« 「探し物」をしている時間 | トップページ | 『無縫の海 短歌日記2015』 高野公彦  ふらんす堂  »

2016年9月30日 (金)

『思ってます』 池田澄子句集  ふらんす堂

『思ってます』は、池田澄子の第6句集。

『拝復』以後の2011年から2015年半ば辺りまでの作品を収録。


      --略 思えば物心付いて以来、当然のことながらいつも

      何かを思っていた。思うことで行動する場合もあるが、殆どの

      思いは何処かに届くわけでもない。俳句はモノやコトを描く

      ことで思いをちらと見せる。が、思いは、何の役にも立たない。-略

                                「あとがき」より





池田澄子といえば「じやんけんで負けて蛍に生れたの」が高名である。

この俳句を知ったのは、角川書店発行の『女流俳句の世界』(1995年10月)の

別冊俳句であった。矢島渚男氏が「女流の今後」を執筆していたが、この中で

三橋敏雄の唯一の弟子である池田澄子の「じやんけん」の句があった。

しかし、この時点では、鈴木真砂女の方にわたしの関心は強かった。

真砂女の「死なうかと囁かれしは螢の夜」などの艶っぽさに憧れていたのだ。

あれから20年の歳月が過ぎた。

そして、『思ってます』がいまわたしの手許にある。



      アマリリスあしたあたしは雨でも行く

      じっとしたおたまじゃくしは居ないものか

      秋の暮ともかく終点まで行こう

      花ふぶき家で夫が待っている

      まさか蛙になるとは尻尾なくなるとは

      ねぇあなた池の向こうは涼しそう

      裏白やあいつ病むとは気にいらぬ

      こんなにも咲いてさざんか散るしかない

      雪の山私の柩になる木はどこ

      わが晩年などと気取りてあぁ暑し






いいなぁ、いいなぁと思いつつ読む。

ちっとも難しい言葉はないし、アイロニカルなところ、それでいて、

女性性なところ。しかし、竹を割ったような?性癖?だったり……




俳句の中に池田澄子のさまざまな顔が浮かぶ。

このたび通して読んで、いちばんわたしの心を鷲掴みしたのは、

9句目に挙げた「雪の山私の柩になる木どこ」だった。

なんだかシンとしてさびしいが、ふかいふかい句だと、 思ってます


                     
2500円+税  2016年7月24日初版発行







    

« 「探し物」をしている時間 | トップページ | 『無縫の海 短歌日記2015』 高野公彦  ふらんす堂  »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2032066/67739181

この記事へのトラックバック一覧です: 『思ってます』 池田澄子句集  ふらんす堂:

« 「探し物」をしている時間 | トップページ | 『無縫の海 短歌日記2015』 高野公彦  ふらんす堂  »