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2015年8月 6日 (木)

『奥の細道をゆく』 KTC中央出版

「二十一人の旅人がたどる芭蕉の足跡」の副題のついた書。

その21人とは、立松和平・ねじめ正一・浅井慎平・澤地久枝・山折哲雄・

日比野克彦・辻井喬・吉増剛造・福島泰樹・大岡信、他である。

「松島・瑞巌寺(宮城)」の章を捲る。

旅人は、日比野克彦。



         ーー略
         松の緑こまやかに
         枝葉潮風(しようしおかぜ)に吹きたわめて
         屈曲おのづから
         矯(た)めるがごとし
         その気色窅然(けしきようぜん)として
         美人の顔(かんばせ)を粧ふ
         ちはやぶる神の昔
         大山祗(ずみ)のなせるわざにや
         造化(ぞうか)の天工
         いづれの人か筆をふるひ
         詞(ことば)を尽くさむ


 
旅人の日比野は、以下のように語る。(この言葉がいい。)





         風景を描くというのは、ある瞬間を切り取っていく創造活動
         だと思うんですよ。きっと、芭蕉の言葉のスケッチも、絵で言っ
         たら、四角い紙に一個風景を切り取っていくことと、似ていると
         思うんですよ。一枚のスケッチだけですべてこの風景が言い切れ
         るかというと、それはやはり困難なことで、そこには当然、自分
         という思い込みの激しい媒体が一個入るわけだから、芭蕉がここ
         で詠み切れなかった。残さなかった。書いたけれどもそれを発表
         しなかった、というのは、やはり、芭蕉にとっての松島は強すぎ
         たと言いますかね、強烈なものを思い続けてここまでたどり着い
         た、というのがあったから、五七五の一つの形のなかに切り取る
         をしなことかった、できなかったのかな、と思いますね。

 
 
芭蕉にとって「松島」は、恋い焦がれただけに、句には成就できなかったのか?


                                    2001年6月刊
         
         

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