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2017年8月21日 (月)

たましひのたとへば秋のほたる哉  飯田蛇笏

たましひのたとへば秋のほたる哉  飯田蛇笏

 

        --略

        たましひたましひ、とわたしはとなえる。たましひのたとへば

        あきのほたるかな。たましひのたとへばあきのほたるかな。

        たましひのたとへばあきのほたるかな。

         何回でもとなえているうちに、句の持つ意味ははるかなもの

        になり、音やかたちのつらなりだけが、となえる舌の上に残る

        ようなこころもちになる。  --略



川上弘美の第一エッセイ集『あるようなないような』の中に収められた

「近代俳句・この一句」の章の抜き書きである。

2002年の初版を買っているからたぶん読んだ筈、なのだけど。

偶々手に取ったら、また引き込まれて読んでしまった。

と、いうのも、その文章の続きに池田澄子さんの蛍の句が引用されている。

         じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

         --略

         じゃんけん、とわたしはふたたびとなえる。じゃんけんで

         まけてほたるにうまれたの。じゃんけんでまけてほたるに

         うまれたの。

          うまれたの、という声は、外からきこえる誰かの声である。

         たとえわたしの声でとなえていても、この句を最初にとなえた

         のは、ことなる誰かであったにちがいない。--略



川上弘美と俳句。

「俳句が好きでたまらなくなってしまった」川上弘美。

なんだか謎が解けてきた。

川上弘美の『おめでとう』(新潮文庫 平成15年)の解説を池田澄子さんが

書いているのも、そうか、そういう流れだった (? ) のかと。



     

そういえば、564ページの大冊の評論集が届いている。

「〈現在〉との批評的対話!」

生半可な精神では読めそうに、ない。



 

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