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2014年10月11日 (土)

『適切な世界の適切ならざる私』 文月 悠光   思潮社

第15回中原中也賞を受賞した第一詩集。

14歳から17歳の間に書かれた24編だと「あとがき」に記す。
そのことにも驚くが、「あとがき」のことばのなんとしっかりした〈言挙げ〉で
あろうか。
      ーー略
     ゛詩゛とは、紙に整列する活字ではなく、日常の中で心や身体に起きる、
      生きた゛現象゛である。だから、゛詩゛を遠ざけながらも、それを「目撃
      したい」と思っている方々に向けて、この詩集を編んだように思う。
                                        略ーー
      
      ーー略
      ゛あこがれ゛はかたちになることにより、自分の手を離れていく。それが
      自身の選択であるなら、代わりに背負っていくものは何だろうか。その
      計り知れなさに転んでしまうこともあるかもしれない。けれど、元々つま
      ずきやすい足ならば、何を背負うも同じこと。唯一、それが私の強みと
      なる。それが私の骨となる。  二00九年八月二十六日  文月悠光
                   


この詩集を註文し取り寄せたのは、所属する短歌結社「未来」の10月号でKさんが
この詩集の「横断歩道」の次の言葉を、詞書きとして引用していたためである。


      詩を、生きる信号としたために、私は幾度もことばに轢かれた。




この詩も知らず、作者の文月悠光も知らずに、Kさんの歌の鑑賞も批評も
出来はしない。男性だとばかり思っていた。「文月 悠光」は、(ふづき・ゆみ)」 と読み、
女性であることをはじめて知った。


詩作品の24編のタイトルには年齢相応の「下校」などもあり、親しめるが、端(はな)から
弾かれたような衝撃が走った。十代の少女の心の内奥が言葉に刻まれている。



おろおろしながら、この詩集を読んでいる。
そして、この詩集を読む機会を与えてくれたKさんに、少し感謝している。



      焼けた夕空は
      私が見ているから、きれいだ
                    「まつげの湿地」

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