誰もが誰かを傷付けずにはゐられない季節がきます 傘の用意を
       「ゐられない」は「いられない」ではじれったさが足りないような気がする。
       それに、ここを口語にすると歌の四句目までがただの敬体の話体に
       なってしまう。

   *まんじゆしやげ。それだけ告げて通話切るきみのこゑ早や忘られてゐつ
   *曼珠沙華咲く日のことを曼珠沙華咲かぬ真夏に言ひて 死にき
       「曼珠沙華」のひらがなと漢字の表記。あざといのだが、聴覚と視覚の
       使い分けからいけば当然であるし、「まんじゅしゃげ」を「まんじゆしやげ」
       と表記すれば、立ち止まらざるをえない。で、それだけではなく、ためらいの
       一字あけが多用される。



と、まあ、まだまだ、続くのだが、吉田隼人の「忘却のための試論」に注目し、何か
言いたい心情は理解できる。詩誌に短歌をわざわざ取り上げ、モノ申すのだから、
吉貝さんは、短歌がお好きなのだろう。いっそのこと、実作なさいませんか?



(原文では、歌を別枠で20首引用していましたが、ブログ上の読みやすさを考えて、
 歌と文章をくっ付けたこと、お詫びします。miyoko)
 
 

2014年8月 8日 (金)

シマトネリコの花

久留米市の街路樹にはシマトネリコの木が結構ある。

この花が咲くと、梢がけむったような感じになり、白い花が美しい。
花季は5~6月くらいらしいが、8月の今も咲いている木がある。
長い間、この木の名前がわからずにいた。

エンジュでもないねぇ~と、言いながら見上げていたものだ。

スモークツリー(別名、煙の木、または、霞の木)、和名でハグマノキ(白熊の木)を
『花屋さんの花がわかる本』(講談社文庫)で見つけたので、
それかしら、などと思っていたが、違った。
名前が判明したのだ。

そうか、「シマトネリコ」なのか。

モクセイ科の別名、タイワンシオジ。常緑高木であり、その樹形のよさや
強さから、このところ庭木や公園木、街路樹などとしても植えられている
そうだ。花が終わると白い莢が付く。その白い莢も遠目に見ると美しい。


この木の花で、歌を何首か作るという自分に課した宿題は、
まだ出来ていない。

2014年8月 7日 (木)

列車と電車…

昨日、久留米の教室で喧々諤々の議論があった。

それは、「列車と電車」の違いというか、意味である。

久留米市には名だたる筑後川が流れている。
その川に陸橋がかかり、わたしは月に4・5度往復する。
教室と施設にいる母のところに行くためである。

いつも快速電車に乗車、する。(と、快速電車だと思い込んでいた。)
しかし、昨日の議論では、「あれは、電車ではなく、列車ですよ」と言うことだった。
「え~、電車ではないの(キョトン)」

と、言うのもKさんの歌に「上り列車が音高くゆく」が、あり「上り電車じゃないの?」
と、わたしが言ったためだ。
それから、あれこれ「列車」と「電車」のKさんの講釈があり、ますます分らなくなって
しまった。そこで、Wikipediaで調べたり、駅に問い合わせて、以下のような
情報を得た。



かいつまんで言うと、総称として「列車」と呼ぶ。
時刻表などでも「列車」と表示している。
しかし、わたしが久留米への往復に乗車する快速や普通は「電車」でも間違いはない。
それは、電動機を駆動して走っているから。その電力も集電装置により
外部から取り込む場合と、車載の蓄電池から供給する場合の2通りがある。

ちなみに、「かもめ」も電車とのこと。
「ゆふいんの森」号は、電車でなく「列車」です、とか。
そういえば「A列車で行こう」は、列車だけど、「電車」だったり…?
やっぱり「A電車で行こう」じゃ、サマにならないし。
列車であってほしか~。

と、いうわけで、Kさんも、わたしも、間違ってはいなかったことになる。
でも、お陰様でいい勉強になった。

2014年8月 6日 (水)

『水のなまえ』 高橋 順子  白水社

さまざまな「水のなまえ」を、万葉集や短歌・俳句・詩などから掬いあげ

みずみずしい文章で綴った一冊。


「とらえがたい水を追って、季節の水のすがた、文学をうるおしてきた水、
水をめぐる思惟や伝承、旅の水などについて書き下ろしたものである」(「あとがき」)


たとえば「末期の水」では、原民喜の「水ヲ下サイ」一連の詩、小説「夏の花」を
取り上げている。
(ちなみに今日、8月6日は「広島平和記念日」なので、孫引きだが、紹介しよう。miyoko)


    水ヲ下サイ
    アア 水ヲ下サイ
    ノマシテ下サイ
    死ンダハウガ マシデ
    死ンダハウガ
    アア
    タスケテ タスケテ
    水ヲ
    水ヲ
    ドウカ
    ドナタカ
     オーオーオーオー
     オーオーオーオー
    ーー中略ーー


この『水のなまえ』には、たびたび「連れ合い」といった呼称が出てくる。
「連れ合い」とは、作家の車谷長吉である。2人で世界一周のピースボートの
船旅に参加したり、四国八十八ケ所の霊場を77日間かけて巡拝したり、
仲がよろしいこと。


でも、船旅では、詩人の新藤涼子と連詩を作り、四国巡拝では、短歌を物して
いる。やはり、モノカキはスゴイ。


   吉野川木枯童子吹き荒るゝ潜水橋に水はとどかず   高橋 順子


潜水橋というのは、じっさいに川が流れている低い位置に架橋され、増水時には
沈んでしまう橋である。沈んだときに流木などが引っかかって川の水がせき止め
られないように、欄干もなく、短い橋なので、建造費が抑えられるという。

吉野川では「潜水橋」と呼び、四万十川では「沈下橋」と呼ぶことを知った。
わたしが渡ったのは、もう20年も前のこと。


   薄青き夕靄のなか歩みきて佐田沈下橋ふたり渡るよ  『ひかり凪』miyoko
 
 

2014年8月 5日 (火)

機器音痴

プリンターを買い替えたら、メールで来た文章が印刷出来なくなってしまった。

添付書類は開くと印刷出来る。
メールで来た分も備忘のために印刷しておく必要があるのだけど、それが
出来ない。
前のプリンターも、□□□□だったけど、そのまま印刷出来た。
ダウンロードする必要があるのかと、□□□□のホームページまで行き
トライするのだけど、機器音痴ゆえ、まともに作動しない。
どうしたらいいと?
誰か教えて~

そんなこんなで、昨日は時間がつぶれてしまった。

さてさて今日は雷を伴って非常に激しく雨が降るという予報の中、
教室に出掛けなければ…
明日は久留米だけど、明日も降るのかな。
このごろ電車が遅れたり、すぐ停まるので困る。



こんな中、朝顔はけなげに咲いているし、夕方になると夕顔が
1つ2つと咲いてくれる。
花だけがわたしを癒してくれる。

2014年8月 3日 (日)

『生涯現役』 吉本隆明  洋泉社

2006年に出版された、インタビュー集である。聞き手は今野哲男。

吉本流「老いの処方箋」の帯が付いている。
インタビューを纏めたものゆえ、おのずと、吉本のべらんめぇ口調が伝わってくる
一冊となっている。

   人間は自然に老いません。放っとくと、自然以上のスピードで老化するんです
       つまり、仕事がなくて金があって悠々自適するって状態を考えると、
       非常にいいように思えるけれど、それはとんでもない間違いであって、
       あくせくまだ働かなくちゃなんねえかとか、俺はこういうことについて
       やらないと駄目だとか、そういうことと生活ってことがからんだような
       ことなんでしょうけど、それをもっていないと、老齢期になったら、階段を
       降りるようにがっといきますね。


   他人は自分の思ってるほど自分のことを考えてくれてるわけじゃない

   老人の幸福なんて、俺には関心がない

   老人は死と生の間で、死と生の両方を見ている


納得しながら読んだ項目を挙げてみた。
「放っとくと、自然以上のスピードで老化する」なんて、コワイ。
じゃあどうすれば老化を遅らせるか…吉本流の処方箋が書かれている。
他の項目も掛値なしのホンネで語られた言葉は、じわじわと身に沁みてくる。
手に取って、お読みあれ。



  *****
金曜日に骨折した母は意外と元気だった。
ベッドの柵に手首が嵌まった?のか。骨がもろくなっているのだろう。
今日は、車椅子に乗せて外を少し散歩。
田んぼの稲を見て、何か心が動いたみたい。
もうすぐ、お盆だから、元気でいようね。
 

2014年8月 1日 (金)

母が骨折…

香椎の教室へ。途中でケイタイが鳴る、こういう時にケイタイが鳴るのは、

困る。ホントに困る。


グループホームからの電話であった。
昨夜、母が「痛~い、痛~い」と、ベッドの上に座って、叫んでいたそうだ。
朝になって、整形外科に連れて行ったら、手首のところの骨が折れていた
そうだ。今は薬を飲ませ、手には湿布をしているらしいが、自然治癒?で
治るのだろうか。


何をしてて骨折したのかも分らない。
介護士さんは、ひたすら謝るのだけど…


まぁ、入院するほどのこともないらしいので、わたしは教室に行き、ともあれ、
済ませた。

ケイタイが鳴るたびに、胸がドキドキする。

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