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2015年7月 8日 (水)

田中一村記念美術館

         いま私が、この南の島へ来ているのは、歓呼の声に送られて

         きているのでもなければ、人生修業や絵の勉強にきているのでも
         
         ありません。私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくために
 
         きていることがはっきりしました。

                         (昭和43年3月、田中一村の知人あての手紙)





昭和33年、50歳で奄美大島に移住。
つむぎ工場で働いて生計を立て、朽ちかけた家に住んで自炊をしながら一村は
ひとりその目的に向かって、仕事を進めていた。





亜熱帯の植物や動物を描いた一村の絵を一度は見た方も多いだろう。


華麗で奔放で、「ビロウとアカショウビン」や「アダンの木」、あるいは「ダチュラと
アカショウビン」などを描いた南国性の色彩が強烈な光を放っていた…。



        私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的で
       
        あろうが、画の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は

        満足なのです。それは見せる為に描いたのではなく、私の良心を納得

        させる為にやったのですから…
                                    (田中一村のことば)






清貧で孤高な生き方を通した一村は、ひとり夕食の準備をしている時、心不全で倒れ
誰にも看取られることなく69歳の生涯を閉じた。



田中一村記念美術館は笠利町の奄美パークに隣接している。
奄美空港からほど近く、車だと5分くらいだろうか。


この記念館の建物そして企画・設計の斬新さ。カメラを向けたくなる
水の構図であった。水の上に建物が建っている。




奄美パークではちょうど龍郷町島唄保存会の方たちの催しがあり、サンシンに
合わせて島唄の「上がる日ぬか春加耶節」が響きわたっていた。



11人の子どもたちが舞台に並び、島唄を張りのある声でうたうのを聴きながら
パーク内で昼食の鶏飯(けいはん)セットを頂いた。奄美大島の郷土料理?
ちなみに福岡で食べる鯛茶漬けみたいな感じ。
ご飯茶碗に3分の1くらいご飯をつぎ、鶏肉・錦糸卵・椎茸・漬物・ネギ・刻み海苔・
紅生姜をのせ、その上から鶏ガラスープを注いで食べる。


鯛茶漬けも好きだが。この鶏飯も結構好き。




そんなこんなで奄美大島への旅は、まだまだつづく……


 

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