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2014年11月26日 (水)

遺歌集『秋の茱萸坂』 小高 賢    砂子屋書房

2014年2月11日に急逝された、小高 賢 氏の第九歌集。

2010年初めから2014年2月までの作品660首を収めている。

小高氏と同じ「かりん」に所属する夫人の鷲尾三枝子さんが「あとがきに代えて」を記す。



今年の2月に亡くなられたばかりなのに、もう、遠い日のように感じるのは、
日々のあわただしさのためだろうか。

小高さんの追悼の歌をその折りは、歌壇の雑誌で沢山拝見した。ほんとうに
小高さんの死は歌壇に衝撃が走った。
仕事盛りの年齢でもあったのにと、惜しまれてならなかった。


       ほんとうの怒りは言葉にならざりきからだは楽器震えつつ響る

       言うほどにむなしくなりぬしかしまた言わねばならぬ言ってこそわれ


       「頑張ろう」ばかり舞う春がんばらぬ生き方もある哲学もある

       除去できるわけではなくて除染とはここからよそへ移すことです

       もはやわれしりぞかざると決意する妻をいざない茱萸坂通い


       棒を折るわけにはゆかぬ金曜日「国会議事堂」前の夕暮れ





1首目、2首目の歌はそのまま小高さんを髣髴とさせる歌。
3首目の歌は、東日本大震災当時の「頑張ろう」に違和を訴えている。
そして、4首目の、原発事故の〈あとしまつ〉の除染を「除去できるわけではなくて」
とうたう。
5首目、6首目の歌は、毎週金曜日に行われていた首相官邸前のデモ。
「茱萸坂」とは、国会議事堂の南側を下る坂のことで、この歌集のタイトルとも
なっている。小高さんは志をもってこの「反原発」のデモに参加していたのだ。



       死後子らは見つめるだろう備忘録のノート冒頭暗証四桁

       われに来る遠からず来るこの世から魂(たま)うき上がり離陸するとき


       いま死なば中途半端な年齢と揶揄の二、三はかならず降り来

       不審死という最期あり引き出しを改めらるる焉りはかなし





四首目の歌は、亡くなられたのと同時期の雑誌掲載ということもあって、動揺した。
自分の死を予言?しているような感覚に捉われたのは、わたしだけではないだろう。


小高さん、ありがとうございました。
       

       

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