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2016年5月25日 (水)

『地下茎』 鈴木良明歌集 短歌研究社

「歌林の会」所属の第二歌集。

表紙のカバー絵は、香月泰男「シベリア・シリーズ」の「青の太陽」を

使っている。



      

      この道はどこへ続くと人の訊く自(し)が行方さへ定めぬわれに

      夏されば帰つて来たか黄揚羽よパセリの森の上枝(ほつえ)揺らして

      散文の森や林を駆け抜けて泉のごとき韻文に遇ふ

      繰り返し知らなかつたを言ふだらう戦争責任問はれしやうに

      地球だつて身震ひしたきときはあり涙に潤むときもあるだらう

      新しきふたりの住まひ探すごと小平樹林墓地を見にゆく

      空あふぎ多摩川ながめて走りだす生きることしかやることがない

      外壁に空蝉のこし去りゆきぬこれだけの縁にすぎぬか吾子も

      静謐といふ隠れ箕原子炉は息を殺して滾ちをるらし

      担当医にまで日野原医師の本を薦め何考へてゐたんだか母は


                  

                                        (なお、8首目の「蝉」の旁(つくり)は口2つです。)

38年間勤めた公務員の職を退いたあとの、作者の精神生活をも含めた

日々がうたわれている。組織のなかにいた頃の自分から解放されて

在るがままを詠んでいる。「自由の実践」ということが「あとがき」に書かれて

いたが、それがほんとうは、まっとうな人間としての在りようだろう。






3首目の「韻文」は、作者の親炙する短歌そのもの。


4首目は、辛口の批評。「知らなかつた」とか、「わたしは聞いていなかった」

という言葉は責任回避。なぜ知ろうとしなかったのか。


6首目は、所謂「終活」みたいなことか。軽くうたわれているが、内実は重い。


7首目、「生きることしかやることがない」。って、それでいいんじゃないの、と

声を掛けたくなる。生きてるだけで儲けもの(笑)。




8首目の「吾子」に対する思い、10首目の「何考へてゐたんだか母は」の、

作者の距離のとりかたがいい。しかし、そのほどよい距離のとりかたも

時としてさびしいんだ。すてきな母親だったと思うし、母は母で精いっぱい

生きていたんだろう。








cat     cat

昨日は教室から帰宅してパソコンのスイッチを入れたが、うんともすんとも

しない。何 ? どうしたの ?  と、あちこちいじるけど反応ナシ。



Windows10なんかにアップグレードされちまったから動かないんだと、

言いがかりをつけていて、ふと見たら電池のマークが小さく点っている。



あわててコンビニに電池を買いに走る。マウスとキーボードの裏側の電池を

交換したら動くようになった。

電池の交換が必要ということさえ知らなかった。
                           (わたしは、無知です。バカです。)

それにしても、あれだけ拒否していたWindows10のアップグレードは、

いつのまにやら行使されてしまっているし……

これって、なにかメリットあるの?



昨日のブログをあろうことか、「貼り付け」などしてみたら散々だった。

活字のポイントが思うようにいかず、大きくなったり小さくなったり。

やっぱり、素人(わたし)は、へんなこと考えず、まともにこのブログに直打ち

したほうがいいんだねぇ。

 

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