歌集『華厳集』 櫟原 聰 砂子屋書房
『古事記』・『碧玉記』に続く第7歌集で、2012年から2015年にかけての作品を
収めている。
東大寺に関係する学園に職を得、40年を閲することとなった著者は「その間、半ばは
東大寺の境内に過ごし、心は常に華厳の教えとともにあった。」とあとがきに記す。
櫟原さんといえば、2014年4月に出された『古歌の宇宙』が思い出される。
その後記には「哲学することが大切だ。」と冒頭に記していた。
このたびの歌集では、「重々無尽に繋がる、生きとし生けるものの関連に、改めて気づか
される日々である。」とも記されている。
重重無尽事事無碍(むげ)法界なべて繋がるわれらと言へり華厳経はも
雑華厳浄(ざつけごんじやう)華厳世界は泥沼のこの世の人を載せてただよふ
微細世界即大世界一粒の砂流に宇宙見るとふ華厳
重重無尽事事無碍(むげ)法界さもあれと華厳世界に花奉る
歌集題にちなんだ歌をあげてみたが、いかがであろうか。
「重重無尽」とは万物すべてのつながりを意味するものらしく、著者の関心の
ありようが伝わってくる。
わたしは、個人的には以下のような「やわらかい ? 」 歌に心惹かれた。
足萎えの転倒菩薩母にしていまもさかんにもの言ひたまふ
夜明けには雲が山まで下りてきて仙人のごとく湯浴みすわれは
予備校の屋根にかかりし冬の月自転車の子が三人帰る
夕されば山のけものの通ふ道落葉が風に乾く音たつ
苦しみて生くるにあらね楽しみて生くるならねばほととぎす聴く
蟻出でよ蜘蛛も飛び出せ春の日のおしやべり止まぬ原に佇む
1首目の母親を菩薩にたとえた歌、「転倒菩薩母にして」が実にいい。そしてその母は
転んだりするものの口は達者な(笑)ようだ。母を介護してその悲惨さをうたうのでは
なく、ありきたりの表現に収まっていないのが見所。
2首目は著者の師である前登志夫氏を彷彿とさせるような歌で、味わい深い。
朝湯とはなんとも長閑である。
3首目は、いわゆる嘱目詠なのだが、予備校帰りの子どもたちを見ている
著者のいつくしむような眼差しを感じさせる歌。(宗教的な哲学的な歌より、
わたしはこういった歌が好き。)
最後の6首目の歌はリズミカルで、著者が自然の生きとし生けるものたちと同心となり、
童心に戻ったような愉しさ、安らかさを感じさせる。一茶や良寛の心境に近いような……
2016年5月8日発行 3000円+税
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