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2015年6月

2015年6月29日 (月)

映画「あん」 監督・脚本 河瀬直美

小さなお店でどら焼きを売っている千太郎(永瀬正敏)のところに、ある日立ち寄った

徳江(樹木希林)。雇って欲しいと言い、自給600円のところを300円でもいいと言う。

渋る千太郎に200円でもと持ちかける。高齢の徳江には無理だと断るが、

「あん」を作って来て、食べてくれと置いてゆく。




その「あん」の美味しいこと。
既製品の餡を今まで使っていたが、徳江を雇い入れ、手作りの餡が美味しいと
評判を呼ぶようになる。しかし、それも束の間、徳江がハンセン病であったことが
流布され、お客が来なくなる。



映画のストーリーはいたって単純なのだが、千太郎を演じる永瀬の渋い演技、
そして、徳江を演じる樹木希林の表情がなんともいい。




短いことばのやりとりの中に徳江の人生観が凝縮されている。



         私たちも陽のあたる社会で生きたい。




こんな当然(?)なことが、徳江を含めたハンセン病患者たちには許されていなかった
時代があったのだ。強制隔離され、授かった赤ちゃんまで堕胎せねばならなかった
時代。



エピローグでは、泣いてしまった。




  *    *

患者たちには選挙権さえ与えられていなかったのだ。
昭和20年10月選挙法改正により、患者に選挙権が与えられる。
強制隔離政策を引き継いだらい予防法改正案が可決されたのは昭和28年であり、
平成8年4月、「らい予防法の廃止による法律」が施行された。

2015年6月28日 (日)

『吉本隆明 最後の贈りもの』 吉本隆明  潮出版社

2012年3月16日に亡くなった吉本隆明。

生前に、歌人の道浦母都子がインタビューをしたのが収められている。




      ーー略
      吉本さんから日本の短歌史、そこに流れている詩心の変遷を
      おうかがいする機会…。
      その第一回は、二〇〇九年一月十九日三時半から、吉本さんの
      お宅ではじまった。大阪からうかがった私は、まだ、整理のできない頭で、
      吉本さんの前にいた。この企画が通ったことすら、信じられないままの
      状態だった。あまりにも大それたことを考え、それを実行している自分に、
      あきれ返ってもいた。ーー略



集中の「花海棠と吉本隆明」と題する道浦母都子の文章である。初出は「現代詩手帖」
2012年5月号。この文章を読むかぎり、道浦の方から企画し実行していることが窺える。


そして、『最後の贈りもの』というタイトルは、「私がお願いして採用していただいた」とも
記している。幻のインタビューが活字化された経緯は置くとして、読者としては、何より
吉本隆明が、歌(短歌)に対して、どのような考えを持っていたのかを識り得る一集に
なっている。

たとえば、詩を書くことを「自己慰安」と呼んでいた吉本隆明。


「半分は自己真実、半分は自己劇化でなければ、詩にはならない」などの言葉は
鮮烈である。


道浦母都子の歌に対して「時代と情況の変化に対応できている」とも述べている。




     ーー略
     受容して下さった吉本さんの度量、私の近刊の歌集や著作を読んで、
     準備して下さっていたありがたさ、何と申し上げていいのか、わからない。ーー略

                            「花海棠と吉本隆明」より




この書はⅠ・Ⅱ・Ⅲ章とあり、Ⅰ章では「詩歌の潮流」。Ⅲ章では「俳句のゆくえ」で、
道浦母都子との対談はⅡ章に収められている。
     
                                    (2015 年4月発行)
 
 

2015年6月25日 (木)

柘榴忌(鶴 逸喜 忌)

昭和52(1977)年6月26日、熊本のホテルで客死した、鶴 逸喜 の命日は明日。

享年49歳であった。彼のことを知る人は知っているが、もう、おそらく知る人も

少なくなってしまったことだろう。


昭和35年、「角川短歌賞」を受賞寸前で逸してしまった。

当時の選者、近藤芳美は「こういう形で伸びて来た歌人を認めてやっても

いいのじゃないか、賞をやってもいいと思うがなあ、ぼくは」と推した。





戦争と肺患で暗く塗りつぶされた 鶴 逸喜 の青春。

その中で短歌という表現形式に一切を託した。

しかし、中央に認められることもなく、出ることもなく、一生を不幸なかたちで

終わってしまった。





        ボタン一つ押せば滅ぶる世界とも籠り病む日のラジオは伝う

        血を吐きて今日は厠に一人死ぬわれはいかなる死に方をせむ

        盛りあがり峡の若葉は日日鮮(あた)らしなべてを耐えて生き来ぬ、戦後

        敗兵の日の記憶にて血を喀きし瞳(め)に涯もなき海原の紺

        熱募りくる午後にしてまどろめばまぼろしの中揺らぐ火焔樹

                   鶴 逸喜 歌集 『火焔樹』 昭和52年12月 葦書房





しかし、歌は遺った。

そうして、鶴 逸喜 の導きによって、わたしはいまも歌をつくっている。

たった6年ほどの期間であったが、生涯のなかで彼に出会えたことは何よりの

僥倖であったと思う。





       雨に濡れ朱(あけ)つやめける柘榴の花 在りし日のきみ愛したる花

       水無月の死は忘れられ柘榴忌の柘榴の花の雨に濡れゐる


                   『夢の器』 1992年6月 ながらみ書房  miyoko


        

        

2015年6月24日 (水)

『ゼクエンツ』 河野美砂子歌集  砂子屋書房

         「ゼクエンツ Sequenz 」は音楽用語(ドイツ語)で、ピアノ演奏する

         場合では日常的に使う。「音高を変えながら繰り返す、同一音型」と

         いうニュアンスだろうか。バッハやモーツアルトの作品に頻出する。

                                      「あとがき」より




河野美砂子の『無言歌』につづく第二歌集である。
ピアニストとして演奏活動をする著者らしく折々に音楽(ピアノ)に関わる
歌がうたわれている。





          あと何度練習(さら)へば三月 黒鍵の角の光に密度ある朝

          月待ちの舟にまどろむわれの手が千年ののちリゲティを弾く

          五線譜に書きこんでゆくまだだれも聞かない音の種ひとつづつ

          ふれがたく黒白(こくびやく)の鍵盤(キイ)整列す美しい音の棺のやうに

          黒鍵がいつかわたしの舟となる 蓋をひらけば舟に添ふ影





いずれの歌も美しい。「黒鍵がいつかわたしの舟となる」など、ピアノの演奏に全身
全霊を注いでいるひとの言葉であろう。



『ゼクエンツ』を読了して思うのは、猥雑な生活のあれこれが具体的に出てこないことだ。
そのことは、演奏家としての河野の立ち位置を明確に鮮明にしているようにも思う。
それは、プロとしての覚悟かも知れない。



          遠目にはまだ冬の木のユリノキが幹濯(あら)はれて黒く濡れ立つ

          青インクの匂ひのやうな夜の秋 ホルンの人と電話つながる

          はつふゆというても時雨が来いひんとだれに言ふともなくおもひたり

          わすれてね。時がすぎればこの場所でだまつてくらす 菊を咲かせて

          ここだけが時雨れてゐると見えながら北山あたりに浮く茜雲





「黒く濡れ立つ」ユリノキ。「青インクの匂ひのやうな」などの色彩感もどちらかと
いうとモノクロームの世界に近い。5首目に「茜雲」があるが、この茜雲も
あでやかというより、くすんだ印象を受けるのだが、どうだろうか。



これは一つには河野の指向(嗜好)するものによるだろう。
そういえば、この『ゼクエンツ』も素っ気ない(?)ような装丁である。
わたしは、この装丁が中身(歌)に合っていると思う。




4首目の「菊を咲かせて」がいい。「薔薇を咲かせて」では、ゼッタイダメ。

河野の身めぐりには「時雨」が似合う。

彼女の美学がとことん詰まった一集だと、のめり込みながら、

ふたたび、みたび、手にすることだろう。

2015年6月22日 (月)

『猫本屋はじめました』 大久保 京  洋泉社

日本初の猫本専門インターネット書店を開いた大久保 京(女性)店主のエッセイ。

真っ赤な表紙に「書肆 吾輩堂」のロゴが印象的。

加えて、小判柄の袴を着て、両手をつき、畏まっている猫(国芳の絵)は、

まるで口上を述べているかのようである。



さてさて、この吾輩堂の店主こと著者は、2010年12月31日勤めていた会社を退職。
2013年2月22日(猫の日)に開業するまでのてんやわんや(紆余曲折?でもないか)を
面白おかしく綴っている。苦労もあっただろうけど、たのしく読めてしまうのは、やっぱり
猫に対する「欲望と妄想」(吾輩堂日記)がいちずなゆえか。



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しかし、まぁ、「猫本」のあまりの多さにタジタジ。

巻頭の猫本の写真を眺めているだけでたのしい。

そして、吾輩堂の猫店員の4匹の佇まいの品の良さ。彼らによってこのお店は

成り立っている?やも。


巻末の「猫本」のリストは国内はもとより海外の作品まで網羅されており、感服。

わたしはこの中のほんの一部しか読んでいないことに愕然とした。

「猫本」は、奥が深いぞよ。



それにしても、これから起業をなさるかたはこの著者の姿勢を学ぶべし、だ。cat


2015年6月19日 (金)

『私の息子はサルだった』 佐野洋子 新潮社

2010年11月、72歳で亡くなった佐野洋子の没後発見された未発表作品。

「あとがきのかわり」を佐野洋子の息子である広瀬弦が記している。


      すべての行にうっすらと大袈裟と嘘が見え隠れする。ほらな、
      やっぱりな。こういうのが嫌なんだよな。


      だけど何度か読んでいるうちに、もしかしたら僕から見た大袈裟と
      嘘が、彼女の中では全て真実なのかも知れないと思い始めた。
      


      同じ時期、同じ場所で僕が見ていたものが彼女には違うものに
      見えていたのかも知れない。全く違う体験をしていたのかも知れない。
      そうか。そうかも。


佐野洋子は母親として息子を「100万回抱きしめて100万回つきはな」したのだろう。

3歳の「ケン」も、13歳の「ケン」も、17歳の「ケン」も、佐野洋子にとっては、

可愛い、だいじなだいじな息子(子ども)なのだ。

終章の「愛する者」のところまできて、泣いてしまった。佐野洋子の心が痛いほどわかる。

そして、わたしもまたわたしの息子のことを思った。

                              2015年5月発行 1200円(税別)

2015年6月18日 (木)

「赤煉瓦夜話」 福岡市文学館

福岡市赤煉瓦文化館の1階にて催される「赤煉瓦夜話」も今回で61回目。

月の第3週の木曜日、18時30分~20時に、講師のお話。

毎回いろいろな分野の方の専門的なお話を聴く。
            (今後のスケジュールは文学館にお問い合わせを。)

出席者はいつも中高年のかたが多い。


今回は「猫本屋はじめました」の講演で、先頃同じ著書名で刊行した書肆吾輩堂の

大久保京さん。



70名先着順だが、予想通り満席だった。17時過ぎに行ったのだがすでに皆さん

並んでいて、私は整理券は15番目だった。そして、今回は圧倒的に女性が多い。

若いかたも多かったように思ったのだが…




猫本屋をはじめた経緯や、猫本のこと。古書のことなどあっというまの1時間半だった。

江戸時代にはすでに猫は愛玩用であったとか、古代エジプトでは猫は神様だったとか、


宮沢賢治は「猫嫌い」?の筈という話に聴き入った。


大久保京さんがお薦めの猫本は、内田百閒の『ノラや』だとか。(そうかぁ~)




昨夜に続く、「ネコ・猫・ねこ」の夜であった。


2015年6月17日 (水)

「生き物にサンキュー!!」 TBSテレビ

19時~21時までの2時間スペシャルのテレビ。

「ネコ語がわかる2時間 ! ! 」 を、かぶりつきで観てしまった。

狭い箱に入りたがるネコ。お尻をフリフリするネコ。

ネコの生態をくまなく観察。

たかが猫、なんて言わないでっ。

ネコ好きにはたまらない2時間だった。

ハワイのネコ島にはとうてい行けそうにない、けど…




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また明日の夜もネコ好きな人たちが集まるのだろうな。

早く行かないと先着70名ということだし…

2015年6月14日 (日)

天ケ瀬温泉へ

朝7時前に電車に乗って羽犬塚まで、そこで迎えの車に乗車。

本日は連れ合いの親戚の大人10名、子ども4名、わたしたち2人を入れて16名で

天ケ瀬温泉に行った。車は4台、大分自動車道にて天ケ瀬へ。

途中、ねむの花が咲いている。「ねむの花」、「ねぶの花」と言いながら目を凝らして見る。


        象潟や雨に西施がねぶの花        芭蕉

        雨の日やまだきにくれてねむの花     蕪村



ねむの花と雨の付け合わせの2句。
ねむの花には雨が合うのだろうか。まぁ、雨季の頃に咲く花ではあるが…
あいにくというか、幸いというか、今日は1日雨が降らなかった。



皆がお風呂に入っている間に散歩。
天ケ瀬駅まで行ってみる。
途中、玖珠川の川辺に露天風呂があった。100円と書かれた札が立って
いたが、誰も入っていなかった。



菓舗 田代屋で、できたてのそば饅頭を買う。(あとで皆と食べた、美味しかった。)
天ケ瀬駅で「ゆふ号」を激写(笑)。 
 


帰りの車の中で、爆睡している輩(やから)もいたけど、飲み疲れ・遊び疲れか。

帰宅してメールを開いたら、福岡市の「熱中症情報」が入っていた。
15時、29度。厳重警戒の熱中症情報だった。



また、あしたから、ふつうの暮らし・日常に戻ります。 

2015年6月13日 (土)

ジャカランダの花が咲く

世界三大花木の一つ、ジャカランダの花。

4年前、長崎の小浜温泉で苗木を買ってきたのが、今年はじめて花が咲いた…

と、福岡市東区のMさんより連絡があった。

毎年、この季節になると、わたしは彼女に催促した。


          「ジャカランダの花はまだ咲かんと~?」

          「咲いてないです。木はひょろひょろと伸びていますが…」


4年目にして、ようやく咲いたのだ。

熱帯の桜とも呼ばれる花。南アフリカでは10月頃に咲くとか。

プレトリアでは「パープルシティ」とも呼ばれるほど街路樹が続く。

4年前、小浜温泉に行き、はじめてこのむらさきの花に出逢った。

苗木に心動かされたが、寒さに弱いというので買わなかった。

第一植える庭がない。

小浜では「パープルレイン」、即ち「むらさきの雨」とも呼ばれる。

来週あたりが見頃かしら。



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さだまさしの『風に立つライオン』(幻冬舎文庫)のなかにも、ジャカランダの描写がある。


          ジャカランダは長い期間咲くでしょう。
          しかも美しい薄紫の花が、散っても散っても、次から次から、
          枝の中から花が湧いてくるようにどんどん咲くでしょう。
          僕は美しい花とはそういう花だと思っていました。





2015年6月12日 (金)

「黒豹」 №94 2015・5

短歌結社「未来」の名古屋を中心とした方々の同人誌的な歌誌「黒豹」が届いた。

この歌誌は、70歳を前にして亡くなって今西久穂さんが創刊に深く関わった歌誌。

その今西さんが亡くなられて18年が経過すると「編集後記」で、伊吹純さんが書いている。

現在は、伊吹純さん・きさらぎあいこさんが編集している。


今号の頁数は34ページ。極めて手造り感のするところが、なかなかいい。

この歌誌は、古き良き時代(?)の空気感が全ページにただよっていることである。

たとえば、近藤芳美に関わる文章が毎号多いのも一つの特色。





     
      近藤芳美と広島(七) 被爆七十年 核兵器の歌   佐藤伊佐雄

      『埃吹く街』より(八)「苦しきとき」             伊吹  純


      近藤とし子への憧憬(二) 『溢れゆく泉』を中心に     津波古勝子



かつての「未来」に戻って読むような郷愁のする文章である。ことに津波古さんの
文章は、「慈愛・情愛・敬愛」と〈愛〉の溢れた文章になっている。



そして、きさらぎあいこさんの「九重織のネクタイ」のエッセイは、
ちょつといい話(?)になっていた。


「未来」創刊後1年くらいの頃、発行所の会計が苦しくなり、カンパを
募ったそうだ。そのカンパ500円をした女の人には、近藤芳美の短冊。
男の人にはとし子夫人手製の九重織のネクタイをあげたという話。




きさらぎさんは文章の末尾に「とし子夫人お手製のネクタイを貰われた方が
あったら、名乗り出てください。」と結んでいる。


先生とその夫人が、歌稿の割付け・会計・発送まで全てこなしていた時代も
あったのだ。



なんだか、しみじみとした気持ちになった。

2015年6月10日 (水)

「炭鉱の記憶」 福岡市総合図書館  ホール・シネラ

福岡市総合図書館のホール・シネラで本日6月10日より炭鉱を描いた映画を

上映している。初日の本日は「作兵衛さんとの対話」だった。

筑豊の炭鉱絵師、山本作兵衛の生涯と作品に迫るドキュメンタリーで、

監督は熊谷博子。本日は監督の挨拶もあった。

「戦後70年という節目の年として、社会の下の方から、庶民の目で描いた作兵衛」を

撮りたかったと語った。


この映画の中で、筑豊文庫創設の故・上野英信の言葉がおさめられた額、
それを息子の上野朱さんが取り出し、語っていた。

2011年に炭鉱記録画がユネスコ記憶遺産に登録されたが、40年も前から
上野英信らはその記録画に注目していたのだ。


この映画特集では、「花と龍」や「青春の門」「にあんちゃん」など16本の作品が
上映予定である。7月12日まで。



わたしは「炭鉱(やま)に生きる」や「海底炭鉱に生きる」を、時間があれば
観たいと思っている。


大人600円、 大学生・高校生500円、 中学生・小学生400円 。
上映スケジュールは、福岡市総合図書館に。





そして、この特別企画「炭鉱の記憶」は、福岡市博物館の「山本作兵衛の世界」
の協力とも銘打たれている。博物館の「山本作兵衛の世界」は、7月26日まで。



映画を観たあとは、博物館へ。

ユネスコ登録原画が、福岡市初公開となっている。

作兵衛の記録画をじっくり鑑賞した。

2015年6月 9日 (火)

墨田の花火(アジサイ)と扇子(せんす)

墨田の花火といっても、夜空に揚がる花火ではない。

アジサイの花の名前が「墨田の花火」である。

このアジサイの花を知ったのは数年前。

北九州の若松、火野葦平資料館に行った時に見かけた。

その時、はじめて「墨田の花火」という名前を知った。白色の花で可憐な感じがする。

好きな柏葉アジサイの花色も白。

なぜだか好きな花は白色が多い。




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今日、その「墨田の花火」と「柏葉アジサイ」の花を S さんと N さんが、
教室に持って来てくださった。
ひとかかえもあるような花だったが、うきうきと電車で持ち帰った。



帰って見ると、ペットボトルを半分に切り、その中に水を入れてアジサイが
萎れないように持って来てくださっていたのだ。こまやかな心遣いが嬉しい。


母の遺影の前と義父の遺影の前に供え、玄関にはたっぷり飾った。
そして、リビング、わたしの個室、それと和室にも飾った。
部屋中が白い花であふれている。




先日、扇子をどこかで失くしてドジな自分を叱りつけていたが、
今日、長年来の友人から新しいのが届いた。

わたしが扇子を失くしたのを察知したかのような贈り物に心が潤う。

そんなこんなで、ドジなわたしだが、身に余る恩恵を浴している。

そして、好きなもの、欲しいものが、わたしの手元にいつかは届く。

2015年6月 6日 (土)

展望テラスで夕日を…

今日は所属する短歌結社の「福岡歌会」だった。

新作5首持参して相互批評を行う。各自が人数分のコピーをしてくるシステム。

熊本から I さんが久々に出席され、白熱?した批評となった。

なっとくできる批評なので聴いていても心地いい。

この歌会は、他結社のかたにもオープンなので、出席してみたいかたは

ご連絡を。(会場は、博多区竹下です)



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午後4時に歌会が終わって、その足で中央区まで取材に。
午後7時前、どうにか終わり、博多区へ移動。

この時間だと、夕日を見ることが出来ると思い、急遽連れ合いに夕食を先に食べて
貰うために電話を入れる。


O・Kの許可を貰ったので、JR博多シティの「つばめの杜ひろば」へ移動。
ここの展望テラスは高さ60メートル。東西南北の福岡市街が見渡せる。
まさにパノラマ状態。
夕日を見るひとたちが30~40人はいただろうか。
午後7時35分、夕日が沈むまで眺めていた。

真っ赤な大きな夕日だった。

なんだか得をしたような気分で帰宅。


連れ合いは、まだ飲んでいたけど、明日のラグビー観戦のための
自分のお弁当はすでに作っていた。
ホントに自立しているひとだ。(わたしがいなくても大丈夫なようで…)








2015年6月 3日 (水)

第11回 夕映忌 (雨の… 2 )

2015年6月2日、15:05分福間駅前発のコミュニティバスに乗った。

てっきり夕映忌の会場の料理店に行くのかと思っていたら、途中下車して

雨の中を歩く。こんな田舎にお店があるの~、などと坂口さんに訊ねる。

うかつと言えばなんとわたしは迂闊なことか。

花田俊典先生のお宅に伺うことになっていたのだった。




お庭に花が咲いていた。門のすぐそばには柏葉あじさいの花が雨に濡れていた。
この花は先日、植物園で見たばかりの花。あまりにわたしが熱心に見るので
仲間が「今度あげるから」と、約束してくれた花である。



先生の奥様、息子さん、息子さんのお嫁さんが迎えてくださった。
まず、先生の仏壇にお参りをする。
亡くなられて10年過ぎて、ようやくお参りをする非礼を詫びた。



そして、それからは、頭がくらくらするような時間だった。
応接間の書棚、先生の書庫の本、何万冊ともわからない本の数々に
言葉を失うほどだった。


買って、買って、買い集めた本の量。
書庫の床は大丈夫なの? と、余計な心配をしたほどだ。
(勿論、その工事は施し済みとか。)


お酒を嗜まなかった先生は、本を買うこと、本を集めることで酩酊して
いたのではないだろうか。



なんだか、異空間に入り込んだような時間だった。
わたしはテンションがあがってしまい、なんだかお喋りしてしまったようで、
みなさま、ごめんなさい。




そういえば、お庭に咲いていた柏葉あじさいの花言葉は、

「皆を惹きつける魅力」だそうな。

花田先生みたいな花である。



 
          海ーーー花田俊典へ



       あなたが生まれたこの丘辺

       遠くに海が光ります



       きのうも今日も明日の日も


       あなたの海がひろびろと


              『いのちの自然』より 森崎和江

2015年6月 2日 (火)

第11回 夕映忌 (雨の)

2004年6月2日、花田俊典先生がお亡くなりになられて、今年は11回目の

夕映忌であった。

午前中は晴れていたのに、天気予報通りの雨になってしまった。

今年はじめてわたしは出席した。

福津市勝浦浜のEnzoで、花田先生の奥様や息子さんをまじえての回忌。


先生の幼少の頃の話やギターに夢中だった話など、はじめて聞く先生の

エピソードは愉しいものであった。




あいにくの雨で勝浦の夕映えを見ることができなかったけど、今日はそれ以上の

たくさんのたくさんの想い出ができた。

そして、人と人との関わり、〈えにし〉ということを思った。




先生の遺影が飾られているの窓辺の席には、先生の大好きなコーヒーが……


                                     つづく…

2015年6月 1日 (月)

国際宇宙ステーション観測

昨夜は国際宇宙ステーション「きぼう」の観測をした。

観測といっても夜の散歩がてらの肉眼での観測。

21:03 南西の空から 21:06 西北西へ そして21:09 北東の空へ消えていった。

月が明るいので半ば諦めていたのだが、しっかり見えた。

金星よりやや劣るくらいの明るさで、飛行機と違い、またたかない(点滅しない)ので

区別できる。すぅ~っと音もなく進んでいく。

樹木やビルのない広場だったら観測できる、肉眼で。





予定では今夜も晴れていたら見える筈。

福岡の上空では、20:10 南南西より 20:13 南東へ  20:16 東北東に消える。


月が明るいと思うけど、いちど見てみたらいかがでしょうか。

ロマンがあると思うけど…



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