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2017年1月

2017年1月31日 (火)

歌集『一心の青』 寺島博子  角川書店

2011年から2016年上半期までの370首を収めた著者の第四歌集。

「朔日」短歌会所属。

     地のしづくとなりて跳ねたり鶺鴒はわづかにみどりの残る芝生に

     しめりたる鼻先もてるさ牡鹿(をしか)がわれの眠りのふちにあらはる

     グレゴリウス暦が立秋を記せる日こころは影のやう水のやう

     風の蔵、火の蔵、水の蔵をもつをみなの体コートにつつむ

     春の来た証であらう沸騰の音が何だか耳にやさしい

     感情のさざんくわ理性の椿などと言ひながら冬の最中を過ぎる

     呻吟を重ねゐるとき見えてくる露草の青と思へばはかな

     歌(うた)ひ女(め)を一人づつなかにをさめゐむ水仙咲けり茎

     しなやかに

     ひたすらに孤独であれと言ふ人の言葉のやうにぶだう輝く

     草木染めのストールまとひ草木の一心の青にわれは近づく







著者の『白を着る』(第二歌集だったか?)を読んだ時、ほんとうに〈白〉が

似合う人だと思った。色が白くて、清潔感のただようひとと、初めてお会いした

時に思った。

このたびの歌集を読んで、7首目の「露草の青」、そして10首目の「一心の青」

と「青」に親和していることに気付いた。

そして、6首目に「感情のさざんくわ理性の椿」というフレーズがある。

山茶花と椿が、感情と理性の対局にあると考えるところが著者らしくもある。

椿=理性という発想が、斬新である。

8首目の水仙の花のなかに「歌ひ女」が居るというのも、浪漫がある。

このような思考の持ち主はやはり詩人なのだろう。

2首目の歌などにわたしはエロスを感じるのだが、そのエロスも大胆なもの

でなく、実に慎ましい。

「一心の青」は、母の亡くなる十日ほど前に詠んだ一連だと「あとがき」に

記されている。しかし、母のことと結びつけて、読まなくてもこの一首だけで

充分自立していると思う。

この歌集を象徴するような歌ではないだろうか。



                          2017年2月9日 2600円+税

2017年1月30日 (月)

『イラストで楽しむ 日本の七十二候』 中経の文庫

日本には一年を24等分した二十四節気と72等分した七十二候

という季節があります。




この書は、二十四節気を浮世絵で、七十二候はイラストで

描かれています。

偶々書店で目に止まり、購入しました。

俳句をなさっているかたにはお勧めの書ですが、俳句をなさらないかたにも

季節感を知ることができ、味わっていただけます。





春の章は、立春から始まり、「東風解凍(とうふうこおりとく)」・

「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」・「魚上氷(うおこおりにのぼる)」と続きます。


本日は1月30日なので、この書では七十二候の最後にあたります。

「鶏始乳(にわとりはじめてとやになく)」で、「鶏が卵を産み始める」という

意味らしいです。春の訪れを感じた鶏が、卵を産み始めるころ。

1月30日より2月3日ごろにあたります。




そういえば、本日の東京の気温は18度とか……

春も、もうすぐ、ですね。




                           

                  イラスト 森松輝夫 

                  カバー浮世絵 PPA/アフロ

                  カバーデザイン 矢部あずさ

                                676円+税


2017年1月29日 (日)

映画「沈黙ーサイレンス」 原作 遠藤周作

マーティン・スコセッシ監督、遠藤周作原作の映画。

キリシタン弾圧が厳しかった17世紀。

江戸幕府による取り締まりは目を覆いたくなるような、残忍なものであった。

そんな時代にも関わらず、ひそかに「隠れて祈る」ひとたちは居た。

隠れキリシタンの里でもある長崎の外海町。

そして,五島。





圧力に屈して棄教するキチジロウ(窪塚洋介)。

宣教師のロドリゴも弱い者が苦しむのに耐えきれず「転ぶ」。

重いテーマであり、悲劇的な結末となる。

ただ、救いはロドリゴが荼毘にふされるときに、その胸に十字架を

隠れて抱かせたのは日本人の妻だった。見つかればどんな仕打ちが

待っているかもわからないのに。


             主よ あなたはなぜ

             黙ったままなのですか




映画のなかでのことばが残響のように耳底にある。



☆     ☆

2009年秋、日本歌人クラブ 全九州短歌大会の翌日、

わたしは数人の歌人と外海を訪れた。

海は碧く澄み、遠藤周作の碑文のことばが悲しかった。




             人間が

             こんなに

             哀しいのに

             主よ

             海があまりにも

             碧いのです       遠藤 周作

2017年1月26日 (木)

JR 鹿児島本線

JR鹿児島本線は、8時22分の福工大前駅の人身事故で運転を

見合わせている、のだって。



きゃ~困ったわ。

今日は北九州で会食付きの新年歌会。12時集合なんよ。

早めに出て、ちょっと1件用をと思ったのだけど、無理かしら。




今週はすでに2回乗車した鹿児島本線。

今日乗ると3日続けての乗車だけど、よく遅れる。(苦笑)

今日の会場の降車駅は新幹線停まらないし、どうしたらいい? (9時59分記)

2017年1月25日 (水)

「66(ロクロク)」  ロクロクの会

ロクロクの会は(二〇一五年結成時)おおむね四十代の

女性歌人グループ。(と、いうことはすでに50代のかたもいる?)



全員が結社に所属しており、理念も歌風もさまざま。…と記す。

「べたべたした表層的な友情とは違う、同志のような敵同志のような女性

歌人の連携。嫉妬や競争心という皮を剥いだ人間の本質のぶっかり合いと

信頼……」と、なかなか奥が深い。





メンバーは12名。

それぞれが15首詠とエッセイ(好きなお菓子)を寄せている。







     ガリレオ温度計われのうちなるガラス玉沈んでゐたり秋は遠くて 

                                       浦河 奈々

     柏そごう秋になくなるこの町に四十三歳(しじゅうさん)なるわれは

     働く                                遠藤 由季


     桟橋のやうなる部署か遠ざかる舟には離職票を送りて 
                                       岸野亜紗子

     娶られてのちの暮らしの長さなど知らざりき日の風のやさしさ

                                        後藤由紀恵

     練絹の白さに雲の流れゆく空のこころはひとを恋うこころ

                                        齋藤 芳生


     労働のをはりのときに雨はきて鉄道草をあをく揺らしむ

                                        高木 佳子

     昼の月のめぐる空へと近づきてまた遠ざかる鞦韆の子は

                                        鶴田 伊津

     わたくしを脱出できないたましいは公孫樹黄葉をひたすらに恋う

                                        富田 睦子

     まずからだの芯を立たせる大輪の花としてまわりつづけるために

                                        錦見映理子


     長月の長雨のはざま庭なかの何処とも知れぬ鈴の音を聞く

                                        沼尻つた子

     どの世にも滴りはあり誰彼とともにあの橋渡らざること

                                        山内 頌子

     骨となる災殃(まがつび)の朝貴女(あなた)には日本語だけで

     伝へたい 火を                          玲 はる名



「66の座談会」は、50ページ強をつかって「近現代の女性歌人の歌を

読む!」 という企画。この企画そのものはとてもいいと思うのだが、

慾張り過ぎた感、なきにしもあらず。




11名の女性歌人の歌を取り上げているが、何を基準にしたのか曖昧だし、

統一感も見当たらない。もう少し、絞り込んでもよかったような。




総ページ数が88ページという大冊、メンバーの意気込みは大いに伝わって

くる。伝わってくるだけに、その盛り込み過ぎが、少々重く感じられたりする

のは、わたしだけの感想なのか?





                               2016年11月23日発行  

     

             

 

 

 

2017年1月24日 (火)

あなたが雪であったばかりに   笹井宏之さんの祥月命日

2009年1月24日、26歳の若さで夭折した笹井宏之さん。

雪の季節になると、笹井さんのこと、笹井さんの歌を、思い出す。

     さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに

     たましいのやどらなかったことばにもきちんとおとむらいをだしてやる

「未来」2009年4月号に掲載されている歌。

この歌を送稿してから、2週間ほどして笹井さんはこの世を去った。

歌集『てんとろり』は、2011年1月24日、福岡の書肆侃侃房より発行された。



巻末の加藤治郎氏の「あとがきーーー笹井宏之君とともに」と、

中島裕介氏の「制作ノート」を改めて読みなおし、笹井さんを偲んでいる。



     かなしみが冬のひなたにおいてある世界にひとり目覚めてしまう

     つばさではないと言われたことがある 羽ばたくようにしてみせたのに

     生も死もゆるされている冬の日に手袋をはずしてはいけない

     かなしみにふれているのにあたたかい わたしもう壊れているのかも

     したいのに したいのに したいのに したいのに 散歩がどういうも  

     のかわからない

     眠ったままゆきますね 冬、いくばくかの小麦を麻のふくろにつめて 





2017年1月23日 (月)

雪の福岡

朝、目が覚めてカーテンを開けたら、あらら、真っ白。

屋根も、車の上も、真っ白に雪が積もっている。

ベランダの手すりにも雪が1センチくらい積もっている。




雪だるまを作らなくちゃ~と、雪をかき集める。

でも、雪の量が少なくて小さなちいさな雪だるまなり。

お正月に活けた南天の赤い実を2つ付けたら、雪うさぎみたいになった。



             朱の盆に載せて丹波の雪うさぎ   草間時彦


午後になって陽が差しはじめ、あっけなく溶けてしまった。

屋根の上も、車の上も、すでに雪はない。

那珂川まで散歩したが、もうどこにも雪は残っていない。

 

      松葉には松葉のかたちに雪積もり静かに暮れてまたも雪降る

      苦しみを苦しみとなせという言葉雪のやみたる窓に思(も)いいつ

             『早春譜』 ( 葦書房 1976(昭和51)年刊 ) miyoko



昔、むかしは雪もたくさん降ったものだが……と、思いに耽る。



でも、今夜からまた雪になりそうなので、明日の教室は大丈夫か?

電車は動くか?


2017年1月22日 (日)

『笑う子規』 正岡子規 ちくま文庫

正岡子規の24000句ほどある俳句の中から、天野祐吉が選句し、

コメントを付けたもの。その句に添える絵を南伸坊が描いている。


肺結核から晩年は脊椎カリエスを発症した子規。

1902(明治35)年、35年(満34歳)の短い生涯であった。

凄まじい痛みにさいなまれながらも、その食欲・表現欲はちっとも

衰えることなく、そこから生まれる句には明るさがあった。


天野祐吉は「明るい子規さん」・「笑う子規さん」に焦点をあて選句。

「とくにおかしみの強い句、笑える句を選んで、南伸坊さんと自由に遊ばせて

もらったのがこの本です。ーー略」と、「はじめに」の挨拶にある。






          人に貸して我に傘なし春の雨

          内のチョマが隣のタマを待つ夜かな

          夕立や並んでさわぐ馬の尻

          和歌に痩(や)せ俳句に痩せぬ夏男

          えらい人になったそうなと夕涼

          生きておらんならんというもあつい事

          一日は何をしたやら秋の暮

          行く秋にしがみついたる木の葉哉

          家にまつ女房もなし冬の風

          うとましや世にながらえて冬の蠅





3句目のコメント。「馬は繊細な神経の生き物で、夕立にも心さわぐ。何頭も

並んで繋がれた馬が夕立に遭うと、まるで尻ふりダンスをしているようだ。

それにしても、なぜバケツは馬穴なのだろう。」と、句解から飛んだところが

愉快である。



5句目のコメント。「秋山さんとこのご兄弟は、えらいご出世じゃそうな」

「それにくらべて、正岡のノボさんは相変わらずサエんなあ」




6・7句目、「生きておらんならん」も「一日は何をしたやら」も、ボヤキである。



そして、8・10句目の自嘲の笑いは、生き長らえているわたしの心中にも

多少は重なってきたりする(笑)。



        なお、「俳句の表記は読みやすさを考え、常用漢字、新仮名

        づかいに改めました。原文の表記と発表年は、巻末に資料

        として付しました。」と、この書には添えられている。





巻末には、正岡子規年譜も付き、1ページ1句の読み易さと、南伸坊の

絵が愉しい。






        解説「野球のゲームのような句会」関川夏央  700円+税

        


2017年1月21日 (土)

『とりつくしま』 東 直子  ちくま文庫

死んでしまったあなた、そのあなたが〈モノ〉になって、生前の世界に

戻れるとしたら、「何になりますか?」。

10の短篇と番外篇「びわの樹下の娘」を収めている。

亡くなった人は「とりつくしま係」に促され、この世の何かのモノにとりつく。

いとしい人や愛する人の身近に在る〈モノ〉に、たましいが入り込み、距離を

もって見守るまなざしといえようか。





ピッチャーの息子を見守るため、野球で使うロージンバッグになった

母親の話「ロージン」。


敬愛する書道の先生の扇子になった女性を描く「白檀」。


妻が綴る日記になった夫の物語「日記」。





等々、いずれも美しい言葉で語られ、人生のせつなさ、哀しさがただよう。

「死」というテーマは一般的には重いのだが、重さを感じることなく、温かさが

伝わってくる。そして、著者が歌人であるということも考え合わせると、

なんとも抒情的である。






文中でわたしが惹かれたことば。




   毎日は、たわいもなくて、とりとめもなくて、でも、それだけなのだろうか。
                                        「日記」より

   今日は、昨日の続き。明日は今日の続き。でも、泰彦さんの「今日」は、

   あの日で止まってしまった。                   「レンズ」より

   「とりつくしま」とは、命をなくした人がこの世に戻ってきて魂を宿すモノの

   ことをそのように呼びならわすように設定したのですが、「とりつくしま」を

   考えるということは、死んで間もない人のことを考える、ということになり

   ます。誰でもその身に潜ませている「死」を考えることでした。
                               「文庫本あとがき」著者






              解説 大竹昭子   2016年9月 第3刷 600円+税









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本日、1月21日の朝日新聞夕刊の「知っとーと」は注目記事。

博多・龍宮寺の「人魚の骨」の記事。貞松慎二郎記者が取材・執筆している。

JR博多駅前の大博(だいはく)通り沿いにある龍宮寺(りゅうぐうじ)。

そこの境内には「人魚塚」があり、本堂には人魚の骨が安置されている。






染野太朗さんの歌集『人魚』の評判も上々だし、ツアーを仕立てて、

みんなで見学に行く……なんてこと、誰か考えないかしら。

見学できるらしい、よ。








                 

 

2017年1月18日 (水)

毎日文化教室(新年会)

恒例になった新年会はホテルのレストランの個室。

ここは見晴らしがよく、手入れされたお庭が見える。

先ず全員揃ったところで写真撮影。





ワインと梅酒で乾杯。(昼間からワインを飲むと酔ってしまう私は梅酒。)

創作ディナーコースだったのか、お料理も手が込んでいて美味しい。

美味しさの前に眼福満点。


      先付は、胡麻豆腐

      旬菜は、9種類が美しく盛られ、梅の花と楪が添えられている。

      (菜の花辛し和え・柚子なます・鯛寿司・鰤柚庵焼き・海老芝煮 他)



      汁は、真丈とほうれんそうの清汁仕立て これは海老と水引人参。

      向付は、お造りのあしらい一式。

      煮物は、蕪・穂付筍・スナップ豌豆 他

      メインは、銀鱈柚庵焼き

      止肴は、チーズ茶碗蒸し(蟹身と銀餡)

      御飯は、じゃことかりかり梅の釜飯。





      デザートと珈琲をいだだき、この上ないしあわせな気分に。

      生きていることに感謝、生きていられることの幸いを思う。



と、優雅な少しばかり贅沢な時間を過ごしたが、実はこの新年会の日を

間違えていたのはわたし。

11時過ぎにKさんから電話があった。


      「今、どちらにいらっしゃいますか?」

                         「え、自宅ですが…」



      「今日は新年会で、西鉄久留米駅に11時集合ですが……」

                         「明日の水曜日じゃあないの?…」

と、言ったところで思い出した。

レストランが水曜日はお休みなので、火曜日に繰り上げたのだった。

西鉄久留米駅に集合して、タクシーに分乗して行くことに決めていたっけ。






さあ、大変ということで、大あわてで家を飛び出した。

最寄りの駅は普通電車しか停まらない。

急遽、博多駅まで逆戻りして、特急に飛び乗った。

乗ったのはいいが、長崎行きだったので、鳥栖で降車し乗り換え。

久留米駅からタクシーで約束のホテルへ。






もう、新年早々、みんなから笑われた。

しっかり者の?わたしのチョンボが可笑しい、可笑しいと。

たぶん、来年の新年会でもからかわれるだろうな。





しかし、火事場のバカヂカラみたいに、自宅から1時間弱で久留米の会場

まで駆けつけるわたしはスゴイ。(笑)

                         スゴクないですか?


 

 

2017年1月17日 (火)

2017年 「未来」 新年会

小正月(女正月)でもある15日、東京で過ごした。

過ごしたといっても、「未来」の新年会出席のために上京。

(そういえば、センター試験でもあったのだ。)



今回は「2016年 歌集について」のシンポジウムを傾聴したかった

のが大きな理由でもある。





      ①紺野万里歌集『雪とラトビア*蒼のかなたに』

      ②恒成美代子歌集『秋光記』

      ③江田浩司『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』

      ④米田律子歌集『木のあれば』

      ⑤蒼井杏歌集『瀬戸際レモン』

      ⑥池田はるみ歌集『正座』

      ⑦小川佳世子歌集『ゆきふる』

      ⑧紀野恵『歌物語 土左日記殺人事件』






以上の8冊を、①②の担当は、堀隆博

         ③④の担当は、佐藤弓生

         ⑤⑥の担当は、嶋稟太郎

         ⑦⑧の担当は、盛田志保子  等の4名がパネリスト。





パネラーの方々がそれぞれの書をよく読み込んでおり、

引用歌も1冊につき20首ほどの詳細を極めた。

著者としてはとてもありがたいことであった。



所属する結社のなかでこのようなシンポジウムが開催されるのは、

好ましいと思った次第。






午後の歌会は「未来」1月号掲載歌から自選した1首を対象に批評が

行われた。近藤先生がいらした頃は、緊張感でからだが震えたものだった。

先生は歌の批評の時「〇〇さん、立ってごらん」などと会場を見回して

仰り、作者の顔を確認の上、「こんな歌ではダメだよ」と厳しかった。


その厳しさに触れるために、上京し、先生の言葉にしょぼんとして帰福

したものだったが……などと、昔のことに思いを馳せた。

それにしても、若い方々が受付や会場の設営・段取りなど、甲斐甲斐しく

立ち働いている。これは、「未来」の前途の明るさでもある。




世代交代を感じるのも、こちらが年齢を重ねたから、ということもあるだろう。

 

 

 

 

2017年1月16日 (月)

梅の花と翡翠(カワセミ) 小石川後楽園

梅の花を観に行かばやと思い、上京の折に小石川後楽園を散歩した。

飯田橋駅で下車すれば、歩いて行ける距離。


俳句の季語では、「観梅(かんばい)」は春。

しかれば「探梅(たんばい)」ならばと歳時記をを開くと、これは冬の季語。

だけど「探梅」は、山野を歩き回るのが、本来の探梅行らしい。

名所とされる梅林の花が咲き乱れているのを観るのでは、少々「探梅」とは

いえない、とか。

しかし、14日の土曜日は「探梅」にふさわしく、梅の花が咲き乱れるのでは

なく、園内を梅の花を探し歩いた感じなり。





ここの園の梅には、名前の木札が下がっているのがうれしい。

大盃(おおさかずき)・光圀(みつくに)・冬至・唐栲・小梅・やえかんこう・

白滝枝垂れ・青龍枝垂れ・くれはしだれ・道知辺 等々、30種類ほどの

紅梅・白梅が2月上旬には満開?。






大盃の紅梅を写真に写し、まだ若木だったがみごとに咲いていた

光圀の白梅にシャッターを押す。光圀は号を「梅里」と称するほど梅を好んだ

らしい。

あいにく、わがふるさとの「ぶんご」も「八重豊後」もまだ咲いていなかった。




ひとつ〈おまけ〉みたいに嬉しかったのが、蠟梅の木が2本あり、そのうちの

1本は「素心蠟梅」だったことだ。黄色の花がひときわ明るく点っている

ようだった。





この寒い園内を恋人たちがちらほら歩いている。

いいなぁ、と思いつつ眺める。渋谷の繁華街のデートよりよほどこちらの

方がいいよね。こういうカップルは信頼できる。(笑)

神田上水跡のあたり、円月橋の小道に4・5人のカメラを抱えた男性が。

みなさん静止状態で声もあげず、水辺を見ている。

「なんなの?」と、わたしも足を止める。

翡翠(カワセミ)だ。

背中の青い羽根がひときわ美しいカワセミ。

浅い流れの魚を飛び込んで捕らえる。その瞬発力。

「バシャ」と音がしたと思うと、すでに小魚を口に銜えている。

そして、さっと水辺の木に止まる。




この動作をにわかカメラマンのおじさんたちと20分ほど眺めていた。



かくして、わたしの東京滞在の2時間ばかりが、過ぎた。


2017年1月13日 (金)

第十七回りとむ二十首詠第一位作品  「りとむ」 2017年1月号

23編の応募作品の中から三枝昻之・寺尾登志子・田村元の3名の

選考のもとに越田勇俊(こしだ・ゆうしゅん)1996年生れが受賞している。




    スーツとはたやすい免罪符のようでおさない大人として生きる街

    せんせいと呼ばれることの不思議さにファミマばかりの街角に立つ

    赤ペンを胸ポケットに差すことがぼくにひとつの威厳(みたいだ)

    こんばんわ 君と過ごした一時間一〇〇〇円ちょっとの価値だ 

    泣けるね

    避妊具を自販機で買う いのちとはこう単純に潰されてゆく

    コンビニに慰められるコロッケやから揚げ母の代わりのようで

    カップ麺すするひとりの夏の夜のテレビは映すふるさとの海

    洗濯機にワイシャツひとつ投げこんでやっぱりぼくはこどもがいいや






「入選のことば」に次のように記している。


    ー略 今回の二十首詠のテーマは、実生活を忠実に掬いとること
    だった。



そのことに、わたしは少なからず感動した。

実生活はうたわない? 実生活をさらけ出すのはダサい、と言う若者が

多い?のに、あえてその実生活を忠実に掬いとるとは……こういう若者も

現に居るのだ。







    一位の越田作品、青春の自画像が巧みに表現され、一首の展開に

    面白さがあった。ごく身近な素材を活かしながら、読者を自分の世界に

    惹き付ける。十九首目の(引用歌では8首目の歌)下の句に弛みが

    あるが、今後の伸びしろに期待したい。

                        選考を振り返って  寺尾登志子


    越田勇俊「おさない大人」は、青春の自問自答を主題とした一連。

    歌の素材は「ファミマ」「赤ペン」「コロッケ」など、身近なありふれたもの

    ばかりだが、だからこそ、揺れ動く心がひりひりと際立つのだ。

                        幅広い魅力   田村  元


    「おさない大人」の自在な表現が描く今日的な青春像が一歩抜けて

    いると感じた。           世代の競い合い  三枝 昻之


引用歌の8首目、下の句。やっぱり(笑)、これを言うと、結論を出してしまう
ことになる。答えを急ぎ過ぎるような。この思いは全体で読者が感じてくれるのじゃないかな。(あ~ぁ、またよけいなこと言っちゃった。)



でも、惹かれる作品である。
塾かなんかでアルバイトをしながら大学生活を送る若者の等身大の世界が気負わず淡々とうたわれている。
(こういった連作が一位になる、そのことに歓びを感じる。)





そして、時に母のことや、ふるさとのことを想う、思いの素直さ。

ちなみに、越田勇俊くんは、東北大学短歌会の会長を務めている、らしい。

 

 

 

2017年1月12日 (木)

母はかなしゑ

「ことしのお正月も、お雑煮を食べていない……」

こんなつぶやきを知ったら、母のわたしはどうすればいい?

不甲斐ないというか、なんにもしてやれない自分がなさけない。




先日のカルチャーで S さんが〈お年玉〉の話をしていた。

彼女にはお孫さんがまだいない。

お年玉をあげる孫がいないのだが、毎年、息子さんと息子さんのお嫁さんに

お年玉をあげるんだとか。お嫁さんが「おかあさん、逆です。わたしたちが

おかあさんにあげないといけないのに。」と固持するらしいが、Sさんは、

「わたしのあそびだから」と言って、受け取ってもらうらしい。


いい話だなぁ~と思って聞いていた。

わたしも、そうしたい。

息子にも、お嫁さんにもお年玉をあげたい。

とは、いえ、息子にはお嫁さんがいない。

いないというか、所帯を持つ気持ちがこれっぽっちもないのだ。

その上、わたしが母親として、べたべたするのを極度に嫌う。(嫌われたく

ないので、そ~っと見守るしかない。)





そんなこんなで20年はとうに過ぎて、冒頭のような息子のつぶやきである。

「おお、かわいそうに。」と言ってやることができないわたしも勝気(笑)か。
(ほんとは、かなしいんだよ。泣いているんだよ。)


今日はふたりで太宰府天満宮にお参りした。

毎年、新年の恒例の行事である。

飛び梅は、ことしは0・5分咲きくらい。去年より多少咲いている感じ。

絵馬を書いている息子を見守る。

こうして、2人で来れるのはいつまでだろう?と、考える。




そして、Sさんに見習って、息子にお年玉をあげた。

最初は受け取ってくれなかったけど、「かあさんのたのしみなの」と言って

無理遣り、貰ってもらう(笑)





ああ、やった~って、感じ。

小正月をあかるく過ごせそう。

2017年1月 9日 (月)

『これからはあるくのだ』 角田光代  文春文庫

日常の身辺雑記風なエッセイを30篇くらい収めている。

その多くは朝日新聞(1996年)や『群像』(1996年2月・1999年6月)等に

発表されたもので、巻末に初出一覧がある。





角田さんのエッセイは、読みやすく、親しみやすい。

その理由はたぶんボケっぷりをさらけ出しているからだろう。

あ、わたしもこんなことってある、とか、ホントにそうだよねって、共感できる

からだろう。

      今でも私は一人で旅にでると、移動する際ふりかえる。

      ふりかえって、ホテルへの道、バス停への、鉄道駅への、

      きた道への道筋を、数秒間眺めている。それは迷わないためでは

      なくて、癖になって半ば無意識にそうしている。まったく、なんの

      役にもたたないのだが。           「犬印と方向感覚」




もう、まったくわたしも同じことをしている。

ことに上京すると、ホテルの場所、イベントの会場の場所など時間前に

下見して確認するくらいだ。それでも間違える時の方が多い。




(神楽坂の「鮒忠」の角を曲がると「日本出版クラブ会館」)と頭では理解して
いて確認済みなのに、その「鮒忠」が現実に見つからない。消えている。笑)


このエッセイの中で、ことに面白かったのは「十数年後の『ケンビシ』」。

「ケンビシ」がお酒の名前と知らずに、ラッピングして、お祝いの熨斗紙を

つける方法なのだと、十数年思い込んでいたこと。





そういえば、今から40年以上も前、「ケンビシ」即ち「剣菱」は、若者たちに

愛された酒?だったことよ。わたしは下記の歌で「剣菱」の名前を知った。





      酒飲んで涙を流す愚かさを断って剣菱  白鷹翔けろ

                 福島泰樹 『エチカ・一九六九年以降』より






さて、さて、この書『これからはあるくのだ』の「ーーあとがきにかえて」が、

また実にいい。





(昨日のRKBラジオの話題がーー「おとなだなぁ」と思うことーーで、
リスナーに募集していたことを思い出した。)







      はやくおとなになりたい。泣くおとなになりたい。絶望的で、ときには

      屈辱的ですらあった幼稚園をでて以後、理由もなく「泣かない」

      記録を更新しながら私はそんなことを思っていた。平均的である

      こと、いびつであること、枠内にきちんとおさまること、はみ出て

      しまうこと、そうなっていまうのでも、そうさせられてしまうのでも

      なくて、それらをきちんと自分で選びとることのできるおとなに

      なりたい。

「たしかにおとなはたいていのことを選ぶことができる、と年齢を重ねて

いくにつれ思う。」







                 解説 三浦しをん   定価 505円+税

 

2017年1月 8日 (日)

竹中優子さん、ラジオ初出演

RKBラジオの「こだわりハーフタイム」に竹中優子さんが出演?した。

「ザッツ招待席」というコーナー ? 。

アナウンサーの大野尚さん、福山智美さんの軽妙な掛け合い(笑)に、

先ず安心。緊張を解きほぐしてくれるような会話だった。



第62回、角川短歌賞受賞という栄誉、竹中さんはその大きな栄誉にも

関わらず、自然体である。そしていつもニコニコしている。そのニコニコ顔を

福山さんがおっしゃってくれたのは嬉しかった。


       三角定規で平行の線を引くときの力加減で本音を話す

       河川敷うつむき歩く春の日はラジオが好きな話をしてよ

                 第62回角川短歌賞受賞作「輪をつくる」より




       おじさんがおじさんに手をふっている桃がひかりを放つみたいに

                 第62回角川短歌賞 受賞第一作「表情」より





番組のなかで竹中さんが朗読した3首。これは番組の話題にちなんで

彼女が選んだ歌。

1時間半という長丁場。

このラジオで気付いたのだが、音楽がかかり、終わると、改めて竹中さんの

紹介をする。そのたびに「第62回、角川短歌賞受賞の…」と、説明。

なんだか5回以上聴いたような ?

(まぁ、角川さんの宣伝になったのは間違いない。)

その上、この受賞作品が掲載された2016年11月号を視聴者5名に

プレゼント。粋なことをするねぇ、と思った。





このプレゼントに当たった人が短歌をはじめて、何年かして、角川短歌賞を

とったら、もっといいのにね。(夢のような話だけど……)




あなたが大人になったなぁと思った時は ? の質問に「若くみられたいと

思った時」と答えた竹中さん、やっぱり、彼女の感性は素晴らしい。






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昨日、アサヒビール園に行く前にみんなと観た蠟梅の花。

今日も観に行った。

あたりいちめん馨しい。蠟梅の木の下の水仙も今が見頃。

夕方から雨になったので、散ってしまうかもわからない。

今日、観に行ってほんとうに、よかった。

 



       

2017年1月 7日 (土)

未来福岡歌会(新年歌会)

今年初めての歌会。

今日は久留米のMさん、筑紫野のMさん、香椎のMさんと新入会の方々が

揃い、初顔合わせになった。

春日からお仕事を終えて出席した三宅雅美さん、忙しいあいまを縫って

駆けつけてくれた竹中優子さんと、こんな嬉しいことはない。






わたしは今日のためにワインとKitKat(オトナの甘さ)を差し入れした。

みんなで乾杯のあと、合計61首の歌の相互批評。

新人さん?たちも見事な奥深い批評に感服。

3名のMさんがたもそれぞれの選者のもとで、精進してくれる

ことだろう。





終って、アサヒビール園で新年会。

みんなよく食べ、よく喋ったことよ。

年齢も歌歴も超えて、一緒に話が盛り上がることの愉しさ。

気持ちのいい新年会だった。






明日、8日の日曜日、RKBラジオに竹中優子さんが出演。

    15時~18時だが、登場するのは16時30分~18時くらい。

    生放送なので、彼女は聴くことが出来ない(笑)

    (のど飴舐めて、いい声出してね、と言っといた。)









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せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ  

の〈春の七草〉。昨日 Sさんからパック入りを頂いたので、今朝は

七草粥を土鍋で炊きました。邪気を祓い一年の無病息災と

五穀豊穣を祈りつつ、美味しくいただきました。


Sさん、お心遣いありがとうございました。

2017年1月 6日 (金)

映画「この世界の片隅に」

お正月についに観に行った。(原作・こうの史代)

アニメは今まで一度も観たことがない。

初体験のアニメ映画だった。

映画館がこんなに混んでるとは……

それでもどうにか席はとれた。

ザ・フォーク・クルセダ―ズの「悲しくてやりきれない」の曲が哀愁を

帯びて流れる。

画面、やわらかなタッチの絵が実にいい。

絵が得意だった少女・すずが広島の呉に嫁ぎ、

日に日に戦争の色濃くなる中での不如意な生活ながら、すずの

明るさと素直さがいとおしく感じられる。






すずの声を演じているのは、女優ののん(旧・能年玲奈)。

彼女の甘ったるい声がすずのキャラを充分に生かしている。



姪っ子と外出中に空爆に遭い、死なせてしまう。

そして、すずも右腕を失くす。

いよいよ戦局は不利になる一方で……8月へとなだれ込む。

「わたしはここで生きてゆく」

すずのけなげな声が耳に残る。








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久々に聴いた「悲しくてやりきれない」。

帰宅して花田先生コレクションのザ・フォーク・クルセダーズを聴く。

「青年は荒野をめざす」もいいけど、わたしは「イムジン河」がいちばん好き。





それは、そうと、予告編で観た中島みゆきConcert 「一会(いちえ)」を観に

行きたくなったよ。え、2500円だって ?

2017年1月 5日 (木)

去年より今年へ

高さ 24、55m 直径 2、88m 重さ 37、5トンの大梵鐘。

12月31日、この世界一大きな除夜の鐘撞きを見物するために

玉名の蓮華院誕生寺へ。

夜の11時より撞きはじめるのだが、着いた時にはすでに100名近い人が

並んでいた。





108の鐘撞きの8つは7、8名の道士の方々が撞いた。

あとは、並んで待っている氏子の人や、町の人、わたしたちのような

物珍しさに遠方から来た人々が撞く。

撞くといっても、とにかく大梵鐘なので、20人くらいの人が鐘より下がった

紐を一同に手にし、賭け声と共にいっせいに引いて、離すのだ。

「ゴオ~ン」と、えもいわれぬ響き。この鐘の音は島原半島まで

響き渡るとか…






☆    ☆     ☆





1月1日、阿蘇の大観峰は車・車で溢れていた。

駐車場に入れない車は、道の両側に駐車して、その道を歩くのも大変。

5時35分、外はまだ暗い。かねて調べていた国際宇宙ステーションが

東の空から北東の空へ飛んでいく時間だ。車から降りて空を眺める。

寒い、とても寒いが、星空が美しい。北斗七星もくっきり見える。

博多の空と違って、空が広い、大きい。

こんなにしっかり I S Sを観たのは初めて。

あの中にも人が居るんだな、と。( ニッポンは見えますか?)





阿蘇五岳を一望できる大観峰での初日の出。

ご来光を待つ人々があちらにもこちらにもぎっしり居る。

2000人以上の人たちだろう。さえぎるものがない360度の大パノラマが

広がる大観峰は、徳富蘇峰の命名だとか……

標高935、9m、阿蘇外輪山の最高峰である。




7時23分、待ちに待った初日の出。

雲一つない空にご来光が輝く。

明るくなると、眼下の雲海が目につく。雲海を見るのは初めてだった。

カルデラ一面を覆う雲海にしばし見入る。





大観峰を下ると、阿蘇の野や田んぼは霜で真っ白だった。

こんな霜を見るのも初めて。

初めて尽くしの「去年より今年へ」だった。




どうか、穏やかな1年になりますように。

2017年1月 4日 (水)

歌集『人魚』 染野太朗  角川書店

『あの日の海』に続く第二歌集。
1ページ2首組。歌は2行の構成となっており、277ページ。
帯文は、小説家の中村文則。 
装幀・ブックデザイン 南一夫。 装画・瀬戸菜央。 「あとがき」無し。





    教員室の本棚の下段 三日月のように傾く『荒地の恋』は

    梅雨晴れの午前十時の黒板に向田邦子の没年を書く

    除染とは染野を除外することなれば生徒らは笑うプールサイドに

    あなたへとことばを棄てたまっ白な壁に囲まれ唾を飛ばして

    尾鰭つかみ人魚を掲ぐ 死ののちも眼(め)は濡れながらぼくを映さず

    夕焼けに手を振るような恥ずかしさ君が欲しいと強く思えば

    君の手に重ねたきこの手の熱を桜の幹に押しつける夕

    夕空がぼくよりぼくであることのふいにあふれてきたりあなたは


1首目の歌は、歌集のはじめの方の27ページにあり、『荒地の恋』がここで登場することの意味を思った。「詩神と酒神に愛された男・田村隆一。感受性の強いその妻・明子。そして、明子と恋に落ちる北村太郎。」詩人たちの恋は火傷するように熱く、せつない、のだが……


偶々目についた本(書名)をうたったにしては、無防備過ぎるというか、あるいは計算上か、それともわたしの深読みか。(深読みは、ダメかしら。(笑)伏線として、作者はここに敷いたんだと、妄想。)




3首目は、生徒たちのジョークとはいえ、なんだか肌寒いような「除外」である。染野先生の心やいかに。



4首目は、のっぴきならない男女の関係が浮かんでくる。もう、後戻りできないような。(しかし、この歌の「あなた」は女性と、確定できるか?)



そして、5首目の歌は、タイトルになった「人魚」。作者が甚振った人魚。その人魚は死んでしまう。死んだ人魚の眼が濡れている。濡れた眼にはもう作者は映らない。加虐であり、それは被虐ともなって作者に返ってくる。痛まし過ぎる。「人魚」に託された作者の思い。人魚は〈喩〉なのだ、きっと。



6・7首目が初々しい。
「恋」だろう。はじめての「恋」ではないけど、はじめての「恋」のように瑞々しい。



そして8首目には次のような詞書が添えられている。
「白川密成『ボクは坊さん。』に寄せて」
この書に作者は感応したようだ。




6・7・8首目のような歌ばかり読んでいたいと思うのに、怒り・諦め・驚き・恐怖・悲しみと、歌集後半は「感情」の言葉を使った頻度が高い。

     感情は理性を強くする        107ページ

     ことばにならぬ感情はない     122ページ

     感情は抑えつけるな         142ページ

     感情がなければいいな        149ページ

     はじまりに感情がある        185ページ

     感情のように揺れたり        197ページ

     あなたを責めるあの感情は     213ページ

     クスノキの葉が感情のように散る 215ページ

     この感情もわたしのごとし      235ページ






作者の拘りが「感情」であり、その感情を具(つぶさ)にうたっている。
自身の内面を視つめることは、くるしいことであるが、その苦しさをも歌に定着させる技。(弱い精神の持ち主ならここまで内面を覗き込まないが?しかし、弱いからこそ、覗き込むというのも一理ありそうな。)



ここまで書いて、ああ、お正月早々、重いとんでもない歌集(笑)だった、と思ったりしている。その反面、こういう歌集が出たことの歓びの方がずっと大きいが。



軽い小手先だけの歌にあらず、作者が歌と一体になって、もがき苦しんでいるのが伝わってくる。



これからの飛躍が大いにたのしみな歌人であることに間違いない。







                       2016年12月31日発行 2600円+税







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あけましておめでとうございます。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                           miyoko cat



 

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