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2017年4月24日 (月)

ソーセージを章魚(たこ)の形に…

さがしもの、というか、どこかで読んだ歌とか文章のフレーズを

どこだったかな、と探しまわることがよくある。



右側のページに載っていたとか、二段組みの下の方だったとか…

そんな記憶の断片がちらちらして、その探している言葉が見つからないと

次に移れない性分である。

このたびは、タイトルにある歌で、

ソーセージを蛸の形にしようとしたのだが、それを喜んでくれる(?)息子は

もうこの家にいない、というような短歌だった。

この歌がなぜ目にとまり、気にかかったのかといえば、わたしもまた似た

ような歌を作ろうとしたからでもある。(結果、作らなかったけど…)


そうして、一昼夜(勿論、睡眠はとったけど。)、探しまわった挙句、ようやく

あったわ。

      ソーセージを章魚(たこ)の形にせむとして踏みとどまりつ

      息子はゐない          宮本 永子 (「朔日」2017・4)


結句の「息子はゐない」に母親の心情がせつないほど伝わってくる。

息子が居た時は弁当作りに勤しんでいたのか?

ソーセージは定番とはいえ、お弁当には欠かせないよね。





ということで、一件落着で、気晴らしに園芸店に行って来た。

ブルーベリーの鉢植えがあり、白い可愛らしい花を付けていた。

買いたかったけど、かろうじて「踏みとどま」ったわ。

枯らしてしまいそうな予感がしたから……





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