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2016年3月29日 (火)

歌集『あふれるひかり』 中村幸一  北冬舎

「熾」編集委員の著者の『しあわせな歌』に続く第四歌集。

「あとがき」に書かれていた下記のことばがことに印象的であった。

       ーー昨今は「エゴ」を外すのが目標になってきている。エゴとは作為、
       計算、論理、真面目である。





その目標のことなど思いつつ、、作品を紹介しよう。


       アッシジに行くことなけれ聖人の教えし鳥のいまはなければ

       はじめてのロンドン帰り秋の日に金子由香利を聞きたるPARCO

       ゆれうごく曲線つやめく青年の行く末あかるくほおづえをつく

       銀葉に香をのせればかおりくるかおりかそけくかおらぬがごとし

       僕たちの行き場はないが春雨はやさしく濡らす肩とうなじを

       井の頭  秋の日射して手をくぐりももに至れりわかもののもも

       肉欲というはかなしき張る肉をつつめる皮膚のひかりかがやく

       高橋ときけば高橋  渡辺ときけば渡辺浮かぶ四、五人

       水ひかる早苗みどりに吹かれいて風やわらかき夏は近づく

       樹の風に揉まるるみればあおによしケンブリッジの夏を想いぬ






挙げた歌でもわかるように、口語体の歌は殆どない。

五句三十一音の定型を遵守し、その調べや韻がゆかしい。

「作為、計算、論理、真面目」の反対語は、などと思いながら読了したが、やはり、

一首を作るにはそれなりの「計算」というか「技」もつかわれているように思う。


4首目の「か」音の重なりは、やはり、計算されたものだと思うのだが…

それにしても、5 ・6・ 7首などエロチックだ。

五十代前半の著者の豊かな感受性に注目した一集。

その上で「あとがき」の下記のことばが多少気になった。



     なお、漢字は、略字の生み出す視覚的なイメージに耐えられないとき、

     正字を用いている。また、原則的に新仮名遣いだが、字のもつ、音の

     ような違和感を覚えるときは、旧仮名を混ぜることがある。さらに、下

     二段活用と下一段活用なども混在しているが、このあたりは、不統一で

     よい、と私は不遜に考えているーーー略


まぁ、いろいろな手法があるから、なんとも言えない。

著者は確固たる信念のもとになさっているのだろう。

わたし個人としては、この『あふれるひかり』が旧仮名遣いだったら、

もっともっとことばが輝いたのではないか……

などと、思った。

 

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コメント

批評ありがとう存じます。

読んでいただけたようで、ありがとうございます。

勝手なことばかり書きまして、失礼をお許しください。

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