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2016年12月12日 (月)

『前川佐重郎歌集』 つづき

昨日からの続きで、今回は全篇収録の『彗星記』の歌の紹介。



ちなみに作者の父は歌人の前川佐美雄(1903年~1990年 歌集『植物祭』・

『大和』・『捜神』など)

『彗星記』の「あとがき」には、その父親のこと、短歌について、以下のように

記している。

      さて、佐美雄が平成二年七月十五日に亡くなったが、その死に

      近い枕辺で独り歌を吟ずる佐美雄に付き添いながら、短歌と

      いう詩型の不思議をおもい返していた。一人の人間を死の床

      まで離さなかった短歌とは何んぞやと、鈍感な私にもそれなりに

      感ずるものがあった。





50歳になって本格的に短歌の世界に戻った前川佐重郎氏。

父、前川佐美雄の死後、一年半を経て、平成四年より「日本歌人」の編集を

引き受ける。








      三十年遅き出立わが額はすでに夕闇刃物をかくす

      亡霊はこの家に棲みしか一匹のいわし焼くけむりの背後

      まなかひを過ぎゆく繊雨(せんう)この夏のはがねの鬱を誰に負

      はせむ

      ユキノシタ、羊歯のたぐひも怖ろしき春をはるころ眼鏡は透(す)きて

      秋の夜のつひの底ひに届きたり鉦叩(かねたたき)鳴けばわれも

      響(な)りいづ

      桜桃のかなしき酸のひろごれるわが舌うすき初夏を過ぐ

      墓原に父の姿は見あたらぬ空に盛装の雲ひとつ倚(よ)る

      かたちなき言葉あそびの言の葉がはらはら散りぬ古(ふる)辞書

      繰れば

      われを容(い)るる器はあるかこの穹(そら)に檸檬(れもん)

      一個を玩びゐる

      舌出して切手舐めゐる真夜ひとり吾も視てゐるわが舌あはれ





いずれの歌も端正なたたずまいを見せ、調べの良さがある。

そして、何より私的生活を晒していない。それは作者の美学かも知れない。

〈何をうたうか〉、よりも、〈何をうたわないか〉に心を砕いているようにも

思えるのだが。








 

        


       

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