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2015年12月21日 (月)

『空襲ノ歌』 福島泰樹歌集 砂子屋書房

2013年11月上梓の『焼跡ノ歌』に続く兄弟篇。


1943年生まれの作者には、空襲の体験の記憶がない。しかし、

「記憶にない体験(空襲)に遡って、何度も死んでいたはずの、私の生を短歌を

もって検証してみよう。」と、跋文(作者本人の)に書かれている。



        昭和18年3月生まれの福島泰樹

        昭和19年3月母、死去、26歳

        昭和20年3月、東京大空襲…




上記のような背景を考えながら読了。

昭和20年3月9日、東京大空襲は死傷者13万人、焼失家屋27万戸に及ぶ。





        おそらくはむねに顔寄せ 死んでゆく母に抱かれていたのであろう

        人はなぜ生まれて生きて死んでゆくコンドルあわれ紙のひこうき

        焼跡の水道管の滴りの 俺の昭和もはや疾うに去る

        母が死に私が生まれ三月は上野の桜いまだ吹雪かず





「昭和十九年三月に死んだ母は空襲を知らない」と、4首目の詞書にある。

母は空襲を知ることなく逝き、そのごの作者の<生>も知らないのだ。

息子の幼年期・少年期を知らず、まして壮年期を知ることなく…





        苦く胃に沁みるアルコールもう要らないエンジェル君の額に手をおく

        時代とこころの闇にむかって書いてきた光の雨よ 若き死者たち

        掌の中に風を閉じ込めいた人の 悲鳴のように黄昏は来よ

        『転位のための十篇』ぼくが倒れたら鉄路はひかり燃えさかる午後

        べらんめい秋山駿と渡り合うゴールデン街「マエダ」の夜か

        投げられて在る人間の投げ返す意志といわんか船長泳ぐ





「死者は、死んではいない」という作者だけに、多くの亡きひとたちの「追憶の風景」を

歌にしている。


1首目は、「詩人諏訪優が眠る病室」の詞書。

2首目は、ボクシングを薦めたこともある立松和平。「オペの前、立松和平は妻に

      『アイマスク、眼鏡』と言った」との詞書。

3首目は、「吉原幸子へ」の詞書

4首目は、「二〇一〇年夏、二度本駒込の吉本さん宅をお邪魔した」の詞書

5首目は、「秋山さんも、もう居ない」

6首目は、高名な俳句「船焼き捨てし/船長は/ /泳ぐかな  高柳重信」とある。





こうしてみると、作者の人脈の豊かさ、人間の幅の広さも想像できる。

死者をないがしろにしない精神のありようは、追憶し、追悼し、記憶を風化させずに

甦らせることなのだろう。




<男気>の伝わってくる一集であった。
       

       
        

 

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