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2014年12月 1日 (月)

歌文集『八月の光』 荒牧 三恵    北冬舎

1章は短歌、2章は散文で、短歌は1957~1983年迄の「未来」よりの257首を収めている。

付録の栞は、「流離の魂から発せられた言葉たち」として、金田冨惠(元「未来」会員)さん
が、荒牧さんの境涯をかなり詳しく書いている。

荒牧さんは「未来」にいたかただが、1983年後にやめられたのか、接点があまりなく、
記憶にあるのは東京の小さな出版社に勤めているということを、誰からともなく耳にしていたことだ。


このブログに取り上げたいと思ったのは、荒牧さんが現在は北九州に住んでいることと、
「大掃除考(あとがきに代えて)」の文章に衝撃を受け、そして、その文章に感動、
はからずも、わたしは泣いてしまったのだ。(荒牧さんは読者を泣かすために書くような
ヤワなかたでは決してない。面白可笑しく、長男や次男とのやりとりを書いているのだが、
とにかく、せつないのだ。)


若い時に、子を置いて家を出た荒牧さんだが、その長男が長じて彼の意思で
荒牧さんを探し出し、母子の交流がはじまったこと。そして、荒牧さんの願いである
自身の死後の散骨のことを長男に頼むが、お嫁さんからも反対されて『歌文集』を
出すことにしたこと。

しかし、その長男が死んでしまう。事故死でもない、自死でもない、唐突な死。
半生の軌跡を息子に遺したいという思いが断たれてしまう。





それから2年を経て、ようやく出版することに気持ちが傾いたのだ。
文章には「広島と私」「捨てられた歌が泣いている」など、読んでいて、
ひりひりするような痛みが伴う。



       人間の怒りや悲しみの極限は沈黙ではないか、
                          「広島と私」より
 
       歌一首にも作者の思想(精神)が息づいているはず…
                          「捨てられた歌が泣いている」より


       
       私の考える歌とは優雅な言葉遊びではなく、「自己表明」であり、
       それゆえ私の考える責任とは、おのれの発した声に対する責任である。
                           「捨てられた歌が泣いている」より






       反核は反米思想と責められつつ寒し氷雨の九段下駅
 
       「歓喜の歌」は街に満つれどいずこにか核のボタンを押す指がある

       開戦記念日と言うなわが父母が日本に棄てられし日なり十二月八日

       デモの群れに混じりてわれら走りつつ何を待つなる昨日今日明日
 
       拠る組織持たぬ持ちえぬ暗闇に立ちてわが待つまぼろしの旗
 
 
 
 

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