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2017年7月

2017年7月30日 (日)

映画「海辺の生と死」

T・ジョイ博多にも「海辺の生と死」を配給?してください。

東京のテアトル新宿と

神奈川のシネマ・ベティと

仙台のフォーラム仙台だけでしか

観られないなんて、

かなしいです。


いつになったら、博多の映画館で

上映されるのでしょうか?





こういうことって、どこの、どなたに、

お願いしたらいいのでしょうか?







わたしは「海辺の生と死」が、

観たいだけなのです。

ただ、観たいだけなのです。

2017年7月29日 (土)

月と木星

夕焼けが綺麗だった。

茜色が薄れてゆくのをいつまでも眺めていた。


そして、

先ほど(P・M8:30)に西の空を見たら、月と木星が並んでいた。

月は弓張月といったところ。(上弦の月は31日)

スピカを探したけど見えなかった。


相変わらずパソコンが不機嫌なので、長いブログが書けない。








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Mさんより自家栽培のスイカが届いた。

クール便で届いたので、早速いただくことに。

Mさんは心配していたけど、熟れていたし、甘かった。

明日の分もあるし、うれしい。(ありがとうございました)




Sさんより絵手紙が届く。

その絵手紙も大判なので82円の切手が貼られていた。

絵がすごくいい。カラフルで魚の目が生きている。

そして、添えられたメッセージは、

                       泳ぎたい

                       夏の

                       海で

2017年7月28日 (金)

土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)

本日、7月28日より8月1日ごろは、『日本の七十二候』(中経の文庫)に

よると、第三十五候の大暑 次候にあたるみたいです。

蒸し暑いことを「溽暑(じょくしょ)」というらしいですが、まさに溽暑の日々です。


それかあらぬか、パソコンが不調です。

この暑さにしきりにフリーズしてしまうのです。

あなたが凍ってどうするの?

と、呟いてみたものの、返事がありません。

と、いうことで、しばらく当ブログはお休みすることにしました。

直り次第、復活するつもりでいますが、予定は 未定です。


どうぞ、みなさま、ご自愛なさいますように。





どうぞ、みなさま、ご自愛なま
                                          
2017年7月28日 A・M 9:30     miyoko 

 

2017年7月25日 (火)

歌日記『花眼の記』 道浦母都子 本阿弥書店

書棚の本を探していたら、ふと目にとまった道浦母都子のエッセイ集。

日記と短歌で綴られた歌日記である。

総合誌『歌壇』で2003年4月号から2004年3月号までの1年間連載された

ものである。

ぱらぱらと捲ってみると、歌が実にいい。

2003年といえば今から14年も前になるのだけど、現在の2017年に

置き替えてもちっとも古びていない歌たちである。

        歌つくり楽しかりしはいつまでか〈口語くらくら 文語しんしん〉

        世はなべて「あきまへんわ」の天(てん)こ盛(も)り然(さ)なり

        然なりと葭切が鳴く

        肩の力抜いて生きたら此の世とは草木(そうぼく)笑う朝明野

        (あさけの)のみち

道浦母都子の等身大の歌たちである。

気負わず、衒わず、自然体でうたわれた歌のかぐわしさ。

                          2004年5月5日 2300円+税

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書棚で探していた本は、道浦母都子さんの『食のうた彩事記』(彌生書房

1995年10月)だった。そのエッセイ集には「鰻」のことが書かれてあり、

万葉集の一首が引用されていた。

そして、それに添えられていたエッセイと歌一首。いま読みかえしても涙が

滲んでくる。





       石麿(いわまろ)にわれ物申す夏痩に良しといふ物そ鰻取り

       食(め)せ         (巻第十六 三八五三)



       愛を得てまろらとなりし九州の女性(ひと)の声音(こわね)は

       蜜のごとしも               道浦 母都子








そういえば道浦母都子さんの次の歌集は、いつ出るのかしら。

読みたいなぁ。(待つとうけんね。)




本日は土用の丑の日、〈鰻〉を買いに行かなくちゃ。

(ウナギの嫌いなかたはウのつくものなら、いいらしいよ)

 

2017年7月24日 (月)

『現代短歌』 2017年8月号 特集「テロ等準備罪」を詠む

『現代短歌』の表紙の装丁が変わったのは、いつだったか。

その変化と同じように、誌面も変っていった、と思うのはわたしだけだろうか。

8月号の特集は、「『テロ等準備罪』を詠む」だった。

編集部の但し書きによれば以下のように記す。






       このタイミングで詠まれた作品を記録することは短歌雑誌の

       責務と考え、50余名の方々に作品をお寄せいただき、特集と

       します。いわゆる社会詠、時事詠でなくてもかまいません。

以上の趣旨のもとに57名の方々が作品を寄せている。

いずれの歌も「テロ等準備罪」のことを真摯に考え、真っ向から詠んでいた

ように思う。その57名が7首ずつで合計399首。一冊分の歌集に充当する。











       恵まれて暮らすわれさへそこそこの暗黒をもつ ときどき疼く

                               「青波のごとく」 高島 裕

       黒胡椒まみれでわからなくなって誰の肉でもいい香ばしさ

                                  「黒胡椒」 東 直子

       

       紙莢(かみさや)にシュガーは固く詰められつ 問われおり

       「短歌で何ができますか」  「インタビュー 京都新聞」吉川宏志



       ただひとりチキン南蛮食す昼あらゆる思想より逃げてきて

                     「Around the Fifteenth of June」廣野翔一



       公開の調査に誰もムニャムニャムニャ、言わなかったことにする

                                   「時下」松下紘一郎



                「私」の暮らしの細部を歌にしてプライバシーを言い募れるや

                               「頭上雲なし」千々和久幸

                      

                生きている限りの未来どの場所に子の手を引けば助けられるか

                                                                            「健康法」花山周子

       
               日々の暮らしに特に影響ないだらう「日々」が転変するその日まで

                               「足袋重りたり」黒瀬珂瀾

       
                最初から生きてゐなかつたことにして(何が?)レプリカなのだ

        おまへも                 「レプリカの羽」濱松哲朗

       
               
                あるべきをまもりてあるをよしとするこゑを聴きつつ茶碗を洗ふ

                                   「こゑ」阿木津英

       
                おまへは詠ふな、生きるかなしみをと吹く風にどこまでまもれる

       だらう〈わたし〉を            「葡萄ふたたび」松本典子

       

                梅の木に梅の実ふえる(ナニゴトノ不思議ナケレド)押し黙りつつ

                              「あとの世界に」佐藤弓生










とりあえず選んだ歌は12首。

選歌基準ってのは甚だ曖昧というか、筆者に訴えかけたものを選んだという

我儘なものである。従って選ぶ人によって歌は随分変わることだろう。

その点は、ご容赦の程を。

2首目の歌は「準備罪」を直截的にはうたっていないが、読めば読む程

怖くなる。おそらく暗喩の歌か。

3首目、作者は京都新聞になんと答えたのだろう。

4首目、「あらゆる思想より逃げてきて」のことばは切実だ。生き残るためには

     逃げることだって、あり得る。

7首目、親は子を守る義務がある。下の句にはいのちを護る本能が。

8首目、「特に影響ないだらう」が大方の見方。しかし、いつなんどき転変

     するやも。

10首目、結句の「茶碗を洗ふ」にリァリティが。日常の中から詠まれている

     ところがいい。

11首目は、中野重治の「赤ままの花を歌うな」を想起するし、タイトルも

       斎藤茂吉の「百房の黒き葡萄」の歌が詞書につかわれている。

       意欲的な7首。

12首目は、北原白秋の「薔薇ノ木二/薔薇ノ花サク。」が思い浮かぶ。

       一連、詩情を濁すことなく纏められている。



便宜上、詞書や日付は割愛した。ごめんなさい。







それにしてもこの号の「編集後記」は創作?ですよね。

純朴な?わたしは信じてしまう(笑)ところだった。



「よからぬ歌会を開きさうな歌人のリスト」 ???
       

 

 

 

 

                       


   

       

       

 

 

2017年7月21日 (金)

「もはや抗えないもの」 山田 航    『短歌』2017年7月号

短歌の総合誌を4誌も年間購読していると、読み終らないうちに次号が

届いたりする。総合誌に加え、短歌関係の新聞も2紙、年間購読している。

と、前置きをして、本日は『短歌』2017年7月号の注目記事を。

この号も特集の「短歌再入門」があったりして、読み応えがあるのだけど、

山田 航さんの「歌壇時評」に注目した。


        --略

        文語という文体、そして旧かなという表記は、かつてはそれを

        用いる歌人の思想性そのものだったのだ。--略

        --略

        今や「昔の人の文体」というよりも「中二病の文体」という

        イメージの方が強いはずだ。






「中二病の文体」?とは、面白い発想だ。

山田さんは続けてこう書く。「--略 どうしたって言葉はコスプレの匂いを

帯び、放たれるそばから虚構化されてゆくしかない。ーー略」





結社「塔」の3・4月号で、吉川宏志さんが平井弘さんにインタビュー、

をしている。タイトルは「恥ずかしさの文体」なのだが、そこでの発言から

「ーー略 社会的メッセージを訴えようとするとき、新かなをそのまま使う

ことは『真面目すぎる』と考えたのだろう。含蓄の文体、はぐらかしの文体

としての旧かなである。ーー略」(山田 航 文)







筆者(ブログを書いているわたし自身)は、「塔」のインタビューを読んで

いないので、確たることは云えないのだが、山田さんの解釈でいいのだろう。


      --略 文体は表象なのだから、いくらでも変わってゆくものだ。

      思想という言葉に甘えてその使い方を硬直化させていると、本当に

      伝えたいことすらも伝えられなくなる。文体に囚われて自縄自縛に

      なるのは愚かしい。表現したい内容に合わせて文体を自在に

      使いこなせる歌人こそ、プロフェッショナルといえるのではないかと

      思う。

山田さんの書いていることは、まっすぐ伝わってくる。難しいことをこんなに

平易に説いてくれていることに感激した。






それにしても、わたし自身、新仮名遣いから旧仮名に変えたのは、他でも

ない、山田さんの書いている「含蓄の文体、はぐらかしの文体」としての

機能を信じて遣ったように思う。






このブログの6月13日にも書いたことだけど、「新仮名遣いでは気持ちが

生々しくも表出しそうでこわかった。」というのが、正直なところだ。

旧仮名遣いを〈隠れ蓑?〉にしたかったのだ。



この山田さんの「歌壇時評」を読んでないかたは読んでほしい。

読まれたかたは再読してほしい(笑)



「文体と格闘する歌人」は、こののち出てくるのだろうか。


2017年7月20日 (木)

『ネコのなまえは』 枡野浩一 ぶん  目黒雅也 え

表紙の色は、真っ黄色。

そこにネコがまんまるくなっている。

そのネコの色も真っ黄色。

歌人の枡野浩一の書いた絵本。

その絵本の絵を担当しているのは目黒雅也。

            なまえはネコにした

            ネコというなまえのネコ   

                         

                          ゆたんぽであたため

            スポイトで

            ミルクをあげていたら

            みるみる成長(せいちょう)し……







この絵本って、何歳児向けなのかな。

おとなが読んでもちっとも可笑しくない。

むしろ、大人に読んでもらいたいくらいだ。







            ネコは

            すくすく

            すくすく

            成長(せいちょう)した







目黒雅也の絵がいい。

ネコはネコらしく、イヌはイヌらしく描いている。

そして、にんげんは、ちっとも人間らしくない。

貼り絵みたいだ。(笑)


こんなステキな絵本を読んだら、鬱陶しさが消えてしもうた。

北部九州も本日20日、梅雨明けしたことだし。







            ネコは

            ますます

            ますます

            成長(せいちょう)した

                                   絵本舘 出版

                                   2017年6月初版

                                   1300円+税







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うれしいニュースが飛び込んだ。

穂村弘さんの『鳥肌が』のエッセイが第33回講談社エッセイ賞を受賞。

(このブログ「暦日夕焼け通信」では、2016年7月27日に紹介)

そして、梯久美子さんの『狂うひと』が第39回講談社ノンフィクション賞を

受賞した。梯さんのこの書は、読売文学賞も受賞しているし、長年の取材が

報われた、ということでしょう。

(このブログ「暦日夕焼け通信」では、2017年3月12日に紹介)




お二人様、おめでとうございます。

2017年7月19日 (水)

暑気払い(星空に近いガーデンへ)

梅雨明けを期待しているのに、北部九州の梅雨は明けない。

今日も今日とて、「福岡市熱中症情報」は、


         15時 危険 

         18時 厳重警戒

と、穏やかでない。

しろしか(鬱陶しい)日々であることよ。




ちなみに、「危険」とはWBGT31度以上で皮膚温より気温の方が高くなること。

そして、厳重警戒はWBGTが28~31度。

14日、15日、16日、17日、18日、19日と「危険」な日が続いた。





梅雨明けを待って暑気払いを、の掛け声もむなしく、

前倒しで「暑気払い」をした。

と、云っても飲みに行くだけ、だけど……




席に案内される前に入口で、「木挽BLUE」(本格焼酎)のポケットサイズを

プレゼントされる。これはお土産っていうことかしら。

女性連れのなんと多いことか、いわゆる女子会ですなぁ。

あと、サラリーマンらしき団体さん。白いワイシャツ姿が出自を証明している。




さすがに夜空に近いガーデンだけあって、風が心地いい。

雲にさえぎられて、かんじんの、

               
               夕日は見えず
               

               夕焼けも見えず

               星空も見えず

2017年7月18日 (火)

映画「22年目の告白 ー私が殺人犯ですー」

事件が起きたのは1995年。

この年は、阪神大震災が発生し、オウム事件という凶悪犯罪もあった。

その年の連続殺人事件は、犯人を捕まえることもできず22年の歳月が

経ち、時効が成立した。


そこから、この映画がはじまる。

曽根崎雅人(藤原竜也)が、犯人として名乗りを挙げ、告白本を出す。

その告白本は大々的に売り出され、時の人となってしまう。

遺族への謝罪なども自ら強行し、世間の注目の的となる……

メディアを利用するところが、現代的でもある。


22年前、犯人を捕らえることができなかった刑事(伊藤英明)。

刑事と犯人、そして、「私が真犯人です」と名乗る男。

それに、ばりばりののパーソナリティの男が絡んでいく。


事件は二転三転し、ぞくぞくと鳥肌が立つ。

まさにスリルとサスペンスの映画。






それにしても、藤原竜也は独特の甘味がかったソフトな声だ。

2017年7月13日 (木)

歌集『窓は閉めたままで』 紺野裕子 短歌研究社

著者は、福島市で生まれ育ち、高校卒業後は現在に至るまで首都圏で暮らし

ている。

      ーー略

      二〇一二年春から二〇一七年春までの歌を収めた。帰還困難

      区域の大熊町を通過する間は、窓は閉めたままでなければ

      いけない。警察官が三人一組で監視に立つ。この現実を記憶する

      ため『窓は閉めたままで』を歌集題としたーー略

                              「あとがき」より抜粋







東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故。

ふるさとの在りように心を痛めつつ、うたった作品は著者の視線で捉えられ、

臨場感があり胸を打つ。


      ふるさとの住宅除染説明会 父に代はりて出席をする

      行政も業者も知らぬ除染日程どこへ電話をすればいいのか

      老いし夫婦のかたちつぶさに子らに見せ父母は逝きたり二年を

      おかず

      螢(ほうたる)よこつちの水は苦いぞい 汚染土を抱くちちははの庭

      はつなつはりんごの花の咲きさかるところ紺野の姓は寄りあふ

      ふくしまの止むことの無き喪失をわが身のうちにふかく下ろさむ

      トン袋五段に積まれ汚染土は海までつづく野ざらしのまま

      家畜にはあらずペットにもあらず生きのびた牛草食むをみる

      一時帰宅の町民のため水とトイレ用意して待つプレハブがある

      誰がための帰還ならむか〈絆〉などゆめ持ちだすな為政者たちよ


ドキュメンタリーを読むような衝迫力がある。

10首を引用したが、福島以外の歌も勿論収められている。しかし、これらの

歌を読むと、著者にとって、いま、うたう、うたわなければならないものは何

なのか、ということを考えさせられる。







5首目を読むとせつない。そう、田舎では同じ姓の家が多い。

はつなつになると、林檎の花が咲き、同じ姓の家があちらにもこちらにも

点在するふるさと。そんなふるさとなのだが、一変してしまったのだ。



ところで、

歌集後半に収められている章「シベリア」に惹かれた。わたしが旅をしたい

地の一つでもある。

著者は「短歌人」に所属。第三歌集である。


                     帯文 小池 光

                     平成29年6月27日     2500円+税



               



     

2017年7月12日 (水)

曜白(ようじろ)朝顔

花の中心部から放射状に白い模様の入った朝顔、

名前は「曜白(ようじろ)朝顔」という。

この朝顔はわがやの定番で、もう4・5年前から夏になると咲く。

咲くといっても毎年、タネをとり5月に種まきをするのだ。


昨年はマンションの大規模改修工事があり、一夏を楽しむことは

出来なかった。かわりに前年のタネを友人・知人に配ったので、

わがやの二世・三世があちこちで咲いている ?。

ピンクの花びらに白い放射状の筋が入っている曜白朝顔。






昨年、ベランダのプランターや鉢を全て処分して、コンテナで持って行って

もらったので、ベランダはすっからかんになってしまっていた。





さて、今年はどうする?と、いうことで、諦めようと思ったのだが、風船蔓の

タネの袋が引き出しの中から出てきたので、小さなプランターを3個買った。

そして、残っていた曜白朝顔のタネも蒔いた。






風船蔓(ふうせんかずら)は、現在ツルを伸ばし中であるが、

朝顔は2・3日前から咲きはじめた。

プランターが小さいので、朝顔の花も小さい?。

(やはり、タネは市販のものを時々買う方がいいのか。)

でも、目が覚めて、朝の水遣りはたのしい。

「よく咲いてくれたねぇ」と声をかける。





いま、ベランダには、通販で買ったツルハナナスと春日の園芸店で見て、

衝動買いしたダークローズの鉢を置いている。

ツルハナナスはまだ花どころか、細い細い枝ぶり?である。

通販で買うのは、現物が確認できないので、失敗だったような。

ダークローズは薄いピンクで、蕾もたくさんだし、花がたくさん咲いて

いる。

ベランダに彩(いろどり)をもたらしてくれているので、うれしい。

2017年7月11日 (火)

「月刊 はかた」2017年7月号   竹中優子さんのエッセイ

福岡から出ている「月刊 はかた」。

文化情報誌っていったらいいかしら。

福岡・はかたのグルメや文化の情報誌である。

変形版の可愛らしいサイズで、表紙のやわらかい色合いがいい。





この冊子に竹中優子さんが短歌 1 首 とエッセイを連載している。

その連載のタイトルは「博多の五、七、五」。

そして、今月の歌は、

      黒色のキーボード覗き込む夜中A、K、Nの文字掠れおり

                               竹中 優子

エッセイの内容は、パソコンのキーボードの文字判が擦れているのに気づく。

よくよく見ると「K」がことに擦れている。以下のようにつづく。


      なぜ「K」は擦れるのだろうか。

      カ行の、勢いがあり抜けていくような響きの美しさから、

      心の中でカ行の言葉を使うとき人は無意識に勢いをつけて

      「K」の文字を叩くからだと思っている。か、き、く、け、こ

      やはり、きれいな響きである。






すてきなエッセイである。

文字の擦れに気づいても、ふつうここまで考えない。

歌人の竹中さんらしい、発想というか、考察?ではないかしら。






ちなみに、わたしのキーボードを見ると、全然擦れていない。

まぁ、2年くらいしか使っていないし、普段でも竹中さんほど使っていないと

いうことかしら。





それは、ともかくとして、この「月刊 はかた」の、今号の特集は「追い山で、

旧町名めぐり」。




                        「月刊はかた」  定価380円。

                           送料込みで6ヶ月2280円。





 

 

 

2017年7月10日 (月)

蔵書生前贈与計画 ? 

室温が30度にのぼりつめようとしている。

この蒸し暑い部屋にいて、本に囲まれていると「ギャー」と、声を

挙げたくもなってくる。

いったい我が家にはどれくらいの本があるんだ。

       ガラス扉付き書棚        3棹

       書棚                7棹(うち、3棹は連れ合いのもの)

       文庫・新書のスチール本棚  2棹(共有)

       段ボール保管          6函

       寝室に積みあげられた大量の寄贈本








かてて加えて、スクラップノート130冊や資料の入った紙袋が30個ほど。

火事になったら、勢いよく燃えるものばかりだ。

その上、こんなに本を集めても遺族?にはなんの価値もなかったり、する。

やっぱり元気なうちに、このたいせつな本たちの行く先を考えた方が

いいのではないかと思ったりしている。(昨夜は、そんなことを考えていた。)



その昨夜は、防災メールの雨量情報が2度も入り、カミナリは鳴るし、

豪雨を案ずる。

しかし、夜中には満月が雲間から見えたりした。

 

2017年7月 9日 (日)

『結婚』 井上荒野  角川文庫

映画が先か、原作が先か?

で、映画を先に観てしまった「結婚」だった。

原作本を購わなければ、と思っていたら、な、なんということか。

昨日、文庫本の書棚を整理していたら『結婚』が井上荒野の文庫が

並んでいる中にあるではないか。




こんなことって、たまにある。

購ったまま読んでいなかった?

そんな筈はないと思いつつ、読んでゆく。

どこまで読んでも読んだ記憶がない。(そういえば、このところ記憶力も減退)




西加奈子の解説を読んでも、読んだ記憶が甦らない。

そうか、読んでいないんだな、と、了解するしかない。





結婚詐欺師の古海健児(うるみ・けんじ)。

考えようによっては、ひとときでも相手の女性に歓喜を与えたのだから。

なんて、考えるのはダメか。ダメだろうな。

女性を騙してお金を略奪しているのだから。





        可愛い、と古海は思った。女をだますときにはいつでも

        そこからはじまるのだった。





           解説  西 加奈子

           平成28年1月28日 初版発行   600円+税

2017年7月 2日 (日)

『新選 小池 光歌集』 現代短歌文庫

第5歌集の『静物』と、第8歌集の『山鳩集』を全篇収めている。

砂子屋書房の短歌文庫では、『小池 光歌集』・『続小池 光歌集』に

続く3冊目ではないだろうか。

『静物』は、40代の終わりから50代の歌集で、『山鳩集』は、2004年から

2009年までの6年間、即ち著者の57歳から62歳くらいまでの作品になる?。


ところで、こうして文庫に収める時に、単行本で出した時の作品の

訂正をしたり改作するのか興味がある。それで、とりあえず『静物』だけを

単行歌集と今回の文庫版とをつき合わせてみた。

以下、気がついた歌のみ。






 (原作)おたくやるじゃない、とか言つて十数手後の、と金が「詰めろ」

 (文庫) おたくやるじやない、とか言つて十数手後のと(、)金が「詰めろ」



 (原作)盲人のまへに芙蓉のくれなゐが沈黙をしてをれるときの間

 (文庫)盲人のまへに芙蓉のくれなゐが沈黙をしてゐたるときの間




  (原作)重力のしづくの如く実りたるアボガドは来(き)ぬ死の谷(デス・

      ヴアレー)より

 (文庫)重力のしづくの如く実りたるアボカドは来(き)ぬ死の谷(デス・

      ヴアレー)より









1首目は、拗音の小文字を訂正し、「と金」の部分の「と」にルビの点を

付けている。たぶん、意味を通じ易くしたのだろう。

2首目は明らかな改作のように思う。「をれる」を「ゐたる」と改作。

3首目は、間違い?「アボガド」を正しく「アボカド」に訂正している。

この文庫には巻末に歌論とエッセイが収められている。

これが滅法面白い。小池さんのエッセイは夙に好評であるが、

今回収めている塚本邦雄の文体に対する考察、そして、

「茂吉という人間」の文章など、若手の歌詠みたちに是非読んで

貰いたい。

      

             短歌は私性の詩型とか一人称の詩型とかいわれる。ことの

      是非はいま置くとして、仮にそうであるならば、どういう人物像が

      その作品から立ち上がってくるかが短歌の価値を左右する

      理(ことわり)になる。おもしろい人間が立ってくればその短歌は

      おもしろい。興味の湧かない人物しか浮かばないのであれば

      いかに作品が「立派」であろうと、その短歌はつまらない。ーー略

『短歌』の2003年5月号に掲載されたものの転載である。

これを読むと、茂吉の歌を読み返したくなってくる。

     


     その鞄われに持たれてとしふりぬ遠くの虹を見たりなどして

                             『静物』より  小池 光

                       2017年6月28日 初版発行  2000円+税

 

2017年7月 1日 (土)

上弦の月に寄り添う木星

今日の暑さは、まさに「溽暑(じょくしょ)」だった。

もう朝からがんがんエアコンをつけていた。

途中で近くのワッフルの美味しいお店に。

ここのワッフルは食べ応えがある(笑)。

その上、リーズナブルなお値段。




午後は歌会へ。

暑さにめげず12名出席。他に3名詠草のみ。

75首を3時間で粛々と相互批評。

その欠席者3名の批評などを書いて、発送準備。

と、いうことで、右肩の痛み。





ベランダに出ると、空は晴れて上弦の月が出ている。

その月に寄り添うように木星が瞬いている。




今夜は、月も見ることが出来たし、もう休みます。

                           おやすみなさい。

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