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2015年12月 3日 (木)

『髙瀨一誌全歌集』 六花書林

 髙瀨一誌さんは2001(平成13)年5月12日に亡くなられた。享年71歳であった。

この全歌集は、2005(平成17)年に「短歌人会」 で刊行されたものの10年を経ての

新装版である。  2015年12月刊行 3300円(税別)  
   



         〈定型〉でもなく、

         〈自由律〉でもない。

         型式と対峙して

         半世紀の集成。

         唯一の文体がここにある。



帯に書かれていた文章である。

髙瀨さんといえば独特の歌体は定型短歌からはみ出す(勿論、字足らずも含めてのこ

と)、そのはみ出しかたが〈髙瀨短歌〉の真骨頂かもしれない。


遺歌集となってしまった『火ダルマ』の栞文で

島田修三さんが書いていた「下句の字足らずが、批評的揶揄から短歌的湿度を

消し…」とあるのに、納得する。



いつ、どのようにして、このような歌体になったのか、研究する人にとっては、

初期歌篇も収まっているこの全歌集は役立つだろう。



ちなみに、21・22歳頃の作品をあげてみよう。





         みのりゆく蜜柑の山にかこまれて海はしづかな藍に凪ぎをり

         人ねむる夜の世界はくらいから魔法のやうに雪が降りゆく

         はなやかに君ありし日にそよぎたる微風の記憶六月は来ぬ

         わがひとの小さき靴跡ゆふぐれは波がやさしく消してゆくかも

         ちかぢかとひとを想へばかなしかり映像に降る霧ふかくして





純粋?な、定型短歌。二首目の「くらいから」などに口語の使用があるものの、

総じて文語体を基本としている。青春の甘やかな感傷、リリシズムの感じられる

歌群である。


この全歌集には、『喝采』・『レセプション』・『スミレ幼稚園』と遺歌集の『火ダルマ』・

そして、初期歌篇が収められており、略年譜と巻末には初句索引がある。



わたしのいちばん好きな?歌は、『火ダルマ』の下記の1首である。



         わが体(からだ)なくなるときにこの眼鏡はどこに置かれるのだろう



そして、今回気づいた歌。



         手のとどくかぎりのものを投げるのは九十歳になってからにしよう





90歳になって「手のとどくかぎりのものを投げ」て欲しかったものよ、と、思うのも

せんないことだ。
     

         



        

 

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