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2016年11月

2016年11月30日 (水)

竹中優子さん祭り

ワッショイ、ワッショイ ! !

竹中優子さん、おめでとう。

おめでとう、優子さん。


      福岡市市民文芸入賞者発表


         詩  福岡文化連盟賞   竹中 優子

         エッセイ 市民文芸大賞  竹中 優子

         小説(超短編)福岡文化連盟賞 竹中 優子





もう、今夜はワインをがぶがぶ飲んじゃう……からねっ。

2016年11月29日 (火)

『続 森岡貞香歌集』 現代短歌文庫 砂子屋書房

2009年1月30日に逝去した森岡さんの『森岡貞香歌集』(2016年3月刊)の

続刊。亡くなられてからも『九夜八日』・『少時』・『帯紅』と単行歌集も出版

されている。これは、ひとえに森岡さんのご家族(ご子息)の並々ならぬ

愛情と、一人の歌人の功績をこの世にとどめたいというお心であろうか。






さて、このたびは『黛樹』・『夏至』・『敷妙』が全篇収められている。

この全篇収めているのがいい。

『敷妙』より5首抄出。





     水切りををへたる薔薇(さうび)が青き葉の七枚となり蕾にしたがふ

     川といふしろきひかりのよぎりけるわが乗るくるまただに過ぎるなる

     變らざる日日の過ぎ方蛇口をば走りいでこし水はコップに

     敗けいくさに見しありさまはわが生にしるされしまま生も悲しも

     死ぬるにも何なさむにもなすことのなきと言ひさしてねむりし







1首目、結句の「蕾にしたがふ」がユニークな把握。



2首目、作者が乗っている車なのに、その車を俯瞰しているような歌。

     このような切り取り方の歌が森岡さんには多いような。

     主体が1首の歌からはみ出し、客観している?

3首目、蛇口を捻って水を出したというだけの歌なのに、「蛇口より走り

     いでこし水」にいのちが宿るような衝迫がある。これをしを森岡調と

     いうのかしら。




4首目、敗けいくさによって、夫は戦後亡くなり、遺された息子との暮らし。

    うたい残した歌の〈生〉。それもまた悲しい。




5首目、99歳の母君のことであろうか。

     「死にてゆく母の手とわが手をつなぎしはきのふのつづきの

      をとつひのつづき」の歌がせつない。









歌論・エッセイが13篇あり、そのいずれも森岡さんらしい視点がある。

その中でことに印象深いのは「覚書き・文化としての短歌と歌人」の章。

清水千代を初めて見た時の衝撃?。五島美代子の軽井沢の別荘を買う

話など、この世離れしていて、面白い。

当時の女流歌人の、歌人社会(?)を、森岡さん独自な怜悧な目で捉え、

活写していた。







                       2016年11月19日  2000円+税
  

 

 

2016年11月28日 (月)

『東京風人日記』 諏訪 優  廣済堂出版

福島泰樹さんの歌集にうたわれていた諏訪優さん。

その諏訪さんのエッセイを書棚より取り出し、ついつい読んでしまう。

諏訪さんは、1992年12月26日に食道癌のために亡くなられた。

この『東京風人日記』は、亡くなる年の6月まで「東京タイムズ」に隔月連載

されたコラムを纏めたものである。

その中に「短歌絶唱」のタイトルのがあった。



      --略 で、七時からの福島泰樹絶唱コンサートを、水割り片手に

      楽しんだ。群馬が生んだ書家、故・木村三山さん追悼の歌から

      はじまり、岸上大作、寺山修司追悼の歌に及ぶ。学生歌人、岸上

      大作もすでに鬼籍のひと。


        上州の山はみえざる霧走る車窓にあらば木村三山

      わたしは歌は作らないが、福島さんの歌は気魄にみちていて

      好きだ。

                            『東京風人日記』より  諏訪優

諏訪さんは、「猫の住めない町なんか町じゃない」と書く。

猫好きで、下町が好きで、夕日が坂をころげ落ちる町で、ひそかに、

ゆうゆうと、しみじみと、1日1日を味わい尽くしながら、生きていたんだ、

ろうね。







こんなエッセイを読んでいたら、他のことなど、なぁんにもしたくない。 

ビター・ショコラが口のなかで溶けてゆくのをたのしみながら……




2016年11月27日 (日)

『哀悼』 福島泰樹歌集 皓星社

福島泰樹さんの29番目の歌集は、早稲田短歌会以来の歌友

黒田和美さんに捧げる一集となっている。





著者本人が撮影したカバー写真は、簡素な部屋にピアノが置かれている

モノクロの仕上がり。装幀は山崎登氏。

ハードカバー装で、表紙は黒。タイトルと名前は白抜きの文字。

扉もまた真っ黒でタイトルと名前が白抜きとなっている。

歌集題の『哀悼』が示すように故人を悼む歌が数多く収められている。

黒田和美さんは勿論、吉原幸子・吉本隆明・冨士田元彦・河野裕子・

村上一郎・諏訪優・武田百合子・辺見じゅん・塚本邦雄氏等々。



そこで、思い出したのだが、岡井隆氏が福島さんの『遙かなる朋へ』に書いた

解説が、もう40年近く前なのに、今度の歌集『哀悼』にも相通じるのだ。







       福島の歌は、今度の本(注『遙かなる朋へ』昭和54年5月刊)の

       題名が語っているように、つねに誰かへの〈メッセージ〉である。

       このことは、(誰の歌でも多少ともその気味がないわけではない。

       しかし、福島は、その点を増幅しているという意味では)福島が

       すでにして。その歌の把握のしかたにおいて、ものの極端を

       行っている証拠でもある。すなわち、ラジカルなのである。ーー略

                 『遙かなる朋へ』の解説 より    岡井隆







         吉原 幸子

       掌の中の風よ、小鳥よ、あ丶そして握り損ねた夢の数々


         吉本 隆明

       「よせやい」と叱られて聞く中也論 白い木槿が咲く午後だった

         冨士田元彦

       歳月は霧にまみれて遠山の金さんあわれ花吹雪せよ

         河野 裕子

       悲しみは枝から落ちる夏蝉か 病葉なのか分からなくなる

         村上 一郎

       浪漫者の崖(きりぎし)なれど花なれど三月念九 桜吹雪かず










そして、詩人・諏訪優をうたった「夜の凩」は、さみしく、せつなく、かなしい

一連だった。(わたしは、この章が好き。)






        薔薇色に耀う詩人のはげあたま 諏訪優いずこ路地に風吹く

        竹藪に囲まれ木造アパートの百姓地主の隠れ家に住む

        朝っぱらから飲んで歩いて放埓の 大給坂から団子坂まで

        真っ青な刃物のようにひかる魚たそがれに酌む晩酌のため







さいごに、黒田和美さんを哀悼して。

       遠い夜のあなたの家の団欒の グランドピアノ黒鍵ばかり









                       2016年10月30日  2000円+税

 

2016年11月22日 (火)

秋の散策 i n 筑紫路

春日のふれあい文化センターの教室の仲間と筑紫路を歩いた。

ふたりの T さんの綿密な計画のもとに進められた行程は以下の通り。




    

         9時50分     JR春日駅集合 Tさんの車に乗車(わたしは)

    10時30分    太宰府観世音寺駐車場集合(全員)
  

    10時30分~12時30分  観世音寺・宝蔵舘・戒壇院・都府楼跡

    12時30分~15時     山菜日和 お茶々 会食&歌談義

         15時~      太宰府天満宮・お土産

「古都大宰府保存協会」の観光ボランティアの関さんをガイドにお願いした。

関さんの実にこまやかな解説があり、このたび改めて知ることが多くあった。

関さんは30年近く、この観光ボランティアをなさっているそうだ。





観世音寺の銀杏黄葉が風もないのにちらほらと散り、南京黄櫨の紅葉と、

真っ赤な柿の葉が目に眩しかった。

宝蔵舘では、4メートル80センチもある十一面観世音菩薩立像や

毘沙門天立像に溜息と怖れをなし、吉祥天如像のお顔に心が和いだ。





長塚節の歌碑にも立ち寄った。

2009年3月に「文学館倶楽部」に掲載するために取材した時よりも歌碑の

文字が薄れて判じ難くなっていた。

この歌碑は「手を当てヽ鐘はたふとき冷たさに爪叩き聴くそのかそけさを」

で、中島哀浪の書になる。






ところで、長塚節が手を当てたという鐘はいまは盗難防止(?)のために

巡りに金網が張ってある。

この鐘は「日本の音100選」にも選ばれてあり、現代でも年末には百八つの

鐘を撞くとか。一般の人も運が良ければ並んで撞くことが出来るらしい。





そういえば、宝蔵舘の中でこの鐘の音をテープで流していたが、耳に心地

良い音であった。






万葉歌碑が、筑紫路(太宰府周辺)には、17か所建っている。

そのうちの一つは、

    瓜食(は)めば子ども思ほゆ栗食(は)めばまして偲(しぬ)はゆ

    いづくより来たりしものそ まなかひにもとなかかりて安眠(やすい)

    しなさぬ                 巻五 八〇二   山上憶良

    反歌

    銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝 子にしかめやも

                          巻五 八〇三    山上億良


都府楼跡(大宰府政庁跡)の広々とした所で、晩秋の空気を満喫。




大きな一本の木の紅葉が美しい。ガイドの関さんがすぐ教えてくださる。

あの葉っぱは三角ですよ、と。名前は「唐楓(とうかえで)」。

はじめて見た。はじめて知った楓だった。

お昼は〈まされる宝〉もしばし忘れて、美味しい美味しいと食べ、喋り、

みんなで今日のお天気と御馳走に感謝した。

この教室には「晴れ女」が多いみたい。





勿論、帰りには梅ヶ枝餅をお土産に買いましたよ。

 

 

 

 

 

2016年11月21日 (月)

『斎藤茂吉の百首』 大島 史洋  ふらんす堂

シリーズ 歌人入門 ②

タイトルの副題に「己の行く道は間違っていない」とある。

これは、茂吉のことを言ってるのかしら?

装幀は、和兎さんで「ふくろう」の絵がつかわれている。

このふくろうは「ふくろうの置き物吾の宝物ふくろうの目は哲学をする」の

大島さんの歌のように、目が哲学をしているみたいに見えなくも、ない。





新書版のハンディさがいい。

右ページに歌を1首、左ページに歌の鑑賞。

読み易い。原作を忠実に守ってルビを多用しているのか、それもまたいい。





    

      海のべの唐津(からつ)のやどりしばしばも嚙みあつる飯(いひ)の

      砂のかなしさ

         ー略 この歌は、詞書にもあるように佐賀県唐津海岸に療養に

         行った折の歌である。当時は米の質もよくなかったから、

         こういう歌が生まれた。茂吉はご飯の中の砂粒を気にして

         同じような歌をたくさん作っている。ー略







と、まぁ、こんな感じで大島さんの普段の口調並に率直である。

茂吉の17歌集から100首を選ぶのは大変な作業だったと思うが、だいたい

茂吉の代表作は収められている。

個人的に欲を言えば、下記の歌などは、入れて欲しかった、なんて……

     ゆふされば大根(だいこん)の葉(は)にふる時雨(しぐれ)

     いたく寂(さび)しく降(ふ)りにけるかも

   

           家いでてわれは来しとき渋谷川(しぶやがは)に卵のからが

     ながれ居にけり









                     2016年11月15日   1700円+税









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なお、大島史洋さんの歌集『ふくろう』は本年度迢空賞を受賞している。

そして、『河野裕子論』(現代短歌社刊)は、現代短歌大賞を受賞した。

12月8日には、東京・神田の学士会館にて授賞式が行われる。

大島さんにとって今年はとってもいい年になったみたい。

おめでとうございます。


2016年11月20日 (日)

映画「湯を沸かすほどの熱い愛」 宮沢りえ主演

温泉に行ってきた。

違う、銭湯に行ってきた。

違う、違う。映画「湯を沸かすほどの熱い愛」を観てきた。







ガンで余命2年を宣告されたヒロイン、双葉(宮沢りえ)の孤軍奮闘する

さまに、思わず泣いてしまった映画だった。




双葉の夫・一浩(オダギリジョー)は、一年前に出奔。

爾来、家業である銭湯は休業のままだった。




双葉は余命2ヶ月の間になんとしても「ゼッタイにやっておくべきこと」を

実行してゆく。

まず、家出した夫を探偵社によって捜しだし、連れ戻す。

(ノンシャランとした夫役のオダギリジョーは、いい味を出していた)

娘・安澄(杉咲花)の学校でのいじめによる(いまどきのイジメって

陰湿なんだ。)不登校を母親の愛情で解決に導く





しかして、銭湯再開となるのだが……




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11月6日の「温泉」50首を読んで、に続いて、11月14日には

第4回現代短歌社賞の次席作品「湯」の紹介と、なんだか〈湯〉に

関りがあるなぁ。




たまたま時間的に都合が良くて観た映画が「湯を沸かすほどの熱い愛」

とは、とは(笑)


2016年11月19日 (土)

ご報告④ 他

恒成美代子歌集『秋光記(しうくわうき)』(ながらみ書房 2016年6月1日刊)の

書評や紹介記事などです。


     ⑲『短歌往来』 2016年10月号 「こゑを受け止む」 小林幸子執筆

     ⑳「サキクサ」 2016年11月号 受贈書紹介 

     21  『短歌往来』 2016年12月号 一ページエッセイ 「ゆっくり急ごう」

                                 千々和久幸執筆




⑲の小林さん、ありがとうございました。

報告が洩れていました。身に沁みる書評でした。

21番の千々和さんの連載エッセイはいつもたのしみにしているのですが、

その中で『秋光記』のなかの1首を採り上げて下さいました。

ありがとうございました。


     なお、報告①は、2016年8月5日

         報告②は、2016年10月12日

         報告③は、2016年11月12日 のブログにて報告しています。








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昨日の午前10時19分、福岡県北西沖地震があり、博多区は震度3で

あった。わがやは3階なのだが、つきあげるような地震に震えてしまった。



香椎の教室に行く準備をしていたのだが、あれやこれやと考えているうちに

電車に乗り遅れ、遅刻。




その上に、詠草の一人分が洩れていた。

過去7年間のなかでこんなミスは初めて。 Sさん、ごめんなさい。


終わって、県立図書館へ。

2階の郷土資料室で、調べ懸案の事項、解決。

                    それにしても、平常心が大事。




とはいえ、雨音に目覚めてしまった午前4時。

カミナリの凄い音がしている。



         わたしよ、平常心にてあれ !




2016年11月18日 (金)

向田邦子の目  かごしま近代文学館

向田邦子没後35年企画展がかごしま近代文学館で

11月16日より開かれていることを知り、出掛けた。




出掛けたといっても、16日は鹿児島で日本歌人クラブの短歌大会が

あったので、それに便乗して翌日(17日)に。

宿泊した城山観光ホテルのシャトルバスに乗り、照国通りで下車。

西郷さんの銅像などを眺めて、「敬天愛人」の説明を読み、文学館へ。





以前も、と言っても7年前か。来たのだけど、今回は向田邦子の没後35年の

企画展だけに、見所満載だった。





「趣味はと聞かれると、写真ですと、恥かしげもなく答えている。」と語るだけ

あって、愛用のカメラの展示。

タイ・カンボジアの向田の目を通した、風景や動物や子どもたちの様子。

あらゆる生きとし生ききるものたちを捉えるまなざしの温かさ、怜悧さ。






三匹の猫たちと暮らしていた向田には猫の写真も多い。

猫好きならではの猫科のショットがまた実にいい。





旅が好きで、国内外を問わず、様々な場所を旅した向田邦子。

くしくも亡くなられたのも、台湾の旅の途上だった。


        旅のないものねだりは、

        頭では、理性では御せない、

        本当に困ったものだと思います。  「ないものねだり」

                              『女の人差し指』より







最後のコーナーには、向田の愛用した三人掛けのソファとテーブル

(大きな座卓)が部屋そのままに復元されていた。

ここで、猫と戯れ、座卓で執筆したのだ。


「ままや」の暖簾や、たくさんのスカーフの展示。

お料理が好きで、美味しいものをちゃっちゃと作った向田。

そして、何よりお洒落さんでもあった。






ちなみにこの企画展は2017年の3月27日まで、開かれている。







2016年11月17日 (木)

第20回 全九州短歌大会  日本歌人クラブ

平成28年11月16日、鹿児島市の「城山観光ホテル」に於いて

第20回 全九州短歌大会が開催された。

出詠歌 1004首、入賞作品は「鹿児島県知事賞」をはじめ

「日本歌人クラブ賞」・「鹿児島県議会議長賞」・「鹿児島県教育委員会賞」・

「日本歌人クラブ九州ブロック賞」・など26首。

他に選者賞、優秀賞、佳作賞など。

    鹿児島県知事賞

    干せばすぐ乾く晴れ間がうれしくてざぶざぶ洗ふシャツも小犬も

                                 大分 近田千津子

 

当日は、平成28年度の日本歌人クラブ九州ブロックの優良歌集の表彰も

行われた。





     優良歌集

     『種子島の青』    吉原美保子著   鹿児島県

     『花の待針』      古賀 美智著   宮崎県



  

講演は、三枝昻之氏の「わが命惜しー長塚節再発見」。

鋭敏な自然描写について歌をあげて語られ、資料には「描写の鋭敏さ+

命の意識」の籠った歌なども取り上げていた。

自然との向き合いかたついて示唆を受けた。


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鹿児島の街には市電が走っている。

今回、気づいたのだが、西郷隆盛の銅像をはじめとして、

街のいたるところに銅像が建っていること、だった。

 

2016年11月14日 (月)

第4回現代短歌社賞 発表 『現代短歌』2016年12月号

第4回現代短歌社賞が発表になった。

138編が寄せられ、87歳から25歳まで年齢も所属結社も多様だ。

選考委員は、沖ななも・雁部貞夫・外塚喬・安田純生の各氏。

今回、惜しくも受賞はしなかったが、九州福岡在住の山下翔さん

(やまなみ)が、次席で作品20首が掲載されている。






              湯           山下 翔

      抽斗のおくへおくへと手をのべてしりとりに似る二人の時間

      ぎんなんの連なりの揺るはちぐわつへ秋がぐいぐい身を差し挿れる

      夕刊を取りにゆかむと縁側に出てみれば雨の気配、いや、雨

      知つてゐる部屋がいくつもこのまちにあつて誰かがその後を暮らす

      夜がくる寸前まちは暗くなりやがてあかるむ 街であるゆゑ

      耳たぶのごとく垂れつつ看板は〈帝国探偵社〉を掲げをり

      朝まだき木立ちアロエの蕊高くあなたとはいつか会つてゐるはず

      ぞろぞろと人みな花を見に出かけ町ひとつ消ゆまたひとつ消ゆ

      末(うれ)たかく伸びゆく桐の春のゆめ楽器になつてみたいだらうか

      ありふれた喩へときみは笑ふだらういいんだ目玉焼き、月みたい







掲載20首の始めから10首を、そのまま書き写す。

いずれの歌も過不足なくいい。旧仮名遣いの柔らかさが効果的で、

作品がざわついていない。

選考座談会を読む。

これがまた面白い。以下要約して少し記す。(山下さんの「湯」の評部分のみ)

(全部写さないのは、この12月号をぜひ手にとって読んでほしいから)







       受賞作よりポエジーがある……

       この時代にナイーヴだな、と。それは美点だと思いました。

       口語と文語、古語と英語、多様性のある表現で、それがいいのか

       悪いのか、微妙なところにいる。

       非常に才があるのと、詩情、ポエジーがある。

                                    沖ななも 評

       才が滑りすぎると疵になって……

       将来に期待する。                  雁部貞夫 評

       一首一首が誌的で、口語的な発想で詠っているけれども、

       作者の人間性の深さみたいなものを感じさせるところがある。

       口語の使い方が面白い。今を生きる若者の混迷さが出ている。

                                    外塚 喬 評


       二十五歳の作者で、読んでいくと、腑に落ちない歌も

       ありましたが、面白いと思って印をつけた歌が一番多かった。

                                    安田純生 評




座談会では、「やりすぎと思う」歌や雁部氏の言う「才が滑りすぎる」歌も

あげられている。やはり300首並べるというのは、並大抵ではないことか。

「もう三年か四年して、成熟するところを見たい」なんて言われて、山下さんは

承服できるかな。






ともかく、外野席としては、愉しませて貰った。




なお、受賞作は山本夏子さん(白珠所属)の「空を鳴らして」だった。







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福岡上空 22時40分 スーパームーン 、しっかり見えます。

やっぱり、いつもの満月より大きく見えます。

 

2016年11月13日 (日)

平尾誠二氏を悼む歌  朝日歌壇 2016年11月13日 

本日の朝日歌壇の平尾誠二氏を悼む歌に、注目した。

平尾誠二氏のファンがいて、こうして歌を捧げてくれている。

そして、選者の永田和宏氏、佐佐木幸綱氏の選評がラグビーへの愛に溢れ、

平尾誠二氏を哀悼するものであった。

      楕円球持ちし姿に哀愁を感じさせたるラガーが逝けり  

                              吉野川市 喜島 成幸

      かろやかにステップふんでかけぬける過去形はいやだ平尾誠二よ

                              神戸市   寺尾 隆志

      同志社の紺とグレーのジャージーが一番似合う平尾誠二は

                              八尾市   水野 一也

        平尾誠二があの若さで逝ってしまったのは、友人として、

        私には痛恨だった、哀悼。          評  永田 和宏





 

      ラグビーのトライのシーン映されて平尾誠二さん早過ぎる死

                              鳥取県 表 いさお




        十月二十日に五十三歳で他界した平尾誠二氏への挽歌。

         かつて、同志社大学、神戸製鋼ラガーチームのバックスとして

         活躍した。               評  佐佐木幸綱






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偶々、平尾剛氏の「コラム 住ム フムラボ」に気付いたのが昨日。

第11回のタイトルが「恩人の死」だった。

亡き平尾誠二氏との関わりを回想している文章だったので、

プリントアウトした。

連れ合いの机の上に置いていたら、帰宅したら真っ先に読んでいた。

 

2016年11月12日 (土)

ご報告③ &掲載情報

ご報告 第①回    2016年8月5日、①~⑥

ご報告 第②回     2016年10月12日、⑦~⑮

に続いて、三度目のご報告です。  ⑯~⑱







恒成美代子歌集『秋光記(しうくわうき)』 (2016年6月1日 ながらみ書房)

の書評の掲載誌です。



     ⑯「歩行」2016年10月号№49  「歌集を歩く」 内藤賢司執筆

     ⑰「短歌人」2016年11月号 Book Review 渡部洋児執筆

     ⑱「うた新聞」2016年11月号 書評「透明な秋の光り」長澤ちづ執筆



なお、最近の掲載情報(恒成美代子執筆)をお報せいたします。

お読みいただければ幸いです。

    ① 「うた新聞」2016年11月号 今月の巻頭作家「真葛原」15首

    ② 『短歌往来』2016年11月号 特別作品33首「石は石なり」   

    ③ 「文学館倶楽部」№23  2016・10・15  クローズアップ  

                                福岡市文学館

    ④『現代短歌』 2016年10月号 「夜の秋」7首 

2016年11月10日 (木)

同姓同名……

同姓同名のことは以前にもこのブログで書いたのだけど、

またまた今日は友人からメールが届いた。




ある短歌大会に出されていた歌。


      誤配され我が名と同姓同名の歌人の寄稿せし歌誌が届きぬ




この歌のかたがわたしと同姓同名なのだ。

彼女も困っているのだろうな。







高知にも同姓同名のかたが1人いるみたい。このかたはフェイスブックを

なさっている。名前は一緒だけど、顔も年齢も違うし、間違えないでね。
(わたしは、フェイスブックもツイッターもしていません。)




前記の歌のかたは「吉富町」にお住まいみたいである。

あと、東区にいたかたは今どうなさっているのかしら。
(地元の結社に在籍していた時、主宰が歌誌に掲載するのに、
  東区・西区と区別していたっけ。)



わたしは、第一歌集を出した時の名前のまま、使っている。

前夫の姓なのだけど……

何かいいお知恵はないでしょうか?

このまま使い続けてもいいのかしら?

2016年11月 9日 (水)

創刊五周年第三〇号記念八雁賞受賞作 「麦の一粒」 工藤 貴響

「八雁」2016年11月号は、創刊五周年記念特集号になっている。

170ページ超の大冊で、なかなか読みごたえがある。

一つには、タイトルにも記したように「八雁賞」の発表が掲載されている。

この受賞作を読むと、「八雁」の底力というか、実力のほどを思い知る。





    

        受賞作  

                麦の一粒      工藤 貴響


    両(もろ)の手に包む蓮(はちす)のやわらかき蕾は肉のごとくに緊まる

    蓮池の夕闇せまるそのまなか閉じ遅れたる一輪が見ゆ

    お互いの親のことなど話しつつ樺太シシャモの銀(しろがね)食いき

    大きかばん肩より提げて階段の夏の日差しを降りゆく君は

    〈文学〉の名称のこる大学へ移り入りゆく而立のすぎて

    絶ちゆきし生あんのんとわが裡に住まえるごとしこの七年は

    地に落ちて死なざる麦の一粒のごとくに床(ゆか)にからだ伸べたり

    道のべの蔓草ひと群吹きあぐる地下より生るるぬるき空気は

    熱かえす舗装路の上に散りぼえる百日紅の花くるしくないのか

    素麺の束投げられし鍋のなか湧き来る白き湯をおそれたり







      身近な場所からグローバル化した現代の深刻な問題に

      触れる若者らしい抒情歌。       阿木津 英 評

      

      文学として意識的に自分の世界を創っていこうという

      意欲を感じさせる作品である。     高橋 則子 評

 

      全体として高水準の作品を揃え、さらに発展の可能性が

      感じられることから、確信をもって一位に推した

                              島田 幸典 評








十月からフランスの大学院に通うという工藤貴響。「受賞のことば」には

「日本語から離れるタイミングで八雁賞をいただいたのも、短歌との縁かも

しれません」と綴られている。ヨーロッパの地で更に見聞を広め、より思索的

になってゆくのではないだろうか。



この号の特集は「『黄鳥』『草笛』『unknown』『駅程』の四歌集における

〈われ〉についての考察」の長いテーマ。

麻井さほ、遠藤知恵子、工藤貴響らが力のこもった評論を書いている。

このテーマの企画の斬新さに拍手を送りたい。






一人が一歌集ずつ考察するのではなく、各自が四歌集を並べて考察する

のは大変だったと思う。しかし、それぞれの書き手が豊富な知識を

手がかりに、思索をより深めていたことが心に残った。






創刊五周年、おめでとうございます。

「『三年経てば』『三年経てば』と念じつつ来て、もう五周年」という後記の

言葉は実感でしょうね。


      天翔(あまか)くるあれはかりがね水茎の無沙汰の詫びの文を

      銜(くわ)えて        石田比呂志遺詠「冬湖」三十首より



 

2016年11月 7日 (月)

朝晩の寒さを嘆く元気かな  池田澄子

急に寒くなったと思ったら、本日は立冬だった。

わがやはまだ夏布団のままだった。

ようやく毛布を取り出し、冬布団の用意。





衣類もまだ冬物を出していず、必要なものだけを1枚2枚と出して着ていた。

季節を先取りすることが出来ず、いつも後手後手になってしまう。

主婦失格だ。


今日は一日、整理整頓に過ごす。

その傍ら、「今朝の冬」で俳句を1句つくろうとしたり…

立冬の日の朝しかつかえない?季語だって。


ワンダーコアを「ネプリーグ」を見ながら1時間ほどする。

ちっとも成果あがらず、数値は下がらず……









(ブログのタイトルの句は、池田澄子さんの『思ってます』の句集より。)

 

 

2016年11月 6日 (日)

 山下翔「温泉」50首を読んで   『九大短歌』 第四号

第三号の「編集後記」に書かれていた「次号からは無理をします。どうぞ

お楽しみに ! 」 が、実行されている第四号で安堵(笑)した。

山下翔は、正直者というか、誠実な男だ。そして真面目な男だ。






今号の「温泉」50首を一読した時は彼女のうちでも行ったのかしらん、

と思い、読み飛ばしてしまっていた。

再読、三読するにつれて、ようやくわかったこと。

それは、作品の背後に流れる山下のふつうの家族に対する憧憬だった。

山下の育った家庭環境は知らないが、作品の背後から伝わってくる気分は

せつない。




   

  ばあちやんが死に犬が死にあとなんど死に立ち会ふかわがこととして

  ただいまときみが言ふ家の暗がりをこんにちはと明るく言ひて通りぬ

  きみもこの家に育ちたるひとりかと思へばつらいごちやごちやの玄関

  湯桶かさねてかさねてたかき歳月の向かうとこちら母と子のわれ

  会はないでゐるうちに次は太りたる母かも知れず 声をおもへり

  この夏をいかに過ごしてゐるならむ花火のひとつでも見てればいいが

  缶ビール缶チューハイの缶たまり母の玄関せまくしてゐむ

  ほむら立つ山に出湯のあることのあたりまへにはあらず家族は

  梨水(なしみづ)のしみとほる夜のあかるさや家のあちこちに暗がりがある

  温泉のごとき家族か湯冷めしないやうに泣きながら帰つてゆかな






きみの家にきみと行き泊まる、その折の連作だろう。

きみの家族や、きみの家の在り様に接しているうちに、思いは実母の上に。

4・5・6・7首目は、山下翔の家族、それも母親をうたっている。




その母親ともめったに会うこともない。

会うことも、帰ることもない、母子関係。

それでいて母恋しさはたっぷりあるし、案じてもいる。

7首目の「母の玄関」は、きみの家の玄関(3首目)とも呼応している。




そして2首目の「家の暗がり」と、9首目の「家のあちこちに暗がりがある」も

呼応している。山下には、「家」は明るいばかりのものでなく、光と影として

認識されているようでもある。



8首目にいみじくも「あたりまへにはあらず家族は」と断定しているのもその

証左ともいえる。



ただね、(これから先は、タメ口で書くけん、ごめんね。)

10首目の歌は、50首の掉尾の歌になっているけど「温泉のごとき家族か」

なんて、解説したらいかんとよ。短歌は、解説はいらんとよ。



そして、付け加えて更に言うと「湯冷めしないように」なんてことも余分

じゃあなかとね。

きついこと言って、ごめんね。




でも、でも、ほんとうに今回の「温泉」50首は、感動しました。

わたしは、わたし自身の息子のことを思いながら読んだので、泣いて

しまいました。感情移入し過ぎるのかも知れません。



他のかたの歌に触れられなくなってしまい、申し訳ないです。


 

2016年11月 4日 (金)

唐津くんちへ

唐津神社の秋の大祭「唐津くんち」へ出掛けた。

「エンヤ、エンヤ」の掛け声で街を巡る曳山。

テレビなどで見たことはあったが、やっぱり実物は迫力がある。

それと曳山を曳いているのが小さな子どもから大人まで大人数で

掛け声をかけながら街を歩いているのがいい。

途中、子どもたちが小走りしたり……



五番曳山の鯛。六番の鳳凰丸。十三番の鯱などをカメラにおさめた。

唐津駅で曳山巡行コースの地図を頂いたが、予定時刻を書いているので

先廻りして見ることも出来た。



街中に見物客がそぞろ歩きしている。

この祭りの期間は唐津の街の人口より膨れあがるのではないかしら。

唐津の地図に「河村美術館」が記載されている。

調べてみると、「藤田嗣治」が開催中だったので立ち寄る。

藤田ゆかりの黒田清輝・小磯良平・中村研一らも展示。



藤田嗣治は、フランス国籍を取得、カトリックの洗礼を受けて、レオナール・

フジタと改名。1968(昭和43)年、スイスにて死去、享年81歳だった。




この河村美術館では青木繁の絵も何点か展示されてあり、これは

常設展示みたいなので、ここの美術館の所蔵なのかと思ったが、

どうなのだろう?



受付のところで、青木繁の絵ハガキを売っていたので、「夕焼けの海」を

5枚買った。これは展示もされていた絵。1910年唐津の海を描いたもので

絶筆らしい。




美術館を出て、隣のカフェで抹茶を頂く。

今日はお庭に席がしつらえられてあり、着物姿の女性がじきじきに

点ててくれた。唐津茶碗でいただくお抹茶。

お菓子もお茶も美味しうございました。


曳山の掛け声の「エンヤ、エンヤ」の余韻にひたっている。

2016年11月 3日 (木)

佐賀バルーンフェスタへ

青空に舞いあがる色とりどりのバルーン。

秋の佐賀平野の空に浮かぶ熱気球を夢見て、出掛けた。

ところが、待っても待ってもあがらず。

風が思いのほか上空は強くて、待機。

嘉瀬川の土手はみるみるうちに人で溢れる。

本日の人出は131000人と放送されていた。



熱気球世界選手権の試合は今日は無理かも?

でも河川敷には世界の国々の熱気球が「風待ち」をしていた。

そして、観客は辛抱強く待つ。わたしも待つ。

試合はともかく、この大勢の観客のためにもあがってほしいと願う。

そして、1機、2機、とゆっくり上昇していったのは午後4時を過ぎていたかしら。

あとを追うように次々と舞い上がってゆくバルーンにただただ見蕩れる。

そして、カメラを向ける。



帰途に空を見上げると、20機以上のバルーンがゆらゆらと夕日の中に

ただよっていた。



なんだかファンタジーの世界に紛れ込んだようなひとときだった。

2016年11月 1日 (火)

歌集『舟はゆりかご』 小黒世茂 本阿弥書店

2012年後半から2016年前半の作品を収める。




タイトルは「実母には抱かれしこと継母には背負はれしこと 舟はゆりかご」

から取られている。この歌のある章のエッセイに、三人姉妹の末っ子で

生まれた作者。父親は「女しかよう生まんのか」と母をなじった。

と書かれてあり、「お蔭で私には性別不明の名がつけられた」とある。

そして、「父に愛想が尽きていた母は、一歳の私を置いて家を出た」とも

書かれている。

    国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国

    夕焼けのあとの朝焼け 瀬戸内は黒曜石に似たるしづけさ

    いつかまた逢へるだらうか母さんに黄金ふぶきの山吹の墓地

    わが顔をなつかしさうに見る姑よ昨日も一昨日(をととひ)も隣りに

    ゐたのに

    寝たるままカプセル風呂に入るときコスモス畑に姑はあそぶよ

    ひとりづつ老人ひろひ軒下をぺんぎんの絵の小型バスゆく

    急(せ)くことの何もなき姉水差しに活けたる桃と今日はともだち

    夕ぐれは誰かを探してこんちきちんどこまで行つたかこんちきちん

    百本のはなびら浄土にあゆみ入る言葉に汚れしわが身のために

    吉野にはあの世この世を縫ひあはす針目のやうな蝶の道あり





この歌集の期間、作者は「古代より風土と共に生きてきた日本人の源流を

探索する歩みは続く」(帯文より)と、あるように、日本のあちこちに出掛け

ている。作者を旅に駆り立てるものは何なのか、日本人の源流を探索する

その熱意、それがこころなし伝わってくるようでもある。





姑は九十歳を過ぎ、車椅子生活。姉は八十歳を過ぎて独居生活をしている。

前歌集の『やつとこどつこ』の勢いの良さから、なんだか生きること、老いに

向かう巡りの者たちへ寄せる哀隣の情が色濃い集となっている。





8首目の「こんちきちん」が悲しい。

9首目の「言葉に汚れし」と捉える心の在り処。

    言葉によって癒されない作者の心が息づいている。






                       平成28年10月15日 2800円+税

 

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