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2016年7月 5日 (火)

「八雁(やかり)」 2016年7月号

「未来」の7月号が届いた。

214ページもあり、厚い。

続いて、結社誌や同人誌などが次々に届いている。

それらをパラパラと捲りながら、あれこれと読んでいる。


その中の1冊、「八雁」の合評に立ち止まる。

「第二十七回草林集合評」は、吉川宏志が選をして、阿木津英と遠藤知恵子の3人の合評である。

  花弁を描(えが)きて余白おぎなえる返信ひとつポストに落す  

                                    泉田多美子

 吉川 略ー花の絵を描いて余白を埋める。日常によくありそうな場面をうまく

     切り取っている。「おぎなえる」という動詞の選びがおもしろい。今も私

     が書いたように、普通は「余白を埋める」という決まった言い方を

     しがちだ。それを外すことによって、歌にリアルな感触が生まれて

     いる。ー略

 阿木津 略ー「余白おぎなえる」がどうもよくわからない。余白をおぎなう。

      つまり補充すると、余白がもっと増えてしまうではないか。-略

 遠藤 余白は意識して作るものだ。-略文字の書かれていない空白部分に

     花弁を描き加えることで、書かれている部分と書かれていない部分

     の、見た目に心地よいバランスをとる。そうした時に初めて、何もの

     でもなかったただの空白が、豊かな余韻を生み出す「余白」に変わ 

     る。ー略

3人それぞれの、「おぎなえる」と「余白」についての考察である。
吉川さんの柔軟な解釈、阿木津さんの正確な受け取り方、遠藤さんの「余白」に対する考えと、3人とも間違ってはいない。




その上で思うのだが、鑑賞や解釈、批評は評する者の身の丈(?)がおのずと出るものだと、つくづく思う。




吉川さんの柔軟な批評に納得しつつも、一方では「甘やかしは、いかんよ」と

も思う。「余白おぎなえる」の「おぎなえる」は、ふつうだったら、「補充する」と

いう意味にとるのがまっとうではないかしらん。

言葉の意味を捩じ曲げて、「歌にリアルな感触が生まれている。」などとは、

言ってほしくないのだ。



この号の渡辺幸一の時評、「ロンドンから 自分を晒して詠う覚悟を」を、

しみじみと読んだ。


 

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