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2016年5月 2日 (月)

歌集『華厳集』 櫟原 聰  砂子屋書房

『古事記』・『碧玉記』に続く第7歌集で、2012年から2015年にかけての作品を

収めている。

東大寺に関係する学園に職を得、40年を閲することとなった著者は「その間、半ばは

東大寺の境内に過ごし、心は常に華厳の教えとともにあった。」とあとがきに記す。




櫟原さんといえば、2014年4月に出された『古歌の宇宙』が思い出される。

その後記には「哲学することが大切だ。」と冒頭に記していた。

このたびの歌集では、「重々無尽に繋がる、生きとし生けるものの関連に、改めて気づか

される日々である。」とも記されている。

        重重無尽事事無碍(むげ)法界なべて繋がるわれらと言へり華厳経はも

        雑華厳浄(ざつけごんじやう)華厳世界は泥沼のこの世の人を載せてただよふ

        微細世界即大世界一粒の砂流に宇宙見るとふ華厳

        重重無尽事事無碍(むげ)法界さもあれと華厳世界に花奉る



歌集題にちなんだ歌をあげてみたが、いかがであろうか。

「重重無尽」とは万物すべてのつながりを意味するものらしく、著者の関心の

ありようが伝わってくる。

わたしは、個人的には以下のような「やわらかい ? 」 歌に心惹かれた。








       足萎えの転倒菩薩母にしていまもさかんにもの言ひたまふ

       夜明けには雲が山まで下りてきて仙人のごとく湯浴みすわれは

       予備校の屋根にかかりし冬の月自転車の子が三人帰る

       夕されば山のけものの通ふ道落葉が風に乾く音たつ

       苦しみて生くるにあらね楽しみて生くるならねばほととぎす聴く

       蟻出でよ蜘蛛も飛び出せ春の日のおしやべり止まぬ原に佇む


1首目の母親を菩薩にたとえた歌、「転倒菩薩母にして」が実にいい。そしてその母は

転んだりするものの口は達者な(笑)ようだ。母を介護してその悲惨さをうたうのでは

なく、ありきたりの表現に収まっていないのが見所。

2首目は著者の師である前登志夫氏を彷彿とさせるような歌で、味わい深い。

朝湯とはなんとも長閑である。

3首目は、いわゆる嘱目詠なのだが、予備校帰りの子どもたちを見ている

著者のいつくしむような眼差しを感じさせる歌。(宗教的な哲学的な歌より、

わたしはこういった歌が好き。)

最後の6首目の歌はリズミカルで、著者が自然の生きとし生けるものたちと同心となり、

童心に戻ったような愉しさ、安らかさを感じさせる。一茶や良寛の心境に近いような……

                           2016年5月8日発行    3000円+税

 

 

 

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