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2016年5月

2016年5月31日 (火)

没後30年 鮎川信夫と「荒地」展  県立神奈川近代文学館

29日の日曜日、横浜に行った。

荷物は宅配便で送って、身軽になって、東京メトロ副都心線で、

元町・中華街へ。1時間弱で着いた。




五月晴れの日曜日とあって、港の見える丘公園はたくさんの人出。

色とりどりの花々がきれいで見飽きない。



アカンサスが咲いていた。立ち止まって眺めていたら、2人連れの女性から

「この花の名前はなんて言うんですか ? 」 と訊ねられた。

「アカンサスです。」と応えたあと、近藤先生(故・近藤芳美)のことを口走り

そうになるのを、辛うじて抑えた。


        アカンサスはきつねのまご科の多年生草本。地中海地域に

        野生する。古代ギリシア人はその草を愛し、その葉を模様化して

        彼らの神殿の柱頭を飾った。わたしの庭に毎年たくましい花茎を

        立て、薄むらさきの花を咲かせる幾株かは、二十幾年か前、

        今の家を建てる前に土屋文明先生から分けていただいた

        ものである。ーー略

                近藤芳美歌集『アカンサス月光』あとがき、より

文学館のなかは思ったよりも人は少なくて、ゆっくり観て巡ることが

出来た。

森川義信宛書簡の長文の細かい文字。

巻紙 5本に書かれた「戦中手記」(1945年2・3月)など、たいせつな資料が

数多く展示されていた。

「荒地」は、鮎川にとって現代社会の比喩であった。

詩誌「荒地」は、戦後の詩壇に大きな足跡を残した。




売店で『続続 鮎川信夫詩集』 を買った。留守番をしているひとのお土産。

ちなみに、この展示は、2016年5月28日より7月18日まで開催されている。








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          アカンサス咲く公園に立ち竦む希ひしやうに生きてゐるのか

                近刊歌集『秋光記(しうくわうき)』 miyoko

 

2016年5月30日 (月)

日本歌人クラブ各賞贈呈式

5月28日、明治神宮参集殿に於いて、以下の賞の贈呈式が行われた。





      第7回日本歌人クラブ大賞     春日真木子さん

      第43回日本歌人クラブ賞      島田幸典さん

      第22回日本歌人クラブ新人賞   千種創一さん

      第14回日本歌人クラブ評論賞   中根誠さん

大賞の春日真木子さんの挨拶はみごとであった。
(御年、90歳になられるとのこと。)

「歌の力」ということを仰られたが、何よりそのご本人がとても力のある

元気な張りのある声で語られ、会場の拍手が湧いた。





島田幸典さんは、石田比呂志さんが生きていたら…と語った。
(石田さんは、あの世で感極まって泣いているかも知れないな、と思った。)

島田さんは、自分の作風 ? を、「少数者」と表現されたが、それゆえに、

というか、歌人クラブ賞の度量の広さを改めて感じたとも語られた。





新人賞の千種さんは欠席で、代理のよしださん?が挨拶の言葉を代読した。
 (顔のちいさなかわいい男の子、だった(笑))





新人賞の選考経過の発表で、候補にあがったのは真野少さんの『unknown』

と、吉田隼人さんの『忘却のための詩論』だった。




真野さんのは、纏まっているのだが、既視感のある作品なども認められ、

50代という年齢も相俟って見送られたとのこと。
(候補にあがっただけでも、良いニュースだったのでは……)



吉田さんは、実感のある手触りが欠けているとの指摘もあった。





いずれにしても、新人賞は時分の花 ? 的要素もあるし、第一歌集で

逃したら、次はないか(笑)

(吉田さんは、現代歌人協会賞を受賞していて良かった。)





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28日の土曜日から上京し、久々の東京だったので「人酔い」してしまった。

人見知りなので、皆さんに挨拶もできず、ごめんなさい。

2016年5月25日 (水)

『地下茎』 鈴木良明歌集 短歌研究社

「歌林の会」所属の第二歌集。

表紙のカバー絵は、香月泰男「シベリア・シリーズ」の「青の太陽」を

使っている。



      

      この道はどこへ続くと人の訊く自(し)が行方さへ定めぬわれに

      夏されば帰つて来たか黄揚羽よパセリの森の上枝(ほつえ)揺らして

      散文の森や林を駆け抜けて泉のごとき韻文に遇ふ

      繰り返し知らなかつたを言ふだらう戦争責任問はれしやうに

      地球だつて身震ひしたきときはあり涙に潤むときもあるだらう

      新しきふたりの住まひ探すごと小平樹林墓地を見にゆく

      空あふぎ多摩川ながめて走りだす生きることしかやることがない

      外壁に空蝉のこし去りゆきぬこれだけの縁にすぎぬか吾子も

      静謐といふ隠れ箕原子炉は息を殺して滾ちをるらし

      担当医にまで日野原医師の本を薦め何考へてゐたんだか母は


                  

                                        (なお、8首目の「蝉」の旁(つくり)は口2つです。)

38年間勤めた公務員の職を退いたあとの、作者の精神生活をも含めた

日々がうたわれている。組織のなかにいた頃の自分から解放されて

在るがままを詠んでいる。「自由の実践」ということが「あとがき」に書かれて

いたが、それがほんとうは、まっとうな人間としての在りようだろう。






3首目の「韻文」は、作者の親炙する短歌そのもの。


4首目は、辛口の批評。「知らなかつた」とか、「わたしは聞いていなかった」

という言葉は責任回避。なぜ知ろうとしなかったのか。


6首目は、所謂「終活」みたいなことか。軽くうたわれているが、内実は重い。


7首目、「生きることしかやることがない」。って、それでいいんじゃないの、と

声を掛けたくなる。生きてるだけで儲けもの(笑)。




8首目の「吾子」に対する思い、10首目の「何考へてゐたんだか母は」の、

作者の距離のとりかたがいい。しかし、そのほどよい距離のとりかたも

時としてさびしいんだ。すてきな母親だったと思うし、母は母で精いっぱい

生きていたんだろう。








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昨日は教室から帰宅してパソコンのスイッチを入れたが、うんともすんとも

しない。何 ? どうしたの ?  と、あちこちいじるけど反応ナシ。



Windows10なんかにアップグレードされちまったから動かないんだと、

言いがかりをつけていて、ふと見たら電池のマークが小さく点っている。



あわててコンビニに電池を買いに走る。マウスとキーボードの裏側の電池を

交換したら動くようになった。

電池の交換が必要ということさえ知らなかった。
                           (わたしは、無知です。バカです。)

それにしても、あれだけ拒否していたWindows10のアップグレードは、

いつのまにやら行使されてしまっているし……

これって、なにかメリットあるの?



昨日のブログをあろうことか、「貼り付け」などしてみたら散々だった。

活字のポイントが思うようにいかず、大きくなったり小さくなったり。

やっぱり、素人(わたし)は、へんなこと考えず、まともにこのブログに直打ち

したほうがいいんだねぇ。

 

2016年5月24日 (火)

『だれかの木琴』 井上荒野  幻冬舎文庫

主人公、親海小夜子(およみ・さよこ)、夫は5歳年上の46歳。

13歳の娘がいる。

戸建ての家を買い、移り住んだばかり。

夫は警備会社の営業マンで、ごく一般的なサラリーマン家庭。






小夜子は初めて行った美容院で顧客名簿にメールアドレスを記す。

その日のうちに美容院の山田海斗(やまだ・かいと)からメールが届く。


メールを受け取ったことで、小夜子の心は海斗へ傾いてゆく。

そして、その心はいつか執着となり、ストーカー行為へと

エスカレートしてゆく。

 






「バカだなぁ〜」と思いつつ、小夜子のすさまじいまでの行動に、

「止めて ! 」「止めて ! 」と叫びたくなる。

どうして、小夜子はそんな行為をしてしまうのだろう。






ストーカー行為の原動力は何なのだろう?

恋人もいる海斗と知りながら、常軌を逸してゆく小夜子。

小夜子は何を求めているのだろう?

小夜子は日々の暮らしのなかで何が埋められないのだろうか。

 

井上荒野の、これでもか、これでもかという筆致にはたじたじとなる。

彼女はまさしく小説家。女のおろかしさをこれほど克明に描い


た小説は
知らない。





エピローグで家族のもとに心が戻る小夜子を期待したのだが…

『だれかの木琴』は、まだまだ小夜子のおぞましい前哨戦かも。





            解説 寺島しのぶ 580円+税







            

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昨夜、ベトナムの写真を整理していたら、「未来」のお店の看板が……

丸い看板に縦書きで「未来」(日本語)の文字が書かれている。

その下に「mirai」とあり、またその下に「sushi&sake」と書かれていた。



これって、経営者は日本人だよね。(まさか、結社「未来」にゆかりの人とか?)

そんなこと、あるわけないか。


時間に余裕がなくて立ち寄れなかったけど、「未来」のお店がハノイに

あったなんて……


 

 

 

 

2016年5月23日 (月)

『遠くの声に耳を澄ませて』 宮下奈都 新潮文庫

「旅」をめぐる12篇の優しい物語が収められている。

そのなかでもっとも惹かれたのは「どこにでも猫がいる」の章。




         私は二十歳だった。怖いものは何もなかった。初めて行ったヨーロッパを、

         お金の続く限り歩いてまわろうと思っていた。恋人とふたり、歩いて、

         歩いて、その間じゅうずっと笑っていて、たまに喧嘩もして、それでもいつも

         ぴったりとくっついていた。

                                      「どこにでも猫がいる」






その恋人は、日本へ帰ってくると生気を失くしていった。

「ずっと世界中を旅していたい」という彼とは別れてしまい、私(作中人物)は、知り合った

ばかりの人と結婚した。

一年後に子供が生まれ、その子が幼稚園に入る頃に離婚した。

かつての恋人がそうであったように、息子は「世界中を旅してみたいんだ」と、20歳を

祝うささやかな席で宣言した。






        旅をしてみたいと出て行った息子が旅をどんなものだと考えているのか、

        私は知らない。わからない。知らない。そんなことばかりだ。わずかに

        知ることができるのは、旅先から息子が寄越す一枚の葉書に書かれて

        いることだけだ。ここにも猫がいます、と息子は書いていた。

 

        




宮下奈都の文章は、ふぁっとやわらかく、繊細である。

読んでいて、感情移入をしてしまいたくなるのは、なぜだろうか。

読みながら涙がこぼれてしまう。

こうして書き写していると、また、涙がこぼれてしまう。



         ここにいようと思う。私はただ、ここにいよう。ーーー略

         息子が帰ってきたときに迎え入れられるように、ここでいつものように

         暮らそう。暮らしながら、こっそり待とう。息子が帰る日を、

         そして私がいつか旅に出るかも知れない日を。





          

                            解説 豊崎由美  490円+税



         

2016年5月22日 (日)

ベトナムへ (5)

ベトナムの観光の移動はバス。

車窓より眺める景色は日本の農村風景に似ている。

今は緑の田んぼが広がる。稲は二毛作で6月には収穫するそうだ。

雨季の2・3月には雨が降り続くが、5月ともなれば乾季で雨はスコールとなり、

どっと降り、すぐに止む。

でも、カミナリが落ちたりするので、あちこちに避雷針が立っている。






田んぼでない草原の場所に3メートル大くらいの水溜まり(池)が、点在している。

あの水溜まりみたいなのは、爆撃の跡ということだった。

ベトナム戦争で、北ベトナムは大規模な爆撃(255万トン)によって破壊された。

所謂、「北爆」であるが、その痕跡はいたるところに今も在る。


ベトナムに続いた戦争によって推定500万人の人が亡くなった、ということを聞くと、

胸が痛む。




オバマ米大統領が今日(22日)あたり、ベトナムを訪問しているのではないだろうか。

予定では22〜25日と報道されていたが……

南シナ海の領有権を巡って中国と対立しているベトナム。

それらのことも議論されるようである。





南シナ海といえば、泊まったホテルの目の前は、その海が広がっていた。

2000以上ある奇岩が海に並び、写真を撮るには格好の素材であった。

朝日に輝く海、そして奇岩。

風の収まったのちの、ハロン湾サンセットクルーズも満喫した。

わたしたちの乗船した船は貸し切りだったが、同じ会社の船が500隻もあるそうだ。

それだけ、ハロン湾サンセットクルーズは、ベトナム旅行の目玉でもありそうだ。







*  *  *

ひょんなことから、旅の終りにラオスの青年と知り合った。

と、言っても、東京に帰る3人の女性たちから、連れ合いが託されたのだ。

その女性たちもラオスからベトナムまでの飛行機の中で青年と知り合ったらしいが……

わたしは英語もベトナム語もラオス語?も出来ないし、遠巻きに眺めていたら、

片言の英語と筆談で連れ合いはその青年と話している。




要約すると、その青年は3年の契約?で、日本の福岡の糸島の料理店に働きに

行くのだそうだ。はじめての日本なので、福岡までご一緒させてください、と。




福岡空港に着いたら、そのお店の人が青年を迎えに来ている筈だったのに、

来ていない。さぁ、どうする? ということで、青年はケイタイも持っていないし、

わたしのケイタイからお店に電話する、しかし、誰も出ない。





荷物の送り状を青年が引っ張り出したら、そこにはケイタイの番号が書かれていた。

ようやくなんとか繋がった。

「車が渋滞していて、迎えが遅れていま〜す」と、女性の声がした。





                                  「ベトナムへ」、終わり

2016年5月21日 (土)

ベトナムへ (4)

ベトナムの伝統芸能でもある水上人形劇に行った。

ツアーではオプションとなっており、申し込みはしていなかったのだが、やはり、

観ておこう、ということで急遽申し込む。一人25USドル。





わたしはハノイの空港でベトナムドンに両替していたので、2名分の

100000ドンを11枚支払った。

ベトナムのドンは単位が大きくて面喰らうが、海(ハイ)さんが教えてくれたのは

日本円に換算する時は00を2つ取って2で割るといいよ、とのことだった。

その計算でいくと、2人で5500円ということになる。

水上人形劇が高いのか安いのかわからないが、観ておく価値はありそうだ。


ちなみに、レストランでの飲み物は場所によっても多少違うが、

ビール70000ドン、ウオーター70000ドン と、ビールも水も同じ値段(約350円)である。

可笑しいのは、ホットウオーターは無料なことである。そばに座っていた男性が

水道の水をただ温めただけだから無料なんじゃあないの、と言うことだったが…

海外に出て思うのは生水は飲めないことだ。従ってツアー(?)では、毎日1本ずつの

水が支給される。

水上人形劇を観る前に近くのお店で缶ビールとジュースを買ったが、40000ドンだった。

「え、2本で200円なの?」と驚いた。街のお店で買うと安いということを知った。

しかし、それからすると、民芸品店で買ったベトナムコーヒーの100グラム入り、

290000ドン(1450円) は高い。試飲したら確かに美味しかったけど……







さて、さて、肝心の水上人形劇は、水の上で踊る(?) 人形なのだが、その動きが

半端ではない。どうやって人が操っているのかと思う。まさか水の中で息を止めて

動かしているんじゃないの ? ということはないだろうし。

音楽の演奏がナマ演奏というのがいい。左手上段に10名ばかりの人が座って、演奏し

唄っている。


最後に人形を操っていた人が7名挨拶したが、着ているものは濡れていなかった(笑)

水面の奥の簾の影に隠れて、竿で人形を操るそうだ。人形の操者は腰まで水に浸かって

竿で演技をするらしい。(腰から下は濡れないようにビニールで覆う。)


1日に何回上演するのか知らないが、終わった時には次のお客さんたちが並んでいた。

お客さんも満員だったし、ベトナムの観光には欠かせない水上人形劇なのだろう。

                                            つづく

 

 

 

2016年5月20日 (金)

ベトナムへ (3)

仏教徒が8割のベトナム。

バイト山の麓にある龍天寺を訪れた。

崖の下の金ピカなお寺である。

商売繁盛や安産祈願のお寺としてもお参りにくる人が多いみたいだ。

お寺の境内(?) に茣蓙を敷いて、20人ばかりの一族らしいひとたちがお祈りしている。

珍しいので、そばのベンチに座ってしばらく眺める。


お供えものが三宝のような台の上に籠で、果物や菓子などが盛られている。

それが1つや2つでなく、たくさん。

あれを持ってきたのかと、その信心深さに溜息。






ようやく儀式が終わって、20人ばかりの親や子どもや家族連れに笑みがこぼれる。

すると、その果物の入った籠を下げて、その中のひとりがわたしたちの前に来た。






              「 え、何なの?」

              「どうぞ、いただいてください(ベトナム語だったけど)」

      「カム・オン(ありがとう)」と言って、マンゴーを一つ頂いた。

      連れ合いもマンゴーを貰った。一房の葡萄を頂いたひともいる。

      そばで、彼女が「わたし、マンゴーがほしい」という顔をしていたら、彼女にも

      マンゴーを手渡した。


こうして、縁もない人たちにも、お裾わけをして祈願を成就させるのだろうか?

(マンゴーはホテルの冷蔵庫で冷やして勿論頂きましたよ。完熟ではなかったけど……)




別の日にはハノイ大教会にも行った。

ちょうどミサの始まる前で、鐘楼のひびきが心地良かった。

朝と夕刻にミサがあるらしいが、旅人でも気軽に入れるのがいい。

ベトナムの宗教の主流は仏教だけど、教会も点在する。

そして、ベトナム人の日本に対する親近感が伝わってくる旅だった。



                                                                                 つつ゜く

 

 

2016年5月19日 (木)

ベトナムへ (2)

ハロン市場へ行った。

魚介類売場は足を踏み入れると、もうすでにそこは魚や貝の匂いがつよい。

台に載せて売っているのではなく、地面にバケツやたらいのような大きな器に

盛られている。

売っているのは女の人が多く、売場といっても一区画に2・3人の

売り子(おばさん)がおり、小さな椅子に座ってお喋りしたり、甘エビの殻を剥いていたり、

と、個人営業みたいな感じである。それでもそんなグループ(?)が、50を下らないだろう。


大きな魚を捌いている人もいる。売られてるのは、つぶ貝・赤貝・ロブスターなど、など。

名前の知らない小さな貝の山、見ているだけでベトナムの人たちの食欲を感じてしまった。

博多の柳橋市場のような活気はなく、むしろ、買う人は買って行きな、みたいな商売だ。







ベトナムの電気は、石炭が50パーセント。水力が50パーセントで節電がふつうみたいだ。

道理で 市場の中もうす暗いのか(?)

電気を原発に頼るより、うす暗いのがふつうと思えばさして不自由でもない。


果物はさすがに棚台の上に美しく並べられていた。

ドラゴンフルーツ、マンゴー、ドリアン、チョムチョムなど見ているだけでたのしい。

ヤマモモが籠にどっさり売られていた。あのヤマモモは焼酎漬けにすると、とても

綺麗な赤い色になって美味しいのだが、日本へは生まのまま持ち帰ることができない。


ベトナムの人たちを見ていると、すごいエネルギーを感じる。

男性よりも女性にそれを感じるのは、なぜだろう。

そういえば、海(ハイ)さんが言っていたけど、女性も働いているのだって。

朝夕の通勤時間のバイクの多さ。

道路の地面が見えないくらいのバイクの群れだ。

信号機など殆どないし、向こうの道に横断することが出来ない。

ためらっていると、よけいに渡ることが出来ない。

海さん曰く、「ゆっくり渡ること、走ってはダメ」と。渡っているよ、とバイク群に大袈裟に

意思表示してゆっくり渡るのがコツなんだって。

道路ひとつ渡るのに命がけとは……

それでも、日本より交通事故は少ないのではないかしらん。


    今回の旅では、文庫本を3冊持参したが、3冊とも読んでしまった。

    行きの飛行機の中で1冊を読み、

    ハロン湾サンセットクルーズが強風で1日延びてしまったため3時間のホテルでの

    休憩に1冊。そして、帰りにと。

ホテルは連泊で、部屋は11階のオーシャンビューなのが何よりうれしい旅だった。




                                         つづく……


2016年5月18日 (水)

ベトナムへ (1)

空路降り立ったハノイ。

湿度80パーセント、温度30度。

暑い、むし暑い。

日本との時差は-2時間。

入国手続きを終えて、バスで世界遺産でもあるハロン湾へ移動。

ハノイからは車で3時間余り。






車窓には大きな樹木に、真っ赤な鮮烈な花が咲いているのが目に飛び込む。

まさか、まさか、あれは「火焔樹の花 ! 」

予備知識がなかっただけに、思いがけないところでこの花に出逢って驚く。

そして、うれしくて、胸がふるえた。






火焔樹の花はわたしにとってまぼろしの花だった。

死ぬまでになんとしてでもこの花を見たかった。

その努力をしたわけでもないが、このたびの旅では、最初の日から帰るその日まで

火焔樹の花は視野のなかにいつもあった。




短歌結社「未来」に入会したのは30代になってからだが、その前は地元の

結社に身を寄せていた。そこで私淑していたのが鶴逸喜(つる・いつき)さんだった。

鶴さんは昭和52年6月、49歳で亡くなった。生きていたら岡井隆さんと同歳である。

その鶴さんの遺歌集のタイトルが『火焔樹』である。







           熱募りくる午後にしてまどろめばまぼろしの中揺らぐ火焔樹

                          『火焔樹』(葦書房 昭和52年12月25日)






昭和35年、第6回角川短歌賞候補になり、「火焔樹」50首が『短歌』に掲載された。

その時のタイトルをそのまま遺歌集として編んだのだ。

あまりにもあっけない死だったので、鶴さんは火焔樹の花を見たことがあったのか、

どうかさえも知らない。






           ボタン一つ押せば滅ぶる世界とも籠り病む日のラジオは伝う

           血を吐いて今日は厠に一人死ぬわれはいかなる死に方をせむ

           盛りあがり峡の若葉は日日鮮(あたら)しなべてを耐えて生き来ぬ、戦後

           せめてわが死後は自在に飛翔(はばた)かんねがいもつとき恋う樹上葬

                          鶴逸喜遺歌集『火焔樹』より


鶴さんが亡くなって、はや40年の歳月が……

鶴さんのうたった「まぼろしの中揺らぐ火焔樹」を、わたしはベトナムの旅で

何度も何度も仰いだ。

そして、何度も何度も、写真に収めた。

2016年5月11日 (水)

芍薬(シャクヤク)の花

芍薬と牡丹の花はよく似ている。

似ているけど違う。芍薬は草で牡丹は木。

そういえば北原白秋に『牡丹の木(ぼく)』という歌集がある。

芍薬はボタン科ボタン属の多年生草本。古名は「えびす草」。

昨日、S・M さんから芍薬の花を頂いた。 ピンクの八重咲き。

「おかあさんにお供えしてね」と言われたのがうれしかった。

帰宅してさっそく水切りをしてお供えしたが、花もうれしそうな気がする。










           芍薬をぶつきらぼうに掲げて来し     長谷川 櫂

           芍薬のゆさゆさと夜が生きてをり     鍵和田秞子



 

 



今朝は雨。

今も小雨が降っている。

昨年、種子をとっておいたゆうがおが一つ芽生えた。

7・8個蒔いたので、これからもっと芽生えてくれるだろう。

朝顔はたくさん芽が出ている。

鉢に挿し木 ?  していたマドカズラ。どうやら根付いたようだ。

新しい葉を広げている。



先日、園芸店で売られていたマドカズラの鉢を前にして買おうかどうか

ためらったが、結局買わなかった。

買わなくて正解(笑)だった。



わがやのマドカズラはそんなわたしのために根付いてくれたのかも知れない。

新しい葉っぱに期待している。

2016年5月10日 (火)

映画「64 ロクヨン」

横山秀夫の警察小説の映画化。

映画は前編と後編の二部作になっており、今回は前編のみ。




昭和64年は、天皇の崩御があり7日間しかなかった。

その7日間に起こった少女誘拐殺人事件を「ロクヨン」と通称で呼ぶ。




県警広報室の三上(佐藤浩市)は、事件のあった当時、捜査の一員であった。

あれから14年、時効まであと1年に迫った。

佐藤浩市の演じる広報官と県警記者クラブの対立が見所の映画ともなっている。





記者クラブの秋川を演じる瑛太の憎らしいまでの演技が光る。

そして、三上の右腕でもある広報室の綾野剛。

綾野は映画「天空の蜂」で犯人役を演じていたが、今回は奮闘する三上を

支える正義の味方のような役どころ。




そして、広報室の榮倉奈々。

男性が活躍できる広報室にあって、自分も何かしたいという切羽詰まった

思いに共感できる。三上の女性だからという配慮がせつないのだ。





三上の妻が夏川結衣。この夏川は「家族はつらいよ」で長男の嫁役だった。

このところ、夏川は映画づいている。そして助演としても素晴らしい。





小田和正のテーマ曲「風は止んだ」がエンディングで流れるが、この曲がとてもいい。

前編を観た人はきっと後編を観たくなる映画だ。

後編は、6月封切りか ?





それにしても、佐藤浩市は「すてき」だ。

このひとの出る映画だったら、欠かさず観たくなる。



2016年5月 7日 (土)

『幾千の夜、昨日の月』 角田光代  角川文庫

「かつて私に夜はなかった」をはじめとして、24篇のエッセイが収められている。



二十代のときのバックパッカーだった異国の旅の<夜>のこと。

熊本の産山(うぶやま)村で思い知った<夜>のこと。

父や母を看取った病院での<夜>のこと。




角田光代の書く<夜>は、なまなまと息づいている。

そして、その<夜>の記憶の積み重ねが、現在の、今の、角田光代を

形成しているのだろう。






        どこにでも、二十四時間営業のコンビニエンスストアがあると思っている。

        そんなはずはないと頭でわかっているのに、わからなくなる。ーー略

        ーー略はじめてひとり暮らしをしたアパートのそばにはコンビニエンスストアが

        あり、おそらくここから私の堕落ははじまるのである。

                             「世界のどこも、うちの近所ではない」



        ひとりで駅に向かって歩き、ホームで夜が朝に変わる瞬間をじっと眺めて

        いたときのことを、ときどき私は思い出す。失恋決定直後の、どちらかと

        いえば最悪の日だったはずなのだけれど、あの光景を思い出すとちょっと

        たのもしい気持ちになる。「よっしゃ私はまだまだだいじょうぶ」と、何が

        だいじょうぶなんだかわからないながらも思うのである。そう思いたいが

        ために、あの日の光景を思い出すことも、ときおりある。

                                              「夜と恋」






        朝や昼には決してない孤独な落とし穴が、夜にはそこここに仕掛けて

        あるのだ。孤独を感じるだけなら、まだいい。孤独でもなんでも、味わえる

        ときにはきちんと味わっておいたほうがいいと私は思う。

                                            「孤独と電話」








24篇のエッセイのなかで、わたしがいちばん角田光代の角田光代らしい、

清潔さ、真摯さを、感じたのは、「祈る男」の章。

抄出しないので是非お読みになってほしい。







「今日ごはんをおいしく食べたように明日も食べられますように。

今日と同じく明日も何ごともなく終わりますように。」




                             解説 西加奈子   400円+税


                             

 

2016年5月 6日 (金)

ベニバナトチノキ(紅花栃の木)の花

ひどい降りになるのかと思ったけど、どしゃ降りにはならなかった。


JR千早駅より歩く。千早4丁目の交差点あたりの並木の3本のベニバナトチノキの

花が満開だった。ああ、今年も会うことができたんだなと、うれしい。



千早中公園の6本のベニバナトチノキの花はまだ4・5分咲き。

マロニエとアカバナトチノキを交配して作られたらしいこの花はこの頃、

街の並木としても植えられている。




西鉄電車の香椎宮前駅が右手に見えだしたら、その広場にはなんと10本くらいの

ベニバナトチノキが……

まだこの花を見たことがないかたは、いまが見頃ですよ〜




S さんよりメールが入る。

今日も熊本地震のボランティアで教室はお休みとのこと。

彼女はあの地震以来、実家が熊本ということもあってか、ボランティアに精出して

いる。「あまり無理しないでね。」と返信。

ほんとうに感心する。




この連休にわたしは眼が充血してしまった。

眼科に行ったら先生は「PM 2、5で゜しょ」と素っ気ない。

「先生、右目だけなんですが……」と言ったら、そんなひとが多いとか。

わたしって、そんなに「ひ弱」だったかなぁ〜と思う。

結局点眼液を2本いただき、これをしばらく注すことにする。




外出の際はサングラスをかけなければ……ならない。

2016年5月 5日 (木)

歌集『それぞれの桜』 三枝 昻之  現代短歌社

『上弦下弦』に続く、第12歌集。

一部と二部による構成で、一部は「現代短歌」に2013年9月より8回連載したものを

収め、二部には「りとむ」掲載作品を取捨選択して収めている。



       創刊号は四十二ページ「白樺」の百六十冊が窓辺に並ぶ

       高原の午後の光が届きたり白樺一樹一樹の幹に

       桜もち食めば幼きわれとなる無常をいまだ知らない春の

       おのこごが傘を抱えてわれを待つ二十五年前の新百合ヶ丘駅

       子が生まれやがて子が去りこの丘に積もる歳月三十二年

       神の来ぬ暮らしを生きて夕べにはえのころぐさの光に揺れる

       瞑想の百日紅(ひゃくじつこう)に戻りたりこうしてわれは歳月を積む

       キャンパスは銀杏若葉となりにけり季節は力、齢は力

       秋分や会いにゆきたき父母あれど浮き世の今日のため明日のため

       病弱の四男はこうして歌を詠み古稀へ三年の日々であります








1首目・2首目は、清春芸術村を訪ねた折りのもので、1首目は、清春白樺美術館

の窓辺だろう。「<白樺は一言一句贅文なし>青けれどよし大正の夢」とも詠まれて

いる。著者は山梨県立文学館の館長として、月に五回は文学館通いをするらしい。

文学館から足を伸ばせばそこには高原の白樺林が待っている。




このたびの『それぞれの桜』を読みながら、先ず感じたのは、<静謐>ということであった。

作品がざわざわしていない。1日1日をゆっくり味わい、いとしむように日々を過ごされて

いることが伝わってくることだ。




ことに4首目・5首目のような歌を読むと、今在ることの幸い即ちそれは日々の

積み重ねであることをつよくする。幼かった息子が傘を抱えて駅に迎えに来てくれた

こと、新百合ヶ丘に越して来て32年の歳月が積もったのだ。




8首目の「季節は力、齢は力」に、現実を肯定し、享受している姿勢を感じる。

きっと、老いてゆくことさえも、著者にとっては実りなのかも知れない。





9首目・10首目は、父母の墓参に行けない繁忙さが窺われる。

しかし「病弱の四男」だったのが、「こうして歌を詠み」生きていることは、

父母もだが、著者が何より幸せを確信していることだろう。


いずれの歌も難解なことば遣いや、奇を衒ったような表現は見当たらない。

作品1首1首の背後に著者の姿が、生きる姿勢が伝わってくるのが心地いい。

<誠実>な作品作りだなぁ、と思ったことである。

最後にわたしのもっとも好きな1首を。



       この丘と決めて二人は移り来ぬさねさしさがみと武蔵の境




                                平成28年4月刊   2500円(税込)

 

 

 

2016年5月 2日 (月)

歌集『華厳集』 櫟原 聰  砂子屋書房

『古事記』・『碧玉記』に続く第7歌集で、2012年から2015年にかけての作品を

収めている。

東大寺に関係する学園に職を得、40年を閲することとなった著者は「その間、半ばは

東大寺の境内に過ごし、心は常に華厳の教えとともにあった。」とあとがきに記す。




櫟原さんといえば、2014年4月に出された『古歌の宇宙』が思い出される。

その後記には「哲学することが大切だ。」と冒頭に記していた。

このたびの歌集では、「重々無尽に繋がる、生きとし生けるものの関連に、改めて気づか

される日々である。」とも記されている。

        重重無尽事事無碍(むげ)法界なべて繋がるわれらと言へり華厳経はも

        雑華厳浄(ざつけごんじやう)華厳世界は泥沼のこの世の人を載せてただよふ

        微細世界即大世界一粒の砂流に宇宙見るとふ華厳

        重重無尽事事無碍(むげ)法界さもあれと華厳世界に花奉る



歌集題にちなんだ歌をあげてみたが、いかがであろうか。

「重重無尽」とは万物すべてのつながりを意味するものらしく、著者の関心の

ありようが伝わってくる。

わたしは、個人的には以下のような「やわらかい ? 」 歌に心惹かれた。








       足萎えの転倒菩薩母にしていまもさかんにもの言ひたまふ

       夜明けには雲が山まで下りてきて仙人のごとく湯浴みすわれは

       予備校の屋根にかかりし冬の月自転車の子が三人帰る

       夕されば山のけものの通ふ道落葉が風に乾く音たつ

       苦しみて生くるにあらね楽しみて生くるならねばほととぎす聴く

       蟻出でよ蜘蛛も飛び出せ春の日のおしやべり止まぬ原に佇む


1首目の母親を菩薩にたとえた歌、「転倒菩薩母にして」が実にいい。そしてその母は

転んだりするものの口は達者な(笑)ようだ。母を介護してその悲惨さをうたうのでは

なく、ありきたりの表現に収まっていないのが見所。

2首目は著者の師である前登志夫氏を彷彿とさせるような歌で、味わい深い。

朝湯とはなんとも長閑である。

3首目は、いわゆる嘱目詠なのだが、予備校帰りの子どもたちを見ている

著者のいつくしむような眼差しを感じさせる歌。(宗教的な哲学的な歌より、

わたしはこういった歌が好き。)

最後の6首目の歌はリズミカルで、著者が自然の生きとし生けるものたちと同心となり、

童心に戻ったような愉しさ、安らかさを感じさせる。一茶や良寛の心境に近いような……

                           2016年5月8日発行    3000円+税

 

 

 

2016年5月 1日 (日)

「黒木大藤まつり」へ

八女市黒木町黒木の大藤を見に行った。

素戔嗚(すさのお)神社にある樹齢600年ともいわれている藤である。

国指定天然記念物であり、日本七大藤のひとつで、この大藤を含めた藤棚の

面積が3000平方メートルに及ぶらしい。

2・3度訪れたことはあるのだが、義父の七回忌の法要を終え、出掛けてみた。

お天気も良かったし、連休ということもありスゴイ人出。

肝心の大藤はもう終りに近かった。それでも場所によっては花が美しく、あたりに

花の香りがただよう。





近くの後藤酒造場と旭松酒造さんの蔵開きがあり、さっそく覗く。

「黒木大藤」の銘のついた芋焼酎があったので連れ合いは1本購入。




物産展会場にはテーブルが並び、家族連れなどが、露店で買った焼き鳥や

たこ焼きなどを食べている。そこで、やおら先ほど買った「黒木大藤」の封を

あけたのは連れ合いだ。もう、止められない。


そんなこんなで、帰りは西鉄バスの高速ノンストップ天神行きに乗車。




帰途、カメラ屋さんに寄ったが、修理代が16000円の見積もりに驚き、

修理をキャンセルしてしまった。(新しいのを買ったほうがお得なのかな)


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