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2014年9月23日 (火)

歌集『黄鳥』1992~2014 阿木津 英   砂子屋書房  2014年9月

田中一村の「梨花に高麗鶯」の絵が表紙につかわれている。

『黄鳥(くわうてう)』とは、高麗鶯(こうらいうぐいす)のことである。


歌集の「あとがき」によると、
      わたしはこの集を、あたかも画室に積み重ねたキャンパスを奥から
      引き出して新たに筆を加え完成させていくかのように作った。…

と、書かれている。作品に寄せる作者の並々ならぬ執着というか、愛情を感じた。

      否み、否み、否む炎にわがうたを突き入れては打ちにまた打つ

このような推敲の結果として成った一集ではないだろうか。
今回の集は第六歌集であるが、阿木津英の歌は、更に、更に高みを目指し、
粘りを加味し、燻し銀の如くに輝いている。


      綱を組む塔(タワー)の芯をにんげんを詰むる一箱吊られてのぼる

      起き出でてしばらく坐る誰(た)が夢にわが分け入りて今朝ありにけむ

      躓くがごとくにまぶた熱(ほと)りくる寝入らむとする暗きふとんに


      降りつづく雨を枕にありて聴くなべて暗きに落ちゆくまでを
      

      カーテンをひき閉ぢむとす外灯にあかるむ暗き窓辺に立ちて


1首目はエレベーターの歌なのだけど、こううたわれるとなるほどと思い、
また、心なしか背筋にひゃっとしたものを感じる。
2~5首目までの歌は、並べてみると、阿木津の意識のありようが
なんとなく伝わってくる。2首目の目覚めの歌。3首目の眠りに就く歌。
4首目の下の句は眠りに這入る状態にとれる。
3~5首に共通する言葉「暗き」に注目した。


      乗り換への連絡通路黴くさき地下吹くかぜに吹かれてあゆむ
                                『黄鳥』2014年


      いにしえの王(おおきみ)のごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで
                            『紫木蓮まで・風舌』1980年


「吹かれてあゆむ」の同じフレーズの歌を2首並べてみた。
2首目は、今から34年前の「吹かれてあゆむ」。
なんとさわやかで明るく、夢も希望も一人占めしたような歌であろうか。

それに対して、1首目の現在の歌は、「黴くさき地下吹くかぜ」なのである。
このような場所の設定こそが、現在の阿木津の足が地についた〈生〉のありようを
示しているとも言える。目線の低さ、写実の的確さ。



今度の第六歌集『黄鳥』のなかで、猫の歌が沢山ある。
ある時は野良の猫であったり、飼い猫であったりと、猫好きな姿が浮くかんでくる。

      硬き汝がむくろに朝のひかり差し毛の筋ごとに虹のいろ立つ

      喫泉のほとりにわれはけだものの毛深き貌をゆびに撫でつつ

      梢(うれ)あをく流らふそらを見あげたり猫はめぐりに向き向きに居て

      骨格は紙のごとくに揺らぎつつおのれ撫でよと鳴きやまざりき

      女三たり頭(かうべ)を寄せて野良猫の柩をかこみ嘆かひにけり





『それでも猫は出かけていく』の著者、ハルノ宵子を髣髴とする猫の歌たちで
あった。あ、わたしも「猫のいる島」に出掛けるほどの猫好きなの、だ。
 
 
 

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