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2016年3月

2016年3月31日 (木)

桜ばないのち一ぱいに……

岡本かの子の歌を口遊む。



        桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり

今日は午後よりあいにくの雨。

雨のなかのさくらも風情があっていい。





今日で三月が終わってしまう。

なんとあわただしい三月だったことか。





そういえば、過日は突発的な歌会に参加した。



いきなり歌を出すことになって狼狽えた。

総勢20名。無記名歌会だった。(巡りは若いひとばかり)

K さんの「音を外しているのにリズミカル」(評者)な、歌があったりして、

愉しかった。

この日の歌会でわたしは最高齢だったことを白状する。(違和感なかったけど~笑)





そんなこんなで、明日から4月。

ヤバイことにならないように、

ガンバラなくちゃ。

2016年3月30日 (水)

『西日本女性文学案内』 西日本女性文学研究会

西日本ゆかりの女性文学者とその作品を調査し、その調査結果を一般に

公開するという目的で「西日本女性文学研究会」が発足したのは、2007年5月。

その成果を纏めたのが本書である。




175ページの大冊であり、執筆者43人。収載人数は289名。

西日本(山口・福岡・大分・佐賀・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄の9県)に地域を

限定している。

小説家、詩人、歌人、俳人、随筆家、劇作家、児童文学作家、他を掲載している。

これだけの女性文学者たちを取り上げ、1冊に纏めたその努力、並々ならぬ苦労が

あったことだろう。





ちなみに歌人では、河野裕子さん、青井史さん、桃原邑子さんなども収められている。


                   花書院発行  平成28年2月20日  1500円+税 


2016年3月29日 (火)

歌集『あふれるひかり』 中村幸一  北冬舎

「熾」編集委員の著者の『しあわせな歌』に続く第四歌集。

「あとがき」に書かれていた下記のことばがことに印象的であった。

       ーー昨今は「エゴ」を外すのが目標になってきている。エゴとは作為、
       計算、論理、真面目である。





その目標のことなど思いつつ、、作品を紹介しよう。


       アッシジに行くことなけれ聖人の教えし鳥のいまはなければ

       はじめてのロンドン帰り秋の日に金子由香利を聞きたるPARCO

       ゆれうごく曲線つやめく青年の行く末あかるくほおづえをつく

       銀葉に香をのせればかおりくるかおりかそけくかおらぬがごとし

       僕たちの行き場はないが春雨はやさしく濡らす肩とうなじを

       井の頭  秋の日射して手をくぐりももに至れりわかもののもも

       肉欲というはかなしき張る肉をつつめる皮膚のひかりかがやく

       高橋ときけば高橋  渡辺ときけば渡辺浮かぶ四、五人

       水ひかる早苗みどりに吹かれいて風やわらかき夏は近づく

       樹の風に揉まるるみればあおによしケンブリッジの夏を想いぬ






挙げた歌でもわかるように、口語体の歌は殆どない。

五句三十一音の定型を遵守し、その調べや韻がゆかしい。

「作為、計算、論理、真面目」の反対語は、などと思いながら読了したが、やはり、

一首を作るにはそれなりの「計算」というか「技」もつかわれているように思う。


4首目の「か」音の重なりは、やはり、計算されたものだと思うのだが…

それにしても、5 ・6・ 7首などエロチックだ。

五十代前半の著者の豊かな感受性に注目した一集。

その上で「あとがき」の下記のことばが多少気になった。



     なお、漢字は、略字の生み出す視覚的なイメージに耐えられないとき、

     正字を用いている。また、原則的に新仮名遣いだが、字のもつ、音の

     ような違和感を覚えるときは、旧仮名を混ぜることがある。さらに、下

     二段活用と下一段活用なども混在しているが、このあたりは、不統一で

     よい、と私は不遜に考えているーーー略


まぁ、いろいろな手法があるから、なんとも言えない。

著者は確固たる信念のもとになさっているのだろう。

わたし個人としては、この『あふれるひかり』が旧仮名遣いだったら、

もっともっとことばが輝いたのではないか……

などと、思った。

 

2016年3月28日 (月)

彼岸桜散りはじめる

風にはらはらと散る彼岸桜の淡紅の花。

きれいだなあ~と思いつつ眺めていた。




自宅より徒歩7・8分のところに明太工場がある。

直売もしているので今日は散歩がてらに行ったら、そこの玄関前の2本の桜は

淡紅色の花だった。名前を店員さんに聞いたら「彼岸桜」とのこと。

(ここの工場の直売店はリニューアルして、お店がとてもいい雰囲気。

 奥にはレストランまで出来ている。席もたくさんあり、ちょっと隠れ家的?)


春の彼岸の頃、他の桜より早く開花する彼岸桜。

中部地方以西に植えられている?みたいだ。






染井吉野はまだまだこれから。

週末には満開かしら?

うれしいなぁ。

久々にみんなで飲めるからたのしみだ。





みんな~、待ってるよ~~


2016年3月25日 (金)

「朔日」 2016年4月号 №268

巻頭エッセイの外塚喬さんの「趣味」の以下の言葉に共感した。

          趣味はと聞かれて、なぜか短歌ですとは言いにくかった。ーー略ーー

         短歌は余技としてのものではないことは確かだが、歌を詠んでいますと

         人に対して堂々と告げることができない。このことは人によっても異なるが、

         大方の人に共通するところではないだろうか。ーー略



そうなんです。なかなか人に大っぴらに言えない。

短歌をしている人に対してはふつうに言えるのだが、ごくごく日常の中で出会う人には

言うことができない。今の住まいに越してきて20年以上経つ。その時から行くように

なった美容室。なんだか奥歯に物がはさまったような会話にいつもなってしまう。




「今日はこれからどちらへ」 「はい、まぁそのぅ……」

「お休みはどこかへ出掛けられましたか」 「はい、あのぅ…(もじもじ)」





なんだか、わたし、宗教か何かに凝っている人って思われていないだろうか?

かくして,あたりさわりのない「猫」の話と「花」の話の方にそれとなく逃げる。

こんなことでいいのだろうか?







肝心の「朔日」のことだけど、もう一つ大事なことが書かれていた。

「編集部より」の欄。





          文章を書くときに、他の人の書いた文章や歌などを引用することが

         あります。ーー略

         引用するときは、書物や作者名を正確に写すことが大切です。一字

         一句の違いも許されません。ーー略

          自身の作品や文章が間違って引用された場合のことを考えて、文章を

         書くようにして下さい。
    



ほんとうに、そうだなぁと思う。

引用する時は、どこからの、誰の歌(文章)の引用ということをしっかり記すのが

基本だろう。そして、一字一句間違えないように。



果たして、今日のこのブログは大丈夫か?
       

 

2016年3月24日 (木)

星座早見

兵庫県立西はりま天文台の「星座早見」を操りながら星空を観測。




と、いうのも夕方は真っ黒い雲が出ていたのに、夜の9時前、その雲がどこかへ

去ってしまって、空がとても澄んでいた。

南西の空を見上げると、シリウスとぺテルギウスそしてリゲルがはっきり見える。

三つ星も3つ並んでいる。

「冬の大三角」は確か、シリウスとプロキオンとベテルギウスを三角に繋ぐんだと

思いつつ、なおも星空を仰ぐ。

マンションに阻まれてプロキオンがしかと見えない。

ようやく探しあてたプロキオンだが、それかどうかは自信ない。







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北九州の八幡の国際通りの並木のこぶしの花が満開だった。

ここの通りはわたしのお気に入り。

5月?ころになるとなんじゃもんじやの花が咲く。




帰りは最寄りの駅で下車して馬酔木(あしび)の花を見る。

駅の敷地の花壇に一本の馬酔木があるのだ。

毎年たのしみにしているのだが、今年の花はなんだか元気がない。

もう、遅かったのかしら。



帰宅して近くの三本の桜の下まで歩く。

そのうちの1本は早咲きなのだが、ま、まんかいだった。

花の色が、なんだか、蒼白い?


2016年3月22日 (火)

辛夷(こぶし)の花

ふれあい文化センターのアプローチに20本ばかりある辛夷の花が

満開になっていた。

春の陽に映えてその白さが際立つ。





          花辛夷空青きまま冷えてきし    長谷川 櫂

そういえば、まだ、なんとなくひんやりしている。



岡野弘彦の『花幾年』(牧羊社 昭和62年刊)をぱらぱらと捲っていたら、

「こぶしの花」の章にこんな会話があった。


          花の咲く順序って、今までぼんやり考えていたのとはずいぶん

          違っているんでびっくりしてしまうわ。こぶしも木蓮も、桜より早く

          咲くんですね。


若い女性のことばのなかに岡野は新しい恋人を得たのだろう、と推測している。

こまやかな自然への眼を開かせたのは他ならぬその恋人だろうと……






春は花の季節。

しばらくは、外歩きもたのしい。


昨夜の月も美しかったけど、

明日は満月なのね。



2016年3月21日 (月)

『まひるの散歩』 角田光代 新潮文庫

装幀が可愛い。

角田さん?の膝にトトはん?がのっている。

角田さんは林檎の皮を剥いている。トトはんは尻尾をたてて喜んでいるようだ。

カバー装画は田尻真弓さん。




エッセイのあいまあいまに挟まれた写メがいい。

トトはんが相変わらずの美顔でカメラ目線よろしく写っている。




『オレンジページ』に連載されたものということで、「食」に関わる話題が多かった。




そのなかで、

「上座制度反対声明」など、共感しながら読んだ。

まぁわたしなどは、上座に座る機会などまるきし無いから関係ないか。





「ゴールデンウィーク進行」を読んでいてはたと気づいた。

そうか、出版界には「ゴールデンウィーク進行」なるシステムがあったのか。

心当たりのかたも多いことだろう。










2016年3月20日 (日)

映画「家族はつらいよ」 山田洋次監督

山田洋次監督が「どうぞ、声を出して笑ってください」と挨拶したらしいが、

ほんとうに声を出して笑ってしまったコメディだった。




三世帯同居の主は橋爪功、その妻は吉行和子。

妻の誕生日を発端にして騒動が起こる。

離婚状を妻が要求するのだ。

夫は寝耳に水というか晴天の霹靂で「俺は被害者だ」とわめく。

かくして、一家はてんやわんやの大騒動。





長男は、西村雅彦、その妻は夏川結衣。

次男が妻夫木聡、その恋人が蒼井優。

妻夫木が真面目な青年を演じており、恋人の蒼井優が清涼剤のような役割を

していた。

離婚状を突き付けた妻はカルチャースクールに通っていた。

小説を書く講座なのだ。妻はここで目覚めたのかな。





さて、結末はどうなるのでしょう。

肩の凝らない、愉快な映画だった。ちょっぴり泣けるけど。

こんな映画を熟年夫婦あるいは老年夫婦で観るのも、なんだかなぁ……

2016年3月17日 (木)

彼岸入り

17日の今日は「彼岸入り」。

さすがに日差しがやわらかで暖かい。

義母の大好きなぼたもち(牡丹餅)を作らなくちゃ。

彼岸に入ると考える、わたしの徳目は先ず「精進」だな。




葉ボタンが薹立ちしている。

2年ものの葉ぼたんは1メートル20センチの高さになって菜の花のような花を

付けている。

貝母(ばいも)の花が可愛いので写真にとって、この球根をくださった

Aさんに郵便ハガキにプリントして報告方々送った。

マドカズラも鉢に移し植えた。根付いてくれることをねがいつつ。




春になると心が落ち着かない。

外に出て、あそびたいのだ。

自然のなかで、草や木や花を眺めていたいのだ。


あそびごころを封じるのはなかなか難しい。



昨日は夕焼けが綺麗だった。

そして、夜半に見た上弦の月は冴えていたなぁ。


2016年3月16日 (水)

「つばきまつり」  石橋文化センター

12日から開かれている「つばきまつり」を覗いてみた。

今日はウイーク・デーなので人はまばらで、ゆっくりつばき園をあるくことが出来た。



「オトメツバキ」はピンクの八重で可愛らしい。

「ヒメノカオリ」の名札の付いたのは、ほんとうに小さな小さな花でこれもピンク。

「シュンプウ」は一重のピンク。

こうしてみるとピンク色が多い。




「月の輪」は、赤と白の混じった花で、枝をよくよく見ていたら赤色だけの花もあった。

梅の花に「おもいのまま」というのがあり、一本の木から白色と紅色が咲く。

それと同じように、この「月の輪」も一本の木から、赤白の絞りと、赤色だけのもの、

白色だけのものが咲いていた。白色のは底紅でほんのりしている。




「都鳥」という真っ白の八重咲きのがことに印象深かった。




つばき園を出たところに土佐水木の黄色の花が咲いていた。

これは、山茱萸ではない。

名札が付いていたから確か。

今年の春は、山茱萸も土佐水木もミモザの花も見ることができた。





この「つばきまつり」は、21日まで開かれており、19・ 20・ 21日には、

坂本繁二郎の旧アトリエも特別公開になる。

ガーデンコンサートが連休にはあるし、

オープンカフェ&バザーなどもあるみたいで、連休には賑わうことだろう。







2016年3月15日 (火)

『森岡貞香歌集』 現代短歌文庫  砂子屋書房

『白蛾』・『珊瑚數珠』・『百乳文』が全篇収められている。

そして、歌論・エッセイが12篇。

このたび『白蛾』を読み返していて、なんだか泣いてしまった。

「汝」や「少年」の歌は、せつない。





戦争に敗れ、中国派遣から還った夫の急逝。

病弱な身に夫の忘れ形見である一児を抱え、あの荒廃した時代を生きねばならなかった

森岡貞香。

それゆえにと言おうか。子を詠むことによってかろうじて己を律することもできたのでは

ないだろうか。





       うしろより母を締めつつあまゆる汝は執拗にしてわが髪乱るる

       拒みがたきわが少年の愛のしぐさ頤に手触れ来その父のごと

       力づよく肉しまり来し少年のあまゆる重みに息づくわれは

       月に照り枯生のやうな古畳さみしき母と坐らぬか子よ

       ふとん寄せて母の寝床に片足のみ入れてねる汝よわが触れてやる

       死顔に触るるばかりに頬よすればさはつては駄目といひて子は泣く

       ねむる子のかたへにわれもねむらなむ燈を消す際の赤き赤き頬

       つくづくと小動物なり子のいやがる耳のうしろなど洗ひてやれば

       還り来て子の少年を見しときぞ門吹く風にふくれし汝が髪

       近よりざま足からませて来し吾子に胸とどろかせわれはつかまる






「汝」・「少年」を詠んだ歌を抄出した。(「乱」「触」「来」などは旧字)

自身の子に対して、「少年」と詠んだのは森岡貞香が最初だった?と、誰かが

書いていたような……




現代短歌文庫もこうして全篇読むことが出来るのは有り難い。

        

                              2016年3月4日発行  2000円+税







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森岡さんの歌をいっきに読んだために、ふと思い出した歌。


       花の芽と葉の芽の違ひをうたひたる森岡貞香の歌をあぢあふ

                                   『暦日』より



自分で詠んでおきながら、森岡さんのどの歌だったのか、今となってはわからない。

昨夜は『少時』や『帶紅』のページを捲ってみたがそれらしい歌が出て来ない。

『暦日』の刊行が2012年だから、それ以前の森岡さんの歌から触発されて作った

のだと思うが、わからない。(は~い、わたし無責任です(苦笑))

わからないので、胸のなかがモヤモヤして次の仕事に手がつかない。



午前中も調べていたが、まだ不明。

どなたか教えてくださ~い、なんて言ったら虫がよすぎるかしらん。




       

 

 

 

 

2016年3月11日 (金)

『那珂太郎 はかた随筆集』 福岡市文学館選書  海鳥社

 

         福岡にゆかりの文学のなかで、絶版や未刊行により、現在読むことが

         難しい作品について、福岡市文学館が選び、発行します。

                                       福岡市文学館選書  より

今迄には、『黒田如水』・『中野秀人作品集』が発行されている。

このたびの『那珂太郎 はかた随筆集』は、はかたに因む随筆が収められており、

どのページを開いても、たのしい。うれしい。






真っ先に読んだのは、「風景の記憶」。

西日本新聞に昭和55年11月13日に書いた「わがふるさと」には、


       ーー略 中洲の橋の東側のたもとの、上手にはブラジレイロの白い建物が

       あり、下手には福助足袋の電飾灯が聳え、そして西の対岸には水上公園の

       木の間がくれに音楽堂が望まれる。あの戦前の眺めであって、






だったが、その後の事実調査で「このような風景は現実には存在しなかった」ということ。

書いた那珂自身が「私には衝撃的なことであった」と綴る。そして、以下のように考察

している。





       人がある風景なり事柄なりを記憶として自分の内部に保存するに際しては、

       事実に対してつねになんらかの選択と編集をほどこすのではあるまいか。

       しかもそれがけつして意図的になされるわけではなく、無意識の裡に

       おのづからさうなされてしまふのであるゆゑに、自分の内部に蔵された

       かたちの記憶があくまで真実のものだと信じられ、外的事実の方がむしろ

       いかがはしいものに感じられる、といふことになる。






時間的誤差のもたらした「風景の記憶」。

そういえば、そんな経験がわたしにもある。

同じ場所と時間を共有しながらも、それでも、後年ふたりで話し合うと

辻褄が合わないことが…





それは兎も角として、那珂太郎は実にいい。

詩集『はかた』のⅢのあたまの部分なんて、好きだなぁ。






       中洲の橋のたもとにたたずみ目をつむると おい伊達得夫よ

       あのブラジレイロの玲瓏たるまぼろしが浮んでくるぢやないか

       ほら ぎんのさざなみに魚の刃が閃き草仮名をかいて鷗がかすめる

       ーー略



伊達得夫の十三回忌に第二次「ユリイカ」に発表した鎮魂の詩「はかた」。





       …

      <だつて得よ>と軽口たたかれた伊達得夫よ

      得だと見られた損な役をおまへは演じて 贅肉ひとつつけぬまま

      だれよりさきに死んぢまつてさ……でも

      ーー略






                              2015年11月6日発行 1500円+税







      

 

 

2016年3月10日 (木)

『美人の日本語』 山下景子  幻冬舎

いつ買ったのかわからないが、書棚にあった1冊。

探していた本は見つからず、この本が出てきた。

365日、美しい日本語を網羅している。

ちなみに本日のページを開くと「夢酔桜(ゆめよいざくら)」


     三月の誕生色は、楚々とした山桜の薄桃色だそうです。

     ーー略

     そんな山桜が、宵闇の中に浮かび上がる景色は、幻想的な夢の世界です。

     ~蕾七日、咲いて七日、散って七日で、花二十日~

     ーー略


桜がほころびはじめる前にお雛様を片付けないといけないのに、まだ、片付けて

いない。今度、お天気が良くなったら片付けなくては…(こんなふうに、いつも後手)


ところで、

節分に久留米のさるお宮で頂いた福豆が固くて固くて、処分に困っていたら、

K さんがいいことを教えてくれた。その福豆(炒った大豆)としらす干しとお醤油を

少し入れてご飯を炊くといいよって。彼女は毎年、節分の夜にはその「節分御飯」を

炊くそうだ。教えられた通りに炊いてみたら、あの硬い福豆が食べられた。意外に

美味しい豆ご飯になりましたよ。(まだ、残っていたらお試しあれ。)



cat      cat

私の机の周りは「紙類」ばかりで、ちょっと怖くなってきた。
なんでこんなに「紙類」が増えるんだろう。

大判の封筒に名前を書いて、そこに放り込んでいたら、そんな封筒が次々に
溜まって、何が何やら…

もう、ほんとうに「火気厳禁」の部屋化している。

そして、このところ頂いた歌集や、本なども読めない日が続いている。

みなさま、ごめんなさい。

2016年3月 8日 (火)

ミモザの花

コミュニティバスに乗っていたら、ミモザの花が目に飛び込んで見えた。

「あ、ミモザっ」と声に出そうになった。

バスを降りて見に行きたかったが、時間が迫っていたので諦める。

ふれあいセンターに到着する前にも、保育園の門のそばに咲いていた。

この真っ黄色のもやもやっとした感じが大好き。





そういえば、ミモザの歌が1首あったことを思い出した。



      ぽあぽあと膨らむ黄(きい)のかたまりはミモザの花か 確かめに行く

                          『暦日』(角川書店 平成24年7月刊)




この歌を作った時も同じような状況だったのだ。(かわってないな、わたしは…)

ミモザの花で思い出したのはあと一つ。三宅霧子さんの『風景の記憶』の装幀が

ミモザの花だった。さいとうさんにこの装幀を真っ先に褒めたような記憶が……している。





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今日は義母の月命日だった。
はやいもので亡くなってから、もう3か月になるのだ。


宅急便を一つ送る。
一つ送ったら、一つ着いた。



今日は赤い札入れ(お財布)を頂いた。
ぎょうさんお金が溜まるお財布だとか…ありがたや~(笑)

2016年3月 5日 (土)

ハクモクレンが咲きはじめた

歌会が終わって、会場費を払いに行く途中で見たハクモクレンの花。

2軒つづけて、お庭に咲きはじめていた。

ハクモクレンの莟は好きだが、開きはじめるとなんだか、しどけない(笑)。

本日はカーディガンも脱ぎたくなるような日差しだった。





夕日がことのほか美しく、バシャバシャとカメラで写した。

お正月に写した都井岬の初日もいいけど、今日の夕日も綺麗だったので、

パソコンの待ち受けを換えようかしら。






新しい電話機を設置。

これでFAXはだいじょうぶ。

友人・知人の電話番号を登録する……ところまでは、出来ず。

今日は、疲れたわ。


2016年3月 4日 (金)

「見えない隙間 ー佐藤佐太郎 『帰潮』ー 」  嶋 稟太郎

「未来」の3月号が届いた。

「みらい・くりてぃーく・えせー」の嶋 稟太郎さんの評論が読みごたえが

あった。

佐藤佐太郎の『帰潮』の歌から「時代の隙間」「修辞の隙間」「人間性の隙間」といった

角度から論じ考察している。歌の解釈・鑑賞もとても丁寧で納得しつつ読んだ。

こんな書き手が出てくるのも「未来」らしい。





ただ、一つ気になったのは、最後の歌の2首の引用はいらなかったのでは?と

思った。結語は大事だし、あの2首の引用があるために、なんだかはぐらかされた(笑)

みたいだった。(私だけかなぁ、そんなこと思ったのは…)





これは是非、嶋さんに機会を作ってあげて、「佐太郎の限定の流れは形を変えて…」の

続きの部分を書いてもらいたいものだ。






佐太郎といえば、大島史洋さんの『アララギの人々』(角川学芸出版 平成24年8月刊)

で、やはり『帰潮』について論じている。

大島さんの副題は「発見を支えるもの」だった。

2016年3月 2日 (水)

山茱萸(さんしゅゆ)の花

可愛いらしい小花をつけた山茱萸の花が咲きはじめた。

黄色の花が早春の陽に映えて美しい。

春の花って、黄色が多いなぁと思う。




沈丁花の花の香りもする。

散歩していると、春の訪れを草木から感じる。

こぶしはまだ莟が固いようだ。





わがやの貝母(ばいも)も莟をつけている。

ホトトギスが新芽をあちこちに出していた。

Sさんに頂いたのが年を越し、新芽を出したのだ。




そういえば、10月に頂いたマドカズラはまだ花器のなかで緑の葉を保っている。

白い根が出てきて、地植えした方がいいのだが、もうちょっと暖かくなるのを

待つことにしょう。





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ファックスの受信は出来るのだが、発信が出来ない。

インクリボンも確かめたが、異常無し。

必要な時に、発信が出来ないのはほんとうに困る。

2台ある電話機の2台ともに使えないのだから、お手あげ。

コンビニから3枚ファックスを送る。1枚送るのに50円かかるとは知らなかった。







2016年3月 1日 (火)

三月の……

「三月の甘納豆のうふふふふ」

朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一)に取り上げられていた

稔典(ねんてん)さんの甘納豆の句である。

        略ーー甘納豆をほおばりながら、長かった冬の厳しさが終わり

        春はもうすぐそこ、と思うと、自然に顔がほころんでくる。それだけで

        いい、いや、それがいいーー略





なんだけど、それが、その、そういふわけにゆかないのが現実でもあつたりする。





        四月には死んだまねする甘納豆     『落花落日』「甘納豆 十二句」より

                                    坪内稔典

        五月来て困ってしまう甘納豆            同






わたしには、寧ろ「四月には……」や「五月来て……」の心境なの。

稔典さんの句をもぢつて「三月には死んだまねする甘納豆」とか

「三月来て困つてしまふ甘納豆」かな。





やつぱり、三月は〈試練の月〉だつたりもするわけで、わがやには受験子は

ゐないものの、なんだか、こころ落ち着かない。

       三月の机上散乱ゆめうつつ     miyoko


 

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