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2014年11月28日 (金)

歌集『銀色の馬の鬣(たてがみ)』 岡井 隆   砂子屋書房

『斉唱』から算へて、三十一番目の歌集とも、三十二番目の作品集ともいへる。と帯に

記されている。「あとがき」には、「生きてゐて、三十冊も歌集を作り続けたことが、

すでに異様でもあり自分でも、不思議に思つて来た。」と、書かれている。



     館野泉(たてのいづみ)の楽(がく)沁(し)み透る夕ぐれは右手にて書く詩論の細さ

     遠くからファックス到(いた)る肝腎のアレには触れず脾(ひ)には触(さは)つて

     相良宏も滝沢亘も此処に無いそして何故だかぼくだけは居る

     寒中に土筆を摘んで煮るやうな無理な約束はこのごろしない

     もうすこしで触(さは)れさうだと思ふ夜は窓ごしに見る雨のしぶきを

     たくさんの失意の果てにひろがれる老年といふ荒野(あらの)に立つか

     乃木坂へ出て帰る路思ほへば無数の坂が人生にあつた

     体重の四キロ減りて癒えゆくは思想殺(そ)がるるよりもこたへる

     あたたかき便座に倚りて少量の尿を待つてる 病む者われは

     目の前を立ち去つて行く影がある去るものは去り、春がくるのだ


1首目の歌は、右半身不随のピアニスト館野泉の演奏でも聴いたのだろうか。
その左手で奏でる楽(がく)がしみ透る。作者は右手で書くのだが、その詩論は
細いと嘆いているようでもある。


2首目は、作者だけは判っている暗号のような「アレ」。そして、FAXを発信した人は
わたしの痛む「脾」には触(さは)つた、と多少怒(いか)り気味?


3首目の前の歌は「正俊も稔も誠夫も姿がない歴史が淘汰したつて言ふの」とあり、
これはアンソロジーか何かで、吉田正俊も柴生田稔も大野誠夫も採り上げられて
いないことへの疑義か。そして、挙げた歌は、若くして肺結核で亡くなった相良宏・
滝沢亘を哀切している。


4首目の歌には詞書に俳句「約束の寒の土筆を煮て下さい  川端茅舎」が
添えられている。


5首目の歌は、何か執筆していて、もう少しで肝腎のところに触(さは)れそうなのに、
書き泥んでいるのだと解釈したが、別な解釈もできそうである。

6・7・8・9首目の歌が、岡井の近況を伝えてもいる。なんせ齢80歳をとうに越して
いるのだから、当然といえば当然だが、「あとがき」に書かれていた「わたしは、
それなりの年齢になつてゐるから、老いの現実の中に佇(た)つてゐるが、その
現状の一端」でもあろう。

それにしても、活力は誰よりも持っていると思う。10首目の歌の「去るものは去り」の
侘びしさはあるものの、「春がくるのだ」の立ち直りのはやさは、岡井のエネルギーの
熱さ・豊かさにほかならない。

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