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2016年9月

2016年9月30日 (金)

『思ってます』 池田澄子句集  ふらんす堂

『思ってます』は、池田澄子の第6句集。

『拝復』以後の2011年から2015年半ば辺りまでの作品を収録。


      --略 思えば物心付いて以来、当然のことながらいつも

      何かを思っていた。思うことで行動する場合もあるが、殆どの

      思いは何処かに届くわけでもない。俳句はモノやコトを描く

      ことで思いをちらと見せる。が、思いは、何の役にも立たない。-略

                                「あとがき」より





池田澄子といえば「じやんけんで負けて蛍に生れたの」が高名である。

この俳句を知ったのは、角川書店発行の『女流俳句の世界』(1995年10月)の

別冊俳句であった。矢島渚男氏が「女流の今後」を執筆していたが、この中で

三橋敏雄の唯一の弟子である池田澄子の「じやんけん」の句があった。

しかし、この時点では、鈴木真砂女の方にわたしの関心は強かった。

真砂女の「死なうかと囁かれしは螢の夜」などの艶っぽさに憧れていたのだ。

あれから20年の歳月が過ぎた。

そして、『思ってます』がいまわたしの手許にある。



      アマリリスあしたあたしは雨でも行く

      じっとしたおたまじゃくしは居ないものか

      秋の暮ともかく終点まで行こう

      花ふぶき家で夫が待っている

      まさか蛙になるとは尻尾なくなるとは

      ねぇあなた池の向こうは涼しそう

      裏白やあいつ病むとは気にいらぬ

      こんなにも咲いてさざんか散るしかない

      雪の山私の柩になる木はどこ

      わが晩年などと気取りてあぁ暑し






いいなぁ、いいなぁと思いつつ読む。

ちっとも難しい言葉はないし、アイロニカルなところ、それでいて、

女性性なところ。しかし、竹を割ったような?性癖?だったり……




俳句の中に池田澄子のさまざまな顔が浮かぶ。

このたび通して読んで、いちばんわたしの心を鷲掴みしたのは、

9句目に挙げた「雪の山私の柩になる木どこ」だった。

なんだかシンとしてさびしいが、ふかいふかい句だと、 思ってます


                     
2500円+税  2016年7月24日初版発行







    

2016年9月28日 (水)

「探し物」をしている時間

昨日は自宅の鍵を失くしてしまい、家に入れずに往生(笑)した。

いつもなら窓を開けて外出するのだが、いまは大規模改修工事中なので、

どの窓もしっかり鍵を掛けている。

どこからも入りようがない。

教室の帰りに多少の買い物もしていたので、荷物もあるし困ってしまった。

荷物は、部屋の前にひとまず置いて、さて、どうするか?


結局、連れ合いに電話。

今日は遅くなるというので、会社の近くまで私が行くことに。

夕方5時に会社の近くのお店で鍵を手にすることが出来た。




1時間以上の時間のロスをしてしまった。

今日は今日とて、昨日わたしが立ち寄った駅、郵便局、ストアー、そして

カルチャーの窓口に電話して問い合わせた。

結局、どこからも出てこなかった。





探し物をしている時間のなんと多いことか。

情けない。これも加齢のなせる業か?






そして、いま、また、だいじな書類が出てこない。





         ハサミさん、ハサミさん、わたしの失くした大事な

         書類はどこにありますか?



2016年9月27日 (火)

『一語一会』 櫟原 聰  ながらみ書房

「一期一会」ならぬ『一語一会』に込めた著者の思いを鑑みながら繙く。

櫟原さんといえば、古歌に詳しいひとのイメージがある。

前著に『古歌の宇宙』(不識書院 2014年4月)があり、遡れば2001年に

雁書館から『古代和歌から現代短歌へ』(2001年7月)を刊行している。

(この書は、雁書館の編集者でもあった小紋潤さんの装幀である。)



このたびの著書で目新しい?と思ったのは、Ⅲ章に「口語短歌の文法序説」

が、あったことであり、個人的にはこのⅢ章がいちばん興味深かった。

以前、話題になった服部真里子の「水仙と盗聴…」の歌を明快に分析。

今迄、歌壇の雑誌などで「水仙と盗聴」の歌は数多くの人たちが論じたもの

だが、櫟原さんの考察がわたしにはいちばん理解しやすかった。


   --略 話題となった服部真里子の「水仙と盗聴、わたしが傾くと

   わたしを巡るわずかなる水」は、「水仙と盗聴」が序詞的要素をもち、

   「水仙と盗聴(のように)ーー傾く」と見ることができるのではない

   だろうか。「盗聴」は耳を傾けて聞くことだと理解できる。「水仙」には

   ナルシスのイメージがあるのかもしれない。だとすればまさに「傾く」

   姿勢が「水」と関係するのである。「水仙」と「盗聴」はまさに俳句的

   取り合わせなのだろう。ーー略







作者である服部真里子さんがそこまで論理的に考えて作ったのではないかも

しれないが? 

櫟原さんの言わんとしている「序詞という短歌特有の技法・文法により、

文法的に解きほぐすことで理解しやすく」なったとも思う。





このⅢ章には「主語・述語の把握」、「修飾ー被修飾の関係」、「単文か

重文か複文か」なども収められているが、もっと拡大化して論じて貰い

たかった。




と言うのも、主語・述語の捩じれ?など、このところ散見するし、そのあたりの

例歌を示しながら、もっと考察してほしかった。






    若手歌人を中心として口語短歌が急速に普及し、従来の文語

    短歌にとって代わろうてしている。ここにあらたな口語短歌の

    文法が必要になりつつあると思うのである。

                   「口語短歌の文法序説」の冒頭のことばより






                     定価2500円    2016年9月20日発行










      

2016年9月26日 (月)

歌集『蜻蛉文』 結城千賀子  現代短歌社

カバー表紙のセルリアンブルー ? の色が美しい。

よく見ると、とんぼ文(もん)が型押しされている。
(歌集の訓(よ)みは、「せいれいもん」であり、精霊(亡き人の魂)の音を重ねている、とのこと。)

そして、歌集タイトルと著者名のシルバーが光り、とても綺麗な表紙に

なっている。中の表紙はライトブルーだろうか。この組み合わせがとてもいい。

誰の装幀かしらとあちこち探したが、どこにも名前が記されて

いない。






  炉心溶融の原子炉抱き台風の兆す列島破船にも似て

  月光はまみづの青さひつたりと合はす双掌(もろて)に満つる冷たく

  「花は咲く」歌ふ心にいつはりはなけれど燕よそれはいつの日

  家ごとにふつうの暮しがありしこと「あのとき」までは此処(ここ)にこの地に

  ああここはみちのくなれば秋なれば天(そら)のま青を白鳥飛び来(く)

  当り前の暮し大切この夕べさくりさくりと切る春の葱

  息(こ)はふつと帰り来て家の飯を食ふ航海長き不在ののちに

  海外派遣より還り自死せし自衛官五十四人とぞ片隅の記事

  「戦争に行きたくない」は利己主義と言ひ放つあり現在(いま)はいつの世

  蜻蛉(せいれい)は風ある宙にとどまれりかそけき翅のひかり澄むまで



磯幾造主宰誌「表現」に入会したのは昭和55年、そして、編集発行責任者と

なられたのが平成22年の秋よりということを、著者略歴で知った。あとがきに

以下のように記されている。


   略ー東日本大震災が父亡き後の喪失感と重なった時期だったが、

   いわきを訪ねてその現実を目の当たりにした衝撃は忘れえない。

   更に戦後七十年を過ぎ、時代も大きな曲がり角にさしかかっている。ー

東日本大震災、ことに福島の原発事故は1首目の歌にもあるように、いま

なお、油断を許さない。いつ、どのような状況になるのかさえも想定出来難い

ものを孕んでいる。3首目の「花は咲く」の歌が流れた日々。しかし、ほんとう

に花の咲く日は来るのかと危ぶむ。

わたしたちは4首目や6首目の歌にあるように「ふつうの暮し」「当り前の暮し」

が、したいだけなのだ。


戦後70年が過ぎて、政治が世の中が一層に大きな曲がり角に来ている

ことを認識。この『蜻蛉紋』の著者、結城千賀子さんの歌に、その思いを

新たにした。




久々にホネのある歌を読んだような心地がした。






                        平成28年9月16日  2500円+税

2016年9月23日 (金)

「一首鑑賞 日々のクオリア」 砂子屋書房ホームページ 

昨日(9月22日)、佐藤弓生さんが拙作『秋光記』(ながらみ書房 2016年6月)を

取り上げてくださいました。





   車椅子重たくなりて夢のなかの母はいづこを歩みゐるやら

   スプーンを持ちたるままに泣きいだす「また来るけんね、もう泣かんとよ」



とてもゆき届いた鑑賞に、母のことが思い出されました。

2首目の「また来るけんね、もう泣かんとよ」は、博多の方言ですが、その

言葉を母に何度も何度も言ったことがきのうのことのようでもあります。

佐藤さん、ありがとうございました。







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21日に久留米へ出掛けたのですが、久留米駅の2階の地場産売場のお店で

買った「おいも もなか」(久留米 丸永製菓)が、美味しうございました。

鹿児島の紅さつま、紅はるかを使っているのですが、濃厚なお味で

病みつきになりそうです。おいもの味がします。(140円です。)

どこでも売っていなくて、久留米に行かれたら是非おためしあれ !


そして、きのうは、大分よりカボスが届きました。

季節のお便りのように、毎年届きます。I さん、ありがとう。

予定を変更してサンマを買いに走りました。

カボスをぎゅっとしぼって、たっぷりかけて、熱々をいただきました。

ポリフェノール赤梅酒をいつものように呑んで、これも美味しうございました。




あと、カボスジュースをきょうは作るつもりです。

2016年9月20日 (火)

映画「怒り」

大好きな(笑)、綾野剛・松山ケンイチが出ている映画。

今日は街に出たので、そこそこに用事を済ませて観ることに。





得体の知れない3人の男。

新宿での直人(綾野剛)は、優馬(妻夫木聡)の部屋にころがり込む。

千葉の漁港で働く田代(松山ケンイチ)は、槙洋平(渡辺謙)の娘・愛子

(宮崎あおい)と仲が良くなる。

3人目の男、田中(森山未来)は沖縄の無人島で隠れ暮らしている。






この3人は、1年前に起きた夫婦殺害事件の犯人に特徴が似ている。

3人を取り巻く人たちを巻き込みながら、同時進行形に物語は進む。


直人(綾野剛)と優馬(妻夫木聡)の同居生活は……(??)

(綾野の、憂愁に満ちた立ち居振る舞いがとてもよく、また、似合っていた。

 この映画でより一層、好きさが増した。)

一方、千葉の漁港で働く田代(松山ケンイチ)の少年のような硬さ、の演技。

この2人を観られたことだけでもハッピーな映画だったともいえる。







沖縄で事件(事故?)が起きる。

少女・泉(広瀬すず)が、とんでもない凶悪な事件(?)に、

巻き込まれてしまうのだ。



広瀬すずが熱演していた。(泣いてしまった、胸がかきむしられるような

口惜しさ、悲しさだった。)




皆さんにお薦めの映画 !  !



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丸善で『怒り』上・下巻の文庫を買ってしまうところだったが、

かろうじて我慢した。

頼まれていた『別冊太陽』も買えなかったことだし……

帰宅すると、たくさんの郵便物が届いていた。

2016年9月19日 (月)

夜の子規庵

       漸くに辿りつきたり上根岸八十二番地夜の子規庵

       手弱女に終はりたくなし絶筆の子規の句三つ口にまろばす

                  『夢の器』 ながらみ書房 1992年6月     miyoko






今から20年以上前のことなんだけど、FさんとYさんとわたしの3人で

子規庵に行った。

3人で飲んでいて、急に子規庵に行こうという話になってしまったのだ。

あのへんの地理がよくわからず、3人で千鳥足(酔っていたのか)で捜した。





お目当ての子規庵はあった。

あったけど、途中のホテル街にぶったまげてしまった(笑)

そして、子規庵には、珊瑚樹の植木(垣)があったような?気がしている。

現在みたいに一般公開も当時はされていなかったから、昼間行っても中に

入ることは出来なかっただろう。


今日は、糸瓜忌。

そんなむかしのことを思い出した。

2016年9月18日 (日)

『俳句 四合目からの出発』 阿部筲人  講談社学術文庫

文庫の書棚を整理していたらいつ買ったのやら出てきた1冊。

ぱらぱらと捲っていたら面白くて面白くて、読み更けってしまった。

ところで、

TBSテレビで「プレバト」の夏井いつき先生の批評が面白いというのを

教室で何度も聞く。

どうも辛口のコメントらしい。その辛口が愉しいのだとか。

短歌にも当て嵌まるというか、短歌だって助詞を1つ替えるだけで

ぐ~んと良くなったり、語順の入れ替えで、しっかりした短歌になる

ことがある。








さて、さて、この文庫本『俳句 四合目からの出発』は、1968年に亡くなられた

阿部筲人(あべ しょうじん)氏ので、第1刷は1984年なのだが、刷を重ねて

わたしは第33刷目を購入していた。






         カンナはいつも「燃え」、「一つ」だけ枝に残った柿はきまって

         「夕陽」に照らされ、妻は「若く」、「母」は「小さい」ーーだれでも

         初めて俳句に手を出すとまず口をついて出てくるのが、

         こうしたきまり文句。初心者はこの紋切型表現と手を切ら

         なければ、「四合目」から上に登ることはできないと阿部

         筲人は説く。           ーーー解説  向井 敏








四合目から上に登りたいわたしは、しっかり読んだのだろうか。


         略ーー特に目立っておかしいのは「自分の心が澄んだ」と

         嘘っぱちを言う事で、

            秋深み湯船にひとり「心澄む」

            秋の山峰近ぢかと「心澄む」

          真に心が澄んでいるときは、自分の心が澄んだと考えない

        状態であって、更にこうまで口に出して自己宣伝しないもの

        です。ーーー略








どのページを開いてもチクりチクりと刺さってくる。

こんな当然のことをついやらかしてしまうんだよね。

しかし、その棘は、夏井いつき先生の辛口の評言のように実作者に

やさしい。ここまで懇切丁寧に言われると、やっぱり精進(笑)しなくちゃ、と。






                    1350円+税   2006年第33刷発行







追記 著者のお名前「阿部筲人」の筲の字がPCでこの字しか出なくて

    ごめんなさい。正しくは、竹カンムリの下はハネルのが逆です。

 

 

2016年9月17日 (土)

月の雨

今夜の満月を期待していたのだが、あいにくの雨、

「月の雨」になってしまった。


15日の中秋の名月も、曇り空で「無月」だった。




中秋の名月と満月が重ならず2日おくれの満月ということで

今夜は期待していたのだけど、がっかり。




          月の雨ふるだけふると降りにけり    久保田万太郎





そういえば、「後妻業の女」の映画で、主人公の武内小夜子(大竹しのぶ)が

婚活の自己紹介で趣味は何ですか?と、男性に訊ねられると、決まって

言ってたことばが「読書と夜空を眺めることです。」だった。


「夜空を眺めること」って、夢がありそうな。

2016年9月16日 (金)

放生会(ほうじょうや、正しくは、ほうじょうえ)へ

カルチャーへ出かける途中、筥崎宮へ寄った。

JR箱崎駅で下車したら、放生会へ向かっているらしい人々が歩いている。

二人連れや団体さんや、一目見て放生会へ行っているのだと判るところが

可笑しい。

そういうわたしも足取りが軽い(笑)


お参りして、おみくじをひく。

小吉 「水の低きにつくが如し」だって。

「気運平安諸事順調にして悦あり。我意我慾に走らず誠実なれば成就。」

神様はお見通しであることよ。


チャンポン(食べ物のチャンポンでなく、吹いて音を鳴らす楽器)とおはじきの

展示を見学。

そういえば、おはじきはもう随分前に買ったものがある。
(売り出し初日に並ばないと買えない?)






      帰宅して並べてみたら30個ある。

      博多人形の職人さんの手作りなのだが、ちっとも色褪せず美しい。

      黒い台紙の上に並べて写真を撮った。



放生会では500店以上の露店が並ぶ。

まぁ、これがお目当てで、楽しみで、来る人も多い。

たこやき・やきとり・かき氷・からあげ・いかやき・とうもろこし・冷しパイン・

レモネード・お好み焼き・じゃがバターなどなど、ありとあらゆる露店が

参道に並んでいる。

あ、かんじんの新生姜も出ていたよ。


ところで、放生会の本来の意味は、この期間(9月12日~18日)狩や

漁などの殺生を避け、神社仏閣にお参りして普段の殺生を反省し、

その供養をすることらしいのだが……




2016年9月14日 (水)

シャドーワーク(家事労働)

今日は午前中に歯科行き。

待っている間に1日の時間の使いかたなどを、つらつら考えてみた。


      家事労働はきりがない。

      家事労働は賃金を貰えない。



などと、いまさら言っても仕方ない。

1日を3等分して、睡眠6時間、家事8時間、自由な時間10時間と計算すると

なんだか得をした気分にもなってくる。えっ自由時間が10時間もあるの?



一方、働く男性(連れ合い)の1日を3等分すると、睡眠8時間、

会社時間10時間、自由な時間6時間になる。会社時間も繁忙期にはもっと

自由時間が少なくなる。




ここまでの計算だと、わたしの方が得かな(笑)と思ったのだが、

そうだった、土曜・日曜・祭日がお休みの連れ合いに比べ、

365日、旅行でもしない限り、家事労働はあるんだった。





まぁ、ともかく健康でいて、ひとさまのお世話にならないのを良しとしよう。




ところで、今日のような歯科行きは何の時間になるのだろう。

健康管理 ? ?


2016年9月13日 (火)

短歌は、趣味じゃあありません。

教室で「趣味について」の話がもちあがった。

「いい趣味をお持ちですね」と友人から言われたというかたが

憤懣遣る方ない面持でおっしゃる。




「わたし、短歌を趣味と思っていないんですょ~」と。

「わかる、わかるわ」と、皆さんが同調なさる。

お茶や絵手紙や水泳やボウリングなどは趣味だけど、

短歌は趣味ではない、と、きっぱり。





趣味でなければ何なんでしょう、と水を向けると、しばらく考えて、

「お勉強」と言う人あり、「教養ですね」と言うかたあり……




「う~ん」と考え込む。

そういえば、わたしだって短歌を趣味と思ったことはない。






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今日は春日の帰りにクリーム色の彼岸花を見た。

クリーム色の彼岸花、このごろよく見かけるようになった。

交配種なのだろうか。




深まりゆく秋 ! 

夕焼け空が綺麗だった。 

    

            何故に在るのか白の曼珠沙華      細見綾子 





     

2016年9月12日 (月)

歌集『真珠層』 梅内美華子  短歌研究社 

2009年冬から2013年秋までの279首を収める「かりん」所属の

第六歌集。

第48回短歌研究賞「あぢさゐの夜」20首と、受賞後第一作の

「七つの鞍を置く馬」50首が収録されている。





歌集名の『真珠層』は、貝殻の内側にある光沢物質で、白が虹色に

見えるところである。--と、あとがきに記す。






   夕映えに滲みつつともる観覧車誰かを迎へに行きたき時間

   人工透析五年目の父蜜の香をほのかにたてて林檎剥きをり

   干し鰈一尾を分け合ふ父と母木の蔭に住むごとく静かに

   来る春にバカボンのパパの歳になる本当のやうな嘘のやうな時間(とき)

   ワッフルのやうな木組みの格子あり錦帯橋の弧のうらがはに

   汚染水、冷却水に原発は苦しみ透析に父は臥しをり

   蔦の葉のすきまにのぞく白壁のやうにしばらく眠つてゐたい

   忌まはしき海の景色を消すごとく要塞のごとき防波堤たつ

   打ち上げの花火のあとの硝煙の硬きにほひを川風はこぶ

   赤き玉とろりとできてこぼさなかつた泪のやうな線香花火






故郷の八戸から上京して「人工透析」の治療を続ける父、「同居して四年が

過ぎた」と、2首目の歌の詞書にある。

5首目の「ワッフルのやうな木組みの格子」は、作者の発見の眼、即ち

モノを把握する力を感じた。





親しくしていた人や友人の死を聞くことになったこの歌集の期間、自身の

〈生〉についても一層に思いを凝らしたことであろう。

7首目の「しばらく眠つてゐたい」には、人生の疲れを思わせるような重い

ものが澱む。

10首目の「こぼさなかつた泪」に作者の堪えている精神を感じてしまう。

偶々だが、取り上げた歌には、「ごとく」「ごとき」や「……のやうに」の

直喩の歌が半数にのぼった。その直喩の新鮮さと的確さに惹かれた。


                       2500円+税 平成28年9月16日発行

 

2016年9月 9日 (金)

『校書掃塵ー坂口博の仕事Ⅰー』 花書院 

菊判より大きいB5判のでっかいサイズの書籍が届いた。

厚さ3センチ、500ページを越す大冊である。




著者は坂口博(さかぐち ひろし)、いくつかの職を経て、現在は火野葦平や

「サークル村」関係などの文学研究と文学活動に専念している。





第1部は、思考の地図

第2部から4部までは火野葦平関連の文章。

第5部は、滝沢克己と漱石その他

第6部は 「サークル村」序章

第7部は、書誌篇

と、なっている。

巻末に人名索引、初出一覧、著作目録抄が掲載されているが、これとて

30ページに及ぶ膨大なものである。






この書の構想を耳にしたのは2005年だったろうか。

あれから、かれこれ12年越し。

鶴首して待っていた人たちも居たことだろう。





とりあえず、第1部の「思考の地図」を読む。

その中の「死よ、お前の棘はいずこにあるーー 『死の棘』論」を読了。




著者、30代の若書き(笑)らしいが、どうしてどうして、鋭い洞察に

今迄読んだことのない島尾敏雄論だと思った。







「書ヲ校スルハ塵ヲ掃ウガ如シ(夢渓筆談)とは、書物の校正にきりが

ないことの喩という。」 松本常彦(九州大学教授)の帯文の一節である。

                      2016年6月2日発行  12000円+税


追記 ちなみに、発行日は今年6月に13回忌を迎えた花田俊典氏の

    命日の日付となっている。「俺に必要だから…」と言っていた

    花田俊典氏。きっとあの世でこの書の刊行を慶んでいることだろう。

 

2016年9月 7日 (水)

パンパスグラス

今日は二十四節気の白露(はくろ)だった。

朝夕には山野に白露(しらつゆ)が宿り、秋の気配が感じられる季節である。

久留米に行く途中、高速道路の土手(傾り)にパンパスグラスが穂を出して

いた。真っ白い穂が固まって出ているので遠くからでも目につく。

ススキに似た円錐花序をつけ高さが2・3メートル。

一見、ススキに似ているがイネ科の大形多年草。アルゼンチンが原産。




パンパスグラスが目につくようになると、秋だなぁ~と思う。

今日はキバナコスモスもJR沿線でたくさん見かけた。

そして、久留米の街中の三本松通りの植栽帯で彼岸花の咲いているのを

見かけた。「早や~っ」と声が出てしまった。

街中だから暖かくて一足先に咲いてしまったのか。

植栽帯の中だから、これはたぶん植えられたものだろう。

2ヶ所で咲いていた。


深みゆく秋!


           ほろほろと生きる九月の甘納豆    坪内 稔典


2016年9月 6日 (火)

歌集『月齢暦』 熊村良雄 青磁社

「前衛、アヴァンギャルド……/このような言葉が聞かれなくなって久しい。/

しかし、ここにその余燼を燠火のように護り続けた一人の歌人がいた。」





帯文を抄出したが、的を射た称賛の言葉である。

そして、わたしは、3000字近い「あとがき」の文章に酔わされてしまった。

      -略-

       若い時にはなぜか詩歌などにはあまり関心がなかった。今頃に

      なって歌など始めたのは、ソクラテスではないけれども、何か

      気づくことがあったのかもしれない。早い話が、自責の念である。略






結社に入っているのか、どうかも定かではない。

略歴らしいものはどこにも書かれていない。

ただ、「短歌は五十歳をすぎてから始めたが…」と、あとがきに記されている。






     うまれたくて生まれたんじやないなどと谺のやうなことを言ふなり

     一周忌三回忌七回忌……十進法などもうまにあはず

     大音声に父が見てゐる時代劇とてもこの世のことと思はれず

     聖人は悪人なりとよ たましひの勧誘になぜ子を連れてくる

     自宅(いへ)にゐて家(うち)に帰ると言ひにしかよくあることと

     手引(マニュアル)きにあれ

     四海同胞の舗(みせ)ならむとも蛸よモーリタニアといふはどこか

     アクロポリスみずて死ぬべしあかねさす朝顔の藍の私語(ささめごと)

     かの室(へや)に漏れにし声もかへりこよ窓に射す日の余りあること

     何のためであらうと映像の皇帝ペンギンの長き行進

     余生などあるものならば何せむや貴女(あなた)の知らぬあなたに

     逢はう


取り敢えず10首あげてみたが、塚本邦雄からの影響?と思われるものが

ないでもない。7首目、9首目などは塚本が射程に在るともいえる。

しかし、塚本よりも<私>性が濃いともいえる。それは、①②③⑤首目の

歌などから、背後事情を読み手が想像したくなる(?)手法がとられて

いるからである。

まぁ、とにかく重厚な一集には間違いない。

第一歌集ということで更に驚いた次第。

                    2500円+税  2016年7月16日





2016年9月 5日 (月)

歌人・大島史洋&大島登良夫 親子

歌誌『短詩形文学』2016年9月号の匿名「短歌時評」を読む。

今月のタイトルは「父と子の歌集 子・大島史洋」。

あれぇ、なんだか見たタイトルと思って、念のため8月号を出してみたら、

「父と子の歌集 父・大島登良夫」だった。






そうか、この(百日紅)匿名さんは、父親・大島登良夫の歌集『恵麓後集』と

息子の大島史洋の歌集『ふくろう』の歌を抄出・対比?させて、論じている。





    アララギの百年を生くるは難からむと思ひしが存へてアララギはなし

    長生きしてよいことは嫌な奴が先に死ぬことと言ひし人あり

    美しき老いなど吾にある筈なし有漏(うろ)にさいなまれ生き来し思へば

    憲法九条を守る会に名を列ねたり吾のなしうることの一つに

    戦争に前方後方の別ありや後方支援に惑はさるる勿れ

                             大島登良夫『恵麓後集』より

    長命とは生き残ること目の当たり見せしめている父の姿は

    父と子の絆はたとえば隣人愛 傘一本の貸し借りくらいの

    ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ

    認知症の母が死にたいと言いしときそううまくゆかぬと言いたる父よ

    父の名が「新アララギ」に無きことを確かめているこの月もまた

                             大島 史洋『ふくろう』より



「この父にして、この子あり」と思うのは穿ち過ぎか。

しかし、なんともまぁ、似ている。歌も人間も。

辛辣でありながら、ユーモアもあり、読後ほっこりする部分もある。





父の登良夫の歌集『恵麓後集』は、平成13年、作者88歳から平成19年

94歳までの作品587首が収められている。

子の史洋の歌集『ふくろう』は、第50回迢空賞を受賞している。

息子の迢空賞受賞も知ることなく、大島登良夫氏は昨年逝去されている。







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よけいなことだが、この時評の匿名は、匿名にする必要があるのかしらん。

そういえば、ず~っと匿名になっていたような。(折折、名前は変わるけど)


2016年9月 4日 (日)

昨日の夕焼け、今日の曇天

気がついたら9月もとうに4日になっていた。

2日は香椎の教室があり、3日は未来短歌会の福岡歌会だった。

台風12号の接近で、明日5日は幼稚園、小学校、中学校はすでに

休校が決まっている。




本日の15時50分の発表によると、台風12号は天草市の南西約90Kmを

北に移動中。今夜日付が変わる前後に九州北部に上陸するおそれが

あるらしい。(どうぞ、荒ぶることなく過ぎてほしいものだ。)



それにしても昨日の夕焼けは綺麗だった。

長い時間あかね色が消えずに残っていた。



大分産の栗を頂いたので、今日は「栗ご飯」を炊いた。





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『台湾鉄路千公里』 宮脇俊三 角川文庫

『椰子が笑う汽車は行く』宮脇俊三 文春文庫

この2冊を読みながら台湾1周の汽車旅を考えているのだけど、何しろ

この文庫の宮脇が旅をしたのは、1980年(昭和55)と、その2年後なので

現在の台湾の鉄道事情とかけ離れていて参考になりそうにない。

台湾に行くことが出来るのか、わたしは。

 

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