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2015年7月12日 (日)

歌集『むかれなかった林檎のために』 中津昌子  砂子屋書房

「仮名遣いについては、本歌集からふたたび現代仮名遣いに戻ることとした」と、

あとがきに記す著者の第五歌集。

旧仮名・新仮名については、いろいろな意見があるが、中津は旧仮名遣いについて

「しんから自分のものになっていないものを体のいい情緒をまとっている感じが消えず…」

と述べている。熟考の末の選択であろう。




       つよい国でなくてもいいと思うのだ 冬のひかりが八つ手を照らす

       匂いあおき並木をぬけてごっとんと返却ポストに落とす旅行記

       御所のなかからわきあがりいる蝉の声 これで何かが終わったという

       鏡の底に冬木の枝はからみあい前のボタンを上からはずす

       笑っていろ、きみは笑っているのがいいそう言ってくれる笑いながらに

       むかしむかしへ戻りゆく母ひきもどすいっそうの舟わたしにあらず

       ああすべてなかったことのようであり凌霄花は塀をあふれる

       左側にいつもあなたのいたことを思うのだろうさくらの岸に

       ほお紅を刷きたるような朝の雲 おみなご生まねば体がかるし

       これ以上母から母がはみ出ぬようサランラップはきっちりかける






2 首目・4首目のような日常のなんでもないことを捉えた歌に味わいがある。
「前のボタンを上からはずす」など、どうでもいいことだが、そこに何か意味が
あるような気もしてくるから不思議だ。この歌はタイトルにもなった章のなかの
1首で、ボタンをたどたどと外している重いこころの状態が伝わってくる。


この歌集の時期には少しばかり入院もしたが、と「あとがき」に書かれていたが、
そのようなことを知識に入れて読んでゆくと、5首目の歌などせつない。
「笑っていろ、」と言われるのは、笑っていないからで、消沈した作者を元気付けようと
している相手なのだろう。



母を素材にした歌がずいぶんあったが、いずれの歌も母そのひとを活写していた。
母を介護?する日々のなかで、作者は作者の内面をみつめている。



「いっそうの舟わたしにあらず」とうたってはいるが、そこには作者の希求が
託されているようである。




「むかれなかった林檎」という過去形に対して、「あおぞらよりしみでるようにくる
ひかり」を与えたのは、作者のせつなるこころであろう。

 

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