« ベトナムへ (5) | トップページ | 『だれかの木琴』 井上荒野  幻冬舎文庫 »

2016年5月23日 (月)

『遠くの声に耳を澄ませて』 宮下奈都 新潮文庫

「旅」をめぐる12篇の優しい物語が収められている。

そのなかでもっとも惹かれたのは「どこにでも猫がいる」の章。




         私は二十歳だった。怖いものは何もなかった。初めて行ったヨーロッパを、

         お金の続く限り歩いてまわろうと思っていた。恋人とふたり、歩いて、

         歩いて、その間じゅうずっと笑っていて、たまに喧嘩もして、それでもいつも

         ぴったりとくっついていた。

                                      「どこにでも猫がいる」






その恋人は、日本へ帰ってくると生気を失くしていった。

「ずっと世界中を旅していたい」という彼とは別れてしまい、私(作中人物)は、知り合った

ばかりの人と結婚した。

一年後に子供が生まれ、その子が幼稚園に入る頃に離婚した。

かつての恋人がそうであったように、息子は「世界中を旅してみたいんだ」と、20歳を

祝うささやかな席で宣言した。






        旅をしてみたいと出て行った息子が旅をどんなものだと考えているのか、

        私は知らない。わからない。知らない。そんなことばかりだ。わずかに

        知ることができるのは、旅先から息子が寄越す一枚の葉書に書かれて

        いることだけだ。ここにも猫がいます、と息子は書いていた。

 

        




宮下奈都の文章は、ふぁっとやわらかく、繊細である。

読んでいて、感情移入をしてしまいたくなるのは、なぜだろうか。

読みながら涙がこぼれてしまう。

こうして書き写していると、また、涙がこぼれてしまう。



         ここにいようと思う。私はただ、ここにいよう。ーーー略

         息子が帰ってきたときに迎え入れられるように、ここでいつものように

         暮らそう。暮らしながら、こっそり待とう。息子が帰る日を、

         そして私がいつか旅に出るかも知れない日を。





          

                            解説 豊崎由美  490円+税



         

« ベトナムへ (5) | トップページ | 『だれかの木琴』 井上荒野  幻冬舎文庫 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2032066/65625046

この記事へのトラックバック一覧です: 『遠くの声に耳を澄ませて』 宮下奈都 新潮文庫:

« ベトナムへ (5) | トップページ | 『だれかの木琴』 井上荒野  幻冬舎文庫 »