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2016年7月

2016年7月30日 (土)

歌集『蜜の大地』小紋 潤  ながらみ書房

神田神保町に出版社「雁書館」があった。

そこの編集者であった小紋さんのことはよく覚えている。

冨士田さんが亡くなられて、雁書館も閉鎖された。

このたびの歌集『蜜の大地』を読了して、そのごの小紋さんに過ぎていった

歳月のことが思われた。








しかし、私的なことは凡そ、うたわれていない。

私的な事情は露わに詠み込まれていないだけに、あれこれと想像している。

静謐な時間の中で紡がれた歌は、格調高く、その調べのよさに酔ってしまう。

そして、歌の背後にただよう心は、孤独を帯びている。







    かなかなの終りの声ぞ悲しみを覆ふばかりに晩夏光聚む

    さんさんと散る椎の葉のもろごゑの われもまだ生きてゐるといふこと

    夕暮れはあなたの肩に光(かげ)ありてまだ残されてゐるわが生か

    南風(はえ)すぎて雨にうるほふ街が見ゆ雨傘色のこの世が見える

    一日は一日として過ごせよと風渉りきて芙蓉をゆらす

    わが歌とおもへば晶(すずし)神様の時間のやうな孤独のやうな

    草の茂る小道を通り夕焼けの向かうにいつかゆかうと思ふ

    まぎれなく夏の樹林のひとところ横向きに来るサシバの声は

    いつ来てもライオンバスに乗りたがるライオンバスがそんなに好きか

    捨て置かれ乗るもののなき三輪車きづなといふはいかなる時間




こうして、抄出するといっそう際立つのは、<死>であり<生>である。

7首目の「夕焼けの向かう」は、西方浄土のことかと、よけいなことを思って

しまう。

9首目、10首目の歌の小題は「お前のゐない動物園」であり、お前の居ない

動物園に作者は独り来て、お前のことを偲んでいるのだろう。

子恋いの歌であり、なんともせつない。

歌集の掉尾近くの小題「お前のゐない動物園」だけに、

よけいに感情移入してしまった。

そばに居ない子を思う親の心情は、わたしには身に沁みる。


 

                    覚書 谷岡 亜紀

                    解説 大口 玲子

                    帯文 佐佐木幸綱

                    2500円+税   2016年8月7日発行




2016年7月27日 (水)

『鳥肌が』 穂村弘  PHP研究所

2002年に出版された『世界音痴』のエッセイ。

その面白さはこのたびの『鳥肌が』にも受け継がれている。

恐怖の(?)のエッセイなのだが、笑ってしまうことが多々。

日常のなかで現出する怖さを見事に掬いあげている。

ただし、その怖さも人それぞれ。

「なんともないじゃん」って、かる~く言ってしまう人もいることだろう。

        「今は昼かい? 夜かい?」


なんて、突然、母親に質問されたら穂村さんでなくてもぞっとするだろう。

冗談で言ってるのか、と、はじめは思い、ついには来るべきものが来たと

観念することだろう。

斬新な切り口が面白く、またたくまに読了してしまった。



そして、この本の怖さは、栞紐(スピン)が3本もついていること。

細い細い紐で鮮やかなピンクの栞紐。(鳥肌が~~)

この栞紐に穂村さんが何か「おまじない」をかけているんじゃないの?

なんて言わないけど、不思議なスピンだった。

ところで、穂村さん。

       この本の文章ってどこまで本当なんですか?







                        1500円+税  2016年7月14日発行

2016年7月26日 (火)

暑気払いと ISS

春日の教室がすんで、みんなで暑気払いと称して呑みに行った。

生ビールをジョッキで1杯、あとは梅酒のソーダ―割り。

お料理が美味しかったので、呑むのはほどほどに。

お喋りが弾んだ、暑気払いだった。





今日はみんなに「国際宇宙ステーションを観よう」ということで、

福岡で観測可能な日時をプリントして渡した。

今夜は、20時34分から20時40分の間に福岡上空の南南西から北東に飛んだ。

早速、観たよと2人からメールあり。


次に福岡で、観測可能なのは、7月28日、20時25分から20時31分の間。

西南西より北西を経て北東の空へ消えていく。

観測する時は広場などの空全体が見える、見晴らしの良い場所がいい。

大西卓哉さんが10月中旬まで滞在?しているので、みんなで地球から

応援しよう。



なんて、わたしが宣伝して、なんなの(笑)

2016年7月25日 (月)

取材……

14時に、待ち合わせて取材。

博多阪急にできた、珈琲舎のだ店(カフェレジャン)にて。

ここは予約はできないんだった。

すでにお相手は到着していて、失礼してしまった。

時間も時間だったからか、殆どの席が埋まってしまった。

こんなにお茶する人が多いとは……





紀伊國屋に寄り、頼まれた新書の『ラグビーはひもとく』を購入。

それでサッと帰ればいいのに、いつのまにか穂村弘の『鳥肌が』を

手にしていた。

ンまぁ、買うつもりではなかったのだが、衝動買い(笑)。





その『鳥肌が』の最初のページに、

「電車の一番前の車両には絶対乗らない」、Tさんのことが書かれていたが、

わたしの友人も一輌目には、ゼッタイ乗らない。

一輌目はコワイのだそうだ。彼女に感化されてわたしもいつのまにか

二輌目に乗るようになってしまった。





(列車の事故って、統計でもとってみないとなんとも言えないんだけど……)




かくして、また本を読んでしまいそう、だな。





2016年7月23日 (土)

取り敢へずとりあへず呑む暑気払ひ

コンテナが来たので、植木鉢を運び出す。

蜜柑の木2鉢、あじさい1鉢、ホトトギス1鉢、エトセトラ。

土入りのプランター数々。




ベランダが空っぽになってしまった。

な~んにも無い。

運動会が出来るくらいに(?)広くなってしまった。

まぁ、運動会をする子どももいないし、ね。




働いたので、今夜はゆっくり呑んでいる。

あんず酒、プラム酒、梅酒、ワイン。

あんず酒は妹に貰い、プラム酒はM さんの差し入れ。

冷蔵庫の中にワインが5本もあることに気付いた。
(冷やしすぎでしょ)



今夜は「暑気払い」、呑むけんね。

2016年7月22日 (金)

橋の名前

中川佐和子さんの歌集に『霧笛橋』(角川書店 2007年9月刊)がある。

さいしょ、「霧笛橋」って、中川さんの想像上の橋かと思った。




      霧笛橋過ぎて諦めをふりこぼす切り岸に似るこころ定めて

                               『霧笛橋』より




この霧笛橋は、横浜の海を見渡せる丘の上の「港の見える丘公園」にある

橋で、大佛次郎記念館から神奈川近代文学館へ渡るために架かっている

実在する橋である。






「霧笛橋」って、なんて抒情的な名前なんだろうと思った。

たしか、大佛次郎の『霧笛』から頂いて、橋の名前にされたらしいが……

先日の歌会で思いがけない橋の名前が出てきた。

わたし自身が忘れてしまっていた橋の名前「リーボーン橋」。

Nさんがわたしの歌にあった「リーボーン橋」を覚えていて

作ってくださったのだ。



しかし、この橋は実在しない。

実在しないというより、実在するのは「リボン橋」で、リボン橋では可愛過ぎる

ので、わたしが少しモジって「リーボーン橋」として、うたったのだ。



もう、40年も前のことだけど、「花街橋」というタイトルでわたしの連作が

「未来」に掲載された。この橋も実在しない。実在する橋の名前があまりにも

即物的だったので、この時はあえて「花街橋」と飾ってみたのだ。

この橋には、後日談がある。

「未来」のKさん(つい先日お亡くなりになられた)が、福岡に出張で訪れた時

に、この橋を探しまわったそうだ。タクシーの運転手さんにも訊ねたけど、な

かったとか……

調べれば即わかるのに、現在のようにインターネットも普及していなかった

頃の話である。

作者であるわたしに問い合わせることもなく、探したのだって。







まさか、虚構の「花街橋」とは思わなかったのだろう、ね。



ごめんなさい、ごめんなさい。

2016年7月21日 (木)

『ノラや』 内田百閒 中公文庫

百閒先生の『ノラや』を読み返す。

(わたしの心の隙間を埋めてくれるだろうか。)


       ノラや、お前は三月二十七日の昼間、木賊の繁みを抜けて

       どこへ行つてしまつたのだ。それから後は風の音がして雨垂れが

       落ちてもお前が帰つたかと思ひ、今日は帰るか、今帰るかと

       待つたが、ノラやノラや、お前はもう帰つて来ないのか。

野良猫の子のノラ、ある日を境に消えてしまったノラ。

ノラを待って、待って、百閒先生の心は千々に乱れ、嘆き、悲しみ、

家出したのちの、来る日も来る日も日記に綴る。






       七月二十日土曜日 ノラ116日

       曇 薄日 夜半過から雨

        夕方近く千駄ヶ谷の動物愛護協会へノラを探しに行つたが、

        無意味であつた。愛護協会と云ふのは猫や犬を「眠らせる」

        つまり殺して始末する所の様である。






ノラ探しの第四回目の新聞折込みのビラ、5500枚。

ノラ探しに英文広告まで作る百閒先生。

ノラのために、精魂をそそぐ百閒先生は尊いというより、コワイ。

(これほどの執着心を持ち合わせていない、わたし。)

       

2016年7月19日 (火)

歌集『九年坂』 田上起一郎  六花書林

跋文で小池光は次のように書いている。

「ー略 七十六歳にもなるのに老いの嘆きのような要素は皆無であるー略」と。






「七十六歳にもなるのに……」に、目が止まった。

七十六歳にもなれば「老いの嘆き」があって当然というか、それが、

ふつうなんだよ、と思っているみたいだ。

ちなみに「要素は皆無である。めずらしい。」と、続く。







    炎天のふきだす汗をふきやらず三年坂を下りにくだる

    十四段くだりてゆけば鉄格子ほのかに如来像わが前にあり

    真夜中の卓上にある桃ひとつ われは悩みぬ食つてもよいか

    孫娘に娘に妻に責められてこもりたりけり夕飯(ゆふめし)までを

    階段を上らむとしておもふなり 俺は死んでも起一郎なのか

    かがやける赤い靴はきわが妻はパリといふ都へ行つてしまへり

    ごみ出しの日付も場所もかきこまれ壁にはられしわが日課表

    段段の六十三段あへぎつつあふぎつつのぼる天祖神社は

    「ぽ―ぽ―ぽ―」我であるやうな声のして闇坂(くらやみざか)を

    下りゆきたり

    九年坂 歌のさか道のぼり来て遠くて近しわが妻明子



抄出して気づいたのだが、10首中の6首が「坂」あるいは「段」の入った

歌になってしまった。

歌集題に「坂」を入れたのもむべなるかな、と思う。


1首目は、まさに今この季節をうたっているようでもある。
      昨日、当地も「梅雨明け」をした。
      暑さがハンパではない。その暑さにかてて加えて、

      大型クレーンが窓の外を行ったり来たり、やかましいことこの上ない

3首目の「桃」は、茂吉の「白桃」と違って、置いたひとは罪だなぁと思う。
     下の句の「われは悩みぬ食つてもよいか」が、真っ正直な作者らしい 
     西東三鬼の「中年や遠くみのれる夜の桃」ほどに、象徴的でもないし  

     そんなの食べればいいんじゃない。



4首目、「夕飯までを」の時間限定(笑)がいい。


6首目は、「行ってしまへり」とは言うものの、喜んで送り出したのは誰?

10首目、「遠くて近し」で良かった。
      これが「近くて遠し」だったら、深刻だけど。


短歌を作ることで「心がすこしずつ解放され…」とあとがきで書いているのは

ほんとうだろう。

(短歌の効用って、誰もが大なり小なり感じているようである。)


                          2016年7月27日  2400円+税

 

 

2016年7月15日 (金)

ハマボウ満開 福岡県糸島市

今朝の朝日新聞に糸島市の雷山川下流(通称 泉川)の両岸に

群生するハマボウが見頃を迎えている記事と写真が掲載されていた。


ハマボウの花は好きな花の一つでもある。

昨夏、加計呂麻島の呑之浦を訪れた時、このハマボウの花の下で

しばらく波の音を聴きながら過ごした。





島尾敏雄の文学碑をこの目で確かめられたこと、

呑之浦の透明な水、そして空の青さ。

何もかもが心に残る、心に刻まれた旅、であった。




       

    黄の色の右納(いうな)の花の散る木下すでにその色変はり赤錆ぶ

    黄槿(はまばう)の花を見しこと 身を委ね緩やかな波の音聴きしこと

          『秋光記(しうくわうき)』(2016年6月 ながらみ書房)miyoko








糸島のハマボウはまだ見に行っていない。

数年前から気にかかっていたのだが……


それはそうと、東直子さんが「糸島観光大使」に任命されていたことを

つい先日知った。糸島市の英断(笑)に拍手したい。







2016年7月13日 (水)

泣きながら……

ミニトマトのまだ熟れきってない実がたくさんついた枝を一本一本、

剪定鋏で切り落とす。

ゴーヤは黄色の花がかわいい、しかし、これも根元から引っこ抜く。

これからが花季の朝顔・ゆうがおの苗も抜いてしまう。







泣きながら……

大泣きしながら……







マンションが大規模改修工事だって。

3ケ月間くらいはかかるらしい。

そんなこと、わかっていたんじゃないのか、わたしよ。

知らなかった、なんて言うなよ。




ベランダには何も置けない。

ベランダで花を育てることができない。

ベランダで夜空を仰ぐことができない。

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  マンションの深き疲れを癒(いや)すべく高き足場(あしば)が組まれてゆけり

 

 マンションはガーゼ巻かれて建ちをれば風にかすかな窓明りあり

                   池田はるみ歌集『ガーゼ』 (平成13年刊)



















        

2016年7月11日 (月)

映画「64 ロクヨン 後編」 佐藤浩市主演

「64 ロクヨン」の前編を観ていたので、後編も観とかんといかん

ような気(笑)がして、観るには観たが……

(正直言って前編の方がよかった。)


昭和64年に起きた少女誘拐殺人事件、刑事部では<ロクヨン>と呼ばれていた。

未解決のまま14年が過ぎ、時効が近づいていた平成14年、また、少女誘拐

事件が起きる。





14年前の少女誘拐殺人事件と関係があるのか、ないのか。

極めて手口が似ている。





14年前、捜査を担当した刑事、佐藤浩市は広報官として移動している。

記者クラブとの確執、刑事部と警務部との対立、キャリア上司との闘いなど

佐藤の周囲は騒然としている。



永瀬正敏・緒方直人の迫真の演技が光った。

綾野剛は凛々しかったが、瑛太は前編の方が憎々しくてよかった。




2016年7月10日 (日)

選挙して蝉の声きく浮世かな

選挙に行ってきた。

選挙に行って国民の義務?を果たしたものの、期待と失望が半々なり。

まぁ、絶望までにはいたっていないのが救い。




今日も暑い。

福岡市熱中症情報によると、12時 危険

                  15時 厳重警戒

                  18時 警戒

                  21時 警戒

らしいので、「危険」時間帯の外出はなるべく避け、涼しい室内に移動

しましょう。……とのメッセージが。



「うた新聞」7月号が届いた。

巻頭評論の今野寿美さんの「誤りは正したうえで伝えたい」を熟読。

北大路翼(俳人)さんの、「新無頼派宣言」を精読。

結語の「僕には俳句しか頼るものがない」の言、よきかな、良き哉。




2016年7月 9日 (土)

「福岡歌会(仮)アンソロジー Ⅳ」 

1年に1冊のアンソロジーも4冊目になった。

参加しているメンバーの名前にも移動がある。

今回は22名の参加。

5首と8首のひとがあり、いずれも短いコメントが付いている。

  体がこころに追ひついてゐて恥づかしい少年期の一瞬過ぎにけらしも

                                         山下  翔

  たくさんの中野梓と(その他の忘れたひとと)すれ違う道     南  葦太

  空白の、あばらの奥の、これからの、全てを旅とすればいいのよ 

                                        生田亜々子

  肉まんの皮がほんのり甘いのに似ている。恋の気持ち悪さは、

                                         白水麻衣

  主語のないあなたがほろほろ笑うとき一羽の鳥になるんだ春は 

                                         竹中優子

  真ん中に水風船を投げられてまた似たようなスタートを切る    ろくもじ

  暮れてゆくビニールハウスに降りそそぐ雨のようだね一緒にいるよ 

                                           夏野雨

  胸のなかにお寺をひとつ飼っていて雨の朝には時々こもる   吉村桃香

  昇給の書類は来たり<食べログ>のように評価の星を灯して 鯨井可菜子

  北陸に替へ玉文化無きことの大いなる輪に鉄線ひらく     黒瀬 珂瀾


「編集後記」をろくもじさんが書いているが、4年前の8月のツイートが

きっかけでここまで発展した「福岡歌会(仮)」。

みんなが主役、の勢いが伝わってくるようだ。

「ゆるゆる楽しく」を合言葉に、更に飛躍してゆくことだろう。

彼等、彼女等の1年後、3年後がたのしみでもある。





                                装丁イラスト : 奥野希。

2016年7月 7日 (木)

森鷗外の『沙羅の木』を読む日  岡井隆 幻戯書房

歌誌「未来」2013年8月号〜2016年4月号に掲載したものを収録している。



100年前の詩歌集の作品を1篇1篇ゆっくり読み、知らない言葉の語訳を辞書等を使って試み、文語の詩歌を口語訳する。そして、著者なりの評価を
下すという作業。

こうして書けば簡単だが、この連載をはじめたのがすでに85歳を越えていたことを思う時、その情熱のありようと、エネルギーの源を探りたくなってくる。




しかも、著者のこの作業が実に丁寧で、淡々と行われており、その文章の
いたるところに著者の日常の声音が潜んでいたりする。

       鷗外という多面体の人物は……(著者自身も多面体ともいえる。)



       それにしても鷗外の活動意欲はおとろえていない。相変らず西欧 

       の文化、作品への興味も深い。……(まさに、著者もその一人)

       折々にひらめいた処世訓めいた感想……(著者の『けさのことば』  

                                        はその典型)

の、ように、あちこちに見逃せない言葉が並んでいる。



さて、この書を読むのは心静かなときがいい。急ぎの仕事を抱えている時に読むと、書かれていることを咀嚼できない。(ということを、実感した。)

そして、今わたしは第九章の「鷗外と与謝野晶子の交流」のところまで読み進めている。「うなゐ子」という単語を調べるところから、少年か少女かの考察、そして、万葉集の「童女放髪(うなゐはなり)」へ。

さらに、『夏より秋へ』の詩歌集の三十四番目の詩に辿り着く。
このあたりが、もっとも佳境?

        詩歌のような余分なもの、(、、、、、ルビ)あってもなくてもいい
        ものをわざわざ書くとき、人はまず「どうしてもそれを書きたい」
        という自発的な動機におそわれる筈なのである。

と、帯に書かれている惹句に辿り着く。

ともかく、心静かな時に、


       森鷗外の『沙羅の木』を読む日     を、読むべし。   






                         2016年7月10日  3500円+税

2016年7月 5日 (火)

「八雁(やかり)」 2016年7月号

「未来」の7月号が届いた。

214ページもあり、厚い。

続いて、結社誌や同人誌などが次々に届いている。

それらをパラパラと捲りながら、あれこれと読んでいる。


その中の1冊、「八雁」の合評に立ち止まる。

「第二十七回草林集合評」は、吉川宏志が選をして、阿木津英と遠藤知恵子の3人の合評である。

  花弁を描(えが)きて余白おぎなえる返信ひとつポストに落す  

                                    泉田多美子

 吉川 略ー花の絵を描いて余白を埋める。日常によくありそうな場面をうまく

     切り取っている。「おぎなえる」という動詞の選びがおもしろい。今も私

     が書いたように、普通は「余白を埋める」という決まった言い方を

     しがちだ。それを外すことによって、歌にリアルな感触が生まれて

     いる。ー略

 阿木津 略ー「余白おぎなえる」がどうもよくわからない。余白をおぎなう。

      つまり補充すると、余白がもっと増えてしまうではないか。-略

 遠藤 余白は意識して作るものだ。-略文字の書かれていない空白部分に

     花弁を描き加えることで、書かれている部分と書かれていない部分

     の、見た目に心地よいバランスをとる。そうした時に初めて、何もの

     でもなかったただの空白が、豊かな余韻を生み出す「余白」に変わ 

     る。ー略

3人それぞれの、「おぎなえる」と「余白」についての考察である。
吉川さんの柔軟な解釈、阿木津さんの正確な受け取り方、遠藤さんの「余白」に対する考えと、3人とも間違ってはいない。




その上で思うのだが、鑑賞や解釈、批評は評する者の身の丈(?)がおのずと出るものだと、つくづく思う。




吉川さんの柔軟な批評に納得しつつも、一方では「甘やかしは、いかんよ」と

も思う。「余白おぎなえる」の「おぎなえる」は、ふつうだったら、「補充する」と

いう意味にとるのがまっとうではないかしらん。

言葉の意味を捩じ曲げて、「歌にリアルな感触が生まれている。」などとは、

言ってほしくないのだ。



この号の渡辺幸一の時評、「ロンドンから 自分を晒して詠う覚悟を」を、

しみじみと読んだ。


 

2016年7月 4日 (月)

博多祇園山笠 飾り山

今年はライオンズクラブの国際大会に合わせて、6月24日から

前倒しで披露されている飾り山。


博多駅前の飾り山を観てきた。

表が「猛将幸村夏之陣」人形師・生野四郎。

見送りの裏側は、「華丸・大吉のなんしょうと?」だった。人形師・田中勇。

二人の顔の特徴をよく掴んで作られた人形だった。

テレビ番組のタイトルと同じで、テレビでは、華丸さんと大吉さんが

「なんしょうと?」と、あちこちの街や町、村を訪ねてインタビューする

人気のある番組である。


相変わらず、博多駅構内は人が多い。






博多ジョイで、映画「嫌な女」を観てきた。

黒木瞳が初めてメガホンを取った映画で、同郷の吉田羊が主演を

していることでも話題を呼んだ作品。




吉田羊は、真面目な女弁護士・徹子を演じている。

天才的な詐欺師・夏を木村佳乃、同じ歳の従妹である。

徹子(吉田羊)は、いやだいやだと思いながらも、奔放な夏(木村佳乃)に

振り回され次第に感化されていく。



弁護士事務所のみゆき(永島暎子)が地味だが、好演していた。

徹子のもっとも良き理解者であり、声のトーンなどにあたたかみを感じた。








cat    cat

博多の街は15日の追い山までは「オッショイ、オッショイ」の掛け声で

賑わう。

そういえば、朝日川柳に、

「山笠のあって暫(しばら)く生きられる」(福岡県 吉原鐵志)

と、いうのが掲載されていた。わかるなぁ……

2016年7月 1日 (金)

『天使の涎』 北大路 翼   邑書林  

1ページ13首組、2000句の句集。

2000句といえば気の遠くなるような数の句だが、読みだすと

すいすいと読めてしまうのが不思議。

表紙はショッキングピンク?で、コミックのような体裁のソフトカバーである。





いままでわたしが抱いていた俳句のイメージ、句集のイメージを明らかに

打ち破るものであった。(その内容も……)






       ウーロンハイたつた一人が愛せない

       ほうたるの死ぬたび月の赭くなる

       短夜やさみしさしまふ場所のなし

       倒れても首振つてゐる扇風機

       我になき子育ての日々ちちろ虫

       孤独死のきちんと畳んである毛布

       小鳥抱くやうにオカリナ星澄めり

       俺のやうだよ雪になりきれない雨は

       花に降る雨優しさとあきらめと

       我にまだ家族のなくて夏に入る

綺麗な句を選んでしまったかなぁ〜

だって、これでもか、これでもかと偽悪ぶって?いる句が多くて、

なんじゃ、これは、って思いつつ、無頼のポーズを剥ぎとると、至って

ふつうのナイーブな青年のこころねがぽつんぽつんと姿を顕す。




「悪乗りの蛍光ピンク」の句は、読者へのサービスなんだろうね。

きっと、ロマンチストで、さみしがり屋で、甘えん坊で、このひとに

俳句という器がなかったら、とんでもない<拗ね者>?になっていたかも…




などと、憶測したりして。

小題の横に添えられたフレーズがいい。




       「出口のない場所が最良の休憩場である。」







                      装画 新井英樹  写真 秋澤玲央
       
                      2015年4月19日  1389円+税


 

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