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2015年10月19日 (月)

『ユリイカ』 菊池裕歌集  砂子屋書房

集題の「ユリイカ」は「詩の原理」を発見したい思いから名付けた。--と、

「後記」にある。

山口昌弘の装丁がモノクロで実に味がある。





          --略 

          小学生の頃、夏休みに旅行気分で父の属する結社「未来」の全国

          大会に同行した。近藤芳美に「『青春の碑』おもしろかったよ」と告げたら
          

          「よく読めたね」と頭を撫でられた。その翌年も翌々年も「未来」の全国

          大会に行った。一歳年下の吉田漱さんの娘と「また来年も会おう」と

          約束したからである。--略







「後記」のこの文章に昔々の「未来」のアットホームな雰囲気をほのぼのと
思いかえしている。





          孤独死と自然死の差異 さりながらどちらが永眠なのか戸惑ふ

          顰蹙は買つてでもせよ そのひとの〈自腹を切る〉といふ比喩あはれ

          もうちよつと左に寄つてくれないかいやもうすこし右でもいいが

          古書店で私が売つた本を買ふ読んでまた売るわたくしのため

          東京は消滅しないなんて嘘 すでに国会議事堂がない

          死は怖くないが黙殺されるのが怖いと云つて憚つて泣きぬ

          軍需とふ商売ありぬ またひとつ民間戦争請負会社

          よく見れば老人ばかり、よくみればらうじんばかり、よくみれば、老……

          わたくしが〈私〉を検索するといふ遊びの果てに襲ひ来るもの

          不謹慎なれども不意によぎりたる〈戦場萌え〉といふエロチシズム







政治的な事象や社会を取り上げている一方、その表現はやや当事者意識から

一歩退いているようにも思う。それが何なのか考えているのだが、9首目の「といふ」

のような「聞いた話ですが…」的な、表現によるのかも知れない。

直截的な表現をしないのは、ある意味で責任回避の気がしないでもないが…





しかし、しかし、読んでいてわたしには歌集全体から伝わってくるビターが口に合う。

5首目の下句なんて、そういえばそのような気がしてくる。在って無きがごとしだ。

直球の表現でなく、変化球かな。


余談だが、9首目はエゴサーチのことだろう。
朝日新聞の10月17日付けで「エゴサーチしたことはある?」の記事は勉強になった。

「絶対に『過去』にはアクセスしないと決めた」と答えた女性は、生き方の問題として
自分検索に縁を切ったそうだ。






わたくしごとだが、つい先日、同窓生が「フェイスブック見たよ」と電話が掛かってきた。
「フェイスブックしてないよ」と言ったら、「写真が載ってた」だって。
「違う、違う、同姓同名でしょ」。


だって、わたしはフェイスブックもツイッターもしていないもん。

 

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