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2015年3月

2015年3月31日 (火)

3月去る

3時間弱かけてあれやこれやと走り廻ってきた。

ドラッグストア→郵便局→文具館→コンビニ→山王公園→書店→

→銀行→買い出し(マーケット)

途中寄った山王公園はお花見の人たちで賑っていた。あちらにもこちらにも

家族連れが…

そして、子どもたちが多い。ああ学校が春休みになっているんだった。

風に花びらが舞い、子どもたちが追っかける。

今日で花見もおしまいか ?   明日から1週間雨の日が続きそう…

今日は年度末でもあるんだ。

「3月は去る」ホントに、もう3月は去ってゆくんだねぇ。


雨が降りはじめた。

ということで、これから夕餉づくりです。

トンカツ揚げなくちゃ…





2015年3月29日 (日)

『石原吉郎詩集』 現代詩文庫 思潮社

石原吉郎のことばの〈海〉に迷い込んだこの3月、わたしの机上には、

『石原吉郎全集』(花神社)3冊と石原吉郎に関する本が積みあげられたままだ。

なんとかしなければと思いつつ、まだ〈海〉にただよっている。

『現代詩読本 石原吉郎』(思潮社)・『石原吉郎』(清水昶 国文社)・

『海を流れる河』(石原吉郎 花神社)そして、タイトルの『石原吉郎詩集』(思潮社)だ。

これらは、殆ど全集に収められているのだが、今日は『石原吉郎詩集』の中から

好きな詩を紹介したい。



         居直りりんご


     ひとつだけあとへ
     とりのこされ
     りんごは ちいさく
     居直ってみた
     りんごが一個で
     居直っても
     どうなるものかと
     かんがえたが
     それほどりんごは
     気がよわくて
     それほどこころ細かったから
     やっぱり居直ることにして
     あたりをぐるっと
     見まわしてから
     たたみのへりまで
     ころげて行って
     これでもかとちいさく
     居直ってやった




未刊詩篇から、この現代詩文庫に収められている。
『石原吉郎全集』では〈斧の思想〉に収載されている。



(この詩はいまのわたしの気持ちにぴったり(?)のような気がしないでもない。)


戦後ほぼ8年、囚人としてシベリアに抑留されていた石原吉郎。


           私にとって死とはとりもなおさず生の断念であり、そのような姿勢で
     かろうじて戦時の日常を生きていたにすぎない。よもや私が死ぬ
     前に戦争が終るとは思ってもみなかった。
                         「戦争と死と私」(『石原吉郎全集 Ⅲ』)


とも、書いている。
また、次のようにも記す。



     ほんとうの悲しみは、それが悲しみであるにもかかわらず、僕らに
     ひとつの力を与える。僕らがひとつの意志をもって、ひとつの悲しみを
     はげしく悲しむとき、悲しみは僕に不思議なよろこびを与える。人生とは
     そうでなくてはならないものだ。
 
           (『石原吉郎詩集』「一九五九年から一九六一年までのノート」)
                         



最後にとっておきのひとことを。これは1959年44歳の時のことば。



     自分自身の「とりあつかい方」をおぼえること  (10・7)
 
          (『石原吉郎詩集』「一九五九年から一九六一年までのノート」)


石原吉郎は、1915(大正4)年生まれ、1977(昭和52)年死去。享年62歳。
 
 
     

      

2015年3月28日 (土)

馬酔木(あしび)の花

ツツジ科の常緑低木で、壺状のスズランに似た白い小さな花が咲く。

最寄りのJRの駅のいつもは中央階段からのぼるのだが、左の階段下に一本この

木がある。遠くから見ても咲いていることがわかり近寄ってその花を見た。

愛らしい花である。名前の字があらわすように、馬が食べると酔っぱらったように

なるらしい。日本名のあしびは、「足しびれ」の略とか…。


万葉集にはこの花が10首ほどある。そのなかの1首。



      池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を袖に扱入(こきい)れな

                     大伴 家持 (万葉集 巻20-4512)




俳句では、
            馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ   水原秋櫻子

            春日野や夕づけるみな花馬酔木    日野 草城




そして、わたしの宮崎での拙歌。


     予祝するごとくに咲ける花馬酔木日向(ひうが)の里にひかりはみつる

                       『夢の器』(ながらみ書房 1992年6月)


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福岡の桜は5分咲き…明日はお花見。

2015年3月27日 (金)

題詠歌会

昨日は北九州での歌会。

同じ九州でも、福岡より八幡の方が桜の花は遅い。

まだ殆ど咲いていない。福岡は3分咲きくらいか。

いつものように題詠2首、お題は「未」。



さまざまな「未」が登場した。未来・未熟・未曾有・未婚・未練・未遂・未亡人・
未年・未草・乙未・未明等々。



ことばは、それだけで俗っぽいものがある。例えば「未練」。そして「未亡人」などは、
ハラスメントになりそうなことばでもある。


題詠が定着したのか、皆さん殆ど2首共に題詠の詠草。




休憩のお菓子は、「ぎおん太鼓」さくらあんが美味しかった。
紅茶をいただきながら、いろいろな話題が飛び出す。
昨日は、皆既月食の話。4月4日の皆既月食を観察しようと盛り上がる。
皆既食の始まりは20時54分、終わりは21時6分。
お天気になればいいが…


ところで、昨日の欠席者は3名。詠草は出ているのでその3名に全員の歌の
批評を赤字でパソコンに入力して、発送する準備。
そのために12時近くまでなった。途中、上弦の月を眺める。
今夜が本来の上弦の月だが、昨夜も見事な美しい月だった。
ビルの上までに傾いた月を眺めていた。


そうして、こうして、3月も残り少なくなってゆく。

2015年3月25日 (水)

「次代を担う20代歌人の歌」 『短歌』2015年4月号

本日届いた『短歌』4月号の大特集が読み応えがあった。

「若手10歌人大競詠・同時批評」ということで、小島なお・吉岡太朗・谷川電話・
野口あや子・服部真里子・吉田隼人・大森静佳・藪内亮輔・小原奈実・立花開の
10歌人の評を、

佐佐木幸綱・馬場あき子・花山多佳子・小池光・岡井隆の5名が2名ずつの担当で
前記10名の作品掲載と同時批評をしている。



まず、読みやすいと思ったのは、右ページに作品があり、左ページにその評が
掲載されているので、評と歌を照合しやすいこと。



そして、評をしている5名のいずれのかたも、歌にがっぷりたちむかっている
ことだった。従って「褒め殺し?」 的なことばがないのがいい。
ともすれば、ものわかりのいい評をしてしまいがちなのだが、そこは、さすがと
いうか、納得することばかりであった。




     ただ、発想や表現がやや典型的なところがあり、…  花山多佳子

     作品が作者のものに止まっているかぎり、客観的に自立した作品の
     誕生は望めない。                      小池 光
 
     作者の、いささかの勇み足のようにも思えた。      岡井 隆

     言葉の綾は目立たない方がよかったな、   佐佐木幸綱


     思いは溢れていても対象を本当に見ようとしていない…  馬場あき子




等々の評が心にとまった。10歌人の作品(評、全文も)は、どうぞ、本誌を手にとられて
読んでみてほしい。



本誌の「編集後記」(I)には、
     十代から百歳代までが同じ舞台で同居できている短歌という世界は
     現代にあって大変貴重であり、同世代のライバルとの切磋琢磨同様、
     異世代間で相互に学びあうことが大事だろうと思う。…略 
 

2015年3月22日 (日)

映画「風に立つライオン」 大沢たかお主演

さだまさしの『風に立つライオン』(幻冬舎刊)の映画化。

アフリカのケニアで国際医療活動に従事した日本人医師の物語。

この日本人医師は実在のモデル、柴田紘一郎さん。

大沢たかおがこの日本人医師を演じている。彼は長崎の大学病院から

ケニアの研究施設に派遣される。

銃や地雷で負傷した人々が次々に運び込まれてくる医療の現場。

目を覆いたくなるような手術の場面が幾度となく出てくる。凛々しく

勇敢に立ち向かう柴田医師。そして、そこでの子どもたちとの触れあい。

たいせつな仕事を選べば、日本に残してきた恋人(真木よう子)を諦めなければ

ならない。そのこころの経過が伝わってくる。




アフリカの大地に向かって「ガンバレー、ガンバレー」と叫ぶシーンが何度も

出てくるが、それは自分自身に向かって言っているのだと、看護師(石原さとみ)に

語っている。

大沢たかおの精悍な青年医師に魅せられた。そして、

石原さとみの可憐な看護師姿が、殺伐とした医療現場にやわらかな

光となっていた。


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本日、福岡はさくらの開花宣言があった。
あたたかな陽射しでさくらのつぼみも開きはじめたようだ。

午後6時過ぎの真っ赤な大きな夕日。
いつもより大きく見えたのはなぜだろう。


2015年3月21日 (土)

日本現代詩人会西日本ゼミナールin福岡

西鉄イン福岡にて開催されたゼミナールに歌友らと出席した。

130名強の参加者。「短歌と詩、その相似と相違について」が語られた。

歌人側からは、穂村弘・東直子さん。


穂村さんの過激 ? な、フレーズを期待していたら、のっけから
「現代詩は、読み手を拒んでいる。通俗性、ポエム性を拒んでいる。」との発言あり。
その発言の下敷きには、昨今の口語短歌などは、通俗性やポエム性を孕み、
内包しているということか。その善し悪しは別として、読者離れをしていく「詩」ということが考えられる。


短歌と詩の壁が存在するとしたら、定型と非定型という〈かたち〉に、
その要因の一つがあるとも言える。文語定型の短歌だと、共通認識があり、
理解しやすい。一方、詩の場合はどうなのか。




谷川俊太郎が、「短歌は演歌だ」と言ったという発言があったが、
情動に従って、感情をべタにのせることが「演歌」になってしまうのか。




結社の問題に触れても語られたが、短歌や俳句に「結社」があり、
詩や小説の世界には「結社」は無い。それはなぜか。




まぁ、いろいろと議論されたが、詩人の北川朱実さんが「違う世界を見ることに
よって、世界も広がる…」と、纏めてくださった。




休憩をはさんで、4人の朗読。
東直子さんの朗読に聴き惚れた。彼女はマルチ才女 ? だと、つくづく思う。
歌人は勿論だが、小説を書き、絵本も書く。


『いとの森の家』にサインをして頂いたが、さらさらとすてきなカットを添えてくださった。
そういえば、この小説の装画も東さんが描いている。




懇親会に出席せず、わたしたち8人はWatersite.OTTOで、お茶をした。
夕映えの街を眺めながら、今日のゼミナールのことや、歌のことを語りあった。

シフォンケーキが美味しかった。

2015年3月20日 (金)

福岡県西方沖地震、きよう10年

2005年3月20日、午前10時53分だった。

あの時、わたしは頭がくら〜っとし、部屋が斜めになるような感じだったので、

貧血を起こしたのかと咄嗟に思った。(もともと低血圧なので…)

地震だとわかって、すぐ玄関のドアを開けておいた。このかん、たぶん何秒かの

行動だった。


福岡に住んでいて地震に遭うなんて思いもしなかった。
あれから10年経った。
今日は「市民防災の日」だった。




福岡市中心部を走る警固断層帯は、30年以内にM7・2程度の地震が

起こる確立を「0・3〜6パーセント」と発表している。普段からの心構え、準備を

しておかなければ…




それにしても、20年前の3月20日は地下鉄サリン事件があった日でもある。

そして、4年前の東日本大震災。

3月はコワイ。3月が何事もなく過ぎてゆきますようにと、祈るばかりだ。





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Tさんの妹さんから頂いた「かぼす香の湯」の薬用入浴剤を入れて、

ゆっくりお風呂に入った。疲労回復・肩の凝りにも効くらしい。大分のかぼすが

入っているのだろう。




H さんから、クリスマスローズの切り花を頂いた。

仕合わせな気分に浸っている。


そして……皆さん、ありがとう。

 














2015年3月19日 (木)

みつまた(三椏)の花

みつまたの花が咲いていた。

雨に濡れ咲いていた淡い黄色の花。

よく見ると細い筒状の花が固まって、球形をなし、下を向いて咲いている。

細い雨に濡れていたのは、なんとも風情があった。


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春の陽ざしのなかでは、黄色の花がことに目につく。

菜の花・蒲公英・連翹、そして、山茱萸(さんしゅゆ)の花など。



一昨日は、百道(ももち)まで行ったが、福岡タワーの近くのお店にミモザの

花が、切り花として売られていた。買おうとしてかろうじて思いとどまったのは、

自宅へ直帰できず、あとの時間のことを考えると買うことができなかった。

ミモザの花を買えなかったのは、かえすがえすも残念でならない。



わがやの玄関には、今はフリージアの花が飾られている。
わたしの部屋には、昨日摘んで帰った菜の花が…。
菜の花って、水を沢山吸い上げ、まっすぐ伸びる。




黄色の花を見ていると、元気になれそうな。


明日はどんな花に巡り会えるやら…

2015年3月17日 (火)

こぶし(辛夷)の花

近くの街路樹のこぶしの花が咲きだした。

白い六弁の大形の花で、白木蓮(はくもくれん)に間違えられたりする。

白木蓮も好きだが、こぶしの方がもっと好き。

こぶしはモクレン科の落葉高木で山野に自生しているのもあるが、

このところ街路樹や庭木として見かけるようになった。

こぶしの別名は、やまあららぎ・こぶしはじかみ、とも呼ばれる。

白木蓮は満開になっていた。

そして、雪柳の真っ白い花が、まさに雪が積もったように、

白い小さな花をつけていた。





今日は総合図書館まで行った。
終って、待ち合わせ場所の紀伊國屋へ。
セーターを着ていたので汗ばむほどだった。



今週は4日もお出掛けが続き、落ち着かない。

さくらの開花も、もうじき……だろう。



2015年3月16日 (月)

『石原吉郎全集』 花神社  1979年12月〜1980年7月

石原吉郎の詩集『禮節』(1974年1月刊 サンリオ出版)に「世界がほろびる日に」

の詩がある。この詩は全集に収めた時に『禮節』の「節」の字を旧字の9画に変えている。

         (この旧字がパソコンで出てこないために『禮節』のままに紹介するが…)

引用したのは、全詩集から。






         世界がほろびる日に      石原 吉郎


      世界がほろびる日に

      かぜをひくな
 
      ビールスに気をつけろ

      ベランダに

      ふとんを干しておけ

      ガスの元栓を忘れるな

      電気釜は

      八時に仕掛けておけ







たとえ世界がほろびる日が来ようとて、わたしたち個人個人の生活は、
ほろびるその日まで平常に持続される、いや、持続しなければという
せつない思いが託されている。何があろうとも、今の生活、今まで在った
生活を持続したい思いは、痛切である。





この詩を読むと、東日本大震災(原発事故)で余儀なく避難しなければならなく
なったひとたちのことが思い浮かぶ。その日まで、その時間まで、平常に持続
されていたふつうの暮らしが、断ち切られてしまったのだ。




「…略 わたしはこの詩を買いません。あまり図式が明快すぎてシニカルな
ユーモアも吹き飛んでいるからです。…略」(『石原吉郎』清水 昶 国文社刊 昭和50年)

という評もあったが、わたしは後出しジャンケンみたいで申し訳ないが、やはり、
この詩は詩史に残る ?  石原吉郎の代表作になるのではないか、と信じる。




石原吉郎は、ことばに対しても、その表記に対しても細かなところまで
後年、改作しているが、先にあげた詩の3行目の「ビールスに気をつけろ」は、
初出は「ウィルスに気をつけろ」であった。


そして、評論やエッセーに頻出する「シベリヤ」は「シベリア」でなく、
「シベリヤ」と、表記している。一部「シベリア」の表記を使っているのも
あるが、それは出版の際に編集部に同意してのことらしい。
石原としては、あくまで「シベリヤ」なのだろう。




                              (いつの日か、つづく ? )

2015年3月15日 (日)

『石原吉郎全集』 花神社  1979年12月〜1980年7月

石原吉郎は、敗戦後の昭和20年の冬から、昭和28年の冬まで抑留され、

その期間のほぼ半分を囚人として、シベリヤの強制収容所で暮らしている。


その間の強制収容所体験が始まるのは帰国後のことだとも書いている。

強制収容所の凄まじい現実の中で、疲労し衰弱しきっている時には、およそその

現実を〈体験〉として受け止める主体など存在しようがない……とも。




      八年の間見てきたもの、感じとったものを要約して私が得たものは、
      政治というものに対する徹底的な不信です。政治には非常に関心が
      ありますけれど、それははっきりした反政治的な姿勢からです。人間が
      告発する場合には、政治の場でしか告発できないと考えるから、告発を
      拒否するわけです。……略



そして、告発しないという決意によって、文学にたどりつくことができ、その経験を
文学的テーマに昇華したのだ。


この全集は三冊揃いで、まだⅡの評論集と、Ⅲの対談集の部分だけを読んだに
過ぎないが、読んでいくうちに、ひりひりした感覚に襲われる。それは、いやな感じ
ではなく、精神の高揚というか、禊をしているような感覚、とでも言おうか。




      私は 告発しない。ただ自分の〈位置〉に立つ。

      一度でよい。立ちどまって、そして自らに問え。

      なぜーー自分はこうなんだと、自分に問うことを忘れてはいけない。
      その問いにたとえ答えることはできなくても、問う姿勢には最後の
      意味があるのだから。



1977年11月14日、急性心不全にて自宅で入浴中に死去、翌日発見される。
享年62歳。


                                        (つづく…)

2015年3月12日 (木)

歌集『ふくろう』 大島史洋  短歌研究社

2009年から2013年までに歌壇の雑誌に発表した作品約400首を

収めた第12歌集。



    訴えたい何かがあるから歌を書くこんな言葉も身に沁みるもの

    若きうちは苦しみながら泥を吐け老いづきて吐くは醜きことぞ

    わが娘深夜の厨に納豆を立ちて食いいきたのもしきかな

    寄り添って支えるために立っているもやしのような僕ではあるが  

    よしやってやろうじゃないの任せなと何のせいでか言ってしまった

    父と子の絆はたとえば隣人愛 傘一本の貸し借りくらいの

    ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ

    この顔は自分を許していない顔 甘ったれの俺だからわかる

    ひったりと施設の壁に吸い付きぬ九十九歳の二足歩行は

    ふくろうの置き物吾の宝物ふくろうの目は哲学をする




高齢の父親が故郷に住む、その父親を介護しているのは兄。
歌集の後半では父親は施設に入ることになるのだが…



大島さんの歌は家族をうたっても醒めている。
6首目の歌にあるように「父と子の絆」は、「隣人愛」だと言い、それは
「傘一本の貸し借りくらいの」と、哲学している。



従って娘を見る目も客観的というか、ほどよい距離感がある。
3首目の結句「たのもしきかな」と言えるのも、娘を娘として見るのではなく
一人の働く女性としての認識が優先させるのだろう。働いて深夜に帰宅した
娘が厨で立ったまま食べている納豆。それを咎めるのではなく、よしよし
頼もしい奴だと言える父親なのだ。



どの歌を読んでも、ああ、これは「大島さんだ」と、納得する。
作品の中の作中主体と、現実の作者が乖離していないのだ。
なま身の大島さんが、そのまま作品の中に息づいている。


このたびの第12歌集で特徴的なのは、人名が頻出することである。
数えてみたら50首強あった。13パーセントくらいを占めている。


芭蕉・虚子・子規・蕪村・茂吉・赤彦・左千夫などは違和感はないのだが、
いろいろな人名が登場する。モーツアルト・ベートーベン・ブラームスが出ると
思えば、豊臣秀頼・秀吉、乃木希典などもある。勿論、その中には現代歌人の
名前もある。岡井隆・石田比呂志・阿木津英・宮地伸一・金井秋彦・山田はま子など。
これらの人名が出てくる歌には大島さんらしい見解というか、思想(大きくいえば)が
込められている。その人名の入った歌を3首紹介しよう。


     喪主の名は阿木津英なり阿木津をば自分の作品と言いし男よ

     見栄坊は底が浅いか、昔より太宰治は苦手でありし

     生前は一枚しか絵の売れざりしゴッホと聞きつつ茫たり吾は




ともあれ、この大島さんの第12歌集のタイトル『ふくろう』は、「ふくろうの目は
哲学をする」であり、「ふくろう」は、大島さんそのものであろう。

2015年3月11日 (水)

「3・11後 想像力の役割は」  朝日新聞 2015・3・10

昨日の朝日新聞の夕刊、3面の川上未映子の言葉に感動した。

感動した、とひとことで言ってしまうのとはちょっと違う、ある意味の衝撃…

東日本大震災から4年になる。

批評家・作家の東浩紀との対談だが、そこで川上の言葉。


         当時、震災にコミットした人には「軽率だ」、しなかった人には
         「何もしないのか」というような、相互監視的な雰囲気もありました。
         創作は自己実現もはらんでいるので、複雑な心境ではありましたが
         「今自分にできる労働はこれだ」と思いながら書いていました。
 
          (3・11チャリティ企画の書き下ろし短編小説『三月の毛糸』講談社刊)



 
さまざまな過去の災厄のあとに生まれた表現で思い浮かぶものは何ですか、の
問いに対して、川上は、下記のように語っている。




        私はシベリア抑留を体験した石原吉郎のエッセーです。
        当時、そこでいったいどんなことがあったのか。生々しい
        記録としても貴重です。極限状態から生還するために、
        彼には言葉が必要だった。言葉というものが人間に果たした
        機能や役割を考える上でも、とても重要な一冊だと思います。





1976年生まれ、『乳と卵』で芥川賞を受賞した川上未映子。30代の彼女が、
石原吉郎のエッセーを推薦するあたりに、わたしは衝撃を受けたのかも
知れない。それは、感動を込めてと言ってもいい。

石原吉郎には、歌集『北鎌倉』や『石原吉郎句集』などもあり、
『石原吉郎全集』(花神社刊 1980年7月)には、詩集の『サンチョ・パンサの
帰郷』他、が収められている。


全集が書棚で眠っているので、これを機会に繙くことにしたい。

2015年3月 9日 (月)

「定型、非定型の差異をめぐって」 現代詩手帖

「討議=短詩型をの行方」と称して、大岡信・粟津則雄・安東次男が対談をしている。

安東次男の句集『花筧』のテキストクリティック。

これがなかなかに面白い。安東の「まとめて一篇の詩として読んでもらってよい」の

自信溢れた言葉もさることながら、自句自注がたのしい。

俳人や詩人の対談はフランクに話し合うので、入り込みやすい。(1992年4月号)


安東の句集『花筧』を読みたくなったくらいだ。ちなみに3句を紹介。





       わが胸の茜を染めよ初昔

       反故日和わがまんさくの花咲けり

       紅梅と気付かせてゐるくもりかな

              『花筧』思潮社刊 1992年 安東次男






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今日はようやくお雛さまをしまった。わがやの「雛納め」である。
奇数日にしまうといいんだって。
節句に飾ったお雛さまを1つ1つ和紙でくるんで、箱にしまった。



むかしは雛祭りがすんで早くしまわないと女の子のいるうちでは
婚期が遅れるなどという言い伝えもあったのだが…
現代では、そんな言葉を吐こうものならハラスメントになる ?  かしら。




「百年梅酒 梅香(ばいこう)」 が届いた。
今夜は早速「飲むべかりけれ」。
 

2015年3月 7日 (土)

冴返る月

昨日が満月だったのだが、残月がことのほか美しかった。

午前4時に目が覚めてしまったのだが、冴え返る月をちょっと眺めていた。

そして、今夜の月もことのほか美しい。

今日は歌会があり、会場のカギを返しに行った8階のお宅のマンションから見た月。

見上げる感じではなく、見下ろすような感じだった。

歌会には、熊本から I さんが出席してくださった。


福岡県詩人会のT さんにゼミナールの出席者6名の連絡。

歌集を読む時間がなく、つくづく時間の使いかたをもっと工夫しなければと思う。


2015年3月 6日 (金)

「短歌と詩、その相似と相違について」

日本現代詩人会 福岡県詩人会の主催による下記のゼミナールの紹介。

日時   2015年3月21日(土)13:30〜  (受付13:00から)

場所   西鉄イン福岡2階 大ホール
      福岡市中央区天神1-16-1
      TEL 092-712-5775

会費   1000円(資料代含む)

座談会  登壇者  (短歌から)   穂村弘   東直子
             (詩から)   谷内修三  北川朱美

朗読    座談会の4名



      なお、終って懇親会あり、会費5000円。



上記の案内がわたしの関わる会宛てに届いたが、なんせ連休、それも
お彼岸の真っ只中で、巡りの方々は墓参りや法事やらと予定を組んで
いられる。無理強いはできない。


それでも、関心のあるかたは出席されるであろう。


3月7日まで、出席は受け付けるということなので、このブログを見て
出席しようと思ったかたはご連絡をください。



今日は香椎の教室なので、皆さんにご案内する。
そして、明日は「未来福岡歌会」なので、そこで知らせる。

何しろ案内状が届いたのが遅かったんだから…

2015年3月 4日 (水)

さくらんぼの花

さくらんぼの花を K さんが教室に持ってきてくださった。

桜の花に似ているがややこぶりな花。花びらは5枚、蕊がつんつんと立っている。

久留米より小さな枝を2本持って帰ったのだが、萎れそうだったのが、

水揚げもよく、花瓶にさしたその花をいま眺めながらこれを書いている。


歳時記で調べたら「バラ科の落葉高木の西洋実桜の花」とあり、

花の咲くのは4月ごろと書かれている。

それにしても、今日は3月4日なので花の咲くのが早過ぎるのでは…

あれこれ植物図鑑で調べると「暖地桜桃」ではないか、とも思う。

まぁ、いずれにしても「さくらんぼの花」を見たのははじめてなので嬉しい。


今日は電車の車窓より眺めた「白木蓮(はくもくれん)の花」。

弥生の空に向かってほころびはじめていた。

もう1週間もせずに白妙の花が目にまぶしく映るだろう。




風はまだすこしつめたいが、ホントの春は、確実にそこまで来ているみたいだ。

2015年3月 1日 (日)

雛の里 八女ぼんぼりまつり

早春の八女のお祭り、「八女ぼんぼりまつり」が始まった。

今日は日曜日ということで、人出も多かった。

八女、福島地区の旧家やお店など、いたるところで雛人形が飾られていた。




八女のグループホームの義母は相変わらず。
意思の疎通をはかれないのが、なんともさびしい。
それでも顔を見て、すこしは安心する。




わがやのお雛様に「ひなあられ」を供える?
女の子のいないわがやでは、お雛様も七段飾りや親王飾りといった
高価なものではなく、わたし用に毎年1対1対求めたものである。


数えるといくつあるかしら。
なかでもたいせつにしているのは、飛騨高山で求めた陶器のお雛様、
佐賀の有田で求めた壁掛け用の磁器のお雛様など。


 
   菜の花あへ芹のおひたしうるはしく雛(ひひな)の夜のひとりの宴(うたげ)
 
                      「弥生の夢の…」1990年3月2日 miyoko


甘酒も用意しとかなくちゃ…
 

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