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2015年2月

2015年2月28日 (土)

歌集『その言葉は減価償却されました』 山口文子 角川学芸出版

ショッキングピンク?の帯の付いた、歌集題の長い、大きな字の歌集。

著者は、山口文子(やまぐちあやこ)1985年生まれ。

14歳から28歳までの298首を収めている。

14歳からというのも結社「りとむ」に所属していて、「りとむ」には子どもの「小りとむ」欄が

あり、そこでの投稿から数えると作歌歴は20年近くになるそうだ。

歌集構成もなかなか工夫されている。ちなみに以下のような構成となっている。


        V  2012~2014
        O  1999~2001
        Ⅰ  2001~2004
        Ⅱ  2004~2008
        Ⅲ  2008~2010
        Ⅳ  2010~2012



        肩書きをもたずに春の嵐くるメリー・ポピンズの傘はまだない

        平成二十四年四月十九日没 定型となるのか父も

        深々と「いいじゃないか」と発すれば北の書斎にまだ父がいる

        祖母の死というより祖父があの広い家で独りを生きる悲しみ

        丸善のエゴン・シーレに捕まって紫色の靴下を買う

        食べたいものを食べて読みたい本を読み歩きたいだけ歩いて寝たい

        雪辱はどうして雪なの六限を終えて二十時ビニ傘をさす

        次々に建てては壊しこんなにも平たくなっていくか私は

        家々は土砂にそれから原っぱに私は私のままに時間は

        その言葉は減価償却されました新たに産んでみせてよ私を



1首目は巻頭の歌で、10首目は掉尾の歌である。
このことからも、著者の構成力の並々ならぬものを感じる。


8・9・10首には「私」が直接うたわれている。
「私」に拘り、「私」を思索し、私探しをしているようでもある。
若い作者らしい5首目・7首目が微笑ましくもある。


2首目・3首目の父の歌にも、著者の明晰な精神が投影されている。
それは、4首目の祖母の死に対しても同様で、逝く者よりも残された者を
思いやる心の幅がある。


「りとむ」で培われた作歌力、そして、著者のポジティブな生きかたが
歌に反映されているように思ったのだが…




それにしても、この歌集が1000円(本体)とは、KADOKAWAさんも、
動きだした(笑)みたいだ。
 

2015年2月27日 (金)

「歌の遠近術」 佐藤通雅   短歌往来 2015年3月号

2015年1月号から始まった佐藤通雅の連載の3月号は③性愛歌断想だった。

何気なく読み始めたら、片山貞美の遺歌集『雪のあと』について書かれていた。

「性愛歌断想」に、なんで片山貞美をといぶかしみながら、読んでゆくと歌が引用

されている。その歌を読んで、わたしもまた佐藤と同じく「えっ、なんなの、これは!」

と、驚いてしまった。




あいにく、わたしはこの遺歌集『雪のあと』(不識書院)を読んでいないので、佐藤が
とりあげている歌をここで引用すると孫引きになってしまうので、あえて、紹介はしない。
佐藤のコメントは「相当に濃厚な性愛歌であることは、疑いようもない。」と記されている。



片山貞美の歌をよく知っているわけではないが、どう考えても異質な感じは拭えない。
片山自身がすでに亡くなっているので、この作品のことは確かめようはないのだが…



この作品を収録したことについて、佐藤は「これは英断である。」として、(以下、次号へ)
と、稿を閉じている。



片山貞美の歌のことは、これで終わりなのだろうか。


佐竹游の『草笛』(現代短歌社)の名前も出ていたので、次号はその『草笛』に移るの

だろうか。


いずれにしても、次号はどんな展開になるのか、待たれる。

2015年2月26日 (木)

酒ケーキ

山口県の小さな酒蔵、A酒造。そこの酒ケーキはとっても美味しい。

なにしろ純米大吟醸「獺祭(だっさい)」の日本酒が入っているから。

そのケーキの名前は「獺祭(DASSAI)」。

ふんわりとした舌触りとお酒の香り。このケーキを食べたらクセになりそう。



今日は北九州の歌会だった。
Hさん差し入れの酒ケーキを歌会が始まってすぐに頂く。
紅茶を飲みながら懇談。奈良漬でも酔うなんていうことを聞くが、
お酒に弱い人は、ホントに酔う?ことを今日は知った。

酒ケーキを食べたEさん、Sさんの顔がほんのりと紅色をさし、
笑ってしまう。初々しいんだな、これが。




歌会は題詠「人」2首。
さまざまな「人」が登場、うたわれていた。



勿論、真面目に、みっちり・しっかりの歌会でした。

酒ケーキの勢いで饒舌?な人もいましたが…









2015年2月25日 (水)

俳誌 『六分儀』 №11 2015年2月22日発行 

俳誌『ばあこうど』が改題され『六分儀』となり、6年を経て復刊された。

多田孝枝氏の「編集後記」によると、新体制の編集室に一新、久留米より出航した。

代表者は多田薫氏。

255ページの大冊であり、俳句は勿論だが、エッセー・詩・短歌と盛り沢山の内容に

なっている。


そして、今号は前代表の谷口治達氏の追悼号でもある。氏の20句の俳句と共に

追悼文を深野治氏他7名のかたが執筆している。



集中のカットを故・西島伊三雄氏の童画で飾っている。この童画は、博多の人なら

(博多の人でなくても)馴染みのある童子のやさしさの溢れるものである。


巻頭は森崎和江氏の「朝やけの中で」と、井上陽水の「積み荷のない船」。

俳句の寄稿をしている人を少しく紹介したい。





     獅子座の南六分儀座に君等あり          金子 兜太

     秋晴れのかの秋晴れに源義(げんぎ)死す    角川 春樹

     六分儀据ゑ俳諧の星月夜              後藤比奈夫

     水の星水の都の水の秋                稲畑廣太郎

     松島と入道雲と松島と                 坊城 俊樹

       悼 谷口治達
     能古島の画布(カンヴァス)の海思ふ秋       星野 高士

     あらたまの年の始めの六分儀            七田谷まりうす

     昼の虫昼の暗さのあるところ             山本 素竹

     木蔭には木蔭の秋の風生まれ            坊城 中子

     天上に甕あり霧のロカ岬                宮坂 静生





まだまだ続くのだが、圧巻である。

奥付に書かれていた言葉。



         時代や社会が如何に移り変わろうと、私
         たちは俳句を詠み続けていきたい。無辺
         に生きる命として自己の位置を見定めつ
         つ、明日の俳句へとつないでいくために。

2015年2月23日 (月)

詩誌 「鷭」〈Ban〉 4号・5号

堀田孝一・龍秀美の二人誌の「鷭」を頂いた。

一昨日の「琅玕忌」の懇親会の席上でのことである。

斜め前に座っていた女性が龍さんだった。

「龍秀美」のことは、詩を作らないわたしでも、そのお名前は存じあげていた。

「H氏賞」の受賞者であり、キャリアウーマンのイメージでわたしの中の「龍秀美」は、

大きな存在であった。

人と人との巡り合わせは不思議である。

まさか、熊本でお目にかかれるとは…

それも、これも、石田比呂志の取り持つ縁といえる。






        義母(はは)の言う     ◆龍 秀美



    草コロシは原爆ばい
    原爆の落ちて敗けてから
    草コロシばするようになったけん

    原爆は身体に悪かばってん
    草コロシも身体に悪か

    原爆のあったけん草コロシも
    するようになって
    そん前は米がとれてもとれんでも
    とにかく働くばっかりで
    百姓はもうからんでも働くごとなっとった

    草コロシば撒くようになって
    ホンに楽になって
    敗けてから楽になって

    そやけん
    草コロシは原爆たい
                     
                   *草コロシ=除草剤 






「鷭」5号、2014年11月23日発行より引用した。

龍さん、また、いつか、どこかで、お会いしましょう。

新しい結婚の形態?についてもお話、お聞きしたいものです。

 

    

2015年2月22日 (日)

映画「悼む人」  監督 堤幸彦

2008年に直木賞を受賞した、天童荒太の『悼む人』の映画化。

ストーリーは、静人(高良健吾)が不慮の死を遂げた人々を悼むため、

日本全国の旅をしている設定。その静人の旅に同行するのが倖代(石田ゆり子)。

倖代は、夫を殺した過去をもつ。



静人がそのような旅をするきっかけとなったのは、祖父の死の記憶の薄らぎ、
そして、親友の命日を忘れたことのショック。
おそらく、誰が考えてもそのようなことで、いままで関わりのなかった他人の死を
悼んで全国を旅するだろうか、との疑問も残るが……




それはさておき、この映画でたえず繰り返される、死者は「誰に愛され、誰を愛したか、
どんなことをして人に感謝されたか。」がキーワードのようでもある。




      忘れずに、思い出すことで、その人は生き返る。

      亡くなった人を忘れずに大切に思うこと。



印象的だった場面は、椎名桔平の父親(上條恒彦)が死にその通夜?に
集まった友人たちが母親の経営するバーで遺影を前にしてみんなで
中原中也の詩を唱和するところだ。



        汚れちまつた悲しみに
        今日も小雪の降りかかる
        汚れちまつた悲しみに
        今日も風さへ吹きすぎる




雑誌記者(椎名桔平)は、中也の詩を愛するような父親を軽蔑していた。
父親の危篤にも駆けつけなかった。親子の確執が長く尾を引いていたのだ。
しかし、いのちの最後の力をふりしぼって父親が書いた「会いたい」の文字を
亡くなってのちに知る。
        
この映画を観終えてもっとも印象的だった場面は、余命いくばくもない、静人の母親
(大竹しのぶ)がベッドから手をさしのべ雑誌記者(椎名桔平)の頭を撫でてあげた場面。
その手の動きに思わず泣いてしまった。



末期癌と闘いながら無償の愛を息子の静人に捧げる母親(大竹しのぶ)。
静人のいちばんの理解者でもあったのだ。


ストーリーが重層的に絡みあって、難解な部分もあるが、観賞者の感受性に
訴えかけるようでもある。




なんだか人生に挫折している人、近しい人を亡くした人、心の乾いている人は、
この映画を観たら、少しやさしくなれるかも知れない。

2015年2月21日 (土)

第四回琅玕忌  熊本市 健軍文化ホール

新幹線つばめ319号にて熊本へ。車中の読み物は石田比呂志『片雲の風』を持参した。

これは、「シリーズ・私を語る」で平成8年11月25日から平成9年1月23日まで

45回にわたり「熊本日日新聞」夕刊に連載されたものの新書版。

この本の冒頭には次のように書かれていた。




         人間の功罪や評価、毀誉褒貶はその人物の蓋棺後に
         言及されるべきで、……




11時07分熊本着。
第四回琅玕忌は午後2時からなので、市電に乗って健軍まで。
石田比呂志が生前住んでいた「長酣居」のめぐりを散策。
庭には梅の花がことしも咲いていた。あるじが代わっても梅の花は律儀(?)に
咲いている。今年も来たよと、呟く。



         いとまあり此処に居たこといつかきつと、きつと、いつか思ひ
         出すだらう
                              『暦日』(2012年7月刊)miyoko





今年の講演は、福島泰樹氏。
石田比呂志の4冊の歌集を対象にして、熱く語った。
そして、例によって、短歌絶叫を。



福島さんの講演も絶叫も、氏の熱が受講しているわたしたちまでびんびん
伝わってくるものだった。皆さんで石田比呂志の短歌を唱和したのが
とても良かった。「声に出して読むんだよ」と、彼は何度も言った。
直会(なおらい)&懇親会は、近くの「海鮮居酒屋 かづま」にて。
ほとんどのかたが出席したのではないかしら。




帰り際に欲張って、今日のお土産の「石田比呂志 座右の銘」の冊子の
表紙に、福島さんのサインを頂き、島田幸典さん、阿木津英さんにも署名して
頂いた。その座右の銘には、石田さんの16の文言が書かれている。




         人の敷いたレールを走る人と自分で敷いたレールを走る人。

         歌を作ることによって自分とは何かを探す生涯の旅びと。

         人間の匂い、生活の匂いのしないものはおよそ詰まらない。




みんな1年1年、加齢してゆくけど、来年も会いたい。

来年も、石田さんを偲ぶわたしでありたい。
 

2015年2月19日 (木)

貝母(ばいも)の花(編笠百合)

雨水の今日、貝母の芽が沢山伸びている。

昨年は芽が伸び過ぎて、みどりの葉だけ勢いがよく、とうとう花をつけなかったのだが、

今年はどうだろうか。肥料のやり過ぎかしら。

この花は白色がかった緑色で俯いて咲く。ユリ科バイモ属の球根植物。

花びらの内側に網目状の模様があることから、「編笠百合」とも呼ばれている。





    幸うすく咲ける貝母(ばいも)のうすみどり心盗られて見てゐたるのみ

                            『小春日和』2006年刊 miyoko




この花をはじめて見たのは尾道の中村憲吉寓居を訪れた時。
石段を登って行った先に寓居があった。
途中の畑にこの花がひっそり咲いていた。その時は花の名前も
知らなかった。もう、20年以上前のことだ。




北九州のEさんから数年前頂いた球根は毎年増え続けているのだが…

可愛いがり過ぎて、花がつかない?

あせらず、3月まで待っていよう。

2015年2月18日 (水)

沈丁花(じんちょうげ)

中国原産といわれる沈丁花が蕾をぎっしりつけていた。

早春の頃に咲く常緑低木の花で、香りがいい。

漢名を瑞香という。ホントの春がそこまでやってきているようだ。


      沈丁に箒さはりて匂ひけり   高浜虚子



今日は久留米の教室の帰りに例によって義母の所まで行ったが、
バスに乗ったのはいいが、終点まで乗り越してしまった。
考えごとをしていたなんて、嘘を言ってもダメ。(微睡?ということに…笑)

ここはどこなんだと、四方八方目をやれど、皆目見当がつかず。



結局通りがかりの方に聞き、だいたいの方角を聞く。
まぁ、下車する停留所の次が終点だったので、ひどいことにはならなかったが…



とにかく、歩いた、歩いた。
目標の公立病院が見えた時のうれしさ。
そこからだって、7・8分は歩かなくてはいけない。



義母は相変わらず。
元気といえば元気。それにしても20年前はわたしの方が背は低かった。
今では小さくなってしまった義母…
労わられていたわたしが、いたわる立場になってしまった。



帰ろうと玄関を出たところで、介護士さんから義母のズボンを手渡される。
綻びているので、繕ってください、ということらしい。



明日はミシン掛け。
それと、別府のKさんから2度も留守番電話が入っていたが、
今日はとうとう電話ができなかった。




時間がほしい。

映画に行く時間がほしい。

2015年2月17日 (火)

『世界から猫が消えたなら』 川村元気  小学館文庫

2013年本屋大賞ノミネートの文庫化。

映画プロデューサーの川村元気のこの作は、すでに佐藤健・宮崎あおいで

映画化が決定されている。

文庫の表紙の猫がカワイイ。その目は何かを訴えているようでもある。


郵便配達員として働く30歳の「僕」、
その「僕」が、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。
「この世界から何かを消す。その代わりに1日だけ命を得る」という、悪魔との
奇妙な取引によって、命を1日、1日と延ばす、が……



集中、いたるところに箴言が。
その箴言が、いかにも川村元気らしいところでもある。



     何かを得るためには、何かを失わなくてはならない。


     人間は何も失わずに、何かを得ようとする。でもそれは奪う行為に
     他ならない。だれかが得ているそのときに、だれかが失っている。


     プレゼントは、物 ゛そのもの゛ に意味があるのではなく、選んでいる
     とき、相手が喜ぶ顔を想像する ゛その時間 ゛に意味があるのと同じように。


     死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。
     死と生は等価であること。


     ほとんどの大切なことは、失われた後に気付くもの。



全体としては、軽いノリで書かれており、すいすい読めるのだが、あとをひく1冊。
なんとも、胸が一杯になった。

昨夜は泣きながら眠りに就いた。
そして、今朝は腫れぼったい目で、ガーデンシクラメンの花を見ていた。

2015年2月14日 (土)

歌集『水の夢』 春日真木子  株式会社 KADOKAWA

前々回、前回につづく3回目の『水の夢』の歌の紹介である。

今年はまだ2月半ばだけど、この歌集は、きっと今年の歌集で評判になるだろう、

と想像している。そんな予感がするのも嬉しいことである。

さてさて、10首を紹介したい。




     米寿とぞそらおそろしき通知くる保育園児の向日葵の絵と

     燃えよとぞ狂へとぞいまくれなゐの薔薇が米寿の胸先へくる

     わたくしの輪郭おぼろとなる勿れ山椒の前に一歩踏みいづ

     まつすぐに日出づる国に寄り添ひし近代ありきわれは長居す

     眼は千里耳は風に順ひて一日さすらふ長崎の街 

     目も耳も閉ぢて開きて知らさるる八十歳(はちじふ)超えし五感の今を 

     自(し)が五感みづから守れ平手にてわれを打つなり山の朝風 

     赤げらのおとづれ聞こゆ鉛筆を指に挟みしままに寄りゆく 

     一位の実いまだに赤き一粒が夏痩せわれの心を照らす 

     濁りたる懸巣のこゑのひびく径行きし歩数を私は帰る





1首目は、米寿の通知。保育園児の向日葵の絵と共に届いたと解釈してみたが、
どうだろうか。米寿と保育園児の取り合わせが絶妙。そして、向日葵の絵が希望を
表している。

2首目はその米寿のお祝いの席であろう。「燃えよとぞ」から一転して「狂へとぞ」を
引き出す力技。これは精神力が強靭でないとなかなか言えない発想である。



3首目の上の句の自らを叱咤する声(ことば)の力強さ。



4首目では「われは長居す」と、謙遜?しているが、どうしてどうして、それは自恃とも
いえるものが下敷きにある。



5首目は長崎での歌、著者は南国・鹿児島の生まれでもあるので、地理的にも
長崎には親しみを感じるのであろう。「とろくすん」一連中の1首。他にも「眼鏡橋」の
連作がある。


6~10首は、平成23年の歌。
この時点で、作者は85歳であるが、歌の張りと艶は申し分なく、なんだか尊敬というより
畏敬の念につつまれてしまう。このように85歳の〈生〉を生きられるというのは、やはり
本人の努力、そして意志の強さもあるのだろう。10首目の歌の「行きし歩数を私は帰る」
は、なんでもないことばながら、このことばにハッとさせられた。




                                  (2015年1月25日発行)





2015年2月13日 (金)

歌集『水の夢』 春日真木子  株式会社 KADOKAWA

「夢とはひとつの意志の持続との感を強くしました。そしてまた夢とは、

私にとって祈りでもあるのです。」あとがきに書かれたことばがなんとも

匂やかで美しい。



        若冲の蕪を夕餉の鍋に入れ養はむかな夢見る力

        水甕の底にとろりと映れるは百年前の朝焼けならめ

        十年を花なき現し身寂しめど今日傍らに人の在ること

        われにまだ健やかな足いつぽんの在りて登らな天上までを

        標高千米遊休農地の蕎麦啜る この一年をさらりと生きて



1首目の歌は、伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)の蔬菜図の蕪(かぶら)で
あることが、この歌の2首前の歌から理解できる。


2首目の歌は、歌集のなかほどの「水系」の章の1首。長い詞書が付されて
いる。「あをあをと潮(うしほ)のごとく水張らむ備前火襷今日の水甕」の歌など
備前焼きの水甕をうたいながら、おのずと結社「水甕」を想起させられる。


3首目の歌の「花なき現し身」は、いかようにも解釈できよう。そのさまざまな
解釈によって、この歌は更に広がりを見せる。


5首目の結句「さらりと生きて」がなんとも羨ましい。
春日さんのお姿は写真でしかお見かけしたことがないのだが、着物姿が
華やかであり、且つ、内に秘めたつよさを感じたりもしている。





この歌集を読んでいると、どのページを開いても「春日真木子」だなと、
納得する。そういえば角川書店の『短歌』2015年2月号にも巻頭作品31首
「今日のてのひら」が掲載されていた。31首の大作を、「さらりと」作ったり
しているのだろうか。




ともあれ、このブログでもう1度『水の夢』を続けたい。

まだまだ紹介したい歌ばかりなのだ。

                        この項つづく…

2015年2月12日 (木)

歌集『水の夢』 春日真木子  株式会社 KADOKAWA

『百日目』に続く第12歌集で、平成23年秋より26年までの作品を

逆年順に収めている。

著者は大正15年(1926)鹿児島生まれ。今年89歳になる。

創刊100年を迎えた水甕社の9人目の代表である。

昭和30年、「水甕」に入会と略歴に記されているので、在籍期間は60年に

及ぶが、まだまだこの記録は塗り替えられるだろう。






      まだかまだかと半ば怖れて待ちてゐし「水甕」創刊百年の春

      ひとつ火を継ぎて継ぎての百年ぞわれは九人目アンカーにあらず

      変はりしか変はらざりしか小歌誌の百年を問ひわれは苦しゑ

      百年を百一年を繋ぐいま正念場とぞまつすぐのこゑ

         夢はまたひとつの意志の持続である
      夢はまた火色の言葉と知るまでをあなたと歩く熱砂の上を




100年の歴史と伝統のある結社「水甕」の代表者としての熱い思いが
うたわれている。


二首目の「われは九人目のアンカーにあらず」は、最終走者ではないと
断言している。次の人に託すまでの走者であり、10人目の代表者に継ぐ
までは走り続ける現役ともいえよう。




5首目の歌の「熱砂の上を」には、たじろぐ。
結社を担うことの大変さ、そして、その情熱がいささかも亡びていないことを
証明しているような歌である。


春日真木子さんの凛とした佇まいの歌に魅せられてしまった。

                              この項つづく…
 

2015年2月11日 (水)

空火照り(そらほでり)

夕焼けのことを「空火照り(そらほでり)」ということを、はじめて知った。

夕方5時30分、日の沈むのを見守る。40分には沈んでしまい、夕焼けの空になった。

ああ、今日もつつがなく過ごせたと感謝したくなる。

夕食時、2年ものの梅酒を頂いていたのでCCレモンで割って、かるく飲む。

いつもわたしが飲んでいる梅酒よりも濃い。

連れ合いはもっぱら芋焼酎。わたしは焼酎は飲めない。とは言え、

「梅酒にも焼酎が入ってんじゃねーの」と、毎度からかわれる。

Sさんから頂いた、自家製の白菜のお漬物が美味しかった。






☆ ☆ ☆

義母は今日は多少意識がしっかりしていて、顔を見たら涙ぐむ。
あ、わかってる、と思ったのもつかのま、あとはいつもの無表情。
義母の頭のなかを時々覗いてみたい気がする。
どんなになっているのだろう。回線?が切れてしまっているのだろうか。

帰り道、菜の花を摘んで帰る。

2015年2月10日 (火)

お多福南天(オタフクナンテン)

冬枯れのなかでひときわ目につくオタフクナンテン。

寒くなると真っ赤に紅葉するこの低木はこのごろ街のなかでもよく見かける。

難を転じて福となすという謂れがなんだかいい。

50センチほどの丈で街中の花壇の縁取りなどに使われてもいる。


このところ、教室の方々に転んで顔面打撲のひと、右腕骨折のひとなど続けて
2人の骨折者。冬場は寒くてたくさん着込んでいるので、動きがにぶくなるのだ
ろうか。


今日の春日の教室は、3人の欠席者だった。
インフルエンザA型にかかったひと、入院したひと、そして、先ほど書いた顔面
打撲のひと。
高齢者の多い教室だからとはいえ、心配でならない。




午後5時半、夕日の落ちゆくのを眺めていた。

大きな赤い太陽があっというまに西空に落ちていった。



2015年2月 9日 (月)

生存確認 ?

ブログを3日休んだら生存確認?されてしまった。(心配してくれるひとが居る。)

はい、はい、生きております。

ブログは休んだけど、それなりに何やかやとしております。

40年くらい前の歌集が「日本の古本屋」にもないので、図書館で借りてきていたのを、

わがやのプリンター(コピー可能)で、コピーをはじめたけど、なんだか調子が

悪い。どうも薄くしかうつらない。

しかたがないのでコンビニに行って、1枚1枚捲って1冊の歌集全部をコピーして来た。

40分くらいかかった。締めて1100円。安いのか高いのか。

しかし、古書があったとしても1100円では買えないだろう。

そんなこんなで、今日も今日とて、働き(遊び?)ました。

外は風が冷たいです。でも当地(博多)は、まだ雪らしい雪が降らない。積もらない。

北日本は大雪というのに…

2015年2月 5日 (木)

初雷(はつらい)

立春後初めて鳴るカミナリを、初雷(はつらい)というらしい。

その初雷が帰宅すると鳴りはじめた。傘の用意をせずに出掛けたので

あやういところだった。初雷は、「虫出し」とか「虫出しの雷」ともいわれる。

雷の音に驚き、虫が穴から出ることからだって。


     初雷やものに驚く病み上がり   正岡子規



今朝は、有明の月がまことに美しい朝だった。

朝の6時から6時30分ころ何度も眺めたが、満月だったみたい。

今日は福岡はPM2、5が基準値を超えるとの予測の注意メールが入ったので、
マスクをして外出。(ちなみに当地では、テレビなどの天気予報のあとには
必ずPM2、5の予報を放送する)


ソニックにて中津まで行く。
車窓の風景は靄がかかったように、おぼろ。山並みが見えず。
これもPM2、5のせいだろう。陽はさしているのだが…





K子のお見舞い。義弟が車で駅まで迎えに来てくれた。
インフルエンザが流行っているので、マスクなしでは院内に入れず、
マスクをして来て正解だった。


術後の経過もよろしいようで、安堵した。
テレビ・冷蔵庫・ソファ・洗面所付きの個室なんて贅沢だよ、と思ったけど…


福澤諭吉旧居・記念館まで散策したかったが、今日は諦めた。
明日の教室、明後日の歌会と4日連続の外出が続くため、体力温存。



それにしても、めまぐるしい1日だった。
いえ、わたしではなく、お天気が…

2015年2月 4日 (水)

梅林寺外苑(久留米市)

久留米の教室が終わって「探梅」に。

JR久留米駅から徒歩5分の所に、修業道場として知られる古刹の梅林寺がある。

その寺の外苑には約30種類、500本の白梅や紅梅、枝垂れ梅が植えられている。

もう、咲いているかなと期待しながら行ったのだが、全体的には1・2分咲き? くらいか。

場所や木によっては5・6分咲いているのもある。紅梅の方がいくぶん早いようである。



        探梅や枝のさきなる梅の花    高野素十


この「探梅(たんばい)」は、冬の季語。
梅林の花が咲き乱れているのを見るのは「観梅(かんばい)」それだと、
春の季語になるみたい

そういえば今日は立春、俳句では今日から「春」の季語をつかう?。



「ティーハウス梅苑」で甘酒を頼んだらなかった。
じゃあ、おぜんざいでもと思ったら、それもなかった。
仕方なくコーヒーをゆっくり飲んだ。



まだまだ観梅には早すぎるようだ。




明日は久々にソニックに乗って、中津まで…。

2015年2月 3日 (火)

雨宮雅子の歌

砂子屋書房のホームぺ―ジ「一首鑑賞」(日々のクオりア)の本日(2月3日付)で、

雨宮雅子の歌を、さいかち真さんが採り上げて鑑賞していた。



      目には目を 一念のはてかきくもり残れる彩(いろ)ぞ木賊(とくさ)するどし

 
『雅歌』(昭和歌人集成・9) 昭和59年に収められている1首である。
その鑑賞を読みながら久々に『雅歌』を繙いてみた。
さいかちさんの書いている「ぴんと張った精神のかたち」の歌が多いが、わたしは
次のような歌も好き。人口に膾炙された1首でもあるが…


      捕虫網かざしはつなつ幼きがわが歳月のなかを走れり



この歌を読むと、わたしもまた「歳月のなかを走」る T が目に浮かぶ。
先日の逢瀬?では、小学校の5年生ころの日記が〈宝もの〉と書いた箱から
出てきたので、持って行き、渡した。
喜んでくれた、だろうか。





ところで、
「朔日」の巻頭エッセイをいつも楽しみに読んでいるが、2015年2月号では、
「雨宮雅子さんとの思い出」のタイトルで外塚喬氏が書いていた。

そのエッセイで3首引用されていた歌。




      死ぬるには美しすぎる生まれ月五月をきみは忌の日となしぬ
             
                                  『昼顔の譜』

      うつそみの人なるわれや夫の骨還さむとさがみの海に出で来つ


      ひかり濃き湘南の地に住み着きて思ひも濃ゆくなりゆくならむ
                                  『夏いくたび』




「雨宮さんは、愛煙家というよりは、ヘビースモーカー。」だったことを記していた。

2015年2月 2日 (月)

『今日も一日きみを見てた』 角田光代  角川書店

「四年前、ひょんなことから角田家にやってきたアメショーのトト。

人生にはじめてかかわった猫は、慎重でさみしがり屋で、辛抱つよく、

運動音痴ーー」(帯文より) 2015年1月30日刊

ようやく、というか、待ちに待った本を手にした。




アメリカン・ショートヘアの女の子、トトがかわいい。ホントに写真馴れしている

みたいで、いずれの写真も目もとパッチリ。カメラ目線が心憎いばかりである。



      トトはたぶん、あずけられたり、連れ帰られたりということは
      さほどのストレスではないのだろうと思う。それよりも、人が
      だれもいない、夜になっても帰ってこない、だれも遊んで
      くれない、だれも自分を見てくれないことのほうが、トトには
      ストレスなのだろう。



などの箇所を読むと、人間とちっとも変わらないなと思う。
「開いてしまう」という言葉、なんともエロチックだが、ほんとにそのまんま、エロい。
この「開いてしまう」が得意なトトなんだね。「トトさんのきょうもいちにち天下泰平」の
写真、12枚+1枚を凝視する。


      犬を飼う人は、他所(よそ)の犬の写真などさほど見たくはないらしい。
      猫の飼い主たちは、どこのどんな猫でも飢えたように見たいのだと…



そう、そうなんだ。猫だったら野良猫だろうが、地域猫だろうが、外猫だろうが、
見たい、触りたい。猫の島があれば、猫の島までわたしは逢いに行く。

最後の章の「猫がきた理由」は、ホロリとさせられてしまった。




cat今日も綺麗な夕焼けです。cat miyoko
 

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