「泥舟」に乗って…
靄のかかった岸辺に一艘の泥舟が見える。
行き過ぎようとしたら舟のなかから声がする。
「乗って行きなさい ! 」
「わたし、これから、図書館へ行くので、ごめんなさい。」
「浮き世は夢、ゆめを見られますよ。」
「そういえば、このところ夢を見てないわ。」
と、いう流れになって、戯れにその「泥舟」に乗ることにした。
ところが、その「泥舟」には「湯舟」まで用意されていたのだ。
呼びかえす泥のほとりのちちははの家にひと間を借りて暮らした
八月の墓にやかんで持って行く水ゆれているのが手にわかる
知らない海の話をすこし飽きるまで明日あなたの扶養をぬける
手帳を決めて連絡先を書きうつすこれは訃報のゆく宛て先だ
「夏のはたて」
山茶花のほころぶ冬の庭にいて離れなければふるさとはない
うちをでる? はてなを顔にしたような母よあなたに似たわたしだよ
洗濯機に絡まっているこれはシャツこれはふられた夏に着ていた
恋人でも家族でもない半裸だなルーム・シェアは長い合宿
湯上がりのくせを言われてはずかしい今のところはもめごとがない
雨が降りだしたみたいに郵便は届きふたつの宛て名を分ける
「長い合宿」
山階 基 (やましな・もとい)の「湯舟泥舟(ゆぶね・どろふね)」のネット
プリントより。
わたしは、夢を見ることができた。
はかない昼のゆめかもしれない。
しかし、山階 基の夢は確実に育ち、稔りを迎えるだろう。
いまは、その、山階 基の才能が、
あたら潰えぬことを、祈念するのみである。
「花散らしの雨」があがって、星がたくさん見える。
そういえば、「花散らしの雨」の言葉をはじめて知ったのは、
道浦母都子歌集の『花やすらい』(角川短歌叢書 平成20年9月)だった。
花散らしの雨は夜来の雨となり軽パラソルの縞柄濡らす
今夜はその雨もあがり、大きな大きな月が、のぼりつつある。
そうか、今夜は満月なのだ。
ちょっと空を仰いでご覧。月が綺麗ですよ。
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