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2017年9月26日 (火)

歌集『含笑』 島崎榮一  短歌研究社

珍しく函入りの歌集で、パラフィン紙がかけられていた。

中の歌集を取り出すと表紙はすっきりした装幀、その表紙も

パラフィン紙に包まれている。そして、何より見返しの紙が紙というより

皮みたいな高価な手触りがする。

こんな贅沢な歌集を手にしたのは久しぶりだ。


タイトルの読み方は「がんせう」(歴史的仮名遣い)。

含み笑いのことかしら。

やはり漢音の「含笑」の方が奥行がありそうな感じなり。

80歳を過ぎた男性歌人の歌は、ことごとく愉しい。

それは、なぜなのか。

たぶん、素の自分をさらけ出すというか、気負いがなくなり、自在に

なるためではないか ?

           正座して机に向かひ精神のみのたけ高くなるにもあらず

      歌やめて楽になるのが一番と言へば笑ひごゑ部屋に広がる

      木蓮の花びらの匙さながらに役に立たないものが哲学

      六月の石榴の花はどこからが実でどこからが花か解らず

           朝起きて血圧測る面倒なことも八十歳(はちじふ)このごろはせず

       楓若葉くぐりて鳥のあそぶさま雨ふる池をへだてて見たり

           ときどきはまなこをあげて悩みなどなき老人の表情をせよ

     八十を過ぎたるわれが石塀に乗つて椿の木の枝おとす

            夜おそく畳の上に正座して日の歌風の歌をしたしむ

      ゆく雲はしづかに早し前庭の金木犀の花も過ぎたり

くすっと笑いたくなるような歌ばかりだ。

こういう現象をも「含笑」というのだろうか。




1首目と9首目に「正座」のことばがある。作者は座り机派なのだろう。

従って「正座」になる。歌を読む時も正座、歌を作る時も正座なのだ。

いかめしい人を想像するが、「精神のみのたけ高くなるにもあらず」と念を

押している。





2首目の「歌やめて楽になるのが一番」と、ここまでぬけぬけと言われたら、

みんな笑うしかないだろう。やめられるのだったらとっくにやめてるよ、

とでも返したくもなる。み〜んな、やめられないんだ。やめたあとの自分が

こわいんだ。(自分が自分でなくなってしまったりして…)




3首目の「役に立たないものが哲学」なんて、公言されたら、哲学の先生が

困るだろうな。哲学の方に進む学生も激減したり…(今でも哲学科って

あるのかしら ? )

7首目は、自励の歌か。

8首目を読むと、まだまだ体力はあるし、5首目の「血圧測る」ことなんて、

そう面倒でもなさそうなのだけど。健康に対して自信がついたとか。

6首目の「鳥のあそぶさま」を見ている作者が案外等身大かもしれない。








昭和61年「鮒」創刊。

30年の歳月を「鮒」と過ごした作者の感慨の籠る歌を最後に紹介したい。

       


      わが「鮒」の三十年は蛍とぶ夏の夕べのごとくみじかし

 

                     平成29年9月7日   3000円+税

 

 

 

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