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2016年8月 4日 (木)

歌集『うはの空』 西橋美保 六花書林

「短歌人」同人の第二歌集。

『漂砂鉱床』以降の約17年間の作品から481首を収めている。

    鏡には何が映つてゐたのだらう私が覗きこまない真昼は

    なつの一日泳ぎて吾子はたましひの抜けたるやうな顔して戻る

    花束の花ふりこぼしふりこぼしいろんなことをあきらめてきた

    われの住むマンション八階うはのそらまことにわれはうはの空に住む

    午さがりの霊安室で生きてゐる人間だけがしんそこ怖い

    きつちりと泣くべきところで泣いてみせ力まかせの葬儀を終へる

    讃岐うどん食ぶる間しばしとて夏の帽子で遺骨を隠す

    亡きひとの日記の二冊は嫁われをまだいきいきと罵りやまず

    かつて死者持ち帰りたるスーパーの買ひ物籠も返しにゆきぬ

    いつかわたしはわたしを手放す せせらぎに笹船ひとつうかべるやうに



8首目に「嫁われを」とあるので、亡くなられたのはお姑さんであろう。

元気でいた頃は相当にやり合った仲だったのか?

亡くなられたあとに遺された日記を読むと、嫁(作者)のことを「いきいきと

罵」っている。

ああ、あんなに元気だった姑だったのに、と、この歌の背後には悲しみが

ある。





9首目もそうだが、スーパーの買い物籠を事情があって借りて帰ったのは

姑。その買い物籠を作者が返しに行くのだ。やれやれと思いながらも

きっちり姑の弔いをしている。




(よけいなことだが、10首目の歌の「笹船」は「笹舟」の方が
 良かったような……)




身めぐりからうたわれたあれこれは、それぞれに実態があり、作者の

心が添えられている。



明るく、解放感を醸し出している歌のあわいに作者の精神が揺蕩う。


                          帯文 藤原龍一郎 

                          2300円+税









追記   東郷雄二氏のブログ「橄欖追放」を読む機会があった。

      そこには『うはの空』も収められていたが、どうもわたしの解釈に

      大変な間違いがあることに気付いた。それは、うたわれている対象

      が「姑」とばかり思っていたのだが「舅」であったことだ。

      このあたりのことを東郷雄二氏は克明に記している。

      作者、西橋美保さんそしてわたしのブログを読んでくださった

      皆様がたにお詫びいたします。

      間違いに気付きましたが、このブログはこの儘にしておきます。

      東郷雄二氏の「橄欖追放」の第193回 西橋美保『うはの空』

      (2016年9月5日)を、お読みくださればと思います。

 

    




                      

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