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2014年9月

2014年9月30日 (火)

博多っ娘(こ)詩集『いきるっちゃん』 うしじまひろこ  石風社

博多弁子ども詩集と銘打たれた詩集。全篇、博多弁の詩集である。

       すいとう

     あたしは しんちゃんば
     すいとう
     しんちゃんな あいちゃんば
     すいとう
     あいちゃんな あきらくんば
     すいとう
     あきらくんな じゅんくんば
     すいとう
     じゅんくんな あたしば
     すいとうごたぁ 
 
     ん!
     しぇんしぇい
     どげんしたらよかと ?

                            *すいとう=すき
                   ごたぁ=みたい
                   しぇんしぇい=せんせい
                   どげんしたらよかと=どうすればいいの




博多弁をみごとにつかいこなし「詩」にしている。
わたしも福岡の住人となって50年は経つが、まだまだ、ぎこちない。
それでも何首か博多弁の歌がある。

 
     替へ玉を註むのもよか ラーメンはトンコツスープの長浜ラーメン

     「すいとうよ」「よかきもち」とふやはらかき博多弁を使ふことなき
                     『夢の器』 ながらみ書房  1992年


 
『いきるっちゃん』の著者、うしじまひろこさんとは久留米の教室でお知り合いに
なった。事情で教室はやめられたが、「かばん」に入られて、短歌も続けて
いるみたいで、嬉しい。



明日は久留米の教室だ。

2014年9月29日 (月)

備蓄品

インクカートリッジのシアンとマゼンタの量が残り少なくなった。

以前のプリンターの時はカラーは一つにまとまっていたのだが、今度のプリンターは
シアンとマゼンタ、そしてイエローと3色、買わなければならない。そう、ブラックを入れると
4色。



プリンターをよく使うので、壊れるのもはやい。
これで3台目。いつも同じ会社のプリンターなのに、インクカートリッジが微妙に違い、
前のものが使えない。(メーカーさん、統一して頂けないでしょうか。機器そのものも)


2台目の時に、インクカートリッジを備蓄し過ぎて、結局プリンターが壊れてしまい、
そのインクが無駄になってしまった経験があるので、買い置きをするのをやめた。
備蓄していないと、それはそれで困ることもあるのだが、仕方ない。



備蓄といえば、水や非常食の備蓄もしていない。
以前はしていたのだが、やはり、それさえも、ある期間がきたら、交換して
おかないと、非常時にホントに役立つのかどうか、心もとないからだ。
(どうか、皆さんはわたしの真似をしないで、備蓄してくださいね。)



2・3日前より胃が痛くて、生まれてはじめて、胃薬を飲んだ。
病院がお休みだったので、生まれてはじめて、売薬の胃薬を買った。


しくしくと痛かった胃が落ち着いたような。
なんだか、効いているような気がしてきた。



2014年9月27日 (土)

金木犀の香

朝、窓を開けると金木犀の香りがした。

どこからともなくただよってくる金木犀の香りだ。

ああ、秋だなぁ、と感じたひととき。


今日は、久津 晃さん(歌人)の一周忌法要が南区の斎場でとりおこなわれた。
祭壇には、白い菊の花がメインに飾られ、パンパス・グラスが3本と吾亦紅が
飾られていたのも秋らしかった。


参列者は70名ほどであったろうか。
法要が終わって、場所をかえて会食。会食は50名を越えていたように思う。



久津さんのお嬢さんの京子さんが山埜井さんを甲斐甲斐しくお世話して
いたのには、胸が詰まった。次女のなおちゃんも、お姉さんと共に皆さんに
ご挨拶をしていらした。



山埜井さんは、お子さんがいらっしゃらなかったけど、こうして、久津さんのお子さん
たちが、しっかり久津さんのお心を継いでいると思った。




    久津 晃(くづ・あきら) 1927(昭和2)年8月15日生まれ
                  2013(平成25)年10月11日逝去
                  享年 86歳
                  歌集『僕と漠』『天使の喇叭』『孔雀都市』『硝子の麒麟』
                     『砂時計』(廣津量巳 初期歌篇) 『宇宙銀鼠』


    生と死のあはひの川をゆらゆらと流れてゆけば宇宙銀鼠   『宇宙銀鼠』

    諸々の言葉がなべて紅葉するそんな時代はもう来ないのか  『宇宙銀鼠』



久しぶりに皆さんともお話できたひとときだった。
帰りは大橋から、那珂川を渡って、徒歩で帰宅。

歩いていると、いろいろなものが目にはいる。
「蛇の鬚の花」の淡いむらさきいろ。これが実になると、碧紫色の球になる。
いよいよ深みゆく秋を思う。



昨夕9っ開いた夕顔、今夕は5っ咲いた。
この花にずいぶん癒されたけど、あと何個で終りかしら。

2014年9月25日 (木)

秋海棠(しゅうかいどう)の花

北九州の歌会。Tさんから秋海棠の花と水引草をいただいた。

しっかり水揚げされていて、帰宅して花に合いそうな花瓶を選んで挿した。


今、わたしの横の卓にその花瓶を置いて、PCに向かっている。
淡紅色の花がうなだれて咲いているのを見ていると、長塚節の歌を
思い出した。


       うなだれし秋海棠にふる雨はいたくはふらず只白くあれな

       いささかは肌はひゆとも単衣きて秋海棠はみるべかるらし


長塚節は、このころ九州の博多、千代の松原より、九大病院に通院していた。
この2首の歌には、詞書が付いており、「三十日、雨つめたし、百穂氏の秋海棠を
描きたる葉書とりいだしてみる、庭にはじめてさけりとあり」

長塚節が、平福百穂に宛てて出した、大正3年10月1日の絵はがきには次のように書く。

 
 
       秋海棠の御葉書に九月十一日とありますがもう花はないでしょう。
       私も一年庭へ植えたら花も見ないのに、いつの間にか絶滅して
       遺憾に思ったことがあります。その後はもうこの病気です。ーー略



長塚節、1915(大正4)年1月、九大病院隔離病棟に収容され、重態となり2月8日死去。
36歳。病名は喉頭結核。節の歌碑が九大病院構内に建っている。



秋海棠の花をなかだちにしての、節と百穂の葉書のやりとり。
現代の歌人たちに、そういったつきあいはあるのだろうか。

2014年9月24日 (水)

読書亡羊

スクラップノートの解体をはじめた。

ノートをばらし、作家別・歌人別に整理しなおそうと思ってはじめたのだが、
これが思いのほかに大変なことに気付いた。
捨てられないのだ。あの人のもこの人のも残しておきたいと欲張り、
結局、今日は3冊しか解体できなかった。


右から左に移しただけに終わったような。


そのあいまに、嵐山光三郎の『温泉旅行記』ちくま文庫を読みだす始末。
すでにお正月の宿は予約しているから今さら温泉探しなどせんでもいいとに…。
この文庫には巻末に各地の温泉の情報が細かく掲載されている。
アクセスは勿論、温泉の温度から泉質まで。そして問い合わせ先の
電話まで掲載されているすぐれものである。



九州の温泉の章を読んでいたら思いがけないことが書かれていて、
「なんば、したとね」という感じになった。

「椎名誠写真展」で、博多に来ていたシーナを、嵐山光三郎と檀太郎が
講演会場まで駆けつけて「ここで見つけたのが運のつきだ。ヨーシ、シーナを
襲え!」ということで、その夜は博多の街を2軒、3軒と飲み歩いて、最後は屋台で
ラーメンを食べたと書いているのだ。



ああ、その講演会に行ったとですよ。
そして、シーナのTシャツを買ったとですよ。
背中(後ろの首のところ)に「ホネフイルム」のマークの入ったすてきなTシャツを。



Tシャツといえば、岡井隆もTシャツをつくりましたよね。
白地に空色の文字で岡井隆の筆で書かれ、印刷されたもの。
胸のところに「蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶」の
歌。『人生の視える場所』の1首である。



わたしは余分に買ったので、欲しそうにしていたM君に送ってあげたけど、
だいじにしているかしらん。



という訳で、今日は、何をしていたんだろ。
肝心な仕事をほおって…

2014年9月23日 (火)

歌集『黄鳥』1992~2014 阿木津 英   砂子屋書房  2014年9月

田中一村の「梨花に高麗鶯」の絵が表紙につかわれている。

『黄鳥(くわうてう)』とは、高麗鶯(こうらいうぐいす)のことである。


歌集の「あとがき」によると、
      わたしはこの集を、あたかも画室に積み重ねたキャンパスを奥から
      引き出して新たに筆を加え完成させていくかのように作った。…

と、書かれている。作品に寄せる作者の並々ならぬ執着というか、愛情を感じた。

      否み、否み、否む炎にわがうたを突き入れては打ちにまた打つ

このような推敲の結果として成った一集ではないだろうか。
今回の集は第六歌集であるが、阿木津英の歌は、更に、更に高みを目指し、
粘りを加味し、燻し銀の如くに輝いている。


      綱を組む塔(タワー)の芯をにんげんを詰むる一箱吊られてのぼる

      起き出でてしばらく坐る誰(た)が夢にわが分け入りて今朝ありにけむ

      躓くがごとくにまぶた熱(ほと)りくる寝入らむとする暗きふとんに


      降りつづく雨を枕にありて聴くなべて暗きに落ちゆくまでを
      

      カーテンをひき閉ぢむとす外灯にあかるむ暗き窓辺に立ちて


1首目はエレベーターの歌なのだけど、こううたわれるとなるほどと思い、
また、心なしか背筋にひゃっとしたものを感じる。
2~5首目までの歌は、並べてみると、阿木津の意識のありようが
なんとなく伝わってくる。2首目の目覚めの歌。3首目の眠りに就く歌。
4首目の下の句は眠りに這入る状態にとれる。
3~5首に共通する言葉「暗き」に注目した。


      乗り換への連絡通路黴くさき地下吹くかぜに吹かれてあゆむ
                                『黄鳥』2014年


      いにしえの王(おおきみ)のごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで
                            『紫木蓮まで・風舌』1980年


「吹かれてあゆむ」の同じフレーズの歌を2首並べてみた。
2首目は、今から34年前の「吹かれてあゆむ」。
なんとさわやかで明るく、夢も希望も一人占めしたような歌であろうか。

それに対して、1首目の現在の歌は、「黴くさき地下吹くかぜ」なのである。
このような場所の設定こそが、現在の阿木津の足が地についた〈生〉のありようを
示しているとも言える。目線の低さ、写実の的確さ。



今度の第六歌集『黄鳥』のなかで、猫の歌が沢山ある。
ある時は野良の猫であったり、飼い猫であったりと、猫好きな姿が浮くかんでくる。

      硬き汝がむくろに朝のひかり差し毛の筋ごとに虹のいろ立つ

      喫泉のほとりにわれはけだものの毛深き貌をゆびに撫でつつ

      梢(うれ)あをく流らふそらを見あげたり猫はめぐりに向き向きに居て

      骨格は紙のごとくに揺らぎつつおのれ撫でよと鳴きやまざりき

      女三たり頭(かうべ)を寄せて野良猫の柩をかこみ嘆かひにけり





『それでも猫は出かけていく』の著者、ハルノ宵子を髣髴とする猫の歌たちで
あった。あ、わたしも「猫のいる島」に出掛けるほどの猫好きなの、だ。
 
 
 

2014年9月21日 (日)

日暮途遠(ひくれてみちとおし)

今日は2ヶ月に1度の廃品回収日。それが終わって年1度の町内清掃日。

町内清掃は駅前広場から、町内の雑草刈り及び清掃。汗だくになって9時過ぎに終了。


帰宅してシャワーを浴びてホッとする。


施設の義母は左手のギプスも取れて、穏やかにしていた。
上靴が小さくなって?いるので、次回に行くまでに買っておくこと。




夕顔が3つ咲く。1つは直径20センチくらいあるとても大きな花びら。
あとの2つは直径15センチくらいかしら。
夕闇のなかで咲いている白い花を見ていると、なんだかせつなくなる。



   桃食べてもものやうなるよき笑顔 看取る縁(えにし)を呉れたと思(も)へど

   過去といふ時のもなかをさまよひて今を在る義母  ゆふばえの窓

   ゆふがほの真白な花のほぐれゆく 義母の残り生(よ)はわれの残り生(よ)

                             『暦日』 角川書店刊  2012年


なんだか、仕事の目処がつかない。
頑張っているつもり…なんだけどなぁ。(どげんしょんなか…博多弁)
    

2014年9月19日 (金)

糸瓜忌(子規忌・獺祭忌)

俳人であり、歌人であり、随筆家でもあった正岡子規。その子規の命日が9月19日。

1867(慶応3)年9月17日~1902(明治35)年9月19日永眠。
子規の生涯は35年しかなかった。


絶筆の3句は、
          糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

          痰一斗糸瓜の水も間にあはず

          をとゝひのへちまの水も取らざりき




今から25年も前のことだろうか。
上京した折、下谷のFさん、わたし、Yさんと3人で飲んだことがある。
飲んだあとの千鳥足?で、「子規庵」を訪ねたのだ。
3人で上根岸をさまよい、あのあたりのホテル街にいささかたじろぎ、それでも
お目当ての子規庵に辿り着いた。

あの時、塀のそば(垣根か?)にあった赤い実のついた珊瑚樹の木は今でも
あるのだろうか。岡井隆の歌に珊瑚樹の歌があったよねぇ~などと、喋った
ことを記憶している。

 
ちなみに岡井隆の歌は、
      さんごじゆの実のなる垣にかこまれてあはれわたくし専(もは)ら私(わたくし)




結局、子規庵に辿り着いたものの、夜のこととて、垣根からそっと窺ったような次第。
現在みたいに一般公開は昼間でもされていなかったのではないかしらん。



     ①くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

     ②瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

     ③十四日お昼すぎより歌をよみにわたくし内へおいでくだされ


子規の短歌は、門人に宛てて書いたはがき歌③などユーモアに富むが、やはり
写生の歌①がいい。②の「藤の花ぶさ」の歌は評価がわかれるが、子規の境涯を
背景に置いて読むと味わい深い。わたしは良い歌だと思うし、好きな1首でもある。


死の2年前の子規の言葉「文章には山がないといけんぞな」が、時々あたまをよぎる。




     漸くに辿りつきたる上根岸八十二番地夜の子規庵   miyoko

     手弱女に終はりたくなし絶筆の子規の句三つ口にまろばす    miyoko

                    『夢の器』 ながらみ書房 1992年刊
 

2014年9月18日 (木)

キバナコスモス

キバナコスモスが咲きはじめた。ふつうのコスモスの花よりいくぶん早く咲きはじめる。
キク科コスモス属の多年草、または一年草ともいわれている。


漢字で書くと「黄花コスモス」である。
黄色というより、橙色に近い。空き地などでは種子が零れて毎年同じ場所に咲く。


    線路脇にキバナコスモス丈なして揺れてゐるなり香椎を過ぎれば
                       『暦日』角川書店 2012年刊



電車に乗るときまって車窓の風景をたのしむ。

昨日はシオン(紫苑)の花も咲いていた。
この花を見ると、大西民子さんの歌を思い出す。下の句の「たれの決めたる
高さに揃ふ」のフレーズがいい。


    道のべの紫苑の花も過ぎむとしたれの決めたる高さに揃ふ
                       『野分の章』 大西民子


紫苑の花の花言葉は、「遠方にある人を思う」とか「君を忘れない」らしい。
「思い出」「追憶」とも書かれている。


遠方にある人を思うこともすでになくなってしまった、わたしだが…
 

2014年9月17日 (水)

忙(ぼう)をたのしむ

昨日は、教室から帰宅して、郵便物の整理。総合誌が3冊同時に届く。
パラパラと捲ったものの、読む時間なし。

留守番電話に入っていた案件を急遽対処。(少し時間がかかる)


パソコンを開き、メールを確認。返信を要するのは返信。
スパムメールをせっせと削除。


夕食の時間になってケイタイへショートメールが届く。
返事をするとまた届く。また返事をするとまた届く。
この繰り返しが5度続き、ついにFAXで返信して、今から入浴するのでと
勘弁して貰う。
          (以上、昨日の報告?)



昨夜も(日付けが変わってしまったが)1時半就寝。

そして、今朝も早起きして弁当つくりましたよ。
昨日、歌仲間から頂いた「梅ぼし」を試食。おいしうございました。
「ありがと!!」
辛子レンコンと奈良漬、今夜のおつまみに。


今日はこれから久留米に行って来ます。

2014年9月15日 (月)

猫のいる島(相島)へ

玄界灘に浮かぶ小さな島、相島(あいのしま)へ、三連休の中日に行って来ました。

JRの福工大前駅からコミュニティバス相ランド線に乗車すると100円で渡船場まで。
ここから町営渡船の「しんぐう」に乗船、片道460円です。20分弱で着きます。



「猫のいる島」で、やや有名?です。
その予備知識のもとに、猫ちゃんのために「いりこ」と「チーズかまぼこ」を持参しました。

島の面積は周囲6、1キロということですが、全長5,4キロのハイキングコースがあります。
舗装され整備された道ですし、それに挑戦?することにしました。


ハイキングコースに入る前に、猫ちゃんです。
島人によると、以前は100匹くらい居たということらしいですが、だいたいの数は
30匹くらいでした。ここの猫は、人見知りするでなく、まさに自然体というか、
寝転んだり、思う気侭に振る舞っています。島を訪れる人たちは、釣り客か、猫目当て
の人、或いは、ハイキングの人たちのようです。
猫目当ての人たちは、写真を撮りまくっています。猫ちゃんも心得たもの、モデルとして
惜しみなくその姿態を見せています。



ハイキングは、海からの風が心地よく、歩け歩けとガンバリました。
途中、4~6世紀頃、築造されたらしい「積石塚古墳群」を見学しました。
海が目の前の場所です。石だけで造った古墳で、亡くなった人を埋葬したもの
らしいです。
ここからは、鼻栗瀬(通称めがね岩)が見えました。




ウォーキングシューズを履いて来たものの、やはり、6キロ弱のコースとは言え、
歩くほどありました。つくつくぼうしの声がさかんに聞こえ、島の上空を大きな
トンビ(鳶)が飛んでいます。



2時間ほどかかって島を一巡、山を下って来たところで、また、猫ちゃんに会って
しまいました。石垣の隙間に子猫が見え、近づいてゆくと、親猫が「な~ん、しょっと」
と、警戒して見張っているのです。先ずこの親猫に餌を与えて、警戒心をほぐしました。
子猫はなんと4匹もいたのです。石垣の穴から4匹とも出てきて、猫じゃらしで
しばらく遊びました。いや、わたしが遊んで貰ったようです。

なかなか、ここから立ち去り難く、遊んでいるうちに、船に乗り遅れ、結局16時の
船で帰って来ました。




3連休は、まぁ、つつがなく終りました。
今週は16日、17日、19日と教室があります。
がんばらなくちゃ。

2014年9月12日 (金)

彼岸花

彼岸花が咲きはじめた。

秋の彼岸頃になると、田んぼの畔や土手にいっせいに真っ赤な花が咲き出す。


彼岸花の名前は沢山あり、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は真紅の花という梵語らしい。
仏教と関係する名前では「天涯花」とか「死人花」など。
あまりいい名前が付いていないと思う。「捨子花」然り。


         死人花はた捨子花、彼岸花、父の墓辺の天涯花よ
                            『夢の器』


子どもの頃、この花を摘んで帰って、母にたいそう叱られたことがある。
理由は毒草だから。
でも、戦時中はこの球根を漉して食べたそうだけど、真偽のほどは知らない。



「花は葉を見ず、葉は花を見ず」というのは、花の咲く秋には葉がなく、葉が出てくる
初冬から春にかけては花がないためである。

いつだったか、彼岸花は春にも咲くのですか?と、訊ねられたことがある。
彼岸花というから、秋と春の2回咲くと思ったらしい。
春には咲きませんよ、お嬢さん。



「暑さ寒さも彼岸まで」と言うごとく、この花が咲きはじめると、秋真っ盛り。
でも、今年の彼岸の入りは9月20日、彼岸の中日が23日、彼岸明けが26日になる。
お墓参りのシーズンですね。


明日から3連休。
嬉しいような、うれしくないような…

     すこしだけ苦味(ビター)をください 夕映えに染まりて潤む一身ならば
                                         miyoko

2014年9月11日 (木)

韮(にら)の花

博多では「もつ鍋」に欠かすことのできない韮だが、刈り取らず放っておくと

晩夏から秋にかけて白い花が咲く。


韮は多年生で、一度種子を播くとそのご毎年生えてきて、年に3・4度刈っても
育つ。食材として、野菜炒めなどに入れるが、わたしはこの花が好きである。
韮の花が咲きはじめると、秋だなぁ、と、改めて思う。


      秋立つと思ふすず風、韮の花はつはつ咲けるかたへを歩む
                           『夢の器』1992年6月刊



小さな白い花で、いまの季節に咲いている「たますだれ(玉簾)」、この花も好き。
門から玄関までのアプローチに咲いているのを見ると、つい、その花に誘われて
よそさまの玄関まで入りたくなってしまう。



たますだれは、球根が玉状であり、細い葉がスダレのように並んでいるところから
名付けられた、らしい。清楚な白磁色の花が、秋の涼気を運んでくれる。

2014年9月 9日 (火)

男子厨房に入って…

今日は春日の教室だったのだけど、「ひじき煮」の歌があった。

皆さんは、作者の妻が作った「ひじき煮」だと、鑑賞していたが、違っていた。


料理は妻(女)が作るものという先入観はもたない方がいい。
この「ひじき煮」のかたは、林檎ジャムも作るし、カレーの味なんて抜群なのだから。
と、言うのも、そのかたの作ったカレーを1度ならず頂いたことがある。
彼は漬けものだって、漬けるのだから…


そして、今日もその「ひじき煮」を帰りにお土産に頂いた。
夕食にこの具沢山の「ひじき煮」の具を数えてみた。
わたしが作る時は薄揚げとニンジンしか入れないのだけど。
「えぇっ、キャベツも入っているの!!」と、驚きの声となる。



今夜のスーパームーンは、薄絹をまとって幻想的であった。
くっきり見える月もいいけど、朧な感じも悪くないな、と見上げていた。

2014年9月 8日 (月)

中秋の名月

陰暦八月十五夜の月、ということで、しっかり見てきました。
今年はいつもの年より「中秋の名月」がはやいみたいです。


月を仰いでいたら、山中智恵子さんの歌を思い出しました。

      三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや


神々しい三輪山もなく、高層マンションの建ち並ぶところで見る月は…

それでも、美しうございました。明日が満月なのですね。明日もお天気らしいので
二夜続けての観月になりそうです。



このところ、あれやこれやで、ゆっくり本が読めないのがさびしいです。

届いている歌集が7冊。まだ開くことができなくて、ごめんなさい、ごめんなさい。




2014年9月 7日 (日)

ナレーター  藤原竜也

日曜日午後6時からのTBSテレビ「世界遺産」を観ている。

観ているというより、在宅の時はこのチャンネルに合わせる。
世界遺産の放映のそれ自体も面白いし、興味は尽きないのだが、
何より藤原竜也のナレーションがいいのだ。あの若さで、落ち着いた静かな語り。
「声優でも食べていけるね。」などと、勝手なことを言いながら視聴している。




ところで、5日の金曜日のこのブログで「妣」と「考」のことについて記したが、
本日の朝日新聞でたまたま「考」のことが掲載されていた。
漢話字典というコラム?で漢字の成り立ちや熟語などを紹介している欄。
本日の執筆者は、前田安正氏、監修は笹原宏之早稲田大学教授。


そこで知り得たのは、「先考(せんこう)」、亡き父のことです、と書かれていた。
それでは、「妣」に「先」を付ければ「先妣」となる。広辞苑で確かめると、ありましたねぇ。
「先妣(せんぴ)」、亡くなった母のこと、とある。



ああ、こうして次から次へと、知らなかったことを知ってゆく。
たのしきかなや、と思った次第。

2014年9月 5日 (金)

お祈りメール

電子メールを利用した企業からの不採用通知の俗称である、らしい。

巷間で流通しているらしい「お祈りメール」の意味を知らなかった。

詠草のなかに「お祈りメール」の言葉があり、歌の前後の脈絡から

なんとなく意味はわかったものの、世間?でそこまで認知されているとは

ちっとも知らなかった。


しかし、「お祈りメール」って、なんだか、お祈りなんだけど、心が「おいてけぼり」
と言うか、心がこもっていないように思うのは、わたしだけかしら。




知らない言葉を知るのは嬉しいが、たとえば「壁ドン!」なんて、知っても
仕方ないような…



知らないことが恥ずかしかったのは、「妣」の対義語の「考」だ。
「妣」が亡くなった母をさすなら、亡くなった父を意味する言葉もある筈で
調べると「考」が、広辞苑には載っている。



そういえば、つい先日耳にしたのは「手紙美人」なる言葉。
意味がわかりますか?       (ヒント ①褒め言葉ではありません。
                          ②「八方美人」を、もじっています。)


いずれにしても、言葉は時代と共に変遷してゆくし、うかうかしていると、
時代に取り残されそうだ。いやはや。



   *テレビの「ぴったんこカン・カン」に、「花子とアン」の花子の旦那様役の
     鈴木亮平が出ていて、日本近代文学館を訪れていた。
 
 

2014年9月 4日 (木)

介護日誌

母がグループホームに入ったのは、2011年9月1日。その日から綴りはじめた介護日誌。

80ページあるノートも2冊目が終ろうとしている。

介護日誌の表紙裏には父の遺影の複写を貼っている。
急死した父はきっと母のことが気がかりに違いないと思う。
このノートを開くたびに父の温顔のまなざしに見つめられる。



介護日誌には日付けと共に、母のその日の体調、母の呟いた言葉、介護士さんの
言葉など、気付いたことは全て記す。そして、訪問してくれた親戚の人の名前などを
記す。この施設は、訪問すると必ず名前と住所を面会者ノートに記すようになって
いるので、次に行った時にどなたが来てくださっているか知ることが出来る。


入居した当初の母の言葉は「父ちゃんが裏の山に行ったまんま、帰ってこん」と心配気で
あった。亡くなったことを忘れているのだ。お葬式にも出て、けなげに振る舞っていた
のに、それから一挙に認知症がすすんでいった。


     呼吸する花は飾らず飾られず姑の個室のうらさびしけれ
                        「未来」2014年6月号


認知症ゆえか、母が花瓶の水を飲んだことを知らされたのはいつのことだったか。
それ以来、母の部屋には生きた花?を、飾ることができない。


昨日は久留米の教室が終わって母のところへ。
久留米を出る時に大雨になり、八女に着くと、午前中はカミナリと大雨だったと
介護士さんから聞かされた。母の個室の窓の向こうの小川の水が増水して、
急流となっていた。
電車の遅れを気にしながら帰路についたが、博多に近づくにつれ、カミナリと大雨。
傘をさしていても濡れてしまった。カミナリが落ちそうで、雨の中を走って帰宅。



出る時にわたしが用意していた夕食を食べて、連れ合いは、カラになったお弁当箱まで
洗ってくれていた。


明日は香椎の教室、明後日は「未来」の歌会と今週は何かと忙しい。

2014年9月 1日 (月)

スクラップノート

1980年頃からはじめたスクラップノート(切り抜き帖)が、114冊目も終ろうとしている。

大学ノートに新聞や雑誌で読んだ気になる記事を貼っているのだが、100冊も
越えると結構場所をとる。
それでなくても日々増え続けてゆく本に悲鳴をあげているのに…



処分するか、と、いったんは思ったものの、読み返していると、その当時のわたしの
関心の在り処が伝わってくる。


吉本隆明の『言葉という思想』の書評や、桶谷秀昭の文芸時評などが貼られている。
立松和平が『回りつづける独楽のように』を出したのも、この頃だった。新聞に掲載
されている顔写真もみんな若い。若くて初々しい写真を見ていると歳月の重さを
感じてしまう。




整理するつもりで引き出したノートの山のなかで、わたしの上を過ぎて行った
歳月を考えている。


むかしの新聞はこんなに活字が小さかったのだと、目をしょぼしょぼさせながら
読み耽っていた、1日だった




それにしても、どうすればいいんだ、この大量のノートを…

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