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2017年9月

2017年9月30日 (土)

映画「ユリゴコロ」 主演 吉高由里子

きゃ〜、怖かった。

あんな怖い映画だとは思わなかった。

血を見るのが怖いのか、刃物を見るのが怖いのか。

いずれにしても、あんな怖い映画は今度からパスだな。

(リストカットの場面では、顔をあげて観ることが出来なかった。)

怖いもの好きのひとにはうってつけの映画 (?) かな。

松山ケンイチが出ているというので、観たかった映画。

「あなたの優しさには容赦がありませんでした」と美紗子(吉高由里子)が

告白 ? するように、洋介(松山ケンイチ)の優しさは、何かを背負っている

ひとの優しさでもある。(挫折したり、何かでひどい傷つきかたを体験した

ひとは優しいと、わたしの体験上からも思う。)








縦糸と横糸がうまく交差して、後半で謎が解ける。

沼田まほかるのベストセラー小説の映画化らしいが、ミステリー仕立て

なのだ。


葈耳(オナモミ)という植物、知ってるかしら。

そう、あの洋服などにくっつく小さな楕円球のみどりのとげとげの付いた実。

あれがキーワードになる。

殺人現場にそれが落ちていた。






亮介(松坂桃李)が、実家の父の押入れから見つけたノート。

それが発端で、犯人捜しをするのだが……



松山ケンイチは影があるような役を演じきっていた。


                        それにしても怖かったなぁ〜

2017年9月29日 (金)

まいにち文化祭 2017年10月1日 日曜日

お知らせが遅くなってしまいましたが、

毎日文化教室の交流イベントが開催されます。

2017年10月1日(日曜日)

時間は11時〜16時

場所は、久留米市東町31-34の毎日文化会館。

当日は、ダンス・舞踊等の各教室による発表。

     展示部門では絵・書・手芸・生け花等の教室で制作した作品を展示。

     短歌教室では、昨年に引き続き合同歌集を制作。

     皆さんの作品とエッセイを掲載。

     会場にて「ちっご川 第2集」無料で配布します。
           (部数に限りがありますので、先着順)

           教室生の色紙や短冊の展示もあります。




     なお、茶道部門では、お点前を拝見しながらお茶とお菓子を

     いただくことが出来ます。


どうぞ、ご興味のあるかた、お近くのかたは覗いてみてください。

短歌教室では新入生を募集中です。

2017年9月28日 (木)

月下美人の生姜ポン酢和え

Sさんより月下美人のお花をいただいた。

この花は食べられるとのことで毎年頂くのだが、Sさんのおうちでは

今年は4度も咲いたそうだ。

月下美人はその名のとおり夜にしか咲かないので、頂いたのは花の

咲いたあとの閉じた状態の花びらである。





ネットでググってみるといろいろな調理法があるみたいだ。

去年と同じく「生姜ポン酢和え」にした。

沸騰したお湯に茎を先に入れ、花びらはさっと茹でる。

茹であがったのを細かく刻み、生姜を擦ってポン酢と混ぜ合わせる。

ねっとり粘味が出て、美味しい。(日本酒に合うよ。)






家庭菜園にハマっているMさんからは、でっかい南瓜を貰っていて、今日は

その南瓜を「焼きカボチャのビネガー風味」(朝日クッキングサークル参照)

とやらに挑戦(笑)してみた。フライパンで焼くので焦げるのではないかと

心配したけど、大丈夫。あの固い南瓜が嘘みたいにやわらかくなった。







今日は北九州まで出掛けたけど、疲れていない。

題詠「動物の入った歌」ということで、わたしは「猫」を詠む。



      

    
    猫の本ばかり集めて肝心の猫を飼へない齢(よはひ)となりぬ

    雨の降る所在なき午後 くださいなわれにスイーツ猫にマタタビ






疲れていないのは、たぶん、往きも帰りも東郷から赤間にかけての田圃の

畦にたくさん咲いていた彼岸花を見て、心が癒されたのだろう。




今夜は上弦の月、

ただいま22時35分、もうすぐ沈んでしまうよ。

2017年9月27日 (水)

『岡井隆考』 江田浩司  北冬舎

564ページの大冊の評論集が出た。

通常の評論集の2冊分はゆうにある。

まだまだ読んでる途中の段階なのだが、この書の書かれている当の

岡井隆氏が「未来」の〈選者感想〉や〈後記〉で記すように、ともかく好著だと

思う。

好著ゆえに生半可な読みで読者を惑わせることはしたくない。

しかし、深く深く読むには時間が足りない。





第一章のⅤ『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』の連作「弟よ」を中心に

を読みながら、岡井隆と弟の関係、そして弟の長男夫婦(1984年大韓航空機

撃墜事件によって死亡)のことなど、今から30年も前のことなどを思い出したり

した。

    二つ違いの弟が、精神的にもたしかに弟であったのは、幼少年期

    までのことで、アドレッセンス以後は、どちらが兄貴かわからなくなって

    しまった。 --略       

                  初期歌集『O(オー)』の「跋にかえて」から引用。



著者、江田浩司の丁寧な引用。そして、その引用の歌や文章を繋ぎながら

深く深く錨を下ろしていく。岡井にとっての弟の存在、岡井の創作にどのよう

な影響を与えたのか、など。




ところで、話は飛ぶが(ここからは、私のメモ)岡井の弟の妻、岡井仁子さんは

陶芸作家。長男夫婦の追悼のための陶器作りに当時、精を出していた。

1990年1月の「岡井仁子陶技展」(大丸6階・アートギャラリーにて開催)では、

岡井隆が短歌を寄せている。(この時の「海ざくろ」の壺と短歌のカラー写真を

机の前に今でも貼っているのだ。)




          「海ざくろ」に寄せて         岡井 隆(歌人)

    大いなる暗きみどりの實(み)を抱きてことばはあらずつひに言葉は

    流れよるあをきざくろは波のまに幾日ありけむ紅(あけ)を胞(はら)みて

    海底に大きざくろの木がありてかなしみの實(み)を放つ夕ぐれ


この『岡井隆考』の巻末の「岡井隆自筆年譜抄」、「岡井隆著作一覧」、

「岡井隆研究史」、「文献索引」、「人名索引」、「初出一覧」と細やかな配慮

がなされており、この一書は岡井隆研究には必読の一冊になっている。

(それにしても、著者の岡井隆に寄せる執心の賜物であろう。加えて、

北冬舎さんの奮闘ぶりに喝采を送りたい。)


ちなみに、自筆年譜から岡井隆の結婚年数を計算すると(笑)

来年は「磁器婚式(陶器婚式)」。

90歳と58歳のご夫妻である。

 

 

                      2017年8月20日初版発行 3500円+税





2017年9月26日 (火)

歌集『含笑』 島崎榮一  短歌研究社

珍しく函入りの歌集で、パラフィン紙がかけられていた。

中の歌集を取り出すと表紙はすっきりした装幀、その表紙も

パラフィン紙に包まれている。そして、何より見返しの紙が紙というより

皮みたいな高価な手触りがする。

こんな贅沢な歌集を手にしたのは久しぶりだ。


タイトルの読み方は「がんせう」(歴史的仮名遣い)。

含み笑いのことかしら。

やはり漢音の「含笑」の方が奥行がありそうな感じなり。

80歳を過ぎた男性歌人の歌は、ことごとく愉しい。

それは、なぜなのか。

たぶん、素の自分をさらけ出すというか、気負いがなくなり、自在に

なるためではないか ?

           正座して机に向かひ精神のみのたけ高くなるにもあらず

      歌やめて楽になるのが一番と言へば笑ひごゑ部屋に広がる

      木蓮の花びらの匙さながらに役に立たないものが哲学

      六月の石榴の花はどこからが実でどこからが花か解らず

           朝起きて血圧測る面倒なことも八十歳(はちじふ)このごろはせず

       楓若葉くぐりて鳥のあそぶさま雨ふる池をへだてて見たり

           ときどきはまなこをあげて悩みなどなき老人の表情をせよ

     八十を過ぎたるわれが石塀に乗つて椿の木の枝おとす

            夜おそく畳の上に正座して日の歌風の歌をしたしむ

      ゆく雲はしづかに早し前庭の金木犀の花も過ぎたり

くすっと笑いたくなるような歌ばかりだ。

こういう現象をも「含笑」というのだろうか。




1首目と9首目に「正座」のことばがある。作者は座り机派なのだろう。

従って「正座」になる。歌を読む時も正座、歌を作る時も正座なのだ。

いかめしい人を想像するが、「精神のみのたけ高くなるにもあらず」と念を

押している。





2首目の「歌やめて楽になるのが一番」と、ここまでぬけぬけと言われたら、

みんな笑うしかないだろう。やめられるのだったらとっくにやめてるよ、

とでも返したくもなる。み〜んな、やめられないんだ。やめたあとの自分が

こわいんだ。(自分が自分でなくなってしまったりして…)




3首目の「役に立たないものが哲学」なんて、公言されたら、哲学の先生が

困るだろうな。哲学の方に進む学生も激減したり…(今でも哲学科って

あるのかしら ? )

7首目は、自励の歌か。

8首目を読むと、まだまだ体力はあるし、5首目の「血圧測る」ことなんて、

そう面倒でもなさそうなのだけど。健康に対して自信がついたとか。

6首目の「鳥のあそぶさま」を見ている作者が案外等身大かもしれない。








昭和61年「鮒」創刊。

30年の歳月を「鮒」と過ごした作者の感慨の籠る歌を最後に紹介したい。

       


      わが「鮒」の三十年は蛍とぶ夏の夕べのごとくみじかし

 

                     平成29年9月7日   3000円+税

 

 

 

2017年9月25日 (月)

歌集『花高野(はなこうや)』 道浦母都子  角川書店

前歌集『はやぶさ』以来の9冊目の歌集。

あとがきによると「久々の政治の季節を含んだ歌集でもある」と記している。

     ひりひりと蒸れる国会正門前ヒールのままでビラ撒きをする

     ジグザグもシュプレヒコールもなきデモに夏の雨降るしずやかに降る

     遠ざかりまた湧き上がる悔しさよデモより帰る濡れたからだに






国会議事堂の南側を東に下る坂を茱萸坂という。毎週金曜日に行われて

いた「反原発デモ」。このデモには歌人の小高賢氏などが毎週通い、話題と

なった。

氏亡きあと、その遺歌集は『秋の茱萸坂』と命名された。

その後、2015年8月には安保法案の国会議事堂前デモが35万人もの動員で

行われたりした。

1首目、国会正門前でのビラ撒き。大阪から駆けつけ、ハイヒールのままの

     ビラ撒き。

2首目、ジグザグもシュプレヒコールもない静かなデモ。

     このような一連を読むと、おのずと道浦の『無援の抒情』の中の歌が

     思い出される。

 

      「今日生きねば明日生きられぬ」という言葉想いて激しきジグザグに

      いる

      催眠ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり

      ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いゆく




時代も変わったし、道浦自身にも変化はあっただろう。

熱い〈政治の季節〉というより、苛立つ心と不全感の尾を曳くようなデモとも

いえよう。「国会議事堂左右対称の形象のなにごともなかりしごとく静もりて

あり」とうたっている。

自らが「シニア左翼」ともうたっている道浦、デモにも女性や高齢者が

多かったともきくが、

「なにごともなかりしごとく」原発も、安保法案も、共謀罪も通過してゆく。


      いっさいのこころ無になれベナレスに人の匂いの濃き風が吹く

      秋彼岸 ひとつ思いを手離すと父母の墓前に告げているなり

      時雨雲 西から東へ移りゆく沈みがちなるわれを残して

      窓の結露拭えば見ゆるキビタキのオリーブ色の春呼ぶすがた

      畳んだり広げてみたり約束は麻の葉模様の風呂敷のよう

      メダカにはメダカの時間ぼたんにはぼたんの時間よろめく五月

      天蓋はダブルベッドに寝そべりて行くあてのなき浮子(ブイ)の

      ごとしも

      戦後という言葉のまとうほの甘さコトバは人を裏切るものを

      こんなときも帰りゆくべき家がありだあれもいないがらんどうのいえ

      落ち着いてと自ら言えど落ち着くべきこころはどこに着地するのか


なんだかさびしい歌ばかり挙げてしまったようだ。

さびし過ぎる。

母が亡くなり、父が亡くなり、たった独りになった道浦には、歌しかない。

歌うことしか自らを慰める術がないのだ。

だから「コトバは人を裏切るものを」などと、思ってほしくない。

しかし、現実は、ことに政治に関わる「コトバ」は裏切られることの方が

多いのだ。

4首目の「キビタキ」の「春呼ぶすがた」。

5首目のひととの「約束」、そのような甘やかな時間がたいせつなのだ。







『花高野(はなこうや)』と名付けられた第9歌集、

そのタイトルの高野を次のように詠んでいる。






     


     ここに来たのは何ゆえなのか理由なんてなく来たかっただけ

 

                   2017年9月9日初版発行  2600円+税

 

 

2017年9月18日 (月)

映画「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」

長い長いタイトルの映画を観た。

奥田民生の楽曲が映画のなかでつかわれている ? ということを

知った上での観賞。

シリアスな映画より軽いのが観たかったということもあった。

妻夫木聡が雑誌編集者のコーロキを演じ、水原希子がファッションプレスの

天海あかりの役。

妻夫木聡は、映画「怒り」での役が強烈だっただけに、この映画の

コメディっぽさに合っているのかどうか、ちょっと気になった。

最初のシーンで、あれ、妻夫木聡なの  ?  っていうくらい面立ちが

変わって見えた ?

しかし、あかりに翻弄されているコーロキの姿はイトシイ。



ともあれ、水原希子のスタイルの良さが俄然光る映画だった。




脇役で出ていたリリー・フランキー、やっぱりいい。

(最後の方の、刃傷沙汰はこの映画で必要だったのか ?  )

2017年9月17日 (日)

『ライナスの毛布』 高田ほのか  書肆侃侃房

書肆侃侃房のシリーズのユニヴェール6。

作者は2009年、作歌を始め、2015年未来短歌会入会、加藤治郎に師事。

タイトル『ライナスの毛布』に込められた思いを「あとがき」に記す。

      
      わたしは嬉しい、苦しい、悲しいなどの人間の持つ感情のなかで、

      せつない が一番好きだ。触れたいのに、どうしても触れられない

      背中……少女マンガは、いまなお手放すことが困難な、私に

      とってのライナスの毛布なのだ。

少女漫画誌史上最高発行部数255万部という数字を達成した「りぼん」

(1994年)。小学生の作者にとって「りぼん」は、ライナスの毛布として、

着実に確実に根付いてしまったのだ。

「わたしにとって短歌を詠むことは、少女マンガの主人公の気持ちを編む

作業のように思う」とも記している。



     
     ショーウインドウ越しに毎日目が合ったあの子猫の目あの目はわたし

     理由ならひとつじゃなくてキスのあと舌に残った微かな苦味

     向かい合うアクア・グレイのテーブルはやけに長くてあなたが遠い

     行きつけの森井書店の貼り紙にわたしの首は傾いたまま

     バンダナを解けば夜空にふたりきりあの日確かにあった永遠

     逢える日は一番綺麗になれるよう逆算しながら今日爪を切る

     あの人とまるきり同じシャツを着てわたしの前にゆるりと立つな

     それはもうカーテンでしたひとりずつ風を着替えて消えてゆきます

     母が買った結晶柄の靴下を雪と気づかず今日も履く父

     葉のうえに葉陰は揺れてさわさわと蔦屋書店のカバーを外す



「少女マンガの主人公の気持ち」と断らなくても、ちっとも構わない。

(Ⅰ部には、オマージュ作品も勿論あるが……)

つまり、「作者その人の生を反映している。」Ⅰ部だとしてもいいではないか。

揺れやすい、傷つきやすい少女(?)の心が素直に吐露されていると思う。


2首目、5首目、7首目など、怜悧な心も垣間見られる。

嫌いになった理由は「ひとつじゃなくて」と、判断し「あの日確かにあった

永遠」が雲散霧消することだって、人生にはある。

7首目など、命令形の小気味の良さ。「わたしの前にゆるりと立つな」だって。







その一方、手堅い歌もちらほらとある。

4首目、9首目、10首目など、生活感も窺える。(わたしの好みでもあるが。)

8首目は、笹井宏之の歌を読み込んでいるらしい痕跡を感じたりもしている。







現代短歌にまた一人、若い才能が出立(しゅったつ)した。

                                         解説 「ゴーゴーラウンド」 加藤治郎

                     2017年9月17日    1700円+税

2017年9月14日 (木)

歌集『書架をへだてて』 本間温子 青磁社

「塔」所属の第一歌集。

1999年10月から17年間の作品およそ2000首の中から473首を選び、

ほぼ編年体に収めている。






    戦争を知らない子らに戦争しか知らない子らに初日は差せる

    惑星が並んでいるよと夫が呼ぶ金、火、土星はなれて木星

    越後より届きし手紙二百余通母の歳月われらのさいげつ

    早朝の新幹線に乗りてゆくひと日死んでる母に会うため

    湯湯婆の湯はゆたんぽのかたちしてわれの足元あたためている

    図書館の書庫にいちにち感情を捨てて蔵書の除籍するなり

    三年を施設に暮らす君の家スモークツリーがふわふわ咲いて

    赤じそに赤き花咲き青じそに白き花咲く秋の日のなか

    曼殊沙華畦に遠見ゆページより顔を上げればまた曼殊沙華

    昨夜(きぞ)の訃を二十七戸に配りおり家並みうつる植田にそいて






町の図書館に25年勤め、その時の歌「本を選る父に抱かれしみどり児と

笑みかわしおり書架をへだてて」より、歌集題としている。





6首目の歌など、図書館の仕事「蔵書の除籍」というききなれない言葉が

出てくる。おそらく本を整理して処分するのであろう。

3首目は、義母即ち姑さんのことなのだが、お互いに細やかなやり取りが

あったに違いない。「母の歳月」はおのずと作者家族の歳月であり、培われて

きた交情を想像させられる。


7首目は「スモークツリー」という植物名が作品の中でうまく機能している。

煙の花のように見えるスモークツリーは別名、「煙の木」とも「霞の木」とも

呼ばれている。施設に暮らすため、空家になった家の庭に咲くスモーク

ツリーは、ふわふわと頼りない。



9首目の歌は、ちょうど曼殊沙華の咲く頃なので取り上げた。「ページより

顔を上げれば」の動作の描写が良い。


10首目、村の27戸の家々にお知らせする訃報。下の句の「家並うつる

植田にそいて」に田園風景が浮かんでくる。

歌集全体から受ける印象は、跋文で池本一郎氏が書くように「真実を生きる」

作者の生活が淡々とうたわれている。生活をだいじにして自らの立ち位置が

しっかりしている。


1首目のような社会的視野のある歌にも惹かれた。


装幀がこの歌集の温かさと知性にマッチしていて好感を抱いた。


                    2017年8月26日   2500円+税

 

2017年9月13日 (水)

玉すだれの咲く庭のある家

玄関のポーチに玉すだれの咲いているおうち。

わたしのあこがれの家である。

ことしもあちこちの庭で玉すだれが咲いている。

玉すだれの花は、ヒガンバナ科の玉スダレ属。

花の色は白とピンクがある。ピンクもかわいいが、わたしは白が好き。





そんな玉すだれの咲く庭を通りがかりに眺めながら園芸店へ。

ことしは夕顔がまだ咲かない。

花になりそうなツボミがことごとく枯れてゆく。

花になる前にツボミの時点で枯れてしまうのは何故なのかしら。



「わさび菜」という珍しい菜を売っていたので、2株買う。

虫がつきにくいということだけど、どうなんだろう。

わさびの名前が付いているくらいだから、葉っぱは辛いのかしら。



今日のおやつは新発売の「もちもち八女抹茶ロール」

(八女の抹茶だよ。)

これはセ●●イ●●ンでしか売っていない。(九州限定 ? かな。)

カスタードホイップもスポンジも抹茶色をしている。

美味しうございました。

2017年9月12日 (火)

曼殊沙華のするどき象(かたち) ……

電車に乗って春日まで。

沿線の彼岸花をたのしみに(の、つもりだったが、1ヶ所しか咲いていず)

まだ、ちょっと早かったみたい。

彼岸花の歌といえば、まず坪野哲久の歌が思い浮かぶ。

 

      曼殊沙華のするどき象(かたち)夢に見しうちくだかれて

      秋ゆきぬべき         坪野 哲久 『桜』より






そういえば、8月の末だったか、市内の秦夕美さんより『秦夕美句集』

(ふらんす堂 現代俳句文庫)が届き、その中に曼殊沙華の句があり

付箋をしていたのだった。

      熟れきつて手首さまよふ曼殊沙華     『泥眼』より  秦 夕美






「熟れきつて」いるのは、「手首さまよふ」のは、作者なのか?

曼殊沙華なのか?

曼殊沙華だとしたら、擬人化なのだろうか。

やっぱり、作者が「熟れきつて」、「手首さまよふ」方が面白そうだ。








この現代短歌文庫には、既刊の句集23冊の句が抄出されている。

わたしは、『孤舟』の句が好きだった。秦夕美のひりひりとした魂にちょっと

ばかり触れたような気がした。

      後の世は知らず思はずねこじやらし

      露霜やわたりあぐねし修羅の橋

      花野には五里ほど冥府には三里

      数年は生きるつもりのとろろ汁

      数あるはかなし遺品の秋袷        『孤舟』より 秦 夕美

cat     cat

俳句は読むのは好きだが、いざ作るとなると物怖じしてしまう。

でも、今日は彼岸花を見たので、彼岸花の句を。

      エゴサーチするもしないも曼殊沙華

      曼殊沙華母のやうには生きられず

 

2017年9月11日 (月)

旅先よりの絵ハガキ

台湾の高雄の龍虎塔の絵ハガキが届いた。

届いたといっても8月の末にわたしが旅先より出したもの。

わたしが私宛に出したのだ。

中華民國郵票 12元の切手を貼っている。

10日以上かかって届いたことになる。

海を渡ってわたしの元に無事届いたのだ。



今の世の中、というか世界は明日何が起こるかわからない。

そんな時せめて、わたしは元気で旅を続けているよ、というメッセージなのだ。

何もなければわたしが受け取るハガキ。


土曜日より鹿児島に行っていた。

一泊の旅、というより仕事がらみの鹿児島行き。

今回はどこへも行かず、ホテルの窓より桜島を眺めただけだった。







帰りの新幹線を待っている間に、鹿児島ならではの「しろくま」のアイス

クリームを頂いた。この「しろくま」はいろいろな種類があることもこのたび

初めて知った。

勿論、鹿児島の芋焼酎をお土産に。







机の上にオーギュスタン・デュメイ・ヴァイオリンリサイタルのS席の

チケットが2枚待っていた。

「行きなさい」ということかしら。

誰と行けばいいとね………

2017年9月 5日 (火)

映画「海辺の生と死」 満島ひかり・永山絢斗

島尾ミホの『海辺の生と死』(中公文庫 昭和62年刊)の映画化の

作品をようやく観賞することが出来た。

福岡で観られるのはイオンモールシネマの1ヵ所のみ。

博多駅まで出て、イオンモール行きのバスに乗り、福岡空港の彼方に

ある商業施設のイオンモールへ。



観客は想像していたよりは居たような。

それはともあれ、2時間35分の上映時間をたっぷり奄美・加計呂麻島の

景色と島唄を堪能した。

主演の満島ひかりの野生的な立ち居振る舞いは「ミホさん」を連想させるに

充分だった。


国民学校教師の島の娘・トエ(満島ひかり)と、海軍特攻班部隊隊長の朔(永島

絢斗)の恋。

悲しいフレーズの奄美の島唄。

          

          他の島の人と縁 結んじゃいけないよ

          他の島の人と縁 結んでしまえば

          落とすはずのない涙 落とすことになるよ

                       奄美島唄「朝花節」より

沖縄は陥落し、広島には新型爆弾が落とされ、いよいよ朔の出撃する時が

迫ってくる。トエは、水をかぶり身を清め母の遺品の喪服に身を包む。

短刀を握りしめ、浜辺を走る。走って走って、出撃する朔を見送って、

自裁するつもりなのか ? ………


エンディングで、脚本監修の梯久美子の名前が画面に映し出された。

そして、梯の『狂うひとーー「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社刊)も

スクリーンに。


cat     cat

このブログの2015年11月15日に、島尾ミホの『海辺の生と死』(中公文庫)の

ことは、書き込み済み。(参考までに)

2017年9月 4日 (月)

「りとむ」 2017年9月号

届いたばかりの「りとむ」を読んでいたら、あらあら不思議。

と、いうか、嬉しい発見 (?) をした。

今野寿美さんの歌の「こぼれてしまふ」の中の1首。

      焼夷弾の降るまへ銀の紙降りきうつくしかりきと語れり 聞けり

                          今野 寿美 「りとむ」9月号より

 

                           



なぜ、この歌に目が止まったのかといえば、8月22日の春日の教室で

永野雪子さんが出した歌がず〜っと気になっていたからだ。





      大空襲受けし福岡の街の空 火の粉の飛んで銀紙降りき

                          永野 雪子 8月22日詠草より


わたし自身が空襲を体験していないので、この歌の「銀紙降りき」が

わからなかったのだ。永野さんに「なんで銀紙が降ってきたの?」と

お訊ねした。でも彼女も「なんででしょうね」と言い「きれいでした」とも

言った。





今野さんの歌に触発されて、ネットで調べてみたら、「銀紙」は「アルミ箔」で

「電波妨害のために米軍が投下」したそうだ。一つ謎が解けた。

銀紙(アルミ箔)が降ったことも空襲体験者しか知らないことだ。







今年の夏はいつになく、わたしは教室の80歳以上の方々の背中を押す

意味で、「あなたがたがうたわないと戦争のことは風化してしまいますよ」と

伝えた。せめて、8月には非戦の歌を、と思う。付焼刃であろうとも、うたわ

ないよりうたった方がいい。体験者が声を挙げなければ……



今朝(9月4日)の朝日新聞の「朝日歌壇」永田和宏選の一首目の歌。

     しんじつを言えばこんなに悲しくて長崎市長の平和宣言

                           (水戸市) 中原千絵子

2017年9月 3日 (日)

歌集『風のおとうと』 松村正直  六花書林

40歳から44歳までの505首を収めた著者の第4歌集。

付箋を貼った歌はことごとく、

妻(君)、子、父、母とごく限られた人間関係をうたった歌が多くなってしまった。

著者にとってもっともだいじな家族、その家族の様相をうたった歌に哀感が

滲む。そういえば帯の文章も「歳月の濃淡のなかで、ゆらめく家族の日常、

言葉から滲み出る哀感。」と、すてきな的を得たことばであった。

    


    隣室に妻は刃物を取り出してざくりざくりと下着を切るも

    朝が来るたびに目覚めて君と会う白い皿にはパンが置かれて

    六十三個今朝は咲きたるあさがおがこの家のなかでいちばん元気

    子のためと言ってわれらがなすことのおおかたは子のためにはならず

    気軽に電話かけてきてよと父に言う掛けてくることなきを知りつつ

    叱りつけてわれの壊ししブロックを拾い集めて子の日曜日

    お母さん、お母さんと言って君は泣くわたしの方に背中を向けて

    つないでて欲しいと言われた右の手をいつ離ししか 覚めて思えり

    喪主である母を支えて立つ兄を見ており風のおとうととして

    母とともに暮らししはわずか二十年、二軒長屋に建て増しをして







1首目は、元気なころの妻であろう。古くなった下着をウエス(?)などに利用

      するために鋏を入れている。それだけなのに作者としては、

      居心地が悪いのだろう。夫と妻の緊張感が伝わってくる。「刃物」

      なんて、物騒な表現をせず「鋏」とすればいいのに。(よけいなこと

      だけどわたしは妻の味方 笑)



2首目は、「妻」でなく「君」の表記になっている。つらつら思うのだが、この

      作者が「妻」を「君」と表記している時は、妻を庇護する対象として

      みているようだ。「君」とうたった時の歌の方が優しさを感じる。

      「妻」という表記の時は単なる夫婦(?) で、〈情(じょう)〉が、

      伝わって来ないような。

            


4首目、そう、おおかたは子のためにはならない。むしろ、わたしなど後年、

     子どもから文句を言われたりした。「ぼくは、●●●音楽教室は

     行きたくなかった」などと。

7首目、8首目は、「曼殊沙華」の章の2首。

     この章は、クライマックスとでもいうべき章で、胸がドキドキして

     せつなく、悲しかった。17粍か20粍か知らないけど、母(妻)の体の

     異変を「おできのようなものだ」と子に教える作者。

     だけど、子どもだって事態の深刻さは受け止めていたことだろう。

9首目は、歌集タイトルになった歌。

      「風のおとうと」は作者自身らしい。この象徴的タイトルはどういう

      意味なのだろう。風にもいろいろあるし、台風はイヤだな。熱風や

      北風もパスしたいし、薫風とか涼風がいい。

10首目、「母とともに暮らししはわずか二十年」って、みんなそんなもの。

     高校を卒業して東京の大学に行ってしまえば、20年にも満たない。

     一緒に長く暮らさないから、労わり合えるということもありそうな……







と、いうことで、作者の歌もすごくいいけど、うたわれた対象の妻(君)を

応援したくなってしまった歌集だった。そういえば、彼女には1度だけ

遠見したことがある。

それはさておき、10首のなかに入れなかった私の好きなとっておきの

1首を紹介しよう。

     

    ねえ阿修羅まだ見ぬひとに伝えてよ今日ここにいた私のことを

                  


                          2017年9月3日  2500円+税

 

 

2017年9月 2日 (土)

『世界黄昏』 久々湊盈子歌集  砂子屋書房

2012年から、2016年まで約5年間の作品から500首ほどを

自選し、ほぼ制作順に収めている。

著者の第9歌集。

なお、歌集のタイトルの読みは、『世界黄昏(せかいこうこん)』。

    修理不能とそっけなく言われて返されぬ姉の手に二十年ありたる時計

    虎杖(いたどり)を嚙めばいきなり少女期のわれに戻りて泣きたくなりぬ

    アンダルシアの古城の庭に鈴なりの非時香菓(かくのこのみ)は酸っぱ

    く苦(にが)い

    「蜜」というおみな現われ堅物のウチの亭主の目尻を下げる

    茱萸坂(ぐみざか)をのぼればひそと立ちている小高賢に今日も会える

    気がする

    どのような成り行きにてもわたくしは兵士の母と呼ばれたくない

    まだ緑(あお)き四照花(やまぼうし)五月の日にゆれていつでも今日が

    いちばん若い

    檄も来ずまして艶書(えんしょ)も来ずなりてわが身ひとつに絢爛と秋

    狂うにも遅すぎる齢 帯締めをきつく結びてひとと逢うなり

    いそいそと出でゆく夫を見送りてわれもいそいそ三日の独居

①首目は、姉の形見となった腕時計を修理に出したのだろう。しかし、

 やんぬるかな修理が出来ないと言われてしまったのだ。



②首目は、戦後の食糧難の時代が想起される。学校の帰りに虎杖を嚙んだ

 ことなど思い出したのか ?




③首目は、スペインの旅で見かける光景。オレンジの街路樹が所によっては

  ある。誰も盗まないし、取らないのは、酸っぱくて苦いから。

  (街路樹のオレンジは観賞用と添乗員さんが云ってた。)

 

④首目は、女性の名前の「蜜」だろう。姓名が2文字のあのひと。

  大人の色気があるとかで、男性ファンが多いらしい。

  堅物の亭主といえど、目尻が下がる(笑)


⑤首目は、茱萸坂といえば小高賢というくらい高名になった。当時の

 デモを思い出し、小高賢を偲ぶ。


そして、⑥首目の歌は、この『世界黄昏』の中でわたしの最も好きな歌。

きっぱりとした下の句のことば。

「濁声(だみごえ)に大鴉は鳴けり唱和して二羽また三羽世界黄昏(こうこん)」

の歌から歌集題はとられ、世界は夜明け前とは程遠く、黄昏がますます深く

なっていく気配がしている。




⑦首目から⑩首目までの4首は、久々湊盈子の気性がそのまんま出て

いるような(勝手な思い込みでごめんなさい。)飾り気のなさがいい。

「今日がいちばん若い日」とうたい、「われもいそいそ三日の独居」なんて

素晴らしい(笑)。湿潤な歌から、一線を画するところが久々湊盈子の短歌

だろう。

                   2017年8月10日  3000円+税

2017年9月 1日 (金)

ほろほろと生きる九月の甘納豆  坪内稔典

本日は、二百十日、関東大震災記念日、防災の日ということだったのだが、

昨夜おそく旅から戻り、頭のなかの整理も、身辺の片付けも、まだまだの

状態。


しなければいけないことばかりで、何から手をつけていいのやら。

とりあえず、郵便物とメールの仕分け ? をしていたら、昨夜(今朝)は、

午前 2 時になってしまった。

今日は香椎の教室。

明日は「未来福岡歌会」。

旅先で見た上弦の月が、今夜は博多の空でいくらか太くなって耀いている。



急がず、慌てず、ゆったり構えて、稔典サンの句のように、

「ほろほろと生きる」(笑)ことにしよう。

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