« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月

2016年4月28日 (木)

ブログ開設2周年

2014年4月28日から始めたこのブログが満2年経過した。



続くかなぁ〜と思ったけど、無理をせずにきたら満2年たってしまった。

読んだ本のこと、歌集のこと、好きな花のことやネコちゃんのことなど、

勝手気ままに綴っている。





このブログはいうならばツイッターの拡大版かもしれない。

わたしはスマホも持ってないし、ツイッターもフェイスブックもしていない。

そして、わたしの名前を出していないのは、同姓同名の人がいることを知ったからである。





珍しい苗字だと思っていたのだが、それでも同姓同名の人が3人はいる。




昔むかしまだ「未来」に入会する前、地元の結社に身を寄せていたことがあるが、

その時、福岡市内で姓も名も同じ人がいた。漢字も勿論同じで歌誌に掲載する時に

主宰が、福岡東区・福岡西区(当時の住所)と区別していた。あのかたはご健在かしら。





パソコンに馴染むようになって、高知にも同姓同名の人がいることを知った。

このかたはフェイスブックをなさっているようで、間違えてわたしだと思った昔の友人が

電話してきたことがある。顔写真が付いているのに間違えるなんて……と思ったが、

長いこと会っていないと顔も忘れるのだろうか。





3人目の同姓同名のかたは、豊前にいらっしゃるみたいで、このかたも短歌を

なさっている。いつだったか、「現代短歌新聞」の「歌壇ニュース」にお名前が載って

いた。(短歌大会で入賞したらしい) 近くにいる N さんに聞いてみたら、先方様も

間違えられたりするらしいとのこと。 (ごめんなさいね。)



わたし自身、いまさら名前をかえるわけにもいかない。

世の中には同姓同名の人はもっともっといるだろう。

顔だって、似たようなひとが3人はいるというし……

と、いうことで、明日から3年目に突入します。

みなさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。








cat     cat

今日は雨の中を北九州へ。

会場近くの並木のなんじゃもんじゃが満開だったので、歌会の始まる前に少し歩いた。

カメラにおさめ、S さんに送信。

2016年4月27日 (水)

鈴木香代子歌集『青衣の山神』 ながらみ書房

1990年「心の花」入会の著者の第一歌集。

栞文を時田則雄・小池光・栗木京子の三氏が執筆し、解説は谷岡亜紀氏が書いている。

Ⅰ・ⅡⅢ・Ⅳ章とあり、ⅡⅢ章には伊那谷の風土になじんだ暮らしがうたわれている。

Ⅳ章は学校現場からの歌。





一集読み通して思ったのは、Ⅰ章の母子抒情が淡く、従ってⅡⅢ章から後半のⅣ章の

歌により一層迫力があったことだ。







        婚なさぬ悲しみあれば婚結ぶ悲しみありて秋桜ゆれる

        気がつけば行く道来た道寂しくて夕焼けのなか少し泣きたい

        ペンダントに海ひとしずく閉じ込めて息子今まだわたしの子ども

        揺れまいと強情なればちかちかとカランコエの黄がまたたきかえす

        葵の上をとり殺す激情いまならばわかる気がする中年前期

        清明な九月来たらず生ぬるき口移しの水のごとき溺愛

        遊園地に待機の時は終わりたりもうすぐ夢の時間も終わる

        母性にも体力が要る夕暮れの母はぐらく゜ら疲れておりぬ

        「何故ここにこの子がいるか」眼前に問うはかなさの圧倒的風力

        奔りだす心つなぎ留めんと抱えればいのちごうごうと滝の音する






Ⅰ章の浄化された歌から、

4首目の「強情」、5首目の「激情」と感情の強いことばが出ることによって、

かえって生ま身の著者が感じられたりした。




7首目以下はⅣ章の教育現場からの歌。

8首目の「母性にも体力がいる」の認識は借り物ではなく、それこそからだで

感じとったことだろう。

そして、9首目の「圧倒的風力」に対して、ただただ無力なのだろう、か。

現代の教育現場のやりきれなさが伝わってくる。

10首目の歌は、せつない。「ごうごうと滝の音する」、いのちを抱きしめてやることしか

手だてがないのだ。


         青衣また雪衣まとえる山神(やまつみ)に花かかげつつ人は舞うなり

                                2016年4月23日刊   2600円税別

2016年4月26日 (火)

角川「短歌」 2016年5月号

特集「短歌と感覚」の対談にシンガーソングライターの友部正人さんが登場していた。

予告を見た時から期待していたのだが、わたしよりも連れ合いの方がより期待は

大きかったみたいだ。

昨夜は、10時半に帰宅したのだが、夕刊を読む前に卓上に置いてあった「短歌」を

手に取り読み始めた。




             「どうだった?」と聞くと

             「おじさんになったなぁ」と言う





おじさんになった自分のことは見えないみたいだ。

連れ合いの青春は、友部正人さんで彩られている。







             『おっとせいは中央線に乗って』(思潮社 1977年)

             『ちんちくりん』(詩の世界社 1978年)

             『名前のない商店街』(思潮社 1980年)

             『生活が好きになった』(晶文社 1986年)

             『空から神話の降る夜は』(思潮社 1986年)



彼の書棚には、まだまだ友部さんの本が……『パリの友だち』・『The Man In Me』

(ぼくのなかのディラン)・『ぼくの星の声』・『ジュークボックスに住む詩人』・

『耳をすます旅人』……

そしてCDを入れてある引きだしは、禁域(笑)なのでわたしは開けることはしない。


                   一本道


              ふとうしろをふり返ると

              そこには夕焼けがありました

              ほんとうに何年ぶりのこと

              あれからどのくらいたったのか

              あれからどのくらいたったのか

                           『おっとせいは中央線に乗って』 友部正人








友部さんは、じょうずに年齢を重ねていってると、わたしは思う。

青春を未だ引き摺ったままの、おじさんになりきれない男も居る。


              所在なく友部正人を聴いただらうリビングに散らばるCDその他

                                 未完歌集  miyoko

 

2016年4月23日 (土)

「季刊午前」 第53号 2016年3月

特別企画として[丸山豊 生誕百年] が30ページに及び組まれている。

詩人・丸山豊(1915~1989年)は、1989年8月、渡欧途中のアンカレジ上空の

機中で客死、74歳であった。





福岡県久留米市にあって詩誌「母音」を創刊したのは1947年である。

この「母音」からは、多くの有力詩人を輩出した。安西均・谷川雁・森崎和枝・松永伍一・

川崎洋・一丸章 等。






このたびの特別企画では、著書目録は勿論だが、2015年11月29日に久留米市立

図書館で丸山豊の生誕百年を記念して行われたイベント「詩人丸山豊の百年を読む・

知る・語る」の吉貝甚蔵氏の講演録が掲載されている。



           略ーー丸山豊にとって、帰宅すべき場所は、「日常」だったのでは

           ないかと考えてしまいます。彼は「日常」を大切にするのだけれども、

           当然、詩の中で彼は「非日常」を強く意識しています。

                                  吉貝甚蔵 講演録


「帰宅すべき時刻に」について語られた吉貝氏のことばは、丸山豊の詩の深部まで

降りてゆき、なかなかに思索的である。随筆集『月白の道』(創言社 1970年)の

「むすびの章」で丸山豊は下記のように記している。






          略ーー私は、随筆(記録文もふくめて)という形式も、今日までなるべく

          避けてきた。随筆がおちいりやすい日常性や回顧性をおそれて、

          私じしんが精神的に老いるまでは、随筆を遠慮しようと思っていた。

                                           丸山豊 『月白の道』より

           略ーー随筆の回顧性にしたくない。というのは何かというと、この死者の

           観点から考えるとはっきりしています。つまり死者を思い出にしたくない。

           死者というものは今そこにある現実、実存なのだと考えたときに、それを

           回顧性にしたくない。ということを直観的に、感覚的に感じているのです。

                                            吉貝甚蔵 講演録









この特別企画には他に、詩人であり陶芸家の山本源太氏が「夢の器~丸山豊さんとの

思い出~」を寄稿している。

源太氏は丸山豊によって陶芸家としての礎(いしずえ)を築いたともいえよう。

1968年、源太氏26歳の時に福岡県八女郡星野村に入山。「源太窯」を起こす。

丸山豊が逝去する10年前に「源太君、おれの骨壺をつくってくれんの」と口にされた

ことを綴っている。1969年の若かりし頃の写真が添えられていた。



山本源太さんといえば、もう20年も前に星野村の源太窯を訪ねたことがある。

ちょうど「四照花(やまぼうし)」の花の咲くころだった。

この花の咲くころになると、源太さんのことを思い出す。

このところの無沙汰を詫びるしかない。



           若葉あめ光る八女郡星野村しろきやまぼうしの花に逢ひけり

           雨あとの地(つち)やはらかくのぼり窯のめぐり白妙のやまぼうし咲く

                                                      miyoko

2016年4月22日 (金)

特定健診の結果報告書

数日前に受けた「特定健診」の結果報告書が届いた。

おそるおそる封を開けた。

「再健診の要あり」とでも記されていたら、いまごろブログなんて書いている

余裕はないのだが、あやうく、というか、だいたい予想通りの数値だった。





「総合所見」には、やはり「定期的にチェックして下さい」の2項目があった。

「血糖値上昇」と「LDLコレステロール高値」。

これは、生活習慣の改善を心掛けなければならない。





それにしても、「BMI」が21.5 とは、知らなかった。

わがやのヘルスメーターは狂っているのか。

もっと高い数値がいつも出ていたのだが……



午前中にPCに教室の資料を入力。

午後はその途中だったのが、もうすぐ終わるところで眠くなってしまい、

ウトウトしていたら、消えてなくなってしまった、

わたしにとっては、そちらの方がショック。

どこを探しても出てこない。

こんなことってあるの?

今日のわたしは「水の泡」?


2016年4月21日 (木)

『ベトナムに魅せられて』 日高敏夫  桜美林大学北東アジア総合研究所

いつのまにか机の上に置かれていた一冊。

旅に出る前にこれだけは読んでおくこと、の命令?のようである。

と、いうことで読みはじめたら、ナニナニこれって驚いた。







         略ーー私の高等学校以来の畏友であり、大酒飲みの千々和久幸君を

         私はいつも「オイ」と呼ぶが、ときに「先生」と呼ぶこともある。彼はこの

         エッセーの良き読者であり、物書きの真似事を始めた私に書くことの

         難しさと同時に楽しさを教えてくれた。ことに彼の詩人的感性は、私の

         中に眠っていた「詩の魂」を呼び覚ましてくれた。彼は詩人にして歌人、

         エッセイストとして多くの著書があり、現在は白秋系の歌誌「香蘭」の

         代表である。彼のおかげで、詩の好きなベトナム人が身近に感じられる

         ようになったことは間違いない。ーー略

                                   「はじめに」 より






歌人、千々和久幸氏のことが縷々と記されていた。

そういえば、千々和さんがどこかで、この本の著者のことを書いていたなぁ~と、

夜更けに探したら、あった、あったよ。




「短歌往来」の2016年4月号の連載エッセイ「酔風船」の<三日会わなかった友>に

記されていた。





         略ーー高校以来の畏友たる日高敏夫君が『ベトナムに魅せられて

         ー民族が織りなす文化と人間模様』(桜美林大学北東アジア総合研究所)

        を刊行した。これも「おっ」という思いである。彼は大学は京都で、もともと

        外交官志望だった。肝腎の試験日に運悪しく高熱を発して受験を一度で

        断念。あっさり方向転換し大手メーカーに入り、海外勤務で業績を上げた。

        後に独立してベトナムで会社を興し、海外ビジネスについての著書は何冊か

        ある。しかしこんな軟派(?)の本を出すとは思ってもみなかった。

                          一ページエッセイ「酔風船」 千々和久幸






千々和さんのこの一ページエッセイは4月号が最終回?だったのか。
(千々和さんの破天荒・型破り・自在?な、(笑) エッセイ好きだったな。)




と、いうことで千々和さんの仰る「こんな軟派(?)」(笑)な本を読みはじめた。

チャン・トー・ガー氏の写真と相俟って、ベトナムの素朴さ?が伝わってくる。

                       2015年11月刊   2000円+税  

2016年4月18日 (月)

歌集 『バスを待つ』 牛尾誠三  六花書林 

「短歌人」所属の第一歌集。

       

          ーー略 自分がどのような歌を作っているかということは、毎日を

          どのように生きているかということの反映であると、作った歌を読み

          返すたびに思い知ります。ーー略      「あとがき」より





「公務員とふ職業に四十年身体も心も軋み合ひをり」(注・現時点ではすでに定年退職)と

うたわれているように、心の軋みが多くうたわれており、自らを凝視める内省的な歌が

印象深かった。






         肩書きは小さきがよし無きがよし朝の散歩に切通し越ゆ

         働きて眼に見える「もの」増えてゆき眼に見えぬ「もの」失つてゆく

         人はみな等間隔に素粒子の配列のごと生きて在るらむ

         剥がしてもなお纏ひつく自意識を好い加減にせよと今日も叱りぬ

         底抜けに善き人てふは困るもの腹が立つやら悲しいやらで

         振り向けば傍らにもう誰もゐず坂道だけが続いてをりぬ

         十六年飼ひたる犬の死にゆくを金土日とただ見てをりぬ

         俺たちは何を相手に闘つて何を悲しみ涙ぐむのか

         このごろはお寺の前の掲示板に書いてあるやうな歌作りをり

         時々の年齢のまま穏やかに過ごせばいいのに何を抗ふ




いずれの歌も真っ正直な作者の思いであろう。

それだけに心に響く。誰も誰も何かを背負い、その何かを背負いきれずに、

逃げ出したり、折り合いをつけて生きているのだろう。

9首目の歌の「お寺の前の掲示板に書いてあるやうな歌」だって、

自身を鼓舞するためには必要とも思う。

        いろいろなことがあるけど起き上がり歌つくることで救はれてゐる

                               2016年4月21日発行  2400円+税

 

2016年4月14日 (木)

『神のパズル』 大口玲子  すいれん舎

巻頭の「神のパズル」100首の連作は、歌集『ひたかみ』(雁書館 2005年11月刊)に

収められたものであり、初出は、2004年12月刊行の雑誌「ガニメデ」に掲載されたもの。

この連作は、女川原子力発電所を見学したときのもので、当時原発から20キロ弱の

場所に住みながら、自分が被曝の当事者となる可能性についてはかなり楽観的だった

ことを「あとがき」で述べている。

        「原発」と「原爆」の違ひ書かれあるパネル見てをり案内を聞かず

        廃棄物処理して処理して処理してそののちのことわれは訊かざる






そして、2011年3月11日の東日本大震災、その後の原発事故。

その原発事故によって作者の生活は一変した。

それは作者一人のみならず、多くのふつうに暮らしていた人たちの暮らしを根底から

揺さぶるものであった。

集中に収められている講演記録(2015年11月28日)には、当時の作者の気持ちが

真摯に語られている。


        ーー略 「避難」と言ってしまうと、避難の必要を感じていない多くの人との

        軋轢を生むようで、どこか自粛するような雰囲気もあったように思います。

          私自身も「疎開」と言っていた時期もあるのですが、「疎開」というのは

        どうも戦争中に田舎に逃げるようなイメージで、それとも違うと思ったり

        しました。「疎開」とか「避難」よりも色のない言葉として、単に「移動」と言って

        いる人もいました。私は、去年から家族三人で宮崎に住んでいて住民票も

        移しましたので、今は「移住しました」と言っています。





住む地を選ぶ、そのことさえ、かようなまでに言葉に気遣いをしたのかと思う。

        いくたびも「影響なし」と聞く春の命に関わる嘘はいけない

        「福島の人は居ませんか(福島でなければニュースにならない)」と言はる

       福島で生きる母親に強さありその強さに国は凭れかかるな

                              『桜の木にのぼる人』(2015年刊)より。





ところで、

今朝(4月14日)の朝日新聞で知ったのだが、「第25回丸山豊記念現代詩賞」に

那覇在住の詩人、白井明大さんの第5詩集『生きようと生きるほうへ』(思潮社)が

受賞した。



白井さんは、東京電力福島第一原発事故を機に東京から母の故郷の沖縄へ家族で

移住。その受賞の言葉は次のようなものであった。(新聞の掲載による。佐々木亮 執筆)




      沖縄に避難した後、「被災地じゃないのになぜ東京から逃げたのか」と問われた

      経験から、「このような問いに直面しているのは自分だけではないだろうと想像

      しました。この問いに含まれる批判的な響きや、その問いに追いやられる側の

      逃げ場のなさは、今回の詩集で書きたかったものです」

 

 

2016年4月13日 (水)

八重桜 (関山・普賢象) の花

近くの地禄神社にある八重桜が満開になっていた。

雨が降りそうな曇り空の下で、ぼってりと花を重たげに付けていた。



そういえば、昨日もふれあい文化センターで八重桜を眺めることができた。





八重桜の個々の名前を教えてくれたのは市の植物ボランティア?の方々だった。

今から10年ほど前、市内の城南市民センターの講座の方々とセンターの近くの

公園で花見をした。そこには八重桜が何本かあり、ちょうど見ごろであった。

小高い丘の上にあるX邸の斜めになった崖には八重桜の木が数本あった。

ちょうど通りかかったボランティアの男のかたが「あの白い方が普賢象(ふげんどう)で

ピンクの方が関山(かんざん)ですよ。」と教えてくださった。


ああ、八重桜にもそれぞれ名前があるんだ、とその時思った。


     いにしへの奈良のみやこの八重桜けふ九重ににほひぬるかな   伊勢 大輔

     奈良七重七堂伽藍八重桜           芭蕉






久留米市の池町川の両岸には八重桜の並木がある。

この花の散るころが好き。

20日には出掛けるので、その時まで散らないでいてほしい。







cat    cat

葉ぼたんの花が散りはじめ、南京黄櫨が芽吹きはじめた。

去年、挿し木したあじさいも緑の葉っぱが大きくなりつつある。

ホトトギスも緑の葉が繁ってきた。




八朔か伊予柑か甘夏か、なんだかわからないのが育ち、これからがたのしみ。

種子を埋めていたのが芽吹いたものだ。







cat     cat     cat

三時のおやつにポップコーンを作ったら大変なことに。

深い鍋にコーンを入れて、植物油をひたるくらいに入れ、お塩を入れて

火加減しつつ待つ。



コーンがはじける音をびくびくしながら聞いて、待つこと数分。

あらら、鍋の蓋がもちあがるくらいに膨れてしまって大あわて。

大きな洋皿に2つもこんもりなるくらいに出来てしまった。

こういう時に、子どもがいないのは、さびしい。


子どもがいたらはしゃいで食べてくれたであろうに。

こんなに増えたポップコーンをどうするのだ、わたしは…


2016年4月12日 (火)

『チーズと塩と豆』 集英社文庫

4人の直木賞受賞作家、角田光代・井上荒野・森絵都・江國香織が、

ヨーロッパの国々を訪れて描いた愛と味覚のアンソロジー。




角田光代はスペイン。 「神さまの庭」

井上荒野はイタリア。「理由」

森絵都はフランス。「ブレノワール」

江國香織はポルトガル。「アレンテージョ」




角田の「神さまの庭」を読みはじめた時の印象は翻訳小説のような文体だった。

日本人が日本語で書いた小説ではなく、外国小説を日本語に翻訳したような味わいと

でも言おうか。

料理人の父に反発し故郷を出た「わたし」なのに、「あの日から逃げて逃げて、そうして

また、ここに辿り着いている。」

この「神さまの庭」のなかでいちばん好きな個所は下記の部分だ。




             略ーー解決を待つあいだに、不正を暴くあいだに、平和を

             訴えているあいだに、正義をふりかざしているあいだに、

             空腹で人は死ぬのだ。一年後、五年後、すべての未来は、

             今日という日を乗り越えなければ永遠にやってこないのだ。

             憂うなら、未来でなく今日、今なのだ。





「それで、あなた自身はちゃんとごはんを食べているの。」

「食べてるわよ。だいじょうぶ。」






cat   cat


今日は、教室を見学に来た男性の素朴な(真面目)な質問にあってたじろいだ。

(短歌の表記について、どうも違和感を抱いているようだ。)




歴史的仮名遣い(旧仮名)と現代仮名遣いのことについて。

①文語文法で詠んでいる短歌なのに、どうして現代仮名遣いで表記するのですか?

②口語体の歌なのに、どうして旧仮名遣いをするのでしょうか?

③一人の作者が文語や古語を使った時には旧仮名表記をし、口語体の歌の時には

 現代仮名遣いにするとかしたらいけないのでしょうか?(要するに、歌によって

 表記をかえたらいけないのか)




答えにならないような、答えをしてしまったが、あれで良かったのだろうか……






 

2016年4月10日 (日)

猫のいる?島へ(福岡県 姫島)

思いたって姫島へ行った。

博多駅から地下鉄で筑前前原まで(姪浜からは地上に出るが)乗車。

前原駅で下車してバスに乗り換え。岐志で下車。

岐志港から市営渡船の「ひめしま」に乗る。16分ほどで姫島へ。





今から30年ほど前に来たことがあるのだけど、周囲3キロくらいの小さな島である。

その時は野村望東尼の獄舎を取材するために来たのだが、今回の目標は「ネコ」。

とは言え、やはりあの獄舎を見ないことには、姫島に来た甲斐がない。

と、判断して島へ降り立ったらその足で望東尼が幽閉されていた獄舎へ。

途中、案内板などもあり、以前よりは整備されていた。

獄舎の前には望東尼の銅像が建っていた。




1865年11月14日より翌年の9月16日、救出されるまで望東尼は60歳・61歳(数え年)の

病む身で辛苦の日々を過ごしたのだ。その時の日記が獄中記『夢かぞえ』である。






前日に民宿に電話してお昼の食事を頼もうとしたのだが、

豊福屋さんはもう民宿はやめていた。

吉田屋さんはあるじが留守でダメだった。

しかたなく、急遽、博多駅で駅弁を買って持参。




さて、さて肝心のネコであるが、思いのほか居なかった。

それでも、10匹くらいに会うことができた。

「おいで、おいで」と言うとついて来る。

ついて来るのは、わたしが持参した魚肉ソーセージとチーズかまぼこがお目当て

なんだけど…

お昼をしようとベンチに座ると、3匹が足元に。





その中の白い猫はきちんと座って待っている。

もう一匹は「ニャォ~」と声を出して、催促する。

白・黒の猫は、やや遠くから遠慮しつつ見ている。




ネコちゃんたちと船が出る時間まであそんだ。

連れ合いは飲みながら横で本を読んでいた。

彼はアルコールと本さえあれば、ご機嫌なのだ。




かくして、日曜日は日曜日らしく過ごすことができた。

2016年4月 9日 (土)

『モンキートレインに乗って 72』 昭和十九年の会アンソロジー

45名の申年の同志たちのアンソロジー

1人30首+エッセイ。なんとも厚い(熱い)大冊が届いた。

「あとがき」で、大島史洋さんが下記のように記している。





          こんな小さな、ささやかな会のメンバーが長く会合を続け、

          五冊もアンソロジーを出すというのはちょっと珍しいのでは

          ないだろうか。



そう、ほんとうにここまで続くとは思わなかった。

第1集の参加者が17名だから、ご発展ではないですか。

第1集から参加している人は何名いるのだろうか。

それにしても小高賢さんが亡くなられたのは残念としかいいようがない。

賢い兄貴に笑われないように、弔うように、第5集を出すことが出来たのは何より。





巻末の「昭和十九年の会/活動記録」は、貴重。

やっぱり、継続することって大事なんだな。

3ヶ月ほど遅く生まれたら、わたしも「モンキートレイン」に乗れたのに……



エッセイのなかで、竹安隆代さんの「み~んな猫に教わった」が目に止まった。

スージー・ベッカーの『大事なことはみ~んな猫に教わった』からのエピソード。

竹安さんは〈猫の先生〉と呼ばれていたそうな。

おっとりした飼い猫「ニイニイ」に寄せる愛情が微笑ましい。

                   ながらみ書房刊 2016年4月22日  3000円+税


cat      cat

拙、ブログでは『大事なことはみ~んな猫に教わった』は、2014年6月29日にカキコミ。

ネコに教わった「過去にあんまりこだわらないこと」

そして、「愛情は態度で示せ」等々。





それから、「居場所は多彩に」(読書は乱読 笑)

と、いうことで、明日はどこへ行こうかしらん。

    

2016年4月 8日 (金)

『川の音』 松永智子歌集  本阿弥書店

広島在住の著者の第六歌集。

平成15年から26年までの407首を収めている。

作者の所属は「地中海叢書882番」と奥付にあるので、「地中海」のひとだろう。


         あの雲のしたまでゆくといふひとの影がめつぽふかがやいてゐる

         竹の秋空はれわたり風の絶え竹の林に竹の葉の散る

         ひるふかく竹林に風しづもれり竹は竹なるかたちにゆれあふ

         雁わたる空の高さやかまつかのふかるるままに夕闇のくる

         猫一匹にんげんひとり寒の夜の地窖の闇のほとりめぐれば

         あかときの空はれわたり何もなし何もなきまま半月かたぶく

         角ひとつ曲がればすでになにもなしふかき闇なり路地の空なり

         にんげんのうしろ昏れつつ出雲路は神有月なりすすきかがやく

         臥してみる夢のつづきに茫茫と冬の川ありとほくひとすぢ

         江(がう)の川(がは)水豊かなり山のかげ時にしあはく雲の浮くみゆ


この一集はいさぎよいまでにコトガラは抑えられている。

従って作者が何歳くらいの人か、家族は?といった詮索をするのがハシタナイ

ような気持ちになってくる。

作者の精神(心情)は、歌のなかに込められてはいるが、それも「湿潤」と

いったものではない。





2首目・3首目はモチーフが似通っているが、連作として詠まれたものではない。

2首目は30ページ、3首目は146ページに収められていた。作者の住む廻りに竹林が

あるのか、それとも、竹林が好きなのだろう。2首共に「風」が添え物として表現

されている。リフレインが心地いい。





6首目・7首目も似たような素材だが、「何もなし何もなきまま」や「なにもなし」の

フレーズに、作者の深層心理を想像したりもしたのだが、よけいなことを考えず、

そのまま味わった方がよさそうだ。






最後の歌は「江(がう)の川(がは)」に惹かれて挙げた歌。

余談だが、わたしの実父(養子)の里が島根県邑智郡なので、

江の川はなつかしい川でもある。

20歳の頃、この川で自殺?しょうと、汽車に乗ったことを今でも覚えている。

あの高~い、長~い 吊り橋の上から飛び込むつもりだったのだが…



あの時死んでいたら今のわたしはいない。

なんだか、『川の音』を紹介するのが逸れてしまった。

にんげんに疲れたかたは是非このにんげんがあまり出てこない

『川の音』を読まれてみてはいかがでしょうか。



                      平成28年3月30日  2700円+税

2016年4月 6日 (水)

『ニッポンの猫』 岩合光昭    新潮文庫

「ニッポンの猫は古い町によく似合います。」と動物写真家の著者はのたまう。

このところ「猫写真家」と言っても過言ではない岩合さんのネコシリーズの1冊。

文庫本なので持ち歩きに便利。

そして、電車のなかでぱらぱらと捲るのにちょうどいい。




久留米までの往還の車中でどの写真がいちばん好きか選んだ。

第1位は、坂の多い尾道で撮られた親子猫。

仲良く二匹が並んで歩いている。子猫の尻尾がピンと立っているのが愛らしい。


第2位は、琵琶湖・沖島で撮られた買い物車(4っ車の付いた手押し車)に乗って

いる猫たち。数えてみたら5匹もいた。顔だけはこちらを向けているのだが

ダンゴ状態なので、どんなになっているのだろう。




あとは、猫好きのみなさん、この文庫本をお手にとられてじっくり眺めてください。

癒されます。

                          定価 630円+税


cat      cat

ハナミズキが咲きはじめた。

今日は久留米の二番街のパティオのハナミズキを眺めて帰ってきた。

6本あるのだが、白・ピンク・赤(ベニバナハナミズキ)とにぎやか。

ハナミズキはわたしの誕生花でもあるのでことのほか愛着がある。





猫の写真を見て、ハナミズキを見て、ささくれていた心が

こころなしかほどけたような……気がしないでもない。

2016年4月 3日 (日)

「ザ・インタビュー 友川カズキ66歳の歌声」

歌手であり、画家であり、競輪評論家?でもある友川カズキがテレビで

編集者の石原正康(この人もなんだかスゴイ)のインタビューに応えていた。


BS朝日のテレビを観ていた連れ合い。

食い入るように画面を見ている。そして、わたしにも見るように催促する。





中原中也の「骨」の詩を読んだのが詩を書くきっかけになった?


           ホラホラ、

           これが僕の骨だ






そして、弟、覚(さとる)の突然の自死。弟は30歳だった。

寂しさ、辛さ、悲しさ、苦しさ。





歌は「魂の叫び」である。

言葉を断念すること、言葉は音と映像によって語らせる。






友川カズキの発することばは、生ま身の友川を直截に伝えてくれる。

たとえば「これからの目標は?」と問われても「目標はありません」と、素っ気ない。

「戦場のメリークリスマス」に出演依頼があった時も、

「その訛りなんとかなりませんか?」と言われてやめたこと。訛りを直すことは

生地を消すことだと。

友川の嫌いなこと。連帯感もいや。仲良しクラブは虫唾が走る。





声を絞り出すようにしてうたった「生きてるって言ってみろ」

久々に聴いたけど、胸が熱くなった。






エッセイ集『生きてるって言ってみろ』(展転社 昭和60年7月刊)の時点では、

友川かずきと名前が平仮名書きだった。その書に掲載されている写真は

青年である。


友川カズキは、自称「不治の病」の競輪にこれからも行く(賭ける)んだって。

いのちのあるかぎり…




そして、友川カズキは友川カズキで在り続ける。




cat     cat

今日は、11名で宗像市神湊(こうのみなと)へ。

いずこも桜は満開だった。

お目あての「御衣黄(ぎょいこう)」はまだ早かった。




海の見えるお部屋で会食。

渚辺ですこし遊んだ。水がとっても綺麗だった。



やっぱり、海はいい。


2016年4月 1日 (金)

満天星躑躅(どうだんつつじ)

壺形の小さな可愛い白い花が咲いていた。

ちょっと見には、スズランの花に似ている。

植木ばかりのあまり手入れをされていない S 病院の花壇で見た。

秋になるとこのどうだんつつじの葉は真っ赤に色づく。

いつもこの病院の前を通るのに、今年はじめて花に気づいた。

「満天星(どうだん)の花」とも呼ばれる。

       満天星の花地に落ちて地の星に     中嶋蘭女

4月になった。

4月になったけど、まだ3月を引きずっているような気分。


       四月には死んだまねする甘納豆     坪内稔典





など、言ってもコトは解決しない。

前に進むしかない。(しか、ないね)


« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »