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2016年1月

2016年1月31日 (日)

真玉海岸の夕陽

「日本の夕陽百選」に選ばれている真玉海岸の夕陽が見たくなった。

遠浅の海岸が続き、干潟の縞模様が夕陽に映えて、それはそれは美しい。

もう長いことその夕陽を見ていない。



昨年の夏に真玉で同窓会があったのだけど、その時は見ることができなかった。




KBCテレビの「イチから住」という番組がある。

高畑淳子さんの娘さんが豊後高田市に移住するというシチュエーションなのだが、

前回、前々回に真玉のBさん夫妻が出ていて「あっ」と驚いた。

それから故郷見たさに毎回欠かさず観ている。





今日の番組では、あの遠浅の海で「マテ貝」を掘るところが放映されていた。

なつかしい、ただただ、なつかしい光景であった。


同窓会で旧交をあたためた(?)I さんとGさんに早速ハガキを書いた。


暖かくなったら父母の墓参を兼ねて夕陽を見に行こう。






今日の博多の夕陽も綺麗だった。


太陽が大きく見えたのは、なぜ??


2016年1月27日 (水)

NHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」 からくり人形の不思議な世界

たまたまテレビを観ていたら久留米駅前のからくり時計が大写しに。

あれ、何なのと番組表を見ると、「からくり儀右衛門」だった。

からくり儀右衛門(田中久重)は久留米市出身の江戸時代の人。

数々の「からくり」を考案しているが、なかでも「万年時計」は有名だろう。

これは国立博物館 ? に保存 ? されているらしい。





今日も今日とて久留米まで行き、ちょうど12時だったので、からくり時計の蓋が開いた

ところをを見たばかりだった。

ふだんはその時計は時計のままなのだが、1時間(30分?)おきかに蓋が開き

儀右衛門さんがいろいろと解説する。

今日は珍しくその大時計をカメラで撮ってきたのだった。(旅行者のように)







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博多の街は雪のかけらももう見られないが、原田・基山・鳥栖あたりまでは、

田んぼもまだ白く雪が積もっていた。



わがやの鉢の「折鶴蘭」「金の成る木」は、凍傷で全滅してしまった。

うかつにも家の中に入れるのを怠ったからだ。

ほんとうに可哀想なことをしてしまった。


2016年1月26日 (火)

魂が追いついてくるまで…

今日の電車は遅延していて10時からの教室に間に合うのかと、

ヒヤヒヤした。

降車駅に着き、タクシーを探すがこんな時に限ってカラのタクシーが来ない。

雪道のなかを歩いてタクシーを探す。

ようやくつかまえたタクシーだったが、渋滞に巻き込まれてしまった。

まぁ、わたしはそれでも良い方だった。

Sさんは9時前に車を運転して出て、着いたのがお昼に近かった。

3時間も車を運転?していたのだ。





みんなで近くのお寿司屋さんで昼食。

義母の七七日忌をすませたものの、なんだかあわただしい。

月日の過ぎてゆく速さ。




     

      ー略
      一日は昔も今も二十四時間なのに。時間はいったいどこに

      行ってしまったのか?



      ー略
      ストップ、そしてスローダウンしよう。まずは自分の人生、そして

      自分の周囲から。それがきっとよりよい社会、世界へとつながって

      いくことを願いながら。
 

 


      ー略 

      速く歩きすぎた。だから、魂が追いついてくるまで待たなければ

      ならなかったのだ。






電車のなかで読んだ「立ち止まる、そしてまたゆっくりと動き出す」(「春秋」2016年1月号)

の辻信一氏の文章が印象に残る。

とは言え、今日のような遅延や渋滞に巻き込まれると困るんだよねぇ。



明日は、久留米へ。

2016年1月25日 (月)

「岸辺のない海ーー石原吉郎ノート」 郷原 宏  季刊 未来

未來社(短歌結社でなく、出版社)の、「季刊 未来 2016年1月1日発行」(PR誌)を

ぱらぱらと捲っていたら、あら、たいへん石原吉郎のことが書かれている。




本誌10ページにも及ぶ郷原宏氏の重厚な評論である。

わたしは「詩」のことは門外漢(笑)なので、しっかりと理解はできないのだが、

それでもマーカーを引き引き読んだ。






       略ー昭和二十年(一九四五)八月に始まる日本の戦後は、

       石原にとってはまだ戦中だった。


というのも、石原吉郎がスターリンの死去にともなう特赦により重労働二十五年の

刑を解かれ、引揚船「舞鶴」で帰還したのは、昭和二十八年(一九五三)十二月だった

からだ。その十二月二日まで大日本帝国陸軍に属していたことになる。自筆年譜

十二月三日には下記のように記す。





       午後、東京、東北、北海道方面向けに編成され、舞鶴駅を出発。

       駅頭で日共党員が「諸君を待つものは、ただ飢餓と失業だけである」と

       演説し、激昂した帰還者の手で袋だたきにされる。






そして、この事件について石原吉郎はその後なにも語っていない。

そのことについて郷原氏は次のように記している。




       略ーすなわち石原がそこに見たものは、言葉はそのままでは決して

       他人には伝わらないという酷薄な現実だった。正確であればあるだけ、

       言葉は人を傷つける。しかし正確でなければ、言葉で自己を表現する

       意味がない。ーー略





まだ、まだこの考察は続くのだが、全てが郷原氏の引用になってしまうので、

このへんで閉じる。

この文章のタイトルは、たぶん石原吉郎のシベリア・エッセイ『望郷の海』から

とられているのだろう。「岸辺のない海」って、なんだかものがなしい。





ともかく読んでほしい。大きな書店に行けばこの冊子はいただくことが出来る。

川上未映子さんがいつだったか、石原吉郎のエッセイのことを朝日新聞紙上で

語っていたが、この「岸辺のない海」は、読んでくれたかなぁ。

 

 

2016年1月24日 (日)

さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに


「二〇〇九年一月二十四日早朝、二十六歳の若さで突然旅立ちました。」

笹井宏之さんの第二歌集『てんとろり』(書肆侃侃房 2011年1月24日発行)の

序文の筒井孝司(笹井さんの父君)さんのことばである。




     さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに

           たましいのやどらなかったことばにもきちんとおとむらいをだしてやる

           かなしみにふれているのにあたたかい わたしもう壊れているのかも

           あこがれがあまりに遠くある夜は風の浅瀬につばさをたたむ

           雪であることをわすれているようなゆきだるまからもらうてぶくろ

           次々と涙のつぶを押し出してしまうまぶたのちから かなしい

           はじまりのことばがゆびのあいだからひとひらの雪のように落ちた

           本当は誰かにきいてほしかった悲鳴をハンカチにつつみこむ








『てんとろり』の序文で、父君の筒井孝司さんは「キラッとしたガラスの砕けるような

研ぎ澄まされた韻が、またあるときはふわっと温かく包み込んでくれるような

やわらかな響きが伝わってきます。」と、記している。






笹井さんの歌は、穢れたわたしのこころに沁みわたる。

笹井さんの歌を読むと、どこかに捨ててきた、忘れてしまったこころを取り戻す。






今日は笹井宏之さんの祥月命日です。



朝から博多の街も雪が降っています。

これから雪の中をすこし歩いてきます。


 

2016年1月21日 (木)

七七日忌(なななのかき)

義母の七七日忌だった。

朝8時14分の電車に乗って八女へ。

雪は降っていなかったが、底冷えのする寒さだった。

お寺さんの都合でちょっと早めの日になってしまったが、義母が

成仏できるように祈った。

もう、死後の世界に魂は移ってしまったのだ。

読経が終わってお坊さんがお話してくださったが、

そのことばに涙ぐんでしまった。

直会の場所に移動したところで、M さんから電話が…

そういえば M さんのお父さまが亡くなられたのも12月8日だった。

(ちなみに、土屋文明さんも12月8日に亡くなっている。)







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親戚の叔母さんから直会の席で、新聞の切り抜きをいただいた。

1992年7月7日の西日本新聞。

わたしの第三歌集『夢の器』(ながらみ書房 1992年6月刊)が出た時に

取材されたもので、大きな写真が。

もう、びっくりした。叔母さん知ってたのか。

短歌の話など一度もしたことはなかったのに…






        さざんくわの紅をつつめる薄雪はけふのわたしの夢の器よ

        筑紫野の春の夜です するならばむかしむかしのかの通ひ婚

        どのやうに生きてもいのち 母親を選べなかつたね 生まれてしまつたね

        母われを無罪放免「さやうなら」こののちわれはわれを生くべし

        自堕落に生きよ生きよと挑発する凌霄花は夏の日の花

        につぽんのどこかでだれかが過剰愛嘆きてあらむ春の雪降る

        ひとに添ふかなしみ溢れうつしみは暫しききゐる河鹿のこゑを

        「すいとうよ」「よかきもち」とふやはらかき博多弁を使ふことなき







歌が8首も掲載されていた。

新聞には年齢までしっかり掲載されている。

つれあいの親戚には、年齢のことは禁句(笑)にしていた筈なのに…

みんなみんな知ってて、遠慮して、労わって、年齢のことには触れなかったんだね。




そんなことを思いながら湯殿のなかで、また、泣いてしまった。


2016年1月20日 (水)

『シズコさん』 佐野洋子 新潮文庫

シズコさんとは、佐野洋子の実母。

私(佐野洋子)は、母(シズコさん)に虐待(と、思い込んでいる?)されて育った。

4歳位の時、母と手をつなごうと思ったのにふり払われたのだ。




         私はその時、二度と手をつながないと決意した。

         その時から私と母さんのきつい関係が始まった。


4歳位の時の記憶をこれほど胸に刻み込んでいる佐野洋子の感受性。

10歳の時の水運び、赤ん坊のおむつの洗濯、畑の草取り。

労働の経験と忍耐も「しないよりした方がよかったと思える」と後年記しているが…

しかし、虐待されているといった思いは強かったのだろう。






         強情は強情だったのだ。私がどんなに手の負えない強情か。

         私は何一つ思い出せない。人の一生の記憶は自分にだけ都合が

         いいものだと思う。






80歳で呆けたシズコさん、長年の確執が溶けてゆく。






         「母さん私もう六十だよ、おばあさんになっちゃったんだよ」

         「まあかわいそうに、誰がしてしまったのかねェ」


2006年8月20日、93歳でシズコさんは亡くなった。

そして、佐野洋子は2010年11月5日、72歳没。

シズコさんは、短歌の会に入って短歌を詠んでいたそうだが、

どんな短歌だったのだろう。

2016年1月19日 (火)

耳納連山雪景色

朝9時前に家を出る。

電車の遅れを心配したが、上下線ともに運休もなくそれほど遅れていなかった。

原田・基山あたりがいちばん吹雪いていたし、雪も積もっていた。

山も田んぼも真っ白に雪景色。

こんな景色は博多では滅多に見ることはできない。


お昼の会食なので11時集合、揃ったところで3台のタクシーに分乗して、

ホテル M (レストラン S)へ。

東館2階の室は、お庭が見えて池があり、赤い太鼓橋?が架かっている。

紅梅が2分咲きくらいだった。

ここのホテルはブライダルも有名で今日も1組のカップルが、花嫁さんの姿が見えた。



     

       先付の、鮟肝塩蒸し霙和えが美味しかった。

       旬菜の、魚蕗の薹味噌焼きが珍しく、

       豆乳と湯葉の擦り流しの喉越しが良かった。

       野菜の炊き合わせの新竹の子を味わい、

       メインは、鰆蓮根蒸し。

       蟹味噌茶碗蒸しを食し、雑穀米の釜炊き御飯も美味しく頂いた。

       苺のロールケーキのデザートも美味しゅうございました。




美味しいものを食べられる幸せをつくづく思い、誰彼に感謝したくなった。

庭に降る雪を眺めながらの3時間余りだった。

勿論、短歌もみっちりしましたよ。(笑)

       

2016年1月18日 (月)

『歌人の死』 福島 泰樹  東洋出版

菱川善夫・岸上大作・小中英之・小野茂樹・佐竹彌生・寺山修司・中城ふみ子・滝沢亘・

春日井建・塚本邦雄・坪野哲久・村上一郎ら29名の歌人を取り上げ、その死に触れ、

作品を紹介している。





ことに親交のあった歌人たちとの在りし日のエピソードは興味が尽きない。

たとえば、小中英之と小野茂樹を書いている「慟哭のカランドリエ」。






        よろよろと立ち上がり、受話器を掴んだ途端、意識を失う。

        玄関先で、頭から血を流した遺体が発見されたのは、翌日になってからで

        あった。虚血性心不全、六十四歳であった。





        略ーー四十一歳になって君は、ようやく童貞歌集『わがからんどりえ』を刊行。

        フランス語で暦の意だ。

        略ーー魂に含蓄を秘め、その含蓄のみなもとを大事にした男は、生涯を

        独身で通した。







等々。著者独特の筆致で書かれており、熱い。

滝沢亘の章で書かれていた「滝沢にとって短歌は、生きてゆくうえで最も必要な

器であったのだ。」という言葉が重い。



                              2015年6月刊  1800円+税

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駐車場の車の屋根にうっすらと雪が積もっている。

明日は大丈夫かしら。

久留米で新年歌会があるんだけど……

 

 

2016年1月16日 (土)

「大分青南短歌小誌」 平成28年1月号 №214号

「青南」所属の高木正さん(別府在住)編集の「大分青南短歌小誌」が届いた。

212号の「あとがき」では、平成27年12月号(213号)をもって終刊すると書かれていたが、

名前を「大分青南短歌新聞」から「大分青南短歌小誌」と改め、継続の運びと

なっている。





この素早い対応に高木さんの歌に対する情熱を見る思いがした。

高木さんといえば、すでに90代半ばのお歳なのだからスゴイの一言に尽きる。





        読みて続かぬ齢となればテレビ見てそれにも倦みてけふも寝床に

                             高木 正 「青南」1月号





とはいえ、上記のような歌を読むと、独力で「大分青南短歌小誌」を編集発行する

のは、心身共に疲れるのではと案じている。





今号の巻頭は「土屋文明 昭和35年度「アララギ」所載の歌 鑑賞者 近藤芳美」を

掲載している。





       旗を立て愚かに道に伏すといふ若くあらば我も或は行かむ

                             土屋 文明 「アララギ」昭和35年2月号


       鑑賞者 近藤芳美

              安保条約締結に日本の首相岸信介が米国に飛行機で立とうと

             した日、労働者、学生らがこれを懸命に阻止しようとした。そうした

             歴史の一こま一こまもたちまちの内に過ぎて行く。この歌は無論

             その時のものである。旗を立てて「愚かに」と云う一句に、強い

             作者の主観と体臭とが要約されている。愚かな、あわれな行為

             かも知れないが彼らはそれを知ってなお道に集まり道に伏さなけれ

             ばならない。自分さえ若ければそうしただろう。と云う感慨に深い

             憤りが込められている。

              このような歌がしだいに「アララギ」にも少なくなってきている。戦後

             十五年の自然の帰趨といってよいのだろうか。






戦後70年目を迎えた昨年9月の「安保法案強行採決」。

(文明さんが生きてらしたら、どんな歌を詠んだことだろうか。)





高木さん、どうぞ、この「大分青南短歌小誌」を思いの儘に続けてください。



と、いうことで今夜は『アララギ』土屋文明追悼号(平成3年10月号)を書棚より

引っ張り出して読むことにした。



パラパラと捲っていると辛辣な文明語録があちこちに…




            「ふうん、某君、スランプに陥るほどうまかったかい」






       

 

 

 

 

2016年1月14日 (木)

太宰府天満宮へ

8時25分に着くとメールがあり、空港まで出迎え。

昨年は1月21日だったので、ことしは1週間はやく太宰府天満宮へ。

昨年は、空港より地下鉄で天神まで出て、天神から電車に乗り換えて

行ったのだが、今年はバスで行くことにした。




こんな便利なバスがあることを福岡にいて今迄知らなかった。

太宰府に直行のバスがある。

バスは空港の国際線から出るので、シャトルバス(無料)で国際線乗り場まで行く。

高速道路をつかって太宰府へ直行。(大宰府政庁跡・太宰府市役所には停まるが)

25分しかかからない。料金も500円と安い。





飛梅は残念ながらまだ1分咲きにもなってなかった。

この寒さに戸惑っているのだろう。

しっかりお参りして、かさの家で「梅ケ枝餅」をいただく。

縁起茶セットのお茶は茶柱が立っている。

彼は「梅ケ枝餅」と「甘酒」。




ことしの逢瀬もまたたくまに過ぎてしまった。

スペインへは彼も行かなかったって…

2人分のキャンセル料を払ったんだねぇ。


さて、今年の旅行先の希望は ? と言われても、このご時世では、

外っ国に行くのは… ? ?




2016年1月12日 (火)

短歌教室

ことしはじめての教室。

2009年1月から始まった春日の教室も8年目に入る。

現在は10名でそのうち男性が3名。

男性が約三分の一いるというのはなかなかにいいバランスだと思う。

20首を2時間かけて相互批評。2~3人が批評し、あとわたしが纏める。




今日は T さんの父君が生前に入選した「歌会始」の歌を披露した。

勅題は「橋」だったが、「美々津大橋」の固有名詞が効果的な一首だった。

父君が生きていらしたら、娘のTさんも短歌をなさっていることを喜んだろうにと

思われてならない。




終わって、その足で博多駅まで。

博多阪急でお買い物。

歩き疲れ、荷物の重さに汗だくで帰宅。

2016年1月11日 (月)

『森岡貞香の秀歌』 花山多佳子 砂子屋書房

平成21(2009)年1月30日に亡くなった森岡貞香の生前既刊の8冊の歌集、

『白蛾』・『未知』・『甃』・『珊瑚數珠』・『黛樹』・『百乳文』・『夏至』・『敷妙』と、

遺歌集となった三冊の『九夜八日』・『少時(しまし)』・『帯紅』に収められた

作品のなかより298首を採り上げて鑑賞している。




ゆき届いた鑑賞は、森岡短歌の理解の手掛かりとなるのは勿論だが、

著者・花山多佳子の短歌観ともなって読み手をぐいぐいと引き込む。






     拒みがたきわが少年の愛のしぐさ顎に手觸れ來その父のごと  『白蛾』



        この歌は息子を「わが少年」と呼んだ初めめての作品として有名である。

        ーー略 「愛のしぐさ」という言い方にも驚かされる。ーー略

        「額に手觸れ來」で、その場の生々しさが突出し、さらに「父のごと」に

        「愛のしぐさ」が重なり合い「拒みがたき」に戻っていく、実に緊密な構成に

        なっている。





    をみな古りて自在の感は夜のそらの藍青に手ののびて嗟(なげ)くかな  『百乳文』

               

       ーー略「夜のそらの藍青に手ののびて嗟くかな」はなにかシュールなうつくしさ    

       がある。「手をのばして」でなく「手ののびて」がそう思わせ、「自在」と重なって

       くる。ふしぎな悲哀の表現に打たれる。







著者・花山多佳子はこの書の「序ーはじめに」のなかで、下記のように述べている。


         

        ーー略 日常の何でもないことをうたいながら、言葉と辞がふかしぎに

        動き、意識の在りようとしての時間と空間の奥行きを創出していることに

        驚かされる。それはある意味現代短歌のもっともラディカルな行き方とも

        いえる。ーー略






森岡貞香の作品は難解というレッテルを貼られがちであったが、著者の鑑賞を読むと

その一つ一つの謎が解けてゆくような快感を味わうことができる。

そして、思うのは森岡がここまで辿り着くまでの試行錯誤(?)というか、努力が

偲ばれ、やはり、すごい歌人だったのだと改めて思ったりした。





引用歌は巻末に掲げられ、年譜も付けられているので、森岡短歌に興味のある方には

とっておきの一冊となっている。

 

2016年1月 9日 (土)

未来福岡歌会

午後1時よりことしはじめての歌会。

救急車で運ばれて入院したかたや、所用で来られないかたなどが出て、

少人数の新年歌会であった。

だが、人数が少ないだけに時間をかけてじっくり批評が出来、

皆さんそれぞれの批評が聞けたのは、よかった。




歌会の醍醐味は、2人や3人では批評が限られるが、たっぷり時間があると

思いがけない意見(異見)が飛び出すことがある。

ああ、そんな受け取りかたもあるのかと、目から鱗が落ちることも、ままある。




今日は若い T さんの歌や批評に注目した。

彼女の歌はわたしたち旧世代の刺激になる。





昨日、電車の中で読んだ岩波書店の「図書」(2016年1月号)に

谷川俊太郎と工藤直子が「詩の愉しみ方」について対談をしていた。



      

      谷川 ーー略 ある範囲内での誤解・理解は、当然あります。

          ただ、意図的な「捻じ曲げ」は、詩の受け取り方としては

          良くないと思いますね。


      工藤 分かりやすいということは、作品として浅いのかな?


      谷川 そういうことではないでしょう、分かりやすさにも、種類がありますから。

          むしろ、本当の真理なら分かりやすいのでは?






短歌に置き換えても十分通用する対談であった。



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大宰府天満宮の「飛梅」開花のニュースが…

昨年よりも5日も早いんだって。

息子よ、待ってるけんね。










      


2016年1月 7日 (木)

臘梅(ろうばい)の花

昨年、じゃなかった1昨年は「臘梅の花」を見たのは12月だったような

気がするのだけど、今年は本日ようやく「臘梅の花」に逢うことができた。

12月には、花を見る余裕もなかったのかしら。



近所の裏庭に古木の「臘梅の花」がある。

散歩がてらゆっくりそこを通った。

臘梅はことに香りがいい。

黄色の花も押し付けがましい黄色でなく、ほんのりとしている。

その裏庭はあまり手入れされていないのだけど、その感じが趣があっていい。




その臘梅のめぐりには、野水仙がいちめんに咲いていて、これまた香りを放っている。

裏木戸が開いていて「どうぞ見て行ってください」とは、だれも言わなかったけど…

不審者と間違えられても困るので、立ち去ることにした。





明日は義母の「初月忌(しょがっき)」。

もう1ケ月が過ぎたのだ。

早立ちして、八女に行く。

2016年1月 6日 (水)

『たましいのふたりごと』 川上未映子×穂村弘  筑摩書房

「ちくま」(PR誌)の連載「絶叫委員会」(穂村弘)のエッセイは面白い。

2016年1月号では「振り切られる言葉」だった。





     春と夏と秋と冬が一度にやって来て人が死ぬ




穂村弘曰く「振り切られる言葉」だそうだ。

      一読して、なんか凄いんじゃないか、と思った。「死」の本質を云い当てて

     いるような気もする。でも、わかるかと云われるとわからない。魅力を分析

     するのが難しい。

      このツイートについて歌人の友達に相談したら、「面白いね。でも、春と夏と

     秋と冬=四季=死期って駄洒落なんじゃないの?」という答えが返ってきた。

     びっくり。それはそれでショックだ。




意表をつく展開?が面白い。(だけど、この歌人さん冴えてるわ。)





と、いうことで『たましいのふたりごと』もどんな話題が飛び出すことやらと、

買った。ーー読んだ。ーー笑った。そして、瞑想した…

二人がこだわりのある言葉を26個ずつあげて、編集部が26個選び、合計78個の

言葉について語っている。




      34 仏の顔も三度まで(編集部)


     穂村ーー略 ぼく自身で言えば、三度までだったら許すという感覚はなくて、

          一回嫌なことをされると、このひとは何度でも同じことをしてくると

          思っちゃって、つきあいたくない(笑)




      70  エゴサーチ(穂村)

     川上ーー略 でもエゴサーチして得られるものってほとんどなくないですか?

          褒められてるツイートをリツイートして、それをこつこつ貯めるのが力に

          なるんだって言うひともいますけど、じぶんの好きな作家には、もっと

          超然としていてほしいと思うんです。


川上未映子の卓見がまばゆい。


未映子さん、どうか、「超然としていて」ほしい、です。
  

      

 

2016年1月 3日 (日)

「りとむ」 2016年1月号 №142

第十六回りとむ二十首詠賞が発表されていた。

第一位は、山口文子さんの「初夏の記憶に」だった。

選考委員の三枝昻之・寺尾登志子・田村元の三氏全員一致で一位に推していた。






      平日の美術館へは十二時に優しい***(アスタリスク)の沈黙

      「お客さま」声かけ瞬時に下がりたる紳士はやはりルノワールがお好き

      現在地伝えきれずに正確な三角錐の木の下で待つ


美術館監視員の日常というテーマで詠まれた連作だった。

山口さんといえば、すでに第一歌集『その言葉は減価償却されました』(角川学芸出版)が

ある。斬新で柔軟な表現に注目した集だった。(拙ブログでは、2015年2月28日に紹介)





その山口文子さんは、1年の滞在と決めてパリに現在、在住らしい。

というのも「りとむ」の同号にコラム「パリ緊急レポート」を寄せていた。

このコラムがテロ後のパリ事情を伝えていて、とても良かった。



たまたま、本日の朝日新聞の「グローブ」(第1・第3日曜刊) 「世界とつながる日曜版」の

浅野素女(あさの・もとめ)さんの「テロに明け暮れたフランス」の文章に触発された。

浅野さんは、フランスに暮らして30年余りのパリ郊外在住のライターである。



     

      市民はパリがパリであり続けることを確認し、同時に何が起ころうと

      そうあってほしい(注 第一次世界大戦の傷を引きずりつつも、生きる

      喜びに溢れ、毎日が祝祭のように輝いていた。)と祈ったのだった。






そして、その文章の結語に身の引き締まる思いがした。

      他者を抹殺したり否定したりする行為の果てには何もない。

2016年1月 2日 (土)

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」 

第二次世界大戦下、外交官として赴任していたリトアニアで、ユダヤ難民に

日本通過のビザを発給した一人の日本人、杉原千畝(すぎはら・ちうね)。




わたしは、その人の名前をいつだったかテレビで知った。

外務省訓令に違反して、ユダヤ人難民にビザを出し続けたとして…


この映画は、その杉原千畝のドキュメンタリーである。

主人公の杉原千畝を唐沢寿明、その妻・幸子を小雪が演じている。

唐沢寿明のきりりとした演技も良かったが、小雪の包み込むような演技が光った。

(小雪の立ち居振る舞い、その着ている洋服がとてもチャーミングだった。)





ナチスがユダヤ人に対して行った迫害は凄惨だった。

ユダヤ人たちを一個所に集め、「立て、伏せ、」と命令する場面では胸がきりりと

痛んだ。その命令に逆らうと発砲するのだ。何度も何度もその命令を続け、全員を

虐殺してしまう。彼等が銃を持って去ったあとにかろうじて生きていた

老人とおさなごの2人。あまりの惨さに涙が止まらなかった。





杉原千畝は「センポ」と呼ばれていた。

千畝(ちうね)の音読みである。杉原のもとで働くのはペシュ(ボリス・シッツ)。

ペシュは杉原の良き理解者であり、忠実な秘書?であった。

センポは、自身の道が閉ざされることを承知で6000人のビザを出し続けたのだ。






「鳥でさえ帰る場所があるのに」

ユダヤ人難民たちは棲むべき地を求めて彷徨う。





この映画は、多くの人に観てほしい。

今だからこそ、観てほしいと思う。

現代も、世界のどこかで、難民たちが棲むべき地を求めて、

彷徨っているのだ。




2016年1月 1日 (金)

初日の出

夜明け前の星空が綺麗だった。

月と木星が並び、「春の第三角」も確認できた。

火星とスピカも輝いていた。

博多の空ではとても観ることができない星空に溜息が洩れた。




7時過ぎ、いよいよ初日の出である。

地元の若い方々の太鼓の連打、温かいコーヒーを飲んで日の出を待った。




ここは御崎馬で有名な都井岬。

初日の出などこの何年も拝んだ?ことがなかっただけに今日の天候を喜ぶ。



7時14分くらいということであったが、雲に阻まれてようやく顔を出したのが、

7時34分だった。

カメラを向けてバシャバシャと撮った。




「初日の出」を見ることができたのは何年ぶりだろう。




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いま、わたしのパソコンのデスクトップの背景となって、初日が輝いている。



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