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2016年7月19日 (火)

歌集『九年坂』 田上起一郎  六花書林

跋文で小池光は次のように書いている。

「ー略 七十六歳にもなるのに老いの嘆きのような要素は皆無であるー略」と。






「七十六歳にもなるのに……」に、目が止まった。

七十六歳にもなれば「老いの嘆き」があって当然というか、それが、

ふつうなんだよ、と思っているみたいだ。

ちなみに「要素は皆無である。めずらしい。」と、続く。







    炎天のふきだす汗をふきやらず三年坂を下りにくだる

    十四段くだりてゆけば鉄格子ほのかに如来像わが前にあり

    真夜中の卓上にある桃ひとつ われは悩みぬ食つてもよいか

    孫娘に娘に妻に責められてこもりたりけり夕飯(ゆふめし)までを

    階段を上らむとしておもふなり 俺は死んでも起一郎なのか

    かがやける赤い靴はきわが妻はパリといふ都へ行つてしまへり

    ごみ出しの日付も場所もかきこまれ壁にはられしわが日課表

    段段の六十三段あへぎつつあふぎつつのぼる天祖神社は

    「ぽ―ぽ―ぽ―」我であるやうな声のして闇坂(くらやみざか)を

    下りゆきたり

    九年坂 歌のさか道のぼり来て遠くて近しわが妻明子



抄出して気づいたのだが、10首中の6首が「坂」あるいは「段」の入った

歌になってしまった。

歌集題に「坂」を入れたのもむべなるかな、と思う。


1首目は、まさに今この季節をうたっているようでもある。
      昨日、当地も「梅雨明け」をした。
      暑さがハンパではない。その暑さにかてて加えて、

      大型クレーンが窓の外を行ったり来たり、やかましいことこの上ない

3首目の「桃」は、茂吉の「白桃」と違って、置いたひとは罪だなぁと思う。
     下の句の「われは悩みぬ食つてもよいか」が、真っ正直な作者らしい 
     西東三鬼の「中年や遠くみのれる夜の桃」ほどに、象徴的でもないし  

     そんなの食べればいいんじゃない。



4首目、「夕飯までを」の時間限定(笑)がいい。


6首目は、「行ってしまへり」とは言うものの、喜んで送り出したのは誰?

10首目、「遠くて近し」で良かった。
      これが「近くて遠し」だったら、深刻だけど。


短歌を作ることで「心がすこしずつ解放され…」とあとがきで書いているのは

ほんとうだろう。

(短歌の効用って、誰もが大なり小なり感じているようである。)


                          2016年7月27日  2400円+税

 

 

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