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2015年12月

2015年12月28日 (月)

数え日

今年の1年、残る日数が少なくなってきた。

午前中に郵便局から小包2個、レターパックプラス1個、レターパックライト1個を

送り、ハガキ2枚を出す。




メールの返信が遅れている、というより、出せずにいる。諸々の感情がよぎり、

書けない。

みなさん、ごめんなさい。わたしは元気です。





この1年、たくさんのひとたちに支えられてきた。

そのことを有り難く、そして、幸せに思っている。



         

     数へ日にしかとメモして義理一つ    富安風生  『齢愛し』 

風生は94歳まで生きた俳人。『米壽前』の句集に「年忘れ忘れてならぬ恩ひとつ」がある。





机の周辺を片づけないと年が越せない? かしら。

大掃除もしないといけないけど、今年は小掃除(笑)くらいにしとこう。





花山多佳子著の『森岡貞香の秀歌』(砂子屋書房 2015年12月 刊)を読みかけている。

はやく続きが読みたい。




      たとへていはば守勢にあらむ一部屋をかくも片付けたるきのふけふ




第6歌集『百乳文』のなかに収められており、花山さんの鑑賞は、




      なるほど、と腑に落ちる心理の機微があっておもしろい。部屋をやたら

      片付けたりするときは、何かに手をつけかねているような気分のことが多い。

      とりあえず片付けたりするのだが「かくも片付けたる」がユーモラスだ。

      守勢作戦というものもあるので、消極とばかりは言い切れないのである。

      誰でも覚えがある心理だが「守勢」なんてふつう言わない。こういう言葉を

      持ち出すところが森岡らしい。ーー略

年末の大掃除(小掃除)から、話が飛んでしまったが、このブログは明日から

しばらく、お休みします。





      みなさま、どうぞ、良いお年をお迎えください。 cat

2015年12月25日 (金)

角川『短歌』 2016年1月号

馬場あき子・永田和宏・小池光・穂村弘・永井祐さんら5名による

新春座談会が面白かった。

タイトルは「短歌における『人間』とは何か」。




   

      小池  この間仙台でタクシーに乗って、文学館って行(ママ?)ったの。運転手

          が 「今日は文学館で何があるんですか」と言うんだよ。だから正直に「短

          歌の会があるんです」と言った。
    

      穂村  それ、ちょっと勇気がいりますね。

      小池  勇気がいる。そしたら信号二つぐらい黙っている。三つ目ぐらいで

           「短歌って<じっと手をみる>やつか」って言ったんだよ(笑)。

      永田  本当にそう言ったの?

      小池  言った。俺動転して、普通の人にとって短歌って、じっと手を見るん

           だってどっかで思い出したんだね。







なんだか嘘のような、ホントの話なんだ。

このあと、小池さんがとってもいいことを言っている。







          ー略ー 人生と並走して、成熟する、老いていくというプロセスを経て

          作品が進んでいくというのは、近代短歌が生み出した手法かもしれない

          けど、それが命綱という気がして、それを無くすと詠めなくなっていくと

          思う。その基本構造を今の若い人がどういうふうに受け入れて素養に

          できるのかが大きな問題だと思うし、永井祐さんはじめ若い人に聞いて

          みたい。僕は全然アイデア短歌は否定しないんだよ。でもアイデアだけで    

          歌は成り立っていかない。それ以外に必要な要素があるはずで、それに

          対する無関心が若い人には強すぎるのではないかな。


座談会出席者の5名が「人間が歌われている作品」をそれぞれ3〜4首挙げていたが、

「永井祐さんが挙げてきた歌、カルチャーセンターに行って講義して分かる?」と、

馬場さんが問いかけていたのが心に残った。



同号では、他に、「作品+エッセイ『初笑』」の岩田正氏の「友どんの百人一首」のエッセイ

が、抜群に愉快であった。

         「末の松ちゃん波子さんとは」

         「かこち坊主の面(つら)の憎さよ」







ああ、面白かった。

どうぞ、ご笑読あれ。

今夜は眠れそうだ。

 

 

 

2015年12月23日 (水)

雨の休日

          どうかゆっくり、ゆっくりと言えば語弊があるけど、

          しばらくは休養し、休養と言えばまた語弊があるけど、

          落ち着いたらいかがですか。





お姉さんからのメールに泣いてしまった。

いつも先走りして、先へ先へと走ってしまうわたしを心配してくれている。



義母が亡くなってから半月。

あれを思い、これを思い、手を尽くす。

手を尽くしても、どこかで何かだいじなことを落としているのではないかと…




ひとの心のやさしさにもたくさん触れた。

みんなに「ありがとう」を告げたい。




そして、何より、わたしをだいじにしてくれたおかあさん、「ありがとう」。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。





雨の休日です。

静かな休日です。

2015年12月22日 (火)

冬至南瓜

今日で教室も歌会も終わった。

今日までほんとうに自分が自分でないような日々だった。

持ちこたえたんだ、わたしは。



かねてから用意していた「南瓜」を今宵は煮る。

つれあいは南瓜が嫌いだけど、今夜は食べさせる。

一口でも食べさせるよ、ゼッタイ(笑)



そして、柚子湯にゆっくり入ろう。



あしたからは、短歌雑誌を熟読だ。




昨夜はお月さまが雲間から見えて綺麗だった。

たぶん、今夜も雲間から顔を出すと思う。

みんな~、月を見ようね。

2015年12月21日 (月)

『空襲ノ歌』 福島泰樹歌集 砂子屋書房

2013年11月上梓の『焼跡ノ歌』に続く兄弟篇。


1943年生まれの作者には、空襲の体験の記憶がない。しかし、

「記憶にない体験(空襲)に遡って、何度も死んでいたはずの、私の生を短歌を

もって検証してみよう。」と、跋文(作者本人の)に書かれている。



        昭和18年3月生まれの福島泰樹

        昭和19年3月母、死去、26歳

        昭和20年3月、東京大空襲…




上記のような背景を考えながら読了。

昭和20年3月9日、東京大空襲は死傷者13万人、焼失家屋27万戸に及ぶ。





        おそらくはむねに顔寄せ 死んでゆく母に抱かれていたのであろう

        人はなぜ生まれて生きて死んでゆくコンドルあわれ紙のひこうき

        焼跡の水道管の滴りの 俺の昭和もはや疾うに去る

        母が死に私が生まれ三月は上野の桜いまだ吹雪かず





「昭和十九年三月に死んだ母は空襲を知らない」と、4首目の詞書にある。

母は空襲を知ることなく逝き、そのごの作者の<生>も知らないのだ。

息子の幼年期・少年期を知らず、まして壮年期を知ることなく…





        苦く胃に沁みるアルコールもう要らないエンジェル君の額に手をおく

        時代とこころの闇にむかって書いてきた光の雨よ 若き死者たち

        掌の中に風を閉じ込めいた人の 悲鳴のように黄昏は来よ

        『転位のための十篇』ぼくが倒れたら鉄路はひかり燃えさかる午後

        べらんめい秋山駿と渡り合うゴールデン街「マエダ」の夜か

        投げられて在る人間の投げ返す意志といわんか船長泳ぐ





「死者は、死んではいない」という作者だけに、多くの亡きひとたちの「追憶の風景」を

歌にしている。


1首目は、「詩人諏訪優が眠る病室」の詞書。

2首目は、ボクシングを薦めたこともある立松和平。「オペの前、立松和平は妻に

      『アイマスク、眼鏡』と言った」との詞書。

3首目は、「吉原幸子へ」の詞書

4首目は、「二〇一〇年夏、二度本駒込の吉本さん宅をお邪魔した」の詞書

5首目は、「秋山さんも、もう居ない」

6首目は、高名な俳句「船焼き捨てし/船長は/ /泳ぐかな  高柳重信」とある。





こうしてみると、作者の人脈の豊かさ、人間の幅の広さも想像できる。

死者をないがしろにしない精神のありようは、追憶し、追悼し、記憶を風化させずに

甦らせることなのだろう。




<男気>の伝わってくる一集であった。
       

       
        

 

2015年12月20日 (日)

「穀物」第2号

先ず装幀が素晴らしい。

表・裏表紙に跨って意匠を凝らしている。

この木は何の木? 

篠懸(プラタナス)の木と思ったんだけど違うかしら?

表紙の紙質が上品(笑)である。 

同人紹介と奥付のところに少しデザインしているが、なんともこれって素人が

したと思えないほど緻密に計算?されている。


  きみは野の鳥ならねども足音のしづけき靴を選りて会ひにゆく

                                「野の鳥」 小原奈実

  地中まで濯ぎし雨後にかぐはしくたとへば柑橘の交配おもふ

  日暮れにはまだ時ありて蜂は音、蝶は影とぶあざみのめぐり






1991年東京生まれの作者の作品はひとことで言えば、上質の詩情がある。

歌に濁りがない。濾過機で丁寧に濾過されたようなことば遣いであり、素材の

取り扱いかたを心得ている。2首目の下の句、「柑橘の交配」が成功している。

これが胡瓜やゴーヤの交配でなくて良かった。(笑)

3首目の歌もそうだが、「あざみ」を持ってくるあたりがニクイ。






  東京に戻れば胸を撫で下ろすそんな寂しい娘に育つ          狩野悠佳子


  歩兵隊渡りしのちの跳ね橋は光あふれて引き揚げられき        川野 芽生


  死の裾をまっさかさまに落ちていく砂漠のやりきれなさを知ってる   小林 朗人


  おれがここで死ねばサッシの溝は拭かれずに残るサッシの溝の手を取って歩く 新上          

                                                     達也


  ラジオから蝉の声してこんなにも戦前らしい戦後であつた       濱松 哲朗

  自粛といふ圧力もあり、[以下は編集部の判断で削除いたしました]    同


  軍用機作る工場いつの間に増えて翼を作る私は             廣野 翔一


  ライターの命みじかい火をうけて煙草はきみの口許にある       山階  基

  うつ伏せのままにブラシを受けているつつじ団地に生きて死ぬ犬      同







1首目の狩野作品、自身(作中主体)を客観化し得ている。「そんな寂しい娘」の

現状をなんとか脱出したい思いは伝わってくる。


3首目・4首目の、認識?。抵抗感の燻ぶるような歯痒さであろうか。


濱松哲朗作品の5首目・6首目。時代の危機をうたっている。作者にその意図はなかったと

しても、現代という時代を象徴している。


7首目は、2015年夏ではなく「××××年夏」のタイトルが付いているので、なり変わって
詠まれたものだろう。「翼を作る私は」、当時の若者(少年・少女を含めて)たちの声でもある。



最後の山階作品、「つつじ団地に生きて死ぬ犬」は、私(作者)であったかも

知れないような、哀れさが滲む。心地良くブラシを受けているとは思えない諦観が…







と、いうことで勝手な読みで、ごめんなさい。

「穀物」の第1号も手許にあるが、彼等はほんとうに真剣に歌に立ち向かっていることを

改めて感じた次第。

 

        

        

 

2015年12月19日 (土)

映画「母と暮せば」 山田洋次監督

終戦から3年後の長崎が舞台。



昭和20年8月9日、長崎に投下された原爆によって一瞬にして息子・浩二(二宮和也)を

失ってしまった母親・伸子(吉永小百合)。

彼女は助産婦で生計をたて、息子を医大に通わせていたのだが…





その亡くなった浩二には恋人・町子(黒木華)がいた。

町子は、浩二に操をたてるように甲斐甲斐しくも伸子に尽くす。






死んでしまった浩二のことは諦めるように町子に説得する伸子。

亡霊?として母親の伸子に会いに来る息子の浩二。

亡霊とはいえ、ちっともコワイ感じのしない幻想的な作りになっている。





戦後、このような一瞬にして家族を失ったひとたちが、この国に何万といたことだろうと

思うとせつなくなる。戦死した恋人を思い一生独身で通した女性たちも多くいた筈だ。

「復員局」という役所へ父親を探しに行く幼い少女がいた。

戦死したと聞いても泣くのを懸命に我慢している姿に涙が零れた。

二宮和也の演技も勿論良かったが、黒木華の清潔感が際立った。








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今日は夕顔の種子を収穫した。

今年は出来が悪くて10個ほど。それでもまだ硬くて収穫できないのが4つくらい

あるので、1つに3〜4個ほどの種子が入っているとして、来年用は20個くらいか。





上弦の月が美しい。

「本当に美しいのは秋より冬の月であろうか。」と歳時記に書かれていた。

「月冴ゆ」である。

2015年12月17日 (木)

朝のこない夜はない

        永遠の夜はなく、永遠の昼はないように、

        苦労の後には、必ず喜びの日もくる。



机の前のカレンダー17日の「こころのふるさと名言集」のことば。

これは吉川英治(作家)1892〜 1962のことばらしい。





話は飛ぶが、

今日出掛けたときに道でおばあさんが私に近寄り、問いけてきた。

「今日は何日でしょうか?」と。

「今日は17日の木曜日ですよ」と応えたら、「ありがとうございます」と言って、

よろよろと歩いていった。

何だったのだろう?と、あとで気になった。





今日は北九州の歌会だった。

忘年歌会ということで、珍しく互選などをした。

忘年会を兼ねてささやかな食事会。アルコール一滴もなしの食事会だったが、

みなさんの飾り付けなど心がこもっていた。




初雪が降ったそうだが、博多の街はいつもと変わらず。

しかし、風が冷たい。

師走の風である。

2015年12月13日 (日)

「又吉直樹 神の島を行く」 RKBテレビ

福岡県の沖ノ島、いまもなお女人禁制の島である。

沖ノ島には沖津宮があり、「田心姫神(たごりひめのかみ)」が祀られている。

一木一草持ち出してはならぬ島である。



そこへ又吉直樹が海で禊をして島へ入る。

島の原生林の奥深く、聖域の「黄金谷」があり、巨大な大岩が…

その大岩を又吉は攀じ登り、玄界灘を眺めていた。

原生林を撮したカメラアングルも美しかったが、あの大岩の上の又吉を

どうやって撮したのかと…(そうか、ドローンの空撮?)




古代ペルシャと沖ノ島には、ひとすじの道が…

直木賞作家の西加奈子も出演。




この沖ノ島が世界遺産に登録されたら、宗像大社もあの周辺もきっと

観光客がたくさん訪れることだろう。







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情緒不安定(笑)のために、家籠り。
ホントは外に出掛けるほうがいいのかも…


明日はまた八女へ。
来週は3日連チャンでお出掛けが続くので、
やはり体力温存をしていた方が良かったのだと思いたい。



あ、油井さんがヒューストンに戻ってきたのだった。
お帰りなさい。お疲れさまでした。

油井さんって、歌人の誰かに似てる ? ?






2015年12月11日 (金)

銀杏並木の黄葉

筑紫通りの銀杏並木がようやく黄葉した。

すこし雨が降っていたけど目の覚めるような黄葉に心が和む。

ことしは黄葉するのがおそかった。

地禄神社の大銀杏もあざやかな黄色になった。



そして、近くの沖学園のイタヤカエデが真っ赤に染まっている。



ブログがお休みがちになっている。

からだを動かしていないと、こころがさみしがる。



ブログのデザインを冬景色に変更した。

ああ、あれは、今のわたしのこころのなかの風景でもある。


元気にならなければ…

2015年12月 7日 (月)

歌集『unknown』 真野 少  現代短歌社

装丁がとてもシンプル。

グレー1色なので、ちょっと見には歌集とは思えなかった。

歌集題は横書き、歌は3首組のもちろん縦書き、380余首収める。

「八雁」所属の1961年生まれのかたで、第一歌集である。





       蛸の足いっぽんいっぽん切り落とし陳列なせり値札をのせて

       《完全に無名なる者》(a complete unknown) 貧困の本質をボブ・ディラン唄いき

       芙蓉切り柿切り松切り八手切り棕櫚と電信柱と残る

       舞い上がる自分を抑うる術知らで「真野」のシャチハタ逆(さかさ)につけり

       同じ道歩きおりしが佐野君は板きれの釘踏みぬきにけり

       社内通報システム成りて通報さるトイレに煙草吸うとてわれは

       たらちねの母の乳房と両切りの煙草はどこまで吸えばいいのか

       わが摘んで束なす土筆あくる日ははやだらしなし頭(こうべ)乱れて

       つまむとき崩れて灰になりそうで骨の上にて迷い箸せり

       コロッケにそそがむとして指先はソースの瓶を突き倒しけり






なんだか面白そうな歌ばかり選んでしまった。後半にゆくに従って面白い歌が
続く。


2首目は《完全に無名なる者》のルビが鉤括弧のなかの a complete unknown  である。
歌集題にもなった1首で、unknown  即ち、無名ということかしら。


3首目は土屋文明の「馬(うま)と驢(ろ)と騾(ら)との別(わかち)を聞き知りて
驢来り騾来り馬(うま)来り騾と驢と来る」の歌を思い出した。
リズム感が似ている。作者は文明の歌も読んでいるようだし、影響 ? かな。


10首のなかには、あげていないが、この歌集には「食う」歌が多い。
それも台北や香港の路地で食べるような<生>と<食>が密接な…。



4首目以下は読んでいて愉しくなったので、あえて選んだ歌。
いずれの歌も解説なしで十分伝わる。そして、何より愉快である。

なんだか人間として吹っ切れている人を想像してしまう。
中年男性(歌人)には珍しいタイプのように思ったが、いかがであろうか。


ちなみにというか、気になったので「八雁」の2015年11月号を開いて読んでみた。
猫の死を詠んだ10首だった。




       猫のため位牌あがなうわれならず本の隙間に骨壺は置く




やっぱり、いいなぁ。

 

2015年12月 4日 (金)

NHKテレビ「いとの森の家」 前編

東直子(作家・歌人)の『いとの森の家』(ポプラ社)のドラマ化。

福岡発地域ドラマの本日は前編(20:00〜)だった。




東直子が小学4年から5年まで過ごした福岡県糸島郡(現・糸島市)が舞台。

主人公の加奈子は永作博美が演じていて、帰郷して過去を振り返る設定に

なっていた。



鳥の声と森の緑が広がる糸島は美しい。

死刑囚の慰問を続けているおハルさんの登場によって、ドラマに奥行きと深みが…

おハルさんを演じるのは樹木希林。





          ざんこくなことが起こりませんように、

          しあわせな人生でありますように。





おハルさんのことばが耳に残る。

このドラマの後編は、12月11日(金)20:00〜

後編がたのしみである。

全国放送(12月26日27日の朝11:00〜)に、先がけての放送だったのは、

NHK福岡放送局制作の所以か?





P・S
    樹木希林のPRのことばは、このドラマを「それぞれ観た方が考えて

    ください」ということだった。

     

    ほんとうのしあわせとは…






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ポプラ社の『いとの森の家』の紹介は、

拙ブログでは、2015年1月5日に。

こんなに早くドラマ化するとは思いもしなかった。

2015年12月 3日 (木)

『髙瀨一誌全歌集』 六花書林

 髙瀨一誌さんは2001(平成13)年5月12日に亡くなられた。享年71歳であった。

この全歌集は、2005(平成17)年に「短歌人会」 で刊行されたものの10年を経ての

新装版である。  2015年12月刊行 3300円(税別)  
   



         〈定型〉でもなく、

         〈自由律〉でもない。

         型式と対峙して

         半世紀の集成。

         唯一の文体がここにある。



帯に書かれていた文章である。

髙瀨さんといえば独特の歌体は定型短歌からはみ出す(勿論、字足らずも含めてのこ

と)、そのはみ出しかたが〈髙瀨短歌〉の真骨頂かもしれない。


遺歌集となってしまった『火ダルマ』の栞文で

島田修三さんが書いていた「下句の字足らずが、批評的揶揄から短歌的湿度を

消し…」とあるのに、納得する。



いつ、どのようにして、このような歌体になったのか、研究する人にとっては、

初期歌篇も収まっているこの全歌集は役立つだろう。



ちなみに、21・22歳頃の作品をあげてみよう。





         みのりゆく蜜柑の山にかこまれて海はしづかな藍に凪ぎをり

         人ねむる夜の世界はくらいから魔法のやうに雪が降りゆく

         はなやかに君ありし日にそよぎたる微風の記憶六月は来ぬ

         わがひとの小さき靴跡ゆふぐれは波がやさしく消してゆくかも

         ちかぢかとひとを想へばかなしかり映像に降る霧ふかくして





純粋?な、定型短歌。二首目の「くらいから」などに口語の使用があるものの、

総じて文語体を基本としている。青春の甘やかな感傷、リリシズムの感じられる

歌群である。


この全歌集には、『喝采』・『レセプション』・『スミレ幼稚園』と遺歌集の『火ダルマ』・

そして、初期歌篇が収められており、略年譜と巻末には初句索引がある。



わたしのいちばん好きな?歌は、『火ダルマ』の下記の1首である。



         わが体(からだ)なくなるときにこの眼鏡はどこに置かれるのだろう



そして、今回気づいた歌。



         手のとどくかぎりのものを投げるのは九十歳になってからにしよう





90歳になって「手のとどくかぎりのものを投げ」て欲しかったものよ、と、思うのも

せんないことだ。
     

         



        

 

2015年12月 2日 (水)

とらねこ あの人自身かも

『100万回生きたねこ』(佐野洋子著) は、気ままに生きた〈とらねこ〉が主人公。

その〈とらねこ〉が愛する白いねこにめぐりあうお話。





5年前に亡くなった佐野洋子さん。その息子さんの広瀬弦さんがあの〈とらねこ〉は

あの人自身(佐野洋子をさす)かも…と、本日の朝日新聞の朝刊で語っていた。





『私の息子はサルだった』(新潮社)は、このブログでも取り上げたが、佐野洋子さんの

存在、生きかたはステキ過ぎる。誰でもあのように生きられない。




息子が可愛くていとしくてたまらないのだ。それを息子の弦さんは、そのころ

鬱陶しく思っていたようだ。





         思春期に子供が荒れ狂った時、私は毎日泣いていた。全部自分の

         せいだと思った。自分を責め続け、うろたえ、おろおろして、毎日ドッキン

         ドッキンと不安であった。やることなすこと裏目裏目に出てくるのである。

         しかし、裏目をやめることができない。





母としての自分を「みっともない母親」として書いたエッセイだが、何度読んでも泣いて

しまう。






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今日は雨の中を久留米まで行った。

切り抜きした上記の新聞をクリアファイルに入れて持って出たので、何度も

読み返す。読み返して泣いてしまう。




久留米から八女に移動。

義母の容態は最悪。

帰りの電車の中でも泣いてしまう。

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