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2016年10月

2016年10月31日 (月)

ワンダーコアと『マイブック』

7月から大規模改修工事のために空が見えない。

ベランダがつかえないので、ホトトギスも紫陽花も南京黄櫨もみんな

処分してしまった。

朝、目覚めたら空を仰ぐよろこびがない。

植物に触れる楽しみを奪われてしまった。

そんななか7月からの歯科通い。

1週間に1度くらいしか通えないので、まだ通っている。

3か月はゆうに過ぎたな。


ストレスは溜まるばかりで、勢い甘味に走る。




おやつばかり食べていた。

今年の夏は暑かったせいもあるけど、連れ合いのお土産がいつも

アイスクリーム。そのアイスクリームをせっせせっせと消費したのはいいが

体重が4キロも増加。(どうしてくれるんじゃ~笑)




なんとか以前の体形に戻したく……なんて甘い考えと思うけど、抵抗して

みょうじゃ~ないの。

その対策の、ワンダーコアなるものが届いた。

ためしに使ってみたけど、これを使って2週間くらいで

体重・ウエスト・体脂肪などが「減」になるのかしら。
(三日坊主にならないように実践するだけですなぁ)




そして、『マイブック 2017年の記録』(新潮文庫 370円+税)を買った。

これは、例の「書き込み歌集」みたいな白紙の文庫版。

日付と曜日しかなく、あとは白紙のページが1年分続く。

体裁は、ふつうの文庫本と変わらず、カバーを掛ければ文庫本間違いなし。

この『マイブック』に記録を残すことにする。





まぁ、なにごとも「型から入れ?」ということだし、わたしガンバル。






2016年10月29日 (土)

内藤香代子歌集『ぬくぬく』

表現誌「歩行」誌友の内藤香代子さんのはじめての歌集である。

『ぬくぬく』は変形版であり、絵本のような趣がある。

タイトルからして絵本を彷彿とさせる。それもそうだ、天野祐吉の絵本

『ぬくぬく』から命名されている。





そして、「歩行」といえば、福岡県八女市黒木に発行所があり、発行者は

内藤賢司氏である。即ち、香代子さんは内藤氏の妻。

2012年に内藤氏は第4歌集『靴が鳴る』を上梓している。

アメリカで生まれ、日本で一緒に暮らす孫の4年間を見つめた愛情たっぷりの

ほのぼのとした集であった。




さて、香代子さんの『ぬくぬく』には、どんなぬくぬくが……





      裸婦像のかたちに山を横たえて光を降らす天心の月

      ソラマメの花はいくらかひょうきんで畑の隅より我を見つめる

      冬空の青どこまでも頼りなしどこかに何かを忘れ来しごと

      遺影と袈裟と白装束はここに在るタンスの前にて義母は言うなり

      産道を通ることなく生まれたる空(ソラ)よ生きゆく準備はいいか

      いつまでも何が哀しゅうて泣く海(カイ)かその魂を懐に抱く

      父母(ちちはは)の遺影の下に目覚めれば我在ることを喜びとする

      在ることを確かむるごと月の夜は眠れる君の手を取りてみる

      「ぬくぬく」の絵本で育ちし娘は三十六歳 天野祐吉、秋の日に逝く

      踏み入れば果てもなくただ球ばかり生の巡りの彌生の世界
                            (草間彌生展を見て)




2首目、ソラマメの花のかたちの黒点が、目玉のようでもある。

     そのソラマメの花から見られているように感じるのだ。



4首目、死期を悟った義母がかねてから用意していたものを嫁である

     作者に告げる。告げられて作者は息の詰まるような思いをしたこと

     だろう。作者の心の中を表に出さずに即物的に詠んでいる。



5首目は、帝王切開で生まれた「空(ソラ)」君であろうか。下の句がいい。



8首目、相聞歌とも呼べそうだ。傍らに眠るひとの手を取るしぐさのなんと

     艶やかなことか、否、人間の〈生〉のありようを確かめているみたい

     でもある。



9首目はタイトルになった歌で、たぶん1980年代の『こどものとも』の絵本で

    育った娘さんだろう。その子が36歳になり、その絵本の作者である

    天野祐吉氏は亡くなってしまったのである。

    (2013年10月20日に80歳で天野祐吉氏は亡くなられている。)



    

そして、10首目の歌は昨日の草間彌生氏の文化勲章受賞をたちどころに

呼び起こした。草間彌生ファンがここにも居ると思い、嬉しくなった。他にも

「点点は彌生の呼吸、集まりてざわめきており方形の中」とも、うたわれて

いる。

草間彌生氏は、歌人の琴線に触れてくる芸術家ともいえよう。




                              2016年10月1日発行

 

      

2016年10月28日 (金)

草間彌生さんのドットの世界

文化勲章受賞の発表があった。

草間彌生さん、87歳。

今なお現役でお仕事をなさっている。

ほんとうにスゴイ。




草間さんのドットの世界を知ったのは他ならぬカルチャー教室だった。

2011年8月9日、出された歌によって。





        真っ赤なる和紙に顔採塗りまくり草間彌生を思いて描く

                                   坂元 元子




「草間彌生」の熱烈なファンの彼女が滔滔と語るのを皆で聴き入った。

それから、彼女の導きによって草間彌生の大胆な極彩色のドット(水玉)の

世界を覗いた。


 

        「芸術は人生、命の全て」なんて、すてきな言葉だ。 


そういえば、岡井隆さんは文化功労者受賞。

おめでとうございます。

2016年10月26日 (水)

『筒井富栄全歌集』 六花書林

平成12(2000)年7月に亡くなられた筒井富栄氏の全歌集。

息子である村田馨氏(「短歌人」所属)が、十七回忌のために( ? )編まれた

もの。筒井氏は昭和5(1930)年生まれだから、享年70歳。






昭和31(1956)年、「近代」に入会、加藤克己に師事する。

引き続き「個性」に入会。

この全歌集は、筒井氏の45年の歌業の集大成である。

500ページに近い厚さの全歌集で、まだ殆ど読んでいないのだが、

後半の「歌人論」が目茶目茶面白い。

面白いといういいかたは語弊があるが、今読んでもちっとも色褪せて

いなくて、こういう書き手が居たのかと、自分の不勉強を思い知らされた。





筒井氏の『十人の歌人たち 同時代作家論』より3本選んで収められている。





          小池 光  君よ片目をつぶらないか

          岡井 隆  現代の妖術師

          馬場あき子 今生のこと見えてしまわん


この、「小池光」の章を読んでいたら、角川の『短歌』11月号の角川短歌賞

選考座談会の言葉を思い出してしまった。つまり、「主語の混乱」などは、

小池さんにとっては、いやなんだよね  ? 。(笑)


        小池がその歌集のあとがきで、「多くはぼくにとって作歌すると

        いう行為が、あのバルサ材をけずり、みがき、接着していった

        行為とほとんど重なっている。」と思い、「つまりぼくは歌を

        〈作って〉きたのである。」と言い、「歌をうたったのでもなく、

        詠んだのでもなく、歌を作ったのである。」と断定していることに

        注目せねばならぬだろう。



「岡井隆」の章も、昭和60(1985)年以前に書かれたものとはいえ、今、引用

してもちっとも違和感がない。




 

        作品中の「われ」と、彼岡井隆とを、どのように重ねるか、つまり

        同一視するか否かという問題がある。




        岡井隆が書いたシナリオを、本人が演じている。というところでは

        なかろうか。



        歌壇につねに問題を投げかけ、若手歌人を扇動する岡井は、

        やはり現代の妖術師であろう。






と、いうことで、肝心の短歌は、これから、じっくり読むことにしよう。





「加藤克己門下として、モダニズムの系譜に連なり、重き時代の抵抗と

しての〈軽短歌〉を提唱。あざやかな口語、軽やかな詩想を追求する。」

                                   帯文 より

                 2016年10月27日 初版発行   3000円+税

        

 

2016年10月25日 (火)

『STORY BOX』 2016年11月号  小学館

書店でいただいたこの雑誌は初見。

ぱらぱらと捲っていたら、西川美和さんが執筆していた。

題して、映像クリエーターの制作ノート「永い言い訳」。





西川さんといえば映画監督であり、本木雅弘主演の「永い言い訳」の原作・

監督でもある。

数日前にこの映画を観たばかりだったが、彼女の文章を読みながら、

この映画の大きなテーマにわたしは気付いていたのか、いなかったのか、

気になってきた。






          本作には、ひとつの大きなテーマがありました。子どもが

          いないまま中年を迎える人間のことをきちんと描くことです。


わたしがブログに記した(10月22日)ことは、この「大きなテーマ」に触れる

ものであったか、あるいは、少しでもこのテーマに寄り添うものであったか

どうか ?






                      家族を作ることなく、この年齢になってくると、ある意味社会

          での身の置き場がなくなってくる。何のために生きている

          のか、あやふやになってくるんです。いつまでも子どもじみた

          自分のことを大丈夫かなと不安にも思うんですが、そんな

          人生経験のなさを逆手にとって、子どもがいない人間に

          とって世界がどう映るのかを描いてみようと決めたんです。







誠実なひとだなぁ、と思う。生きることに対して真摯というか、真面目なんだ。

子どもがいなくて、宙ぶらりんだと少しでも自覚しているひとがいたら、

この映画を観たらいい。





わたし自身、子どもはいるには居るが、いないような寂しさを感じる

こともある。

そういった人間もこの世の中には大勢いることだろう。






映画っていいな。

本っていいな。

と、しみじみ思う「秋の声」(季語)

 

2016年10月24日 (月)

『半人半馬』 野田光介歌集 短歌研究社

昭和10年生れ、「やまなみ」選者の2冊目の歌集。

タイトルは、「自転車に半人半馬号と書く人間半分やめたくなりて」の

集中の1首に拠る。





   サウナから水風呂に入りまたサウナどう生きるのかまた迷い出す

   川原に暮れゆく尾花晩節を少し汚して生きるて(、)もある

   震えつつ詩魂は来たれ丑みつの万年筆にインクを満たす

   逆年順の歌集編みたし読むほどにだんだん若い樹になるような

   花束を貰ったことが三度ある寝た上に置かれたことはまだ無い

   老人性と付ければ何となく分る湿疹に鬱、恋患いも

   「お客様の中に歌詠みさまは居ませんか」一度言われてみたきものなり

   腕組みをしていては歌は作れない否つくれるかどうするカボス



きわどいなぁ、と思いつつ、それでも面白そうな歌を抄出した。

作者は「あとがき」で「湿潤は詠まぬ、と基本的には思っている」と述べて

いる。従って、短歌にありがちな湿潤な世界を拒んでいるのだろう。





2首目、「晩節を少し汚して生きるて(、)もある」(「て」には傍点あり)とは

いえ、結果的に汚してしまうのが「晩節を汚す」ではないだろうか。

「汚すて(、)」もあるから汚すのではなくて…





5首目、下の句の「寝た上に置かれたことはまだ無い」とは、柩の中の

ことかしら ?  寝た上に花束を置く、なんてことはあってはならないし、

もし、置かれるような状況なら、もうこの世のひとではないみたいな。


7・8首目は「歌」に関わる歌だが、「きわどいなぁ」と思う。

その際どさは、たぶん私的に言えば、面白く作り過ぎているということかしら。





「軽薄なことも敢えて避けない」とも「あとがき」に書かれているので、

作者は先刻承知の上での手法であろうか。

何でもないような歌のなかにある味わい、わたしはそういう歌が好きだ。

たとえば、次の2首のような。





    野を行けば今朝の雲雀は良いひばり聞こえる方の右耳に鳴く

    白き雲流れゆくなり 雲梯を這って渡ったこと一度ある



   

                        平成28年10月1日   2000円+税







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昨日の日曜日は、Rethink Books での「福岡でも鳥肌が」の穂村弘さんの

イベントに行った。穂村さんの話には引き込まれる。

「目が遠い」とか「まばたきをしない」なんて話題は穂村さんらしい ?



終って後ろを見たら、「あれぇ」と、お互いに声を漏らした。

いま「時のひと」のT さんが来ていた。

電話でも歌会の時にもこのイベントの話はしていなかったのに、揃って

来ている、だなんて……

 

2016年10月22日 (土)

映画 「永い言い訳」本木雅弘主演  

西川美和原作・監督の映画。

小説家の衣笠(本木雅弘)の妻は、友人と出掛けた旅先で事故に遭い、

死んでしまう。その妻の死を表面上では悲劇の夫として振る舞っている

ものの、実際は涙を流すこともできない。

それは、妻が事故に遭った留守中に不倫をしていたからだ。

その自責の念が綯い交ぜになって、自意識が捩じれ、屈折してゆく衣笠。



妻の友人の夫はトラックの運転手(竹原ピストル)。幼い子どもが2人いる。

衣笠と同じように妻を失くしている。

この子どもたちの世話を衣笠がすることによって徐々に精神が解放されて

ゆく。




心理的な映画で重いといえば重い。

しかし、衣笠が子どもたちの世話をしている姿は実にいい。

衣笠自身が子どもたちを相手にすることによって救われるみたいな…

〈生きている〉ということを、衣笠も実感するのだろう。






本木雅弘は、映画出演を選んでいるみたいに多くはない ?

しかし、「おくりびと」でもそうだったが、とてもだいじに丁寧に役をこなして

いるように見受けられる。





昨年の8月に観た「日本のいちばん長い日」の昭和天皇の役どころも

本木ならではの〈誠実さ〉が滲み出ていた。





このたびの「永い言い訳」は、とりたてて派手な立ち回りや見所はないの

だが、じんわりと胸に入ってくるような良さがある。




本木雅弘の演技はすばらしい。

                                 TOHOシネマズ

2016年10月21日 (金)

ノンフィクション「いのちのかぎり」もとむら和彦  『季刊午前』

『季刊午前』(第54号)が届いた。

巻頭に掲載されていたノンフィクションを先ず読んだ。

作者の妻君が約半年間の闘病を経て、七十七歳で昨年12月、他界した

前後のことを詳細に記している。





「骨髄異形成症候群(MDS)」という病名に翻弄された半年間の物語である。

妻の入院してからの日々の不安、妻不在の家庭の空洞を作者がいかに

くぐり抜けたか、等々。 身につまされることばかりだった。

一章の小題の「妻の入院と私の覚悟」の〈私の覚悟〉のノンフィクションでも

あったと思う。

昨年の12月にわたし自身も姑を亡くしているので、ひとのいのちの瀬戸際、

そして、看取る者は何をなすべきなのか、そのあたりが実感と共に迫って

きた。

お葬式の手配、いつどのように進めればいいのか? など、当事者だけの

迷いがある。お葬式は作者を含めて11名の火葬式を行っている。

そして、作者は海洋葬の散骨という方法を選んだ。







このあたりの〈私の覚悟〉が伝わってくる一篇だった。

この一篇で知ったのだが、「能古島沖の海洋散骨」に心が動く。

能古島の象瀬の沖、東経130度、北緯33度にわたしの骨も……と

思うのだが……でも、わたしはエンディングノートなどは、書かない。






『季刊午前』の小説の「窮屈なはなし」西田宜子・「涙のペンダント」田中圭介

「風の交差」島九十九・「虫かご」田島安江・「山の日記」井本元義を読了。







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これから午後は香椎まで。

4日続けての外出でエネルギーが不足気味。

充填しなければ……

     

2016年10月20日 (木)

ご機嫌伺い(お見舞い)

9時32分の新幹線に乗って熊本へ。

博多駅まで戻って新幹線に乗るので、車窓からわがマンションが見えた。

大規模改修工事のためにシートに包まれた90戸のマンション。



空であそんでいる羊の群れなどをぼぅ~っと眺めているうちに、熊本着。



まだ、ブルーシートを被せている屋根がちらほら見える。

熊本城の石垣の崩れているさまに心を痛めつつ、先を急ぐ。




久々にお会いしたMさんは、お元気で何よりだった。

この10か月の間に、Mさんの上に起きたこと、共有なすべきもないが、

ともかくこうして再会でき、元気な姿・顔を確認できたのがうれしい。





机の上には国語辞典と本が数冊、品田悦一の『斎藤茂吉 異形の短歌』も

あった。いつでも作歌できる状態で過ごされている。

総合誌も読まれているし、お話しているとたちどころに3・4人の歌人の

名前が出てくる。その話の面白さに引き込まれてしまう。




帰りの新幹線「さくら」もほとんど自由席は埋まっていた。







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「ミスターラグビー」の平尾誠二さんの死去のニュースに

連れ合いがショックを受けている。

53歳、まだまだこれからだったのに……






2016年10月19日 (水)

金木犀、ようやく開花。

本日は、薔薇観賞デー。

石橋文化センター正門前10時集合なので、8時44分の電車に乗る。

途中、西鉄久留米駅でTさんがバスを待っていた。

偶然、同じバスに乗り合わせる。お喋りに夢中になっていたら、停留所を

一つ乗り過ごしてしまった。

そんなアクシデントもあったが遅刻せずに着いた。

すでに皆さんも揃っていて園内を散策。





薔薇は少々期待外れ。

春の薔薇フェアーを知っているだけになんとも花に勢いがない。

それでも香りのする薔薇などあり、あれこれと見巡る。

そんなわたしたち一行を待っていたのは金木犀の香りだった。

大きな金木犀の木が2本あり、馥郁たる香がしている。

そこで全員集合して、その香りをたのしむ。

今年は咲くのがおそかったねぇ、と、暫し談笑タイム。







お昼は楽水亭にて「薔薇御膳」。

この楽水亭は赤レンガの建物で、レストランの前面には池があり、

眺めながら食事ができる。
(ここの池には、とても大きい鯉がいる。わたしたちの気配で

寄ってくるので、餌を持っていないのが申し訳なくなったくらいだ。

ちなみに売店で鯉の餌は売っている。笑)






「薔薇御膳」は、リーズナブルなお値段で、その上に美味しい。

大根と柿のなます・お豆のトマト煮の小鉢2品。

季節の5種盛りは、高野豆腐の揚げ煮・里芋の茶巾・ポテトサラダの

胡瓜巻など。

雑穀米のお芋ご飯とお吸い物。

デザートはバラアイス。このバラアイスには真っ赤な薔薇の花びらが

ちょこんと飾られていた。

コーヒー&紅茶を味わい、またまたお喋り。






これで、歌が出来るんならいうことないんだけど、

みんな、歌は大丈夫かな? わたしよ、大丈夫か ! 




 

いつものように、教室を終えて、

夕方、最寄りの駅で降りたら、駅前の2本の金木犀が強烈な香りを

あたりいちめんに漂よわせていた。

ただいま、福岡は、金木犀の香りが溢れている。

2016年10月18日 (火)

「山階基トリビュート」 ぺんぎんぱんつの紙

ネットプリント 33230391 B4用紙6枚。

120円で「山階基の世界」を堪能することができるんだよ。




さる人から聴いてはいたんだけど何しろ機器オンチで、

「ネットプリント、無理、ムリっ ! 」 と踏み出せずにいた。

パソコンのUSBメモリだって使いこなせずに、

未だにフロッピーを使っているのに…





今日、歯科の帰りにセブンイレブンの看板が目に入った。

「あ、ネットプリント ! 」

番号、メモしていたっけ。ごそごそと手提げの中を探す。

歯科の診察券の裏に何やら数字の羅列が…





試しにコピー機の所に行って操作してみる。

「何、なに、簡単じゃん」

するするとB4用紙が6枚出てきた。


ホントに「山階基トリビュート」が、わたしの手許に。

うれしくて、うれしくて、今読んでいる。





      ほっといた鍋を洗って拭くときのわけのわからん明るさのこと

      ひんやりとお米に指を沈ませてふとくちずさむ遠雷の夜

      ひたすらに見守っているなりたくてホットケーキは丸になるのに

      さっきからなにを見てるの 大丈夫、扇風機でも髪かわくから

      うちを出る? はてなを顔にしたような母よあなたに似たわたしだよ







荻原裕幸・黒瀬珂瀾・千種創一・服部真里子・山下翔 等々の16名が

山階基の1首評と返歌1首を寄せている。

それにしても、基さんって、みんなに愛されている。



そして、紙面のデザインが抜群にいい。

保存版になるのは間違いないです、ね。



みんなぁ、コンビニに走れ~

          

2016年10月17日 (月)

『綴られる愛人』井上荒野  集英社

映画監督の行定勲氏が読了して思わず「映画化決定 ! 」と叫んだという書。

井上荒野の小説は、読者をぐいぐいと引っ張り込む。

読者は、凛子であり、クモオと化して、愛の坩堝にいつのまにか

放り込まれる。




小説家の柚(ゆう)は35歳。航大(こうた)は、大学生の21歳。

この2人が名前や年齢や住んでいる所も伏せて、「綴り人の会(文通コミュニ

ティ)」を媒介として交際が始まる。





柚(ゆう)は凛子28歳となり、航大はクモオ35歳のサラリーマンとして

登録し、綴り人の会を通して手紙のやり取りが始まる。

交際といっても文通だけの、架空の世界である。従って実際の年齢も

境遇も知らない。




しかし、架空の世界が現実味を帯びてくるのは、その手紙の切実さゆえで

あろうか。凛子は夫からDVを受けていると手紙でクモオに訴え続ける。






         ーー略 約束します。彼が死んだらあなたに会います。

         それまではだめ。彼が死んだら、私が金沢へ行ってもいい。

         もちろんあなたが来てくれれば東京で一緒に暮らしてもいい。

         クモオさんがそうしたいなら、仕事をやめればいい。お金の

         ことなんてどうでもいい。生きていけるなら、私は何でもする。

         私は本気です。                2月1日 凛子




危険な恋は相手と1度も逢わないまま、一線を踏み越え暴走してゆく。

怖い、怖い。

井上荒野の小説は、小説の常道?から、遥かに隔たり、それゆえに

迫真がある。

凛子とクモオ(柚と航大)は、どうなるのか、どうしたいのか?


                  1500円+税  2016年10月10日 第一刷発行








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そういえば、井上荒野の小説『だれかの木琴』は、映画が封切りされて

いる筈なのに、福岡ではまだ上映されていない。

池松壮亮の演技が観たい。

熊本には来ているそうなんだけど……

2016年10月15日 (土)

『空の名前』 高橋健司  光琳社出版

お天気が悪くて、13日の夜に「後の月」を見ることができなかった。

昨夜はお月さんが出ているかしらと、ポストまで行くことに。
 (マンションの大規模改修工事が始まった7月以後、シートですっぽり

 包まれているために、月も星空もベランダから見ることが出来ない。泣)




夕方に羊雲の夕焼けを見ただけに、期待していた。

その期待は叶った。叶った以上にうれしかったのは「神の使いの羊」を

見ることが出来たこと。

                          羊雲(ひつじぐも)

          羊が牧場で群れているように見える雲で、高積雲の一種

          です。この雲が太陽や月を横切ると、美しい光冠が見える

          ことがあります。西洋ではこれを「黄金(おうごん)の

          羊(ひつじ)」とか「神(かみ)の使(つか)いの羊(ひつじ)」と

          呼ぶそうです。

                                   『空の名前』より


夜空を仰いでいるひととき、わたしがわたしでいられるような至福を感じる。

こんな時間はこのところそう多くはない。

あわただしく日と月が流れていく。

その流れのなかで自分を見失ったりする。それが怖い。

明日、16日の満月は見ることが出来るかしら? ダメなの?







前記『空の名前』には、「気象学による雲の分類法」が序章にあり、

6章まであり、雲の章・水の章・氷の章・光の章・風の章・季節の章と

収められている。

作歌するときにとても便利な一冊である。

                       平成4年1月22日   定価3200円

2016年10月14日 (金)

夕焼けの羊雲

出先からの帰路に見た羊雲、空いちめんに広がっていた。

その羊雲が夕日を受けてみるみるうちに真っ赤になっていく。

西の空は夕焼けの色に染まり、わたしは電車を降りて立ちつくした。



そういえば、小野茂樹の歌集のタイトルは『羊雲離散』だけど、どんな

羊雲をうたっていたのだったかと思い浮かべてみたものの出てこない。

      五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声

      あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ

      くさむらへ草の影射す日のひかりとほからず死はすべてとならむ






かろうじて思い出した3首だが、小野茂樹と『羊雲離散』は、小中英之が書く

ように〈同義語〉だと思う。



帰宅して、『現代短歌大系11』(三一書房)を開く。

この11には、夭折歌人集として掲載されていたが、『羊雲離散』は全篇収録で

なく、抄出となっている。





なんだ、なんだと、乗り掛かった舟を漕ぐことが出来ずに書棚を眺める。

あるじゃ~ないの。

『小野茂樹歌集』(現代歌人文庫 国文社 1982年9月25日初版)




       ひつじ雲それぞれが照りと陰をもち西よりわれの胸に連なる

       語るほどに光れる位置を移す雲わが眼を奪ひゆく力あり

「ひつじ雲」の言葉が入っているのは、上記の1首のみ。

茂樹の1967年12月に書いた「おぼえがき」(『羊雲離散』の後記の代り?)を。





       ーー略 題の『羊雲離散』は、歌誌「地中海」の最初の掲載作の

       タイトルからとった。名付親は香川進先生である。「羊雲」は和語

       であるらしく、漢語辞典中には見当たらぬ。したがって、よううん

       (、、、、)という音読みは成立しないだろう。しかしこの造語も、

       なんとなく耳慣れて動かしがたくなってしまった。同じ四字の歌集

       名で『東西南北』『水源地帯』などもあるが、『羊雲離散』には四字

       のなかにドラマがあってぼくは気にいっている。ーー略





「羊雲(よううん)」って、茂樹の造語だったのだ。

その「羊雲(よううん)」に「離散(りさん)」をくっつけて四字(四字熟語)に

している。





今日の夕方見た「羊雲(ひつじぐも)」から、小野茂樹の歌を辿ることが

できて、良かった、良かった。



でも、わたしが見たのは、まさか「鯖雲(さばぐも)」じゃ~ないよね。(笑)

 

2016年10月13日 (木)

歌集『花片』 細溝洋子   六花書林

2007年、第18回歌壇賞受賞の細溝さんの『コントラバス』に続く第2歌集。

歌集タイトルは「本物でなくてもいいよ五月雨に白き花片をぬらす

ニセアカシア(アカシア)」から取られている。なお「花片」は「かへん」と読む。

    ああわたし人の話を聞いてない電話の中で声がぶつかる

    こだま-(ひく)のぞみ=(の)六十八分のために選んでいるミステリー

    旅の夜の眠り浅くてわが心こつんこつんと何かに当たる

    落ち葉掃く和尚は見えず紫陽花の咲ける現(うつつ)の瑞泉寺ここ

    「誓います」息子の声の響きたり乱反射する記憶のひかり

    「恋チュン」を最前列に踊れるは新郎にして私の息子

    問題は私自身と気づくまで水族館の回遊魚たり

    「それにしましても」という丁寧語無敵にて軽くねじ伏せらるる 私も

    若きらと歩く楽しさ人生にまだたっぷりと時間があって

    ロシアンブルーの一枚のみが残されてなかなか来ない猫年を待つ



1首目、電話で話している時、相手の声と被ってしまうことがある。わたし

     などもやらかしてしまうのだが、相手の話をゆっくり聴くことを

     していないのだと気付く。内省の歌。



2首目は、68分間、こだまの方が長くかかると思ったのだが、どうだろうか。

      その68分間を消化するためにミステリー小説を持参するのだ。



4首目の歌、瑞泉寺といえば、大下一真和尚さんかしら。この一つ前の歌が

        「北鎌倉の中の三つのK音を確かめながら改札を出る」とある。



5・6首目の歌は、息子さんの結婚式のようである。誓いの言葉を聴きながら、

       幼いころの息子のことや、いろいろな記憶が甦るのだろう。母親の

       情(じょう)のたっぷりとして言い放つ「私の息子」。羨ましい(笑)




9首目の「まだたっぷりと時間があって」は、最初作者の時間かなと思った

    のだが、これはたぶん「若きら」のことだろう。時間に齷齪せず、

    歩いている若きらと過ごすのは、心地いいような。

最後の歌は、干支には「猫年」がない。十二支の第11番目には「犬」が

         あるのに。「ロシアンブルー」の色合いがいい。








華甲を祝してのご出版と想像したのは、奥付の日付に依る。

すてきに年齢を重ねていることが歌から伝わって来た。






                        2016年10月12日   2400円+税
    

 

 

 

2016年10月12日 (水)

ご報告 ②

2016年8月5日(金)の「ご報告」に続きまして、2度目のご報告です。



恒成美代子歌集『秋光記』(ながらみ書房 2016年6月1日刊 2500円+税)の

書評や紹介記事など、新聞や雑誌に掲載されたものです。
(⑥までは、8月5日のブログに。)






  ⑦「星雲」(2016年9月号) 「介護詠の現在」藤島秀憲 執筆

  ⑧「あすなろ」(第173号)寄贈図書紹介

  ⑨一首鑑賞 日々のクオリア 砂子屋書房ホームページ
                         (2016年9月22日)佐藤弓生 執筆

  ⑩読売新聞「季評短歌」(2016年9月24日)桜川冴子 執筆

  ⑪熊本日日新聞「歌のある風景」(2016年9月26日)塚本諄 執筆

  ⑫宮崎日日新聞「みやざき 歌の窓」(2016年10月1日) 志垣澄幸 執筆

  ⑬現代短歌新聞「五色の虹への心寄せ」(2016年10月5日)
                                     佐藤孝子 執筆

  ⑭「短歌春秋」NHK学園 選者・講師の新歌集欄 (2016年10月)

                                   中川佐和子 執筆

  ⑮「未来」(2016年10月号) 「木の椅子に座りて」寒野紗也 執筆



以上でございます。

皆様、ご執筆ありがとうございました。

貴重な紙面(誌面)をさいて掲載して頂き、関係各位にお礼を申し上げます。

これ以外にもチェック洩れがございましたら、ご存知のかたはお知らせ

いただけると有り難いです。

今後とも宜しくお願い申し上げます。



      

2016年10月11日 (火)

乾正歌集『寒葵』 現代短歌社

著者は1992年に創刊された「あまだむ」に入会、その後2012年創刊の

「八雁」に入会している。

念のためお名前は、乾 正(いぬい まさ)さん、女性のかたである。

60歳から80歳まで20年間の作品500余首を収めている。


    赤四手(あかしで)の下枝に尾を振る尉鶲(じょうびたき)わが庭うちの

    しばしの憩い

    徳田白楊の歌の沁むらしいくたびも諳んず夫は座椅子に寄りて

    隣家の垣根の元の小判草小判重けりゃ私にください

    何をしても中途半端なわれなれど七十七歳あと二十年はある

    秋に実の赤く熟するガマズミはかわゆき白き小花つけたり

    背中には夫に薬をていねいに塗ってもらってありがたきかな

    草原(くさはら)にわが摘みて来しチヂミザサ壜に根の出づ生きた力






庭の広い家に住んでいたこともあって、さまざまな樹木の名前が出て来る。

そして、それらの木々の熟した実を求めて、鳥たちがやって来る。

作歌するにはとても良い環境にいらした訳だが、後年その家を引払い、

ケアマンションに夫婦で移り住む。

申しおくれたが、正さんの夫君も歌詠みであり、このたびの『寒葵』は、

『乾喜八郎歌集』と対になって一つの函に収められている。さしずめ

比翼の二冊の歌集となっている。以下はその『乾喜八郎歌集』より。






    上の山の茂吉のみ墓のその脇にいちゐの木あり赤き実をつく

    結婚をせしころの妻やさしかりき七十歳(ななそぢ)こえて今はこはもの

    メグスリの木の種三つとつてある桜が咲いたらまくことにした


なお、この歌集の「後記に代えて」は妻である正さんが記している。

60年間を共に過ごした夫の喜八郎さんが亡くなられたのである。





   ーー略 もうじき夫が亡くなって二年が来る。毎日のように登った

   裏山にいま、赤や白の梅の花が満開だ。六十年という結婚生活も

   終り、私も八十五歳になった。まだ毎日泣いている。いつまで続くのか。

                『乾喜八郎歌集』 後記に代えて より 


「あまだむ」の歌会に夫婦そろって参加し、カルチャー教室でも毎週机を

並べ、みんなと八ヶ岳に一泊の吟行旅行をしたお二人。

そんなことを思うと、夫婦っていいなと思う。

同じものを見て、同じように短歌をこころざしていた二人。

きっと充実した日々だったことだろう。






                   跋文 阿木津英

                   平成28年7月22日発行  2500円+税

 

 

2016年10月10日 (月)

映画「お父さんと伊藤さん」 

お父さん(藤竜也)、伊藤さん(リリー・フランキー)、そして、主演・彩

(上野樹里)の物語り。



お父さん(74歳)が、兄夫婦の家を追い出され?ある日突然、彩(34歳)の

住む狭いアパートにボストンバックと小さな箱(謎)を持ってころがり込む。

彩は20歳年上の伊藤さんと同棲している。

この3人のぎくしゃくした関係が見どころ。

お父さんは「この家に住む。生活費は払う」とのたまうが、なんせ狭い

アパート。元・小学校教師だったお父さんは小言が多いし…




彩の息の詰まるような感覚はわからぬでもないが、お父さんとは実の親子

だから、そこはそれ(笑)。



この映画でいちばんほんわかとしてるのは、伊藤さん。

リリー・フランキーがやわらかい、いい味を出している。

バイト暮らしの伊藤さんは、彩よりも20歳も年上ながら、家事もするし、

お父さんにも優しい。

3人3様の言葉遣いや、気の配りかたがじんわりと胸に沁みる。





        死ぬときくらい好きにしたっていいじゃないか。(お父さん言)



       

お父さんが、伊藤さんに二人で一緒に田舎で暮らそうと提案、しかし、

伊藤さんはきっぱりと言う。



        他人に甘えるのもいい加減にしてください。



でも、伊藤さんは彩に向かって「ぼくは逃げないよ」と告げる。

この「ぼくは逃げないよ」の言葉は重い。






この世の中にこの映画に似たような家庭・家族は沢山いることだろう。

家族の物語りであり、現在の家族像を模索しているともいえる。

 

 

2016年10月 7日 (金)

ホトトギスの花

ホトトギスの花をいただいた。

ホトトギスの花をわたしが好きなことを知っていて、教室に持って来て

くださったのだ。




ホトトギスは東アジアに19種類が分布しており、うち10種類は日本固有の

種類らしい。花びらの斑点模様が野鳥のホトトギスの羽毛に似ていることから

ホトトギスと命名された、とか。漢字で書けば杜鵑草・時鳥草などと書く。

花の色は、むらさきが一般的であるが、白色やピンクもあるそうな。





ホトトギスの苗を昨年いただいたので、大事に大事に育てていた。しかし、

マンションの大規模改修工事のために、プランターも大きな鉢も処分した。

今年の7月に工事会社のコンテナで持って行って貰ったのだ。

秋には咲くのにと、泣く泣く惜しんだが……





そういえば、苗をいただく前にも、鉢に少しは育てていた。

     

           ほどのよき斑(はだら)まうけしほととぎす花咲き初むるを玄関に置く

                     『暦日』(平成24年 角川書店) miyoko






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たべものの話題3つ。

銀座若菜のお漬物をいただいた。

赤カブのお漬物が歯触りがさりさりとしていて美味しかった。

そして、「なごり柿」という名前のお漬物は大根と柿を酢漬けしている。

柿のお漬物って、はじめて食べたがお取り寄せしたいくらいの一品だった。

美味しいといえば、「焼いもパン」。

ヤマザキからも出ているが、フジパンの「焼いもパン」は、種子島産の

安納芋を使っていて、このパンをレンジで温めて食べるといっそう美味。

これから寒くなる季節にはもってこいだ。


西鉄千早駅近くにある「Ark・en・ciel」の焼菓子のダックワーズが美味しい。

チョコ・抹茶などのダックワーズの焼菓子もあり、いずれも上品な味。

香椎の教室が8年目に入ったので、お祝にいただいた。




                                                  みなさん、ありがとうございました。

2016年10月 6日 (木)

お絵描き虫(エカキムシ・ハモグリバエ)

長く生きていても知らないことばかり。

自分の世界がいかに小さいか、自分の知識の狭さをたびたび痛感する。



昨日も短歌の教室で、下の句が「お絵描き虫の落書きの跡」という歌が

あった。

「お絵描き虫の」は比喩だと思ってしまった。

作者が作者自身のことを比喩してつかったのかと。

ところが比喩ではなく実際にそういう虫がいることを知った。

エカキムシ、正しくはハモグリバエという名前だ。
(まぁ、「エカキムシ」というのも比喩?だが。)


ハモグリバエは、幼虫のときに植物の葉っぱを食べて成長する。

葉の表面をじぐざぐに移動して食害し、その白い跡が絵のように見える

ことからエカキムシとも呼ばれる。

そういえば、胡瓜の葉っぱなどに白い筋が入っていたりする。あれは、

ハモグリバエの仕業だったのだ。






短歌の教室は、男女、年齢関係なく皆さん対等に批評しあう。

それぞれ育った環境も現在の生活も不明だが、それゆえにいろいろな意見が

出て参考になる。

一人だけの、机上の勉強だけでは得られない多くのものを吸収することが

出来る。






そして、何より皆さんとても熱心なのだ。好奇心旺盛、前向き、明るい。

昨日の教室も事務所のかたは、台風が来ているからお休みにしましょうか?

と、朝早くに電話があったのに、相談すると「しま~す」と即決してしまった。

まぁ、わたしの方が引きずられている(笑)感じ、なきにしもあらず。

次回は、教室の前に、石橋文化センターの薔薇園鑑賞・散策らしい。

10時集合なら早い電車で行かなくっちゃ~



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4文字であらわすと「びくびく」。

チケットがとれた、たのしみ~っ。

2016年10月 5日 (水)

歌集『紛らしきたる』 松井 滿   本阿弥書店

北九州在住の松井滿さんの第七歌集。

1ページ4首組の全142ページ。ソフトカバーの仕様である。

巻末には「気晴らしの短歌」の歌論を収めている。

松井さんは、田井安曇氏の「綱手」に創刊より参加。

評論集に『田井安曇を読む』がある。




  われはなぜここに居るのかさしあたり生くるに何の障りはあらねど

  つぶやきや断言いとど脂乗りくこの頃の岡井隆氏の歌

  兄は父母(ふも)の神童なりき引き比べて父に敲かれゐし悪童(わるがき) 

  吾は

  頭ひかるわれを誘はんをみななど居らね留守番に甘んじてゐよ

  国債の発行にしのぐ財制下われに老後の近づかむとす

  石田比呂志の訃報に驚くよりあやに彼のぴんぴんころりを羨しむ

  看取りを頼む弔(はぶ)りは俺がするといふ長男はいつも好いとこ取りなり

  夫婦として老後を和(のど)に生きゆかむ夢と現(うつつ)の迫間に揺れて

  まだ強き夕照りのなか麦藁帽被れる禿が庭木に水遣る

  赤チシャの苗を植ゑたりサラダなど妻と楽しむためのよすがに




〈生活即短歌〉といったことを思い出させるような歌の数々。

地に足の着いた人間の暮らしということを考える。



しかし、巻末の歌論に出てくる哲学者・パスカルの著書『パンセ』がある

ように、なかなかの理論家でもあり、哲学的なのは1首目の歌からも察せ

られる。



3首目の歌の兄は、松井義弘氏(歌人「綱手」「地脈」)で幼い頃より

兄の方が賢兄として、父母に愛されていたのだろうか。

(この男兄弟という関係はどこの家でも微妙みたいである。)




4首目の歌の前の歌には、妻が韓流ドラマロケ地に旅行したので、

その時の留守番の思いであろう。なんとも可笑味のある歌。




6首目は、2011年2月24日に急逝した石田比呂志さんのことをうたっている。

亡くなったという驚きよりも、「ぴんぴんころり」を羨ましがっている。

石田さんは脳内出血で享年80歳だった。床についてはいなかったが、心臓の

手術をしたりと晩年はそう健康ともいえなかったようだが……



9首目は、他人のことではなく、たぶん自己を戯謔している。




そして、8・10首目は、ようやく(?)糟糠の妻に心が戻ったような安らかさを

感じる。歌詠みはなかなか家庭を大事にしない、というより、大事にしたくても

物理的に大事にする時間が足りなかったりするんだよね。

                     2200円+税  平成28年9月20日初版発行


2016年10月 4日 (火)

歌集『いとほしき命』 赤松佳惠子  ながらみ書房

帯文で「星雲」の林田恒浩さんが「略ーー人生のほろ苦さも感じられて、

赤松さんのヒューマンな声をどの作品からも聞くことができる。」と書いて

いる。

赤松さんは、昭和32年に「中央線」に入会、その後「鑕(かなしき)」・「象」・

「白南風」を経て、現在は「星雲」の維持同人である。歌歴はほぼ60年。



歌集後半にいくに従って歌が自在になり、読んでいるとつい笑ってしまう

ような愉しい歌が出てくる。

愛猫二匹と夫君との暮し、その日常をごく自然体で詠まれている。







   ジャンケンポンあひこでホイをせし隙(ひま)に過ぎしがごとしこの一年は

   さくら若葉の陽の斑眩(ふくる)めく遊歩道あなたのことを忘れゐる道

   ADSLとか光 I P電話の勧めなりしんどい話もうせんといて

   真直ぐに帰つて来るのかと言ふ声は聞こえぬ振りして勤めに出づる

   エプロンのポケットに鉛筆なきときに浮かんで来るは必ず秀歌

   鬼を抱き女木島は男木島に添ひしとふ女性(によしやう)われには

   面白からず

   不穏なる二人の間を家猫は来たり行つたり行つたり来たり

   食事待つ男と甘ゆる猫のゐて今日も恃みにさるる仕合はせ

   猫のため引き戸を少し開けてます母の嫌ひし「バカの二寸開け」です

   夢に来し父母にまたまた聞かざりし棲むは浄土の何番地かや





まさに「ヒューマン」な歌ばかり。


5首目の歌など、人間の真理?をついているというか、独善的なところが

なんとも人間的である。


6首目の「面白からず」も納得。

8首目の「仕合はせ」は、熨斗をつけてお返ししたいような「仕合はせ」?

10首目の歌の「何番地」など訊ねて宅配便でも送るのかと思うけど、

そこがユニーク。





そして、この歌集の最後の章は「挽歌」となっている。

「平成二十七年十二月、夫逝く」と記す。




    支へ合ひたる数十年も瞬の業(わざ) 夫はこの世を越えてしまひぬ

    天界に喫煙場所のなきときは戻り来よ灰皿はある机の上に

    骨壺のなかにかしやかしや鳴りゐるをあなたと思へば涙とまらぬ


赤松さんの慟哭がきこえるようである。



                 

                    2600円+税   2016年7月30日発行

       

    

    

2016年10月 3日 (月)

『無縫の海 短歌日記2015』 高野公彦  ふらんす堂 

平成27年1月1日から12月31日まで、1日1首ずつ詠み、合計365首を

収めている。

ふらんす堂のホームページでの短歌日記。
(このシリーズは、現在 栗木京子氏が毎日更新している。)


   一人なる夕餉を終へて俎板の使はなかつた裏も洗へり

   茱萸坂に小高氏の影無きことを悲しみをらむ黄泉の小高氏

   七十を過ぎていづれも寂しけれ本を読む日と本を読まぬ日

   〈臆病〉がわが人生に良き鏡になりしと思ひ否(いな)とも思ふ

   便利にて軽くて渋味の無き口語その歌ツーバイフォーの如しも

   古稀すぎてわれは愛(を)しめり良き仕事しつつ目立たぬごろごろ野菜

   この函は妻の柩を乗せしことありて静かに日々昇降す

   乗り越して深夜の街をふらふらと老いたる〈酒の又三郎〉ゆく

   大通りのろのろ渡る老爺ゐてあの人われのドッペルゲンガー

   椹(さはら)の木柩となりて斎場の竈々(かまどかまど)に今日も燃えゆく








1首目、「使はなかつた裏」がいい。その使わなかった裏も律儀に洗う作者。



2首目は、2014年2月11日早朝、千代田区の事務所で急逝した小高賢氏を

      悼む歌。この「茱萸坂」は小高氏が生前デモに通っていた永田町

      1丁目の国会議事堂の南側を東に下る坂。小高氏の遺歌集の

      タイトルは『秋の茱萸坂』である。小高氏の歌によって随分

      歌人に知られるようになった坂でもある。




3首目、「いづれも寂しけれ」とあるので、読む日も寂しいが、読まない日も
     寂しいのだろう。本好きな人でなくてもこの心理は伝わるであろう。




5首目は、「ツーバイフォーの如しも」は、建築の様式の一つでこれによって

      強固な?家になったとも言われているが、この歌では、比喩が肯定

      ばかりでもなさそうに伝わってくるのはわたしの穿ち過ぎか?

6首目の「ごろごろ野菜」は、がめ煮、別名・筑前煮とも呼ばれている。九州

     北部地方の郷土料理。鶏肉と根菜を煮込んだ料理で、作者は好物

     みたいだ。

8・9首目は、自身を客観している。これだけ客観して歌に出来るのは、

        まだまだ余裕がおありのようで……




7首目は、日常で目にするエレベーターだが、それだけに思い出す妻の柩

       のことだろう。





10首目の歌は、柩が椹(さわら)の木で作られることをはじめて知った。

          そういえば、俳人の池田澄子さんの句を思い出した。

          「雪の山私の柩になる木どこ」、せつない句だが、高野氏の

          歌もあとを曳く歌でしんみりしてしまう。








この短歌日記の歌は、それぞれに詞書が付いている。

このブログではその詞書を端折ってしまったが、詞書だけでも愉しいのが

幾つもある。そして、高野氏のシニカル?な目も。

         歌碑の好きな人が多い。どうやら歌集を余り読んでいない

         人ほど、歌碑を見に行きたがるようだ。  (8月16日)






         毎朝七時五十三分、テレビの「きょうのわんこ」を楽しみに

         している。                    (9月16日)

         優れた口語歌を作るには、優れた文語力が必要なのでは

         なかろうか。          (9月10日)引用歌5首目の詞書







                       2000円+税  2016年5月20日刊








cat       cat

10月になってしまった。

土曜日(1日)は、未来短歌会の福岡歌会。新作5首持ち寄り。
           


昨日の日曜日は、戸畑区文化祭短歌大会だった。

昨年にもまして秀歌が多かった。

 

 

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