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2014年10月

2014年10月31日 (金)

カエンカズラ(火焔蔓)

ブラジル南部原産のつる性植物。橙黄色の鮮やかな筒状の花が咲く。

筑紫通りの、とある場所にこの花が咲いており、花の名前がわからず悶々としていた。

今日漸くわかった。沖縄などでは1~2月に咲くらしいが、ここ福岡では、

もう咲いていた。(狂い咲き?)

沖縄では、垣根に這わせたり、石垣に垂らしたりしていて、遠くから見てもこの
橙黄色は目に付く、らしい。


花の群れ咲く姿が炎のように見えるので「火焔蔓(かえんかずら)」というのか。
そういえば「火焔樹」という花も炎のような赤い色。(まだ見たことはないが…)


今日は、1日頑張ったけど実り、無し。
頭がちっとも回転?しない。
あれやこれやと拾い読みや、斜め読みをして、1日終わってしまった。


明日は歌会。
会場のカギを借りに行った。

2014年10月30日 (木)

日本シリーズ ソフトバンク×阪神  第5戦は?

昨夜の第4戦では、サヨナラ勝ちをしたソフトバンク。

日本一に王手をかけたんだって…


昨夜は、関西在住の友人より17時15分にメールがあり、はじめは野球の
こととは思いもしなかったけど、それから次々にケイタイに入ってくるメールで
日本シリーズのこととわかった。


野球オンチなの、わたしは。
だから、テレビでもあまり観戦しない。
彼女は大の阪神ファンらしくて、野球が終わらないと仕事が手につかないらしい。

都合6回入ったメール。
その都度、返事してあげなくてはならない。
途中で「中華料理を奮発しなくては」など、言いだす始末。
ソフトバンクが日本一になったら、おごってくれると言うことかしらん。


と、いうわけで、夜の11時過ぎまでメールのお付き合い。(最後はパス)
ソフトバンクの内川のファンなの、と、カワイイことも言ってくれたので、
よしとしょう。関西人は熱~い、とね。


今夜の第5戦は、きっと観ますよ。
そして、「勝ったよ~」「日本一だよ~」と、メールを入れたい。

2014年10月29日 (水)

雨宮雅子さん哀悼

2014年10月25日、歌人の雨宮雅子さん(85歳)が亡くなられたことを、

今朝の朝日新聞で知りました。謹んで哀悼申し上げます。


2012(平成24)年、5月に角川書店から出版された第10歌集『水の花』が、
生前さいごの歌集になってしまいました。
この歌集は、第28回、詩歌文学館賞を受賞なさっています。



   絶対の「無」を救済とうたひたる近藤芳美の受洗を思ふ

   信仰に苦しみたりし歳月のはてしづかなる雨の日のあり

   はるかなる家郷のごとく離籍せし基督教を思ふことあり

   沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ

   亡きを恋ふるこころは失せて亡き者とさかひへだてぬさかひに棲めり


20代の苦難の時期に信仰を支えとして生きてこられた雨宮さんが30余年の苦しみの
果ての結論として基督教を離籍しました。しかし、50年に亘る在籍期間が齎したものは
大きかったことでしょう。


4首目の歌は、歌集のタイトルになった歌ですが、下の句の「孤独死をなぜ人は
あはれむ」と、疑義を呈しています。〈孤独死〉は、哀れまれるような〈死〉でもない、
といった覚悟がおありだったのでしょう。


5首目の歌の「亡き者とさかひへだてぬさかひ」に棲んでいるとの認識がせつないです。


雨宮さんは、1988年、評論集『斎藤史論』で、第16回平林たい子賞受賞
        2003年、歌集『昼顔の譜』で、第30回日本歌人クラブ賞受賞 
 
なさっています。なお、2013年に現代短歌社より、第一歌集の『鶴の夜明けぬ』が
文庫版で刊行されています。


      

2014年10月28日 (火)

ブログをはじめて、半年経過。

2014年4月の末からはじめたブログが半年経過した。

いまだに写真掲載無し、プロフィール掲載無しで、押し通している。(と、言うより、

操作できず…)と、なんとも頼りないブログ。

フェイスブックもツィッタ―もしない(できない)わたしが、ブログをはじめたのは、
連れ合いに感化された?から、かも知れない。(彼は写真も掲載している。)

まぁ、わたしのツィート(つぶやき)です。このブログは。

わたしのブログをいちばん読んでくれるのは、ひょっとして、連れ合いかも知れない。
その次に、読んでくださるのが、教室の皆さんがた。(だと、思いたい。)
久留米教室・春日教室・香椎教室のみなさんの感想に支えられて、どうにか続けている。


そうそう、
「ホトトギスの花をくださいな」と、書いたら、早速いただきましたよ。
Nさん、ありがとう。
そんなご利益もある(happy01)ので、やっぱり、やめられない。


それでは、ごきげんよう。

2014年10月27日 (月)

日高堯子歌集 『振りむく人』  砂子屋書房  

2009年から2014年5月までの作品480首余りを収める著者の第八歌集。

「老父母の介護のため傍らで暮らす年月が永くなり、この数年の作品を振り返れば
父母の歌ばかりということをあらためて確認しています。」と「あとがき」に記す。




     ドン・キホーテのごとぎくしやくと野をあるき九十歳(くじふ)の父が摘むふきのたう

     黄かぼちやに庖丁の刃を刺したままほうほう母はどこいつたやら

     母の顎に一本のひげが伸びてきぬをかしくもある老い極むるは

     春の月竹群ゆらしのぼれども歯をはづし目をつむり父はもう寝た

     姥袋(うばぶくろ)のやうなる母のももひきを朝々あらふわれのをかしさ

     わが貼りしバンドエイド腕につけしまま父はこの世を離(か)れゆきにけり




父と母の歌を上げてみた。いずれの歌も酷薄なまでの表現をしている。

父のことは兎も角として、母の歌は、わたしが著者の母だとしたら、「こんなとこまで
うたわんといて!!」と怒りそうな「一本のひげ」や「ももひき」の歌である。だが、著者の
歌人魂は綺麗事としては、肉親をうたわない。

在るが儘の「老い」を目を逸らさず、現実の在りようとしてうたう。
それゆえに、著者の悲しみが作品の背後からただよってくる。先に〈歌人魂〉と
書いたが、そのことをこの一集からひしひしと感じた。




     ゐのぶたは猪と豚とのかけあはせ 媾(コウ)をおもへばややにをかしき

     星の名は麦束・扉・振りむく人 前登志夫逝きけふ三回忌

     どうかあまり生(いのち)に執着しませんやうに 肉厚(にくあつ)ぐいのみ
     わたしは嫌ひ


     水飲みにくる黒揚羽 井戸端から戦地までああこんなに近い



1首目は、猪と豚の交配(?)の歌である。その媾の姿を想像し「ややにをかしき」と
醒めた視線なのだ。女性である著者がここまであからさまにうたえるとは…。


NHK学園生涯学習フェスティバルの平成19年の別府短歌大会で馬場あき子氏が
著者の歌のすぐれたところを語った。その時、引用した歌。

     敗戦日 空また晴れて日晒しの青姦のやうな日本も見ゆ



「日晒しの青姦のやうな」などという比喩を思いつく発想の柔軟さ、そして、
日本の状態をみごとに捉えている……


「巧緻な技法の中に真実の声を秘めている」と、馬場あき子氏は資料で指摘していた。

このたびの「井戸端から戦地までああこんなに近い」も、現在の日本の在りようを
示唆してはいないだろうか。




あ~あ、こんな優れた歌集を読むと、歌作りが更に更に難しくなってきた。
 

2014年10月26日 (日)

パソコン不調

windows2007は、もう寿命でしょうか。

やたらフリーズするし、「ページ応答なし」ばかりです。


この「記事を書く」にも、ようやく辿りつきました。
ここまで来たら、書こうとしていたことを忘れてしまいました。


今日は、はがきを7枚書きました。勿論、手書きです。
仕事も怠けずきっちりしました。

明日の朝も早起きして、お弁当をつくります。

みなさま、おやすみなさい。

2014年10月24日 (金)

ルッコラ、発芽

3日ほど余所見していた間にルッコラが発芽していた。

律儀に、健気に、芽を出してくれたルッコラ。


初めての種子だが、100パーセントに近い発芽率である。
アブラナ科の野菜で、胡麻のような香りとピリッとした辛みがあるらしい。
カルシウム・鉄分・ビタミンCが豊富な葉野菜なので、初めて種子を蒔いてみたのだ。


これからがたのしみだが、間引かないといけないだろう。
それが問題。間引くなんて、可哀そうでもあるが…




一昨日佐賀に行ったのだが、ハウステンボス号?に乗車。
そのままハウステンボスに行こうかしらん、などと、頭を掠めたが、そんな
だいそれた冒険は出来なかった。(口惜しwobbly



その車中で「please」を頂いた。(無料配布)
九州新幹線や特急の車内に置いているフリ―マガジンである。
パラパラと捲っていると、スカラベ広場のヒロシさんが執筆していた。
「九州ものしり学」連載の今回は「火野葦平」だった。


葦平って死因は自殺だったのだ、13回忌までその自殺のことは封印されて
いたのだって…

「封印」ってことば、惹かれるぅ……

2014年10月23日 (木)

第18回 全九州短歌大会 日本歌人クラブ

平成26年10月22日、佐賀市の 「HOTEL グランデはがくれ」に於いて、

第18回全九州短歌大会が開催された。

出詠歌、903首。入賞作品は「佐賀県知事賞」をはじめ20首、他に選者賞、優秀賞、
佳作賞等。
 
 
   
   佐賀県知事賞
   描くなら黄のクレヨンの一色に足りる菜畑海までつづく    槙原 国恵さん


   日本歌人クラブ賞
   料金不足の付箋をつけて戻り来しはがきは二円の重みを背負ふ
                                        松尾美津子さん

      佐賀県議会議長賞
   夜の明けを待ちて賑わう競り市に砲弾のごとき鮪並びぬ   新城 研雄さん



      
当日は、平成26年度の日本歌人クラブ九州ブロックの優良歌集の表彰も行われた。

   優良歌集  『日月亭』  稲富 啓子さん   長崎県

   優良歌集  『紫雲英』  成吉 春恵さん   福岡県



講演は、三枝昻之氏の「短歌で楽しむ花子と白蓮」。
時宜を得た講演であり、二人の「心の花」の作品などに触れて語られた。

柳原燁子の『短歌研究』昭和20年10月号の香織戦死の歌、
歌集『地平線』のことなど、時間があればもっともっと聴きたかった。




遠く沖縄からの出席者も多数あり、会場が満席の盛会であった。
地元、佐賀の方々の行き届いたお世話に感激した秋の1日であった。
みなさま、お疲れさまでした。
 

2014年10月20日 (月)

歌集『虫たちの宴』 木島  泉  ながらみ書房

郡上大和にお住まいの御歳82歳になる第2歌集。「心の花」に所属。


ぱらぱらと捲った時、猫の歌に目が止まった。
その猫の歌がとてもいい。猫を知り尽くしたおひとの歌であり、木島さんは
この歌集から窺うと、嘘の付けない正直なかただろうなと推測。



    嫌な奴が嫌でないときくれた猫 三毛よおまえに罪はないのに

    私を好きというより私のあげる竹輪が好きな猫たち

    病む猫はひっそり抱かれさびさびと戸袋あたり鳴く虫のいる 
   
    猫の子を猫っ可愛いがりしておれば命とはこんなに暖かいもの

    泣き虫の子猫が師走に舞いこんで私の方が泣きたくなって

    梯子登りそこねた猫を笑ったら恥ずかしそうにどこかへ消えた



猫の歌を読んでいたら、忽ち、木島さんの歌の魅力に嵌まってしまった。
猫の歌だけでなく、いずれの歌も、飾らず、素の姿がうたわれている。
ああ、こんなふうに年齢を重ねてゆけたら……と、思うのだが。



    こっそりとあなたの夢に忍び入る手立てはないか魔法はないか

    泣かされてだから泣かせたそれっきり行ってしまった赤いとんぼう

    明日さえ解からぬといい歳をいいさあれまだまだ木など植える気

    何もかも管理されるのいやだから一日一回は叱られている

    悔いのない人生なんかあるものか余白のままの日記を閉じる

    こんなにも伽羅蕗を煮てどうするの自分に聞いて大鍋に煮る




作者は至って真面目に、在るが儘を詠んでいるのだと思うが、そこがまた木島さんの
魅力ともなっている。歌の魅力はご本人の〈生〉の在りようにも通じる。まだまだ
あげたい歌が……


    これ以上赤くなれない赤とんぼ秋の終りの夕やけこやけ

    転んだら背丈ほどある雪の中誰も助けに来てはくれない

    蜻蛉草の花終りたりしょっきりと立ったまんまで朽ちて行くのか

    誰一人悪くないのに日が暮れたお腹も空いた帰ろよ帰ろ

    あいたいです添え書きのある年賀状あいにくるなら私は逃げる

    わが子よりわれにやさしく物を言う男の子なりけりランチをおごる


「あとがき」の言葉もいい。真っ正直の儘、ほんとうのことが綴られている。
この『虫たちの宴』は、木島さんを愛する皆さんのお心によって成った1集とも
いえよう。



木島さん、「ランチ」くらいで止めておきなさいませ。
世の中には悪~~い輩(やから)も居ますゆえ。
    

     

2014年10月19日 (日)

志垣澄幸歌集 『日月集』 青磁社

九州、宮崎在住の志垣澄幸さんの第十二歌集。

あとがきに「何が起こるかわからないのが人の世、とくにそういう齢にもなったのだし、
元気なうちにまとめておこうと急に思い立ったのである」と書かれている。

志垣さんは、直接戦場に征った世代ではないが、少年期をその渦中に送ったことも
あって、戦争を知る最後の世代として、少年期の記憶が折にふれて思い起こされるので
あろう。

      この星のどこ捜しても私のゐない日が来むその日を想ふ

      戦争の後遺症はおよそ百年ぞ夾竹桃のうへの夏空

      十二月八日、八月十五日負ひて生くるはわが世代まで

      枝や葉にからむ蔓草手に引けば裏山すこしずり落ちてくる

      卵割ればぬるりと地球あらはれて危ふきかなや夏終つる朝


      われと血のつながるものらみなさびし菜の花の中に貌だけ出して


      人間と同じ食事を与へられ人の子よりも愛さるる犬


      花持ちて女(をみな)に逢ひにゆくごとく墓地への道をのぼりゆきたり


      男の眼もて女子(をみなご)をみてゐたり許されよ椅子に妻を待ちつつ


      戦争の世を経し人がだれひとり居なくなる やがてこの列島に


2首目、3首目、10首目に、戦争を体験した者ならではの思いがうたわれている。
ことに、昭和16年12月8日のハワイ真珠湾攻撃開始、対米英宣戦布告は、この
世代の人たちにとっては忘れることの出来ない日になっているようである。

8首目、9首目の艶のある歌、まだまだ活力は期待できそうな…こういった歌が
収められているのは、なんとも微笑ましい。

そして、摩訶不思議な歌の2首目、3首目。
「裏山すこしずり落ちてくる」と、捉えたところが面白い。蔓草で盛りあがっていた
裏山がそのままずり落ちてきたような感覚はわかる。
「卵割ればぬるりと地球あらはれて」の表現、この発想の斬新さ。



学校を2年前に退職され、退職後の日常の感慨や宮崎の自然をこののちも
うたってゆくことであろう。

2014年10月18日 (土)

目の前の小さなこと

「大きなことをすることではありません。目の前の小さなことにどれだけ真心と

愛がこめられているかです。」(マザー・テレサ)



机の前のカレンダーに書かれていた言葉。格言みたいな言葉が31日分
あり、今日18日の文言。
18日は、デール・カーネギーというアメリカの社会評論家の言葉も載っている。



     小さい仕事をちゃんと
     できるようになると大きな仕事も
     ひとりでにかたづいていく


マザー・テレサの言うことは理解できるのだが、社会評論家の言葉はわたしには
無理そうだ。「大きな仕事もひとりでにかたづいて」いかないよって、思ったり
している。




ということで、今日は朝から来週の資料作りをした。21日、春日の教室。
22日、佐賀行き。23日、北九州の歌会と3連チャンで出掛けることになる。


明日、グループホームの母に持って行くズボンの裾上げをした。
わたしが穿いたら丁度いいのだが、母には短かめでないと、裾を引き摺りそう。
転ばれたら大変。

それと来月、グループホームで行われる「よかとこっ祭」のバザーのための寄付する
品物をあれこれ探して揃えた。


そんなこんなで1日はあっというまに過ぎてしまった。
歌集が4冊届いているが、まだ読めそうにない。




わたしの真心と愛は健在なりや?

2014年10月16日 (木)

杜鵑草(ホトトギス)の花

手入れもしていないような荒れた庭に咲いていた杜鵑草の花。

ああ、誰からも見られることなく汝は毎年そこで咲いているんだね。


「汝が性の拙きを泣け」、とは言わんかったけど、貰えるものなら貰いたかった。

地味な花だが、この花は茶花としてもいい。たった1本でもサマになる花。

ただいま、お庭に咲いているかた、縁がありましたら、くださいな。





室生朝子の『花の歳時暦』(講談社)を繙く。
この人の文章は、気品があって好き。
杜鵑草の花をたのしみにしていたら、蕾を鳩に食べられてしまったことが
書いてあった。


「文学館倶楽部」№19 福岡市文学館発行、が届く。
7月に取材した原稿が掲載されている。この取材のお陰で尾形亀之助という詩人を
知ることが出来た。

    「つまづく石があれば私はそこでころびたい」





今日はガーデンシクラメンを植えた。

2014年10月15日 (水)

体力限界…

昨日の春日教室、そして今日の久留米教室と2日続けての外出。

それなのに、今朝というか昨夜は読みだしたら、とまらなくなった本を
3時過ぎまで読んで、読み終わった。



Mさんのお勧めの直木賞受賞第一作という黒川博行の犯罪小説。
「圧倒的なリアリティ、絶妙な語り口、息をつかせぬ一気読みの展開、炙り出される
人間の業ーー」(帯文)

まさに、まさに、途中でやめられない。スリルに満ちた小説だった。


巻末に「作中に登場する人名・団体名は、すべてフィクションです。」と断り書きが
付されている。


怖い、怖い小説だった。


今夜は、もう寝ます。体力使い果たしたよ。

2014年10月14日 (火)

歌集『逝きし者のやうに』 江田 浩司  北冬舎

「讃歌と愛惜の作品集」という帯が付いている。

帯文は、
「固有の時を生ききった尊崇する先人への讃歌と愛惜の思いが溢れる…略」とある。



塚本邦雄・山中智恵子・中川幸夫・村松友次先生・荒川修作さん・父などを哀悼する
歌の数々で構成されているが、ことに山中智恵子に寄せる歌は万感籠っている。


     琅玕(らうかん)の銀河を詠ひ飽かざれば星神(ほしがみ)となれ智恵子よ智恵子
     
     朝羽振り夕羽を振りて三輪山の空翔(か)けたまへ炎(ほむら)なす魂(たま)

     水沢(すいざは)の智恵子は鳥を友とする 神霧奔(はし)る言葉(ロゴス)なる身に



江田さんがこれほどまでに山中智恵子が好きだったとは、露知らなかった。

前歌集の『まくらことばうた』の歌を読んだ時に感じた、伝統的な歌の格調、
言葉の美しさ、そして、詩魂の豊かさをこのたびも感じることができた。


     雨を濡らす雨のささやき尽きるなし邦雄とともに詩魂は逝けり

     
     邦雄亡く智恵子も亡くて青闇(せいあん)の世に詠み継ぐはそぞろなるかな


500首近い歌が江田さんのまことの心を映し出している。
論客としても、つとに有名な江田さんだが、歌もまた〈艶〉がある。


     やがて来るその日に備へ感情を遊ばせてゐる青葦原(あをあしはら)に


     霧雨に山鳩鳴けりわがめぐり浄(きよ)きところの拓(ひら)けゆくらむ

     川野辺の草のふくみし露光り傷のごとくにあはれ静けし

     夕闇に光をふふむ枇杷の実は誰(た)が魂を吐きしにあらむ


     坂の上たなびく雲は天恵を受けつつあらむ雷すぎしのち

2014年10月12日 (日)

映画 「ふしぎな岬の物語」 吉永小百合 企画・主演

吉永小百合の企画ということで、どんな映画に仕上がっているのか興味津津だった。

岬のカフェの女主人、悦子が吉永小百合。
甥の浩司が阿部寛、カフェの常連客のタニさんが笑福亭鶴瓶。
ふたりとも悦子が好きなのだけど……

阿部寛も鶴瓶もいい味を出していた。


悦子の入れるコーヒー、悦子の人柄がほんわかと匂ってくる映画だった。


この映画の見所は「きっと大丈夫だよ」と言ひながら、背中を撫でるシーン。





notenotenote
  今日は3連休の中日ということで、映画に行く前に、近くのビール園の
  「ベルギービール試飲会」にhappy01


  工場見学ののち、ベルギービールのステラ・アルトアとヒューガルデンホワイトと
  レフ・ブラウンの3種類の飲み比べ。
  レフ・ブラウンはアルコール分6.5パーセントということだったが、飲みやすかった。



  終わって「世界のビール講座~ベルギービール編」の課程を修了したということで、
  修了証までいただいた。(これって、なんか役にたつとかな?)

2014年10月11日 (土)

『適切な世界の適切ならざる私』 文月 悠光   思潮社

第15回中原中也賞を受賞した第一詩集。

14歳から17歳の間に書かれた24編だと「あとがき」に記す。
そのことにも驚くが、「あとがき」のことばのなんとしっかりした〈言挙げ〉で
あろうか。
      ーー略
     ゛詩゛とは、紙に整列する活字ではなく、日常の中で心や身体に起きる、
      生きた゛現象゛である。だから、゛詩゛を遠ざけながらも、それを「目撃
      したい」と思っている方々に向けて、この詩集を編んだように思う。
                                        略ーー
      
      ーー略
      ゛あこがれ゛はかたちになることにより、自分の手を離れていく。それが
      自身の選択であるなら、代わりに背負っていくものは何だろうか。その
      計り知れなさに転んでしまうこともあるかもしれない。けれど、元々つま
      ずきやすい足ならば、何を背負うも同じこと。唯一、それが私の強みと
      なる。それが私の骨となる。  二00九年八月二十六日  文月悠光
                   


この詩集を註文し取り寄せたのは、所属する短歌結社「未来」の10月号でKさんが
この詩集の「横断歩道」の次の言葉を、詞書きとして引用していたためである。


      詩を、生きる信号としたために、私は幾度もことばに轢かれた。




この詩も知らず、作者の文月悠光も知らずに、Kさんの歌の鑑賞も批評も
出来はしない。男性だとばかり思っていた。「文月 悠光」は、(ふづき・ゆみ)」 と読み、
女性であることをはじめて知った。


詩作品の24編のタイトルには年齢相応の「下校」などもあり、親しめるが、端(はな)から
弾かれたような衝撃が走った。十代の少女の心の内奥が言葉に刻まれている。



おろおろしながら、この詩集を読んでいる。
そして、この詩集を読む機会を与えてくれたKさんに、少し感謝している。



      焼けた夕空は
      私が見ているから、きれいだ
                    「まつげの湿地」

2014年10月10日 (金)

「大分青南短歌新聞」 第199号 平成26年10月号  

土屋文明は満100歳の誕生日を1990(平成2)年9月18日に迎え、同年12月8日に死去。

あれから、四半世紀になろうとしている。

文明が亡くなり、「アララギ」も終刊となってしまった。
しかし、文明短歌の原質ともいえる「生活即短歌」を標榜する歌詠みたちは、
現在も全国のどこかに存在し、ひそかに、しっかりと、歌を詠み続けている。



「大分青南新聞」は、結社「青南(せいなん)」(小市巳世司創刊)の地方誌的な
ものである。 発行所は、大分県別府市  高木方
なお、「大分青南新聞」を発行している、高木正さんは御歳90歳を越えているが、
現在も新聞の発行を毎月怠らない。

そして、何より、その誌面が土屋文明に関わる歌や文章で埋まっていることで
ある。今号は『韮菁集』の歌をとりあげ、歌意や鑑賞を掲載している。

      枯れ立てる大葉ぎしぎし時に見えて世田谷の道思ひいでつも


      ただの野も列車止まれば人間あり人間あれば必ず食ふ物を売る

      鶏頭の朝々さゆる八月(はちぐわつ)にシャツ重ね着て東京(とうきやう)を思ふ





高木正さんの実妹、田端郁子さんは、金石淳彦の発行していた「にぎたま」や
「九州アララギ」に出詠し、のちに金石と結婚している。

2014年10月 9日 (木)

道浦 母都子 『光の河』 潮出版社  2014年10月

ヒロシマ、チェルノブイリ、そして福島を舞台に展開する物語。

歌人、道浦母都子の長編小説である。



エッセイ、紀行文、評伝などを手がけ、業(なりわい)とする湯浅遙子。
遙子は、大阪府の最北部の丘陵、千里ニュータウンに住んでいる。


学生時代以来の再会で、広島に住む佐伯周平と出会う。
物語はそこから始まる。


「愛してもいいかしら」
不意にそんな言葉が出た。言葉を発した遙子自身が、あまりの突然に
驚いていた。


1947年生まれの佐伯は「被爆二世」、甲状腺ガンを病んでいる。
3度の手術をし、いままた4度目の手術が……
その佐伯との逢瀬によって、「核」の歴史に翻弄された人たちが登場し、
遙子の過去が語られる。



ドクター、村上史郎との10年以上の結婚生活の破綻、
着のみ着のままで家を出た遙子。
    (人と人との最後の別れの過酷さを描写している部分には悲しみよりも、
     人間の奥深い業(ごう)を感じた。)


1945年8月6日8時15分、広島に原爆が投下された。

1986年4月26日午前1時23分、チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故。


2011年3月11日、東北を襲った地震と津波、加えて、福島第一原子力
発電所で起こった事故。


チェルノブイリへは、取材のために訪れた、そこで見たもの。
広島、チェルノブイリ、それを体験した遙子は福島に行かなくては、と決意。
自らの使命のように、南相馬の斎藤さんを頼りに福島へ。



     西暦二〇一一年三月十一日午後二時四十六分それより
     行方不明のわたくし


終章は、「人生は旅。人生は誰でも渡る橋」 
遙子は、ガンジス河のほとりにある聖地、ベナレスへ向かう。
生きるとはなにかーー死とはなにかーー



      著者  道浦 母都子(みちうら・もとこ)
 
           歌人。1947年和歌山県生まれ。
           1980年『無援の抒情』出版
           同歌集にて、第25回現代歌人協会賞受賞
           著書に『百年の恋』『歌日記 花眼の記』など多数。
           最新歌集は『はやぶさ』砂子屋書房 2013年12月刊
 

2014年10月 7日 (火)

初紅葉

被爆アオギリ(何世かの種を、種から育てた)の葉が、オレンジ色や紅色の美しい色に

染まっている。去年は気付かなかったけど、紅葉するんだ。

ゆうがおの花を今年は3本植えたけど、昨日までに70個ほどの花を付けた。

9月25日前後がいちばん花数が多く、7個・10個・9個と毎夕花をたのしんだ。
夕方4時過ぎから咲きはじめ、翌朝には萎んでしまう、一夜かぎりの真っ白い花。
あと、いくつ咲くのか数えてみたら、今にも咲きそうな尖った蕾が5個と、
固い蕾がまだ6個あった。



明日の20周年のための準備。
キャンドルを出す。高さ30センチほどあり、直径が20センチくらいの大きさ。
これを1年ごとに、目盛りのところまで点さないといけない?
まぁ、20年もちこたえてきたのだから、2人とも我慢強い(笑)のかしら。



そういえば、明日は皆既月食らしい。
夜の8時前後が見頃?みたいなので、それも予定に入れとかなくちゃ。
幸いに明日は全国的に晴れるらしいよ。

2014年10月 6日 (月)

行住坐臥

金・土・日曜日と3日続けて出掛けたので、本日は家事に勤しむ。

洗濯、フローリングの床磨き、食材の買い出し。

滞っていた仕事を1本終わらせたら、もう夕方になってしまった。

本を1冊、代引きで注文。

秋・冬衣類の入れ替えにまで今日は至らず。

夏蒲団のままでは少し寒そうな…

2014年10月 3日 (金)

バクチノキ

バラ科常緑高木のバクチノキ。葉は楕円形で深緑色。秋に白色の五弁花をつける。

昨日の知識をもとに大濠公園に行って来た。

地下鉄、大濠公園駅で下車し、児童公園の前を通り、コーヒーショップの裏手に。



ところが、花を見つけることが出来なかった。
赤茶けた幹のことばかり探していたものだから、その大木はあったのだけど、
花はすでに終わっていた。何しろ高木なもので梢の方に花の形骸らしきものは
あるにはあったが…。
幹だけは写真に撮ってきた。



帰宅して「福岡NOWキャスターブログ」野村正育さんのを改めて読んでみると、
どうも、大木の他に若い木があったような感じ。その若い木には気付かず。


いずれにしても、今回の花探しは不発に終わってしまった。
来年はもう少し早く、9月20日頃に行くことにした。(予定ですが… 笑)


でも、わたしと入れ違いにMさんも花を探しに行ったらしい。
「花も実もな〜い」って、メールが入っていた。
花には遅く、実にははやかったんだね。残念、残念。


(今日の行程)
香椎宮前駅→→貝塚駅→→大濠公園→→福岡市美術館→→護国神社→→
     (西鉄電車)    (地下鉄)   (徒歩)         (徒歩)     (徒歩)

六本松3丁目バス停→→博多駅→→竹下駅→→帰宅     万歩計 8000歩
            (バス)    (JR)         (徒歩)

2014年10月 2日 (木)

『九州の花図鑑』 海鳥社  1995年刊

夕方のテレビで「バクチノキ」の花のことが放映されていた。

え、なんて言ったの ?
バクチノキだって ! !
大濠公園に咲いているのだって……


『九州の花図鑑』で調べると、あったあった。
バラ科、花は9月。葉の付け根から長さ2〜3センチの軸を立て、多数の花を
ふさ状につける。花は白色で、径約5ミリ。多数の雄しべは花弁より長い。


樹皮が剥がれるのを、博打に負けて身ぐるみ剥がされるのにたとえた名前。


知ったからには見に行かねば。

とは、言うものの、明日から3連チャンで教室・歌会・短歌大会と日曜日まで
続く。でも、明日の香椎の帰りに地下鉄に乗れば行けなくもない。
ともあれ、明日次第ということで。


    ばくちの木青き落葉を拾ひ来ぬ暖かき伊豆の村はこひしも
                              土屋 文明

2014年10月 1日 (水)

秋明菊(シュウメイギク)

秋明菊は、「菊」ではなく、キンポウゲ科アネモネ属。

菊の花に似た、和風の花で茶花としてもつかわれる。色は白色、ピンク、紅などがある。


久留米から八女に行く途中で、秋明菊の花を何度も見た。
この花の白色がことに好き。


歌人は(?)、「秋冥菊」と表記する人もいるが、わたしは「秋明菊」のほうが好き。
秋の日差しのなかで見るとその白さが際立つ。
明るくて、少しさびしげで…




義母は、義歯が合わなくなったのか、歯茎が腫れているみたい。
歯科の先生に診ていただき、薬で腫れるのを抑えて貰っている。

場合によっては、自分の歯が原因かも知れず、麻酔をかけて抜くことに
なるかも…と、介護士さんがおっしゃる。
それには、高齢だから、大きな病院(久留米)で、診て貰った方がいいとか。

いずれにしても、義歯がないと、固形の食べ物が食べられない。
ミキサーでつぶしてしまった、姿・形のないおかずなんて味気ないよね。


今日は、その義歯を外していたので、すっかりお婆さんになってしまっていた。

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