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2016年2月

2016年2月28日 (日)

長酣居の梅の花

第五回琅玕忌出席のため熊本へ。

生前の石田比呂志さんが住んでいた長酣居の梅の花に逢いに行った。

2月も末の本日はとても良いお日和で、満開の梅の花を期待しながら

行ったのだが……

なんということでしょう。

梅が、梅が、梅が伐られてしまっている。

2メートルくらいの高さのところで、どの枝も伐り落とされていて、

花などどこにも見えない。






梅の木のとなりに立っているカボスもほとんどが茶色になっていて、

あわれな姿のままいくつも下がっていた。




なんでなの?

悲しくなってしまった。

琅玕忌の本日の講師は高橋睦郎さん。

         生涯に渡って〈私性〉にこだわってうたった歌人と石田比呂志を

         位置づけ、〈私〉にこだわると、より地獄になること?

         など、〈私性〉についてのお話をされた。

         〈私〉を解放することがだいじなのではないか……とも語られた。







本日の出席者への記念品は石田比呂志さんの句集『楪』。

以下は後記の文章の抜粋。






         石田比呂志没後、筐底からこのような一束の原稿が出てきた。

         二〇〇八年早春の心臓バイパス手術後、毎日、手帖に句を

         作っていたことは知っていたが、このような表書きまでつけた

         清書の束があろうとは思わなかった。遊びではあろうけれど、

         文筆に一生を費やして生きた者の根性に打たれるものが

         あった。ーーー略                  阿木津 英








         楪(ゆずりは)の散りてはらりと親子かな      石田風天子『楪』

         熟れ残る香母酢を叩く初霰                  同

         大馬鹿のここにも一人木瓜の花               同

         躓きし昨日の石はこれかいな                 同

         残寒や江津湖の鴨の三羽五羽                同









直会(なおらい)の席での高橋睦郎さんのお話はぐ~っと、くだけて

皆で笑い転げてしまった。





角川『短歌』の2016年3月号の「一位の歌びとーー葛原妙子の素顔」の講演録を

再現するかのように、葛原さんの「最晩年のお鰻(うな)」の人真似をして語るものだから、

可笑しくて、可笑しくて……。




話は次から次へと盛り上がり、森茉莉の人真似までして、皆を大いに

愉しませてくださった。

とてもいい琅玕忌になりました。

来年は七回忌。

みなさま、またお会いしましょう。








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はじめて乗った新幹線「みずほ」は熊本を出たら、次の停車は博多。

あっというまに博多に帰って来た。


 

2016年2月27日 (土)

記念トーク「作家の生活」へ

井上荒野・角田光代・川上未映子さん3人のトークを聴きに北九州へ。

友人と待ち合わせ、着くともう長蛇の列だった。




トークがはじまる前に第2回林芙美子文学賞の表彰式があった。

今年は横浜の高山羽根子さんの「太陽の側の島」が受賞した。

前記3人の選考委員一致で受賞作品が決定したそうだ。
(ちなみに、作品数は975編で、全国よりの応募だったらしい。)




トークはたのしかった。

「作家の生活」というタイトルだけに、プライベートなことにも触れて語られた。





         角田  私は夕方5時までしか仕事しないの。

         川上  仕事が片付かない時もあるでしょ?

         角田  それでも、5時になったらやめるの。

         川上  どうして

         角田  7時から飲みたいから……





未映子さんがバスタを1か月に30回くらい食べる(作る)と語ったあとでの

荒野さんのことばが愉快だった。

         井上  私は料理が出来るひとだから…
              (だんなさまも料理がお得意なのですよね。)





個性的な3人のトークはとってもリラックスしていて、愉しかった。

勿論、文学的なお話もありましたが……

未映子さんが、子ども生んでから〈死〉や〈生〉のことを考えるようになったと

語られたのが印象的だった。

そして彼女の左手の表情が残像として焼き付いた。(華奢な白い手がひらひらと…)



 

  P・S  聴き間違えていたら、ごめんなさい。







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終わって、Sさんの画廊喫茶「銀の時計」へ。

すっかりママさんぶりが板につき、たのしそうに働いていた。

壁には、押絵教室の作品がたくさん展示されていた。


啓翁桜が壺に飾られていた。

Sさんそっくりのお嬢さんが桃の花をもって来られた。

ちいさな喫茶店で、とてもアットホームな感じ。

また機会があったら寄りたい。



 

 

2016年2月24日 (水)

琅玕忌

本日は石田比呂志さんの亡くなられた日。

亡くなったのは、2011年2月24日、80歳だった。

梅の花が満開になると石田さんのことが偲ばれる。





琅玕忌には、梅の花が満開になる。

そして、いつの回の時も遺影には梅の花が飾られている。

ことしは第五回である。

28日のことしの琅玕忌の講演は、高橋睦郎さん。



             自転車屋の角を左折し三軒目手ぶらでぶらっとお出で下さい

             赤茶けし畳に遊びいし夕日ぺんぺん草の上に移りぬ

             酒の席罷り来たりて砂利の道踏みて口禍を悔いつつ帰る

                                 『萍泛歌篇』 石田比呂志








             

2016年2月23日 (火)

光の道

帰宅してテレビを観ていたら、嵐のCMでお馴染みの宮地嶽神社(福岡県福津市)の

「光の道」のことが放映されていた。

神社の参道の延長線上の海に夕日が沈み、夕日に照らされた一直線の参道の

美しさなのだが、中継ではあいにく見ることが出来なかった。




嵐のCMで全国からこの夕日を見ようと参拝に訪れる人たちが多くなったとか。

1年に何日しか見ることが出来ないこの「光の道」。




みんな、思うことは同じだなぁ、と。

だって、わたしも嵐のCMのおかげで見に行きたくなったもん。
(2月20日頃と10月20日頃の何日間しか、一直線にならないんだって)




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今日はうれしいことがあった。

Sさんは、短歌を初めて5年くらいなのだが、今までの作品を歌集に纏めたのだ。

手作りとはいえ選歌・パソコン入力・製本を仲間のTさん、Y さんが引き受けての刊行。

135ページ、301首の見事な出来映えである。

製本を担当したYさんってプロなの? スゴイっ。

30冊もよくぞてがけたものだと、魂消てしまった。



この歌集は、みなさんのお手本になるし、「生きた証になるねぇ」と慶びあった。





そして、別のSさんから煮込んだカレーを頂いたので、それを夕食に頂いた。

美味しうございました。(自家製沢庵も、美味しうございました。)


2016年2月22日 (月)

新輯 『けさのことば Ⅵ』 岡井隆  砂子屋書房

中日新聞に、1993年、1994年、1995年に連載された3年間の分を編集し、

収めている。568ページの大冊(分厚い)である。




詩、短歌・俳句・川柳、そして箴言・処世訓などを収載し、著者のひとことを添えている。

この著者のひとことが実に味わいがある。

たとえば、本日2月22日は下記のごとくである。






          紅梅に彳(た)ちて美し人の老     (『村住』) 富安 風生



             「人の老」の「人」は古希に達した高浜虚子のこと。師の「老」を

             「美し」と見た風生はまだ六十前だった。そして「わが老をわが

             いとほしむ菊の前」と吟じた。今から五十年前、人は現代より

             はるかに早く「老」を感じたのである。だが、美しく老いることの

             むずかしさはいつの世も同じであろう。







朝日文庫の現代俳句の世界『富安風生 阿波野青畝 集』を書棚より出して、

原作(?)にあたると、先の句には「虚子先生古稀賀筵」と、詞書(?)が付け

られていた。そうか、それで「人の老」が虚子と判断できたのかと、納得。

子弟の間の美しい相聞句(笑)ともいえる。

そして、同じ『村住』のなかに「わが老をわがいとほしむ菊の前」の句が収められていた。





『けさのことば』を机上にしばらく置いて、たのしみたい。

著者の選んだ「ことば」を窓口にして、いろいろなことを知り得るのは、愉しいことだ。




巻末に、人名索引と書名索引の付いているのはとても親切。


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本日は「猫の日」とか、「猫のいる島」に出掛ける余裕がない。

従って、角田光代さんの「トトほほ日記」と、岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」を

覗くことでガマン、ガマン。




土曜日におひなさまも飾ったし、机の回りも少し整理したので、今週はガンバル。

何をガンバルって、「生きる」ことに、ガンバルわ……。





2016年2月19日 (金)

寒さにつよい貝母(ばいも)

貝母の芽がたくさん出ている。

折鶴蘭は先だっての寒さのために凍傷でダメになってしまったが、

貝母の球根は地中で寒さを凌いでいたようだ。




この花が咲くのがたのしみである。

花は釣鐘形でどちらかといえば地味であるが、なんともいえない味わいがある。


この花を知ったのは、もうずいぶん前(20何年?)になる。

尾道の千光寺公園傍の中村憲吉の仮寓を訪れた時、

近くの畑に咲いていたのを見たのがはじめて。

花の名前がわからず図鑑で調べて知った。






好きになった花の名前は、友人知人にそれとなく言っておくといつか頂ける。

そういえばホトトギスの花も頂いたのが根付いている。




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今日は8人で会食。

まぁ、会食だけではないのだが、御馳走を□□亭でいただいた。

帰りに博多駅のお店で可愛いひなあられを買ってきた。

ひなあられを買ったのはいいが、肝心のお雛様をまだ飾っていない。

明日はお雛様を飾ろうかしらん。







2016年2月17日 (水)

上弦の月?

久しぶりの星空、といっても星は数えるほどしか見えないが……

上弦の月は一昨夜だったのだが、今夜の月は輝いて見える。





今日も今日とて久留米までお出掛け。

お天気が良かったので梅林寺を覗きたかったが、かろうじて諦めて直帰する。


待っている荷物が届かない。

どうなっているのかしら?



それにしても 2月は逃げ足が速い。

うかうかしていると、とんでもないことになりそうだ。




明日のカレンダーを捲ったら、以下のように書かれてあった。




            小さい仕事をちゃんとできるようになると

            大きな仕事もひとりでにかたづいていく    デール・カーネギー




            大きなことをすることではありません。

            目の前の小さなことをどれだけ真心と愛がこめられて

            いるかどうかです。                マザー・テレサ






書き写していたら、いつかもこんなことをブログに書き込みしたような

気がしてきた。

やれ、やれ。

明日のために、今夜は、もう寝ることにします。

2016年2月16日 (火)

後手

4月某日のホテルの予約をしとかなければと思いたったのだが、満室だった。

まずいっと焦って、あちこち電話したり、ネットで空き室検索をしたのだけど、

どこも満室。

福岡のホテル事情はどうなってるのかしら。



そういえば、福岡には外国の方々が大っきな船でやってこられ、このところ

大型バスもホテルも大変なんだということは薄々聞いてはいたのだが…



朝食ナシで16000円は高いでしょ。(結局、それでも予約したけどね。)

これじゃ、東京のホテルの方が安い。

5月某日の東京のシングル、朝食ナシで10000円弱だったもんね。



そんなこんなで、何もかも後手・後手で、泣きたくなったわ。





ブログを書き込む余裕がこのところなくて……。

わたしは風邪もひかず、元気にしています。


2016年2月12日 (金)

『三月の招待状』 角田光代  集英社文庫

タイトルに惹かれて買ってしまった文庫本。

「三月の招待状」から「五月の式典」まで、3組の夫婦未満・夫婦などを巡って

繰り広げられる物語。

やり残し症候群の麻美。過去に振りまわされ症候群の裕美子。

昔の栄光症候群の宇田男。ハイファット症候群の正道。

それぞれが何かを抱えて右往左往している。そのなかでいちばん冷静なのが

離婚式をあげた裕美子の夫(正道)の恋人となる遙香かもしれない。





青春をがつがつ取り戻している感じの麻美はいたいたしい。

「やり残したことをたとえ演技でもドラマでも真似でも思いっきりやらないことには、

終わらない」麻美なのだが…





30代・40代の女性が好みそうな物語だった。



現実逃避で読みだした本だったが、わたしは、現実逃避できたのかしらん。

あ、仕事、仕事。







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買い物に出たら、あら、まぁ 吹く風がさわやか?

これは東風(こち)なの?。




それにしても、午前中は探しもので時間を費やした。

携帯電話が行方不明なので、固定電話で呼び出したら、積み重ねた本の

間で鳴っていた。

ペンケースも行方不明、それがないと仕事が出来ない(笑)んだ。




あ~あ、老化は確実に進行している?にゃあ。

    

      

2016年2月 9日 (火)

『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』 川上未映子  講談社文庫

なが~いタイトルの本です。

未映子さん(へんに馴れ馴れしい呼び方で御免)の地のエッセイというか、

日記風に綴られたもの。

ともかく面白い。面白過ぎて、<いっき読み>してしまった。






関西弁が妙にリアルで、かてて加えて、今風な言葉遣いというか、

文体には魂消てしまった。

しかし、これは中毒になりますねん。(真似?してみた)






もっと読みたい、もっと読みたいと思っているうちに「奇跡っつうぐらいのもんで」の

章になって、あと一つで終わってしまった。


でも、面白いだけではないのが、未映子さんなのだ。

「瑞々しい感性と卓越した表現」なのは勿論だが、哲学的な個所が折々ある。


        「精神よ、黙って体についていって下さい」




     略ー逃げる場所がない自意識という伴侶の人生からは逃げることが

     出来ない。生きるべきか、死ぬべきか。なんて言葉はときどき実際は、

     老いるべきか、死ぬべきかということなのだろう。生きるということは、

     そのまま老いることでもあるからであって、自分が論理的に死ぬことは

     出来ないと判っていても、老いの場合はどうよ。老いというそのものも、

     死と同じく触ることが出来ないが、(それも単なる言葉だから)体験して

     いるということの事実。ひぇ。今、ということしかないのなら、この老いと

     いうものはいったいなんであるのか。自分の死はいつも彼方にしかなく、

     それが私を捉えることは出来ないのにもかかわらず老いは今ここに

     あるこの事実!ひぇ。二十八歳の体は老いている。どっこい確実に

     老いている。めらりめらり老いている。それでどうなっていくというのだ

     ろうか。 略ー









我武者羅に引用してしまった。ひぇ。(真似)

「めらりめらり老いている」なんぞと、28歳の未映子さんに言われてしまったら、

このわたしなんぞは「めらりめらり」どころか、どないに言うたらええねん。





わたしよ、「頑張れ、いつか死ぬ」







講談社文庫 2010年7月1日 第5刷発行  本体524円(税別)


どうぞ、お手にとられて<いつき読み>なさってくださいませ。でも。(この「でも」も真似)











     

     

     

    

2016年2月 8日 (月)

歌集『奥津磐座』 寺尾登志子  ながらみ書房

         歌集の題は、奈良の三輪山頂上にある巨石群を示している。

        若い頃から憧れていた三輪山に還暦過ぎて登拝し、「奥津磐座」と

        いう語を得た。





「あとがき」に書かれていた言葉である。

2010年の夏から5年の間に作った歌が収録されている作者の第三歌集。

「りとむ」所属。



       戸籍謄本とりて確かむ子の除籍めでたき春のわが些事ながら

       時のたつほどに染み入る色と見るジャカランダの木にモーヴの花の

       待ち人は来ず失せ物は見つからずあと一箇月だけ五十七歳

       海の見える丘の近代文学館茂吉待つゆゑ坂上りゆく

       いつまでも一緒ではない幸ひは淡きベージュの秋のセーター

       六十代間近に迫り如何にせむ伸びすぎた髪まづ切りにゆく

       もし君が見上げなければ一本の樫にすぎない私であつた

       ゆきゆきて倒れ伏すとも〈萩の月〉食めばやさしきみちのくのひと

       コスモスの淡き翳りよ亡き母よあなたの娘は祖母となりたり

       山頂はしるく注連立て深々と天に交はる奥津磐座(おきついはくら)


   1首目、子の結婚という慶賀を表だたにせず、少しく寂しさを感じさせる除籍を

        うたっている。

   3首目、57歳の残りの1ヶ月を愛しむような歌。


   5首目、老いの入口に立った夫婦の情愛が滲む。「いつまでも一緒ではない」の

        認識がせつない。


   7首目、「君」に対する感謝の思い。ひとはひとによって生かされている

        ということなのだろう。 

   9首目、孫が生まれたということなのだが、表現上に工夫がなされている。

        自分を生んでくれた母親、血の系図を考えさせられる。




    

歌は極めて穏やかである。

いいかえれば静謐さを湛えている。

50代から60代へと、しっかりした歩みを窺わせる作品群であった。


 

2016年2月 4日 (木)

『ひどい感じ 父・井上光晴』 井上荒野  講談社

1992年5月30日に亡くなった井上光晴。

晩年の3年間は癌との壮絶な闘いの日々であった。




この書は、娘が父について書いたⅠ~Ⅳ章で構成されている。

「それにしても、父の娘であるのは大変なことだった」と述懐している荒野(あれの)だが、

タイトルの『ひどい感じ……』からも伝わるように、「甘えた感じや、感傷的な感じ」は、

払拭されている。

むしろ、潔いまでのモノカキとしての醒めた視線で綴られている。

父・光晴は、『小説の書き方』のなかで、下記のように記しているらしい。






        はっきりいってみんな狂っています。その中でわれわれは生きて

        いるし、生きていかねばならないのだから、どんなくらしの断片を

        切り取ってもみごとな短篇になるはずですよ。矛盾したいい方を

        すれば、今の世の中、想像力なんか必要ないかもしれないんだ。

        ほんとに。


「現実が想像力を上回るーーということを、父はよく言っていた。ーー略  

「ぎりぎりの状況を逆転して前にすすむために」書き続けた父……





父・光晴が目指した革命家。

「父は意識の中では終生革命家であったのかもしれない」と荒野は書いている。


墓碑は、「のろしはあがらず/のろしはいまだ あがらず」と、詩を筆書きしたものとか。






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北九州でのトーク(井上荒野・角田光代・川上未映子)が

なんとも楽しみである。

みんな行こうね。

トトはんのオカン(笑)に、逢えると。



2016年2月 3日 (水)

梅林寺外苑(久留米市)へ

梅は咲いたか、などと呟きながら、久留米駅近くの梅林寺へ。

予想していたよりも花が遅い。

それでも外苑に入ってすぐの左手の木は写真にとるとみごとな咲きよう。

木によって早いのや遅いのがあり、総じて一分咲き?くらいかな。

観梅客も少ない。






2013(平成25)年に建立された夏目漱石と久留米市出身のドイツ文学者、

菅虎雄の石碑をじっくり読んだ。漱石は東京帝国大に在学中に虎雄と知りあい、

生涯親交を重ねた。

1896年9月、新婚の妻を連れて福岡を訪れた漱石は、久留米に立ち寄り、

梅林寺で禅宗の教え「碧巌録」の説法を聴いている。その時の俳句が石碑に

刻まれている。(直筆を拡大したもの)






     梅林寺

    碧巌(へきがん)を提唱す 山内(やま)の夜ぞ長き     夏目漱石






面白いと思ったのは、漱石は正岡子規にこの時の俳句40句ばかりを送り、

見て貰っていたことだ。子規は三段階の評価をして返したそうだが、上◎(二重丸)、

中○(一重丸)、下は無印だったとか。

「碧巌を提唱す 山内(やま)の夜ぞ長き」は、中で一重丸。季語は「夜長」の秋。





夏目漱石は俳句の上では、正岡子規の弟子だったのだ。






二月の空とはいえ、晴れて気持ちよく、筑後川の岸辺でしばらく水鳥たちを

眺めていた。対岸ではゴルフに興じている人たち。(ゴルフするために整備されている。)

鉄道橋を通り過ぎる電車をカメラで撮ろうと何度となくトライしたけど、

やっぱり動く被写体は難しい。

静止画像は素晴らしい(笑)出来上がりだったが…


それにしても、鉄道写真家の中井精也さんのブログ「一日一鉄 ! 」の

写真のようにはゆかないよね。

2月1日の津軽線/三厩駅の写真は良かったなぁ。




2016年2月 1日 (月)

映画「海難 1890」 日本・トルコ合作

1890年、紀伊大島沖で座礁し遭難したエルトゥールル号、

樫野の村民たちが一丸となって負傷者の手当てに奔走するドキュメンタリー。

この遭難では500名以上の死者が出たらしい。






*  *

2009(平成21)年、息子とトルコへ旅をしたが、その時にガイドさんがトルコのかたは

皆さん親日的ですからと言った。その理由はエルトゥールル号の遭難で日本人に

いのちを救われた人たちがいること、そのことは後世まで語り継がれているということ

だった。ああ、そういうことがあったのかと、その時初めて知った。


*  *

この映画では、95年の時を超えて、今度はトルコの国の人たちが日本人の

救出に力を尽くす。

1985(昭和60)年、フセインが停戦合意を破棄したため、イラン・イラク戦争が激化。

フセインの声明は「48時間後にイラン上空を飛行する飛行機を無差別攻撃する」と

いうものだった。

日本人たちの帰国のための飛行機がない。この時、トルコの国が日本人の

ために急遽、飛行機を飛ばしてくれるのだ。


この映画は日本とトルコの友好の125周年を記念して作られたもの。

人が人を想う、その真心が国を動かす、ということがあるのだ。




主演の医師は、内野聖陽。

トルコとの合作なので、映画は日本語だけではない。








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喜ばしいニュースが今朝の新聞に掲載されていた。

小池光さんの歌集『思川の岸辺』(KADOKAWA)が、読売文学賞の

詩歌俳句賞を、受賞した。

小池さん、おめでとうございます。



(拙ブログでは、2015年10月2日と10月1日の2日間にわたって、

 この歌集の紹介をしています。)





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