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2014年12月

2014年12月29日 (月)

臘梅(ろうばい)の花

昨日、買い物の帰りしなに気になっていた臘梅の花を、改めて

今日は見に行った。古い大きなおうちの庭にある大木の臘梅。


やっぱり咲いていた。昨日は急いでいたので、まさか、もう咲いてるの? で

帰ったのだが、今日はゆっくりと花の下に佇んだ。黄色の淡い蝋細工のような

花で、香りがいい。そういえば、KADOKAWA『短歌』の1月号の巻頭グラビア

「花歌」に、来嶋靖生さんの臘梅の歌があった。


       ひとりわが期する想ひを包むごと音なくかをる臘梅の花
 
                                来嶋 靖生





ブログを4月末からはじめて8ヶ月が過ぎた。
はじめは、何をどのように書けばいいのか戸惑いを覚えた。
でも、日記代わりでもいいや、呟きでもいいのでは、と自分に
納得をさせて、今日まで書いてきた。


アクセス解析によれば、今月の1日平均は70回弱になる。
70人ということではないだろう。1人のかたが何度もアクセスすると
いうことも考えられる。


県別だと、福岡・東京が多いが、なかでも不思議なのは山形が赤色で
数が多い。どなたか存知あげないが、いつも読んでくださるかたが
いるのは、嬉しいことである。ありがとうございます。




日によっては、155回とか、131回とか、123回という回数が表示されている。
そんな数字を見るとやめられないな、と思う。




moon2moon2moon2
と、いうことで、報告かたがたでした。

明日30日から1月3日まで、このブログはお休みいたします。

今夜は上弦の月が雲間に見えます。
 
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。happy01
                             miyoko

2014年12月28日 (日)

歳晩や

歳時記によると「年の終わり。12月も押しつまって、街は歳末大売り出しで賑い、

家庭では新年を迎える用意に忙しい。年の瀬ともなれば、すべてが慌ただしく、

しかも活気を帯びてくる。」と書かれている。もう、歳晩というより「数え日」に

なってしまったが…



KADOKAWAの『短歌』2015年1月号が届いたので少し読んだ。
そのなかで三枝昻之氏の歌に目が止まった。
今のわたしの心境にぴったりの歌があった。


      積み残しばかりが増えて歳晩やおのれ忘れよすずかけが鳴る
                       「冬芽あり」より  三枝 昻之(りとむ)




今日は、ひとつうれしいことがあった。
大きな段ボールの箱が届いたのだ。そのなかに詰められていたのは、
スナック菓子の10袋。いろいろな種類があり、チリタコス味のドンタコスなど
珍しいのもある。


ナニ、ナニ、これって。
連れ合いがネットで戯れ ?に 応募した「今年最後の運試し」だった。
東京のコイケヤのスナック菓子だ。詰め合わせプレゼントが当たったのだった。




こんなところでだいじな運をつかわんといて…など、勿論わたしは
言わなかったけど……何をしてるのやら。

2014年12月27日 (土)

出戻り郵便

今日は冬晴れのとても良いお天気だった。

朝から家事その他を、頑張った。

カレンダーも来年のに掛け替え、新しい年への準備は粛粛と進んでいる。

明日は、リビングのサイドボードの上と、玄関に飾っている干支の馬(午)の置物を

羊(未)に替えよう。それと、 Y さん手描き・手造りのミニチュアの掛け軸も、馬から

羊に替えること。(すてきな二匹の羊が描かれており、「乙未歳」と書かれている。

Y さん、ありがとう。)


郵便物がいつも午後4時頃に届くが、ナニ、ナニ見慣れた字だと思ったら
わたしが出した手紙が出戻ってきた。

18日の北九州の歌会に欠席だったひとに、当日の詠草と批評を19日にお送りして

いたもの。郵便番号違いのゴム印が押され、下の方には、宛先に訊ね当たりません。

引っ越し云々の文字が…




原因究明(?)したら、判りました。
明らかにわたしのミスです。ドジなわたしのしたことでした。
名簿を見て住所を書いたのだが、〒は、当の宛先のひとの番号を書き、
住所は1行上の別の人の住所を書いていました。(なんだか、です・ます調に
なってしまった wobbly)

道理で郵便番号間違いのゴム印が押され、その上で、その住所に配達
したら、別家だったということに…




ああ、こんなミスをしてしまった。

忙しさを言訳にするな、するなっ。(ハイ、ハイ。)

2014年12月26日 (金)

年末年始の歌

今日も大掃除日和、なのにわたしは現実逃避か、それとも、

偶然に思い出したのか、出掛けることにした。

図書館が12月28日〜1月5日までお休みなのに気付いたから。
電車と地下鉄を利用して県立図書館へ。(大掃除するより、愉しい。)


資料を探し、1Fから2Fへ、最後は3Fへ。
1Fの受付のかたも、2Fの受付のかたも、とても丁寧で細かに教えて
下さり、パソコンで探してくださる。県立図書館にない分は取り寄せて
くださるとのこと。

1度も休憩をとらずに4時間くらい筆写やコピーをした。


と、いうことで、A さんの年末までの宿題は、やや〈明かり〉が見えてきた。



宿題とは別に、
昭和33年の「アララギ」2月号に土屋文明が、「年末年始の歌」のタイトルで
随筆(?)を書いていたのが目にとまった。


      新年を祝ふといふやうなことは、いろいろの制度と一緒に、
      大陸から輸入されたものであるらしくみえます。であるから
      新年関係の歌が、高級官吏ぐらゐに作られて、一般民衆の
      作品として、伝へられるものが殆どないといふことも、当然の
      結果なのでせう。ーー略


      略ーー
      年末や新年が国民生活の上に、直接の関係を持つやうに
      なつたのは、町人が発達し、商取引に年末年始が重要視
      されるやうになつた後のことではないかと思はれます。




文明サンのシビアな受け止めかたに、感嘆。
そうか「商取引」にわれわれは(わたしは)利用(?)されているのか、なんて
思ったら、年末だの、お正月だの、いってあたふたするのも止めたく
なった…けど、けど……

2014年12月25日 (木)

大掃除日和

九州全域晴れマークの本日は「大掃除日和」だった。

とはいうものの、3通りの雛型(;例のアレ)を作成。

終日、プリンターをフル稼働させて、どうにか○○○枚を印刷。

これで、少し安心した。




安心したところで、A さんの宿題を思い出した。
12月中にはなんとかします、なんて、わたしは言ったんだよね。
「なんとかなるのか」少々不安。
「おまえにできるのか」と言う声もきこえるような気がしないでもないが、
なんとかなるさ。(だいじょうぶ、やればできる。)




そんなこんなで、今日も1日暮れてゆく。
さぁ、これから厨妻(おお、なんと古めかしいことばよ。)

2014年12月23日 (火)

短歌同人誌 「穀物」 創刊号

「創刊の辞」もなければ「後記」も掲載されていない創刊号である。

同人紹介欄によれば、1988〜1991年生まれの若者たち8名で結成されている。

先ず、誌名の「穀物」がいい。五穀豊穣を思い浮かべるし、漢字2文字のかっちり感が

シンプルな装丁と相俟って、豊かな実りを喚起させられる。





              鳥の宴         小原 奈実

    あぢさゐの球ふかくまで差し入れてわたくしといふ手の濡れそぼつ

    窓鎖して朴の花より位置高く眠れり都市に月わたる夜を



 
 
       葦毛の時        濱松 哲朗
 
    読みさしの詩集のやうに街があり橋をわたると改行される
 
    声はもう焼け跡だから 仕舞つてもいいよやさしい晩年なんか



      ひかりごけ       廣野 翔一

    俗事 その合間合間に眺めたる街並みひかりごけの如くに

    iPhoneを探れば鳥の影があり呟くために影に触れたり





とりあえず、3名の歌を採り上げてみた。

小原奈実は、文語・旧仮名遣いの伝統的な手法に加え、若い感性が煌めく。
「あぢさゐの」歌は、多少自愛めくが、こういった感覚はだいじにしたい。
「位置高く眠れり」で、背後事情を読者に想像させるのは手柄。下の句の
据え方も決まっている。



濱松哲朗の歌は、背伸びもしていないし、表現に無理がない。(このひとの歌が
いちばん好きかも…) 「橋をわたると改行される」というフレーズは、濱松の発見
であり、濱松だけの言葉だろう。そういえば、次の廣野と共に濱松も「塔」に在籍
していた。


廣野翔一は、どちらかと言えばアララギ風 ?  こういった詠風は、この先、
行き詰まらないと思う。社会に出て働きはじめたばかりの歌に、へんな
気負いがなく、淡々とうたっている。1首目の「俗事」がやはり必要な言葉なのかと
思ったが、それがあるために、下の句が生彩を放っているのだろう。



    ほほえまずあなたはそっと見限って、また一瞬のまぶしさになる
                         小林 朗人「光がつつみ残すもの」

    こころは鍋ひたすら恋は煮崩れて焦げつく友情があるばかり
                         山階  基 「ちゃら」


小林朗人の恋する想いの吐露がさわやかであり、山階基の歌は、句跨りながら
勢いがあり、ハートを感じさせる。



などと、好き勝手なことばかり書いてしまった。
そのうち、闇討に遭うやも知れませぬ。

2014年12月22日 (月)

介護認定

義母が要介護4から、要介護5に認定された。

要介護5とは、動作能力が低下しており、介護なしには日常生活を

営むことがほぼ不可能な状態である、こと。

日常生活とは、具体的に食事・入浴・排泄など。それに歩行も加わる。

みんな介護士さんの手を借りなければ出来ない。

義母は、お箸を持って自分で食事ができるので、まだいい方か。



と、そんなことをつらつら考えていたら、朝から何度も電話がかかり、メールが
入り、「自信がない」とか「歌ができない」とか、言ってくるひとがいる。(教室のひとではない)

ここにも、介護を欲するひとがいるのだと、少し暗澹(大袈裟な…)たる気分にも
なってくる。



いま、わたし、歌のことよりも、現実の生活、今日のこと、目の前のことで
手一杯なんですよ〜と、泣きたくもなってくる。(オーバーな…)



まぁ、嘆くのはやめて、今日もガンバリます、です。

2014年12月20日 (土)

うたを手わたすとき

『短歌研究』2015年1月号で「うたを手わたすとき」という特集があり、

十首+エッセイを、20名の方々が書いていた。

そのなかで、小池光氏のエッセイに、つい先日(16日)の教室のことを思い出した。

    

       正岡子規などは用件をすらすら葉書に五七五七七で書いて
       読む人に手渡した。もっとも郵便屋さんを経由しているから直接
       手渡したわけではないけれど。もらった方はさぞ嬉しかったと思う。
       散文で書いてあるのに比べてずっと嬉しかったと思う。ーー略
                                   
                                   小池 光




教室では、2首の歌を前もって出して頂き、それをプリントして当日、批評(添削も)
する形式をとっている。Nさんの詠草が届くのを待っていたら、メールが来た。


       「すみません」今回もまたギリギリで次回は早く投稿します



と、添えられていた。その時は謝りのメールだと思っていた。それが実は出詠歌
だったのだ。歌が出来ずに(?)、こんな手(笑)を使ったかと…

当日は勿論、この歌もプリントに加えて、ことなきを得た。
そして、その日は急遽、正岡子規の〈葉書歌〉についての話をした。


       十四日お昼すぎより歌をよみにわたくし内へおいでくだされ
 
       鹿の巻を選みし歌と君の歌と二枚に分けて書き送りたまへ
 
                                  正岡 子規




子規の親しみの籠る〈葉書歌〉、こんなふうに、短歌を愉しんでもいいような…
葉書でなく、今どきは、メールかしら。

Nさんには、きつ〜いhappy01返歌をさしあげましたよ。(その歌は、ナイショ。)

2014年12月19日 (金)

『いつも空をみて』浅羽佐和子歌集  書肆侃侃房

新鋭短歌シリーズの1冊で、著者は未来短歌会所属。

加藤治郎さんが「空を見上げる」として、理解の行き届いた解説を書いている。

「短歌とわたし」(あとがき)の著者のことばが初々しい。


       短歌と向き合うと、自分の気持ちが自分に向って流れてくる。
       今のことも、昔のことも。記憶として曖昧だったシーンやその時の
       気持ちがふっとよみがえってくるのだ。


浅羽さんが結婚する前の夏だったか、「未来」の集いでちらりと見た記憶がある。
彼と結婚するんだ、ということを誰からともなく耳にして、「歌をやめるのかなぁ」
などと、余計なことを案じたものだが、こうして第一歌集を出せたのは、本人の
努力あってのことだろう。(嬉しい、ほんとに嬉しい。)



               丁寧に傘をひろげるあの人はたぶん何かを手放してきた

       八月の自転車青く輝いてもうもどれないとあなたは言った

       私から母の匂いがきえなくて台所からはなれられない

       どこまでも流されてゆく夢をみた もう元には戻せないシステム

       ああこの子も私に嫌われまいとして、私みたいに、たった二歳で

       優しくない私が優しいふりをして青空という仕返しがくる

       連絡帳書けずに終わる連絡帳読めずに終わる、もう先はない

       おだやかな私であるほど覚めてから現実が津波のようで、のがれられない

       あっけなく私の人生に入ってきてあいうえおうさまみたいに自由




結婚して、妻になって、二人の子の母親になって……と、この歌集では、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ章
に亘って、その時々の心の軌跡がうたわれている。と、同時に、妻でもない、母親でも
ない、浅羽さんの一人の女性の〈生〉が、にんげんとしての〈生〉が、うたわれている。


ワーキングマザーなんて言えば恰好いいが、日々の生活のなかで我武者羅に生きて
いる女性の姿が脳裏に浮かぶ。7首目の子どもの連絡帳まで書くことも、読むことも
できない時間のやりくりはせつない。


浅羽さんは、本質的に優しい人なのだと思う。
1首目の「あの人」に対する心寄せは「何かを手放してきた」のだと思い遣る。
2首目の歌からも、自分のことよりも「あなた」を気遣う思いの深さ。
6首目の「優しくない私が」と、うたえるのも、ホントは優しい証左。




象徴的なタイトル『いつも空をみて』がいい。
浅羽さんにとても相応しいと思う。前向きだし、ポジティブなタイトルなのが
愛らしい装丁とマッチしている。
そして、何より次の1首は浅羽さん(そして、家族の)の胸奥を解き放っている。



      清潔なハンカチのような嘘をつく この青空をなくさないため
 

2014年12月17日 (水)

『詩に踏まれた猫』 清水 哲男  出窓社

漱石の「猫」ってなに種の猫なの ?  朔太郎の「猫」はどうして青いんだろう?

日本文学の名作・詩に登場するネコを暗闇のなかからじっとみつめる詩人の

眼光は鋭い。 (帯文より) 1998年2月刊行。


今日は久留米まで出掛け、その足で義母のグループホームへ。
そのために電車のなかでの読み物として、連れ合いの書棚よりこの1冊を
持ち出した。全国的にひどい雪のようだが、博多は皆無。それでも
風はひゅうひゅうと、檀一雄の俳句の「モガリ笛」のごときであった。


途中、原田を過ぎて基山あたりでは屋根にうっすらと雪が積もっている。
田んぼの畦にも雪が。そして、はらはらと降り出した雪、今冬はじめて見た
雪であった。




さて、『詩に踏まれた猫』には、猫について書かれた詩を紹介している。
萩原朔太郎の「青猫」は、トップバッター。諏訪優・北村太郎の詩も採り
上げられており、なるほど、なるほどと読む。


      猫好きは陰険で、犬好きは陽性なんていうのは俗説までいかぬ
      謬説(びゅうせつ)である。人間を猫型、犬型に分けるのだっていい
      加減なものだ。ようするに、生まれつきであって、猫きちがいの人間も
      犬きちがいの人間も、きちがいとなりゃあ、どちらも同類である。ーー略

 
この書の孫引きで申し訳ないが、北村太郎の「猫について」の文章だ。
そうだ、そうだ、と思う。
まぁ、わたしはどちらも好きですが、猫関係の本を読むのが、より好きかな。
まだ、半分くらいしか読んでいないのだが、伊藤比呂美の「ネコの家人」が
面白かった。




cat
帰宅して、
京都の千枚漬が届き、「お酒に合うから」との、お勧め通りすこし飲む。
舞妓Haaaanになった M さんの後日談をききたかったけど…

2014年12月15日 (月)

歌集『風とマルス』 花山 周子 青磁社

著者の第二歌集で、2007年2月より2010年2月までの482首を収めている。

タイトルのマルスは、「デッサンのモチーフとして何度も描かされた石膏像の

マルス」とあとがきに記している。


           掘割に楕円の日なた鴨一羽吸われるように水面をゆけり

     明け方の鳥のはばたきサイダーの蓋をはずしたように聞こえる



写生の歌2首、いいなぁと思って挙げた。共に4句目に「ように」と直喩が使用
されている。1首目の「吸われるように」、2首目の「はずしたように」と、意味は
解りやすい。その分、衝撃度は弱い。しかし、2首目の「サイダーの蓋を
はずしたように」は、作者のオリジナリティが感じられる。



     かなしさは眠たさになり眠りたり眠りて悪夢に怒鳴りて眠る

          思い出は思いが出てくることなのに君の野太い腕が横切る

          泣いている理由忘れて泣いている電信柱になりたい夜更け

          泣きながら朝を迎えてゴミを出す。光の中にゴミを出したり

          また同じ木を描いている 筆に染みるテレピン油が木を溶かし込んでく

          空気にも色があるからキャンパスは塗りつぶされて風景になる

          伐採さるるときに最後の花粉をば吐きて倒るる杉を思えり

          ぶたくさの根っこを抜かれているような私の胸を押さえて眠る





印象的な歌を8首抽出。1首目・2首目は、初句の助詞が「……は」となるところが
多少気になるが、1首目の「悪夢に怒鳴りて眠る」など、わが歌かと思われるほど
同じような体験をするものと親しみが湧く。


2首目は、下の句がいい。「君の野太い腕」が、記憶にくっきりと刻まれているのだろう。
この下の句が効果的で、実感が出ている。


3首目・4首目、泣くおんななのですね、周子さんは。
3首目の「電信柱になりたい」がなんとも可笑しい。可笑しいけれど、これはホントの
ような。電信柱になれるものならなりたい時だってありそうな…。


4首目の朝のゴミ出し。誰にも会いたくないゴミ出し。だけど、こんな時に限って
うるさいおばさまに会うんだよね。4句目の「光の中に」がいい。


5首目・6首目は、周子さんの生活(生業)ですか?
それだけに、やはり、描写が細かい。


7首目は、いちばん好きな歌。
どこが好きかと言えば、杉の木だっていのちを終える(?) 時に、そのいのちの
片鱗なりとを、この世に遺してゆくのだという、ことかしら。
阿鼻叫喚のような、いのちの凄まじさが伝わってくる。
(わたしも死ぬ時は穏やかにあの世にゆかず叫びそうな…)
この歌、結句が「思えり」なんだ。



そして、最後に挙げた歌、「ぶたくさの根っこ」が、いかにも周子さん好みのような。
つらい、せつない、しんどいような眠りの際が…
この歌から、安らかな眠りを想像できないのは、わたしの理解が足りないのか?

いずれにしても、この『風とマルス』は、混沌としていて、その混沌さが心地いい。
四角四面に収まることはない。
にんげんって、誰も何かしら「混沌」さを抱えて生きていると思うのだから…
 

2014年12月14日 (日)

海鮮鍋

佐賀関の「炙り関ぶり」を頂いたので今夜は海鮮鍋をした。

鍋はいい。手間がかからない。からだが温まる。お酒も飲める。

この「炙り関ぶり」は、新鮮なまま関ぶりを切身にして炙ったもの。
だし汁と薬味とおうどんまで添えられていた。

白ネギを焼いて入れ、白菜や水菜なども入れた。美味しうございました。
(ちなみに、「炙り関ぶり海鮮鍋」の名前が…)


おなかいっぱいになり、酔いで、8時ころには眠たくなってしまったが…
かろうじて、眠らずに机の廻りの整理をし、資料作りをした。



年末の前倒しのため、今週は火曜日から4日間連続で教室や歌会がある。
寒くなるのに、大丈夫か ?  と、自分に問う。(だいじょうぶ、やればできる。)

2014年12月12日 (金)

「亜麻」 中城ふみ子同好会  亜麻の会

2005年11月発行の第二号だが、奥付を見ると第3刷発行で2014年3月と

なっている。52ページほどの冊子が、第3刷まで増刷されていることの意義を思う。

それは、今もなお、中城ふみ子の歌を愛する人たちが多くいることであり、何より

中城ふみ子同好会の方々の熱意と努力でもあろう。




この冊子は、没後五十年に因んだ記念行事の記録をもとに纏められている。
表紙には、中城ふみ子が制服(帯広高等女学校)を着て、テニスのラケットを
持っている珍しい写真が掲げられている。

記念行事は、菱川義夫の講演記録「自由への口づけー中城ふみ子」。
他に、会員たちのエッセイがおさめられている。

この同好会の設立は、平成13年(2001)4月で、会費は月額1000円となっている。

 
      本会は中城ふみ子に関心を寄せる会員の学習の場であるとともに
      会員相互の親睦をはかり、あわせて歌人「中城ふみ子」の普及・
      文化の発展と継承を目的とする。

大正11年(1922)11月25日帯広に生を受けた中城ふみ子は、昭和29年(1954)8
月3日、乳癌のために亡くなった。享年31歳。亡くなる同年の『短歌研究』4月号で
第一回五十首詠が第一位入選となっている。それから僅か4ヶ月のいのちであった。



中城ふみ子は、離婚後の恋愛や、乳癌という病を隠すことなく詠い放った。
それゆえに、また、万人の心を捉えたともいえる。ふみ子がその子どもたちを
うたった歌は、哀しくもせつない。



xmasxmasxmas
2001年11月、北海道旅行をしてわたしは帯広を訪れた。
当時は、この同好会が出来たことも知らず、中城ふみ子の歌碑を探しまわった。
歌碑は2つあり、一つは緑ヶ丘公園のなかに建っていた。

      母を軸に子の駆けめぐる原の昼木の芽は近き林より匂ふ


もう一つは、護国神社境内にあった。(なんで、護国神社なのかしら ? と、思ったが…)


      冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか



xmasxmasxmas
と、いうことを思い出したのも、Hさんから北海道土産 ? として、昨日この
冊子を頂いたからだ。北海道立文学館に行かれたようで、羨ましい。
そういえば、ここに中城ふみ子が常設展示されているのか。


2014年12月11日 (木)

光の街

今日は都市高速を通って百道まで出掛けた。

志賀島も能古島も霧に霞んでいた。


夜になって、街の明るさに気付く。どこに行ってもLEDがきらきらと輝いている。
福岡タワーには、108メートルのクリスマスツリーのイルミネーションが…
25日までフルカラーらしい。若い恋人たちの姿が多い。



帰りに博多駅に着いたら、駅前のイルミネーションが素晴らしい。
10万球ともいわれているが、テンションがあがってしまう。

写真をバチバチ撮ったのはいいが、カメラケースを落してしまう。
失くしたのは、これで3度目。


「光の街」から、帰宅すると、此処はとても静かに感じられる。

2014年12月10日 (水)

十二月どうするどうする甘納豆     

昨日の帰路、あろうことか最寄駅で下車できず(爆睡 ? )、博多駅まで行ってしまった。

あのまま眠っていたら門司まで行ってしまうところだった。

折り返して帰宅したが、12月はコワイ。睡眠不足もさることながら、気の弛み。

12月も10日になったので、後半の予定表を作る。今年中にやるべきことは

年を越さないようにしなければ…





タイトルにあげた俳句は坪内稔典氏の『落花落日』(海風社 1984年)の
「甘納豆十二句」の最後の12月の句。
この句が好き。そして、12月になると、ついつい「どうするどうする」が口をついて出る。
             (勿論、3月生まれのわたしとしては、「三月の甘納豆のうふふふふ」も
             好きなんだけど…)



と、いうわけで、12月「どうするどうする」なんて、オロオロせずに、
ともかく地道にひとつひとつこなしてゆくしかない。




明日は16時30分集合の会議なので、終ると忘年会 ? かしら。

2014年12月 9日 (火)

『草笛』 佐竹 游歌集  現代短歌社   …続き

文語・旧仮名遣いの極めてオーソドックスな第一歌集。

昨日から矯めつ眇めつながら、味わっている。


     うしろより双(さう)の乳房を手につつむ月の面(おもて)をおほへるごとく

     からめあふ足をほどけば夕映えに汝が膝頭ひかりをかへす

     川の面に手をすべらせてさざら波立たすがごとく背(せな)を愛撫す


性愛の歌は美しい。美しいがゆえにセクシュアル・マイノリティを、あえて「あとがき」に
記さなければならないほど、生き難かったのでもあろう。だが、『草笛』のタイトルにも
なった歌の「さまざまなわれを束ねてわれはある」のだと思う。




     さまざまなわれを束ねてわれはあるわれのひとりが草笛を吹く

     異端者を名告(なの)る愉悦も異端者の謗(そし)りを受けてたちまちに消ゆ

     「足跡(そくせき)を遺さむ」とわれ言ひ替ふる「高名になりたし」と言ふを恥づれば


2首目の「謗りを受けてたちまちに消ゆ」、3首目の「言ひ替ふる」などから推し量ると
どうも、まだ、佐竹さんは迷いがあるようだ。迷える〈われ〉も〈われのひとり〉なのだが、
そのへんが歯痒くもある。


     この五年正規雇用を願ひつつ働き来しがつひにかなはず


     黄蜀葵(わうしよくき)咲きならぶもとを走りゆく猫にも急ぐ用事はありて

     ヒグラシを聞かせてをりぬ魂を運ぶ舟なるわがししむらに

     ほそき頸(くび)なげだしねむる猫の仔をくづさずにわが膝よりおろす



1首目は歌集の前半ににあったので、歌作初期の頃か。素直な詠法。
2首目・4首目は猫の歌。(猫の歌があると、目が止まってしまうの。)

佐竹さんの本来の(と、言っても、知ってるわけではないが)味が出ているのは、
3首目だと思ったのだが、どうだろうか。





まだまだこの『草笛』には、さまざまな佐竹さんの〈われ〉が蠢いている。
 
 

2014年12月 7日 (日)

『草笛』 佐竹 游歌集 現代短歌社  

「八雁」に所属する著者の第一歌集。

1999年7月から、2014年1月までの、337首を収めている。

略歴に1970年生まれとあるので、現在44歳?。(29歳くらいから歌をはじめたようだ。)

『草笛』を手にして、読みはじめ、下記の2首に目が止まった。




      順接の接続詞もて文章をつなぐがごとき生は拒みつ

      してるのにしてないふりをしてゐてはしてゐることをしかと語れず


接続詞に「順接」と「逆接」があるが、順接の接続詞をつかって文章をつなぐ、
そのような予想や推論が可能な〈生〉は拒むという言挙げの歌である。
それは、社会に対して、他者に対して、ともいえよう。マジョリティーに与したく
ないともとれる。若い著者ゆえの気負いかとも思ったが、2首目の歌で、著者の
資質、即ち志向するものがはっきり読み取れる。



具体的に何を「してる」のかは、この歌だけでは理解できない。
しかし、「あとがき」の文章を読んだ者には、この「してる」ことは想像がつくだろう。
「あとがき」を知らない読み手にもこの歌の言わんとしていることは伝わってくる。
何をしてるかは、いろいろと置き換え可能で判断できる。そういった普遍性のある
1首ではないか。


     思想にも鮮度はありて三年(みとせ)前買ひし評論すでに古びぬ

     一途とも狂信的ともひとすぢとも…〈まつすぐ〉はときに過ちを生む

     手放しで他人を褒むる勇気など持たざりわれは怯みつつ来て


選んだ3首は、著者の、心理や思考が如実に出ているように思える。
確固不伐の精神とでもいうべきもの備えている。

「八雁」には、若い、面白い、有望な、人材が揃っているのを、2014年の9月号の
「二十代三十代特集」で感じたが、『草笛』のこの著者、佐竹 游さんも、目が離せない。

次の歌など、阿木津英の名を冠してもちっとも遜色がないと思うのだが、いかがで
あろうか。



      燠に風吹き入れむとするがごとくにて歌生らしめつ夜更けの卓に

 
                                         (この項、つづく…)

2014年12月 5日 (金)

なんしようと?

「華丸・大吉のなんしょうと?」を観ながら、おでんを食べ、妹に貰った糸島のお酒

白糸酒蔵の「白糸原酒」を2人で飲む。

久留米のKさんに頂いた自家菜園の大根があまりにも立派でこれは「おでん」にするしか

ないと、判断。昨日より下拵えしていたのだが、今夜の寒さに「おでん」はぴったりだった。

連れ合いは牛すじが好き。わたしは大根・厚揚げが好き。

ああ、これくらいの幸せで満足しなきゃ~などと、他愛もないことを喋りながらの晩酌。

連れ合いは芋焼酎の緑茶割りに移り、わたしは梅酒のソーダー割り。結局、先に撃沈

したのは、連れ合いだった。(弱くなったねぇ~。)


しゃっくりの止まらない連れ合いを軽蔑?していたら、わたしまでしゃっくり。

なんだ、これは !

「それを歌にしたらいいよ」と、彼はノタマウ。(アホ、しゃっくりが歌になるかよ ! )





今日は一つ嬉しいことがあった。
香椎の教室で新しくはいられたTさんがネットで注文して『暦日』と『歌のある歳月』を
買ったくださった由。買わなくても差し上げたのにと思ったけど、あとの祭り。
Tさん、ありがとう。


署名してください、なんて言われてドギマギ。
結局、したけど……恥ずかしや。

2014年12月 3日 (水)

青木繁「海の幸」にお別れを…

40000人余りの人々の署名も叶わず、2016年に東京のブリジストン美術館へ

移ることになってしまった石橋美術館の名画たち。
青木繁の「海の幸」・「わだつみのいろこの宮」・「大穴牟知命」をはじめ、
坂本繁二郎の「放牧三馬」・「自像」など、地元の人たちはいつでも美術館に
行けば鑑賞できたのに…。ほんとうに残念でならない。



今日は久留米に出掛けたので、その名画に逢いに寄った。
チケットだってここほど安い所を知らない。大人500円、シニアは300円だもの。
今日も閑散?としていた館内。


もう、いつでも鑑ることができなくなる。
小品は残すらしいが…それもねぇ。
2015年中は今の状態のままだと思うので、どうぞ、皆様お出掛けください。
                        (なんて、わたしが言ってどうするの)




外に出て、文化センター内を散策。
2匹の猫ちゃんに出会って、写真を撮ったり、遊んでいたら、つばき園に
行く時間がなくなってしまった。



ここには、坂本繁二郎のアトリエも八女市から移転しているので、
公開日を確かめて(イベントにあわせ、期間限定の公開)見学したら
いいと思う。つばき園の奥に「坂本アトリエ」はある。

2014年12月 2日 (火)

『紙の月』 角田光代  ハルキ文庫  

文庫カバーの上から、宮沢りえの映画用の特製カバーの掛かったハルキ文庫。

漸く読み終えました。

先に映画を観て、後から原作を読むと、どうなんだろ。
(映画の方は理解しやすいように、銀行を中心に纏めていたみたい。)



41歳の契約社員、梅澤梨花が勤める銀行から1億円を横領するストーリー。
友人の中條亜紀・岡崎木綿子らのの生きかた(金銭感覚)も交えながら、
重層的な扱いをしている。



梨花はいったい何がしたかったんだろう。
何が欲しかったんだろう、と思う。



     私は私のなかの一部なのではなく、何も知らない子どものころから、
     信じられない不正を平然とくりかえしていたときまで、善も悪も矛盾も
     理不尽もすべてひっくるめて私という全体なのだと、梨花は理解する。
     そして何もかも放り出して逃げ出し、今また、さらに遠くへ逃げようと
     している。逃げおおせることができると信じている私もまた、私自身
     なのだと。




wobbly
今日はとても寒かった。
リビングはそれでも暖かいが、今、わたしの部屋の室温は20度。
今年は、わたしの部屋用に小さな電気ストーブを買った。
寒さ対策にネックウォーマーを2本買った。


冬の月は、澄んでいて綺麗。
昨夜は、雲のあいまから時々見えた。
今夜も見えるかしら?

2014年12月 1日 (月)

歌文集『八月の光』 荒牧 三恵    北冬舎

1章は短歌、2章は散文で、短歌は1957~1983年迄の「未来」よりの257首を収めている。

付録の栞は、「流離の魂から発せられた言葉たち」として、金田冨惠(元「未来」会員)さん
が、荒牧さんの境涯をかなり詳しく書いている。

荒牧さんは「未来」にいたかただが、1983年後にやめられたのか、接点があまりなく、
記憶にあるのは東京の小さな出版社に勤めているということを、誰からともなく耳にしていたことだ。


このブログに取り上げたいと思ったのは、荒牧さんが現在は北九州に住んでいることと、
「大掃除考(あとがきに代えて)」の文章に衝撃を受け、そして、その文章に感動、
はからずも、わたしは泣いてしまったのだ。(荒牧さんは読者を泣かすために書くような
ヤワなかたでは決してない。面白可笑しく、長男や次男とのやりとりを書いているのだが、
とにかく、せつないのだ。)


若い時に、子を置いて家を出た荒牧さんだが、その長男が長じて彼の意思で
荒牧さんを探し出し、母子の交流がはじまったこと。そして、荒牧さんの願いである
自身の死後の散骨のことを長男に頼むが、お嫁さんからも反対されて『歌文集』を
出すことにしたこと。

しかし、その長男が死んでしまう。事故死でもない、自死でもない、唐突な死。
半生の軌跡を息子に遺したいという思いが断たれてしまう。





それから2年を経て、ようやく出版することに気持ちが傾いたのだ。
文章には「広島と私」「捨てられた歌が泣いている」など、読んでいて、
ひりひりするような痛みが伴う。



       人間の怒りや悲しみの極限は沈黙ではないか、
                          「広島と私」より
 
       歌一首にも作者の思想(精神)が息づいているはず…
                          「捨てられた歌が泣いている」より


       
       私の考える歌とは優雅な言葉遊びではなく、「自己表明」であり、
       それゆえ私の考える責任とは、おのれの発した声に対する責任である。
                           「捨てられた歌が泣いている」より






       反核は反米思想と責められつつ寒し氷雨の九段下駅
 
       「歓喜の歌」は街に満つれどいずこにか核のボタンを押す指がある

       開戦記念日と言うなわが父母が日本に棄てられし日なり十二月八日

       デモの群れに混じりてわれら走りつつ何を待つなる昨日今日明日
 
       拠る組織持たぬ持ちえぬ暗闇に立ちてわが待つまぼろしの旗
 
 
 
 

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